私の住む函館市では、工藤寿樹前副市長が突然昨年12月で辞任をした。
そして今般、来年の統一地方選挙での市長選への立起を表明した。
袂を分かった理由が西尾正範現市長との意見の相違だというが、どこのマチでもある権力争いのようにも写るものの、
函館市の場合は何か因縁めいた感じもしないわけではない。
現市長は、2007年の統一地方選挙で当時現職であった井上博司市長を破り当選した。
その井上博司前市長との間で、選挙運動期間での現西尾市長の発言について名誉毀損の異常な裁判が争われたが、
結果は、表現の自由を保障した、しかも発言内容が的を得てるとのことで現西尾市長の勝訴となったことは記憶に新しい。
(もっとも井上氏は結果不服で控訴らしいが、恥の上塗りにならねばと思わざるを得ない。)
そもそも、西尾現市長は4年前の2006年当時の函館市の助役(=副市長)であった。
ところが、同氏も現職の市長を批判し辞任を表明、翌2007年の市長選挙に立候補し、現職を圧倒的な大差で破り当選した。
2代にわたる側近の辞任が因縁を余計に演出している点があまりにも強いとは思うが、それだけに注目なのである。
井上前市長は、共産党を除く市議会のほとんどの会派の支援を受けたいわばオール与党体制であった。
ところが、変革を求める市民の意識は予想外のもので、2期8年で井上前市長は市民に見限られることになった。
では、なぜそのようになったのか?
函館市は、生活保護の保護率も異常に高いいわば不況都市であった。
そうした、背景が世論を動かしたのではないかという点も当然あるだろうが、大きくはマスコミやWEBの過剰反応がいわば劇場を作り出した感が強いのがその一つの大きな理由だ。
しかし、もっと大きな理由があった。それは、老人介護施設の建設許認可にかかわり、有力市議が圧力をかけ、福祉担当を市長室に呼びつけ、その市議とともに再考を強要しようとしたいわば「口利き事件」が大きく報道されたこと。
この問題の端緒となった業者と市との接点に西尾現市長が深く関わっており、最終的に建設容認はできないとした判断を、仲介役を買って出ていた地元ミニコミ紙函館電子新聞主幹が猛然と批判、能なし助役と誹謗し、井上前市長がそれを追認し続けたことにある。
事の真偽は、第三者にははかりかねるが、多くの市民には、何か市首脳と市議会議員との間での密室政治が横行しているのではという疑念と悲劇のヒーローたる当時西尾助役に同情が集まり、彼を勝手連的に推すうねりがあったことだけは間違いない。
今までの市長候補にはない斬新なマニフェストを掲げ当選した西尾市長ではあるが、時代がよくなかったのか、世界同時不況が彼の掲げる政策の実現を阻んでいる点は不幸な事実だ。
加えて議会において与党を持たない市長は、常に議会運営に苦しんでいる。問題となった市議の執拗な攻撃、市幹部職員を常に追い詰めている古参K.U議員の痛烈な批判、そして井上前市長とのパイプが太かった公明党との対立-背景には、選挙時に批判となった地元経済団体首脳との確執からくる対立軸が後押しなど、およそまともな状態では無い中で西尾現市長はよく頑張っているといいたい。
一方、市長選立候補表明の工藤前副市長は井上前市長時代からの副市長であり、西尾現市長が当選した際、辞任を表明したものの、「報復人事は行わない」という市長の慰留により、現職であり続けた人である。(地元経済団体の有力者はこの行動を潔しとはしないと当時公言していた。)
工藤氏は亀田時代の知古を中心に精力的に地盤固めに余念がないようで、その動きは活発化している。
しかし、議会や一部市役所幹部・幹部OBでの批判は別として、西尾現市長への市民レベルの批判はあまりないというのが現実、むしろ市長の足をひっぱっているのは庁内の人ではないかとの同情さえ聞かれる。
私が見聞きする話では(当然市幹部間の話題は知らないが)、西尾現市長は組合員職員の受けは悪くないというか親近感を持たれているようであり、工藤前市長は中枢ばかりにいた人であるから多くの職員はあまりよく知らないとの現実があるようだ。
前回と今のところ違うのは、辞任から選挙までの期間の長さが圧倒的に違うこと。与党を持たない現市長に対し、工藤氏に対し市議会各派がどういう立場をとるかが読めないこと。
もちろん工藤氏がどのようなマニフェストを掲げてくるかは今のところわからないが、対抗軸がなければならないだろう。
もし、それが自らが市職員であったにもかかわらず、現市政での不祥事批判や職員の給与カットなどの財政抑制策にあれば、多くの市民を味方にできるかどうかは予想がつきかねる。
以上は私の個人的見解でとりようによっては全く反対の事実もあることを念のため付記しておく。
そして今般、来年の統一地方選挙での市長選への立起を表明した。
袂を分かった理由が西尾正範現市長との意見の相違だというが、どこのマチでもある権力争いのようにも写るものの、
函館市の場合は何か因縁めいた感じもしないわけではない。
現市長は、2007年の統一地方選挙で当時現職であった井上博司市長を破り当選した。
その井上博司前市長との間で、選挙運動期間での現西尾市長の発言について名誉毀損の異常な裁判が争われたが、
結果は、表現の自由を保障した、しかも発言内容が的を得てるとのことで現西尾市長の勝訴となったことは記憶に新しい。
(もっとも井上氏は結果不服で控訴らしいが、恥の上塗りにならねばと思わざるを得ない。)
そもそも、西尾現市長は4年前の2006年当時の函館市の助役(=副市長)であった。
ところが、同氏も現職の市長を批判し辞任を表明、翌2007年の市長選挙に立候補し、現職を圧倒的な大差で破り当選した。
2代にわたる側近の辞任が因縁を余計に演出している点があまりにも強いとは思うが、それだけに注目なのである。
井上前市長は、共産党を除く市議会のほとんどの会派の支援を受けたいわばオール与党体制であった。
ところが、変革を求める市民の意識は予想外のもので、2期8年で井上前市長は市民に見限られることになった。
では、なぜそのようになったのか?
