美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

今後の北朝鮮はどうなるのか  (イザ!ブログ 2013・12・19 掲載)

2013年12月28日 06時10分46秒 | 外交
今後の北朝鮮はどうなるのか

私なりに、北朝鮮の張成沢の処刑問題について書いてあるものを、いろいろとリサーチしてみましたが、やはりといおうかなんといおうか、軍事ジャーナリスト・鍛冶俊樹氏の論考がいちばん優れていると感じました。北朝鮮や韓国の安全保障をめぐる状況の今後の進展を読むうえで、彼の論考がいちばん役に立ちそうなのですね。鍵を握るのは、なんといっても、中共の対応ということにどうやらなりそうです。中共が、ほとほと困りながらも、「不肖の弟」の面倒をあくまでも見ようとするのか、それとも、どこかの時点で見限ってしまうのか、見ものといえば見ものです。しかし、中共が北朝鮮を見限ることはおそらくないでしょう。なぜならそれは、敵対勢力との緩衝地帯をみずから放棄する振る舞いをするに等しいからです。中国の援助がなくなれば、金王朝は崩壊するよりほかに道はありませんし、崩壊した後朝鮮半島がどうなるのかは、いまのところ神のみぞ知るの世界ですから、それはナシでしょう。中共にとって、北朝鮮は本当に扱いの難しい気難し屋さんなのですね。それは、ちょうど日米にとって韓国がそうであるのととてもよく似ています。彼らの、視界狭窄の過剰な自恃の念は、一緒に事を成そうとする周りにとって、実にやっかいな代物です。

軍事ジャーナル【12月15日号】金正恩体制の終焉
鍛冶俊樹
発行日:12/15

北朝鮮のナンバー2、張成沢が処刑されたとのニュースは世界中に衝撃を与えたが、マスコミで不思議なほど語られないのが中国の影である。というのも今回の一件は中国抜きにはあり得ない事件なのだ。

北朝鮮上層部は大まかに言って親中派と独立派に大別される。親中派とは経済改革派などと呼ばれる場合もあるが、要するに中国の言う事を聞いて経済支援を貰えばいいと考える人達である。経済優先のように聞こえるが、実は軍内部にも共鳴する者が多い。軍は大量の兵員を養わなくてはならず、破綻した北朝鮮経済の現状では中国からの支援が不可欠なのである。

独立派とは現在の独裁体制の中枢であり、中国から支援は貰おうとはするが、独裁体制の独立は守ろうとする。治安部隊である国家安全保衛部もこれに属する。軍と異なり少数精鋭であり、現体制下で十分な補給を得ている。

金正恩体制はこの二つの派閥のバランスを取って成立している訳だが、北朝鮮の幹部といえども、経済的に困窮すれば中国からともかく支援を貰えばいいと考える筈だから、経済破綻の現状ではおそらく8割方が親中派であろう。

2対8の比率の中でバランスを取るとなれば、必然的に親中派を粛清するしかない訳だ。先代の金正日時代から現金正恩体制に至るまで数多くの粛清が漏れ伝えられたが以上の様な背景であろう。

張成沢は言うまでもなく親中派である。しかし金正恩の義理の叔父であり、後見人とも目されていたナンバー2である。単なる親中派というだけで殺される訳はない。ここで大きく作用しているのは中国の意向である。

金正恩は金正日の三男であり、長男の正男は現在、中国に在住している。本来なら長男が継ぐべき所、父、正日は長男を追放し三男を後継に指名した。何故かと言えば、中国が正男を後継者と見なして早くから取り込み工作をしていたためだ。

つまり北朝鮮の将来の独裁者を中国が飼い慣らして、北朝鮮を中国の従属国にしようとしていたのである。それに気付いた金正日は、中国の息が掛っていない正恩を後継者にした訳だ。

面白くないのは中国だ。せっかくの取り込み工作が水泡に帰してしまい、新しい独裁者は父親譲りの意地っ張りで一向に中国の言う事を聞かない。何とか金正男を北朝鮮に送り返して復権させることは出来ないものかと張成沢に相談したに違いない。

これが露見して処刑された訳だが、一説には今回の事件で2万人以上が粛清されたとも言われる。大規模なクーデタ計画が進行していたと見てもいいかもしれない。

さてこうなると、今後注目されるべきは中朝関係だ。中国は当然支援を減らすであろうが対する北朝鮮は韓国との軍事的緊張を作り出して、「第2次朝鮮戦争は近い」といって中国に支援の増額を要請するというお定まりのパターンを繰り返すだろう。だが果たして中国がそれに乗るかどうか。

むしろ支援が減る事により、北朝鮮上層部にも困窮が広がり、それに応じて親中派が増えれば、また粛清劇を繰り返さなければならなくなろう。


今後、北朝鮮主導で、朝鮮半島の軍事情勢が危機的な展開を見せることにどうやらなりそうですね。そうなったら、それは鍛冶俊樹氏の読み通りであることを意味します。
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中国・防空識別圏設定騒動の第一ラウンドは、「日本」の勝利 (イザ!ブログ 2013・11・30 掲載)

2013年12月28日 00時28分34秒 | 外交
中国・防空識別圏設定騒動の第一ラウンドは、「日本」の勝利



中国が独断で防空識別圏を設定した問題は、関係諸外国に衝撃と怒りとをもたらしました。反日・媚中路線を爆走していた韓国でさえも、中国との領土問題を抱える地域が、その圏内にあったことから、中国に対する反発を強めることになりました。

とくに、お互いの防空識別圏が広く重なることになった日本は、いきなり、軍事的な危機に直面することになりました。

それで米国が、それを無視する形で、B52爆撃機を飛行させたところ、中国は緊急発進(スクランブル)をしませんでした。それに対して、全日本空輸や日本航空など航空各社が、防空識別圏を通過する台湾便などの運航で、中国当局への飛行計画の提出をしていたことが分かり、私たちは「日本はダメだなぁ」という感慨を抱きました。

ところが実は、米軍機が通過する前に、自衛隊機と海上保安庁の航空機が、中国側の当該空域を中国への通告なしで飛行していたことが28日わかったのです。緊急発進などの中国側の反応はなかったというのです。

ここまでの一連の流れを、軍事ジャーナリスト・鍛冶俊樹氏が、的確にまとめています。以下に、引きましょう。赤字は、引用者が付したものです。

軍事ジャーナル【11月27日号】中国空軍の敗北
発行日:11/27

中国が防空識別圏の設定を宣言した。2月に中国軍の羅援少将が設定を提案していたが、その時点では軍上層部は羅援の提案を無視していた。それが何故この時期に採用されたかと言えば、16日、17日と二日連続でロシアの空軍機が沖縄に接近するという事件があったからだろう。

この二日とも中国軍機がロシア機に対応する形で沖縄に接近しており、その飛行経路は今回設定した防空識別圏と重なるのである。実は12日にロシアのプーチン大統領はベトナムを訪問しており、ロシアの最新戦闘機の供与について話し合われたという。

今のベトナムにとって最大の脅威は中国であるから、この露越の動きはどうみても対中包囲網の形成である。その上でロシア軍機の東シナ海進出である。中国は反射的に防空識別圏の設定を宣言したのであろう。要するにロシアを牽制したのである。

しかし中国が防空識別圏を設定するとなれば、中国が領有を主張している台湾や尖閣、そして韓国の一部も含まれることになる。設定を宣言した23日、中国の情報収集機が飛行し、そこは日本の防空識別圏でもあるから、航空自衛隊の戦闘機が緊急発進し中国機に接近し監視した。

言うまでもなく中国から見ると中国の防空識別圏を日本の戦闘機が飛行しているわけだから、中国の戦闘機が緊急発進して日本の戦闘機に接近して監視しなくてはならない。ところが中国の戦闘機は緊急発進しなかった。

そもそも防空識別圏とは戦闘機が緊急発進する範囲を指す。戦闘機が緊急発進しない防空識別圏など何らの実効性を持たない、言わば絵に描いた餅でしかない。それを見た米軍はB52爆撃機を飛行させ、やはり中国戦闘機は発進せず、中国が宣言した防空識別圏は八方破れの陣となった。

おそらく航空自衛隊のF15が緊急発進したのを見て中国空軍の戦闘パイロットは二の足を踏んだのであろう。中国にはJ10やJ11などF15に一応対抗できる機種はある。しかし稼働率が異様に低く墜落率が驚くほど高いと言われる。当然訓練も儘ならず、パイロットの練度も低い。

一口にいえば、空自のF15が出撃した瞬間に中国空軍は敗北したのである。中国が防空識別圏を設定したとの報を受けても動揺せず通常の手続きに従って緊急発進した空自のパイロットや現場指揮官の勇気は称賛に値する。

これが民主党政権だったら、岡田幹事長みたいのが、中国を刺激するなとか言って緊急発進を中止させたに相違なく、そうなれば中国の防空識別圏は公式に承認されたものとなり、中国空軍は台湾、尖閣、韓国に勢力を広げていた。安倍政権は東アジアを救ったとも言えるであろう。

中国の制服のトップ、軍事副主席の許其亮は空軍出身である。中国の権力闘争は昨今いよいよ激化しているから、許は責任を問われて失脚するかもしれない。失脚を免れるためには失敗を糊塗していよいよ強硬策に出ることも考えられる。たとえば1996年に台湾近くに軍事演習と称してミサイルを次々に打ち込んだが、形勢挽回、窮余の一策として有り得る。

