美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

小浜逸郎⇔美津島明  対話篇・第二弾 Ⅱ (イザ!ブログ 2012・11・15、17、18 掲載)

2013年12月04日 01時34分31秒 | 対話
美津島明様         (発信日 7月24日)

今回の貴兄の返信で特にそそられた点は、次の諸点です。そのまま引用します。

① 法然と親鸞の思想が日本においていかにユニークであるか、驚きをもって、再認識する思いです。そのユニークさを、ちょっと刺激的言葉を使えば、扼殺することで、真宗は後に世に流布したのではないかと思うのですが、ここは小浜さんのご意見を伺いたいところです。

貴兄の言いたいことを私なりに想像すると、日本思想史のなかで、ある時代の局面において突然変異のように一神教的な考え方が出てきたが、結局はそれも世俗化の過程で、じつは神道に代表されるような日本古来の思考様式に吸い取られていったのだ、ということでしょうか。仮にそうだとして、この点については、とても難しくて、正直なところ、いまの私にはきちんとお答えするだけの教養の持ち合わせがありません。

ただ、例の「人類の普遍性」の観点からすれば、非常に雑な言い方ですが、「乱世」のような時代的条件(私はこの言葉を平安末期から室町全期までの四百年にわたる長い期間として捉えています)が揃うと、法然・親鸞のような(むしろそのあとの唯円において顕著な)ラディカルな平等思想が生れてくる、といった「唯物論」的な考え方を提示するのにも意味があるのではないかと思っています。

とはいえ、もちろん鎌倉時代は、日本に根づいた仏教が多様に枝分かれした独自な時代ですから、浄土宗、浄土真宗だけをもって、当時の思想状況を代表させることはできないという但し書きが必要だとも思います。

② 冷徹な合理主義の経済的表現であるグローバリズムに対して、日本人がいわば本能的に身構えてしまうのは、いままで述べてきたことから、不可避であると言えるのではないでしょうか。変に無理をして、それをためらいもなく受け入れられない日本人はダメだのだといわんばかりに推進された1997年から2007年ころまでのラディカルな行政改革・構造改革は、日本人の自然体の感性を押しつぶそうとする野蛮な運動だったのではないかとあらためて思われます。変に真面目になったりせずに、適当におつきあいすればいいのです、あんなものとは。

この指摘は、じぶんではうまく言えなかったことを、スパッと、とても見事に言ってもらったような快適な気分にさせてくれました。要するに国民性の根深さに対する自覚と反省がなさすぎたのですよね。それも、遠因をたどれば敗戦体験による誇りの喪失に由来するのではないでしょうか。

しかし問題は、いまだに権力を握る連中がそのことに気づかずに、国民感情を無視して「国際基準」なる浅薄な規範に追従しようとしていることですね。ところが厄介なのは、戦争直後に国民の大多数が「権威」として仰ぐ対象を天皇からマッカーサーにひょいと移し変えたように、日本人にはどうもそういう「百姓性」があって、それを権力者たちが、無意識の鋭敏さでわきまえているのではないか、という点です。

苛酷な国際社会に伍して近代国家のよい点を、伝統的な国民性のよい点と背馳しない形でうまく鍛えなおしてゆくにはどうすればよいのか、というのが、単に政治的問題にとどまらず、大きく文化的な課題でもあると思います。

しかし、TPP参加がどうやら座礁しそうな形勢などを見ていると、貴兄の言う「適当におつきあいする」というやり方が実現するかもしれませんね。そこは日本人の「いい加減さ」がよい意味で通っていくのかな、と、私はかすかな希望をもっています。

③「言」はあくまでも「事」を伝えるための道具であるのに過ぎないという当世流行りの言語観は、生命力の減退・衰退をもたらす危険な思想である、とも言えそうです。私が申し上げているのは、当世ではほぼ無自覚な形で展開されている言語観のことで、情報社会が高度化すればするほど、不可避的に跋扈せざるをえないものです。つまり、情報をやり取りするためだけの便利なツールとし言葉をとらえる風潮のことを、私は、言っているのです。

これは、まさに私がいま書いていることとぴったり重なります。以前、情報学の専門家である西垣通氏を「人間学アカデミー」で呼んだときに、彼自身も、情報学という最先端にいながら(だからこそ?)、学生たちに教えていると、言葉を小包を送る手段・道具のように考えていて困ったものだと話していました。私も及ばずながら、「言葉は思想そのものである」ということを、ない力を尽して説こうと思っています。

私は、時枝誠記の自前の言語思想に畏敬の念を持っていますが、困ったことに、あの主体表出としての言語を強調した時枝でさえ、「言語は水を送る水道管のようなものだ」とか「言語は金を送る為替手続きのようなものだ」といった譬えを用いて、言語と思想を素朴に分離してしまう言語道具観に堕してしまいかねないことを言っているのですね。まして現代の言語観は、貴兄の指摘するとおり、軽薄そのものです。これに対抗するには、「言霊」思想を現代の言葉でどう編みなおすかが問われるのだと思います。

④ここで、ただひとつ「うしろ」には、そのような時間をめぐる両義性がないことが気にかかります。なぜでしょうか。というか、「うしろ」という言葉に関して、時間性の含意のある用例は、「うしろ向き」ぐらいしか思いつきません。これは、過去にこだわることを否定的に言い表す場合に使われます。ほかは、

・うしろ髪を引かれる思い
・うしろ暗い
・うしろ傷
・うしろめたい
・うしろ指

などのように、身体性における死角がもたらす不安の念を織り込んだ、どちらかといえばマイナスの情緒を表す用法が多いような気がします。


この指摘はそのとおりだと思いますし、「無意識」という言葉と身体性のあり方との関係についても、言われることに同意します。この概念にこだわったフロイトの苦闘はそれはそれで評価すべきでしょうが、逆に「意識」って何か、と問われたら、結局は簡単なことで「気づいている(awareness)」ということでしょう。とすれば、はじめから身体的な限界をもっているのは当たり前なのですね。ところで、私も、この前の書簡で「あと、さき」「まえ」とだけ書いて「うしろ」についてあえて書かなかったのは、貴兄と同じように、「うしろ」だけは時間的な過去と未来の両義性がないなあ、と思ったからなのです。

ところがです。念のため「うしろ」について辞書を引いてみたら、なんと次のような語義と用例が出てきたのですよ(『大辞林』三省堂)。

【うしろ】⑥物事の起こったあと。将来。行く末。「なき御うしろに、口さがなくやは(源氏・夕顔)

【うしろめたい】②あとのことが気懸かりだ。将来が心配だ。なりゆきが不安だ。「をみなへしうしろめたくも見ゆる哉 あれたるやどにひとりたてれば」(古今・秋上)


これについては、お互いによく考え直していくことにしましょう。

ちょっと私のほうから、あらたに問題を投げかけたく思います。

空間と時間という分節に関することなのですが、これもまた近代の産物なのか(それだけ底が浅いかもしれない)と思った経験があります。ハイデガーが『存在と時間』のなかで、現存在(=にんげん)を「Sein in derWelt」と捉えていることは有名ですが、これは戦後の哲学界では「世界内存在」と訳されるのがふつうです。ところが、和辻哲郎が『倫理学』のなかでこの用語を「世間内存在」と訳しているのですね。

私はハイデガーの哲学を全面的に肯定するわけではありませんが、彼がつねにドイツ語の土着性、生活感覚から自分の哲学用語を立ち上げたその独創性を高く評価するものです。で、Weltというドイツ語のニュアンスを調べてみると、和辻が訳しているように、ちゃんと「世間」という概念があるのです。「世界」というと、私たちはどうしても「いま、自分を取り巻いている空間」という物理的ニュアンスが支配的になります。

しかし、「世間」という概念はそうではありませんね。とても人間くさいし、はじめから時間と空間とを融合したものとして捉えた言葉だと思います。これは「世(よ)」と言ってしまったほうがわかりやすいと思うのですが、時間と空間というように二分できない、私たちの実存感覚にそのまま寄り添う感じを包括的に表現しています。「世の中」「世の移り変わり」「歌は世につれ」「世代」「世間虚仮」・・・・

私は思うのですが、Sein in der Weltは、関係存在としての人間を把握するなら、単に「よのなかにある者」とすればいちばん的確なのではないかと思っています。このように、きちんと考えれば、後発近代国であったドイツと日本との間には、土着的な生活感覚が保存された言語の共通性のようなものがちゃんとあったのですね(もちろん、政治的・軍事的な同盟としての「枢軸国」を評価するわけではまったくありませんが)。world(英)、monde(仏)にも「世間」「人の世」というニュアンスはあるようですが、問題は、ハイデガーが言わんとしていたWeltを「世界」と訳してしまった日本の哲学研究者の西欧追随的な感覚にあると思います。

私たちは何をやっているのでしょうか。言語や日本語について細かい詮索をしながら、一種の専門的な隘路にはまっているのでしょうか。何となく読む人から見ればそう思えるかもしれませんが、けっしてそうではないと思います。

このやり取りを共通に支えているのは、あえて大風呂敷を広げるなら、西洋の近代合理的、客観主義的な世界観を見直さなくてはならない、その限界を見極めて新しい世界像を提出して見せなくてはならないという根底的な問題意識だと思います。この種の試みは、これまで、特に戦前において真剣に試みられてきた経緯があります。その試みは少数の思想家によっていい線まで行ったのですが、敗戦とそれに続く戦後史によってその意義が無視あるいは軽視されてしまったという悔しい事態になったような気がします。

少々気負いすぎかもしれませんが、この課題は誰かがやらなくてはなりません。

そしてやるならば徹底的にやる必要があります。私たちも、少しはこの課題克服に貢献できるように、微力を注ぎ続けることにしましょう。

*****

小浜逸郎様          (発信日 7月25日)

早速のご返事、ありがとうございます。

〉私たちは何をやっているのでしょうか。(中略)このやり取りを共通に支えているのは、あえて大風呂敷を広げるなら、西洋の近代合理的、客観主義的な世界観を見直さなくてはならない、その限界を見極めて新しい世界像を提出して見せなくてはならないという根底的な問題意識だと思います。この種の試みは、これまで、特に戦前において真剣に試みられてきた経緯があります。その試みは少数の思想家によっていい線まで行ったのですが、敗戦とそれに続く戦後史によってその意義が無視あるいは軽視されてしまったという悔しい事態になったような気がします。少々気負いすぎかもしれませんが、この課題は誰かがやらなくてはなりません。そしてやるならば徹底的にやる必要があります。私たちも、少しはこの課題克服に貢献できるように、微力を注ぎ続けることにしましょう。

ここを目にして、久々に、心が熱くなる思いを噛みしめました。内輪ぼめのような形になってしまいますが、小浜さんが「少々気負いすぎ」る姿は、思想家としてとても魅力があります。と同時に、ここで小浜さんは、少々気負っても仕方がないほどに、戦後日本思想の欠落点であると同時に日本思想の大きな可能性でもある、とても重要な論点に触れているという手応えを感じます。

文中の「少数の思想家」というのは、『人間の学としての倫理学』と『倫理学』の和辻であり、『国語学原論』の時枝誠記であり、戦時中の小林秀雄である、と言ってしまっても、おそらくそれほど的をはずしていないものと思われます。

そうして、彼らの思想的な営みが「いい線まで行った」ことと、当時の日本が置かれた情況とは深い関連があることにも、小浜さんは同意なさるものと思われます。当時の日本は、世界の覇権をその掌中におさめているイギリスとアメリカというアングロ・サクソン民族国家と決定的な対立関係にありました。世界を敵に回して孤立を深めている情況にあった、と言っていいでしょう。そのことが、当時の知識人たちにも深く影響しなかったはずがありません。

私は、手元にさっとお目当ての本が取り出せないくらいに、どこにどの本があるのか分かり兼ねる書架情況を常に抱えていますので、うろ覚えで引用することをお許しください。太宰治に『一二月八日』という短編があります。日米開戦当日の世情と作中の「私」の心持ちを、ユーモアを交えつつも真剣に描いた作品です。この作品で太宰は、世情と「私」に共通するものとして、日米大戦という最大級の国難を、心静かにしかも強い決意を秘めて受けとめる凛とした姿を描き出しています。真珠湾奇襲成功の報を受けて、世間が沸き立つのではなくて、緊張感を孕んだ沈黙の様相を呈しているのが印象に残る佳編です。また、当時の日本社会の一瞬の姿をとどめた記録としても貴重であると考えます。

その「緊張感を孕んだ沈黙」を、戦時中の和辻や時枝や小林は、思想的な営為を展開するうえでの精神的な構えの根底に保ち続けたのではないでしょうか。それをあえて言葉に置き換えれば、「世界の主流を敵に回したいま、敵の言葉ではなく自前の言葉で、自前の世界像を描くほかはない。それをやり切ることができなければ、自分は思想家として大東亜戦争を闘い切っていることにはならない」という思想家としての全重量のかかった背水の陣の思いだったのではないかと想像します。それだけの緊迫感が、彼らの諸作品を心でじかに読むと自ずと伝わってくるのです。

(残念なことですが、彼らの魅力的な文体におのずと織り込まれた緊迫感は、戦後の文体から長らく失われてきたものであると、私には感じられます。戦後の思想家の文体には、どういうわけか、本居宣長から「さかしら」として一蹴されてしまいかねないような、緊迫感の弛緩が避けようもなく織り込まれてしまっているように見受けられるのです。管見の限りでは、そのことに例外はありません。むろん、それが他人事でありえないことはもちろんです)

「自前の言葉で、自前の世界像を描く」うえで、三人はともに日本思想の豊かな流れとの出会いを果たしています。それを「伝統との邂逅」と言いかえてもいいのではないかと思われます。時枝は、江戸時代の契沖・本居宣長・鈴木朗(あきら・左右逆)・本居春庭の諸研究から、その言語観の核心を編み出しました。小林の「伝統との邂逅」については申し上げるまでもないでしょう。

和辻もまた、その著書で明記してはいないのですが、ほかの二人と同様に日本思想の豊かな流れとの出会いを果たしているのではないか。そこから、自分の思想の核心を成すものを汲み取っているのではないか。中野剛志氏の『日本思想史新論』を読んで、その思いを強くしています。

中野氏は、当著で、日本の江戸期の思想の中核として、主に民間思想家によって担われた「実学」=日本流プラグマティズムの伝統を取り出します。この流れは、中国から輸入した朱子学の、「理」をめぐっての合理主義との格闘とそれを通じての日本人としての思想的自立の模索のプロセスとによってもたらされたものです。

そのパイオニアとして、中野氏は、伊藤仁斎を取り上げます。いくつか引用しましょうか。

仁斎が創始した古義学とは、学問の方法からして朱子学とは根本的に異なる思想である。それは、朱子学の合理主義を拒否し、徹底的に日常経験を重視した実践的な学問であった。仁斎は、そのプラグマティズムによって、人間が社会的存在であり、そして社会は動的な「活物」であるという認識に達した。」

「仁斎は、聖人の「道」とは、「人倫日用当(まさ)に行くべきの路」(語孟字義巻の上-二七)であり、「日用彝(い)倫の間」(童子問序-九)に行なわれるものだと言う。この日常の生活世界における実践を最も尊重するプラグマティズムこそ、仁斎の思想の到達点である。「最上至極宇宙第一」である孔子の思想とは、人倫日用、つまり日常生活の世界の中にあるというのである」

「『道』は、もっぱら人道、つまり社会世界に関するものであるなら、それは、人と物、あるいは人と人との相互交流・コミュニケーションであるということになる。『道』とは、人と人とがお互いに向かって行為を行うことで連関する社会世界のことである。」

「人間とは、いかなる存在か。仁斎は、ずばり人間とは、人と人との間柄のことであるという。「人とは何ぞ。君臣なり。父子なり。夫婦なり。崑(こん)弟なり。朋友なり」(童子問巻の上-二七)。仁斎は、「人が存在するということは相互に関係を結ぶことにおいてである。それぞれ相互に行為的に連関することにおいて人は存在する」(子安一九八二-一八〇)のだととらえた。」

「仁斎は、「内」と「外」、「個人」と「その環境」、「主観」と「客観」の二項対立を排した存在論哲学を提示し、それこそが本来の聖人の教えだと主張したのである。人間の生の観点から見れば、本来、密接不可分なはずの「主観」と「客観」を切り離してしまったのは、後世の儒者たちなのだ。(童子問巻の上-四四)」


長々と引用してしまった私の思い、それでも足りない気分、これらの文言を目の当たりにしたときの私の興奮と喜び。小浜さんなら、それらの一切をお分かりいただけるものと確信しています。

そうです。私は、和辻哲学の源流を目の当たりにした思いに襲われて、とても興奮しましたし、子どものように喜んでしまったのです。

また、本居宣長の国学が、伊藤仁斎の古義学と荻生徂徠の古文辞学の流れを深く汲んでいることは、小林秀雄が『本居宣長』ではっきりと述べています。

つまり、和辻のみならず、時枝や小林の思想的な営為も、日本思想における実学の滔々とした流れのなかのひとつの個性的なあり方としてそのどこかに位置づけることができるのではないかと思われるのです。私は、夏目漱石が構築した文学理論もそのなかにおそらくすっぽりと入るのではないか、とも思っています。漱石の、例の有名な「F+f」という文学の定義について一言だけ触れると、Fはfocusで、認識の主体的側面を強調した言い方です。fはfeelingで、小浜さんの言葉使いをお借りすれば情緒を指しています。つまり、漱石はこの定義によって「認識という主体的な営みは、不可避的に情緒を伴う」と主張していることになります。これは、西洋の近代合理的、客観主義的な世界観に対する透徹した批判を自ずと含んでいる考え方なのではないでしょうか。

私はそういう系譜的なことを言い募り、分かったような気分になって悦に入りたいのではありません。そういう見方をすることによって、戦後の波の動きに浮き沈みしながら、流れ着いた故知らぬ岸辺に立って、私たちが、彼らが中途でバトン・タッチし損なった「自前の言葉で、自前の世界像を描く」という営みのバトンを握りなおそうとする場合、なすべきことの示唆が少なからず得られるものと思われるのです。だから、そういう見方にいささか固執したいところがあります。

と同時に、中野氏の営みに一種のシンクロ二シティを感じます。物事を真面目に考え詰めれば、人間、似たような地点にたどり着くということでしょうか。

今回は、「鳥の目」になって、全体を見渡すような話に終始しました。いつでも「虫の目」に戻る準備がありますので、今回はこんなところでご容赦ください。

*****

美津島明様         (発信日 8月3日)

気迫と志に溢れたお返事、ありがとうございます。いま少しずつ書き進めている言語論で、解決困難な問題にぶつかって悩んでいるうちに、いたずらに日数が過ぎ、お返事が遅くなって申し訳ありませんでした。くだんの問題については、スッキリ解決がついたわけではないのですが、「下手の考え休むに似たり」で、もう少し時間をおこうかと思っています。

アングロ・サクソンとの対立による日本の孤立化が、かえって西欧近代との格闘のモチベーションを高め、自前で独自の思想を生み出さざるをえない状況を生んだ、そしてそのことが図らずも日本の思想詩的伝統のよきものを創造的に引き継ぐ形となった、戦後の思想家の文体からはそれが感じ取れないというご指摘、まさにそのとおりと思います。おっしゃるとおり、私が「少数の思想家」ということで想定しているのは、和辻、時枝、小林の三人です。

無責任な連想ですが、以前、グローバリズムに対する懐疑を一貫して展開されている佐伯啓思さんに、「部分的な鎖国もありということでしょうか」と尋ねたとき、「それもありではないかと思います」と答えていたのが印象的です。

下品なたとえで恐縮ですが、やっぱり大股開きは興ざめですね。チラリズムが色気の本質であるように、日本人は国際社会に向けて、政治的・文化的にはそういう姿勢で臨むのがどうも向いているのではないかと思います(もっとも、経済競争の現場だけはそんなことは言っていられないでしょうが)。

貴兄に促されて、忘れていた太宰の「十二月八日」を読み直しました。ただこの作品は、「作家の奥さんの日記」という女性の立場から、当日の当たり前な日常時間が流れる中での静かな興奮を綴ったもので、おそらく太宰は、例の得意技で、美知子夫人のじっさいの日記を素材にしてこれを仕上げたものと思われます。初出『婦人公論』昭和十七年二月号となっていますから、書かれたのはあの運命的な日から年末にかけてと推定されます。旦那を見る「女房的まなざし」が、厳しくも優しく、そしてユーモラスに描かれていて、さすが太宰と感じ入らせる佳品です。

このことに関連してご指摘したいのは(うかつなことに私も今回初めて気づいたのですが)、その直前に彼は『新郎』という短編を書いており、末尾に「昭和十六年十二月八日之を脱稿す」という但し書きがあることです。こちらのほうは、太宰自身と思しき「私」の立場から書かれたものです。これは、文体には相変わらずユーモアが漂っているものの、やや厳粛なトーンで、彼お得意の「ほら話芸」は低く抑えられており、名作『富岳百景』の系譜に連なるものという感じです。

貴兄の言われる「心静かにしかも強い決意を秘めて受けとめる凛とした姿」というのは、あるいはこちらの作品のほうでは?

