今月の二七日に、私は神保町シアターで成瀬巳喜男の『まごころ』(1939)を観ました。いま当シアターでは、「ニュープリントで蘇った名画たち」という特集を組んでいます。当作品は、その中のひとつです。
私はこれまで、成瀬巳喜男の映画はできるだけ観るようにしてきました。DVD化されたものは全て観ていますし、そのほかの、映画館でしか観られないものもけっこう観ていると思います。自慢じゃありませんが、サイレント物だって四、五本は観ています。つまり、成瀬は、私が遅ればせながらも「入れ込んでいる」映画監督なのです。偏愛している、と申し上げてもよいでしょう。
「遅ればせながらも」と申し上げたのは、私が成瀬巳喜男の存在をはっきりと意識したのが、2010年末に亡くなった高峰秀子主演の映画を2011年にまとめて観てからのことだからです。高峰秀子と成瀬巳喜男とで10数本の映画を作っていること。その大半が日本映画史に残る屈指の名作であること。映画作りにおいて余人が口をはさむことがかなわないほどに二人の心のつながりが深いこと。そうした一切を、私は高峰秀子が亡くなってから知ったのでした。また、成瀬映画にのめり込むことで、なぜか小津安二郎の偉大さもはらわたに染み透ってくるようになりました。その分、黒澤映画に対する評価が少しずつ低くなっていったのはなぜなのでしょうか。成瀬映画と小津映画は私のなかで両立するが、黒澤映画とはどうやら両立しないようなのです(『生きる』は例外です)。ただし、溝口健二とは両立するようです。これはどういうことなのか、いずれ整理してみたいと思っています。溝口が成瀬映画を「キンタマがない」と評したのは有名な話です。これは、二人の作風の違いを物語る名文句であると思います。
高峰秀子主演の成瀬映画で最も有名なのは『浮雲』(1955・林芙美子原作)です。これが傑作であることに、私になんの異論もないのはもちろんのことです。が、私がいちばん好きな成瀬・高峰映画は『浮雲』ではなく『稲妻』(1952)です。私はこの映画を観て、変な言い方に聴こえるかもしれませんが「人間に生まれてよかった」と心底思ったほどに心を揺さぶられました。母親役の浦部粂子の女優としての卓越性を思い知ったのも、この映画を通してです。(浦部粂子は、木下恵介の『野菊の如き君なりき』でも忘れえぬ名演をしています)高峰秀子が出ていない作品では、『山の音』(1954・原節子主演)が最高峰であると思っています。並木の、歩道に映るストライプの影を効果的に使った、山村聡と原節子が並んで歩くラスト・シーンを大画面で観ると、その美しさは暴力的なほどです。一緒にこの映画を観た映画友だちは、その暴力性をもろに浴びて、身体に変調をきたしたくらいです。その美しさの強度が、感覚の鋭い彼のキャパを瞬間的に超えてしまったのでしょう。キザなことを抜かしているように聞こえるのかもしれませんが、これは実話です。
こんなふうに成瀬に入れあげている私にとって、『まごころ』(1939)は未見の気になる存在の一つでありました。
その理由は、次のワン・シーンが、成瀬映画を特集した雑誌に掲載されているのを目にしたことにあります。一年くらい前のことでしょうか。私はこの場面の美しさに魅了されてしまったのです。ほれぼれとしてこの画像にみとれているうちに、こんな美しい表情のできる少女の声を聴き、その動きを目の当たりにしたいものだという思いが清水のように湧いてきました。その機会に、今回やっとめぐまれた、というわけです。
この場面にたどり着くまでの話の流れを説明しましょう。
小学6年生の富子(加藤照子・当時新人 画像中の少女)と信子(悦っちゃん 当時の人気子役)は大の仲良し。映画は、母子家庭で貧乏な富子の境遇と、信子の裕福な家庭とを対比的に描き出します。富子の母お蔦(入江たか子)は仕立物をして生計を立てています。一方、信子の父浅田敬吉(高田稔)は銀行勤めで、母(村瀬幸子)は銃後の地域活動のリーダー格。成瀬映画にしてはめずらしいくらいに、当映画は、1937年に勃発した日中戦争によって日常生活が戦争の色に染められていく様を丁寧に描いています。
今までずっとクラスで一番だった信子が、六年生の一学期の通信簿で10番になってしまいました。それを不服に思った信子の母は、夫にそれを告げますが、夫は気にもとめません。「全出席。身長・体重の順調な伸び。けっこうなことじゃないか」腹の虫が収まらない母は、クレームをつけに、担任の岩田先生(清川荘司)に会いに行きます。夫の社会的地位の高さを鼻にかけたような物言いで、プレッシャーをかけようとする母親に対して、担任は「信子さんは非常に明るい利口な子供さん。お宅のような家庭で育った人でなければ得がたいような、のびのびとした朗らかなところがあって、そういう点は大変いいことだと思っている。しかし、一面から言うとわがままで気まぐれなところもある。低学年の間は、あまり勉強しなくても生まれたままの素質だけでいい成績をあげることもあるが、六年生ぐらいになるとやはり多少努力してやっていかないといけないと思う。そういう点、信子さんは才走りすぎて、地味な着実な努力が足りないようだから、今の状態で放っておけば、先に進み次第、もっと成績が低下し、性格の方もわがままだとか、気まぐれだとか、少し見栄張りだとか、そういう面白くない方面ばかりが発達するのではないかと心配している。」と、教育の専門家としての見識にあふれた、誠実かつ毅然とした対応をします(こんな教師、いまではありえないでしょう。親から教育委員にねじ込まれて大問題にされるのがオチでしょう)。それに加えて、クラスで一番になったのが富子と聞いた信子の母は、なおさら、腹の虫がおさまりません。
実は、富子の母・蔦子と信子の父・敬吉は昔恋仲だったのです。しかし、敬吉は書生として入っていた家の婿となり、いまの信子の母親と結婚しました。蔦子は身を引く形で他の男に嫁ぎました。そういう、子どもたちの全く知らない過去があったのです。だから信子の母は、腹の虫がおさまらないのです。その夜、母が父・敬吉を「あなたは、まだ、お蔦さんを思っているんでしょ」となじっているのを、まだ、寝入っていなかった信子が聞いてしまいました。
信子は、翌日それを富子に正直に伝えます。大好きな母のペルソナが目の前で壊れていくような気がして、富子は涙がぽろぽろと出てきてとまりません。大好きな富子が悲しそうにしているのを見て、信子も涙がぽろぽろ出てきます。
帰宅して、富子はいつもとちがった目で母を見ます。そうして、どうにも我慢できなくなって、母に信子から告げられたことを伝え、亡くなった父がいい人であったのかどうかを確かめようとします。母はとてもよい父親であったと言って富子をなだめようとするのです。が、そばで聞いていた祖母(藤間房子)は、それとは真逆のダメで酷薄な父の実像を直截に富子に告げます。(残酷な祖母のようですが、祖母には祖母なりに「子どもに変なウソをつくのは良くない」という倫理感があるようで、成瀬は微妙な好感を抱きながら祖母を描いているように感じました)富子は、あまりの意外な事実に混乱して泣いてしまいます。
母にうながされて、富子は川へ水浴びに行きます。そこへ信子も父といっしょにやってきていました。父は釣りをし、信子は富子と楽しく遊んでいたのですが、信子が河原で足に大怪我をしてしまい、富子は走って家に帰り、母を信子のところに連れてきます。繃帯と薬を持った母・お蔦が信子といっしょに現場にたどり着くと、かつての恋仲の敬吉が信子のそばにいるのが目に飛び込んできました。二人がややぎこちない挨拶を交わすのを富子と信子が目を大きくして見守ります(二人の視線の交差によって、この場面に微妙で生き生きとした心理描写が加わります)。富子の母が、信子の介抱を終えると、敬吉は信子をおんぶして富子の母に品のある笑顔でお礼を言います。信子は父の背におぶさりながら振り返って笑顔で手を降り、二人を後に残します。
富子は「信子さんのお父さんは、とても良い方ね。」と母に言います。そうして、母におんぶをしてほしいとおねだりをします。母は娘の気持ちを察してこころよくそれを聞き入れます。それが、上の写真の場面です。このすぐ後に、富子はだれもいない後ろに向かって手を振ります。それを見て、母は「だれもいないのにおかしな子だねぇ。信子さんのマネをしたいんだね。」と語りかけます。富子は微笑で応えます。
これを書きながら、この場面が、富子の心理描写として秀逸なものであることを思い知りました。富子の、不在の父なるものへの思慕の念と、それを投影する対象としての信子の父親へのあこがれと、そういう思いを抱かせるほどに魅力のある信子の父に若い頃好意を抱いた母に対する納得感と、まだ親に甘えたい盛りの少女の自然な感情とが、この場面で見事に描かれているのです。子どもが(観客を含めた)大人に媚びる可愛らしさではなく、その自然体の滲み出してくるような可愛らしさが見事に描かれています。
嫉妬深い信子の母は、その後どうなったのか。それは、映画を観てのお楽しみ、というわけで省略します。
成瀬映画は、観ているときはなんということもないのですが、振り返ってみると、いくつかの場面が心のひだにすっと入り込んでいることに気づきます。そうして、そこに凝縮されていたものが鮮やかに立ち現れます。それは、人生の味わいそのもの、と言ってしまってもいいのではないでしょうか。振り返ったときに鮮やかに立ち現れるものの連なりが人生なるものの味わいや手触りの核を成しているように、私には思われるのです。成瀬は、人が本当のところどうやって生きているのか、よく分かっている映像作家なのでしょう。これだから、成瀬映画はやめられません。『存在と時間』で、伝統的な西洋形而上学を否定・破壊しながら、現存在が実のところどうあるのかを生々しく描こうとしたハイデガーが、もしも成瀬映画を観たならば、嫉妬のあまり呆然とするに違いない、というのは私の妄想ですけれど。成瀬が子どもの世界を描いた名作に『秋立ちぬ』(1960)があることを申し添えておきましょう。残念ながらDVD化されていないので、映画館で見るほかはないのですが。
ストレスフルな日々をお過ごしの皆さま。たまには、せいぜい100人くらいしか収容できないミニ・シアターで、物静かなお客さまたちとともに、レトロな日本映画をご堪能あれ。たったの1200円で、癒されること請け合いですよ。生血のしたたるビフテキのようなハリウッド映画からときには離れて、お茶漬けサラサラの、古い日本映画にわが身をゆだねるのもなかなかいいものです。
私はこれまで、成瀬巳喜男の映画はできるだけ観るようにしてきました。DVD化されたものは全て観ていますし、そのほかの、映画館でしか観られないものもけっこう観ていると思います。自慢じゃありませんが、サイレント物だって四、五本は観ています。つまり、成瀬は、私が遅ればせながらも「入れ込んでいる」映画監督なのです。偏愛している、と申し上げてもよいでしょう。
「遅ればせながらも」と申し上げたのは、私が成瀬巳喜男の存在をはっきりと意識したのが、2010年末に亡くなった高峰秀子主演の映画を2011年にまとめて観てからのことだからです。高峰秀子と成瀬巳喜男とで10数本の映画を作っていること。その大半が日本映画史に残る屈指の名作であること。映画作りにおいて余人が口をはさむことがかなわないほどに二人の心のつながりが深いこと。そうした一切を、私は高峰秀子が亡くなってから知ったのでした。また、成瀬映画にのめり込むことで、なぜか小津安二郎の偉大さもはらわたに染み透ってくるようになりました。その分、黒澤映画に対する評価が少しずつ低くなっていったのはなぜなのでしょうか。成瀬映画と小津映画は私のなかで両立するが、黒澤映画とはどうやら両立しないようなのです(『生きる』は例外です)。ただし、溝口健二とは両立するようです。これはどういうことなのか、いずれ整理してみたいと思っています。溝口が成瀬映画を「キンタマがない」と評したのは有名な話です。これは、二人の作風の違いを物語る名文句であると思います。
高峰秀子主演の成瀬映画で最も有名なのは『浮雲』(1955・林芙美子原作)です。これが傑作であることに、私になんの異論もないのはもちろんのことです。が、私がいちばん好きな成瀬・高峰映画は『浮雲』ではなく『稲妻』(1952)です。私はこの映画を観て、変な言い方に聴こえるかもしれませんが「人間に生まれてよかった」と心底思ったほどに心を揺さぶられました。母親役の浦部粂子の女優としての卓越性を思い知ったのも、この映画を通してです。(浦部粂子は、木下恵介の『野菊の如き君なりき』でも忘れえぬ名演をしています)高峰秀子が出ていない作品では、『山の音』(1954・原節子主演)が最高峰であると思っています。並木の、歩道に映るストライプの影を効果的に使った、山村聡と原節子が並んで歩くラスト・シーンを大画面で観ると、その美しさは暴力的なほどです。一緒にこの映画を観た映画友だちは、その暴力性をもろに浴びて、身体に変調をきたしたくらいです。その美しさの強度が、感覚の鋭い彼のキャパを瞬間的に超えてしまったのでしょう。キザなことを抜かしているように聞こえるのかもしれませんが、これは実話です。
こんなふうに成瀬に入れあげている私にとって、『まごころ』(1939)は未見の気になる存在の一つでありました。
その理由は、次のワン・シーンが、成瀬映画を特集した雑誌に掲載されているのを目にしたことにあります。一年くらい前のことでしょうか。私はこの場面の美しさに魅了されてしまったのです。ほれぼれとしてこの画像にみとれているうちに、こんな美しい表情のできる少女の声を聴き、その動きを目の当たりにしたいものだという思いが清水のように湧いてきました。その機会に、今回やっとめぐまれた、というわけです。
この場面にたどり着くまでの話の流れを説明しましょう。
小学6年生の富子(加藤照子・当時新人 画像中の少女)と信子(悦っちゃん 当時の人気子役)は大の仲良し。映画は、母子家庭で貧乏な富子の境遇と、信子の裕福な家庭とを対比的に描き出します。富子の母お蔦(入江たか子)は仕立物をして生計を立てています。一方、信子の父浅田敬吉(高田稔)は銀行勤めで、母(村瀬幸子)は銃後の地域活動のリーダー格。成瀬映画にしてはめずらしいくらいに、当映画は、1937年に勃発した日中戦争によって日常生活が戦争の色に染められていく様を丁寧に描いています。
今までずっとクラスで一番だった信子が、六年生の一学期の通信簿で10番になってしまいました。それを不服に思った信子の母は、夫にそれを告げますが、夫は気にもとめません。「全出席。身長・体重の順調な伸び。けっこうなことじゃないか」腹の虫が収まらない母は、クレームをつけに、担任の岩田先生(清川荘司)に会いに行きます。夫の社会的地位の高さを鼻にかけたような物言いで、プレッシャーをかけようとする母親に対して、担任は「信子さんは非常に明るい利口な子供さん。お宅のような家庭で育った人でなければ得がたいような、のびのびとした朗らかなところがあって、そういう点は大変いいことだと思っている。しかし、一面から言うとわがままで気まぐれなところもある。低学年の間は、あまり勉強しなくても生まれたままの素質だけでいい成績をあげることもあるが、六年生ぐらいになるとやはり多少努力してやっていかないといけないと思う。そういう点、信子さんは才走りすぎて、地味な着実な努力が足りないようだから、今の状態で放っておけば、先に進み次第、もっと成績が低下し、性格の方もわがままだとか、気まぐれだとか、少し見栄張りだとか、そういう面白くない方面ばかりが発達するのではないかと心配している。」と、教育の専門家としての見識にあふれた、誠実かつ毅然とした対応をします(こんな教師、いまではありえないでしょう。親から教育委員にねじ込まれて大問題にされるのがオチでしょう)。それに加えて、クラスで一番になったのが富子と聞いた信子の母は、なおさら、腹の虫がおさまりません。
実は、富子の母・蔦子と信子の父・敬吉は昔恋仲だったのです。しかし、敬吉は書生として入っていた家の婿となり、いまの信子の母親と結婚しました。蔦子は身を引く形で他の男に嫁ぎました。そういう、子どもたちの全く知らない過去があったのです。だから信子の母は、腹の虫がおさまらないのです。その夜、母が父・敬吉を「あなたは、まだ、お蔦さんを思っているんでしょ」となじっているのを、まだ、寝入っていなかった信子が聞いてしまいました。
信子は、翌日それを富子に正直に伝えます。大好きな母のペルソナが目の前で壊れていくような気がして、富子は涙がぽろぽろと出てきてとまりません。大好きな富子が悲しそうにしているのを見て、信子も涙がぽろぽろ出てきます。
帰宅して、富子はいつもとちがった目で母を見ます。そうして、どうにも我慢できなくなって、母に信子から告げられたことを伝え、亡くなった父がいい人であったのかどうかを確かめようとします。母はとてもよい父親であったと言って富子をなだめようとするのです。が、そばで聞いていた祖母(藤間房子)は、それとは真逆のダメで酷薄な父の実像を直截に富子に告げます。(残酷な祖母のようですが、祖母には祖母なりに「子どもに変なウソをつくのは良くない」という倫理感があるようで、成瀬は微妙な好感を抱きながら祖母を描いているように感じました)富子は、あまりの意外な事実に混乱して泣いてしまいます。
母にうながされて、富子は川へ水浴びに行きます。そこへ信子も父といっしょにやってきていました。父は釣りをし、信子は富子と楽しく遊んでいたのですが、信子が河原で足に大怪我をしてしまい、富子は走って家に帰り、母を信子のところに連れてきます。繃帯と薬を持った母・お蔦が信子といっしょに現場にたどり着くと、かつての恋仲の敬吉が信子のそばにいるのが目に飛び込んできました。二人がややぎこちない挨拶を交わすのを富子と信子が目を大きくして見守ります(二人の視線の交差によって、この場面に微妙で生き生きとした心理描写が加わります)。富子の母が、信子の介抱を終えると、敬吉は信子をおんぶして富子の母に品のある笑顔でお礼を言います。信子は父の背におぶさりながら振り返って笑顔で手を降り、二人を後に残します。
富子は「信子さんのお父さんは、とても良い方ね。」と母に言います。そうして、母におんぶをしてほしいとおねだりをします。母は娘の気持ちを察してこころよくそれを聞き入れます。それが、上の写真の場面です。このすぐ後に、富子はだれもいない後ろに向かって手を振ります。それを見て、母は「だれもいないのにおかしな子だねぇ。信子さんのマネをしたいんだね。」と語りかけます。富子は微笑で応えます。
これを書きながら、この場面が、富子の心理描写として秀逸なものであることを思い知りました。富子の、不在の父なるものへの思慕の念と、それを投影する対象としての信子の父親へのあこがれと、そういう思いを抱かせるほどに魅力のある信子の父に若い頃好意を抱いた母に対する納得感と、まだ親に甘えたい盛りの少女の自然な感情とが、この場面で見事に描かれているのです。子どもが(観客を含めた)大人に媚びる可愛らしさではなく、その自然体の滲み出してくるような可愛らしさが見事に描かれています。
嫉妬深い信子の母は、その後どうなったのか。それは、映画を観てのお楽しみ、というわけで省略します。
成瀬映画は、観ているときはなんということもないのですが、振り返ってみると、いくつかの場面が心のひだにすっと入り込んでいることに気づきます。そうして、そこに凝縮されていたものが鮮やかに立ち現れます。それは、人生の味わいそのもの、と言ってしまってもいいのではないでしょうか。振り返ったときに鮮やかに立ち現れるものの連なりが人生なるものの味わいや手触りの核を成しているように、私には思われるのです。成瀬は、人が本当のところどうやって生きているのか、よく分かっている映像作家なのでしょう。これだから、成瀬映画はやめられません。『存在と時間』で、伝統的な西洋形而上学を否定・破壊しながら、現存在が実のところどうあるのかを生々しく描こうとしたハイデガーが、もしも成瀬映画を観たならば、嫉妬のあまり呆然とするに違いない、というのは私の妄想ですけれど。成瀬が子どもの世界を描いた名作に『秋立ちぬ』(1960)があることを申し添えておきましょう。残念ながらDVD化されていないので、映画館で見るほかはないのですが。
ストレスフルな日々をお過ごしの皆さま。たまには、せいぜい100人くらいしか収容できないミニ・シアターで、物静かなお客さまたちとともに、レトロな日本映画をご堪能あれ。たったの1200円で、癒されること請け合いですよ。生血のしたたるビフテキのようなハリウッド映画からときには離れて、お茶漬けサラサラの、古い日本映画にわが身をゆだねるのもなかなかいいものです。