私の住むH市では、今12月の定例議会を前に、混沌たる状況を醸し出している。
それは2人の副市長のうち、筆頭格のK.T副市長が突然12月いっぱいで辞任を表明したからだ。理由がN.M現市長との意見の相違だというから穏やかではない。
どこのマチでもある権力争いのようにも写るが、H市の場合は何か因縁めいた感じもしないわけではない。
現市長は、2007年の統一地方選挙で当時現職であったI市長を破り当選した。
その前I.H市長との間で、選挙運動期間での現N.M市長の発言について名誉毀損の裁判が係争中という異常事態も続いている。
そもそも、現N.M市長は3年前の2006年当時のH市の助役(=副市長)であった。
ところが、彼も同時期に現職の市長を批判し辞任を表明、翌2007年の市長選挙に立候補し、現職を圧倒的な大差で破り当選した。
2代にわたる側近の辞任が因縁を余計に演出している点があまりにも強いと私は懸念している。
I前市長は、共産党を除く市議会のほとんどの会派の支援を受けたいわばオール与党体制であった。
ところが、変革を求める市民の意識は予想外のもので、2期8年でI前市長は市民に見限られることになった。
では、なぜそのようになったのか?
H市は、生活保護の保護率も異常に高いいわば不況都市であった。
そうした、背景が世論を動かしたのではないかという点も当然あるだろうが、大きくはマスコミやWEBの過剰反応がいわば劇場を作り出した感が強いのがその一つの大きな理由だ。
しかし、もっと大きな理由があった。それは、老人介護施設の建設許認可にかかわり、有力F.K市議が圧力をかけ、福祉担当を市長室に呼びつけ、そのF.K市議とともに再考を強要しようとしたいわば「口利き事件」が大きく報道されたこと。
この問題の端緒となった業者と市との接点に現N.M市長が深く関わっており、最終的に建設容認はできないとした判断を、仲介役を買って出ていた地元ミニコミ紙主幹が猛然と批判、能なし助役と誹謗し、I.H前市長がそれを追認し続けたことにある。
事の真偽は、第3者にははかりかねるが、多くの市民には、何か市首脳と市議会議員との間での密室政治が横行しているのではという疑念と悲劇のヒーローたる当時N.M助役に同情が集まり、彼を勝手連的に推すうねりがあったことだけは間違いない。
今までの市長候補にはない斬新なマニフェストを掲げ当選したN市長ではあるが、時代がよくなかったのか、世界同時不況が彼の掲げる政策の実現を阻んでいる点は不幸な事実だ。
加えて議会において与党を持たない市長は、常に議会運営に苦しんでいる。問題となったF.K市議の執拗な攻撃、市幹部職員を常に追い詰めている古参K.U議員の痛烈な批判、そしてI前市長とのパイプが太かった公明党との対立-背景には、選挙時に批判となった地元経済団体首脳との確執からくる対立軸が後押しなど、およそまともな状態では無い中でN.M現市長は動きがとれない状況が続いている。
一方、今回辞任表明のK.T副市長はI.H前市長時代からの副市長であり、N.M現市長が当選した際、辞任を表明したものの、「報復人事は行わない」というN.M市長の慰留により、現職であり続けた人である。(地元経済団体の有力者はこの行動を潔しとはしないと当時公言していた。)
では、なぜ今回の辞任表明になったのか?地元地方紙の分析では、①市政運営の考え方に乖離があること。②度重なる不祥事への対応。③人事への不満があげられているが、私はちょっと違うのではと思っている。
① 考え方に差があるのは当然でそれを承知で慰留に同意したではないか。
② 度重なる不祥事は、いわばI.H前市長時代のツケが表面化してきたといってよい
と考えるのがまっとうと一市民として思っている。
つまるところ、任期いっぱいまで努めないのは、「責任逃れ」ではないかという気もしてくる。もちろん、N.M現市長の手腕もどうかという疑問も私はもっているが、少なくても現市長が助役時代に受けた批判は存在しておらず、意識的に2代続くお家騒動劇の演出は不適当と思わざるをえない。
問題は、後任だがK.T特別職が有力視されているものの、私はN公営企業管理者がなるべきと思う。
わがマチ以外の読者に訴えたいことは、住民の思いとは別に、権力周辺では全くおかしな闘争が行われていること、そしてそれをさらにゆがめているのは、「白か黒か」の2者択一思考を強要するマスコミの横暴だ。
民主党への投票を促し、政権を交代させておきながら、今度は批判の側にまわるといった一貫性のなさはどうしようもない。
マニフェストの早期実施など国民は求めていない。じっくりと財政立て直しを実施すべきであると私は思う。その過程での来年の参議選に民主党の後退が一時的にあってもよいではないか。そもそも、衆院では絶対多数を持っているのだから4年かけてじっくりと取り組むべきだ。
それは2人の副市長のうち、筆頭格のK.T副市長が突然12月いっぱいで辞任を表明したからだ。理由がN.M現市長との意見の相違だというから穏やかではない。
どこのマチでもある権力争いのようにも写るが、H市の場合は何か因縁めいた感じもしないわけではない。
現市長は、2007年の統一地方選挙で当時現職であったI市長を破り当選した。
その前I.H市長との間で、選挙運動期間での現N.M市長の発言について名誉毀損の裁判が係争中という異常事態も続いている。
そもそも、現N.M市長は3年前の2006年当時のH市の助役(=副市長)であった。
ところが、彼も同時期に現職の市長を批判し辞任を表明、翌2007年の市長選挙に立候補し、現職を圧倒的な大差で破り当選した。
2代にわたる側近の辞任が因縁を余計に演出している点があまりにも強いと私は懸念している。
I前市長は、共産党を除く市議会のほとんどの会派の支援を受けたいわばオール与党体制であった。
ところが、変革を求める市民の意識は予想外のもので、2期8年でI前市長は市民に見限られることになった。
では、なぜそのようになったのか?