ところで、昭和十六年十二月という緊迫の一ヶ月間に、彼がこの二作品を書いたということに、今回私はとても興味を惹かれました。太宰が戦中にいわゆる時局迎合作品を一篇も書かなかったことはよく知られていますが、もちろんそれは彼が「反戦意識」などをもっていたからではなく、あくまでも日常生活目線、ややカッコつけて言えば実存者目線を貫いていることの証左であると考えられます。これは小林秀雄のそれにも通ずるものです。

で、『新郎』と『十二月八日』とは、当時の生活者の、男目線と女目線とを代表するような出来栄えになっており、このふたつは「対」として読んでこそその文学的値打ちがいっそう光彩を増してくると感じました。『新郎』のやや硬い感じを相対化するものとして、すかさず女目線の側から『十二月八日』を書いてみせる、この文学的複眼のあり方こそ、太宰の芸の本領と愚考いたします。ぜひあわせてお読みください。貴兄がブログで紹介していた木下恵介監督の『陸軍』のラストシーンに込められている、あの深い文学的な意味(mdsdc568.iza.ne.jp/blog/entry/2751026/)に共通するものを感じ取っていただけるものと確信しております。

中野剛志氏の『日本思想史新論』、私も読みました。仁斎、徂徠、正志斎、諭吉と系譜づけるその力技には、従来の「サヨク」的思想史観を相対化するだけの十分な力量が感じられます。若手でこういう人々が輩出しつつあることは頼もしいかぎりです。

貴兄の引用・指摘のとおり、ここで紹介されている仁斎の、「日用」を尊重し、実践的な連関として人間を把握する思想は、まさに宣長の「さかしら」排除、諭吉の実学思想を経て、和辻、時枝、小林に連なるものですね。しかも漱石の言語思想もその系譜のなかに入るとは、今回教えていただき、新鮮な驚きを噛みしめています。私も自分の考え方との共通点を見出すことができ、嬉しくなりました。

江戸期及びそれ以前の日本思想をきちんと検討してこなかったこれまでの私にとっていまの段階で言えることは、それぞれの思想家の生きた時代背景もさることながら、仁斎は商家の出(プラグマティスト)、徂徠は医者の息子(リベラルな実践的教養人)、正志斎は武家(軍人)の出(トータルな戦略家)、というように、出自がその思想的特徴に反映しているのではないのかな、という点です。私は貴兄のご想像どおり、この三人のなかでは仁斎(ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E4%BB%81%E6%96%8E)に最も共感を抱きましたが、与太話をつけ加えれば、私の親爺は商社マン、祖父はそば屋でした。

ところで、西洋近代に跪拝してしまった戦後日本の難点の克服という思想課題に関連して、最近、ある会で四十代の「俊英」の短い講演を聞いたのですが、それについてちょっとびっくりしたことがあります。彼の話の要点そのものは、角栄の列島改造論を見直し、公共事業アレルギーから脱してインフラ拡充・景気刺激のための公共投資を一刻も早く行なうべきだという、しごくまともなプラグマティズムを説いたもので、まったく問題なく受け入れることができたのですが、話の枕にヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を持ち出して、彼を無批判に受け入れているのですね。

びっくりしたというより、ははあ、やっぱり、という感じなのですが、私はたまたま、その前日くらいに、『論理哲学論考』を徹底的に批判してやろうと考えて、草稿を書き上げたばかりだったのです。簡単に言うと、あの論考ほど、西洋のユダヤ=キリスト教的な考え方を無批判に継承して、現代哲学ヴァージョンに仕立てあげた作品は他に例を見ないといっても過言ではありません。「論理的構造が世界である」「語りえぬことがら(倫理学的問題)については沈黙しなければならぬ」という彼のテーゼは、疑いを抱くことを許さない絶対神の存在を前提としなければけっして出てこない発想に基づいているからです。これでは、私たちが感じ取っている情緒的連続体、混沌としての世界、といったものはまったく出番を封じられてしまうわけですね。彼はこの作で、過去の哲学の難解な記述をぶった切るような威勢のよいポーズをとりながら、カントの認識論上の苦闘や、マルクスのドイツ観念論批判の苦闘を前提にした痕跡もまったく見当たりません。

私は当日の講演者の話のどこに違和感を感じたか。同時代か、近い過去の時代の西欧の哲学者に対する批判的検討もせずに、見かけのかっこよさにいかれて平気で紹介する日本人の態度。しかもそれが、そのあとに続いたW・ジェイムズやパースのプラグマティズムの話と何の必然的な関連もないのです。これって、カントがはやればカント、マルクスがはやればマルクス、サルトルがはやればサルトル、という従来の近代日本インテリの習性をそのままなぞっているではありませんか。

若手インテリにとっては、ヴィトゲンシュタインがそんな存在なのだなあ、とため息が出る思いでした。

ちなみに、ヴィトゲンシュタインは、生の長い彷徨を経た後、『哲学探究』を著して、自分の『論哲』を徹底的に自己批判しているのです。この自己批判はきわめて妥当なものです。というのは、これは彼の言語哲学の主軸を、「論理命題としての言語」から「日常的使用としての言語」へと、百八十度転換したものだからです。

にもかかわらず、なぜか日本では、『論哲』がポスト・モダン以降の若手に妙に受けてしまう。日本インテリの「百姓性」って、相変わらず克服されていないのですね。

社会学者・H氏のあの非人情で人間音痴の記述は、まさに『論哲』の衣鉢を継ぐものです。彼にはヴィトゲンシュタインについての著作があるので、いまの若手インテリは、彼の悪影響もどこかで受けているのではないか、と邪推したくなりました。

いずれにせよ、私は今後、H氏を信用しません。

猛暑のなか、この返信が貴兄の頭をいたずらに悩ませないよう祈ります。
コメント

小浜逸郎⇔美津島明 対話篇・第二弾 Ⅰ  (イザ!ブログ 11・11~14 掲載)

2013年12月03日 08時29分17秒 | 対話
美津島明様 ( 平成24年6月14日発信)

対話篇を再開しましょう。お忙しいでしょうから、お返事はゆっくりでけっこうですよ。

ブログ「『ふしぎなキリスト教』を読む・その1」(http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/1e79ada1ec92796423144a1278f7a342)を読みました。的確な要約に感心するとともに、小生の発言を過分に取り上げていただき、感謝します。ここで簡略化して言われていることに私も同感です。

著者の橋爪さんは、学者としての良心・役割を一歩も踏み外さない職業倫理の厳しい人であるため、「違い」を大切にするのだと思います。これに対して長谷川三千子さん(彼女を巻き込むことが適切かどうか、少し迷いますが)や私は、人間存在とは何かという問題に関心が向くため、どうしても共通点のほうを強調したくなる傾きがあるのでしょう。学者と思想者の観点の違いといってもいいかもしれません。両者、相補って知的探求の姿がより豊かなものとなると思うので、本音としては橋爪さんと議論したい気持ちが多々あるのですが、まあ、それぞれの道を行けばいいのではないか、と思っています。

長谷川さんが、哲学は一貫して「存在」を問題にしてきたが、宗教(特にキリスト教)は超越的な創造者を立てるので、ついに折り合わないと指摘されていたのは、面白いですね。これは、長谷川さんご自身の思索上のアイデンティティが、やはり哲学にあるのだな、ということを感じさせて印象的でした。

ただ、「哲学」というとき、この出自はどうしても古代ギリシャ以来の西洋の思考様式を指していて、インド哲学とか、東洋哲学とかいう言葉は、あとから無理に作った言葉ですから、こちらは厳密にいえば「哲学」ではないのですね。しかと規定することはできませんが、こちらの思考様式は、いわゆる西洋哲学とはまったく違うということは、私でも何となくわかります。矛盾するようですが、ここではむしろ、まず違いを確認していくほうが大切のように思います。宗教という括りの内部では共通点を見出し、哲学という言葉(思考様式)はヨーロッパ・ローカルであることを強調する、こういう構えが当面必要であるような気がします。

これまでの対話では、日本語の問題について話してきましたね。これもそういう確認の試みのひとつとみなすことができそうです。

ここから一気に話題を、ここ数日間の私的な心境というところに飛躍させます。

紫陽花が美しい季節ですね。今年は桜も素晴らしかったですが、紫陽花の美しさに目を奪われる思いです。私は淡紅色の紫陽花はあまり好きではなく、なんといっても青いほうが好きです。

それで、へたくそな歌が口をついて出てきましたので、恥ずかしいですがご披露します。ご笑覧ください。年甲斐もなくちょっと「スケベ」な歌です(笑)。

紫陽花三首

・紫陽花のうつくしきとし われもまた 何かあらむと待ち望みけり

・紫陽花の雨にしたしむあをき影 そのたたずまひ身にまとひたし

・紫陽花のさかりのころに逢ひしひと いまいづこにてときを過ごさむ

こう詠んでみると、つくづく自分のなかのナルシシズムを感じます。また、私はけっこう女性的なのだなとも。

ちなみに紫陽花の花言葉は、「執念深い、しつこい」だったと記憶します。開花期間がとても長いからだそうです。

ところで、親鸞・唯円をやっていて(『新訳 歎異抄』PHP新書 古典の名著シリーズhttp://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/be020a30f29ae588a1f538104d853d83)、また同時に日本語の問題を考えていて、最近、「えにし」「縁」「ご縁」という言葉の独特なニュアンスがしきりと気になります。ご承知のように、親鸞の場合、「わが心のよくて殺さぬにはあらず」、つまり、自由意志でなせることなどたかが知れていて、すべては業縁であり、機縁であるという人間認識が徹底していますね。

この「縁」という言葉、ふしぎな含みと拡がりがあって、印欧語では適訳が見つかりません。connection、bond、relation――どれもだめです。なぜなら、これらの語群は、すべて人間同士の具体的な「つながり」を意味しているにすぎませんから(時には「契約関係」を意味します!)。

ではchanceならどうかというと、今度は逆に、単なる偶然の機会という感じがして物足りません。いずれにしても、ひとがあるつながりを持つに至った、人知を超えた力のようなものを表現することができていないのですね。

先日も、飲み屋ではじめて知り合った人から、ある病をいかに克服したかという体験談を聞き、この話が、私の身内に関係があるので、とても助かりました。私はちょっと急いでいたので、深謝してそそくさと別れたのですが、そのとき先方から「またご縁がありましたら」と言われて、そのご挨拶の絶妙さに感じ入ってしまったのです。いいですね、こういう別れの挨拶って。

こういう使い方は、英語ではできないのではないでしょうか。If we could have a chance to meet again.とでも言うのかな。なんだか味気ないですね。

「ご縁がありましたら」という挨拶には、ひととひととの出会いの中にあらかじめ込められている哀しみのようなものがしっかりと表現されていますね。「縁あってこういうことになり」「これも何かのご縁というものでしょう」「えにしあらば再びあいまみえん」「袖ふれあうも他生の縁」……

先に貴兄が印欧語の限界、日本語との断絶感を指摘されて、私はむしろそれをたしなめるような偉そうなことを言ったのですが、今度は反対に、こちらが異言語間にある断絶に対するいらだたしさを表明する立場になってしまいました。

もう少し「縁」について考えるところを述べます。

この言葉は、偶然性とも必然性とも違います。両方の対概念を同時に含みこんでいるような気がするのです。

たとえば、凶悪犯罪の現場を目撃すれば、私たちは、「偶然そこに居合わせた」と言いますが、果たしてそう割り切って済ませられるでしょうか。何となく感情が逆らいますよね。では、逆に、「それは私たちの視野にかぎりがあるから偶然と見えるだけで、じつは神が引き合わせたのであり、すべてがお見通しの神にとっては何もかも必然なのだ」と、スピノザのように言えば納得するかというと、これもちがうような気がする。「縁」としかいいようがないのではないでしょうか。

なぜ私はここに存在しているのか。それは私の両親が見合い結婚したからだ。では両親はなぜ見合い結婚することになったのか。それは両方を知っている仲人がいたからだ。ではなぜ仲人はそれぞれを知ったのか。それは新婦の父が彼の友人で、新郎が彼の部下だったからだ。では、新婦の父はなぜ彼と友人になったのか。それは中学校時代に同級生だったからだ。ではなぜ二人は同じ中学校に通うことになったのか。それはたまたま近隣地区に住んでいたからだ。ではなぜ二人は近隣地区に住むようになったのか。それはそれぞれの生活事情と家族の歴史があって偶然そういうことになったのだ……

このように、過去のいきさつを合理的な理路によってたどる方法だと、最終的には「偶然」の概念に逢着して、砂に水がしみこむような茫洋たる感覚に襲われて終わりです。

しかし「それは縁というものだ」と言いきりますと、七面倒くさい理路をたどる必要などなく、むしろ深く納得するところがあるのではないでしょうか。この納得感は、どこからやってくるのか。「縁」という言葉の概念をうまく言いあらわすことはできないものか。

ひとつ考えられるのは、この言葉には、過去のいきさつだけではなく、未来に必ずやって来る別離の予感が繰り込まれているのではないかということです。人はすべて死ぬのだという自覚(さとり)が、生活実感のなかにすでにつねに深く沁み込んでいるのですね。だからこそ「他生の縁」というように、前世や後世をはるかに臨みみる視線も生れてくるのだと思うのです。

自分の勝手な関心を長々と述べました。私の言葉に「縁」を感じられたら、何ほどかのお言葉をお返しください。

*****

小浜逸郎様    (発信日 6月23日)


返事、遅れてしまってすみません。

先日お話した(送信するメールの原稿が消えてしまったという)アクシデントも原因と言えば原因なのですが、基本的には、ブログにかかりっきりで、ほかのことに注意を振り向ける精神的な余裕があまりないという状態が続いているということなのでしょう。

特に、最近は消費増税をめぐる政局が風雲急を告げているので、注目している人物や政党の動向をブログやツイッターやネット・ニュースなどで探っているとあっという間に時間が過ぎていってしまいます。このままでは消費税オタクになってしまいそうです(*´∀`*)。

思えば、たまたま由紀草一さんから「美津島さん、ブログをやってみたら」とアドバイスを受けたのがこの道に入り込んだきっかけでした。それと小浜さんのさりげない励ましが大きいですね。まあ、やれるところまでやってみます。

話題を移しましょう。

小浜さんの短歌三首、拝見いたしました。とてもいい感じです。僭越な言い方になりますが、前回からの進歩が見受けられます。

・紫陽花のうつくしきとし われもまた 何かあらむと待ち望みけり

・紫陽花の雨にしたしむあをき影 そのたたずまひ身にまとひたし

・紫陽花のさかりのころに逢ひしひと いまいづこにてときを過ごさむ

こころは流れるものであり、つねに動いているものであり、刻々と変わりゆくものである。それは、さかしらを排したなおきこころに自ずと開示される。そういう意味のことを、本居宣長は、いろいろなところでくりかえし言っています。

これは、歌の本義でもあると思われます。それにかなった、芳しい情趣が上の三首から感じられます。私は、短歌の専門家ではありませんが、それほどトンチンカンなことを言っていない気がします。

歌人は、近所の公園でも歩いているのでしょうか。物静かなたたずまいが感じられるのでおそらくひとりなのでしょう。ふと紫陽花が目にとまります。時期的なことを考えれば六分咲きくらいでしょうか。その青くて小さな花びらが楚々と群れ咲く様に、歌人の心は引き寄せられます。ここからおもむろに歌人のこころは、いまここにある紫陽花を遠く離れて、時空の限界の向こう側に軽々と飛翔します。そうしてまた、いまここにある紫陽花にもどって来ます。その時空の往還のさ中で、紫陽花をめぐるいくつかのイメージが湧きおこり、歌人はそれらを次々に言の葉で紡ごうとします。

これらの一連の流れを、われわれはどう理解したら、うまく言い当てたことになるのでしょうか。

歌人は、自分の「主観」を紫陽花という「客観」によって表現したのだ、という言い方は、事態を不器用に強引に表現しているだけです。

では、大森荘蔵のように、歌人に紫陽花が立ち現れていることがすべてで、それよりほかに、歌人の心などというものはないと納得してしまえるでしょうか。歌人は、そう言われてもおそらく納得しないでしょう。

では、小林秀雄のように「紫陽花の美しさなんてものはない。美しい紫陽花があるだけだ」と言ってしまえばよいのでしょうか。これはかなりいい線を行っているように感じられます。が、その半歩手前に踏みとどまって、もう少し細やかに言い表すことができないものでしょうか。

歌人にとって目の前の紫陽花は、前言語的な情趣をたたえて存在しています。その情趣に歌人はわれ知らず参画するうちに、そこに含まれる言語化の契機に触れることになります。

人によっては、紫陽花を見かけても素通りしてしまうでしょう。ちょっと立ち止まって、「ほお」と嘆声を上げる人もいるでしょう。一緒に散歩している相手に「ほら、きれいだね」と語りかける人もいるでしょう。歌人は、それらの全ての言語化の可能性のなかで、三十一文字に結晶化するというかなり高度な言語化に向けてその存在を投げ入れることにしました。

さらに、それを知り合いに見せます。見せられた知り合いは知り合いで、歌人の意を目がけながら、彼なりのパロールを展開することに自己投企します。

私は、なにが言いたいのか。

この世のあらゆる存在物は(とりわけ女性は)、なにかしらの前言語的な情趣をたたえて存在している。その情趣にわれ知らず触れることで、人は不可避的にそこに含まれる言語化のあらゆる可能性のどこかに自己を投企せざるを得ない。そのことを紫陽花の歌人は喚起させるのです。(素通りは、言語化の欠如態と位置づけることができるでしょう。)

つまり、ここには言語現象という目には見えない心的諸運動が、広義の表現主体において鳴門海峡の大小の渦のようにあちらこちらで無数に生まれ、拡大し、共鳴している様が広がっているように私には感じられます。

この世界イメージを片時も忘れなければ、そこから「主観」「客観」というツールを取り出すことには一定の限られた有効性を認めるにしても、まさか、それらの言葉でこの世界に起こっている事態の総体をうまく言い当てることができるなどとは夢にも思わないでしょう。

また、大森荘蔵が、「主観」「客観」の二分法から超出する試みに無残にも失敗したのは、世界を言語現象として捉え切るという透徹した視点が欠如していたからなのではないかと思われるのですが、いかがでしょう。私が読んだ大森本はせいぜい三、四冊なので、断言はできないのですけれど。小林秀雄から、「全集を読みなさい」と説教されてしまいそうで
すね。

ここからは、橋爪的主題にご登場願います。

橋爪さんによれば、日本人は近代化を成し遂げた今日においても、森羅万象にその数だけの神様を感じる神道的な感性を保存している珍しい民族です。それを、良いとか悪いとか言ってみても始まりません。私は、橋爪さんの言っていることが、どうも当たっているような気がするのですね。
それに関連して、私は「『ふしぎなキリスト教』を読む」という投稿で、次のように申し上げました。

橋爪氏が指摘しているように、近代化を経てもなお、この世界のあらゆるものにその数だけの神を感じる神道的な感性を保存している日本人は、西欧的な基準からすれば、決して無神論者になりえません。それは、橋爪氏が言う通り弱点にもなりえますが、西欧近代の無神論がもたらすニヒリズムを緩和する可能性もあるのではないでしょうか。

これを哲学の分野に移し替えると、どうなるか。キリスト教的な感性からすれば、神が不在となった世界という「空家」=客観のなかで、主権者となった人間は主観に押し込められることになります。近代西欧哲学を根のところで規定してきた主観・客観の二分法が、キリスト教的な感性に基づく思考の枠組みであることが分かりますね。

それに対して、この世界のあらゆるものにその数だけの神を感じる神道的な感性にとって、主観からくっきりと区別された客観は存在しないし、逆に、客観からくっきりと区別された主観も存在しません。そこに、主観と客観とが交流する形容詞的世界が像を結ぶことになりますね。


やや日本人として「内輪ぼめ」の疑いのある記述ですけれど、事の当否はとりあえず措きます(よろしければ大いにツッコミを入れてください)。ここで言いたかったことを、言葉を変えてもう一度言い直してみましょう。

確か、竹田青嗣さんが、われわれは世界を解釈する以前にすでに感じ取ってしまっているのだ、という言い方を『エロスの世界像』あたりでしていたと記憶しています。

世界をどう感じ取るかという直観に、橋爪流の「宗教」が大きな影を落としているのではないかと私は考えるのです。つまり、ここで「宗教」とは、共同幻想としての感性の様式のことです。唯物論めかして言えば、文化の創出装置それ自体です。神を信じるかどうかという意識の次元ではなく、森羅万象をどう感じ取るかという感性の様式の共同性の次元は、

今日においても大きな影響をそれぞれの文化に根のところで与え続けているのではないかと思われます。そこに、表立った信仰が薄れたと言われている現代社会においても、宗教について考え、論じる意義の核心があるのではないでしょうか。宗教論は、展開のしようによっては、自己認識を拡張する大きな武器になりうるようです。

話が大きくなりすぎたので、日本語の問題に絞ります。

「言霊」という言い方がありますね。これは、橋爪流の、『森羅万象にその数だけの小さな神を見出す「神道」的感性』で言葉をとらえることによって、日本文化において自ずと生み出された世界説明の一種です。近代言語学の成果によって、これを非科学的な迷信と一笑に付すのは簡単です。しかし、それで問題が終わるわけではありません。

先ほど申し上げた、感性の様式の共同性の次元において、われわれ日本人は、一人残らずいまだに言霊信仰者です。

言霊信仰者にとっては、言=事です。だから、彼らは「良き言の葉は良きものを招き、悪き言の葉は災いを招く」という観念のとらわれ人となります。私を含めて日本人はTPOをわきまえないKY発言をとても嫌がります。小浜さんはどうですか。まったく平気ですか。平気でなければ、小浜さんもやはりかなりの言霊信仰者である、ということになります(笑)。これはほんの一例です。まあ、それを慣習の力と呼んでも一向に差し支えないのですが。それに逆らうことは、普通の人にとってはけっこうなストレスになりますよね。

さらに言い募れば、理屈抜きの慣習の力とは、人倫を支えているものです(これは小浜さんや和辻から学んだことです)。先ほど申し上げたように、日本人にとって、言霊信仰は慣習の核心の少なくともひとつを成しています。とすると、日本人にとって、言霊信仰は人倫を支えている重要なファクターとして無視しえないものである、ということになりませんか?

