”ばっきん”のブログ

日常生活中心のブログです。
平成28年9月から妻と息子、母の4人で暮らしています。

あまり言えない函館市の生活保護率が高い理由

2010年05月27日 10時13分33秒 | 生活保護
私はかつてHP上で函館市の生活保護率の高い理由を次のように分析した。

1 周辺自治体と比して保護費(最低生活費)の基準が高い。
2 周辺自治体に比して医療機関が集中している。(とりわけ精神病院)
3 函館は福祉の歴史が古く、生活保護への敷居が高くない住民意識がある。
4 昨今は少子高齢化が激しく、人口減少も著しい。
5 函館の住人は名より実を重んじる。(モラル・ハザード)

といった観点を標榜したわけだが,

さらに,重要な点が論じられなければならない。
それは,「従来より函館市の保護行政に対する姿勢が脆弱・貧弱である」点が見
逃せない。

どこの自治体でもそうだろうが,福祉職場は一般職員には不人気で,嫌われる部
門である。
したがって,いわゆる「できる職員」が配属されることが極端に少ない。
逆に言えば,「使えない職員」を配属されることが多く。
有給休暇の消化率が高い。時間外勤務はしない。といった伝統が根付いていたよ
うである。
また,古くより函館市は財政状況が厳しく交通局の人員整理の際,一般職への配
置転換・職種変更の受け皿になってきたのが,福祉のうちでもとりわけ嫌われる
生活保護部門だったのである。
最近では,もともと環境部(清掃部門)や学校用務員などの現業職からの職種変
更の職員も多いというのが現状,これらの職員はそれなりに頑張ってはいるらし
いのだが,人事当局の姿勢が如実に表れているのではないかとも思っている。

頭数さえ揃えれば,それで足りる位の意識しかなく,それでも昔は良かったかも
しれないが,現代は種々様々な問題が惹起し,かつ複雑化,専門化,先鋭化して
いることに全く意を介さないとしかいえない状況である。

たとえば,1ケースワーカー当たりの担当世帯数はどうなっているのであろうか?
社会福祉法に定める国の基準では,標準数は80世帯となっている。
財政状況厳しき折,この基準はほとんど反古にされていると思うが,問題はケー
スワーカーの任用資格もどうなのかという点,ケースワーカーは,社会福祉主事
でなければならないとされているが,おそらくこの条件もかなり数満たしていな
いと想像するものである。

つまり,徹底した適正実施を行なおうとする体制そのものが脆弱なため,自立で
きない稼働年齢層がおおいこと,扶養義務の優先が徹底されないため,孤立化す
る高齢受給者が多いこと,就労支援に十分なスキルをもった職員がいないことな
ど,負の要素をあげればキリがないのである。

しかし,さらに深刻な問題は,治る見込のない傷病世帯を乱造する精神科病院の
存在である。近隣市町村には,基本的に精神科の病院は極めて少なく,治療のた
めには,函館市内に出てこなければならない。

中には,肉親と一緒に生活していては,病状が悪化するから,函館に出てきて一
人暮らしをしなさい。生活費は,生活保護を申請すればよいと患者に吹き込み,
就労不可の診断書を持たせてよこす病院もあるという。

うつ系の疾病患者には,「頑張れ!」と励ますことはダメなことはよく知られて
いることをいいことに,一見健康そうに見える精神患者が仕事をせずに闊歩して
いる状態を見て,一般市民が福祉事務所はきちんと指導しているのかとお怒りに
なられることが多いというのも厳しい実態だ。