東アジア戦争の第1ラウンドに我々は勝利したが、戦いはまだ終わってはいないのである。


それにしても、中国の軍事的脅威が、皮肉にも「タカ派」安倍政権を下支えし続けている構図は、逆説的というかなんというか、「事実は小説よりも奇なり」の思いが湧いてきます。中共が馬鹿なことをしでかせばしでかすほどに、安倍内閣の支持率は上がるのです。かつて、中共の頭目・毛沢東が、真顔で「中共が国民党から政権を奪取できたのは、日本軍が中国大陸を侵略してくれたおかげである」と旧皇軍を絶賛したという有名な逸話を思い出します。もしも、安倍内閣が長期政権を実現できたなら、安倍首相は真顔で「すべては、中共のおかげです」と習近平に礼を言わなければならないかもしれません。そうすると、もしかしたら、民主党の鳩山元首相や菅元首相がしゃしゃり出てきて「オレたちが、日本国民に対して『民主党政権はもうコリゴリ』という民主党アレルギーを植え付けた功績を忘れてもらっては困る」とクレームをつけるかもしれませんね。
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自民党は、TPPについての選挙公約を守りえているか (イザ!ブログ 2013・10・13,16 

2013年12月24日 11時30分27秒 | 外交
自民党は、TPPについての選挙公約を守りえているか

(その1)



安倍総理は、三月十五日にTPP交渉に参加する旨を発表しました。私は前々から、TPPの本質は自由貿易などではなくて、端的に言えば、アメリカのグローバル企業が日本で自由に利益を追求するための規制撤廃という名の国柄破壊であると考えていたので、その意思決定には到底賛成できませんでした。

ただし、自民党が先の衆議院選挙で掲げた公約を守るというので、安倍内閣の評価をめぐっての即断は避けて、とりあえず様子見をすることにしました。安倍首相が次のように言ったことを尊重する、というスタンスをとったのです。

TPPに様々な懸念を抱く方々がいらっしゃるのは当然です。だからこそ先の衆議院選挙で、私たち自由民主党は、「聖域なき関税撤廃を前提とする限り、TPP交渉参加に反対する」と明確にしました。そのほかにも国民皆保険制度を守るなど五つの判断基準を掲げています。私たちは国民との約束は必ず守ります。そのため、先般オバマ大統領と直接会談し、TPPは聖域なき関税撤廃を前提としないことを確認いたしました。そのほかの五つの判断基準についても交渉の中でしっかり守っていく決意です。

念のために、TPP関連の選挙公約がどういうものだったか、次に掲げておきましょう。

1. 政府が、「聖域なき関税撤廃」を前提にする限り、交渉参加に反対する。
2. 自由貿易の理念に反する自動車等の工業製品の数値目標は受けいれない。
3. 国民皆保険制度を守る。
4. 食の安全安心の基準を守る。
5. 国の主権を損なうようなISD条項は合意しない。
6. 政府調達・金融サービス等は、わが国の特性を踏まえる。

こうやって並べてみると、いまさらながらTPP公約をめぐる雲行きがどうも怪しいという感想が湧いて来るのを禁じえません。安倍首相の言明は、事実上骨抜きにされつつあるのではないでしょうか。その印象がどうにも払拭できません。以下、公約遵守の現状をひとつずつ検討してみることで、私のそういう漠然とした印象を検証してみましょう。

まず懸念されるのは、TPP交渉過程に関する守秘義務についてです。政府は7月23日、マレーシアでの交渉会合に初参加し秘密保持契約にサインしました。そのとき政府は、「守秘義務の中身も守秘義務の対象」と説明しました。これでは、ヘタをすれば、自民党が公約違反をチェックしようと思っても、その手がかりがまったくないことになってしまいます。事実、協議内容を伝えられず、それをほとんど把握できない自民党に困惑が広がっています。不満が高まっています。交渉が妥結すれば協定発効には国会承認が必要となりますが、政府が各国と結んだ秘密保持契約では、協定発効から4年間、交渉過程の開示も禁じられることになっています。これでは、国会で十分な議論ができるかどうか、はなはだ心もとないですね。承認するとしても、中身が分からないのに何を承認するというのでしょうか。盲(めくら)判を押すような馬鹿な振る舞いをすることになってしまいます。よく考えてみると、これは人を食ったような話です。そこで当然自民党内で、TPPへの懐疑論がくすぶることになります。「中身が分からないまま決まるのは非常に危険だ。条約を批准しない選択肢があることを強調すべきだ」という強硬な意見まで出ています。それもむべなるかなですね。(以上、http://mainichi.jp/select/news/20130807k0000m010042000c.html 参照)

次に、1の「聖域なき関税撤廃」についての懸念です。それに関わる重大なニュースが最近飛び込んできました。自民党の西川公也(こうや)TPP対策委員長が10月6日、TPP交渉が開かれているバリ島で記者団に対し、「聖域」として関税維持を求めてきたコメなど農産物の重要五品目について、関税撤廃できるかどうかを党内で検討することを明らかにしたのです。党側のトップの石破幹事長もそれを了承しました。石破幹事長は、「これは公約違反ではない」などと強弁しています。しかし昨年末の衆院選で、自民党は上記のように「聖域なき関税撤廃を前提にする限り交渉参加に反対」との公約を掲げ、重要五品目を守る姿勢を打ち出してきました。関税撤廃検討は、こうした公約を反故(ほご)にするともいえる振る舞いです。先ほど述べた守秘義務規定により、政府がこれまで交渉の経緯を説明してこなかったこともあり、農協およびそれを支持母体とする議員の反発が表面化しつつあります。



日経新聞(10月8日)朝刊より

上の表にあるとおり、コメ、麦、牛肉・豚肉、乳製品、砂糖の重要5分野(586品目)の関税を維持し、それ以外を撤廃した場合、自由化率は93.5%です。協議の現場では、おそらくそれ以上の自由化率を求める意見が大勢を占めつつあるのでしょう。だから、今後の交渉を有利に展開するためには聖域とされてきた重要5分野を精査して「聖域」をさらに絞り込む必要がある。交渉担当者はおそらくそう言いたいのでしょう。どうやら交渉の現場は、加工用米や麦加工品などのいわゆる「重要5分野のうちの副次的な223品目」の大半の関税をなくして自由化率を95%以上に高めたいようです。絞り込みの対象になるような「聖域」というのがいったいどういうものなのかよく分からない、と茶々を入れたくなります(これは、明らかな公約違反だということです)が、それはしばらく措くとしても、このまま話が進展すれば、日本の農林漁業が存亡の瀬戸際に追い込まれるのは必至なのではないでしょうか。(以上、www.nikkei.com/article/DGXDASFS0703P_X01C13A0MM8000/ 参照)

そのことをちょっと別の角度から述べてみたいと思います。以下は、三橋貴明氏と関岡英之氏の『検証・アベノミクスとTPP』(廣済堂出版)に多くを負っています。

よくTPPに関連して、日本の農地面積が約2ヘクタール、米国が約200ヘクタールだから100倍の開きがあると説明されます。そこで自由貿易時代に耐えうる農業の「担い手」を創出すべく、20~30ヘクタールまでの大規模集約化を可能とする改正農地法が検討されてきていて、次の臨時国会での法案提出が図られているようです。

それでも、まだ6倍~10倍の開きがあります。それも心配ではありますが、事の真相はそんな程度のものではない、というお話です。米国の格差社会化は農業分野においても顕著で、「家族特大農場」と呼ばれる超巨大農家の一戸当たりの経営面積は実に2500ヘクタールに及ぶそうです。それは、全米農場数のわずか3%を占めるに過ぎませんが、生産額ではなんと45%を占めます。すさまじいほどの富の偏在・集中です。TPPによって海外の荒波にさらされる日本の農家は、この巨大なモンスターと競うことになるのです。このモンスターは、当然ながらカナダやオーストラリアにも棲息しています。この、飛行機で農薬を撒いたりする工業プラントのような存在に、日本の個々の農家が自前の努力で太刀打ちできるはずがありません。そんなレベルの話ではないはずなのですが、テレビや新聞には相変わらず、やる気満々の若手の農家が登場してきて、規模の小ささは「日本の農業の品質の高さやブランド力で補おう!」という空元気的なノリに終始している有様です。このことに、私は心底からの危機感を抱いています。それは、竹槍でB29を迎え撃とうとする構えと同じようなもので、必敗者のそれにほかならないからです。TPP加盟は、食料自給率の顕著な低下という形で、日本の食の安全保障体制を根底からゆるがすことになるはずです。

今の交渉担当者たちは、単なる数字合わせで自由化率の95%達成をクリアしようとしているようですが、そのことの危うさにも触れておこうと思います。つまり、農産品の安易な関税撤廃は、軍事的な意味での安全保障体制をぞっとするような脅威に晒しかねないというお話です。

沖縄の離島で暮らす農家の人々は、本島の人々ほどには米軍基地の経済的な恩恵に浴することがかないません。基本的にはサトウキビの栽培で生計を立てているのです。実はこのこと自体が、日本の安全保障にとても貢献しています。いまのところ330%ぐらいの関税に守られて、どうにか生計を立てることがかなっていますが、TPPで粗糖の関税がゼロになったとすれば、サトウキビ農家は、壊滅的な打撃を受けることになるでしょう。そうなると食い扶持がなくなるわけで、やむなく沖縄本島や鹿児島などへの移住を余儀なくされるのではないでしょうか。そんな形でTPP発効から数年を経て沖縄の離島が無人化を余儀なくされるに至ると、中共は、そこへの中国漁民・農民の移住政策を密かに推進するはずです。その危険を未然に防いでいるという意味で、サトウキビの関税は、安全保障に大いに寄与しているのです。そういう視点を欠落させた近視眼的関税撤廃議論は非常に危険であることを、私たちは肝に銘じたいものです。