私は、(駆け足ですが)やっと「縁」という言葉に触れるところまでたどり着くことができました。

「縁」の「エン」という読みは音読みです。訓読みはありません。「えにし」という読み方は、音読みの「エン」の日本語化した字音の「えに」に強意の助詞「し」がつくことで成立しました(by 辞書)。

素人考えですが、そこから察するに、もともと日本には「縁」なる言葉はなかったようです。「きずな」とか「つながり」などという言葉は和語ですから、もともと日本にあったことばなのでしょうが。

とすれば、縁は仏語として中国から入ってきた。つまりもともとは純粋の外来語・外来思想なのです。

一時期原始仏教を集中的にかじった経験があるので、それのうろ覚えで、ちょっと偉そうに薀蓄をたれます。

縁とは、原始仏教では、縁起の法として語られるものです。いわゆる因果律を前世・現世・来世を貫くものとしてとらえます。前世での悪行が縁となって、生まれ変わった現世での苦境をもたらします(娑婆苦)。そうして、煩悩具足であり続ける限り、輪廻転生を繰り返すだけで娑婆苦から永遠に脱することがかないません。その繰り返しから脱却するには、出家し修行して縁起の法の核心を直観的に掴み、悟りを開いて輪廻転生の外に超出するよりほかにありません。それが解脱です。つまり、在家には解脱の道がないのです。これが仏教のもともとの姿です。(橋爪さんにちょっと口調が似てきましたか(笑))

それが中国に移入されると、おおざっぱに言えば、在家仏教に変質します。仏教のいわゆる儒教化ですね。それと同時に、インドにおける爛熟期の仏教である密教も中国に入ってきます。

これら三つの、時期的にも地理的にも異なる仏教の流れが日本に一度にどっと押し寄せたわけです。

そのなかで原始仏典は、日本においては大蔵経として珍重され、そこに述べられている縁起の法の意味合いは、当時の高級知識人である学僧たちにきちんと理解されていました。おそらくそこいらが縁という言葉の発信源なのでしょう。

で、縁起という言葉が世間に流布するにつれて、もともとのペシミスティックな意味合いを基底にニュアンスとして残しつつ、「縁起がいい」とか「縁起が悪い」といった俗語に変化していきます。その、意味の変化のプロセスに、私は日本人の神道的な感性とか言霊信仰とかが大きく作用していると思っています。

「縁起がいい」「縁起が悪い」というのは、何かをなす初っ端に起こったちょっとした出来事で、その何かがうまくいくかどうかを判断するときに使うことばですね。場の空気の穢れにとても敏感な日本人ならではの「誤用」ですね。場の空気の穢れに敏感な姿勢は、晴れの舞台での忌み言葉を嫌うそれと全く同じであることはいうまでもないでしょう。さらに、忌み言葉を嫌う感性は、言=事の言霊信仰的なそれであることも言を俟たないでしょう。

「縁起」が「縁」に端折られてからも、そういう「誤用」「誤解」のプロセスは、同様の文化的な無意識の手続きを踏んだものと思われます。

教養の足りない学者もどきのような発言が多いメールですが、何かの話の糸口になればと思って送ります。バトンタッチです。

*****

美津島明さま           (発信日 6月26日)


ご多忙中を、時間の流れがちがうようなメッセージをお送りして、申し訳ない。それにもかかわらず、私の目下の関心に対してこれほど刺戟とヒントを与えてくれてありがとうございます。

私のへたくそな歌について、過分な評価をいただき恐縮です。

しかしそのことよりも、こんな片々たる素材をもとにして、私たちの住むこの世界と言葉との関係について、より普遍的な問題提起をされている貴兄の思想的な膂力を感じることができてとても嬉しく思いました。

こちらは、昨24日、『新訳 歎異抄』をようやく脱稿し、一息ついているところです。この原稿で扱った中身と、貴兄の今回のご指摘とは、重なるところが多いように思います。

貴兄が今回言われていることのポイントを私なりにまとめると以下のようになります。

①前言語的な情趣(世界の感じ取り方)から言語表出までの過程、またそれを受け取って情趣を共有しようとする側の過程は「言語現象」という心的諸運動としてとらえられる。

②共同幻想としての感性の様式の存在が、宗教を、今もって論ずるに値する重要な主題たらしめている。

③森羅万象に神の宿りを感じる神道的感性こそは、日本人独特の「共同幻想としての感性の様式」である。

④私たちの世界の感じ取り方を「主観、客観」に二分することはできない。しかし一方を無視して他方の概念だけに引き寄せて世界をわかったとすることもできない。

⑤日本人にとって言霊信仰は、人倫を支えている重要なファクターである。

⑥仏教由来の「縁起」の意味の変化には、場の空気の清濁に敏感な日本人の神道的な感性や言霊信仰が大きく作用している。

どれにもまったく異論がありません。加えて、これらの指摘には、日本人の世界感受のあり方について考えを発展させるための重要なヒントがいくつもあるように思います。

はじめに、私は自分を当然、言霊信仰者だと思っています。小さいころから腕力が苦手で、小学校入学の折、意味もなく私を殴ってくるやつがいたので、なんで世の中にはこんな理不尽なやつがいるんだろうと、その不可解さにとても悩んだおぼえがあります。何しろ弱虫で仕返しすることもできず、人一倍傷つきやすかったのですね。

少し長じて生意気盛りのころは、逆に言葉で相手をとても傷つけてしまったこともあり、それはそれで忘れ得ない思い出なのですが。

いまにして思えば、言葉をたよりに生きるという私の運命は、そのころから決まっていたのかもしれません。言葉を磨くことで商売ができる、時には防御攻撃の武器にすらなりうる、こういうことが可能であるこの社会にとても感謝しています。戦国時代でなくてよかった(笑)。

上記③にかかわる最近の経験をお話しましょう。

私の娘はアメリカ人と結婚していて、四歳になる女の子がひとりいるのですが、先日、その彼と孫娘と三人で公園を散歩しました。池のほとりに来たとき、亀やアヒルが見えるので、「あ、かめさんがいるね」「アヒルさんもいるよ」といったやり取りのあと、ふと思いついて、彼に、アメリカでは動物やものに「さん」をつけるような習慣があるかと聞いてみました。答えは「まれにMr.何々などということはあるが、ふつうはしない」というものでした。

日本ではこれは当たり前の習慣ですね。「アリさん」「カラスさん」「お日さま」「風さん」等々。昔母から聞いた話ですが、「豆さんを煮ましょうね」などというのもあったそうです。

こういう慣習は、宗教学的には「アニミズム」と呼ばれて、森羅万象に生きた霊を感じる自然宗教のパターンとして分類されます。しかし、そう言い切って済ませられるでしょうか。もう少し繊細な視線がほしいところです。

接頭語の「お」「ご」も日本独特ですね。「お昼になったからごはんにしましょう」「今日はご馳走だね、お茶入れてこよう」等々。「おみおつけ」に至っては、最初から三文字までが接頭語です。抽象概念にも使われるし、なんと卑猥な言葉にさえ使われます。「ご成功、おめでとうございます」「お×××」。

まあ、便宜のために仮にこれらの言語慣習をアニミズムと呼んでおきましょう。

このアニミズム的慣習は、貴兄の直観どおり、言霊信仰に通じていると私は思います。その心は、単にまわりのものごとを宗教的に畏れるというのではなく、ひと言で言えば、まず私たちは、環境のすべてを自分たちにとっての「事」として深く受容する感性を持っており、しかるのち、それを「言」にするに当たっては、指示対象を突き放さずていねいに扱うことで逆に自分たちに親しいものとする、という志向をはたらかせるのではないでしょうか。

このことが成し遂げられるとき、「言」は、それ自体として「霊」をもつことになる。なぜなら、それは表出において内に感じられる「力」をそのまま表出された「言」に託すことに成功しているからです。

上記④について。

思想家の長谷川三千子さんが、谷崎の『細雪』について卓抜な論考を書いているのを思い出しました。九月刊行予定の拙著(11月に刊行が延期された『日本の七大思想家』幻冬舎新書)で、大森荘蔵に絡めてその部分を引いたのですが、冗長を恐れて削除しました。長くなって申し訳ないですが、以下にそれを再現します。

長谷川氏はこの批評文で、寺田透の『細雪』評を引用した後、この評が「現実とは物体のことである」という、まさにデカルトに始まる近代ヨーロッパの「現実」観を前提としていると述べ、さらに次のように論を展開している。

《(引用者注――デカルトの『省察』からの引用の後)この「物体」に生命はない。あるのはただ三次元の拡がりだけである。近代ヨーロッパは、物体をかういふものと考へることで「近代科学」を持つに至つた。そしてかうした物体を「自己」といふ名の精神が眺めるとき、それが「現実」と呼ばれるのである。/したがつて近代ヨーロッパのものの考へ方は、それをどこからどう切つても、必ずこの「物体」といふ断面を見せることになる。自ら動くことなく、自らの輪郭の内にとじ込められた「物体」が、いつも「精神」の向う側にある。(中略)実際に『細雪』の文章を眺めてみると、先の批評(引用者注――寺田透の評)にあがつてゐた平安神宮の紅枝垂れ桜の眺めはこんな風に書きあらはされてゐる。

 あの、神門を入つて大極殿を正面に見、西の回廊から神苑に第一歩を踏み入れた所にある数株の紅枝垂、――海外にまでその美を謳はれて  ゐると云ふ名木の桜が、今年はどんな風であらうか、もうおそくはないであらうかと気を揉みながら、毎年回廊の門をくゞる迄はあやしく  胸をときめかすのであるが、今年も同じやうな思ひで門をくゞつた彼女達は、忽ち夕空にひろがってゐる紅の雲を仰ぎ見ると、皆が一様   に、「あー」と、感嘆の声を放つた。

たしかに、この長いひとつづきの文章のなかで、直接にものの姿をうつした言葉といつては、「夕空にひろがってゐる紅の雲」のひと言だけであつて、それさへもが、花であるのか雲であるのか、もののあはひの定かならざる眺めである。もしも現実が先ほどのやうな物体のことであるならば、ここには現実に似たものは何一つないと言はなければなるまい。》(『からごころ』中公叢書)《(引用者注――前の引用とは異なる花見の場面の引用の後)ここでは現実とはわれわれに向かひ合つてそこにむつつりと場所を占めてゐる何物かではなくて、われわれの頭上に拡がりわれわれを包む空間そのもののことである。》(同前)


いかがでしょうか。私はなかなかのものだと感心するのですが。

上記⑤と⑥について。

なるほど、言霊信仰は「人倫」にもかかわってくるのですね。これも深く納得できます。「人倫」というなら、絶対、和辻です(笑)。

先のメールで、「縁」という言葉には、前世、現世、後世を貫く時間概念がすでにつねに繰り込まれていて、そこにはあらかじめ感受された「別離」の哀しみのようなものが含まれているという意味のことを書いたのですが、この時間性に関しては、和辻倫理学が、「時間性と空間性の相即」という節で、透徹した人間理解を示しています。

彼は、人間を、全体から個が析出し、その個が再び全体に帰っていく無限の運動過程と捉えるのですが、この「本来性に帰還する運動としての人間」という捉え方は、「縁」「えにし」という言葉がはらんでいる時間概念に深くかかわると思うのです。彼は、進歩的な歴史観のように、時間を過去から未来へひたすら直線的に進行するというようには考えず、未来への志向もまた、たえず「帰来」するものと考えます。「本末究竟等」とも言っています。教養としては仏教の影響が強いと思いますが、よく考えると、これは日本古来の時間概念に適合するとも言えそうですね。

つまり、そもそも「時間」というように、空間からこれを分けて捉えること自体、私たちに親しい世界感受の仕方からずれてくるところがあるわけで、強いて言えば、私たちの時間概念は、たえず循環するものである、同じところをぐるぐる回っているのだ、というほうが実感に近いかもしれません。丸山眞男が捕まえようとした、「日本人の歴史観のオプティミズム」(「歴史意識の『古層』」)というのも、これに引っかかってくるような気がします。このことが、「縁」「えにし」という言葉が持つ豊かな含蓄と関係があるように思います。

「ご縁がありましたら」という別れの挨拶には、「個」としてはそのつど切れてしまって哀しいけれど、ぐるぐる回っているうちには、また会えるかもしれないという期待感も込められていますね。

それにつけて思い出すのが、「あと、さき」「まえ」という言葉の不思議さです。

私はこれらの言葉の使われ方が、論理的にはとても矛盾しているということに早い時期から疑問を抱いてきました。

これらは、空間概念にも時間概念にも使われますね。ところが、おかしなことに、「あと」という概念が時間的には、過去にも未来にも使われるし、「さき」もそうなのですね。両者は必ずしも対義語ではないのです。「まえ」は、空間的には自分の身体が直面しているあたりを指していますが、これも時間的には、過去にも未来にも使われます。

以下、例示しましょう。

・この仕事はあとにまわそう(未来)

・自分のたどってきたあとを省みると(過去)

・さきのことはわからない(未来)

・さきの大戦における(過去)

・まえを見つめて進もう(未来)

・まえにこんなことがあった(過去)

いかがですか。時間を直線的に進むものと考えると、こういう使用法は理解できないですね。でも私たち日本人は、矛盾を矛盾と感じず、平然と使いこなしています。このことは、いったいどう読み解けばよいのか。いろいろと考えてはいるのですが、まだ、明快な答えは出せません。少し「あと」にまわそうと思っています。

*****

小浜逸郎様            (発信日 7月23日)


小浜さんから返信をいただいてから、かなり時間が経っていますので、議論のポイントを再確認するため、私が申し上げたことを小浜さんから要領よくまとめていただいたものを改めて掲げます。

①前言語的な情趣(世界の感じ取り方)から言語表出までの過程、またそれを受け取って情趣を共有しようとする側の過程は「言語現象」という心的諸運動としてとらえられる。

②共同幻想としての感性の様式の存在が、宗教を、今もって論ずるに値する重要な主題たらしめている。

③森羅万象に神の宿りを感じる神道的感性こそは、日本人独特の「共同幻想としての感性の様式」である。

④私たちの世界の感じ取り方を「主観、客観」に二分することはできない。しかし一方を無視して他方の概念だけに引き寄せて世界をわかったとすることもできない。

⑤日本人にとって言霊信仰は、人倫を支えている重要なファクターである。

⑥仏教由来の「縁起」の意味の変化には、場の空気の清濁に敏感な日本人の神道的な感性や言霊信仰が大きく作用している。

小浜さんも言霊信仰者である、とうかがってなにやらほっとしました(笑)。また、上記①~⑥に対しても、基本的にはご同意いただだけたとのこと。素直に嬉しいと思います。

しかし、以上は、言ってみればメニューを並べただけのこと。本当の問題は、ここからどれだけ踏み込んだ展開ができるかということです。それぞれについて一ミリでも一センチでも先に行くことができれば、と思います。

上記③に関連して、小浜さんは次のような発言をなさっています。

まず私たちは、環境のすべてを自分たちにとっての「事」として深く受容する感性を持っており、しかるのち、それを「言」にするに当たっては、指示対象を突き放さずていねいに扱うことで逆に自分たちに親しいものとする、という志向をはたらかせるのではないでしょうか。このことが成し遂げられるとき、「言」は、それ自体として「霊」をもつことになる。なぜなら、 それは表出において内に感じられる「力」をそのまま表出された「言」に託すことに成功しているからです。

小浜さんのこの言葉を受けとめた読み手に、深い納得感が生じるのはなぜなのでしょう。それは、小浜さんが言葉を論じるにあたって、身体性の問題を片時も手放していないからではないでしょうか。

「環境のすべてを自分たちにとっての「事」として深く受容する感性」によって、「それを「言」にするに当たっては、指示対象を突き放さずていねいに扱うことで逆に自分たちに親しいものとする」という一連の流れは、身体性の深い介在なしにありえないことであるし、明示的ではありませんが、小浜さんの言葉はそういう事態をおのずと織り込んでいるように感じられるのです。

とするならば、私たち日本人は、森羅万象としての「事」を肌の温もりのある「言」として掴まえなおすことを日々繰り返していることになります。言いかえれば、「事」に血を通わすうえで、身体性を伴った「言」が大きな役割を果たしている。

だから、西洋の大文字のGODが有する抽象性を、日本のカミは鼻から持ちようがないし、人間とまったく同じように肌の温もりがあり、喜怒哀楽に左右される、いわば具象的存在である、ということになるのでは。抽象性がその精神運動上の本質において「一」に凝縮する強い傾向があるのに対して、具象性はその本質から多様性の展開を予定します。だから、日本人の宗教的感性からすれば、カミがたくさん存在するのは当たり前、ということになります。

そう考えると、法然と親鸞の思想が日本においていかにユニークであるか、驚きをもって、再認識する思いです。そのユニークさを、ちょっと刺激的な言葉を使えば、扼殺することで、真宗は後に世に流布したのではないかと思うのですが、ここは小浜さんのご意見を伺いたいところです。

また、冷徹な合理主義の経済的表現であるグローバリズムに対して、日本人がいわば本能的に身構えてしまうのは、いままで述べてきたことから、不可避であると言えるのではないでしょうか。変に無理をして、それをためらいもなく受け入れられない日本人はダメだのだといわんばかりに推進された1997年から2007年ころまでのラディカルな行政改革・構造改革は、日本人の自然体の感性を押しつぶそうとする野蛮な運動だったのではないかとあらためて思われます。変に真面目になったりせずに、適当におつきあいすればいいのです、あんなものとは。

身体性に深く根ざした「言」によって「事」に血を通わせるところに、日本人が霊力(生命力)を感じるポイントがあるのだとすれば、それとは逆に、「事」はあくまでも「事」であって、「言」はあくまでも「事」を伝えるための道具であるのに過ぎないという当世流行りの言語観は、生命力の減退・衰退をもたらす危険な思想である、とも言えそうです。私が申し上げているのは、当世ではほぼ無自覚な形で展開されている言語観のことで、情報社会が高度化すればするほど、不可避的に跋扈せざるをえないものです。つまり、情報をやり取りするためだけの便利なツールとして言葉をとらえる風潮のことを、私は、言っているのです。

むろん、私はこの現象を全否定するわけではありません。私自身、忙しい日常生活のなかで、言葉をそういうふうに使い、また受けとめる局面は多々あるのでしょう。それで、済んでしまうし、そのほうがいろいろとうまくいくことが多いからです。

しかし、それが言葉との付き合い方の全てになってしまったら、おそらく、文化の底力が減退することになるのではないか、という危惧の念が脳裏をかすめるのをいかんともしがたい、と申し上げたいのです。

その点、小浜さんが引用なさった長谷川三千子さんの文章も、その中で孫引きされている谷崎潤一郎の『細雪』の文章も、文化の圧倒的な底力を感じさせる素晴らしいものです。『「あー」と、感嘆の声を放つた』姉妹のそれこそ「はんなり」とした声が懐旧の情とともに耳底に響くようです。

それを受けての、長谷川さんの言葉は、頭というより身体に深く柔らかく入ってくる感じで、これまた素晴らしいものです。もう一度、引用してしまいます。

《たしかに、この長いひとつづきの文章のなかで、直接にものの姿をうつした言葉といつては、「夕空にひろがってゐる紅の雲」のひと言だけであつて、それさへもが、花であるのか雲であるのか、もののあはひの定かならざる眺めである。もしも現実が先ほどのやうな物体のことであるならば、ここには現実に似たものは何一つないと言はなければなるまい。》(『からごころ』中公叢書)

《(引用者注――前の引用とは異なる花見の場面の引用の後)ここでは現実とはわれわれに向かひ合つてそこにむつつりと場所を占めてゐる何物かではなくて、われわれの頭上に拡がりわれわれを包む空間そのもののことである。》


この空間は、女性の肌のほんのりとした温かみを感じさせるやわらかさで満たされています。つまり、ここには間違いなく《言霊空間》と呼ぶ他にないものが広がっています。そうして、小浜さんがおっしゃるように、これは、主客二分法では捕まえようのない世界であり、少なくともわれわれ日本人には、身近な世界です。私は残念ながら現場を見たことがないのですが、精霊流しなんてのも、言霊の世界として、とても分かりやすいものなのではないでしょうか。

もしかしたら、言霊信仰を、信仰を失った(かのような)現代人にも納得のできる言葉できちんとなぞることができたのならば、主客二分法はおのずと超えられるのかもしれません。

次に、小浜さんは、日本人の時間概念を読み解くために四つの例をお出しになっています。それを再録しましょう。



・この仕事はあとにまわそう(未来)

・自分のたどってきたあとを省みると(過去)

・さきのことはわからない(未来)

・さきの大戦における(過去)

・まえを見つめて進もう(未来)

・まえにこんなことがあった(過去)

たしかに、時間の流れを直線的にとらえる近代的な時間概念からすれば不思議であるし、それで読み解き得ない以上、われわれ日本人は、それとは異なる時間概念を生きているのでしょう。

それと、もう一つ。ここでも、身体性が大きな位置を占めています。つまり、日本人が生きている時間概念は、身体性と深く関わっているとは、少なくとも言えそうです。

ここで、ただひとつ「うしろ」には、そのような時間をめぐる両義性がないことが気にかかります。なぜでしょうか。というか、「うしろ」という言葉に関して、時間性の含意のある用例は、「うしろ向き」ぐらいしか思いつきません。これは、過去にこだわることを否定的に言い表す場合に使われます。ほかは、