こうした解決不能の問題等を抱えるケースワーカーの士気の低下も大きな問題で
ある。

ところが,市人事当局は,こうした状況を無視するかのように,「適材適所」で
人員の配置を行っていると言っているようだ。

一言で言えば,長年,保護率が他都市より抜きんでて多い背景は,福祉事務所,
なかんずくケースワーカーの質の向上を怠ってきたことにあるといってよい。

新規申請に関し,市の審査が甘いとの批判も多いと聞く。しかし,これは法に則
した措置を講じる以上,不況都市函館では難しいだろう。

本当に困っている人なら受給はやむを得まい。しかし,働かないでうまく受給し
続けようと試みる輩には,函館市全体の環境面で暮らしづらい部分を作ることが
大事だ。

なぜなら,保護受給者は,利便性の高い場所に集まる傾向がある。
函館駅の夜間閉鎖,競輪・競馬・パチンコ店など遊興施設の廃止などが実現すれ
ば,確実に保護受給者は減ると私は見ている。

あとは,保護受給者作成機である精神病院を糾弾すること。
こうなれば,市の衰退も悪いことではないと思うのだが,,,,,

函館駅前衰退-ロッテリアも撤退するらしい。

2010年05月26日 17時12分20秒 | 地域
函館駅から南に向かう路面電車沿いの通りを大門通という。
この通りには、かつて地元の人がデパートと呼ぶ棒二森屋、彩華、和光という大規模店舗が立ち並んでいた。
このうち、彩華はパチンコ店になり、和光は業態替え、唯一残った棒二も既に東北のデパート中合の傘下だ。
もちろんかつては函館一の繁華街で、様々な専門店や飲食店が軒を連ね、不夜城ともよばれていたが、今ではその面影はない。
北島三郎の歌う「函館の女」の歌詞に出てくる「灯りさざめく松風町」も今ではむなしい。
今でも行政的には「中心街」と呼ぶらしいが、市民の多くがここを中心街と思っている人はいない。
それでも、無理矢理中心街活性化を市の施策にしているところがいたいたしい。
多くがシャッターを下ろしているか、空き地化しているのに、これが北海道第3の都市の中心か?と不思議にさえ思う観光客も多いだろう。
新しい建物が建たないのには訳がある。
それは、土地を所有する地主が決して売ろうとせず借地として利用させることを前提にしてきたからだ。
この地主群・・・相馬、及能、橋谷、砂子など・・・函館市内の土地の相当割合を所有している。
こうした観点から、新たな展開は望めず、現に店舗を借りている人は、未だ華やかなりし頃の高値の家賃を強いられ、改装を企図しようものなら権利金を要求されたりと商売自体をあきらめる人があとをたたない。
そのひとつの象徴が、高砂通りとの交差点に立地するファストフード店「ロッテリア」である。
すぐ近くに、「ケンタッキー」や地元のハンバーガーショップ「ラッキーピエロ」があるため、若い人がそもそも歩かない大門では飽和状態であったことも否めない。5月末での撤退・閉店となる模様だ。
函館駅前の衰退は今日も続く、やがて広野原になることもそう遠くはないかもしれない。
というわけで、JR存続はいかがなものか?という結論だ。