では次に、選挙公約2の「自由貿易の理念に反する自動車等の工業製品の数値目標は受けいれない」に話を移しましょう。これについては、守秘義務規定の枠内という制限つきではありますが、一見これといった不穏な動きはあたかも漏れ聞こえてこないかのようです。ところが、さにあらず。この選挙公約は、片務的なTPP日米並行協議の問題点と深くつながっているのです。

日本政府は、従来から自由貿易問題に関して米国との二国間交渉を避けたいのが本音でした。しかしながら、我が国のTPP交渉参加の許諾を米国から得るために、以下の条件をのむことを余儀なくされました。すなわち、TPP交渉と並行して米国との間で米国の関心分野である自動車、保険、衛生植物検疫措置(SPS:農業)等の非関税障壁について二国間で協議を行い、合意した内容はTPP発効と同時に法的拘束力を持った協定等によって実施されること、をです。

しっかりと「自動車」の文字が書き込まれていますね。それについて触れるまえに、「衛生植物検疫措置」(SPS)という聞きなれない言葉についてちょっと触れておきましょう。農林水産省のHPには、「WTO協定に含まれる協定(附属書)の1つであり、「Sanitary and Phytosanitary Measures(衛生と植物防疫のための措置)」の頭文字をとって、一般的にSPS協定と呼ばれています。正式には「衛生植物検疫措置の適用に関する協定」と訳されているので、SPS協定は「検疫」(Quarantine)だけを対象としていると誤解されがちですが、検疫だけでなく、最終製品の規格、生産方法、リスク評価方法など、食品安全、動植物の健康に関する全ての措置(SPS措置)を対象としています」という用語説明があります。とするならば、並行協議の場に、食の安全との関連で遺伝子組み換え食品の表示問題が米国から提示されるのは、ほぼ確実でしょう。前民主党政権は確か、「TPP交渉の場で遺伝子組み換え食品表示問題は議論されないことになっている」と重ねて力説していましたね。しかし、実質的なTPP交渉の一環である日米並行協議の場で、当議題が登場する可能性を排除できないことが、これで明らかになりました。いい加減なものですね。

では、並行協議における「自動車」の取り扱いはどうなっているのか、見てみましょう。米国の自動車業界は、日本のTPP参加に最も反対する勢力でした。日本車にはとてもかないっこない、というのが彼らの本音なのでしょう。その危機感に裏付けられた強い要求を受けて、現在日本車にかけられている米国の高関税については「TPP交渉における最も長い段階的な引き下げ期間によって撤廃され、かつ最大限に後ろ倒しされる」ことになりました。その一方で、日本市場については、米国車に対する「非関税障壁」が存在することを前提に広範な分野で米国の改善要求に沿った交渉が進められます。そのことが、日米事前協議の場で、日本政府は既に認めさせられているのです。端的に言えば、米国側は関税の撤廃の時期を好きなだけ延ばしていいが、日本側は関税の早期撤廃は当たり前のことで、そのうえ、米国にはない日本特有の商習慣は邪魔だからできうることならばすべてなくしてしまいたいというわけです。それを、日本政府はすでにのんでいるのです。

つまりこの協議は、米国は失うものが一切ない一方的・片務的交渉なのです。さらに、本年4月には、日本政府は販売台数が少ない輸入自動車のために特別に設けられた簡易な認証制度である輸入自動車特別取扱い制度(PHP)の対象となる一型式あたりの年間販売予定上限台数を2,000台から5,000台に引き上げることを決定させられています。これだけでも、われわれ日本人としては唖然としてしまいます。「お前ら、ふざけるんじゃない。日本人に気に入られるような高性能で安価な車を作るまっとうな努力をしろよ」と言いたくなってきますね。

最も問題と考えられるのが、米国と比べて我が国の方が進んでいる自動車の環境性能・安全に関する基準について両国の調和を図るとされ、さらにこのような規制を新たに講ずる際に「透明性」の確保として、新たな規制措置の事前通知、意見を表明する機会の保証、新たな規制に対応するための合理的な期間の確保などを求められている点です。我が国の国土が米国と比べて極めて狭く人口が密集しているという地理的な事情から、我が国の環境・安全基準の方は、米国内に比べて高めに設定されています。それを変更する合理的な理由などないのです。にもかかわらず、新聞報道によれば、例えば、国土の広い米国のほとんどの州においては自動車の騒音基準がないので、我が国にも騒音基準の段階的な撤廃を求めるなど国民の「安全安心」に直結する国内基準にまで、米国車を売りつけるための不合理な内政干渉を行ってくる意図が垣間見られます。(以上、http://www.dir.co.jp/library/column/20130821_007573.html を参照)

これで、「自由貿易の理念に反する自動車等の工業製品の数値目標は受けいれない」という選挙公約が、日米並行協議によって実質的になし崩しにされつつある現状が明らかになったのではないでしょうか。その批判を免れるには、石破幹事長あたりが「日米並行協議は、TPP交渉ではない」と強弁するよりほかはありませんね。

次に公約3の「国民皆保険制度を守る」について。これを論じるには、国民皆保険制度の精神を確認しておく必要があります。それは、「人の命は、お金も、家柄も、地域も関係なく、日本国民である限り平等である」という言葉に集約されるのではないでしょうか。これは、日本が世界に誇りうる医療制度というより、むしろ最良の福祉制度を支える素晴らしい理念です。この基礎の上に、世界保健機関(WHO)による医療制度の国際比較(二〇〇〇年)で、日本は健康達成度の総合評価で世界第一位、平等性で第三位という「偉業」を成し遂げたのです。これを日本政府が死守しようとするのは、統治者としての誇りをかけた当然のふるまいであると、私は思います。その理念の保持に、日本の国柄の最良の現れを見出すのは、私ばかりではないものと思われます。

そこで問題になるのが、混合診療の全面解禁是非問題です。混合診療の全面解禁是非問題は、TPP問題の論点のひとつでもあり、また、アベノミクスの第三の矢「成長戦略」の「目玉」として次の臨時国会にその法案提出がもくまれてもいます。結論を先取りすれば、混合診療の全面解禁は、国民皆保険制度の精神に全面的に反し、新自由主義的な価値観と目論見の織り込まれた極めて悪質な政策である、ということです。つまり、「国民皆保険制度を守る」ことと、混合診療の全面解禁とは、基本的なところで相容れないのです。私は、混合診療全面解禁のどこが問題なのか、いまひとつピンとこない状態がずっと続いていたのですが、最近やっとその危険性が分かってきました。それをお伝えしたいと思います。以下、その多くを再び三橋貴明氏と関岡英之氏の『検証・アベノミクスとTPP』に負います。

がんに注目すると、混合診療がどういうものであるか、端的に理解することがかないます。いまや日本人の二人に一人ががんになり、三人に一人はがんで亡くなっています。そうして、その率は右肩上がりで増えています。だから、がんはとても身近な話題であるといえましょう。

そこで、あなたががんになったという想定で話を進めます(そこにはなんの底意もありません。ひとえに混合診療の問題点をはっきりと分かっていただくための方便です)。あなたは、ある日医者からがんの告知を受けました。すると、通常は手術・放射線・抗がん剤投与など、国が承認している標準治療を受けます。その場合、保険が効きますので、原則自己負担は三割で済みます。これで根治できれば、あなたは混合診療の世界を知らないまま社会に復帰することができます。

ところがあなたは、残念なことに、がんが進行して全身に転移してしまった。そうなると、手術と放射線は使えなくなるので、治療法は抗がん剤だけになります。ところが、これには、薬剤耐性という決定的な弱点があります。つまり、抗がん剤は使っているうちにいつか効かなくなる日がくるのです。ほかに承認されている抗がん剤があれば切り替えますが、やがてすべての抗がん剤が効かなくなるという絶望的な日を迎えることになります。病院からは「もう治療法がない」と言われます。

で、「ああ、そうか」とあっさりあきらめられるかと言えば、そうはいかないのが人の性(さが)でしょう。あきらめ切れないあなたは、お金に余裕がある程度に応じて「がん難民」として自由診療のクリニックをもとめてさまよい始めます。私など、お金に余裕があればこころゆくまでさまようことでしょう。

自由診療は、国が承認していない治療法なので保険がききませんが、これを専門にしているクリニックはたくさんあるようです。混合診療というのは、国が認めた保険診療と、認めていない自由診療とを組み合わせて行うことです。そうしてそれは、国が認めていない治療が蔓延するのを防ぐために、現在原則禁止とされています。

自由診療の場合、国の保険が一切使えないので、本来保険が効くはずの入院費や検査費も全額自己負担になります。ところが、混合診療が全面解禁されると、自由診療部分は全額自己負担ですが、入院費や検査費などには保険が使えるようになります。というと、なにやらいいことのように聞こえますが、それで誰でもが気軽に自由診療が受けられるようになるわけではありません。

そのことについて、関岡英之氏が具体的な数字を掲げて説明していますので、それをここでも使わせていただきましょう。

保険診療の場合、自己負担分(三割)が、例えば、入院費(3日分)6万円+検査費(PET・CT)3万円+抗がん剤(承認薬)9万円=18万円になったとします。ここで、高額療養費制度上限規定が適用されて、負担月額は8万円となります。

次に自由診療の場合、全額自己負担となり、例えば、入院費(3日分)20万円+検査費(PET・CT)9万円+抗がん剤(未承認薬)30万円=60万円となり、これが月額負担です。

では、混合診療の場合はどうか。入院費と検査費には保険が効きますから、その分安くなりますが、抗がん剤には保険が効きません。つまり、入院費(3日分)6万円+検査費(PET・CT)3万円+抗がん剤(未承認薬)30万円=39万円の月額負担となります。

