昨日の続きです。
「おい、ふざけた真似をするな」(中略)
「あ? なんか文句あんのかよ」(中略)
威嚇なのか、本気なのか、男がボクシングの構えをした。
「やってみろ。大人を殴ってただで済むと思うなよ」
浩二が勢いで言う。次の瞬間、男の拳が左胸に当たった。(中略)浩二はその場にうずくまった。
次の一撃は蹴りだった。同じ胸部に衝撃が走る。(中略)
「おい、やべえんじゃねえのか」
「気絶してるよ」
{逃げろ、逃げろ}(中略)
ふわりと体が浮かぶような感覚があり、浩二は目が覚めた。(中略)
「おとうさん、心肺停止だったんだよ」結花が言った。(中略)
「誰が救急車を呼んだんだ」
「わたし」
「なんでお前が。家にいたんだろう」
{男の子が駆け込んできて、おじさんが大変だから海岸に来てって}(中略)
浩二はポケットからスマートフォンを取り出し、スイッチを入れた。タケシ君を見たかった。命の恩人に、心の中でお礼が言いたい。川崎が送ってくれたメールの写真を開き、のぞき込むと、そこにタケシ君の姿はなかった。(中略)
「ねえ、あなた」洋子が体を寄せ、浩二の膝に手を置いた。「機嫌直してよね。わたし、反省してるから」(中略)
浩二は黙って海を眺めた。(中略)たぶん、自分は元の鞘に収まるだろう。(中略)
せめてもの抵抗として、浩二はタケシ君のことを自分の胸にしまうことにした。(中略)
「ファイトクラブ」
早期退職の勧告に最後まで抵抗し続けていたら、総務部危機管理課という新設部署に異動させられた。実質的な“追い出し部屋”である。
三宅邦彦は四十六歳の家電メーカーの会社員で、専業主婦の妻と、高校生と中学生の子供がいた。家のローンはまだ二十年残っており、車の月賦も支払い中であった。(中略)
危機管理課は総務部に属しながら、本社ビルではなく、電車で一時間かかる郊外の工場の、使っていない倉庫の一角にプレハブの小屋としてあった。(中略)
新しい部署、危機管理課とはずいぶん威勢のいい名前だが、仕事は警備員だった。五名いる課員は全員が四十五歳以上で、お揃いの(それもかなり安物の)ジャンバーを着させられ、工場内を警備する。もちろん会社は警備会社と契約を交わしており、各所に警備員が配置されているため、補助役に過ぎない。(中略)
邦彦は、下の息子が大学を出るまでは耐えようと思った。今中三だから、あと七年。終わりが見えていれば、何だって耐えられる。
この日、邦彦は工場の警備室に詰め、警備員たちと一緒にモニター監視をしていた。といっても訓練を受けていないので、ただ見ているだけである。本職の警備員たちはやり難そうで、迷惑がっているのがわかった。(中略)
半月ほど過ぎた頃、最年長の岩田が課員を誘い、食事会を開いた。(中略)
話の流れで、それぞれが体力の衰えを嘆いていたら、沢井が思い出したように言った。
「そうそう。ここの倉庫、運動具がたくさん放置してあるんだよね」
「何それ?」邦彦が聞く。
「ここの東側の壁にコンテナがいくつか並んでるじゃない。何が入ってるのかなって、この前扉を開けてみたら、筋トレマシンやら、走高跳のポールやら、バレーボールのネットやら、そういうのが埃を被って置いてあった」
「わかった。会社が実業団チームを持ってた頃の備品だ」(中略)
「ちょっと見てみようか」(中略)
「こっちには縄跳びがあります」(中略)邦彦は、縄跳びを持ってコンテナの外に出て跳んでみた。(中略)五回と続かない。(中略)
「ねえ。うちの会社ってボクシング部あった?」(中略)
「だってボクシング用のグローブやらサンドバッグが揃ってるよ」(中略)各自グローブをはめ、順にサンドバッグを叩いた。
「おれ、日課にしようかな。どうせ暇だし」
久しぶりに会話が弾んだ。(中略)
翌日、本社から人事部の石原という課長代理が部下を二名連れて、危機管理課にやって来た。(中略)「ここに応接セットはいりませんね」(中略)
「それから、パソコンは課全体で一台とします。会社から支給されたみなさんのノートパソコンは、三日以内に初期化して庶務課に返却願います」(中略)
午後五時、工場の終業サイレンが鳴ると、邦彦はコンテナからダンベルを出して来て筋トレを始めた。(中略)沢井がやって来て「あ、三宅さんだけずるいね」と笑って言い、自分は隣でサンドバッグを吊るしてボクシングを始めた。見ていると、そっちの方が楽しそうである。
「おれもそっちがいいな」(中略)
「なんか、放課後の部活みたいでいいね」と邦彦。(中略)
そんなおしゃべりをしながら、ボクシングの真似ごとをしていたら、コンテナの陰から人が現われた。(中略)
工場の制服を着た年配の男だった。(中略)
男がコーチのように指示を出すので、戸惑いながらも従った。(中略)「あなた、工場の方ですか?」と聞いた。
「ああ、嘱託だがな」(中略)
(また明日へ続きます……)
「おい、ふざけた真似をするな」(中略)
「あ? なんか文句あんのかよ」(中略)
威嚇なのか、本気なのか、男がボクシングの構えをした。
「やってみろ。大人を殴ってただで済むと思うなよ」
浩二が勢いで言う。次の瞬間、男の拳が左胸に当たった。(中略)浩二はその場にうずくまった。
次の一撃は蹴りだった。同じ胸部に衝撃が走る。(中略)
「おい、やべえんじゃねえのか」
「気絶してるよ」
{逃げろ、逃げろ}(中略)
ふわりと体が浮かぶような感覚があり、浩二は目が覚めた。(中略)
「おとうさん、心肺停止だったんだよ」結花が言った。(中略)
「誰が救急車を呼んだんだ」
「わたし」
「なんでお前が。家にいたんだろう」
{男の子が駆け込んできて、おじさんが大変だから海岸に来てって}(中略)
浩二はポケットからスマートフォンを取り出し、スイッチを入れた。タケシ君を見たかった。命の恩人に、心の中でお礼が言いたい。川崎が送ってくれたメールの写真を開き、のぞき込むと、そこにタケシ君の姿はなかった。(中略)
「ねえ、あなた」洋子が体を寄せ、浩二の膝に手を置いた。「機嫌直してよね。わたし、反省してるから」(中略)
浩二は黙って海を眺めた。(中略)たぶん、自分は元の鞘に収まるだろう。(中略)
せめてもの抵抗として、浩二はタケシ君のことを自分の胸にしまうことにした。(中略)
「ファイトクラブ」
早期退職の勧告に最後まで抵抗し続けていたら、総務部危機管理課という新設部署に異動させられた。実質的な“追い出し部屋”である。
三宅邦彦は四十六歳の家電メーカーの会社員で、専業主婦の妻と、高校生と中学生の子供がいた。家のローンはまだ二十年残っており、車の月賦も支払い中であった。(中略)
危機管理課は総務部に属しながら、本社ビルではなく、電車で一時間かかる郊外の工場の、使っていない倉庫の一角にプレハブの小屋としてあった。(中略)
新しい部署、危機管理課とはずいぶん威勢のいい名前だが、仕事は警備員だった。五名いる課員は全員が四十五歳以上で、お揃いの(それもかなり安物の)ジャンバーを着させられ、工場内を警備する。もちろん会社は警備会社と契約を交わしており、各所に警備員が配置されているため、補助役に過ぎない。(中略)
邦彦は、下の息子が大学を出るまでは耐えようと思った。今中三だから、あと七年。終わりが見えていれば、何だって耐えられる。
この日、邦彦は工場の警備室に詰め、警備員たちと一緒にモニター監視をしていた。といっても訓練を受けていないので、ただ見ているだけである。本職の警備員たちはやり難そうで、迷惑がっているのがわかった。(中略)
半月ほど過ぎた頃、最年長の岩田が課員を誘い、食事会を開いた。(中略)
話の流れで、それぞれが体力の衰えを嘆いていたら、沢井が思い出したように言った。
「そうそう。ここの倉庫、運動具がたくさん放置してあるんだよね」
「何それ?」邦彦が聞く。
「ここの東側の壁にコンテナがいくつか並んでるじゃない。何が入ってるのかなって、この前扉を開けてみたら、筋トレマシンやら、走高跳のポールやら、バレーボールのネットやら、そういうのが埃を被って置いてあった」
「わかった。会社が実業団チームを持ってた頃の備品だ」(中略)
「ちょっと見てみようか」(中略)
「こっちには縄跳びがあります」(中略)邦彦は、縄跳びを持ってコンテナの外に出て跳んでみた。(中略)五回と続かない。(中略)
「ねえ。うちの会社ってボクシング部あった?」(中略)
「だってボクシング用のグローブやらサンドバッグが揃ってるよ」(中略)各自グローブをはめ、順にサンドバッグを叩いた。
「おれ、日課にしようかな。どうせ暇だし」
久しぶりに会話が弾んだ。(中略)
翌日、本社から人事部の石原という課長代理が部下を二名連れて、危機管理課にやって来た。(中略)「ここに応接セットはいりませんね」(中略)
「それから、パソコンは課全体で一台とします。会社から支給されたみなさんのノートパソコンは、三日以内に初期化して庶務課に返却願います」(中略)
午後五時、工場の終業サイレンが鳴ると、邦彦はコンテナからダンベルを出して来て筋トレを始めた。(中略)沢井がやって来て「あ、三宅さんだけずるいね」と笑って言い、自分は隣でサンドバッグを吊るしてボクシングを始めた。見ていると、そっちの方が楽しそうである。
「おれもそっちがいいな」(中略)
「なんか、放課後の部活みたいでいいね」と邦彦。(中略)
そんなおしゃべりをしながら、ボクシングの真似ごとをしていたら、コンテナの陰から人が現われた。(中略)
工場の制服を着た年配の男だった。(中略)
男がコーチのように指示を出すので、戸惑いながらも従った。(中略)「あなた、工場の方ですか?」と聞いた。
「ああ、嘱託だがな」(中略)
(また明日へ続きます……)
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