5月18日の東京新聞の「視点」コーナーに、「仏『五月革命』から50年 マクロン氏への教訓」と題されたコラムが載っていました。全文を転載させていただくと、
「フランスで既存の社会に不満を抱えた学生らがデモを繰り広げた1968年の社会運動『五月革命』から、50年を迎えた。女性や労働者の権利確立に大きな影響を与えたとされるが、参加者によると、学生の主張としてはまとまりに欠けていた。それでも運動が広がったのは、当時の政府が若者の訴えに鈍かったからだ。今、就任1年を迎えたマクロン大統領の改革に対するデモが各地で起きているが、40歳の若い大統領の対応も決して敏感とはいえない。
5月革命は、パリ郊外の大学から始まった。第二次大戦後のベビーブームで急増した学生に対応できず、校舎は増築続きで学習環境は劣悪。ヒッピー文化など米国から自由の風が吹く中、男女学生の自由な交流を妨げる大学の規則は若者に時代遅れに映った。大学進学時の選抜制度の導入が検討され、強まる管理体制にも不満が高まっていた。
政府に不満をぶつける学生に『プールに入って頭を冷やせ』と言い放った閣僚は、旧態依然とした社会を想起させた。デモが広がる中、『大した問題ではない』とばかりにルーマニアを訪問したドゴール大統領の行動も、若者の怒りに拍車を掛けたとされる。
権威ある学問の聖域、ソルボンヌ大学への警察の介入は事態を悪化させた。当時の参加者は『他の大学と意味合いが違った』と指摘する。市民の目にも弾圧と映り、労働者と合流した街頭の運動は1千万人規模に拡大していった。
もっとも、ある男性は『デモに参加したのは、お祭りみたいだったから』と振り返った。仏紙リベラシオンのロラン・ジョフラン編集長(65)は、著作で『学生の主張はばらばらだった』と指摘する。
それでも全国に広がったのはなぜか。社会学者ジャン・ピエール・ルゴフ氏(69)は、古い社会の象徴のような機動隊に立ち向かう時『かなりの連帯感を感じた』と語る。政府の強権的な対応が、運動に説得力を与えたのだ。
50年がたち、再び大学制度改革を進めるマクロン氏は、抗議で大学を占拠する若者を『学生ではなく過激派の活動家だ』と切り捨てた。新たに導入する選抜試験への不満は『甘い試験なんてない』と歯牙にもかけない。
労働者が不当に解雇された場合の補償金の減額など企業の競争力向上を名目とする改革では、立法作業を飛ばした政令改正も辞さない。
50年前、デモやストライキはドゴール大統領が民意を問う解散総選挙に踏み切ると下火になった。パリ政治学院の政治学者ブルーノ・コトレスさんは、改革を急ぐマクロン氏が『傲慢で人の意見を聞かない面があると受け取られている』と懸念を示す。『上から目線』の発言を繰り返す大統領が、どこまで事態を深刻に受け止めているかは疑問だ」。
五月革命といえば、フランスのヌーヴェルヴァーグの監督たちがカンヌをボイコットし、学生や労働者たちと連帯したことを思い出します。その後、ジャン=リュック・ゴダールは“社会主義〝的な実験映像の時代に入り、ジャック・ドゥミもデモを扱った映画を撮るなどしましたが、フランソワ・トリュフォーをはじめとする他の監督たちは、自分の原点へ回帰する映画に帰っていきました。そうした時代のうねりを体現しているのが、トリュフォーのほとんどの映画と58年前のゴダール映画に出演していたジャン=ピエール・レオでしょう。レオは5月革命の後も、トリュフォーの映画に出続け、1985年には“社会主義”の洗礼を受けた後、再び“商業映画”に戻ってきたゴダールの映画『ゴダールの探偵』にも出演し、最近ではアキ・カウリスマキ監督の映画『ラヴィ・ド・ボエーム』(1992年)や『ル・アーヴルの靴磨き』(2011年)でその姿を見ることができます。彼の今の容貌は私から見ると「すさまじい」老い方をしているようにも見え、見ているだけで胸が詰まる思いです。これらの最近の作品のうち、カウリスマキの映画はどちらも既に見ているのですが、『ゴダールの探偵』は多分劇場で見ているはずなのですが、どんな映画だったか思い出すことができません。ゴダールの映画はストーリー性より映像そのものを重んじて作られており、“映像の洪水”状態の場合があるので、なかなか“理解”できないのがその原因かな、あるいは決定的に記憶に残るショットがなかったのかな、と思います。いずれにしろ、出演者としての“映画作家”であるジャン=ピエール・レオの出演している映画は必見です!