H市は、生活保護の保護率も異常に高いいわば不況都市であった。
そうした、背景が世論を動かしたのではないかという点も当然あるだろうが、大きくはマスコミやWEBの過剰反応がいわば劇場を作り出した感が強いのがその一つの大きな理由だ。
しかし、もっと大きな理由があった。それは、老人介護施設の建設許認可にかかわり、有力F.K市議が圧力をかけ、福祉担当を市長室に呼びつけ、そのF.K市議とともに再考を強要しようとしたいわば「口利き事件」が大きく報道されたこと。
この問題の端緒となった業者と市との接点に現N.M市長が深く関わっており、最終的に建設容認はできないとした判断を、仲介役を買って出ていた地元ミニコミ紙主幹が猛然と批判、能なし助役と誹謗し、I.H前市長がそれを追認し続けたことにある。
事の真偽は、第3者にははかりかねるが、多くの市民には、何か市首脳と市議会議員との間での密室政治が横行しているのではという疑念と悲劇のヒーローたる当時N.M助役に同情が集まり、彼を勝手連的に推すうねりがあったことだけは間違いない。
今までの市長候補にはない斬新なマニフェストを掲げ当選したN市長ではあるが、時代がよくなかったのか、世界同時不況が彼の掲げる政策の実現を阻んでいる点は不幸な事実だ。
加えて議会において与党を持たない市長は、常に議会運営に苦しんでいる。問題となったF.K市議の執拗な攻撃、市幹部職員を常に追い詰めている古参K.U議員の痛烈な批判、そしてI前市長とのパイプが太かった公明党との対立-背景には、選挙時に批判となった地元経済団体首脳との確執からくる対立軸が後押しなど、およそまともな状態では無い中でN.M現市長は動きがとれない状況が続いている。
一方、今回辞任表明のK.T副市長はI.H前市長時代からの副市長であり、N.M現市長が当選した際、辞任を表明したものの、「報復人事は行わない」というN.M市長の慰留により、現職であり続けた人である。(地元経済団体の有力者はこの行動を潔しとはしないと当時公言していた。)
では、なぜ今回の辞任表明になったのか?地元地方紙の分析では、①市政運営の考え方に乖離があること。②度重なる不祥事への対応。③人事への不満があげられているが、私はちょっと違うのではと思っている。
① 考え方に差があるのは当然でそれを承知で慰留に同意したではないか。
② 度重なる不祥事は、いわばI.H前市長時代のツケが表面化してきたといってよい
と考えるのがまっとうと一市民として思っている。
つまるところ、任期いっぱいまで努めないのは、「責任逃れ」ではないかという気もしてくる。もちろん、N.M現市長の手腕もどうかという疑問も私はもっているが、少なくても現市長が助役時代に受けた批判は存在しておらず、意識的に2代続くお家騒動劇の演出は不適当と思わざるをえない。
問題は、後任だがK.T特別職が有力視されているものの、私はN公営企業管理者がなるべきと思う。
わがマチ以外の読者に訴えたいことは、住民の思いとは別に、権力周辺では全くおかしな闘争が行われていること、そしてそれをさらにゆがめているのは、「白か黒か」の2者択一思考を強要するマスコミの横暴だ。
民主党への投票を促し、政権を交代させておきながら、今度は批判の側にまわるといった一貫性のなさはどうしようもない。
マニフェストの早期実施など国民は求めていない。じっくりと財政立て直しを実施すべきであると私は思う。その過程での来年の参議選に民主党の後退が一時的にあってもよいではないか。そもそも、衆院では絶対多数を持っているのだから4年かけてじっくりと取り組むべきだ。