・うしろ髪を引かれる思い

・うしろ暗い

・うしろ傷

・うしろめたい

・うしろ指

などのように、身体性における死角がもたらす不安の念を織り込んだ、どちらかといえばマイナスの情緒を表す用法が多いような気がします。(もちろん、「うしろ明き」などという中立的な用法もありますが)

つまり、「うしろ」というのは、身体における、その空間性に対する着目の度合いがはなはだ強いので、表出上の関心がそちらのほうにひっぱられて、その時間性に着目した表現の多様性がほとんど展開されなかった。だから、時間性の含意のある用例がほとんどないし、ましてや時間の両義性を獲得するところにまで至らなかったのではないかと、思われます。

考えてみれば、「うしろ」は、身体性をとりまく空間領域で、視覚の特権性がどうにも及ばないただひとつのそれです。仮に、ある人が「そんなことはない」と言って「うしろ」を振り返ったとしても、視線のベクトルの反対方向と「うしろ」を定義すれば、やはり「うしろ」が生じてしまいます。

で、視覚の特権性が及ばない空間領域は、主体にとって基本的には、秩序立てのむずかしいカオスとして表象されることになる。

たとえば「無意識」などという小難しい言葉をわりとすんなり納得することができるのは、上に述べた「うしろ」の身体感覚が万人に共有されているからではないかと考えます。

「うしろ」については、とりあえずそんなところです。「あと」「さき」「まえ」については、まるまる残ってしまいました。バトン・タッチです。
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小浜逸郎氏との対話Ⅲ (イザ!ブログ 2012・6・7~6・9 掲載分)

2013年11月19日 20時59分48秒 | 対話
小浜逸郎様

お久しぶりです。

今日やっと『大前研一トンデモ「デフレ」理論』をアップできました。一回のアップ文字数が1万字までなので、2回に分けてアップしました。

*『大前研一トンデモ「デフレ」理論』の原稿書きのために時間が取られているので、メールの返事が一週間ほど遅れることを小浜氏に伝えていました。

分量が膨大で、細い話も出てくるし、みなさんが読んでくれるのか心配していたところ取りあえずアップ当日に900弱のアクセスがあり、ホッとしています。ツイッターにいろいろと反響の言葉も寄せられていて、ささやかながら喜びをかみしめています。しかし、喜んでばかりもいられません。非合理的な経済政策のありさまは変わっていないのですから。

さて、小浜さんの前回のメールについて思いつくままに述べます。

ちょっと前のことですが、大森荘蔵におけるデカルト的二分法ののり超えの試みのまずい点についての、小浜さんのお話、印象深く残っています。

小浜さんの言葉を、私なりに言いかえると次のようになります。

人は実存において主客の交流する形容詞的な世界像を生きている。そこから、分析的に主観と客観とが析出されることにもなる。また、主語が析出されることにもなる。そのことには一定の有効性・レーゾンデートル(存在理由の意―編者注)がある。かといってその二分法を絶対的な真理とするのはおかしい。そのリゴリズム(過剰な厳格主義の意―編者注)から、世界観の硬直化・貧困化が生じることになるからである。見上げた青空が美しいと感じるとき、その美を、私の主観に還元するのは誤っている。世界はもっと豊かな相貌をしているはずだから。他方、大森氏のように主観=心を客観=物にそっくりそのまま投げ出そうとするのも、物に神性を見出そうとする感性を保持する日本人としてその気持ちを分からなくもないが、哲学的には同じく誤っている。

短歌を読み味わうということは、人が本当のところどのようにこころを世界に開いて(あるいは閉じて)生を織り成しているのかを内側からやわらかく辿りなおすプロセスなのではなかろうか。一級の感性の痕跡としての名歌には、そのような実存が凝縮された形でありありと表出されている。だから、それに大真面目になって取り組むことには、文学的な価値はもちろんのこととして、思想的な価値もある。

さらに、哲学的な価値も、と言いたいところですが、私には荷が重すぎるので、ここは代わりに小浜さんに「そうだ」と言ってほしいところです。

そんな感じになります。私にかろうじてできるのは、小浜さんの、主客二分法を真ん中で超えようとする思想的・哲学的な展開を、主に文学の側から重ね描きすることなのではないかと思います。

思想的な構えの核心のところで、私は小浜さんから大きな影響を受けていることを再認識しました。ここから、自分なりのパロール(個性的な語りの意―編者注)をどう展開するのかが今後の私の課題、ということになるのでしょう。まあ、いい年なのであまり悠長なことも言ってられないのですが。

〉厳密に言えば、貴兄の今回の論は、「日本人の感性は素晴らしく、微妙で独特であり、そう簡単にガイジンなどにわかるはずがない、わかってもらっては困る」と言いたい気持ちと、「私たちはそれでも、よりよい訳、よりよい批評などを目ざしているところから見て、究極的な理想として、分かり合えるはずだ」という理念との両面を唱えていることになると思います。論理的にはこれは矛盾するのでは?

まったくそのとおりであると思います。一方では、普遍性への志向性を、表現に向かおうとする自分に確かに感じるのですが、他方では、日本人の感性が素晴らしい云々ということよりも、欧米人が抜きがたく抱えている(ように感じられる)「絶対的なもの」への激しい志向性に対する違和感と、助詞・助動詞に代表される日本語のニュアンスが結局は欧米人に伝わらないのではないかという断絶感とがあります。

後者については前回申し上げたので、今回は前者(すなわち、欧米人が抜きがたく抱えている「絶対的なもの」への激しい志向性に対する違和感―編者注)について述べます。

私は若い頃に、文学青年にありがちなことなのですが、ドストエフスキーにのめり込んでいた一時期があります。倫理的な思想に基づいて老婆を殺したラスコーリニコフが、かえって倫理問題について不器用に執拗に悩むことになり、結局は頭を抱え込んできりきり舞になって一少女に跪(ひざまづ)いてしまう姿に共感を覚えたりはしたのですが、それとは逆にどうしても分からなかったことがありました。

確か『カラマーゾフの兄弟』のイワンが大審問官のところで「神がいなければすべてが許される」というテーゼを提示し、それについて深く思い悩む自分の姿をアリョーシャに晒しますね。

イワンの悩みは、理屈ではそれなりに分かるような気がするのです。でも、神という唯一神あるいは絶対を失うことによる世界崩壊への畏れ・おののきの深度をまったく共有できないと当時も思いましたし、いまでもそうです。

とはいうものの、他方では、表現するという行為そのものに、時代や民族の違いを超えた普遍への志向性が不可避的に織り込まれているとも考えているのです。特に、良い音楽を聞いたときにそれを強烈に感じます。

むろん私は、文字表現の普遍性をも信じます。信じようとしています。しかし、ときどきどうしようもない壁や断絶を感じることがある、ということです。これは、未だにあまりうまく処理できていないことです。

「批評の基準」についていま思うのは、洋の東西を問わず、優れたエコノミストについて語っているとき、私は、文芸批評を展開している面白さとほとんど同じものを感じているということです。文学者とエコノミストでは世界を写し取り、切り取るツールが違うのはもちろんです。

しかし、優れたエコノミストには、強烈で魅力的な個性があります。それが、こまかい経済学的な「さかしら」を伸びやかにのりこえて、彼らが経済の言葉で世界を語り、自己を語る哲人あるいは表現者の面持ちに近づいてくる源になっているように感じています。経済エッセーについては、もっともっと書き込んで、予備知識抜きでも読み手が楽しめるようなものを書けたらなと思っています。

市民化された経済学。これって、一般国民が主権を本気で担おうとすれば必要になってくるものですね。その課題を自分の力の及ぶ分だけでも担うことができれば、といささかなりと思いはじめています。まずは、自分がちゃんと経済の基本を分かっていることが最低基準ですね。ブログで私見を公開する気持ちには、誤った認識があればそれを読み手に率直に正してほしい、ということもあるのです。

〉欧米圏の生活意識と言語との関係に精通しているわけではない私たちには、そもそも公平な比較というのは不可能なのではないでしょうか。そのことも押さえておく必要があると思うのです。

おっしゃる通りです。ここを見過ごすと異文化についてバランスの悪いことを言ってしまいそうですね。適切なアドバイスとして受けとめます。

日本語の特性のご指摘については、特に⑤にはっとさせられました。

〉⑤またまた関連するのですが、「辞」に関するかぎり、いろいろと品詞分類がなされてはいるものの、音韻が同じならばそこに込められた生活感情、生活思想はアルカイックな時代では同じだったのではないか

助詞にはそれぞれ、おそらくもともとのなにか核になるような意味合いがあるのでしょう。それをつきつめると面白いことになるような気がします。なんとなくですが、身体性に深く関わる生活感情・宗教感情・宇宙感覚に根ざしているものが多いのではないかと感じます。

ちょっとずれますが、語源って、本当に興味深いと思います。

たとえば、「いかづち」。「いか」は「いかつい」「いかめしい」の「いか」に通じているようで、形容詞「厳し」の語幹だそうです。「づ」は助詞の「つ」で、「ち」は、「おろち(大蛇)」「みなち(水霊)」「つち(土)」「ち(血)」の「ち」と同じく人並み外れた過剰な生命力・霊力を意味するそうです。漢字を当てれば「厳つ霊」となるとのこと。つまり、畏怖・敬服の念を起こさせるスーパー・パワーの意で、大蛇とか神様とかをばくぜんと指していたのが、後に、雷を特に指す言葉になったそうです。これは、むかし塾を経営していたときに雇っていた女の先生が国文学出身で、万葉集の話をしているときに教えてくれたことです。古代の人々の生活感情を垣間見る思いがしませんか。雷はおそらく「神(あるいは上)鳴り」で、その読み方に古代の痕跡を留めているのではないでしょうか。

とりとめもないのですが、今日はこんなところで。


*****

シリーズの10回目です。これでとりあえず終了です。小浜逸郎氏には、内容の確認・精査で多大のお手数をおかけしました。ありがとうござます。また、あまり一般的とは言えないテーマに最後までおつきあいいただいた皆様には心から感謝申し上げます。

しばらく時勢と一定の距離を置いて、小浜氏との対話に心静かに没頭しました。これからまた、喧騒の渦巻く「娑婆」に戻って、声の続く限り咆哮しようと思っています。なにせ、もともとブログ名が「オレにも言わせろ」というお世辞にも上品とは言えないものですから。らしく、しなくちゃね。

☆☆☆☆☆

美津島明様

「大前研一批判」、読みました。ただただ感嘆いたしました。エネルギーとスピードがすごいですね。とはいえ、やはり私の経済音痴は克服できないので、前半に関しては美津島さんの論理についていくのがやっとです。自分で見破ってみろと言われたら、たぶんできないと思います(だまされてしまいそうです)。

ただ、後半の大前のひどさについては、私でもわかりました。要するに彼は「デフレ不況」の状況認識を同語反復しているに過ぎないのに、あたかも正当な因果関係論理であるかのように偽装しているということですよね。そうして「少子化」などという受け狙いの「自然現象」を、何の根拠もなく飛躍した「原因」として持ってきて、説得力があるかのように大衆を欺瞞している、ということだと思います。

ひとつ、緊急時には、マクロ経済を動かすことが唯一可能な中央集権(時には独裁)こそが必要とされるのだ、という理念的な正当性は十分理解できるのですが、そういう正論をきちんと理解し、実行にまでもっていける政権担当者や優秀な官僚の出現をいまの日本で期待できるのか、という点で、国民は絶望感と不安を深めており、まさにそのために、大前や橋下のようなインチキ野郎たちに付け込む隙を与えてしまっていると思うのですが、この点についてはいかがでしょうか。

いやいや、この質問が美津島さんの現在の闘志に冷水を浴びせることになるのではないかと恐れます。無視していただいてけっこうです。

それにしても、美津島さんのこの間の仕事は一級の価値があると、私は身びいき抜きで思っているので、何とか「本」の形で報われるといいですね。これまで出版社四社の編集者に紹介はしているのですが(みな消費税増税反対論者です)、まだお声はかかりませんか(笑)。でも、私などが動いても限界があります。これだけ力のある論考なら、編集者の誰かが必ずマークしているはずで、もしそうでないなら、編集者全体が衰弱している証拠でもあります。切ない状況ですね。

「ブログ異論」のやり取りに関しては、さっそくに誠実なお返事を頂き、恐縮です。大森荘蔵に対する私の批判をよくご理解いただき、しかも的確に、手際よくまとめてまでくださるとは。

大森については、じつはもっと根本的な批判をしており、言哲で彼を紹介した折にはけっこうイカレていた部分もあったのですが、よくよく読んでみた後のいまの時点では、7:3くらいの割合で、この人はダメだなと思っています。いわゆる「哲学者」特有の視野の狭さを示しており、また、戦後思想の限界も露出しているようです。彼の「心」論などは、すでに60年も前に和辻が、まるで事態を予見していたかのように、完膚なきまでに粉砕しているのです。この事実は、戦後思想家、丸山、吉本、大森と、戦前の思想家、和辻、小林、時枝を比較した場合、戦前のほうがずっと優れていた、という残念な結果として現われています(というのは、まあ、私個人の恣意的な評価ですが)。

この評価が正しいとすると、そこにはどうも社会状況的な理由がありそうです。それについてはそんなにきちんと考えていないので、また機会を改めて。

今回、言葉の問題について、いろいろと有意義な示唆を与えていただいたのですが、それについてお返しをしていると、また相当時間をかけなくてはならないので(それは私にとっても必要なことでもありますから、煩をいとうているわけではありません)、少々待っていただいて、続編を送ります。


*****

小浜逸郎様

ご返事ありがとうござます。追加がおありとのことですが、とりあえず返信いたします。

〉前半に関しては美津島さんの論理についていくのがやっとです。自分で見破ってみろと言われたら、たぶんできないと思います(だまされてしまいそうです)。

これは、けっこうショックでした。プロの読み手の小浜さんに苦労をかけてしまうような読み物だったら、一般人には到底無理、ということになるでしょう。「市民のための経済学」などとブチ上げておいて、情けないこと限りない。

まだまだ、経済について分かっていないことが多いのでしょう。分かっていないから、読む人に負担をかけてしまうのでしょう。本当に分かっている人は、アダム・スミスのようにごく平易な言葉使いで世界の見方をひっくり返してしまいますね。

私には、分かっていないことを分かっていないと認めるだけの率直さがまだ残っていますから、できうるかぎり善処いたします。ご指摘、ありがとうございます。

〉ただ、後半の大前のひどさについては、私でもわかりました。要するに彼は「デフレ不況」の状況認識を同語反復しているに過ぎないのに、あたかも正当な因果関係論理であるかのように偽装しているということですよね。そうして「少子化」などという受け狙いの「自然現象」を、何の根拠もなく飛躍した「原因」として持ってきて、説得力があるかのように大衆を欺瞞している、ということだと思います。

おっしゃるとおりです。これだけ明晰に批判の論点を整理していただけると助かります。もし、大前氏が大真面目にこんな論理の破綻したことを堂々と自信を持って言っているのであれば、彼は普通の意味で頭が良くない人であることになってしまいます。もし、ワザと論理のめちゃくちゃな論を世に垂れ流して一定の効果が生じるのを期しているのであれば、悪質なソフィストと言えるでしょう。どちらが正しくても、彼のデフレ論は殲滅されなければなりません。影響が大きすぎるので。

〉ひとつ、緊急時には、マクロ経済を動かすことが唯一可能な中央集権(時には独裁)こそが必要とされるのだ、という理念的な正当性は十分理解できるのですが、そういう正論をきちんと理解し、実行にまでもっていける政権担当者や優秀な官僚の出現をいまの日本で期待できるのか、という点で、国民は絶望感と不安を深めており、まさにそのために、大前や橋下のようなインチキ野郎たちに付け込む隙を与えてしまっていると思うのですが、この点についてはいかがでしょうか。

私は、そういう人が現に少なからずいるのではないかと思っています。国会議員さんの中に(民主党の中においてさえも)、そういう人は散見されます。名前を挙げると、私が知っているだけでも、民主党系では馬淵澄夫、金子洋一、宮崎岳志、松原仁(心意気を買って)、長妻元厚労省相(リターンマッチの情念を期待して)、新潟県の泉田知事(とても賢い人です)、自民党系では、森まさこ、西田昌司、山谷えり子、稲田朋美、高市早苗、林芳正、共産党では佐々木憲昭、たちあがれ日本では平沼さんと園田さん(いずれも年を食っていますが)などそうそうたるメンバーがそろっています。ただし、彼らにはいまのところ実権がまったくない。それこそが問題ですね。彼らの周りには、想像ですが、良質な官僚たちが集っているはずです。だから、世論の援護射撃が必要なのではないかと思っています。良き世論の形成は、まともな知識人の仕事のうちとても大切なものですね。

〉それにしても、美津島さんのこの間の仕事は一級の価値があると、私は身びいき抜きで思っているので、何とか「本」の形で報われるといいですね。これまで出版社四社ほどに紹介はしているのですが(みな消費税増税反対論者です)、まだお声はかかりませんか(笑)。でも、私などが動いても限界があります。これだけ力のある論考なら、編集者の誰かが必ずマークしているはずです。

そこまでしていただいているとは。言葉もないくらいに感謝します。出版の話があればそれはもちろん掛け値なしに嬉しいです。けれども、それがなくてもこのブログはやり続けようと思っています。小浜さんのように声援していただける方がいらっしゃるので、心強いこと限りない思いです。

〉この事実は、戦後思想家、丸山、吉本、大森と、戦前の思想家、和辻、小林、時枝を比較した場合、戦前のほうがずっと優れていた、という残念な結果として現われています(というのは、まあ、私個人の恣意的な評価ですが)。この評価が正しいとすると、そこにはどうも社会状況的な理由がありそうです。それについてはそんなにきちんと考えていないので、また機会を改めて。

これは、日本思想のとてつもなく大きな問題であるような気がします。戦後思想の「思い込み」を木っ端微塵にしてしまうとてつもない知的「暴力」を感じます。このことと、「戦後日本の唯一の達成は、人命尊重のヒューマ二ズムが一般国民において根付いたこと」という、私が小浜さんと共有している戦後評価とはメダルの表と裏のように感じています。

言葉の問題については、小浜さんからの追伸があるとのことなので、今回は触れない方がいいようですね。

*****

美津島明さま

まず、私が、美津島さんの論理についていくのがやっとだった、と申し上げたことについて。

> これは、けっこうショックでした。プロの読み手の小浜さんに苦労をかけてしまう ような読み物だったら、一般人には到底無理、ということになるでしょう。「市民のための経済学」などとブチ上げておいて、情けないこと限りない。

プロの読み手、と評価してくださることはありがたいのですが、こと経済に関しては、基礎もわかっていない本当にダメな読み手なのですよ。なんとケインズもほとんど読んでないので、あきれた読み手でしょう。単純にそういう私固有の理由で苦戦したということなので、書き手である美津島さんがそんなに謙虚にならなくていいと思いますよ。貴兄は、これまでの論考で、田村秀男さんの論理を援用しつつ、やさしくわかりやすく、繰り返し繰り返し噛み砕き、しかも面白く書いてくださっているので、デフレ時の増税がいかに国際常識、経済学の常識にも背反するナンセンスであるかについては、十分理解できているつもりです。

> もし、大前氏が大真面目にこんな論理の破綻したことを堂々と自信を持って言っているのであれば、彼は普通の意味で頭が良くない人であることになってしまいます。もし、ワザと論理のめちゃくちゃな論を世に垂れ流して一定の効果が生じるのを期しているのであれば、悪質なソフィストと言えるでしょう。どちらが正しくても、彼のデフレ論は殲滅されなければ なりません。影響が大きすぎるので。

これはどちらかと問われれば、やっぱり前者なのではないかな、と思います。ことほどさように、心理が同時多元的に作用する経済という魔界に、論理の楔を打ち込むのは、けっこう難しいのではないでしょうか(音痴の自分を自己正当化しているみたいですが(笑))。

現実に切り込むための人間の論理の道具というのは、「因果関係論理」と「二元論」と、二元論の克服としての(やや怪しげな)「弁証法」くらいしかない。ことに現在のような金融資本が主役で、その動きが実体経済と遊離してしまっている時代になると、何を「因」として押さえれば適切な分析となるのかは、私などにはお手上げです。専門家であるはずの経済学者たちの結論も、ずいぶん前からバラバラですよね。

で、この問題(何をポイントとして重要視すべきか)は、この魔界に究極的な「真理」の力学が隠れているというよりは、むしろ新しい経済思想を創造するという問題なのではないか、と、素人の私などは考えてしまいます。つまり、「価値自由の法則」を貫く分析などはありえず、分析がそのまま、一つの価値観、思想の提示になるのではないか、と。

美津島さんもおそらくその線に沿って論を展開されていると思います。前回の、「市民化された経済学」の創出に闘志を燃やす文面にも、今回のメールにもその気迫を感じましたので、どうぞ私の水差しなど気にせずに突き進んでください。わかる人にはちゃんとわかるように書かれていると思います。

ただ、経済となると、やはり「音痴」が多いのも事実で、みんな理解(創造的理解)を諦めているようで、だからこそ「専門家」と称する百鬼夜行の世界になってしまうのですね。こういう世界で鬼たちをなぎ払い、説得力ある論理、理論を打ち立てるのは、さぞかしたいへんだろうなと推察いたします。それでもがんばっている美津島さんの情熱と心意気に改めて心から声援を送ります。

