リリー・フランキーさんの「マムシのanan」を読みました。題名は小泉今日子さんの「パンダのanan」をもじってつけたもので、その流れで、この本の帯には「私は絶対に読みません! 小泉今日子」の文字が直筆で書かれています。
この本の成り立ちはペリー荻野氏と交代で「anan」に連載されたエッセイ「リリーVSペリーの闘う好奇心」の本人部分に加筆修正したものです。
内容は、というと女性向けのオジサンからのメッセージなのですが、「女」としていかに生きていくか、ではなく「メス」としていかに生きていくか、という内容になっています。またほとんどが実体験からでたものらしく、一体この人は今まで何人の人と関係してきたのだろう、といぶかったりもします。
もちろんリリーさんのことなので、ユーモアにあふれていて、例えば「悪男」という映画が大犯罪大作になるのに比べて、「悪女」という映画をつくったら、「『悪女』製作費50万円。奔放で淋しがり屋な、一人の女が、様々な男の上を通りすぎる。行きずり。一晩限り。待ちぼうけ。生理不順。リボ払い。一人の女が新大久保の夜を湿らす。‥‥気が滅入りそうである。」などと笑わせてくれます。
「東京タワー」とはまた違ったリリーさんの一面が伺えるという点でも読む価値は十分あると思います。
この本の成り立ちはペリー荻野氏と交代で「anan」に連載されたエッセイ「リリーVSペリーの闘う好奇心」の本人部分に加筆修正したものです。
内容は、というと女性向けのオジサンからのメッセージなのですが、「女」としていかに生きていくか、ではなく「メス」としていかに生きていくか、という内容になっています。またほとんどが実体験からでたものらしく、一体この人は今まで何人の人と関係してきたのだろう、といぶかったりもします。
もちろんリリーさんのことなので、ユーモアにあふれていて、例えば「悪男」という映画が大犯罪大作になるのに比べて、「悪女」という映画をつくったら、「『悪女』製作費50万円。奔放で淋しがり屋な、一人の女が、様々な男の上を通りすぎる。行きずり。一晩限り。待ちぼうけ。生理不順。リボ払い。一人の女が新大久保の夜を湿らす。‥‥気が滅入りそうである。」などと笑わせてくれます。
「東京タワー」とはまた違ったリリーさんの一面が伺えるという点でも読む価値は十分あると思います。