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
P.S 昔、東京都江東区にあった進学塾「早友」の東陽町教室で私と同僚だった伊藤さんと黒山さん、連絡をください。首を長くして福長さんと待っています。また、この2人について何らかの情報を知っている方も、以下のメールで情報をお送りください。(m-goto@ceres.dti.ne.jp)
「フランスで既存の社会に不満を抱えた学生らがデモを繰り広げた1968年の社会運動『五月革命』から、50年を迎えた。女性や労働者の権利確立に大きな影響を与えたとされるが、参加者によると、学生の主張としてはまとまりに欠けていた。それでも運動が広がったのは、当時の政府が若者の訴えに鈍かったからだ。今、就任1年を迎えたマクロン大統領の改革に対するデモが各地で起きているが、40歳の若い大統領の対応も決して敏感とはいえない。
5月革命は、パリ郊外の大学から始まった。第二次大戦後のベビーブームで急増した学生に対応できず、校舎は増築続きで学習環境は劣悪。ヒッピー文化など米国から自由の風が吹く中、男女学生の自由な交流を妨げる大学の規則は若者に時代遅れに映った。大学進学時の選抜制度の導入が検討され、強まる管理体制にも不満が高まっていた。
政府に不満をぶつける学生に『プールに入って頭を冷やせ』と言い放った閣僚は、旧態依然とした社会を想起させた。デモが広がる中、『大した問題ではない』とばかりにルーマニアを訪問したドゴール大統領の行動も、若者の怒りに拍車を掛けたとされる。
権威ある学問の聖域、ソルボンヌ大学への警察の介入は事態を悪化させた。当時の参加者は『他の大学と意味合いが違った』と指摘する。市民の目にも弾圧と映り、労働者と合流した街頭の運動は1千万人規模に拡大していった。
もっとも、ある男性は『デモに参加したのは、お祭りみたいだったから』と振り返った。仏紙リベラシオンのロラン・ジョフラン編集長(65)は、著作で『学生の主張はばらばらだった』と指摘する。
それでも全国に広がったのはなぜか。社会学者ジャン・ピエール・ルゴフ氏(69)は、古い社会の象徴のような機動隊に立ち向かう時『かなりの連帯感を感じた』と語る。政府の強権的な対応が、運動に説得力を与えたのだ。
50年がたち、再び大学制度改革を進めるマクロン氏は、抗議で大学を占拠する若者を『学生ではなく過激派の活動家だ』と切り捨てた。新たに導入する選抜試験への不満は『甘い試験なんてない』と歯牙にもかけない。
労働者が不当に解雇された場合の補償金の減額など企業の競争力向上を名目とする改革では、立法作業を飛ばした政令改正も辞さない。
50年前、デモやストライキはドゴール大統領が民意を問う解散総選挙に踏み切ると下火になった。パリ政治学院の政治学者ブルーノ・コトレスさんは、改革を急ぐマクロン氏が『傲慢で人の意見を聞かない面があると受け取られている』と懸念を示す。『上から目線』の発言を繰り返す大統領が、どこまで事態を深刻に受け止めているかは疑問だ」。
五月革命といえば、フランスのヌーヴェルヴァーグの監督たちがカンヌをボイコットし、学生や労働者たちと連帯したことを思い出します。その後、ジャン=リュック・ゴダールは“社会主義〝的な実験映像の時代に入り、ジャック・ドゥミもデモを扱った映画を撮るなどしましたが、フランソワ・トリュフォーをはじめとする他の監督たちは、自分の原点へ回帰する映画に帰っていきました。そうした時代のうねりを体現しているのが、トリュフォーのほとんどの映画と58年前のゴダール映画に出演していたジャン=ピエール・レオでしょう。レオは5月革命の後も、トリュフォーの映画に出続け、1985年には“社会主義”の洗礼を受けた後、再び“商業映画”に戻ってきたゴダールの映画『ゴダールの探偵』にも出演し、最近ではアキ・カウリスマキ監督の映画『ラヴィ・ド・ボエーム』(1992年)や『ル・アーヴルの靴磨き』(2011年)でその姿を見ることができます。彼の今の容貌は私から見ると「すさまじい」老い方をしているようにも見え、見ているだけで胸が詰まる思いです。これらの最近の作品のうち、カウリスマキの映画はどちらも既に見ているのですが、『ゴダールの探偵』は多分劇場で見ているはずなのですが、どんな映画だったか思い出すことができません。ゴダールの映画はストーリー性より映像そのものを重んじて作られており、“映像の洪水”状態の場合があるので、なかなか“理解”できないのがその原因かな、あるいは決定的に記憶に残るショットがなかったのかな、と思います。いずれにしろ、出演者としての“映画作家”であるジャン=ピエール・レオの出演している映画は必見です!
→Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
P.S 昔、東京都江東区にあった進学塾「早友」の東陽町教室で私と同僚だった伊藤さんと黒山さん、連絡をください。首を長くして福長さんと待っています。また、この2人について何らかの情報を知っている方も、以下のメールで情報をお送りください。(m-goto@ceres.dti.ne.jp)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます