美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

憲法改正と「橋下大臣」 (小浜逸郎)

2017年06月15日 20時45分40秒 | 小浜逸郎


以下は、小浜逸郎氏が運営しているブログ「ことばの闘い」に、6月6日アップされた氏の論考を転載したものです。氏が言う通り、橋下徹氏は「天才的なデマゴーグ」です。彼が「民間大臣」として国政に深く関わるチャンスを得たならば、その「天賦の才」が遺憾なく発揮され、日本はメチャクチャにされてしまうことでしょう。小浜氏と同様に、私もそういう事態を憂慮しています。なるべく多くの方に読んでいただきたい論考です。〔編集者 記〕

***

安倍総理は、2020年までに憲法を改正し、9条1、2項はそのままにして新たに自衛隊の存在を盛り込む考えを今年の憲法記念日に明らかにしました。

あたかもこれに呼応するかのように、5月31日、日本維新の会法律政策顧問の橋下徹氏が現職を辞しました。

両者の間には関係がないといっても、「そりゃ聞こえませぬ」ですね。

憲法改正は自民党の党是であり、悲願と言ってもよいでしょうが、これまで同党では、改正憲法草案の作成、96条(改正条規)の改正や9条2項の削除の可能性模索など、さまざまな試みがなされてきました。しかし時期尚早ということで見送られてきました。

国際環境の激変を思うとき、これはまことに残念なことです。

私事にわたりますが、筆者は改憲論者です。増補版『なぜ人を殺してはいけないのか』(PHP文庫・2014年)という本の中で、自民党草案や産経新聞草案の不徹底性と冗長性を批判しつつ、主として次の二点を主張しました。

1.思想の言葉として憲法について語る場合、「改正」について喋々するのではなく、その目標を断固として自主制定憲法におくべきこと。
2.とはいえ、国内外の政治情勢に配慮せざるを得ないため、実際には9条2項(*)の削除のみで発議に打って出るべきこと。

(*)「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

つまり理想は理想として掲げ、現実には現実的に切り込む二刀流を主張したわけです。

筆者はこの考えで、1の自主制定憲法の草案を作ってみました。

ちなみにこの草案では、国防軍の設置など謳っていません。当たり前のことをいちいち憲法に書き込む必要はないからです。ただ内閣総理大臣は、その職務として「軍の最高指揮権を持つ」ことと「現に軍職であってはならない」こととが謳ってあるだけです。

なお書物にする以前の草稿段階ですが、以上の主張と草案とは、当ブログの以下のURLでご覧になれます。
http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/f923629999fb811556b5f43b44cdd155
http://blog.goo.ne.jp/kohamaitsuo/e/2aff34e653f463326a618d7e7376983f

さて今回の動きについては、次の二点について考える必要があります。いちおう両者は切り離しましょう。

1.9条をそのまま残して自衛隊の存在を新たに書き込むという安倍総理のアイデアは適切か。
2.橋下徹氏を、憲法改正を成立させるための要員として起用することは適切か。
まず第1の問題

筆者自身は、安倍第二次政権成立後間もない時点で、2項削除ならぎりぎりのところで国民的コンセンサスを得られるだろうし、アメリカも承認するだろうと踏んでいたのです。しかし、その後現在に至る騒然たる国民感情のうねりなどを見ていると、どうやらそれも怪しく、安倍総理の苦肉の策のような形をとるしかないのではないかと思うようになりました。

理屈を言えば、2項との整合性がどうの、といろいろ議論があるでしょうが、そこは文言次第でうまく切り抜けられるかもしれません。たとえば自然災害、他国侵略などとは一切書かず――

国民の生命、財産の安全を保障するために、自衛隊を置く

安倍総理のアイデアについては、公明党はすでに理解を示しています。自民党内では、何の経済知識もなく政治家としての確たる識見も持たないただの親中派・石破茂氏のような「有力者」が、ポスト安倍を狙うためだけのために、さっそく難癖をつけているようですが。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20170601/plt1706011100001-n3.htm

この種の人たちを懐柔するために、自民党憲法推進本部は、これまでの幹部会9人体制から一気に役員会21人体制に拡大し、その中に石破氏も含めるそうです。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170606-00000041-mai-pol

まあ、筆者なりの理想からはずいぶんかけ離れてしまいますが、国論をいたずらに四分五裂させないためにも、この日本式政治手法は仕方がないでしょう。トランプ方式は危険。

第2の問題(以下の文章には筆者の推定が混じります)。

橋下徹氏という人は、天才的なデマゴーグです。

この人が今回、日本維新の党の顧問役をやめたのは、明らかに憲法改正に関して安倍総理に直接「協力」するためです。

もともと日本維新の会は改憲に賛成の立場ですから、その点では整合性があります。

しかし、彼は人も知るように、かなり前から安倍総理とは蜜月を送ってきました。そこには、橋下氏なりの明白な目算があります。一政党の党首として国政選挙に打って出て、多数の国会議員の一人として仕事をし、そこで力を蓄えるというのはいかにも迂遠な道です。

橋下氏は、どうすれば権力の中枢にいち早くたどり着いて自分のしたいように政治を動かすことができるか、その秘訣を初めからわきまえているのです。

あの竹中平蔵氏などを見ていて、そのやり口を学んだのかもしれません。

安倍政権は、テロ等準備罪の成立を是が非でも今国会中に果たして(それは当然必要なことですが)、9月に内閣改造を行って体制を建て直し、それから憲法改正に力を注ぐつもりでしょう。

永田町周辺では、この内閣改造の際に、橋下氏が「民間大臣」に抜擢されるのではないかともっぱら噂されているそうです。十分ありうることです。まさに橋下氏の狙い通り。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20170601/plt1706011100001-n1.htm

当の安倍総理はどう考えているのか。

もちろんその心のうちを「忖度」することはできませんが、彼がほとんど外交的軍事的な安全保障のことしか頭にないために、利用できるものは利用してやろうと思って、橋下氏を側近に近づけていることは確かでしょう。

「彼は日本の安全保障政策に関して自分と共鳴できる数少ない一人だし、住民投票の経験者だから、国民投票になった時に人心のつかみ方をよく心得ているだろうし……」

これこそ危険な一歩への踏み出しというべきです。

安倍総理は、橋下氏が大阪都構想(特別区設置構想)の賛否を問う住民投票(2015年5月)の際、どうやって大阪市民を騙したか知っているのでしょうか。

彼はまず、市が特別区群として解消されたからといって、「大坂都」なるものが、現行法規上は成立しないことを正しく伝えませんでした。

また、投票用紙には特別区を設置することの是非を問うのみで、「大阪市を廃止して」とは書かれていませんでした

また、府は2012年に負債が18.4%に達し、起債許可団体(**)に指定されており、橋下氏は、府のこの窮状を、潤沢な市の財政の一部(2000億円超)で肩代わりさせるつもりだったのに、そのことを市民に伝えませんでした。

また、「特別区」なるものが東京都の区と同じように、区民としての独自の権利を奪うものであることを伝えませんでした。

さらに、この都構想(特別区設置構想)なるものは、それを記した協定書が2014年10月に市議会、府議会でいったん否決されているにもかかわらず、その後の公明党の寝返りなどもあり、半ば無理やり住民投票に持ち込まれたものです。これでは代議制民主主義が正しく活かされたとは到底言えません。

(**)総務省の許可を得なければ新たに借金できない団体

こうした手法を平気で用いる橋下氏という人を、安倍総理は、改憲に有利だからという理由だけで重用し、「民間大臣」の座に据えようとしているのでしょうか。

多くの首都圏在住者は、あの「大阪都構想」を、しょせんは関西という一地方のこととして、高みの見物を決め込んでいたようです。しかしもし彼が「民間大臣」などになれば、今度は、国民全体にかかわる問題の帰趨を天才的デマゴーグの手にゆだねることになるのです。

橋下氏はさぞかし辣腕をふるって安倍「お坊ちゃん」総理に「協力」し、彼から称賛を勝ち得ることになるでしょう。さらに枢要な地位を手に入れるかもしれません。

心情保守派もさぞ喜ぶことでしょう。

さてそれからが問題です。

折から財務省の「緊縮真理教」のせいで、デフレからの脱却がままならず、国民の間にはルサンチマンが鬱積しています。ルサンチマンの鬱積は全体主義の土壌です。

かつて筆者は、維新が国会で勢力を飛躍的に伸ばした時、橋下氏を「プチ・プチ・ヒトラー」と称したことがあります。

維新の基本政策は当時と変わっていません。 首相公選制、国会議員削減による小さな政府、道州制の採用、憲法裁判所の新設――当時橋下氏にはまださほどの権力がなかったから見過ごされがちでしたが、社会不安が募ってきたときにこれらの政策を強大な権力者が実行すると、どういうことになるか。

はじめの二つが代議制民主主義の破壊に結びつくことは容易に見て取れます。

「道州制」とは、地方自治の尊重に見せかけて、実際には底力を持たない地方の疲弊をいっそう招き、それに乗じて一気に中央独裁に場を与えてくれるような制度です。

「憲法裁判所」とは、法令などの合憲性を判断する機関で、首相または衆議院、参議院いずれかの総議員の4分の1以上の求めで訴えを提起できるとされています。首相が文句をつけさえすればなしくずしに法令を違憲として捨て去ることも可能です。

要するにこれもまた権力集中を高めるのにたいへん都合のよい制度です。

このように、橋下氏の党綱領は、社会不安で動揺した大衆の心理を利用して、全体主義体制に持っていくのにじつに都合よくできているのです。

条件はそろってきました。「プチ」を一つぐらいとってもいい、と筆者は思っています。

幼稚で空想的な平和主義から少しでも脱するために、初めの一歩としては、安倍総理のアイデアは悪くありません。しかしそのために別に橋下氏という黒幕の力を借りる必要はないでしょう。民主的に選ばれた政権が、堂々と提起して国民に信を問えばよい。姑息な点数稼ぎに走ると後でとんでもない目に遭いかねません。筆者は、橋下氏の勝手な国政参加を断固拒否すべきだと、安倍さんご自身に向かって訴えたいと思います。
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『富国と強兵』の読書会、無事終了

2017年06月13日 00時35分20秒 | ブログ主人より


当月11日の、著者・中野剛志氏を招いての『富国と強兵』読書会、無事終了いたしました。

中野氏を含めて、総勢31名が当イベントに集いました。はるばる福岡県から参加していただいたO.Rさん、山口県から参加していただいたT.KさんとM.Mさん、そうして、お忙しいなか当イベントに参加していただいたみなみなさま、どうもありがとうございました。

当イベントの主役・中野剛志氏には、格別の謝意を表したいと思います。氏の存在なくして、当イベントに集った人々との交流はありえなかったのですから。

当イベントで中野氏が語られた内容については、いずれ何かしらの形でみなさまにお伝えいたします。一言でいえば、中野氏は、日本における現有の屈指の思想家である、という印象を受けました。優れた思想家である、というのは、自分の思考パターンに関して極めて自覚的である、そうして、論の展開においてまっとうな人間観を貫き通そうという強靭な意志を持っている、というほどの意味です。

ここで、「まっとうな人間観」とは、《人間は、安易な数値化・実体化を拒む関係的存在である》とする考え方を指しています。この場合における「人間関係」とは、横の関係としての「市場」などの非国家的つながりの展開と、縦の関係としての「国家」の交錯の総体のことです。

それはさておき・・・

主宰者として会の終わりに、「あっという間の四時間でした」と申し上げました。まったく退屈する間がなかったということです。

レポーターを務めていただいた藤田貴也さん、ありがとうございました。あなたの、バランス感覚あふれたレポートなしに、当会の成功はありえませんでした。
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