函館市は、生活保護の保護率も異常に高いいわば不況都市であった。
そうした、背景が世論を動かしたのではないかという点も当然あるだろうが、大きくはマスコミやWEBの過剰反応がいわば劇場を作り出した感が強いのがその一つの大きな理由だ。
しかし、もっと大きな理由があった。それは、老人介護施設の建設許認可にかかわり、有力市議が圧力をかけ、福祉担当を市長室に呼びつけ、その市議とともに再考を強要しようとしたいわば「口利き事件」が大きく報道されたこと。
この問題の端緒となった業者と市との接点に西尾現市長が深く関わっており、最終的に建設容認はできないとした判断を、仲介役を買って出ていた地元ミニコミ紙函館電子新聞主幹が猛然と批判、能なし助役と誹謗し、井上前市長がそれを追認し続けたことにある。
事の真偽は、第三者にははかりかねるが、多くの市民には、何か市首脳と市議会議員との間での密室政治が横行しているのではという疑念と悲劇のヒーローたる当時西尾助役に同情が集まり、彼を勝手連的に推すうねりがあったことだけは間違いない。
今までの市長候補にはない斬新なマニフェストを掲げ当選した西尾市長ではあるが、時代がよくなかったのか、世界同時不況が彼の掲げる政策の実現を阻んでいる点は不幸な事実だ。
加えて議会において与党を持たない市長は、常に議会運営に苦しんでいる。問題となった市議の執拗な攻撃、市幹部職員を常に追い詰めている古参K.U議員の痛烈な批判、そして井上前市長とのパイプが太かった公明党との対立-背景には、選挙時に批判となった地元経済団体首脳との確執からくる対立軸が後押しなど、およそまともな状態では無い中で西尾現市長はよく頑張っているといいたい。
一方、市長選立候補表明の工藤前副市長は井上前市長時代からの副市長であり、西尾現市長が当選した際、辞任を表明したものの、「報復人事は行わない」という市長の慰留により、現職であり続けた人である。(地元経済団体の有力者はこの行動を潔しとはしないと当時公言していた。)
工藤氏は亀田時代の知古を中心に精力的に地盤固めに余念がないようで、その動きは活発化している。
しかし、議会や一部市役所幹部・幹部OBでの批判は別として、西尾現市長への市民レベルの批判はあまりないというのが現実、むしろ市長の足をひっぱっているのは庁内の人ではないかとの同情さえ聞かれる。
私が見聞きする話では(当然市幹部間の話題は知らないが)、西尾現市長は組合員職員の受けは悪くないというか親近感を持たれているようであり、工藤前市長は中枢ばかりにいた人であるから多くの職員はあまりよく知らないとの現実があるようだ。
前回と今のところ違うのは、辞任から選挙までの期間の長さが圧倒的に違うこと。与党を持たない現市長に対し、工藤氏に対し市議会各派がどういう立場をとるかが読めないこと。
もちろん工藤氏がどのようなマニフェストを掲げてくるかは今のところわからないが、対抗軸がなければならないだろう。
もし、それが自らが市職員であったにもかかわらず、現市政での不祥事批判や職員の給与カットなどの財政抑制策にあれば、多くの市民を味方にできるかどうかは予想がつきかねる。
以上は私の個人的見解でとりようによっては全く反対の事実もあることを念のため付記しておく。
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