ここで、月額負担8万円しか払えない一般庶民にとって、自由診療を受ける費用が60万円から39万円になったとしても高額であることに変わりはありませんから、気軽に自由診療が受けられるようになったわけではありません。相変わらず、「高嶺の花」です。

しかし、お金持ちにとってはそうではありません。なぜなら、混合診療の全面解禁によって、自由診療の費用が三分の二になったのですから。彼らにとっては、より高額の自由診療を受けるモチベーションが高まることになりますし、また、60万円では自由診療を諦めていたが39万円なら受けたいという人がたくさんいるでしょう。

自由診療を「がんビジネス」としてとらえれば、混合診療の全面解禁は新たなビジネスチャンスの到来を生むことになります。つまりは、「おいしいお話」なのです。米国がこれまで年次改革要望書などにおいて混合診療の全面解禁を求め続けてきたのは、そこに目をつけたからです。

しかし、冷静に考えてみましょう。お金にものをいわせて自由診療の世界をさまよい続けるのは、仏教用語を使うならば、我執以外の何物でもありません。または、いま流行りの言葉を使うならば、愚行権の行使以外の何物でもありません。自分の責任において、我執に憑かれ、愚行権を行使するのは、本人の勝手であり、迷惑をかけられない限り、周りがとやかく言うことではありません。

しかし、国家が国庫からお金を拠出して、我執に憑かれたお金持ちの愚行権の行使をサポートするのは、どこかおかしくありませんか。一種のモラル・ハザード現象であるとも言えますし、「国民皆保険制度」を支えてきた健全な相互扶助精神とは著しくかけ離れた制度思想であるとも言えるでしょう。

「がんビジネス」の側面に焦点を当てるならば、混合診療全面解禁は、ステグリッツのいわゆるレント・シーキングにほかなりません。レント・シーキングとは、「企業が政府官庁に働きかけて法制度や政策を変更させ、利益を得ようとする活動。自らに都合がよくなるよう、規制を設定、または解除させることで、超過利潤(レント)を得ようという活動のこと」です。混合診療の全面解禁は、それにぴったりと当てはまる動きなのです。これは、言いかえれば、国家財政の私的流用の典型例です。竹中平蔵あたりは、そのことを知悉しながら事を運んでいるのでしょう。レント・シーキングこそは、新自由主義の醜い正体であり、その価値観の核心であり、その言説の真の狙いでもあります。

さて、多くのふつうのがん患者が望んでいるのは、混合診療の全面解禁なのではなくて、「ドラッグ・ラグ」の解消、つまり、欧米などの臨床試験で効果があると証明されている未承認薬を早く承認して保険適用を可能にすることです。

しかし、国は「財政負担の増大につながる」という理由で、保険の給付対象の拡大に応じようとしません。しかし、先ほどの数値例からも分かるとおり、混合診療の全面解禁もまた間違いなく「財政負担の増大につながる」のです。国民皆保険制度の精神に基づく財政負担の増大はダメで、国家財政の私物化の精神に基づく財政負担がOKである理由とはいったい何なのでしょうか。その理由に関してきちんと理にかなった説明ができる政権担当者がいるとは、到底思えません。それとも国庫は、国民全体の福利増進のためにあるのではなくて、ごく一部の強欲資本家のためにあるとでも臆面もなく言うのでしょうか。

これで、いま日本政府や米国が推進しようとしている混合診療の全面解禁が、国民皆保険制度の形骸化やさらには破壊を意味することがお分かりいただけたのではないかと思われます。公約3は、TPP交渉によって破ることを余儀なくされる以前に、政府自ら積極的に破ろうとしているのです。



(その2)食の安全・安心について



「その1」で、TPPに関する選挙公約の1~3を検討しました。次に、選挙公約4の「食の安全安心の基準を守る」を検討しましょう。

本論を展開する前にちょっと一言。「食の安全・安心」は、論点としてあまり派手な印象がありません。端的に言えば、ごく地味な論点です。反TPPの論陣を張る方々も彼らの言説を読む人たちも、ややもすれば華々しい思想闘争的な展開についつい目が行きがちです。そのほうが面白い感じがしますからね。それに、なにやらカッコイイし。しかし、食というのは体に入るモノなので、実は命に直に関わるきわめて大事な主題です。つまり、より良い食のあり方を論じることはストレートに国民の命を守ることなのです。「だれでも分かる安全保障」と言っていいでしょう。考えてみれば、これはどちらかというと女性の得意領域です。それに対して、反TPPを論じる者もそれに耳を傾ける者も、そのほとんどが男なので、勢い話が思想の空中戦に傾きがちになるのではないかと思われます。それでは、反TPPの議論に女性を巻き込めません。これは、反TPP陣営の大きな弱点ではないかと思われます。男連中は、「食の安全」議論を意識的にもっとすべきでしょう。

閑話休題。いろいろと調べてみて、私は、この分野に関しても公約違反がまかり通っているのではないかという印象を強めました。

TPPとの関連で、「食の安全・安心」をめぐる心配は次の三つが挙げられます。

・牛海綿状脳症(BSE)いわゆる狂牛病規制が緩和されるのではないか
・収穫後使用農薬(ポスト・ハーベスト農薬)を使用した農作物の輸入が増えるのではないか
・残留農薬、食品添加物、遺伝子組み換え(GM)食品表示に関する規制が緩和もしくは撤廃されるのではないか

そのなかでBSEに関して、TPP交渉に参加する前から、日本政府は米国に対して譲歩に継ぐ譲歩を重ねています。BSE対策の見直しが急ピッチで進んでいるのですね。今年の2月1日からは、輸入牛肉について輸入制限が30ヵ月齢以下に引き上げられ、今年3月1日からは、国内でもBSE検査月齢が30ヵ月に引き上げられました。さらに食品安全委員会の評価を経て、7月1日から48ヵ月以上に引きあげられました。

厚労省は4月19日、全国の都道府県知事に対して、7月1日からの検査月齢引き上げに伴い、「消費者に誤ったメッセージを発信する全頭検査」を廃止するようにと事前通達していたのです。

この検査月齢の引き上げに伴い、厚労省は6月28日、全国で全頭検査が廃止されることとなったと発表しました。最後まで廃止について態度を明らかにしていなかった千葉県は28日、廃止を伝えました。これにより全国の75自治体で行われていたBSE検査は、48ヵ月齢以上の牛についてのみ実施され、約8割の牛が検査なしで出荷されることになりました。

以上は、すべてTPP絡みの、「属国」としての卑屈な「配慮」としてとらえることができるでしょう。国民の健康にとって安全かどうかで判断すべき基準を、親分への「お土産」として緩和するなどいう振る舞いは言語道断です。国民の命をなんだと思っているのだ、という怒りが湧いて来るのは私だけでしょうか。安倍総理には面と向かって「日本政府のこういう卑屈で破廉恥な振る舞いと、戦後レジームからの脱却という気高い理念とは、いったいどこでどうつながるのか」と問い詰めたい気分になってきます。

こうした検査月齢の野放図な引き上げに対しては、専門家から、イタリアの非定形BSEからは、危険部位とされていないバラ肉などの筋肉部分でも「感染性が見つかっている」との批判が出ています。狂牛病については、すべてが明らかになったとは言えず、世界的にも発症が止まったわけではない中、こうした急ピッチの“見直し”で、安全は担保されるのでしょうか。きわめて疑問であると言わざるをえないでしょう。(以上、organic-newsclip.info/log/2013/13060564-3.html 参照)

次に、収穫後使用農薬(ポスト・ハーベスト農薬)について。ちょっと聞きなれない言葉ですね。収穫された農産物の輸送や貯蔵中における害虫による被害を防ぐために、収穫後に農薬を使用することがあります。このような農薬をポスト・ハーベスト農薬と言います。

日本で、農薬のポスト・ハーベスト使用は、保管のためのくん蒸剤以外認められていません。しかし、米国からの輸入農産品に対する規制に関しては、米国の圧力に屈して妥協・緩和をし続けてきた歴史があります。

一九七五年、米国産柑橘類から認可していないカビ防止剤のOPPとTBZが見つかりました。当座は輸入を禁じましたが、その後米国から圧力を受け、77年使用を認めました。理由は、「農薬ではなく食品添加物である」という小首をかしげるものでした。

九〇年には違法添加物イマザリルが米国産レモンから検出されましたが、政府は二年間放置しました。九二年九月に、一応問題視したというアリバイ作りのために(?)輸入を禁じたものの、同十一月には認可しました。

米国の年次改革要望書(2001年~2009年)には、日本の農業をめぐる非関税障壁の撤廃を要望する旨の言葉が繰り返し登場します。「農業をめぐる非関税障壁」には、もちろん(彼らにとって)厳しすぎる農産物に関する規制を緩和することが含まれています。

このように米国政府が圧力をかけ続けてきたのは、日本の厳しい規制(農薬残留基準に関して、ものによっては米国の60~80倍の高い基準を採用しています)に対する根強い不満があるからです。それはそうでしょう。お風呂好き、清潔好きの潔癖な日本人にとっての「食の安全」を守る大事な障壁は、彼らにとってはすべて金まみれの「貿易障壁」なのですから。今回、TPP交渉と並行協議とを駆使して、米国政府は、日本の食に関する規制の緩和に向けて一気に攻勢をかけてくるものと思われます。そう覚悟すべきなのです。