中央権力を、責任をもって担いうる人がいるのかという問題について。

> 私は、そういう人が現に少なからずいるのではないかと思っています。ただし、彼らにはいまのところ実権がまったくない。 それこそが問題ですね。彼らの周りには、想像ですが、良質な官僚たちが集っているはずです。 だから、世論の援護射撃が必要なのではないかと思っています。 良き世論の形成は、まともな知識人の仕事のうちとても大切なものですね。

まったくそのとおりですね。こういう大切な原則を再認識させてくれたことに関して、とても心強いものを感じます。加えて、貴兄がよく政治家の言論を調べているのに感心しました。

蛇足ですが、今日たまたまラジオで国会質疑を聞いていて、どうも自民党の心ある議員たちは、「消費税増税」が悪政であり、財政再建よりも景気刺激策のほうがはるかに喫緊の課題だということにうすうす気づき始めているのではないか、という印象を持ちました(ただし、増税が税収入の増加に繋がらないという肝心な点を質疑で公然と指摘する人は誰もいないようです)。といって、自民党全体でいまさら増税路線を引っ込めることはできないので、この党はジレンマに陥っている感じです。

戦前の思想家のほうが優れているという私の指摘について。

> これは、日本思想のとてつもなく大きな問題であるような気がします。このことと、「戦後日本の唯一の達成は、人命尊重のヒューマ二ズムが一般国民において根付いたこと」という、私が小浜さんと共有している戦後評価とはメダルの表と裏のように感じています。

これもそのとおりですね。ここはとても考えどころのような気がします。粗雑な類推ですが、苛酷な帝政ロシアで、世界最高水準の文学が生まれましたね。戦後の冷戦下の日本では、一人ひとりは必死にがんばっては来たのだが、無意識のうちにその大局的な構造に安住して(東か西か、左か右かのどちらかに依存して)、本当の創造性が殺がれてしまい、ついに混乱、中途半端、矛盾した思想しか生み得なかったのではないか、と、そんなふうに思います。ここに、敗北の後遺症としての生命価値の過剰な(と、今回はあえて言いますが)尊重という傾向も絡んできますよね。

この間話し合ってきたことと矛盾するようですが、艱難、汝を玉にす、とか、家貧にして孝子いづ、というようなことが、ある特定社会の内部でも一定程度までは成り立つような気がするのですが(あくまで、これは比喩としてです)。もっとも、北朝鮮で優秀な思想が生まれつつあるとはとても思えませんが(笑)。

さて、たまたまロシア文学に触れたところで、先の貴兄の問題意識の一つにうまく接触できたようです。

> 確か『カラマーゾフの兄弟』のイワンが大審問官のところで「神がいなければすべてが許される」というテーゼを提示し、それについて深く思い悩む自分の姿をアリョーシャに晒しますね。イワンの悩みは、理屈ではそれなりに分かるような気がするのですよ。でも、神という唯一神あるいは絶対を失うことによる世界崩壊への畏れ・おののきの深度をまったく共有できないと当時も思いましたし、いまでもそうです。

このご指摘については、二つのことを考えました。

①イワンは、一見悪魔的なことを言うように見えて、きわめて知性的・倫理的なキャラですね。アリョーシャの信仰があまりに初々しく素朴なので、それに対する近代的な懐疑を意識的に対置して、ギリシャ正教の風土における「神」問題の難しさ、ややこしさを喚起させたのだと思います。ドストエフスキーの緊張感ある内的な対話を聞く思いがします。

ところで、「大審問官」のくだりで印象的なシーンが二つあります。粗相をした幼女が親からウンチをなすり付けられてトイレに閉じ込められ、泣きながら「神ちゃま」と手を合わせるケースを取り上げて、「こんな神様なんか犬に食われろだ」とイワンが言う場面が一つ。もう一つは、異端糾問の盛んなセビリアにイエスがひそかに現われたのを大審問官が見破り、「お前は大衆というものを過大評価しすぎて彼らに自由を与えたつもりだが、彼らは自由よりはパンを欲するのだ。お前は余計なことをした」という意味のことを言ってイエスを非難し、イエスはそれに言葉では答えずただ接吻を返した、とありますね。

イワンは、簡単に言えば、「内面の自由」とか「絶対的理想」の象徴としての「神」と、現実の生活感情、欲求、慣習、道徳、情愛などのリアリティとを鋭く対置させて、そういう論理形式によって自分の悩みを表現していたのだと思います。そう考えると、文化的な違和感は多少あるかもしれないけれど、吉本さんが「関係の絶対性」なる観念の前で佇立(ちょりつ)したのと同じで、けっこう普遍的な思想テーマを突き出していると思うのですよ。

*「関係の絶対性」は、故吉本隆明氏の『マチウ書試論』にある言葉です。吉本思想に関心を持つ人たちの間で、とても有名な言葉でもあります。この、詩的直観に貫かれた言葉の意味については、論者の数だけの受けとめ方があるというよりほかはありません。差し当たり、倫理的な孤立を強いられた者が、自らの反逆の根拠を求めるうちに突き当たらざるをえない思想的難所を指し示す言葉であると申し上げておきます。私見によれば、近代日本で初めてそれに突き当たった存在は、二葉亭四迷『浮雲』の主人公文三です。(編者注)

②文化的な違和感の問題ですが、私は最近、親鸞をやっていて、つくづく思うのですが、鎌倉仏教、ことにひたすら称名念仏を勧める浄土教のそれは、限りなく一神教に近いという印象を持ちます。偶像崇拝に対する否定的な言及もあるし、依拠している、大乗仏典の浄土三部教のうち、ことに観無量寿経において浄土のすばらしいありさまを五感による想像力を駆使して絢爛と描き出したシーンに対しては、法然も親鸞もほとんどまったく興味を示していないのですね。阿弥陀様への深い信仰心だけが、唯一のよりどころです。私には、この絶対信仰のあり方は、イエス、ルター、カルヴァンなどと共通していると思えてなりません。

これは不思議といえば不思議で、というのは、遣唐使廃止以後の平安の世では、鎖国に近い状態が三百年も続き、あまり文化の東西交流が盛んな時代ではなかったにもかかわらず、その閉鎖的な日本で仏教が独自の発展を遂げ、その究極的な結果として末法思想の極限としての法然・親鸞の登場となったわけです。イエスの登場、原始キリスト教の成立と時を隔てること、およそ千年です。

で、何が言いたいかというと、橋爪・大澤両氏の『ふしぎなキリスト教』は、ことさら日本人の感性にとってユダヤ=キリスト教、イスラム教などがいかに「ふしぎ」に見えるかというその秘密を読み解くというところに主眼を置いた本ですが、いま私が述べたことを考慮に入れると、じつはそんなに「ふしぎ」ではなく、ちょうどヨーロッパに発したとされる「近代文明」なるものが、今では全世界に広がって(たとえば公式的な場面でのスーツ、椅子、テーブル)、どこでも同じような方向に向かっているのと同じように、この東西共通の現象には、一種の歴史的必然のようなものがあるのではないか、ということです。その心は、と問われるなら、一応、ヘーゲルの言う「人間はみな自由を求め、それを現実化していく存在だ」という本質規定に求められるのではないでしょうか。こう考えると、先の貴兄の、イワンの悩みに対する違和感、西洋の言語文化に対する壁や断絶感(もちろん、私もそれを共有していますよ)も、多少は減殺されるのではないでしょうか。

言語の問題について。

> ちょっとずれますが、語源って、本当に興味深いと思います。

そのとおりですね。これに続く、「いかづち」の解釈、とてもおもしろいですね。これを読んで、柳田がけっこうこの種のことをやっていたのを思い出しました。彼が指摘していたのでおぼえているのは、「柵(さく)」「迫(さこ)」「境(さかい)」などが、村のはずれの極まったところ、テリトリーの内側と外側を隔てるところ、という概念で共通しているという例です。これらは、地名、人名などにも反映しています。長野県に佐久という土地がありますね。境港、大阪府堺市などもたぶん同じでしょう。

考古学的な根拠はありませんが、私が思いつきで引いてきた例に、「話す」「離す」「放つ」は、語源的に同じではないかということ、「語る」と「騙る」は両者相まって言語の本質を言い当てているのではないかということ、また、これはまだ言っていませんが、「音」「訪れる」は、もともと同じ概念ではないかということ、などです。

こう考えてくると、「辞」にかぎらず、「詞」においても、古代人の生活感情からして共通していると感じられた概念には共通の音韻を当てた、ということもかなりの程度で言えそうな感じがしてきますね。ただ、この種の問題に興味を持ち出すと、前にも書きましたが、怠け者で教養のない私としては、なんだか途方もないことに手をつけてしまうような気がして、正直、げんなり、です(笑)。

今日は、このくらいで。

*****

美津島明さま

ブログエントリー42と43、(「非ケインズ効果」についての議論―編者注)読みました。前回のお返事を待たずに、もう一つ送ります。

いやいや、美津島さんの敵たちの飛躍した論理(没論理)、ひどいものですね。特に、国民が政府の財政危機を本気で心配しているとか、増税によって長い目で見れば景気は回復するなどといった滅茶苦茶な展開、どうしようもないですね。

政府、財務省、日銀は、言ってみれば貸主をだまして借金を踏み倒そうとしている狡猾な借主と同じで、詐欺師や泥棒の手口と変わらないと言っても過言ではありませんね。彼らのフトコロ事情を、どうして貸主である一般国民が心配してやらなくてはならないのでしょう。

この人たちの最大の問題は簡単なことで、要するに、普通の国民の生活意識、生活感覚に対する想像力をまったく喪失しているということでしょう。でも経済学って、本来、国民一人ひとりの生活を豊かにするにはどうすればよいか、という問題意識から生まれた学問ですよね。それが権力村に媚びるだけのこんなていたらくでは、ほんとうに学問の名が泣きますね。

経済言論界における逆境にめげず、がんばってください。味方も少しずつ増えていると思います。三橋貴明さんが、貴兄が引用されているのと同じ趣旨の新刊を出したようですね。

『日本は「国債破綻」しない! ソブリンリスクとデフレ経済の行方』実業之日本社
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批評家・小浜逸郎氏との対話Ⅱ (イザ!ブログ 2012・6・4~6・6 掲載分)

2013年11月19日 20時34分52秒 | 対話
私は、小浜氏に、思想的な営為において使う言葉の孕まざるを得ない矛盾・限界についてお尋ねしました。対する小浜氏は、それを「頭と身体の矛盾」のようなものという言い方でうまく言い当ててくれました。

そこから、私の思考は、どう返事を書こうかと思案するうちに、夏目漱石が指摘した(言葉は正確ではありませんが)「近代そのものの性急さと、日本が近代を西洋から移植することにまつわる性急さの二重性」という日本近代特有の問題に及びました。さらに、小林秀雄がプロレタリア文学の累々たる思想的屍(しかばね)を目にしながらつぶやいた言葉のいくつかが自ずから浮かんできました。次の返信は、そんな状態で送ったものです。

日本近代の特殊性はマイナス・イメージで語られるのが一般的であり続けてきました。そういうものと言い切れるものでもないだろう、というのが私の返信の主旨です。つまり私に、「頭と身体の矛盾」を強いる歴史的背景の可能性としての肯定的な一面に目を向けようと試みたのが以下の文面です。

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小浜逸郎様

私の、自分でも何を気にしているのかいくぶん不明なところを抱えたままの問いかけにして、これ以上はないような誠意にあふれたご返事をいただけたことを、心の底から嬉しいと思っています。

小浜さんの、「ぎりぎりの回答」に対して、私がお返しできる言葉は、それほど多くありません。

だから、無理やり話を広げようとすることは慎んで、一つだけお伝えしておこうと思います。

仕事帰りの電車の中で、小浜さんのメールの内容を頭の中で振り返るともなく振り返っていたら、脳裏に小林秀雄の『私小説論』のなかのあの有名なキー・ワードである「社会化された私」がひょっこりと浮かんできました。そうして、その言葉が、これまで とちょっと違うニュアンスを帯びているように感じられたのです。

確かその言葉は、ルソーの『告白』を取り上げたところで、「ルソーはたしかにここで 私の告白をしている。ただし、その私は、あらかじめ社会化された私なのだ。」という ふうな言い方がされていたと記憶しています(本がどこにあるかすぐに探し出せないので不正確ですみません)

そこから後は、読者が勝手に補助線を引いて、その真意をさぐるほかないような感じではなかったでしょうか。

私は、これまで「だから、西欧での告白は、日本のように私小説にならないのだ」という理解の仕方でした。

さらに、「だから、社会化されない私の告白としての、日本の私小説は、近代小説たりえないのだ」と小林は言おうとしていると、私は考えていたような気がするのです。

むろん、小林秀雄が「だから日本の私小説はダメなのだ」とまでは言っていないのは確かです。

しかし、私小説を積極的に評価する、ということでもなかったと記憶しています。

ここからの話は、私小説から離れます。

「社会」という言葉がsocietyの翻訳語であることから分かるとおり、「社会化」という観念的な営為は、とりあえずは日本の歴史・習慣とは切れた、意識的さらには人工的なものではないかと思うのです。その営為の繰り返しによって、ある程度は日本の精神風土に根付くところがあることは思いますが、翻訳語であるという出自はどうしてもその痕跡を残すのではないでしょうか。

とはいうものの、他方では、国際社会の中で日本がまともな形で、つまり独立国として生き残っていくには、 とにもかくにも、資本主義経済を発展させなければならいないし、政治制度もそれに対応した近代的なものに切り替えていかなければならないし、絶えず更新しなくてはならないというリアルな圧力を、私たち日本人は庶民レベルにおいてもこれまで感じ続けてきたのではないでしょうか。

だから、いくぶん「他所行き」の着心地がしても、日本の「私」は「社会化」に対していやいやながらも開かれ続けてきたし、その舶来の着物を身にまとおうとも努めてきました。

また、そのことで、(第二次世界大戦における敗北という大きな代償を払いながらも)豊かな社会を獲得するという大きな国民的な成果を得ることにもなりました。

私はなにを言いたいのか。

欧米人にとって歴史的・習慣的であるがゆえにほとんど無意識的な「社会化」が、日本人 にとっては、そうではないがゆえに極めて意識的・自覚的なものとなるからこそ、「社会化」されない残余の「私」の領域についての感知が、そっくりそのまま豊かに残されているのではないかと言ってみたいのです。

だから、吉本さんによって(おそらく近代世界思想で)はじめて「共同幻想」と「対幻想」の峻別が思想として明確に打ち出されることにもなったし、個人的なレベルでは、私がこれまで述べてきたような、思想上の居心地の悪さを小浜さんに訴え、小浜さんからそれに対して、深い明晰な言葉で感応してい だくことにもなったのではないかと思うのです。

この、「社会化」されない残余の「私」の領域について、そこをprivateという個人主義的な硬い言葉・ニュアンスで塗りつぶしてしまいがちな(と私には思える)欧米人の感度には、正直なところ、あまり豊なものが感じられません。この領域を語る微細で繊細な言葉を、かれらはあまり持ちあわせていないような感じがするのです。

もしかしたら、ここは日本人の独壇場なのかもしれないと思ったりもするのです。大きな世界思想が生まれる、生き生きとした沃野を私たちは手にしているのかもしれない、と。

「春雨じゃ、濡れて帰ろう」。これについて、欧米人も分かるような語りができたら、世界はその分豊かになりますよね(笑)。

小林秀雄が直観的に掴んだものを、知的に掴みなおす入口に私たちが立つことができる ほどには、歴史には進展があったのかもしれませんね。

大風呂敷を広げてしまいました。このあたりで終わります。


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その後すぐに小浜氏から返事が来ました。

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美津島明様

間髪をいれずにお答えする私の性急な癖に辟易するようでしたら、どうぞ、十分な間合いを取ってください。

日本が近代化に当たって、不慣れな「社会」概念をそれなりに消化しつつ、やっぱりいくぶんの消化不良を残してきてしまった、そしてその「澱」のようなものをよく見つめることには、それなりに深い意味があるということ、これはそのとおりと思います。

> 欧米人にとって歴史的・習慣的であるがゆえにほとんど無意識的な「社会化」が、日本人 にとっては、そうでないがゆえに極めて意識的・自覚的なものとなるからこそ、「社会化 」されない残余の「私」の領域についての知が、そっくりそのまま豊かに残されているのではないかと言ってみたいのです。この、「社会化」されない残余の「私」の領域について、そこをprivateという個人主義的な 硬い言葉・ニュアンスで塗りつぶしてしまいがちな欧米人の感度には、正直なところ、あまり豊かなものが感じられません。この領域を語る微細で繊細な言葉をかれらはあまり持ちあわせていないような感じがするのです。もしかしたら、ここは日本人の独壇場なのかもしれないと思ったりもするのです。大きな世界思想が生まれる、生き生きとした沃野を私たちは手にしているのかもしれない、と。

この指摘もそのとおり、と拍手を送りたいのですが、本当の問題は、私たちが西洋文化を摂取するその仕方に、もともと当然の限界がある、ということなのではないかとも思うのです。文化的な伝統がこれだけちがえば、一種の誤解のようなものが生まれるのは、いたし方のないことですよね。

じつは、私たちが把握できないところで、彼ら西洋人も、「微細で繊細な」感性を持ち合わせているのではないでしょうか。そうだとすれば、だからこそ、私たち日本人の感性を言語化して、それを人間の普遍的なあり方として世界発信する意味もあろうというものです。

貴兄がこの前、ブログで茂吉の短歌を取り上げて詳しい分析をされていましたね。じつは私も、「七人の思想家」の大森荘蔵の章で、期せずして子規、晶子、定家の短歌を取り上げて、同じような分析をしてみたのです。これは、大森に対する批判の文脈のなかでです。

要するに、大森は、「心と物」の二元論的枠組みにはまっていて、前者を否定して後者に「心」のありどころをすべて明け渡すという極端なカウンター論理に落ち込んでいる。いわゆる「西洋哲学的枠組み」を一挙に破壊しようとの問題意識が強すぎる分だけ、文学的感度が足りないのです。

*上記の「西洋哲学的枠組み」とは、主観(心)-客観(物)の二元論のことです。近代西欧哲学の歴史とは、この、哲学的な基本的前提をめぐっての、言語による格闘の歴史であると申し上げても過言ではないでしょう。また、「主観-客観」問題を「存在」問題と言いかえることもできるでしょう。そういう意味で、近代西欧哲学は、これまでずっと「存在」問題を中心的なテーマとして展開されてきたともいえるでしょう。つまり、「存在物」を「存在物」たらしめる「存在」とはいったい何なのかをうまく言い当てる説得のゲームを繰り広げてきた、と。大森氏は、そのような、近代哲学を根のところで規定してきたものを一気に乗りこえようとしてちょっと力あまって自ら土俵を割ったところがあるのではないか、というのが小浜氏のお話ではないかと思われます。

自然詠そのものを「通して」心を表現するというのではなく、自然詠と見えるものが、じつは高度な技巧に裏付けられて、そのまま「心」の表現にもなりえている、というのが短歌芸術のひとつの粋である、と私は思います。

で、こういう繊細かつ微妙な世界感受というのは、私たちが西洋人のそれを十分に把握できないだけで、じつは西洋人の生活感覚の中にもあるのではないか、というのが私の想定です。

思いつくままに、一例を挙げます。

私は、スティーブン・キングの『スタンド・バイ・ミー』に感動するのですが、あの作品で、小学校高学年の子どもたちが、なぜ同年齢の子どもの死体が放置されているという情報を得たために、あれほど興奮して、親をだましてまで長旅を覚悟でそれを見に行こうと決断するのか。学校生活に飽きたらず不良ぶっている思春期前期の浮遊した境地にある少年たちならば、日本人でも必ずそういう衝動を抱くと、私には思えます。彼らは、自分たちだけの濃密な生活感覚の共有を通して、規範とは無縁な形で、いわば裸形の「死」、人間は死ぬものだという切迫した直感に大きく支配されてしまった。

むろん、この事情は、彼らアメリカ人の家庭環境が、日本以上に壊れていることに大きく関係していることはたしかなのですが。これらを見事に表現しているこの作品は、人間の普遍的な「症状」の提示を成し遂げているがゆえに、私たち日本人にも共感を喚起することに成功していると思えます。

つまり、月並みな言い方ですが、文学、芸術は、政治思想、社会思想に比べれば、相対的に、「国境を越える」ことがより深く可能なのではないでしょうか。そういうことを、日本思想の世界発信という逆の立場から見るならば、貴兄の指摘するとおり、わが日本人の伝統である「生き生きとした沃野」を存分に利用しない手はないですよね。

今日は、これくらいで。

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上記のなかの「じつは私も、『七人の思想家』の大森荘蔵の章で、期せずして子規、晶子、定家の短歌を取り上げて、同じような分析をしてみたのです」の箇所に該当する部分を添付ファイルで合わせていただきました。以下にそれを掲げます。これは、今年の9月をメドに出版される本の一部分を成すものです。

私が述べた形容詞論の要諦を箇条書きにしてみよう。

①形容詞は、人間が事態に直面したときに真っ先にその事態を表現する素朴で原始的な私たちの感性をそのまま保存している。

②時枝が示した、述語格こそが文の基本であって主語はその中から後に抽出されたものであるという認識は、私の形容詞観と共鳴するもので、時枝が文法的に「述語格」と呼んでいるものは、たとえ文法的に形容詞ではなくとも、形容詞句または、形容詞的陳述とみなすことができる。


*「時枝」とは、言語学者時枝誠記(ときえだもとき)のことです。主著は『国語学原論』です。上記の記述は同書中にあります。同書は、数年前に岩波文庫から出ています。ついでながら、今からふりかえれば、私は同書から決定的とも言える思想的な影響を受けています。(美津島)