函館市次期市長選は注目

2010年05月26日 12時09分34秒 | 地域
私の住む函館市では、工藤寿樹前副市長が突然昨年12月で辞任をした。
そして今般、来年の統一地方選挙での市長選への立起を表明した。
袂を分かった理由が西尾正範現市長との意見の相違だというが、どこのマチでもある権力争いのようにも写るものの、
函館市の場合は何か因縁めいた感じもしないわけではない。
現市長は、2007年の統一地方選挙で当時現職であった井上博司市長を破り当選した。
その井上博司前市長との間で、選挙運動期間での現西尾市長の発言について名誉毀損の異常な裁判が争われたが、
結果は、表現の自由を保障した、しかも発言内容が的を得てるとのことで現西尾市長の勝訴となったことは記憶に新しい。
(もっとも井上氏は結果不服で控訴らしいが、恥の上塗りにならねばと思わざるを得ない。)
そもそも、西尾現市長は4年前の2006年当時の函館市の助役(=副市長)であった。
ところが、同氏も現職の市長を批判し辞任を表明、翌2007年の市長選挙に立候補し、現職を圧倒的な大差で破り当選した。
2代にわたる側近の辞任が因縁を余計に演出している点があまりにも強いとは思うが、それだけに注目なのである。
井上前市長は、共産党を除く市議会のほとんどの会派の支援を受けたいわばオール与党体制であった。
ところが、変革を求める市民の意識は予想外のもので、2期8年で井上前市長は市民に見限られることになった。
では、なぜそのようになったのか?
函館市は、生活保護の保護率も異常に高いいわば不況都市であった。
そうした、背景が世論を動かしたのではないかという点も当然あるだろうが、大きくはマスコミやWEBの過剰反応がいわば劇場を作り出した感が強いのがその一つの大きな理由だ。
しかし、もっと大きな理由があった。それは、老人介護施設の建設許認可にかかわり、有力市議が圧力をかけ、福祉担当を市長室に呼びつけ、その市議とともに再考を強要しようとしたいわば「口利き事件」が大きく報道されたこと。
この問題の端緒となった業者と市との接点に西尾現市長が深く関わっており、最終的に建設容認はできないとした判断を、仲介役を買って出ていた地元ミニコミ紙函館電子新聞主幹が猛然と批判、能なし助役と誹謗し、井上前市長がそれを追認し続けたことにある。
事の真偽は、第三者にははかりかねるが、多くの市民には、何か市首脳と市議会議員との間での密室政治が横行しているのではという疑念と悲劇のヒーローたる当時西尾助役に同情が集まり、彼を勝手連的に推すうねりがあったことだけは間違いない。
今までの市長候補にはない斬新なマニフェストを掲げ当選した西尾市長ではあるが、時代がよくなかったのか、世界同時不況が彼の掲げる政策の実現を阻んでいる点は不幸な事実だ。
加えて議会において与党を持たない市長は、常に議会運営に苦しんでいる。問題となった市議の執拗な攻撃、市幹部職員を常に追い詰めている古参K.U議員の痛烈な批判、そして井上前市長とのパイプが太かった公明党との対立-背景には、選挙時に批判となった地元経済団体首脳との確執からくる対立軸が後押しなど、およそまともな状態では無い中で西尾現市長はよく頑張っているといいたい。
一方、市長選立候補表明の工藤前副市長は井上前市長時代からの副市長であり、西尾現市長が当選した際、辞任を表明したものの、「報復人事は行わない」という市長の慰留により、現職であり続けた人である。(地元経済団体の有力者はこの行動を潔しとはしないと当時公言していた。)

工藤氏は亀田時代の知古を中心に精力的に地盤固めに余念がないようで、その動きは活発化している。
しかし、議会や一部市役所幹部・幹部OBでの批判は別として、西尾現市長への市民レベルの批判はあまりないというのが現実、むしろ市長の足をひっぱっているのは庁内の人ではないかとの同情さえ聞かれる。
私が見聞きする話では(当然市幹部間の話題は知らないが)、西尾現市長は組合員職員の受けは悪くないというか親近感を持たれているようであり、工藤前市長は中枢ばかりにいた人であるから多くの職員はあまりよく知らないとの現実があるようだ。

前回と今のところ違うのは、辞任から選挙までの期間の長さが圧倒的に違うこと。与党を持たない現市長に対し、工藤氏に対し市議会各派がどういう立場をとるかが読めないこと。

もちろん工藤氏がどのようなマニフェストを掲げてくるかは今のところわからないが、対抗軸がなければならないだろう。
もし、それが自らが市職員であったにもかかわらず、現市政での不祥事批判や職員の給与カットなどの財政抑制策にあれば、多くの市民を味方にできるかどうかは予想がつきかねる。

以上は私の個人的見解でとりようによっては全く反対の事実もあることを念のため付記しておく。

北斗市にあるのに何故「新函館(仮称)」なのか?