次に、食品添加物について。食品添加物に関して、日本の基準は非常に厳しいといわれています。現在、日本で使用できる食品添加物は約800種類。それに対してアメリカでは約3000種類の食品添加物が認められています。その差の約2200種類の食品添加物がいきなり全面解禁されるということはないでしょうが、今回アメリカがかなり強硬に規制の緩和を求めてくるのはまず間違いないでしょう。日本が国内事で決めた安全基準を、「厳しいから緩めろ」と米国が要求し、それがまかり通ってしまうなんて、腹立たしい限りですね。「他人の命をなんだと思っているんだ」と言ってやりたいところです。もちろん、日本政府に対してですよ。

次に、遺伝子組み換え食品表示撤廃問題について。当商品については、表示問題のみならず、実は商品そのものの問題があります。それは、あまり知られていないことなので、表示撤廃問題に進むまえに、きちんと述べておきましょう。

いまの日本経済はいまだにデフレです。だから、「安さ」は日本の消費者を吸引する大きなポイントになります。あいかわらず、財布の紐は固いのです。TPPに加盟すれば、安い商品が大量に出回ることになり、消費者は大喜び(ぬか喜び?)するのかもしれません。しかし、食に安さだけを求めることは、自分の命を削り、次世代に負担を強いることです。その覚悟があって、安い商品の大量流入を受け入れようとしているのでしょうか。

このことをめぐり、東大教授の鈴木宣弘氏が一例をあげて次のように述べています。もしTPPに参加すれば、米国からホルモン剤を使った安い乳製品がどんどん入ってくるでしょう。米国では、rbSTという遺伝子組み換えの成長ホルモンを乳牛に注射して生産量の増加を図っています。このホルモン剤を販売しているモンサント社は、これを日本の酪農家に売ろうとしても、日本の消費者の拒否反応を恐れてうまくいかないだろうと考えて、日本での許可申請はいまのところ見送っています。

そういう状況だったのですが、数年前の米国で、このrbSTを摂取すると乳がんや前立腺がんの発生率が高まるという医学的な検証が出てきました。それで、スターバックスやウォールマートなどが、rbST使用乳を取り扱わないことにしました。そうして、それをきかっけに米国ではそういう店が増えてきたそうです。日本では使用認可されていませんが、認可されている国からチーズや原乳の形で輸入されるものにrbSTが使われていても輸入は規制されていないので、日本の消費者はそれを知らずに食べているのです。TPPに参加すると、そういうケースが劇的に増えるものと思われます。みなさん、ぞっとしませんか。これは大変なことだと思います。私の場合に限ってですが、マスコミがそれに触れたのを見聞きした覚えがありません。政府は政府で、なぜだんまりを決め込んでいるのでしょうか。まさかとは思いますが、アメリカ様に気兼ねをしているのでしょうか。

では、人口に膾炙(かいしゃ)している遺伝子組み換え表示撤廃問題に移りましょう。この問題について、まず確認しておきたいのは、商品に表示されている「遺伝子組み換えではない」という表示は、厳密な意味では、一種のフィクションであるということです。それは、以下の事情があるからです。

日本では遺伝子組み換え食品(農産物と加工食品)に表示義務が課せられています。しかし、飼料には表示義務がありません。加工食品について表示義務があるのは、その農産物が主な原材料(重量に占める割合の高い上位3位まで)で、かつ原材料の重量に占める割合が5 %以上の場合だけです。

実は日本は遺伝子組み換え食品の輸入大国です。食料自給率の低さからすれば、それは当たり前のことです。日本はトウモロコシの世界最大の輸入国であり、その量は年間約1,600万トンです。その約9割がアメリカ産で、そのうち88%が遺伝子組み換え品種です(2012年米国農務省調べ)。それが主に家畜の飼料をはじめ、食用油やコーンスターチなどの加工食品の原料に使われています。また、大豆も年間約300万トンも輸入されており、その約7割がアメリカ産で、そのうち93%が遺伝子組み換え品種です(2012年米国農務省調べ)。大豆加工食品の代表である醤油にも遺伝子組み換えの表示義務はありません。これは、加工後の食品から遺伝子組み換えタンパク質が検出されないからとのことです。
(以上、http://www.uplink.co.jp/sekatabe/frandjp.php 参照)

「遺伝子組み換えではない」という表示は、消費者の「かりそめの安心を得たい」というはかないニーズに応えたフィクションであることがお分かりいただけるでしょう。私は、何か皮肉を言いたいのではありません。日本の消費者が気慰みの表示義務維持では満足できずに本気で遺伝子組み換え食品を口にしたくないと思うのだったら、食料自給率を上げるよりほかに抜本的な解決策はない、と言いたいだけです。しかし、日本政府のTPP交渉の仕方を見ているかぎり、それとは逆の流れになっています。表示されようがされまいが、このままでは間違いなく私たちの体に入る遺伝子組み換え食品の量は事実上格段に多くなるでしょう。そうとしか、言いようがありません。

以上の議論を踏まえたうえで、以下の文章をご覧いただきたいと思います。

TPP交渉でアメリカが日本のGM食品表示義務を撤廃させる?[2013年05月27日] wpb.shueisha.co.jp/2013/05/27/19353/

TPP交渉参加により、食品における成分表示義務の撤廃と輸入の規制緩和が危惧されているGM(遺伝子組み換え)作物。だが実は、日本における「GM作物使用」の表示義務はごく一部の食品に限られており、大豆やトウモロコシなどの輸入過程で “意図せずに混入する”ケースも最大5%まで認められてしまっているのが現状だ。

では、GM作物輸出大国のアメリカの場合はというと、日本のような表示義務は一切ない。というのも、アメリカにはかねて、元の作物とGM作物が姿形、主要栄養素などが実質的に変わらないと見なされた場合、安全性は元の作物と同じとする「実質的同等性」という大ざっぱな考え方があるからだ。

一方、EU(ヨーロッパ連合)はアメリカとは正反対。疑いがあるものはすべて表示せよという「予防原則」の立場をとり、GM成分が全体の重量の0.9%を超える場合はあらゆる食品、飼料、レストランのメニューに至るまで詳細な成分表示が義務づけられている。

市民バイオテクノロジー情報室の天笠啓祐(あまがさ・けいすけ)代表が解説する。

「ヨーロッパの表示は消費者のため、アメリカや日本の表示は業界のためにあると言っていいでしょう。表示の基準が低ければ低いほど、食品メーカーも農薬メーカーもビジネスをしやすい。以前、表示制度を担当した農水省の役人と話していたら『だって、穀物の輸入をアメリカから止められたら大変なことになる。表示を厳しくしたら穀物が足りなくなって、困るのはあなた方ですよ!』と言い返されたことがあります。なるほど、表向きは表示を義務づけておいて、裏で政府はGM産業を半ば国策として推進しているアメリカの事情に配慮してるんだな、と感じましたね」


天笠氏いわく、アメリカへの配慮によって生まれた今の日本の表示義務。ところが、7月にも交渉に参加するといわれるTPPによって、アメリカの要求はエスカレートし、表示義務の撤廃にまで及ぶとも指摘されている。

日中韓FTA(自由貿易協定)の事前協議メンバーも務めた、東京大学大学院農学生命科学研究科の鈴木宣弘教授は、こう話す。

「TPP交渉で、GM食品の表示義務の撤廃をアメリカ側が求めてくる可能性はあります。なぜならTPP交渉に参加したいなら、それ相応の“頭金”、いわゆる譲歩を事前に約束しろ!とアメリカから突きつけられ、さらにまだ支払い足りない分は、TPP交渉と並行した日米2国間協議で解決することを確約させられたからです」

この2国間協議で、日本にはアメリカの要求を丸呑みした“実績”がある。

「日本はすでにアメリカへ輸出する日本車の自動車関税の撤廃について、長期の猶予期間を設けることを約束させられています。ほかにBSE(狂牛病)発生以降、生後20ヵ月までに限定していたアメリカ産牛肉の輸入規制を30ヵ月に広げられ、かんぽ生命保険によるがん保険などの新規業務を凍結させられました。さらにアメリカが求めるのは、そのほかの非関税障壁の撤廃。GM表示の規制緩和は、そのなかで要求されるでしょう」(鈴木教授)

昨年3月に発効した韓米FTAでは、交渉開始の条件として、アメリカは韓国にこんな“頭金”を求めている。

「アメリカが科学的に安全と認めたGM食品は自動的に受け入れること。それから国民健康保険が適用されない営利病院を認めること。そしてアメリカ産牛肉の輸入条件の緩和。この3つを韓国は事前に受け入れたのです。アメリカの出方を探るなら、韓米FTAは格好の材料といえます」(鈴木教授)

しかもアメリカの貿易問題をつかさどるアメリカ通商代表部のマランティス代表代行は「TPP交渉は韓米FTA以上の厳しさになる」と“クギ”をさしている。

アメリカは、まず食品表示の義務をなくし、GM作物やGM食品を日本にガンガン輸出するのが狙いだろう。もしGM食品の表示義務がなくなれば、日本の消費者はGMと非GMを選択できなくなる。結果、より多くのGM食品を口に入れることになってしまうのだ。
(以下略)  
 (取材・文/長谷川博一)

さて自民党は、「食の安全・安心の基準を守る」という選挙公約を守ることができているでしょうか。また、これからはどうでしょうか。残念ながら、そのどちらに対しても、YESとは言い難いと申し上げるよりほかはありません。

まずBSE基準に関しては、交渉に入る前に米国のいうがままを唯々諾々と丸呑みしてしまっているのですから、あっさりと公約違反をしてしまったと断じるよりほかはないでしょう。自民党がそれに反論したければ、またもや石破幹事長にご登場願って、「BSE基準に関して、TPP交渉『では』一切妥協していないので、公約違反とは言えない」と強弁してもらうほかないでしょう。

