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西加奈子『サラバ!』その3

2017-06-29 04:31:00 | ノンジャンル
 冤罪で10年間刑務所生活を強いられていた原口アヤ子さんの再審が決定しました。原口さんは逮捕後から一貫して無罪を主張。裁判でも自白という状況証拠だけで有罪となり、出所後、一度は再審開始の決定が地方裁判所で出たものの、高裁が取り消していました。現在話題になっている青森の青酸カリ連続殺人事件もそうですが、状況証拠だけで有罪というのは、いいかげん止めてほしいと思います、裁判の鉄則「疑わしきは罰せず」。この原点に戻って、裁判所、検察、警察いずれにも猛省を促したいと思いました。

 さて、また昨日の続きです。
「第二章 エジプト カイロ、ザマレク」
 僕たちは、慌ただしくエジプトに引っ越しする準備を始めた。ホームルームが終わると、同級生たちはみな、僕の周りに集まってきた。僕は幼稚園と同じく、小学校のクラスでも人気があったが、持ち前の性格から、率先して皆の中心になろうとはしなかった。引っ越しの準備をする段になって初めて、僕と母は姉の部屋を見ることになった。姉が毎日壁に、天井に何を描いていたのか、とうとう知ることが出来たのだ。姉の部屋に足を踏み入れた途端、僕と母は絶句した。壁や天井の一面に、巻貝が描かれていた。すべての巻貝が同じ形、同じ大きさだった。しかもそれは絵ではなく、壁を削り取って描かれたものだった。カイロに着いた僕が眩暈に襲われたのは、酸っぱい、目に染みるようなにおいだった。空港を出ると、また新しいにおい、豆をフライパンで炒ったようなにおいが漂っていた。有料トイレの管理人に腹を立てた母と姉は、本当に珍しく、意見を交わしていた。僕は嬉しかった。
 空港には父が迎えに来てくれていた。僕たちの住むのは、フラットと呼ばれる建物だった。マンションのようなものだ。これを豪邸と言わずして、何を豪邸と言うのだ。僕は一夜にして、王様になった気分だった。
 エジプトの人は圧倒的にイスラム教徒が多かった。「僕らもイスラム教になるん?」「ううん、ならんでええよ。」「そもそも、あたしたちって何教徒なの?」姉は、この質問を今まで思いつかなかったことを、驚いていた。「仏教徒や。正確に言うと、浄土真宗ってやつ。」熱い紅茶を飲んで、口の中を火傷し、僕はこれからエジプトで暮らすんだと思った。
 休みの日、父の運転で外出をした。ここでは車線がないので、どの車がどこを走るかは、運転手任せなのだった。追い越しや合流もひどく父は何度もブレーキを踏み、クラクションを鳴らした。そんな乱暴な道路を、おじさんやおばさん、子供までが横断していることに驚いた。
 僕は、3,4日もすれば、「カイロはこういう街なのだ」と思うようになっていた。肉屋の新鮮な軒先に牛がそのまま吊り下げられているのも、すれ違う男の人たちの強烈なにおいも、すぐに日常になっていった。
 お手伝いのゼイナブは、母に生活する上で必要な様々なことを教えた。ゼイナブが来てからというもの、母はみるみる輝きだした。一方、ゼイナブがお祈りのやり方を教えると、姉はゼイナブよりも正確な時間に、熱心に祈りをするようになった。エジプシャンは、とにかく人懐っこい。そして子供が大好きだ。
 僕と姉は、日本人学校に通うことになった。姉は5年生、僕は1年生の9月からの編入だ。僕の関西弁は、皆を驚かせたが、僕も、新しい環境に驚かされた。ひとつは、学校がひとつの邸宅を改造したものだということだった。クラスメイトの皆が「さん」づけで呼び合うことにも驚いた。とにかく、僕たちはとても自由な環境にあったのだ。その環境は、姉にもいい影響を及ぼした。姉のクラスメイトはおおむね大人だった。理由のひとつに、僕たち子供と大人たちとの、距離の近さがあった。同級生のお父さんが教師でいるような場所だ、少ない人数を担当している教師と僕らの距離は、日本のそれとは比べ物にならなかった。姉は、自分があまりに速やかに受け入れられたことに、初め戸惑っていたが、それをきちんと喜べるくらいには、大人になっていた。その変化を、母はもちろん喜んだ。姉が、どこで見つけてきたのか分からないボロボロの作業着や、父のワイシャツをちぎったものではなく、母が選んだ服を着るようになったのだから。ということで、カイロでの圷家の生活は、いくつかの驚きと共に、ほとんど健やかに、そして明るく流れて行った。
 夏枝おばさんは、冬服と一緒に手紙を同封してくれていた。母が手紙を読んでいる間、姉はソファに座って、頬杖をついていた。姉はいったい、このソファというやつを、とても気に入っていた。僕はというと、女の子のことを、誰も好きにはなっていなかった。その代わり、僕にとって非常に重要な出来事があった。学校で親友が出来たのだ。向井輝美(むかいてるみ)という。女じゃない。僕は会員証を作ってもらい、向井さんと、ことあるごとにスポーツクラブに入り浸った。ここにいる皆は、いつか会えなくなる友達なのだ。幼かった僕らは、どこかでそれを分かっていた。だからこそ、その時間を大切にした。(また、明日へ続きます……)

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