2010年05月25日 21時43分34秒 | 地域
現在、俗に言う新幹線の函館延伸に際して、現渡島大野駅付近にできる新駅を「仮称・新函館」と呼んでいる。
そもそも、この表現に私は反対である。
立地場所は、まぎれもなく函館市に隣接する北斗市の行政区域である。
「函館」の名を冠したいと要望する人たちの狙いは、「函館」という名のブランド力である。
しかし、新幹線ができるのははるか先の話、そのときになって、なんで函館なんていう名前を付けてしまったのかというくらい函館はさびれているはずである。
つまり、ブランド力なんてなくなっているはずだからだ。
ここは、堂々と北斗市民は、「北斗」と名乗ることを主張すべきである。
私自身は、函館市民だが、新函館という現在の予想名称はなんとも無様であると認識している。
新横浜だって、新大阪だって期待を裏切られる立地ではないか、新函館に降り立ったら、函館なのに港もなければ、海もない。
イメージがこれだけ離れることも珍しいだろう。
新函館~函館間は並行在来線ではないと主張するなら、北斗~函館間は・・・・という方が理にかなっていると思うのだが。

仮称・新函館の名称は、北斗に・・・・それが私の主張である。

函館市民は真剣に新幹線の札幌延伸を望んでいないらしい

2010年05月24日 21時32分33秒 | 地域
最近の市政関連で関心を寄せられているのが「北海道新幹線開業後の並行在来線のJR経営分離」だが,
JR北海道は「函館本線の函館・小樽間を北海道新幹線開業後に経営分離する」との方針表明に対し、
函館市は早速「函館・新函館(現大野)間の経営分離は認められない・不同意だ」との見解を示した。

北海道新幹線の着工には沿線自治体すべての同意が必要らしいので、
この問題で函館市が反対姿勢を貫いた場合は着工自体に暗雲が立ちこめることになり
北海道全体の問題からすると「わがまま」の誹りは避けられない。

現西尾市長のブレーンはともかく,経済担当市職員や」地元経済界などもこの点には困惑しているらしい。
全国どこでも第三セクターなどが運営する並行在来線は経営的に困難を極めており、地元財政負担が重いというのも念頭にある発言とも思うが,そもそも鉄路再利用それ自体が間違いとも私は思う。

札幌延伸が実現するまでには,それ相当時間がかかり,現函館市の状況もおそらく現在とはかけ離れたものになるであろう。
私の予想では,特に現函館駅周辺はさらに地番沈下を起こし,鉄路を残すこと自体がナンセンスな状況になっていると思う。

さらに,五稜郭(函館市)・木古内間は経営分離が確定されているのにもかかわらず,そのことに真剣に対応したとは言い難い(周辺自治体はそう思っている)のも事実だ。

函館電子新聞では早速この話題を批判している。
以下,引用する。

■道新幹線不要論にまでも発展か!現函館駅~新函館駅の経営分離問題JR北海道方針
●西尾市長、報道陣退席後の菅野取締役新幹線計画室長との会談で言い放つ。
「経営分離は信義違反」「JR北海道がこの区間(現函館~新函館間)を運営するという前提でなければ、新幹線はいらない。地域が衰退する新幹線ならいらない」
「青森まででいい。函館までもいらない」と発言し、
「函館は譲歩する条件はない。
JR北海道が経営分離せず責任を持って運行することにならなければ、経営分離の同意の判を押すことは絶対ない」とも(要請ではなく、申し入れだとして)言明。
●JR菅野取締役「平成11年のヒアリング時には函館から経営分離すると言っている」

もし,西尾市長がこのとおり発言したとすれば,あまりにも思慮に欠けた短絡的な発言ではないかと思う。


しかももっと驚くことは、函館市議会が全会一致で同意反対の意思決定をしたということ。
いずれにしても、短期的なものの見方で決めるのは未来に禍根を残すと言うことだ。
青函連絡船がなくなった20数年前の時点で既に函館の始発駅(終着駅?)としての役割は終えている。
それにマッチした街作りをしてこなかったツケが回ってしまったというのは厳しすぎるだろうか?