次に、残留農薬、食品添加物、遺伝子組み換え(GM)食品表示に関する規制の緩和について。報道によれば、「日本をはじめ各国が独自に設けている食品安全基準の緩和が、TPP交渉の議論の対象になっていないことが八月二八日、分かった。基準緩和は見送られる公算が大きく、食品添加物や農産物の残留農薬の一部で国際基準よりも厳しい基準を採用している日本の厳格な規制も容認される見通しになった。ただ、米国は基準を決める手続きなどの簡素化を求めており、TPP交渉と並行して進めている日米の2国間協議では焦点になりそうだ」とあります。http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201308280103.html

日米二国間協議が要注意である点を指摘しているのは妥当であるとは思いますが、それでもまだ見通しが甘いと私は考えます。

理由その一。日本政府の、農産物重要五分野以外の農産物の関税を全廃し、さらに重要五分野も聖域扱いをせずに部分的に関税全廃の対象にしようと検討している動向(これ自体、明らかな公約違反です)から察するに、TPP参加後の海外からの安い農産品の大量流入によって打撃を受けた多くの日本の農家が経営規模の縮小やさらには廃業を余儀なくされることによって、今後日本の食料自給率が低下することはあっても、上昇することはありえないものと思われます。とするならば、食品の輸入量はこれからますます増えることになるでしょう。だから、GM食品の表示に関する規制がまったく緩和されなくても、さきほど述べた通り、われわれ日本人がGM食品を摂取する絶対量は相当に増えると考えるべきです。それは、「消費者がGM食品を図らずも口にすることを防ぐ」という規制趣旨に反する事態を招来するのですから、実質的な意味での公約違反となります。

理由その二。同じく、仮に幸運にも規制がまったく緩和されなかったとしても、米国としてはISD条項さえ通しておけば、事後的にそれらの規制緩和を実現できるからです。それほどに、ISD条項とは恐ろしい毒素条項なのです。それについては、次回に触れましょう。

*「次回に触れましょう」と言いながら、いまだに続編が出ていません。念頭にはあるので、遅からずアップしたいと思っています。(2013・12・24 記す)
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中国事情、つれづれなるがままに   (イザ!ブログ 2013・9・26 掲載)

2013年12月22日 06時16分05秒 | 外交
中国事情、つれづれなるがままに



最近の中国情勢のもろもろが、魚の小骨のように引っかかっています。気にかかってしかたがないのですね。

とはいうものの、私は別に中国事情のウォッチャーではありませんし、ましてや専門家でもありません。だから、気にかかるネタをいくつか並べてみて、そこに浮かび上がる何かがあるかどうか検証めいたことをしてみようと思います。それはもちろん、尖閣問題がどれほど深刻なものであるのかという問題意識に集約されることになるでしょう。

私見によれば、尖閣問題に関する大きな情報で最新のものは、msn産経新聞ニュース当月21日掲載の「王毅外相、米で日本批判 尖閣めぐり」でしょう。sankei.jp.msn.com/world/news/130921/chn13092110450000-n1.htm

【ワシントン=佐々木類】中国の王毅外相は20日、訪問先のワシントン市内で講演し、尖閣諸島(沖縄県石垣市)について、「日本が41年前の日中合意を否定して国有化したため、中国としても対抗措置をとらなければならない」と述べ、日本政府の姿勢を批判した。

(中略)

王氏は「われわれは話し合いのテーブルにつく用意があるが、日本が『領有権問題は存在しない』として協議に応じない」とも述べ、尖閣諸島をめぐる日中対立の原因は日本側にあると強調した。

王氏が講演したのは、リベラル色が強く、オバマ政権に多くの政策提言をしてきた大手シンクタンク「ブルッキングス研究所」。元ホワイトハウス国家安全保障会議(NSC)アジア上級部長時代にG2(米中2国の枠組み)を主導し、現在は同研究所上級研究員を務めるジェフリー・ベーダー氏が講演後に質疑を行った。


中国外相の発言中の「41年前の日中合意」とは、国交正常化した1972年の日中共同声明のことでしょう。しかし、同声明で尖閣諸島について「棚上げ」で合意した事実はありません。尖閣諸島に関して「領有権問題は存在しない」というのが日本政府の一貫した立場です。

また、2012年9月の野田民主党政権は、尖閣諸島の国有化に関して「平穏かつ安定的に維持・管理するため、1932年まで国が所有していた所有権を民間の所有者に移転していたものを再度国に移転するものに過ぎない」というコメントを残しています。しかも、尖閣諸島の一部は12年9月以前から国有化されています。だから、王氏の発言は、事実関係の誤認に基づくものです。

しかし中共首脳は、そんなことなど先刻ご承知であるにちがいありません。なぜなら彼らは、軍事力の行使による戦争以外に、サイバー戦争や情報戦を、それと同じくらいに重視していて、今回の発言もその情報戦の一貫であることが明白であるからです。つまりヒトラーと同じく、彼らは「ウソも百回言えば本当のことになる」という考え方の信奉者なのです。つまり、自分たちの発信するメッセージの真偽よりもその効果のほどを彼らは重視するのです。その意味で、彼らは徹底したリアリストです。内戦と情報戦を戦い抜くことで、中華民国政府から大陸中国の実権を力ずくでもぎ取った中共の先達のDNAは、歴史的な記憶として、今の中共首脳部に確実に引き継がれているということです。下品なたとえ話をすれば、女を口説くとき、口説き文句に自分の真情がどれほどこめられているのかということよりも、それが「落とす」という目的に関してどれほど効果的であるのかを重視する男っていますよね。こういう男をふつうリアリストと呼びますね。それがあまりに露骨だと嫌われてしまうわけですが。中共ってのは、そういう露骨な男のような考え方をします。

そういうふうに考えてみると、王外務相の発言が、中国寄りの姿勢の目立つ米国のリベラル勢力に中国の一方的な主張を訴え、かつてG2(米中2国の枠組み)を主導した知識人に講演後の外務相との質疑を任せて米国リベラル陣営における中国のイメージアップを図るものであることは、やはり無視できません。米国における中国の尖閣問題をめぐる地歩固めを一歩でも二歩でも進めるうえで、今回の動きは一定の効果があったと考えざるをえません。「デマを飛ばしても、何の効果もない」などとタカをくくるのは間違っています。安倍首相が、五輪招致のプレゼンテーションで「汚染水の状況はコントロールされています」と言ったのに対して、目くじらを立てて「ウソをついた!ウソをついた!」と糾弾したがる日本人の可愛らしい国民性をながめて、海の向こうから高笑いが聞こえてくるようです。「なんと手玉に取りやすい国民であることよ」と。

繰り返しになりますが、中共は、軍事力の行使以外のサイバー戦争や情報戦をそれと同じくらいに重視しています。アメリカ国防省の「中華人民共和国の軍事及び安全保障の進展に関する年次報告(2011年八月)」には、中共の情報戦=三戦(世論戦・心理戦・法律戦)についての次のような説明があります。

世論戦:中国の軍事行動に対する大衆及び国際社会の支持を築くとともに、敵が中国の利益に反するとみられる政策を追求することがないように、国内及び国際世論に影響を及ぼすこと。

心理戦:敵の軍人及びそれを支援する文民に対する抑止・衝撃・士気低下を目的とする心理作戦を通じて、敵が戦闘作戦を遂行する能力を低下させようとすること。

法律戦:国際法及び国内法を利用して、国際的な支持を獲得するとともに、中国の軍事行動に対する予想される反発に対処すること。


王外務相が、「法律戦」を手段として直接的には「世論戦」を展開することを通じて「心理戦」的な効果をも狙っていることがお分かりいただけるのではないでしょうか。中共は、デマを飛ばし続けていますが、それは、すべて自覚的戦略的なデマなのです。それに対して、日本政府は常に守勢に立ち、後手に回ることを余儀なくされています。また、日本のマスコミはおおむねいままで述べたことに関して感度が鈍い。日本国民がまっとうな危機感を抱くようなマトモな報道を展開しようとはしません。さらには、毎日新聞や朝日新聞のように、日本の新聞でありながら、中共の立場で記事を書いているとしか思えないような不健全な報道が少なからずあります。尖閣問題に関して、侵略の意図を一方的に一貫して抱いているのは中共であり、中共が「話し合い」によって日本政府に妥協する余地はまったくないという厳しい現実を踏まえたうえでの報道でなければ、それらはすべて広義における虚報とならざるをえないことを私たちは肝に銘じる必要があります。日本政府の姿勢は拙劣ではありますが、良い悪いの次元で言えば、中共はこの問題に関して常に一方的に悪いのです。私がこの当たり前のことを力こぶを入れて主張しなければならないほどに、日本における中共の「三戦」は着実に成果を挙げていると言えましょう。私が今しているお話は、おそらく日本人の七~八割にはほとんど通じないものと思われます。それほどに、日本は中国に情報戦によってヤラれてしまっているのです。

ここで、日本における中共のスパイ活動について話したい気がしないわけでもないのですが、それについてはもう少し勉強する必要がありそうなので、控えておきます。ただし、その浸透ぶりは、私たち一般国民の想像をはるかに超えた戦慄すべきものであるとはどうやら言えそうです。マスコミ内はもちろんのこと、国籍条項を撤廃した地方自治体や一流企業にも、中共のスパイはすでに大量に潜り込んでいるものと思われます。また、例の朱建栄氏の件なんてずいぶんきな臭い話しだし、そこには熟考すべきものが少なくないとも思われます。ほかにも最近日本から忽然と姿を消した中国知識人がいるようですね。また、日中関係について独特のポジションから貴重な発言をし続けている石平太郎氏なども、中共の策謀に引っかからないよう身辺に気を配られたほうが良いような気がします。石平氏によれば、日本にいる中国知識人はいま事実上の箝口令を布かれていて、中共の自分たちに対する出方をめぐってあれこれと憶測し戦々恐々としているとのことです。日本にいる中国知識人が日本の報道機関と接触することに対して、中共首脳が極度に神経質になっている現状が想像されます。習政権は、政局運営に関して、おそらく相当に苦慮するところがあるのではないでしょうか。そのことについては、後であらためて触れましょう。