③形容詞は、便宜的には、.対象の様態を表現するもの、.主体の心情を表現するもの、.両者の中間に属するもの、の三つに分類できるが、ととは相互に置換可能で、にこそ形容詞本来の機能が凝縮されて表されている。

さてこの観点から大森の右の主張を捉えなおすと、そこにやや粗雑で性急な決めつけの印象が目立ってくる。大森の関心は、自然を死物化から救い出して活き活きとした生命を吹き込みなおすというところよりも、どちらかといえば、「私の心の状態」という閉鎖系を否定してその扉をこじ開け、「心」なるものが本来、すべて自然の属性なのだという論理のほうに大きく引き寄せようとしているところにある。

もちろん、こう言えば、おそらく大森は、両者は同じことだと答えるであろう。だが、「陰うつな空」「陽気な庭」なる形容が可能であることだけをもって、自然のすべてが「有情」であり、「心的」なものであると規定するのは、いかにも極端である。というよりも、大森はここで、三つの点を見落としている。

一つは、世界の一定の様相に対してある感受なり認識なりが成立するためには、その世界内の一部として位置を占め、みずからも含めたその世界を把握する主体の存在という「項」(ハイデガーを借りれば、世界内存在としての実存、現存在)がどうしても必要とされるということ。

二つ目は、「陰うつな空」とか「陽気な庭」といった表現があくまでも「言葉」であり、そのような「言葉」が成立するのは、人間主体がその時々にこの世界を一定の「意味」として「切り取って生きている」証しであるということ、つまり、空が「陰うつ」であるのは、空が有情であったり心的であったりするからではなく、空と主体とが交流しているその交流関係の様相が有情であり心的であるのだということ。言い換えると、ちょうど先に指摘した形容詞の両面性が象徴しているように、あくまでも空が「陰うつ」であると同時に、「私」の気分もまた「陰うつ」なのであるということ。前章で挙げた例で言えば、「恐ろしいトラ」というとき、トラ自身が恐ろしい相貌をはじめから持っている(これが大森説の帰着するところである)のと同時に、「私」もまた恐ろしいと感じているのだということ。あえて言えば、トラと私との出会いという場面そのものが、トラと私とのどちらにも還元しきれない「恐ろしさ」という様相を作り出しているのだということ。

そして最後に、大森は、私的な「内心」の存在を否定するのに、ただ「自然物」との関係に限定して「心」という語を定義しつつそうしているのだが、この方法によって「心」を定義しかつ否定するのは、いかにも哲学者流の把握の狭さを代表しているということ。私の考えでは、「心」という言葉はもっと広い内包と外延(簡単に言えば人間同士が関係しあうときに現実性を持つ概念も含んでいる)をもっており、そのことに思いをいたすならば、「閉鎖的な心」を捨てる方向が、必ずしも「自然」にそれを全面的に明け渡すこととは一致しないということ。

ここでは、第一と第二の見落としについて、より詳しく論じるために、短歌表現を援用してみよう。

 くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の 針やはらかに春雨の降る   正岡子規
  金色のちひさき鳥のかたちして 銀杏ちるなり夕日の岡に     与謝野晶子
  見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ      藤原定家

いずれも名歌として名高い。しかし逐語的に意味をたどれば、この三首には「しっとりとしてしかも鮮やかなその姿に、みずみずしく洗われるような気分だ」だの「可憐でありながら華やかに散っていくものたちの美しさ、哀しさよ」だの「かやぶき小屋以外何もない秋の海辺は私の心と同じように寂しい光景だ」といった、私的な情緒を表す言葉はひと言も出てこない。それにもかかわらず、これらの歌がそうした人間の「心」を表現しているということに異論を唱える人はいないであろう。なぜそういうことになるのか。

普通、こうした歌は景物に託して作者の「思い」を歌ったものだとされる。しかしただ景物が散文的に述べられていても「思い」のすぐれた表現にはならない。そこには、まず韻文であるという条件を前提としながら、洗練された短歌に特有の言葉の技巧がいくつも込められていて、だからこそ読む人、聞く人の「心」に作者の真情が深く伝わるのである。ことに子規の歌などは、本人が古今集的技巧を排して「写生」を重んじるなどという歌論をものしながら、それとは裏腹に、最高度に技巧を凝らしたものだといってよい。

つまりこういうことなのだ。大森が述べているように、たしかに「自然」は単なる死物としての知覚対象ではなく、それ自体が活物性をもってはいるのだが、その活物性が活物性として見目鮮やかにあらわれるためには、私たち人間の、それも時にはとびきりすぐれた感性との出会いが不可欠なのである。言い換えると、大森の望むように自然の活物性をまざまざと復元せしめるためには、それと出会いそれに囲まれている私たち自身の「情」をも同時に洗練させることが要求されるのだ。

再び子規の歌について言えば、この歌には「ナ行」音が八回も出てきて、そのうち「の」音が効果的な場所に五回も使われている。さらに耳障りになりやすい擦過音や破裂音は「く」二回、「び」「ば」各一回と極端に制限されていて、それも「薔薇」の「ば」以外は周りの音たちに囲まれて自己主張をかき消されているふうである。こうした音楽的効果の妙が奏功して、一首全体のえもいわれぬしっとり感と「薔薇の芽」の鮮やかさとを演出しているのである。また「二尺」というまことに適切な長さ、「やはらか」を「針」と「春雨」との両方にかけている巧さなどはいうまでもない。写生といえば写生だが、テクニックに満ち溢れた超一級の写生なのだ。こうしてようやくのことで「物」と「心」との見事な調和が図られるのである。

結局、大森のように、「自然」の死物化と「心」の閉鎖との(極端な)二極分解を克服しようと思うなら、単に「自然」そのものが有情であり心的なのであるという論理をデカルト的二元論に対置するだけでは不十分なのであって、かえって、その有情であり心的である「自然」をそういうものとして認める私たち自身の感性、情、情緒、要するに「心」の存在が不可欠なのである。そのような出会いが実現しているとき、もはや「心」は、狭く閉鎖的なエアポケットに迷い込んでいるのではなく、私たちのものでありながら、同時に「物」に対して大きく開かれているのだ。しかるに大森は、二元論克服の情熱に性急に駆られるあまり、私たち人間主体の「心」の自立性を否定するところまで行ってしまったのである。

自然の活物化には、私たち人間という「立会人」がぜひとも必要なのであり、自然に意味(意趣、Sinn)を与え、その意味によってみずからもまた意味づけられるのは、立会人の「心」という、世界に対して閉じられもすれば開かれもする、特有のあり方である。そういう分節項を無雑作に「自然」のほうに押しやることによっては、けっしてデカルト的二元論を本当の意味で克服することはできない


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世界規模の欧米化という不可逆的な流れの渦中で、文化ギャップを日本人として思想的にどうとらえるかという一点に話がしぼられてきました。

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小浜逸郎様

いつものように遅れ気味の返事です。お待たせ(?)しました。

今回は、やや反論気味の内容です。

「社会化」されない「私」の領域についての微細で繊細な感性が洋の東西を問わない普遍的なものであり、そのことは主に文学において理解することが可能である、という小浜さんの言は、原則的・総論的にはそのとおりでしょう。私もまた普遍性という概念を手放したくないと思っている者ですから、それには賛成せざるをえない。言葉を世に向けて発することの最終的な根拠は、そこだとも思っています。それがなくて世に言葉を発する表現者を不誠実である、とさえ思ってもいます。

しかしながら、微視的に見ていくと、つまり表現の具体的な局面においては、そうとも言い切れない面があるのではないか、と思うのです。

それは、日本語には「助詞」があって、印欧語にはそれがないという言語の根本性質の相違に関わることがらです。

とは言っても、私は言語学の専門家ではないので、学術的にそれを語るのは無理です。「短歌」の英訳の難しさ・不可能性という具体的な表現問題のほんの一例をあげることで論を展開することをご了承願います。

たまたまインターネットで検索してみたら、格好の話の種があったので、そこから歌を一つだけら引用します。(この論文の全体がなかなか興味深そうです)
http://www.info.sophia.ac.jp/amecana/Journal/10-4.htm

この論文の筆者(サトウ・ヒロアキ)が一番最後に取り上げた、俵万智さんの『サラダ記念日』からの一首を引用します。

 いい男(ヤツ)と結婚しろよと言っといて我を娶らぬヤツの口づけ

筆者のコメントを次に載せておきましょう。

『サラダ記念日』には二種類の英訳があるようだ。ぼくが持っているのは、散文では安部公房や円地文子の訳で知られるJulietWinters Carpenterの訳の方。これは、出版社の講談社が翻訳者を公募するという異例の措置をとったものだが、カーペンターは訳の解説で、「短歌はしばしば“五行詩”と言われるけれども、これは誤解を招きやすい」と指摘し、「普通は一行で書かれるし、俵自身、短歌は一行詩と考えている」と述べながら、三行に訳している。

では、 Carpenter氏の訳を載せます。

“Marry a nice guy, now”
 says this guy, with a kiss,
 and doesn’t marry me.

筆者の訳は、次の通り。彼は、短歌の本質は一行詩であると主張し、それを訳業においてあくまでも守ろうとしている人のようです。(このこだわりは言語と情緒の本質にかなっている正しいものであると思います)

 Having said, Marry a good fellow, this fellow who won’t wed me kisses me.

私見によれば、佐藤氏の訳に軍配が上がります。佐藤訳には、本歌のこころを異言語に写し取ろうと格闘した痕跡がうかがえ、半ば以上それに成功しているように見受けられるのに対して、 Carpenter氏の訳はあまりにも形式的・説明的に過ぎると感じられるからです。

この短歌の訳の肝は、おそらく、本歌の「言っといて」という言い方に込められた、恋する者の、切なさと、若い女性の自然体のコケティと、いじらしい投げやりな感じとの複合的なものをどう訳し出すかにかかっています。(本歌の対句的な押韻の美しい響きを写し取るのも大切なことですが、それについては両者ともに十分に意識して訳しているので省略します)

言いかえれば、ここが「言っておいて」となると、意味は同じでも、短歌全体がニュアンスにおいて死んでしまうのだという表現の微細な差異についての感度の有無が、訳の成否を分けると思うのです。「言っておいて」と「言っといて」との違いは、辞書をいくらひっくり返してみても分かりようのない「助詞」問題の応用編のような、感性だけが頼りのとても高度な論点です。でも、これはごく普通の日本人がすんなりと分かることですよね。

おそらく、 Carpenter氏は高名な日本学者なのでしょうが、その感度が訳からは感じられません。なぜならCarpenter氏の訳は、「言っといて」が「言っておいて」になったとしても変わりようがないからです。

突き詰めていえば、欧米人には「助詞」の微細なニュアンスが分からないのではないかということです。(だって、もともとない、のですから)それが分からないということは、結局短歌の本質が分からないということを意味します。つまり、日本語による表現の本質が分からないことを意味してしまいます。(ここは、欧米人から逆襲されてしまいそうなところでもあります。「お前らには、一神教の「神」は分からない。「絶対」は分からない。「抽象」の本質は分からない」というふうに。)

ところで、歌人・歌論家のさいかち真くんによれば、歌人というのは、助詞一つの選択をめぐって血道を上げる「野蛮な存在」であるそうです。(ここでの「野蛮」は、一種の韜晦でしょうが)そうやって、歌人は、エロスの「前言語的な世界」をそっくりそのまま言語の世界」に置きかえるという表現上の難事を遂行し、控えめに言っても半ばくらいは、それに成功して来ました。

話を前回のところにまで戻します。

「社会化」されない「私」の領域についての微細で繊細な感性は、おそらく民族・文化の違いを超えた普遍的なものではあるのでしょうが、その領域についての言語的な表現は、助詞という言語的武器をたまたま手にし、「社会化」の歴史過程が意識的・人工的なものであった日本人に、控えめに言っても、やや有利に働くのではないかと、やはり思われてしまうのです。(無論、日本の文化的な優位性を誇示して危うく自己満足に陥ろうとする『新しい歴史教科書』的な構えは、欧米コンプレクスの裏返しのようで馬鹿げているし生産的ではないと思っています)

だから、日本の表現者には、前言語的な世界を言語に写しかえるという表現者としての本質的な課題とともに、助詞によって支えられたその言語的表現世界を助詞なき異世界へつなぐ文化的通路を見つけ出すというもう一つの課題があるのではないでしょうか。それが見出される度合いに応じて、ずいぶんと気持ちが楽になる人が出てくるような気がします。これは、近代化そのものが、人類に強いている本質的な「無理」「ストレス」に対する、表現上の解毒作用を、人類が意識的あるいは無意識的に必要としているのではないか、という議論につながっていくのかもしれません。

一事から、またもや大風呂敷を広げてしまったような気もしますけれど、とりあえずは、このくらいで。
(小浜さんが、そろそろこの議論を終わりにしたければ、遠慮なくそうしてください)


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美津島明さま

いやいや、なんのなんの、議論はまだまだこれからです(笑)。これは議論というよりも、よい刺戟を与えてくれる実り多い発展的な対話と考えるべきでしょう。私もしつこさでは引けを取らない質ですので、よろしくご覚悟を(笑)。「反論気味の内容」とは感じませんでした。むしろ共感できる部分が多いからです。

まず、やっぱり言語論になってきたな、というところで、現在の私のポジションからすると、これは願ってもない展開です。というのは、NTT出版からのオファーで、今月末を第一回目の締め切りとして、毎月ネットコラムをやることになっており、テーマが、和辻や長谷川三千子さんが追究しているのとたいへん重なる部分の多い、「日本語を哲学する」というものだからです。どう切り込むか思案中なのですが、今後の展開にとって、貴兄のご指摘はたいへん参考になります。

サトウ・ヒロアキさんのエッセイ、よく見つけましたね。英文の難しい部分は飛ばしてざっと読みましたが、なかなかすごい人ですね。藤井貞和の義兄というのにも驚きました。こういう人がいるんですね。短歌の英訳に関しても、この人の一行訳のほうが、欧米人の訳よりはるかに優れているということは、英語に暗い私でも何となくわかります。万智ちゃんの短歌についての貴兄の分析もなかなか見事と思います。

*藤井貞和 「父は折口信夫門下の国文学者で國學院大學名誉教授の藤井貞文。姉は歌人の藤井常世。1972年、『源氏物語の始原と現在』で注目される。2001年、『源氏物語論』で角川源義賞受賞。詩人として、1999年『「静かの海」石、その韻き』で第40回晩翠賞受賞、2002年『ことばのつえ、ことばのつえ』で藤村記念歴程賞と高見順賞受賞。2006年、『神の子犬』で現代詩花椿賞と現代詩人賞を受賞。2007年『甦る詩学』で伊波普猷賞、2008年『言葉と戦争』で日本詩人クラブ詩界賞受賞。2012年『春楡の木』で第3回鮎川信夫賞、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。1991年、湾岸戦争の際の『鳩よ!』の戦争詩特集を批判した瀬尾育生と論争をおこなった。」wikipediaより 

ガイジンの訳は、散文に直しただけで、印欧語のrhymeすら踏んでいません。こんな訳で短歌の深い「興趣」が通ずると思ってもらっては困りますね。その意味では、私たちは、たしかに言語文化の大きな壁にぶつかっているわけです。日本語の音韻が等時拍音(等間隔の手拍子をイメージすればよいでしょうー編者注)であるためにこそ音数律による定型の快感が生じるのだという基本的なことも踏まえていないようです。こんな雑な訳をみせられると、上田敏の『海潮音』、西洋の詩を日本の詩にしてしまうあのすごい工夫と労苦が泣くというものですね。

ところで、ここからが本題ですが、まず、どちらかの訳に軍配が挙がる、という事実をよく考えてみてください。この事実は、「異文化における言語疎通は果たして可能か」という古くからの問いに(この問いに完璧な形でYesということはできませんが)、ある肯定的な方向性を指し示すものではありませんか?

つまり、私たちは、理念としてそういうことが可能である、と考えて異文化言語と交流するからこそ、「よりよい訳」「よりまずい訳」という判定が曲がりなりにもできるわけで、サトウさんの努力と怒りは、その疎通可能性へ向かっての信頼によって支えられているのではありませんか? そして貴兄も私も、サトウさんの訳に軍配を挙げるのは、彼の努力が少しでも短歌の「興趣」を伝え得ていると感じるからではないでしょうか。

もしこの理念を片手に抱きつつ、異文化の言語を味わい、古典を味わって、そこそこの感動を得られるならば、その理由を私たちは、言語の背景をなし、かつその基盤ともなっている、各ラング以前の「普遍人間性」とか「人類学的等価」とか「人間存在の普遍性」とか「人間の基本生活感情の変わらなさ」といったものに求める以外ないのではないでしょうか。そのことは、貴兄も「総論」として認めてくれていますよね。

それで、この点に関して厳密に言えば、貴兄の今回の論は、「日本人の感性は素晴らしく、微妙で独特であり、そう簡単にガイジンなどにわかるはずがない、わかってもらっては困る」と言いたい気持ちと、「私たちはそれでも、よりよい訳、よりよい批評などを目ざしているところから見て、究極的な理想として、分かり合えるはずだ」という理念との両面を唱えていることになると思います。論理的にはこれは矛盾するのでは?

いま挙げた四つのまずい言葉のうち前二者(すなわち、「普遍人間性」と「人類学的等価」―編者注)は、じつは、本多秋五が吉本隆明と「批評の絶対基準」をめぐって小さな論争を交わしたときに、彼自身もまずい表現と知りつつ、苦しげにひねり出した言葉です。もしよろしければ、拙著『吉本隆明』p301~p310を参照していただければさいわいです。

*本多秋五は、「人類学的等価」と「普遍人間性」を次のような文脈で使っている。

私が批評の絶対的基準と考えるものは、いわば「人類学的等価」というべきものである。人類に役立つ度合が尺度である。(中略)傑作は万人の胸に訴える。すなわち、普遍人間性がまる裸かで存在することはありえないが、それにもかかわらず、普遍人間性は考えることができるし、また、考えねばならぬと私は思う。「人類学的等価」という場合の人類は、私にあっては、この普遍人間性に通じている。「人類学的等価」は、目に見える実在の月ではなくて、批評にとっていわばアコガレの象徴である。(吉本隆明『模写と鏡』より孫引き)


話は少し脱線しますが、この論争で、吉本は本多の説こうとしていることを誤読しています。吉本は、誤読の名人ですね。私がたしかめえたかぎりでも、親鸞、時枝、小林秀雄、ヘーゲル、そして、この本多秋五と、いくつも誤読を犯しています。親鸞にいたっては、看過できない思想的過ちを犯しています。自分の言いたいことをあまりに性急に強く押し出したいために、人の言い分を心静かに聴くということができない人だったのでしょう。

さて、この「批評の基準」「翻訳可能性」の問題(両者は私には類似の問題と思えます)に関しては、戦前の小林秀雄の時代にも同じような論争があったらしく、そのときは「批評の科学性は何によって保証されるか」という問いの形を取っていたようです。小林は、この問題に関する(おそらくはプロレタリア文学者たちの)甲論乙駁、決着のつかなさにうんざりしたようで、「私の答えは、批評が今日まで続いてきたという事実が、その科学性を証してあまりある、というものです」と言い切りました。これっていかにも小林らしい、謎と含みのある言い方ですが、よくよく考えると、やっぱりなかなかの答だと私は思います。

日本語の問題に話を転換しましょう。

貴兄は、助詞のあるなしで、生活の微妙さ、繊細さを表現できるかどうかが大きく違ってくるという趣旨のことを述べています。これは、日本人の私としては、そのとおりというほかはありません。要するに「てにをは」によって言語の骨格を形作っている日本語が、いかに日常生活の感覚、感情、情緒といったものに密着した精巧な言語たりえているかということで、時枝文法の詞辞論が、橋本文法の欧米型機能主義の日本語への当てはめに対して、その哲学的把握において一等上を行っているのも、むべなるかな、というところですね。こういう言語の優れた特性は、どんどん世界発信するべきだと思います。

しかし、それにもかかわらず、欧米圏の生活意識と言語との関係に精通しているわけではない私たちには、そもそも公平な比較というのは不可能なのではないでしょうか。そのことも押さえておく必要があると思うのです。

別の角度から、日本語の特性を思いつくままに挙げてみます。

①「いる」と「ある」の区別が欧米語にはない。

この指摘は菅谷規矩雄さんのオリジナルで、私はこれをパクって、少しばかりその意味について考えを深めてみました(拙著『エロス身体論』参照)。私の所論は、簡単に言えば、この区別は有情か非情かの区別ではなく、「いる」とは、この世界に私たちが何かとともに親しく「既往」するものとして住まっている、ということだというものです。主語が話者自身でなくてもそれは同じことなのです。この議論を人間学アカデミーでしたときに、貴兄が、「英語で言えば現在完了が近いのではないか」と質問されたのを、よくおぼえています。私は、「そのとおりです。私も同じことを考えていました」と答えたと思います。

②主語がない。

源氏物語に典型的なように、息の長い文の中で何回も「動作主、感情の主体」が入れ替わる。これは三上章が、一生かけて取り組んだテーマですね。三上の所論の当否については、再読してみないとわかりませんが、これでわかってしまう前近代の生活意識、表現意識の構造とはなんなのか、ということは、日本語を考えるに当たって、最重要な考察テーマのひとつだと思います。現在でも、話し言葉ではこの構造は依然として保存されていますね。

③「は」と「が」の違い。「は」とは何なのか。「が」とは何なのか。前者はほぼ解明されていると思いますが、後者「が」については、まだいろいろと謎が隠されているように思います。

④これに関連するのですが、「の」とは何なのか。「の」と「が」とはある場合に相互転換が可能ですね。「わが国」→「私の国」 「私の好きな曲」→「私が好きな曲」

⑤またまた関連するのですが、「辞」に関するかぎり、いろいろと品詞分類がなされてはいるものの、音韻が同じならばそこに込められた生活感情、生活思想はアルカイックな時代では同じだったのではないか、まったく出自が異なる音韻が偶然一致した(その可能性を否定はしませんが)ということは、じつはあまりないのではないか、という問題意識を私はもっています。これを解明することは、げんなりするほどたいへんだ、という気がしますが、どうもそういう直観がはたらくことだけは申し上げておきます。

「の」について諸例。

・わたしの本

・この人

・美しい日本の私

・それなのに

・高名の木登り

・秋の日のヴィオロンのため息の身に沁みて

・私が言いたいのは、

・どうしたの

・いい絵じゃのう

・そうはいうものの

・わたし、あの人嫌いなの

…………………

⑥敬語の問題。古語では、しばしば尊敬語が同時に謙譲語にもなりますね。この二分類を顔色なからしめる意識構造が日本人にはもともとあったのではないか。丸山眞男の「まつりごとまをす」(「政事(まつりごと)の構造―政治意識の執拗低音―」1985年)の分析が、なかなか刺激的です。これがうまく解明されると、人間が関係存在であるという私の「バカの一つ覚え」が、歴史的根拠を持つような気がしているのです。

⑦長谷川三千子さんが追究した「こと」と「もの」の問題。

⑧欧米語の断ち切り的な言い方に比べて、日本語の会話表現では文末に「ね、さ、よ」など、相手の気持ちを誘い出す表現が頻発する現象

まだまだあると思います。じっくり考えていこうかと構えています。

前回、貴兄と同じような短歌分析をしたと書きましたが、その部分を添付でお送りします。お暇がありましたらご笑覧ください。(これは当ブログで前々回投稿分に掲載しましたー編者注)

ブログはいつも楽しみにしながら見ています。ガルブレイスって、なかなかすごいですね。
コメント

批評家・小浜逸郎氏との対話Ⅰ (イザ!ブログ 2012・5・30~6・3 掲載分)

2013年11月17日 11時35分53秒 | 対話
当ブログ4月29日投稿分の『パラオと尖閣諸島  主権をめぐる一考察』について、批評家の小浜逸郎氏から、メールでコメントをいただきました。それをきかっけに、メールのやり取りがキャッチ・ボールのように続き、話が四方八方へ及ぶことになりました。実は、いまも継続中です。今回からシリーズで、それらを公開することにします。実名を載せるので、公開することおよび掲載内容について、ご本人のご了承をいただいています。

まずは、小浜氏の一通目のメールから。

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美津島明さま

ブログでの精力的な活躍ぶり、ただただ感嘆しております。

経団連批判、パラオ事件、茂吉の短歌読解など、政治、経済、文学と、縦横無尽の論及ですね。特に経団連批判には、大いに共感しました。「異議なし!」のひと言です。

ところで、パラオ事件に関する貴兄の文章にだけは、珍しくも少々違和感を抱きました。ブログの効果、ということを考えると、まあ、見過ごしてもいいようなものなのですが、ことが政治問題となると、私のほうがどうもセンシティヴになるようです。やはりここは、お互いに本音をぶつけ合ったほうがいいと思い、メールをしたためる次第です。ちょっと「サヨク」になるかも(笑)。

私の感じた違和感は、整理すると次の二つに絞られます。

①貴兄は、人口わずか21000のパラオが、中国漁船の領海侵犯に対して毅然とした態度を取り、その結果、舐められることなく、大国である中国を屈服させ、国家主権を貫いた、それにひきかえ、日本の民主党政権の何たる情けなさよ、と論じています。

私は、この事態は、むしろこんなにちっぽけな国で、国際的に重要視されていないからこそ、中国が旦那の寛容さを示して、「妥協したってどうってことないさ」という対応を示したのだと思います。パラオのほうは極小国なので、国家としての複雑さなどもたず、またそんなことを考えるゆとりなどなく、いわゆる「主権国家」の原則どおりに行動する以外なかった。つまり結束はただちに得られた、ということなのではないでしょうか。

チワワがドーベルマンに吠え立てても、たぶんドーベルマンは知らん顔をしているでしょう。しかし、秋田犬が吠え立てたらどうでしょうか。全世界に大きな影響力を持つ東アジアにおける二大国が、しかも、ただでさえ長い不幸な歴史を持つ国どうしが、現在危険な関係にあり、そういう状況・背景のなかで、同じような緊迫した事件を起こしたとき、その処理をめぐって、ただ単に「毅然と主権国家としての態度を示したか、示さなかったか」という点だけで、パラオと同列に論じることが妥当でしょうか。私は、「国家主権」という抽象的な概念の枠組みだけでこの問題を論じることが、パラオと日本との国情の途方もない水準の違いを軽視することに繋がり、結果的に理性的な政治判断を曇らせることになるような気がしてなりません。

貴兄は、戦前・戦中にあったとされる「大和魂」なる美学的概念を持ち出していますが、これはどうも、よくある保守派の情念のパターンをそのままなぞっているように思われて、あまりいただけません。

私は常日頃、「大和魂」とか「武士道」とか「特攻隊精神」などを、戦争を知らない世代の小林よしのりのように後から美化する試みは、あの大失敗の正確な意味を見えなくさせる以外の何物でもないと考えています。負け戦が誰の目にも明らかになってきたからこそ、戦争に要求される高度な政治性、合理性をかなぐりすてて、負け惜しみの自己慰安に耽ってしまったのが、あの惨めな敗戦ではなかったでしょうか。

もっとも、現在、あまりにだらしない日本の政治状況に対して国民の多くが潜在的に抱いている不満を顕在化させるための、一種のアジテーション効果を狙ったものだ、芽生え始めている国民の自覚をいっそう促すためのものだ、というならば、それはそれでわからないことはありません。

②昨年九月の中国漁船衝突事件に対する政府の対応をめぐっての評価ですが、貴兄はこれもまた同じ文脈での「情けなさ」として総括しています。あの時、多くの人が感じたように、この「情けなさ」は、一見、正論です。なにしろ、ハイジャック事件、湾岸戦争時の「金だけ出すけど血は流さない」対応、ペルー大使館事件、バスジャック事件などなど、これまで、同じような「情けなさ」を、戦後日本の政府は幾度となく繰り返してきたのですから。

しかし私は、この戦後日本の「情けなさ」を、単に精神論的に批判するだけでは、思想的に有効ではないと思っていて、それが日本の制度改革、特に憲法改正のような大きな改革に結びつくのでなければ、何度、憂国の情を表してみても、あまり意味はないと考えています。「一人ひとりの生命の大切さ」という戦後ヒューマニズムの強固な根づきそのものを跳ね返すことが至難の業だからです。「情けなさ」には、それを裏から支えている、それなりに大事なもうひとつの価値があります。どちらが大事か、ということは、一般的には語れず、個別的な状況において、政治の責任者がそのつど決断を下していくのでなくてはなりません。

ですから、上記の諸事件に関しても、それが、たとえば憲法がはめた足枷によるものであることが明瞭である限りで、批判の効力を発すると考えるわけです。その意味では、このたび自民党が、みずからの党是である「改憲」のアイデアを示したことは、大いに歓迎すべきことと思います。

ところで、おぼえておいでと思いますが、あの漁船衝突事件の折、読書会仲間のYさんと私とが、酒の席で議論したことがあります。私の論旨は次のとおり。

あの事件を、その成り行きの部分だけを個別に取り出して、政府のだらしなさをひたすら批判する前に、考えておかなくてはならないことがある。それは、中国船員を逮捕した直後に、偶然とはけっして思われない仕方で、北京政府が「フジタ」の社員2名を、不当な言いがかりで拉致したことである。日本政府がいわゆる「毅然とした」態度を示して逮捕者を正式に裁判にかければ、北京の人権無視の国柄からして、ただちに2名を空とぼけて処刑したにちがいない。処刑されても「国家のディグニティ」を優先させるべきだという確乎たる思想を貫くなら、それはそれでひとつの見識であろう。しかし、民主主義政治の責任者の立場に立った場合、そういうことをそうやすやすとできるものだろうか? 天安門事件の政治的理不尽さ、小平の「五百人くらいがなんだ」なる発言(真偽のほどはともかくとして)の人権無視の態度を、私たちは大いに批判してきたのではなかったか?

要するにあの事件にかかわって私が不満に感じたのは、政府を批判するどの言論も、この日本人2名の拉致との関係において語ろうとしていなかった点です。私に名案があったわけではない。また、民主党政府(菅政権)の対応をそのままよしとしたわけでもない。しかし少なくとも、彼ら政治の責任者(おそらくその主導権を握っていたのは外務官僚だったでしょう)が、拉致された2人の日本人の生命に配慮していたことだけは確実で、その問題をあわせて論じるのでなければ、いくら対応のひどさだけを批判しても、本当の議論にはならなかったと思います。

以上です。

わが民主主義大国において、多様で複雑な情念の渦巻く国民をまとめ上げるために国家理性を貫くことは、ことほどさように難しい。「ディグニティ」だけをその要件として抽出して事足れりとすることは、そういうものに憑依しうる感性、情念の持ち主においてだけです。そこだけをたよりにすることは、主張としては純粋でわかりやすいですが、近代政治というものが孕まざるをえない根本的な複雑さに、目をふさぐことに繋がらないでしょうか。思想は、こういう複雑さを前提とするところからこそ、本当に出立するのではないでしょうか。

美津島さんを本心から応援したいとの思いのために、つい熱くなりました。乞ご再考。妄言多謝。

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小浜氏の第一信だけで相当な分量になっていますので、それに対する私の返事は次回の投稿に載せます。


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小浜逸郎氏の話の要点は、次の2点に集約できるでしょう。

〔1〕パラオは極小国。それに対して日本は世界の経済大国。置かれたポジションの違いからくる外交的対応の難しさが自ずから異なる。それを勘案しない日本外交批判は有効性に限界がある。

〔2〕「一人ひとりの生命の大切さ」という戦後ヒューマニズムの強固な根づきそのものを跳ね返すことは至難の業。日本外交の「情けなさ」には、それを裏から支えている、それなりに大事なもうひとつの価値がある。フジタ社員2名の命を救おうとした政府の対応の「情けなさ」には、その価値が見受けられる。だから、その「情けなさ」を単純に批判するだけでは、その価値を見過ごしてしまうことになる。

それに対する私の返信を以下に掲げます。

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小浜逸郎様

まず、私があの文章を書いた経緯を申し上げます。

4月28日(土)に、私は自民党本部で催された「主権回復記念日国民集会」に参加しました。ブログのネタ探しが主な動機です。(読書会仲間のMさんと同席しました)

入江隆則氏、藤井聡氏、安倍元総理、小堀圭一郎氏、平沼赳夫たちあがれ日本代表など保守系のそうそうたる顔ぶれが次々と挨拶をしました。(安倍氏と平沼氏はビデオ での挨拶でした)司会は、ちゃんねる桜の水島総(さとる)氏でした。

そうして、トリを務めたのが、『月刊 日本』の編集長南丘喜八郎氏でした。南丘氏の憂憤の情に溢れた話に私はけっこうインスパイアされてしまったのですね。私のあの文章は、南丘氏のお話が元ネタになっています。

私なりにアレンジをしたつもりだったのですが、小浜さんの反応を見ると、あまりうまくいっていないようです。南丘氏のパッショネートな話しっぷりに私が影響されて 一気に書いたので、言葉の端々に彼の保守派としての情念が乗り移っているところがあるのではないでしょうか。また、私がもともと持っている憂憤の念が、彼の話しっぷりによって触発されたところがあるのも事実でしょう。

だから、もう少しモチーフを寝かせておけばよかったのかなという反省があります。とくに「大和魂」の取り扱いについて、慎重さが足りなかったと反省しています。とはいうものの、パラオの特に年配者にそういう気風があるのは、事実のようです。歴史は、そんなふうにして、意外な形でその素顔を覗かせるものだといったことを、もう少しうまくいうことができればよかったのですけれど。(そういうものを無視 する論は、過度の抽象化のほどこされた空論なのではないでしょうか)

そのように自分の拙速を認めたうえで、一点、それでも小浜さんの言い分を飲み込めないところがあります。当時の菅内閣の、違法漁業中国船船長逮捕事件における意思決定のあり方の評価に関わることです。

しばらく、原則的な話をします。

政治問題は、大きく対内問題と対外問題に分けられると思われます。ほかにも分類法はたくさんあるとは思いますが、いまはこの二分法で話を進めます。

当たり前の話を続けます。対内問題は内政とよばれ、対外問題は外交とよばれます。この場合、外交に戦争も含めます。

内政は、国民の目すなわちいわゆる国内世論という舞台で繰り広げられる政治的演技です。基本的には、その舞台でより多くの拍手をもらった演技が支持され力を得ます。そのために、政治家は理と情を尽くして世論を説得しようとします。(情にだけ訴えて勝ち取った支持や力はポピュリズムと称され、あまりその政治的価値を認められません)

それに対して、外交は、国際社会の目すなわち国際世論という舞台で繰り広げられる国家間の政治的演技です。内政の場合と同じく、その舞台でより多くの拍手をもらった演技が支持され力を得ます。そのために、諸国家は理と情を尽くして国際世論を説得しようとします。そうやって得た国際的支持を背景に、相手国に対して、自国を有利な立場に置こうとします。極限的な外交である戦争においても、その事情は基本的に変わりません。(先の大戦では、日本政府が国際世論を無視したことが主たる敗因であると私は思っています。敗因を物量の差に帰すのは誤りです)

私がここで強調したいのは、内政と外交とは、それらが繰り広げられる舞台が違うのだから、その成否を評価する場合、その二つをなるべくきっちりと分けるべきではないか、ということです。

つまり、内政の成否を評価する場合は国際事情をなるべく持ち込むべきではないし、逆に外交の成否を評価する場合は国内事情を同じくなるべく持ち込むべきではない、と言いたいのです。

前者の例を一つあげれば、「欧米先進国家のほとんどは死刑を廃止しているのだから日本もそうすべきだ」というよくある論の立て方です。これは、誤りですね。死刑の是非論は、それが国民の、社会に対する秩序安定の感覚に関わる最重要事なので、国内世論を十二分に踏まえたものであるべきです。国連の「政府が国民を説き伏せるべき」などという勧告は余計なお世話の最たるものです。ましてや、国民が、その勧告を論拠に自国である日本に対して死刑廃止を迫るのはおかしなことです。

他方、後者の例を一つあげれば、先の大東亜戦争に日本が参戦したことの是非について、冷静に当時の国際政治の構図のなかで判断するべきところを、変に自虐的に倫理的に誤りと断罪することです。そういう馬鹿なことを戦後日本は繰り返してきました。

小浜さんの尖閣問題をめぐる微妙な言い方が、後者の「外交の成否を論じるときに国内事情を持ち込む誤り」の例に当てはまってしまうような気がするのです。つまり、 尖閣問題における政府の外交的判断をいちがいに否定することはできない、という言い方のなかに、国内事情への配慮がややバランスを失するほどに多量に混入しているように感じるのです。それは、外交問題をリアルに扱う手つきとしてはまずいだろうと思うのです。

日本政府の「情けなさ」には、「一人ひとりの生命の大切さ」という戦後ヒューマニズムの強固な根づきそのものを裏から支えている、それなりに大事なもうひとつの価値がある、だからといって、日本の「情けない」外交姿勢を肯定するうわけではないが、かといって、バッサリと全否定してしまうこともできない、という小浜さんの論は、「内向き」には一定の説得力があります。でも、これは、国際世論の舞台では、まったく説得力を持たないのではないでしょうか。あのとき日本外交は中国にボロ負けしてしまったという国際社会の認識は、小浜さんの論でびくともしないのではないかと思われるのです。

大急ぎで付け加えたいのですが、私は「一人ひとりの生命の大切さ」という戦後ヒューマニズムの強固な根づきを戦後の唯一の思想的達成であるとまで思っています。その根づきが、大東亜戦争の膨大な犠牲者たちの言葉にならない無念に応える唯一の道筋なのではないかと思うからです。

だったら、それを日本外交の柱にして、あの時も中国と堂々と渡り合えばよかったではないか、と私は言いたいのです。

日本政府が腹を据えて取り組んだならば、たとえあの船長を法治国家の手順に従って裁いたとしても、拉致されたフジタの社員2名の命を救うことは十分にできたと私は考えています。それらを両立させるギリギリの努力を日本政府がした痕跡を私は認められません。

中国政府によるフジタ社員の拉致事件は、明らかに国際人権違反問題です。それは、人権感覚の研ぎ澄まされた欧米人にとっては自明のことだったでしょう。

だから、日本政府があらゆる手段を使って国際世論に中国の不当な振る舞いを訴えることは、大いに功を奏したことでしょう。国連の諸機関に中国の人権侵害を訴えるのもよいでしょうし、漁船の体当たりの映像をニューヨークの高層ビルの壁に大写しにするのもいいでしょうし、世界の大新聞に日本政府がでっかい意見広告をするのもいいでしょうし、フジタの社員の家族にテレビに登場してもらって拉致された家族の帰還を訴えてもらい、その映像をyou tube を通じて世界中に配信するのもいいでしょう。もっといいのは、それらすべてを同時に遂行することでしょう。そうすれば、(ロシアと北朝鮮以外の)国際世論は、日本に強力に味方をしたことでしょう。

中国は、損をするのをとても嫌がる国です。国内ではあいかわらず人権蹂躙を犯しまくっていますが、外交の主流が人権重視であることはよくわかっているので、人権をめぐって、全世界が日本の味方についてしまったら,さすがの中国でも、馬鹿みたいに拉致した外国人を無理やり殺してしまうことはなかったでしょうし、できなかった でしょう。国際世論から総スカンを喰らうことが国家にとってどれほどの痛手か、中国 政府要人は、天安門事件で思い知っていますから。

ところが、実際のところ日本政府は、それらのうちどれひとつとしてしなかった。それが「情けない」という、一般国民の胸の内にある思いの核心なのではないでしょうか。中国に対して腕まくりをしなかったから情けないと思ったのは、それこそ保守オヤジくらいのものだったのではないでしょうか。

日本政府の振る舞いには、実は人命重視の影さえありません。北朝鮮の拉致問題に関して、人命尊重・人権尊重の観点から北朝鮮に対して毅然とした態度がとれないのと同根です。それは、矮小で小心で卑屈で亡国的な姿です。

日本政府の不甲斐なさに、戦後ヒューマニズムの影を読み取って、妙に考え込んでしまう小浜さんをいささかいぶかしく思います。戦後ヒューマニズムという肯定的価値を担っているのは、政府ではなく実は名も無き一般国民の方なのではないでしょうか。

(それを、ソフト左翼イデオロギーの色に染め上げようとしたところが、戦後知識人の致命的な欠陥の少なくとも一つである、といえるでしょう)

そういう意味で、というのはつまり、今の日本政府には人命尊重の影さえ認められず「外交的配慮」という名の怯懦さ・無能ぶりが見られるばかりであるという意味で「同じ中国の不法漁船に対する態度として、弱小国のパラオがまともで、日本が変だと思うのは、日本の保守オヤジだけではなく、国際世論一般もだ」という 意見にやはり私は与したくなる次第です。

日本政府が、人命尊重を外交の柱として懸命に努力し、そこで対外的にブレないのならば、日本国家は対外的な「ディグニティ」をキープできるし、国益を守ることもできる。国家イメージの毀損は、国益毀損の最たるもの、とは先の論でも申し上げました。そういう日本政府に対してならば、一般国民は基本的信頼感を抱くでしょうし、それを守るための不慮の犠牲を厭わないのではないでしょうか。それが、国民が場合によっては主権の存する存在として「命を賭ける」ということの内実です。

複雑な政治過程をアピール力のある基本路線としてまとめあげる力が政府には求められているのではないでしょうか。まあ、ダブル・スタンダードでも構いませんけれど。複雑な政治過程を一つ一つ踏まねばならないことは、対外的アピール力が欠如していることの免罪符にはまったくならないということです。

もし、もともと保守思想に傾斜気味の美津島が変に暴走して、悪くはない調子のブログを台無しに してしまうかもしれないと小浜さんが危惧されたのだとしたら、小浜さんの言葉で我に帰ったところがあるのは事実ですから、深く深く感謝します。

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私の返事も膨大な量になってしまっているので、今回はここで終わります。


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私は、5月3日から5日まで、福島に取材旅行に行っていました。そこから帰ってきた直後に送った私の返事に対して、すぐに第二信が小浜氏から届きました。

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美津島明さま

旅からお帰りになったばかりなのに、さっそく詳しい返信メール、ありがとうございます。私の疑問を誠実に受け止めてくださったことを深く感謝いたします。

前半の、内政というパフォーマンスと、外交というパフォーマンスとを分けるべきだという議論には、あまり納得できませんでした。というのは、ご存知のように、現代は超情報社会ですから、国内事情と国際事情の違いを認知することは重要でしょうが、その認知にもとづいて実際の政治対応において使い分けをしたとしても、「二枚舌」的な情報操作は通じず、一定の見識あるものの目には、すぐにその意図の不純さ、ダメさなどが見破られてしまうでしょう。

私の論が国際社会の常識には通じないということは認めます。しかし、国際社会の常識に通じないからといって、本質的な問題(国家価値と生命価値の二重性)がなくなるわけではありません。この価値の二重性を現実的にまったく克服できなくさせているもののひとつに戦後憲法があるわけです。たとえば憲法の足枷がなければ、国際的な事件に関しての戦術的対応が可能ですから、ペルー大使館事件や湾岸戦争時の政府対応などは、もっといくらでもマシな対応ができたはずですね。実際ドイツは憲法を変えていますから、あるテロリストの人質事件で、人質を一人も死に追いやらずに、テロリストたちをすべて殺すことに成功しています。

それはともかく、たとえば死刑廃止の問題などは、使い分けの必要などない問題だと思います。私自身も自分の書き物で、堂々と存置論を展開しましたし、おこがましい言い方ですが、仮にこれが国際発信されたとしても、いささかたりともひるむ気も変える気もありません。日本の戦争責任の問題も同じです。敗残意識をすぐに道徳的な過誤意識に読み替えてしまった戦後日本人は、そのそもそもの国民性からしてだんだんに変えていく必要があるし、そのよい方向への進化の必要性を政治がしっかり取り込み、内外へ向けてまったく同じ水準で発信するべきだと思っています(少し議論がかみ合っていないような気もしますね。笑)。

そこで、政治がいずれにせよパフォーマンスであることを免れないならば、内政と外交における基本的構えを「分ける」のではなく、これからの政治は、むしろ内外に向けての「透明性の演技」の仕方を身につけるべきなのではありませんか。

後半の漁船衝突時における政府対応についての貴兄の縷説には、ほとんど説得されてしまいました。というか、私は、まさに今回、貴兄が書いてくださったような形での議論を期待していたのであり、私の疑問に対して的確に答えてくれていると感じました。ここには、確実にディアレクティークが成立していると言えます。その意味で、疑問提示を行なってそのきっかけを作った私自身を少々誇りに思っています。

繰り返しますが、当時、政府対応の情けなさを弾劾する論調には、今回、貴兄が展開してくれたような包括的かつ高度な議論があったでしょうか。寡聞にしてというか、そもそもあまり目配りのいいほうではないので、もしかしたらあったのかもしれませんが、どうもなかったような気がするのです。要は、フジタ社員の拉致事件を考慮に入れても「毅然」とするにはどうすればよいのか、という疑問に答えがほしかったわけです。

ことに今回、感心したのは、世界に向けて人権の大切さをアピールする具体的な方法を提示している部分です。こういうアイデアがほしかったのですよ。中国が損をするのをとても嫌がる国だ、というのもそのとおりですね。それを利用しない手はない。たしかにそのあたりの読み、外交感覚が、臆病な日本政府には完全に欠落していたといえるでしょう。いままでいつもそうだったように。

ただし、少しだけ言わせてもらうと、あれからわずか二年弱しか経っていないわけですが、よかれあしかれ、その間の中国におけるさまざまな面での変化は著しく、ずいぶん情報化が進んで、北京もあのときに比べれば、さらに国際世論を気にせざるを得なくなったのではないかと思います。今回の人権活動家・陳さんに対する中国政府の対応を見ているとそれを感じますね。陳さん自身も、自由と人権を旗印に掲げたアメリカの弱点をよく心得ていて、

それをおおっぴらに利用している。それに対して、北京も横暴なことができなくなっているわけです。というか、ただでさえ国内矛盾の沸騰で苦しんでいる北京としては、ああいう反体制分子には、早く出て行ってほしいのでしょうね。大した活動家でもない陳さんのあの傲慢な態度は、日本人の感性からすると、ずいぶん居丈高だな、とも感じるのですが。

たまたまBSフジの「プライムニュース」で、憲法特集をやっていて、最終回(4日)、西部さんが戦後日本人、戦後政治への絶望を語っていて、その筋金入りの「姿」に妙に共感してしまいました。魯迅の言葉ではないですが、絶望も語り方によっては、ある種の希望を与えるのかもしれない、と思った次第です。

前回お会いしたときに、「みんなの党」の消費税増税反対論を評価したのですが、この党の改憲論は、「維新の会」べったりで、全然ダメですね。同じ番組に党員の柿沢未途(柿沢弘治の息子)が出席していて、「自分たちのほうが維新の会よりも先に考えてきたので、便乗しているように受け取られるのは非常に不本意だ」みたいなことを言っていましたが、改憲論の中身そのものが浅薄です。

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次は、上記に対する私の返信です。

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小浜逸郎様

すぐにでも返事をするような言い方をしていて、けっこう遅くなってしまいました。すみません。

(このブログでは省いてある短いメールで予告しておいたー補)「残余の細い論点にお付き合いを」と申し上げていたことについて。

それは、パブリックな政治的な議論における自分の言説と、ラディカルな一個の純然たる思想家(うまい言葉がほかに見つかりません)としてのそれとの、一種の矛盾についての話です。

なにを言っているのか。

私は、内政については、自分なりに国民主権を突き詰めることによって批判することがしばしばです。主権概念を突き詰め鋭利な武器にして政治を批判しようとするのですね。

ところが、一個の純然たる思想家としては、一般国民が主権を担いうるかどうかについて、かなり懐疑的です。一般国民が主権を担うには、どこかで自分の身の丈を超えることが求められる(一般意思を体現するのですから)のですが、それがそういう存在に可能かどうか、また担おうとした場合、その意思決定が常に正しいのかどうか、相当に怪しいと考えています。民の声は神の声という楽観主義に対する疑いをかなり根深く持っているのです。もしかしたら、吉本さんの「大衆の原像」をまだどこかで引きずっているのかもしれません。

*故吉本隆明氏は、あくまでも、生まれて、結ばれて、子を産んで、老いて、死ぬだけの存在であって、民主主義を担う市民のレベルにまで知的に上昇しえない「大衆の原像」に積極的肯定的な意義を認め、そこに自分の思想の根拠を置きました。その思想的な構えの影響がまだ自分には残っているのかもしれないと、私はここで言っているのです。故吉本隆明氏の「大衆の原像」は、いわゆる進歩的文化人(ソフト左翼知識人・社会主義に胸襟を開いたリベラリスト)を批判する上で大きな威力を振るいました。しかし、他方では、ありのままの庶民を美化する別の意味の左翼性を払拭し切れないところもあります。呉智英氏が「オウム真理教の上祐の追っかけをやるコギャルたち。あれが大衆の原像だ」と彼一流のシニック・ユーモアを交えて吉本批判をしたのが思い出されます。

また、対外的に、日本は人権外交・人命尊重外交を徹底することで活路を見出しうると考えています。これは、前回お話しした通りです。

ところが、他方では、呉智英さんが指摘しているように、たかだか法律上のフィクショナルな概念にすぎない人権にあまりにも肩入れするのは、思想として偏りがあるので、何かにつけ人権を強調したがる向きに対しては、私はむしろそれを相対化することの方に重心を置こうとします。人権真理教の面々に対する嫌悪感とか危惧の念が私には抜きがたくあるのです。

また、人命尊重についても、佐伯啓思さんや西部邁(すすむ)さん的な問題意識を持っています。つまり、命がそれ自体で尊いなんてことはない、それが何に向けられるかによって価値を獲得するのである、という考え方に半ば以上納得してしまうところがあるのです。さらには、自由・平等それ自体には価値がない、それらが他の、たとえば義とかいったもののためにあるときにはじめて価値を持つという考え方に対しても、深く耳を傾けてしまうところがあるのです。

かといって、そういうことを言い募りすぎると、知識人の与太話みたいになってくるという側面にも目が行ってしまいます。

つまり、政治的な主体としては、国民主権・民主主義・人権さらには自由・平等を武器として振りかざす局面が多々あるのに対して、価値の本質論みたいな次元においては、それらに対して懐疑的な態度で接するのが基本である、という矛盾というか二重性というか、そういうものを自認せざるをえない、ということです。さらには、その二重性の弄びが過ぎるのは、思想として生産的ではないだろうという思いも他方ではあります。

こういうことについては、思想の顕教と密教としてある種の使い分けをするほかないものと考えるべきなのか、それともその矛盾を統一的にとらえる第3の視点のようなものがあるのか、正直に言って、よくわからないところがあるのです。

これって、もしかしたらちゃんと整理しておかないと、ある現実的なテーマをめぐってだれかと議論している場合に、なんだか噛み合わないという原因にもなりかねないのではないでしょうか。自己分裂をしかねないと言いましょうか。

私がいま不器用に申し上げているようなことは「政治と文学」以来、延々と議論され尽くしてきたテーマなのかもしれません。

これまで交わしてきた議論とは、いささか風向きが違うとは思いますが、小浜さんは、こういうことについてはどう考えられますか。


*****

私は、広い意味における思想的な営為(つまりはモノを書くこと全般)において、自分が使っている言葉が孕んでしまう矛盾や限界にどうしても目が行ってしまいます。それを小浜氏はどう考えていらっしゃるのか、知りたくなったので、主権国家についての議論が取りあえず一段落したのを機に、私は率直に伺ってみました。以下は、それに対する小浜氏の返事です。

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美津島明さま

貴兄の問題意識、というよりも、「引き裂かれた悩み」は、思想者が抱える問題として最も本質的なもので、しかも永遠の課題であると考えます。これまで、どんな偉大な思想者もすっきりした答えを提出できているとは思えません。

いささか先輩風を吹かせることになるかもしれません。といって、誤解なきように。私は貴兄の今回の問題提起に対して、何か有効な回答の用意があるわけではまったくありません。私はただ、ずっと前から(おそらく青年時代に思想なるものに目覚めたはじめから)、同じ問題をずっと考え、答えが見出せずに悩んできたというだけで、要するに生理的な時間の長さにおいてのみ、多少とも貴兄より「一日の長」があるかなあ、と思うばかりです。

何から話し始めましょうか。

いろいろと心が散乱し、言語が持つ「線型性」(言語は本質的にいつまでもどこまでもひとつながりであること。細長い一文幅の紙の表面に、文字が上から下へ句読点を介しながら無限につながっているイメージを思い浮かべればよいでしょうー引用者注)を呪いたくなり、また、思想言語というものの厄介なパターン(論理的な整理を強制される)の轍を踏まなければならないことを悔しく思います。思いつくまま、未整理のままに、いろいろなことをともかく言ってみます。貴兄の問題意識に的中しているかもしれないし、的外れであるかもしれない。そちらのご判断にゆだねますので、少しでも参考になればさいわいです。

私は最近、たまプラーザに越してきてから、けっこう飲み屋めぐり、スナックめぐりを繰り返していて、そこで出会うさまざまな人たちに積極的に話しかけて、関係づくりを目ざしています。これは老いて独身者になったことの大きな功徳と考え、これからも続けていこうと思っています。といっても、じつはただ寂しいだけなのですが(笑)。

本当にいろいろな人がいるので、その人たちのそれぞれのポジションを直感的に了解して、そのたびごとに使う言葉のモードを切り替える必要が生じます。向こうは誰もが私を「先生」とか「教授」とか呼んでそれなりの仕方で遇してくれるわけですが、太宰の「富岳百景」ではないけれど、私は「黙ってそれを受け」ています。ごく少数ですが、私に対して「世間知らずの学者先生バカ」という偏見(?)を抱いて接する人もいます。

こんなことがありました。この人ならこういう言葉を遣っても理解されるだろうと思って、何かの文脈で、「私は言われなき権威主義が最も嫌いです」と言ったところ、「なに? いわれなき何とか? そういう言い方がよくわからないんだよ」という反応が返ってきました。そこで私はとっさに、「要するに、中身がないのに威張っているやつらのことですよ」と答えたのですが、私が言いたかったのは、私たち一人ひとりの中にある「卑屈な根性」こそが「いわれなき権威主義」を支えてきたのだということです。どこまで相手に伝わったか・・・

ところで、ご承知のとおり、私は「ゆとり教育」やフェミニズムの一部に象徴されるような「悪平等主義」「人権真理教」に対して、自分なりに闘いを演じてきました。その闘いの意志をひと言でまとめるなら、「千差万別の生き方をしている多くの人たちの現実相を見ずに、イデオロギー的な理想で人間をならしにできるなどと思うな!」ということに尽きます。これらの安手の思想が全体主義に直通するものであることは、貴兄もわかりすぎるほどよくわかっていますよね。そういう意味では、私はニーチェ、オルテガ、西部邁などのような精神のアリストクラットの心境がよく理解できるし、共感もするのです。

ところが一方、自分の日々の言動を反省してみると、どう考えても人間はみな同じで、魚屋も「偉大な」学者も、変わりはない、ならば誰も自分の肩書きなどを傘に着ずに、対等に接するのが理想的なのだ、という感じ方をしているのが確認できます。どこまで実現できているかは別として、いま私が地域の人たちと話し合えることにささやかな喜びを得ているのも、この感覚あればこそ、と思っています。

これは思想命題に還元してしまうと、解決至難の「矛盾」ということになります。

最近、法然、親鸞を少しばかりかじり、五木寛之氏の『親鸞』などを読むと、僭越ながら、いわゆる「偉大な」先人たちも、同じ問題で悩んでいたのだろうな、ということがひしひしとわかります。

吉本さんも、「人間はみな等価だ」という思想を持った人でしたが、私から見ると、彼はキャラとして、孤独に過ぎます。そのことをどこまで彼は自分特有の「問題」として把握していたのか、もちろん把握はしていたと思いますが、あるところからそのことにあまり真剣に悩まなくなってしまったのではないか。これは拙論で指摘した、彼の途中からの「大衆偶像視」と表裏一体のように思えます。「固有時との対話」ほか、初期の詩篇は感動的ですが、あれも「屹立」という言葉が本当によく似合うスタイルですよね。

西部さんは、思想表現あるいは思想体質としてはオルテガの嫡出子だと思いますが、キャラ、身体像は、吉本さんとちがって、「大衆」に対してとても開かれています(可愛い人です)。彼のお宅にお邪魔したとき、吉本さんのことを「うつ病だ」と評していました。当たらずといえども遠からず、ですね。

西部さんはどこかで、朝日新聞はひどい新聞だが、個人的に記者と接するとみんな賢くてよくわかっているのだ、と語っていました。彼のこの直観は正しいと私は思います。ただ、こう指摘しただけでは、人間というものは「個人」とか「庶民的生活者」のレベルではみんなだいたい同じようによくわかっているのだが、集団となると手がつけられなくなるのだ、みんなイデオロギーにやられてしまうのだ、というロジックが引き出せるだけに留まっていて、それ以上に思考を進める手立てが見つかりません。ここに、貴兄が悩んでおられる問題が、別の形で浮き彫りになってくるのではないでしょうか。

呉智英さんの「顕教密教」「愚民」「偏差値をオレは九割信じる」「吉本の愚鈍な弟子・芹沢」などは、実に痛快ですが、これは、人権真理教イデオロギーが支配している戦後社会であればこそ、カウンターとしての思想的意味を大きく持つので、それもまた、彼のユーモラスな搦め手スタイルと切っても切れない関係にある、と私は思います。彼は、とても「現実」というものをわきまえている人で、自分の思想表現を「イロモノだ」と自覚して恥じません。

しかし、というか、だからこそ、というべきか、彼のキャラにじかに接すると、非常な人情家だ、という印象を持ちます。とても優しい人で、言論では一見「愚民蔑視」を平然かつ堂々と行なっていても、行路で倒れた見知らぬ人がいれば、真っ先に「よきサマリア人」たろうとするのではないでしょうか。また彼は、封建主義や儒教イデオロギーを好んで持ち出しますが、これもまた、時代の子としての不可避性をよくよく自覚しながら意識的にやっているスタイルで、これらの思想をナイーブに信じているのではないと思います。そこが彼のよい意味での「知的」なところだと思います。文学のよくわかる人でもありますよね。

これに対して佐伯さんは、とても真面目に(愚直なほどに)ものを考えるタイプで、彼の説く、「命がそれ自体で尊いなんてことはない、それが何に向けられるかによって価値を獲得するのである」という考えは、そのとおりだと思いますが、そこから導き出している「自由それ自体には価値がない、それらが他の、たとえば義とかいったもののためにあるときにはじめて価値を持つ」という考え方には真面目すぎる思考が孕んでしまう苦しさのようなものがにじみ出ているように思います。

というのは、彼の『自由とは何か』の末尾における「義」という概念の持ち出し方は、私などにはとても唐突に思え、ついに抽象概念どうしの対置に終っているという印象が拭えないのです。

私の考えでは、「義」という概念は、それだけでは、公共性のレベルでしか効力を持たない概念であって、もっと具体的に、「あなたはどういう『義』(「他者への配慮」)のことを言っているのか」と問われたならば、とたんにその一枚岩的な弱さをさらすのではないでしょうか。言うまでもなく、女房子どもへの「義」、友人に対する「義」、公共世界における「義」等々は、それらを合い交わらせれば、この人生の実相においては、必ず解決不能な矛盾を内包していることが暴露されますよね。

これは、「愛」という言葉がもともと持っている多義性と、ほぼ同じ事情だと思います。えらそうに聞えるかもしれませんが、私は大学の講義でいつも、具体例を出しながら、この「愛」という言葉の多義性、個々の「愛」が互いに矛盾して両立不可能である姿をよく見つめよ、と学生に話しています。「義」も同じでは?こういう事情があるからこそ、吉本さんの「共同幻想・対幻想」の峻別の思想が生きるのではないでしょうか。

あえて吉本さんを持ち出すまでもありますまい。通俗歌謡でも歌われていますよね。「義理と人情をはかりにかけりゃ 義理が重たい男の世界」と。「君に忠ならんと欲すれば」云々というのもあるし、歌舞伎の「名木先代萩」における「でかしゃった、でかしゃった」という母親の嗚咽、大衆はみな、この両立不可能な理不尽さに苦しみ、悲しみ、共感を余儀なくされてきたのではないでしょうか。文学って大事ですよね。

「公共性における義」を言説の中心価値として重んじる西部思想にしても、それだけで完結しているわけではなく、彼が「朝ナマ」で語っていた、「自分の娘が強姦などされようものなら、私はひとりバズーカ砲を肩に担いでそいつをぶっ殺しにゆく」という言葉が印象的です。そういう身近な、等身大の「他者」に対する切実な共感を媒介にしてこそ、はじめて彼の「義」の思想が肉体を持つのだと思います。ただ、それがただちに「公共性」における「義」に通じるかどうかについては、いろいろと面倒な思想的手続きが必要とされるわけで、そのプロセスの解明こそが、社会思想に与えられた任務だと愚考します。ヘーゲルはかなりのところまでそれをやっていた、かな。

先に、七人の日本近代思想家について書き(これは幻冬舎から9月をメドに出版されますー引用者注)、和辻がいかに偉大であり、その偉大さが正しく評価されていないかについても書きましたが、私の本当の感じから言うと、いちばん共感を感じたのは、やはり小林秀雄でした。彼の「政治嫌い」、「文学愛好」は、まことに徹底しており、どんな時代状況にあってもいささかも揺らいでいません。これは、西洋文明の浅薄な摂取など(ポスト・モダンなどその典型でしたね)をゆうに超える普遍的な強さを秘めています。文学の私的性格、ただの思い出のつづり、一見すると「弱さ」と見えるもの、主観にしか過ぎないと思えるもの、それが深く語られさえするならば、思想としてはいちばん強いのです。そのことに確信を持っていた小林は、やはりすごいと感じました。

まとまりがなく、拡散してきました。最後にできるだけ貴兄の問題意識に沿いながら、現時点でできる範囲で少しまとめてみます。こういう捉え方がどこまで説得力を持つかどうかは、わかりません。

「主義」「イデオロギー」としての平等概念に対しては、私たちは不断に闘う理由と根拠を持っています。政治的な平等主義は、現実の苛酷さに目を瞑らせる悪しき「宗教」でしかなく、それを隠れ蓑にして権力の横暴がまかり通っていくからです。またこの麻薬は、それぞれの人間の誇りと尊厳という一番大事なものを「平板さ」のもとに押しつぶしていくからです。

しかし、身体感覚、私的なかかわりにおける関係認識、開かれた感性としての平等的人間観は、大切なものだと思います。これがなければ、言葉が本当に通じるための地盤が根こそぎにされていしまいます。ニーチェは「同情」を蛇蝎のごとく嫌い、「賤民」は、超人によって超えられるためにある、と説きました。

しかし、その彼でさえ、最後の著作、『この人を見よ』のなかで、自分は行商に来る八百屋のおばさんと仲良く話をする、哲学者になるためにはこのくらいでなくてはダメだ、などと滑稽なことを言っています(ちなみにこの八百屋のおばさんは、ニーチェのこの記述によって、のちに有名になったそうです)。この発言がなぜ滑稽かといえば、彼ほど狂人と紙一重なくらいに孤立した哲学者もめずらしく、事実、晩年の彼は、散歩しているときに、子どもたちにからかわれて石をぶつけられているのです。すでに頭がおかしくなっているので、彼のそのときの気持ちがどうだったかはわかりませんが、まあ、普通に考えて、こんな孤立した人の境涯が幸せなはずがないですよね。

「主義」としての平等を否定することと、「対人感覚」としての平等観を肯定すること、両者はどうしても矛盾してしまうのだろうか。

そうではない、と思いたい。美津島さんや私が抱えているこの「頭と身体の矛盾」のようなものを、言語によって克服することは可能だろうか。必ず可能である、と思いたい。それがこの問題に対する現在の私の、ぎりぎりの回答です。

命あるかぎり、まともな精神を維持できているかぎり、これからもお互いに勉強していきましょう。

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小浜氏の返信だけで膨大な量なので、今回はこれで終わります。
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