最近新聞が大きく取り上げた中国関連の情報といえば、日経新聞インタネット版九月二四日に掲載された薄熙来(はくきらい)氏の無期懲役判決でしょう。www.nikkei.com/article/DGXNASGV24002_U3A920C1000000/ 当記事はとても参考になるものだったのですが、気になるのは、それが英フィナンシャル・タイムズ紙に掲載された記事の翻訳である点です。もしかしたら、日本の大手新聞は、中共に関してはっきりしたことが言えなくなっているのかもしれないのです。事実上の報道管制。私の杞憂に過ぎないことを祈ります。

さて、同記事を見てみましょう。全文を引くことにします。

22日に無期懲役の判決が下った中国の元重慶市トップの薄熙来被告は、手錠をかけられ、両脇を大柄な警察官に固められながらも、顔にうっすら冷笑を浮かべているように見えた。

収賄、横領、職権乱用で有罪を宣告した裁判官に対し、同被告は判決が「不当」で「不公正」だと叫んだと、海外の中国メディアは23日に法廷の様子を伝えた。ただ、国営テレビでは報道されなかった。

昨年失脚するまで中国共産党の25人の政治局員の一人だった薄被告が、妥協することなく抵抗姿勢を貫いたことは、党指導部がこれほど厳しい判決を仲間の一人に下す必要性を感じた理由を部分的に説明している。

■最大の脅威は党内部から起こる

さらに、権威に頼る共産党が直面する動かしがたい事実も浮き彫りにする。世界最大の人口を抱える国家を継続支配するうえで最大の脅威は、革命でも、平和な反乱でもなく、党内部から起きるということだ。

共産党が軍や公安を含む政治や国民生活のすべてを掌握していると、「悪い皇帝」がトップに就いた場合のリスクが大きく、上層部に深刻な亀裂が生じれば、体制崩壊や機能不全に陥る恐れがある。

「歴史の終わり」の著者で米スタンフォード大学のシニアフェロー、フランシス・フクヤマ氏は「薄熙来は『悪い皇帝』になる恐れをはらんでいた。エリート集団で唯一、毛沢東後の党の総意を塗り替えるカリスマ性をもった存在だった」と指摘する。「彼が昇進していたら、体制をひっくり返し、ルールをすべて変えたかもしれない」という。

政府の公式説明によると、薄被告の失脚の引き金になったのは、薄被告の元側近だった王立軍・重慶市前副市長兼公安局長との個人的ないさかいだという。

王受刑者は汚職の罪と、薄被告の妻、谷開来受刑者が英国人ビジネスマン、ニール・ヘイウッド氏を重慶市のホテルで殺害したとされる事件を隠蔽した罪で、懲役15年の判決を受けて服役中だ。

王受刑者がこの殺害事件の証拠をつかんで薄被告にひそかに報告したところ、薄被告は激怒して王受刑者を殴打し、大半のポストから解任したという。

これに対し、王受刑者は米領事館に駆け込んで薄被告に命を狙われていると訴え、殺害事件を巡る証拠を提示し、それが後に中国の捜査当局の手に渡った。

谷受刑者は昨年、執行猶予付き死刑判決を受けており、生涯服役するものと見られる。

政府コメントでは、王受刑者が上司を裏切るに至った経緯が説明されていないが、フィナンシャル・タイムズ紙が得た多くの情報源によると、薄被告の政敵による厳しい捜査で追い詰められた王受刑者が、薄被告に保護を求めていたようだ。

政敵は、2012年11月に行われた10年ぶりの指導部交代においてトップ7人の党政治局常務委員入りをねらう薄被告に対し、同被告の一族や協力者の不正の証拠をかき集めて妨害するつもりだった。

結局、新たに発足した指導部では習近平氏が党総書記、国家主席、そして中央軍事委員会主席に就任した。

■反体制派の動きを封じ込める習主席

薄被告をよく知る人々は、彼がひとたび指導部入りすれば、同志を追放し、競争相手のいないリーダーとして突出した地位を築くだろうことを恐れた。習主席の経歴は驚くほど薄被告と共通点が多く、トップ就任以来の政策も異様なほど薄被告の政策と似ている。

習主席は汚職や不満、党の方針への批判に対する厳しい弾圧を指示してきた。それは、薄被告が重慶市時代に手掛けた暴力団や腐敗一掃の「打黒」運動を強く連想させる。

また習主席は、好んで毛沢東の言葉を引用し、共産党の過去を賛美してきた。

習主席が権威主義に傾斜し、薄被告の政策を模倣するのは、根強く残る同被告の影響力を中和し、党内部から政治的変化を引き起こす可能性があり、党が最大の脅威と見なす反体制派の動きを封じ込めることが狙いだと党幹部は認める。

64歳の薄被告は控訴する方針だが、政治の表舞台から消えるのはほぼ確実だろう。しかし同氏の失脚により、中国の政治が姿を変え、内部の亀裂が一党支配体制にどれほど大きな脅威になり得るかが明らかになったのは確かだ。

By Jamil Anderlini


この記事を読んでの素朴な感想は、「薄被告は、無期懲役という重罪に処されたのであるから、さぞかしヒドいことをしたに違いない。では、重罪に値するような、薄被告の悪業とは何なのか、具体的にはさっぱり分からない」ということです。奥さんが本当に人殺しをしてしまったのなら、それはヒドイことであるとは言えそうです。しかし、薄被告が人殺しをしたわけではどうやらなさそうです。高い地位を利用して、妻の殺人の事実をもみ消そうとしたならば、それは確かに軽くない罪ですが、それも上記の記事を読む限りはっきりとはしません。

要するに、裁判を通して事実関係がはっきりしたというわけではどうやらなさそうなのです。相変わらず、すべては藪の中。なんとなく、色欲と権力と権謀術数の匂いの立ち込めたあまりにも怪しい事件であるとは思いますけれど。薄被告の社会的生命を抹殺するという政敵(具体的には習近平)の意図が最初にあり、裁判という形を借りて、その意図を貫徹した。はっきりしているのは、どうやらそれだけです。はっきりした証拠があろうがなかろうが、そんなことはお構いなし。実権を握った側が「コイツを抹殺する」という意思を固めたならば、そこには、なんとしででもそれを完遂するという力ずくのプロセスがあるばかりです。記事にある通り、政敵が手強ければ手強いほどに、実権を握った側の抹殺の仕方は問答無用の熾烈なものとなる。それは、そうしなければ、今度は実権を握ったはずの側が、ひっくり返されてしまう危険があるからです。抹殺する側も必死なのです。記事にもある通り、「世界最大の人口を抱える国家を継続支配するうえで最大の脅威は、革命でも、平和な反乱でもなく、党内部から起きる」という事実を、実権を握った側は骨身にしみて知っているのでしょう。さすがは、「法の支配はなくて、あくまでも人治主義があるだけだ」と言われるお国柄だけのことはあります。彼らにとってみれば、極東軍事裁判における勝者による敗者の裁きなんて当たり前のことであって、何が問題なのかさっぱり分からないのではないでしょうか。

このような生死を賭けた権力闘争は、中国権力政治におけるお家芸である、とはよく言われることです。私は、その事実をこれまで知らないわけではありませんでした。しかしながら、それはあくまでも国内政治における現象であるとばかり思っていました。

ところが、それが尖閣問題にも濃い影を落としているどころか、尖閣問題を生み出しているという面さえもあることが近ごろ分かってきました。具体的には、軍事ジャーナリスト・鍛冶俊樹氏の『国防の常識』(角川ONEテーマ21シリーズ新書)や彼のメーリング・リストを読んで、そのことに気づきました。

鍛冶氏によれば、中国政治における権力闘争は、中国共産党の内部においてのみならず、中国共産党と人民解放軍との間においてもあるとのことです。『国防の常識』から引用しましょう。

中国共産党はもともと政治部と軍事部の二本立てで、それぞれが現在、中国政府と中国人民解放軍になっている。同じマルクス・レーニン主義国家でも旧ソ連とは根本的に違う。ソ連の場合は、ソ連共産党が軍を完全に支配下に置いていたが、中国では両者は対等な関係なのである。

何故こうした違いが生じたかと言うと、ソ連の場合、軍隊はもともとロシア帝国軍であった。帝政が倒れ共産主義者が国家を乗っ取り、いわば皇帝に成り代わって軍隊に命令する様になったのだ。

中国共産党はこのソ連により第1次世界大戦後に設立された。軍事工作を主とする部門と政治工作をする部門とに分かれ、ソ連からの命令で動いたのである。後に中ソ対立でソ連から離れたため、統一的な命令権者がなくなり政府と軍の二本立てのまま今日に至っている。現在、国家主席は胡錦濤(二〇一二年八月現在。いまは、習近平――引用者注)だが、これは政府の代表に過ぎない。軍の代表は軍主席、正確には中央軍事委員会主席という役職が別にある。胡錦濤は二〇〇三年三月に国家主席に就任し翌年九月に軍主席を兼務して漸く国家の統一を保っている。

ところが軍主席は中央軍事委員会で選出される仕組みになっており、委員会のメンバーはほぼ軍人だ。つまり軍の意向一つで胡錦濤はいつでも軍主席を解任されてしまう立場なのだ。


中国共産党は一枚岩の権力機構なのではなくて、政治部を中国政府が、軍事部を中国人民解放軍がそれぞれ担う二本立て構造であるという指摘は重要です。というのはその指摘をもとに考えれば、中共の尖閣諸島戦略のうち軍事的な側面は人民解放軍が、情報戦(三戦)は中国政府が、それぞれ相対的に独立して担っているという視点を獲得することができるからです。とすると両者は、ある局面では協業関係にあり、また別な局面では離反することになります。そこに、政府と軍との間の権力闘争の契機が存在します。とりわけ注意すべきは、人民解放軍による尖閣諸島をめぐっての暴走や単独行動が生じた場合、中国政府は、それを抑止しうる権力を構造的な原因によって手中にできないという点です。戦前の日本政府と関東軍との関係に似たものが、いまの中共には存在するのです。

そこで気にかかるのは、中国人民解放軍の思想傾向です。それについて、鍛冶氏は同書でおおむね次のように述べています。

現在の中国は社会主義市場経済のしくみを大胆に導入しています。だから、硬直したマルクス・レーニン主義は、あたかも捨て去った過去のものであるかのようです。しかしながら、軍内部の基本的なテーゼは相変わらずマルクス・レーニン主義であり、それは微動だにしていないというのです。では、彼らのイデオロギッシュな目に、市場経済の大胆な取り入れはどう映っているのでしょうか。

マルクス・レーニン主義によれば、資本主義の崩壊は歴史的必然です。だから、市場経済や外資を大胆に導入した中国資本主義の崩壊も必然です。そうしてそれと、中国バブル経済崩壊論とは、彼らの頭のなかでは符合します。つまり、中国人民解放軍首脳部は、資本主義化した中国経済は遅かれ早かれ崩壊すると考えているのです。だからその前に、台湾・南シナ海・尖閣諸島などを結ぶ第一列島線までの海洋支配を確実なものにしておこうと考えているそうです。なにせ、台湾統一は中華人民共和国の国是なのですから。

それゆえ、人民解放軍の尖閣諸島侵略の意図はあくまでも真剣なものであるのみならず、それは、中国経済崩壊のタイム・テーブルをにらんでの焦燥感にあふれたものでもあるのです。なんとも危なっかしい話ではありませんか。

尖閣諸島問題に投影される中国内部の権力闘争は、中国政府と人民解放軍との間のそれにとどまりません。鍛冶氏が週に一度のペースで配信している「軍事ジャーナル」の九月二一日(土)「中国の権力闘争」によれば、人民解放軍と警察との間にも権力闘争は存在します。

日本では軍隊の存在が公式に認知されていないから、軍隊と警察との関係についての認識が希薄だが、実はすこぶる重要だ。

軍隊と警察はともに国家に認められた武力集団であり、歴史的に見るとたいてい軍隊から治安維持用の専門部隊として警察が分離して成立している。軍隊が対外戦争用であり、警察が国内治安用と一応管轄が分けられているが、国家が内戦に陥った場合などは軍隊と警察が対立する可能性があるわけだ。

さて中国は現在、国内権力闘争の真っ盛りであることは、中国専門家の見解の一致するところだ。権力闘争といっても日本と違い中国では殆ど内戦である。昨年の中国共産党大会では100万人以上の警備員が北京に動員されたというが、単なる警備で100万人も必要なわけはない。

中国共産党のボス達がそれぞれ軍隊や警察にいる手下に号令をかけ、武力集団を集結させた結果であろう。つまり権力闘争の現場は人民大会堂の中ではなく外側であり、そこで武力集団が睨み合って一触即発の状況であったのだ。

習近平の一応勝利という形になったが、まだ完全に決着が付いた訳ではないらしく、今も権力闘争は続いている。ということは武力集団同士の睨み合いも続いていることになろう。

 *

現時点において中国国内政治の焦点は、警察の大ボスといわれる周永康が逮捕されるかにある。警察の大ボスが俎上に載っていること自体、軍隊と警察の対立が背景にあることを暗示させる。

3月に中国では海洋監視局などいくつかの海洋警察機関が統合されて海警局という巨大警察官庁が出現した。海警は尖閣諸島に対して殆ど毎日のように挑発を繰り返しているが、面白いことに中国の海軍や空軍は尖閣に対して領侵を不思議なくらい自制しているのである。

つまり尖閣においても軍隊と警察の対立の構図が見え隠れする。おそらく中国警察の大ボス周永康は海警をして日本に戦争を仕掛ける所存であろう。日本と戦争になれば戦うのは中国軍であり中国警察は高みの見物である。

兵器の性能など比較して日中戦争をシミュレーションすると、日本の自衛隊が有利であり中国軍は敗北する公算が高い。もし中国軍が敗れれば敗北の責任を問われて中国の将軍・提督など軍幹部は一斉逮捕されるであろう。つまり日本の勝利は中国警察の勝利を意味する。


とても刺激的な論考です。その論旨は次のようにまとめられるでしょう。中共首脳部はいま権力闘争の真っ盛りであり、それは内戦の様相を呈している。内戦においては、軍隊と警察とは対立することがある。いまの中国がまったくそうであり、尖閣諸島をめぐってもその対立は展開されている、というふうに。

「とんだトバッチリだ。そんなこと自分たちだけでやってくれ。はた迷惑なんだよ!」という怒りや不快感が湧いてきますが、それはこの際収めておきましょう。そのうえで、次のことがどうやら言えそうです。

私たち日本人が(具体的には日本政府が)尖閣諸島問題に臨むとき、そこに中共の国家意思としての尖閣侵略の意図を読みこみ、軍事バランスの均衡を図ることでそれに冷静に対処しようとするのは当然のことでしょう。ところがどうやらそれで話は終わらなくって、中共内部における政府首脳部メンバー同士間の、政府と軍部との間の、軍部と警察との間のそれぞれ複雑に入り組んだ権力闘争の投影をもそこに読み込み、それにもきちんと対処しその都度的確に意思決定をする必要があるのですね。そのためには、一見尖閣諸島問題とは何のつながりもなさそうな中共関連の諸事件にも目配りをして、全体の構図のなかで諸事件の意味をていねいに考える姿勢を日頃から身につけておく必要があるようです。それが自分にできうるかどうかははなはだ心もとないかぎりではありますが、とりあえずの結論が得られたような気もしますので、これで終わりとします。尖閣問題は、日本政府にとっても、それをきちんと考えようとする一般国民にとってもかなり難易度の高いものであるようです。


〈コメント〉

☆Commented by kohamaitsuo さん

たいへん示唆されるところの大きい記事でした。
私はこれを読んで、中国内部の混乱によって起こりうる我が国への「とばっちり」について、次の四つを考えました。ご参考になれば幸い。
①「尖閣」侵略のみならず、人民解放軍主導による「暴走」が、日本の他領土にも直接及ぶ。
②中共の国内統治の失敗によって大量の難民が発生し、隣国日本にどっと押し寄せる。
③中国経済の混乱が、世界経済に波及し、日本もその悪影響をこうむる。
④中国の富裕層が利権確保に奔走し、日本の国土・資源(技術を含む)を収奪しまくる。
少し先走った素人の「危機煽り」かもしれませんが、転ばぬ先の杖、最悪の事態を常に想定しておくことが重要かと愚考します。


☆Commented by 美津島明 さん
To kohamaitsuoさん

早速のコメントをいただきましてありがとうございます。
中国の国内問題の諸矛盾のとばっちりは、尖閣問題のみならず、日本の安全保障のほかの諸領域にも及ぶ危険性があるというご指摘、ごもっともとうけたまわりました。以下、論点ごとに私見を添えます。

>①「尖閣」侵略のみならず、人民解放軍主導による「暴走」が、日本の他領土にも直接及ぶ。
→中国の権力構造が、軍部の暴走をチェックできるものでない以上、そのリスクは日本にとって想定内とするよりほかはありませんね。

>②中共の国内統治の失敗によって大量の難民が発生し、隣国日本にどっと押し寄せる。
→したかな中共は、それに偽装難民を忍ばせて、どさくさまぎれに日本の統治機構を混乱に陥れようとする可能性があります。日本だって昔は、小野田少尉のような人がいたのですから。その場合、日本国内に潜行していた大量のスパイが、それに呼応することでしょう。

>③中国経済の混乱が、世界経済に波及し、日本もその悪影響をこうむる。
→それは東からのデフレの大波として日本を襲うことになるでしょう。そのリスクが高まっている今、消費増税を決断するのは愚挙であると申し上げるほかありません。安倍さんは、悩む必要なんてない。

>④中国の富裕層が利権確保に奔走し、日本の国土・資源(技術を含む)を収奪しまくる。
→早急に、国土・資源保護のために立法措置を講じる必要があります。それに、離島保護強化立法も織り込んでいただきたい。
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「国連」とは何か (イザ!ブログ 2013・9・6,10 掲載)

2013年12月21日 22時23分26秒 | 外交
「国連」とは何か



国連について考えてみたい。

まずは、国連構想が実現されていくプロセスを中央公論社の『世界の歴史28 第二次世界大戦から米ソ対立へ』を導き手にしながら追ってみましょう。折に触れ寄り道をしながらの説明になるものと思われますので、気長におつきあい願えれば幸いです。

国連構想は、その実現化の重要な局面においてつねにアメリカ主導でした。第二次世界大戦後の世界の安全保障を新たな国際機構の設立によって実現しようとする構想はすでに一九四一年八月の大西洋憲章第八項で米英両国首脳(ローズヴェルトとチャーチル)によって表明されていました。下の引用文中の「両国」とは米英のことを指しています。また、「陸、海または空の軍備が自国国境外への侵略の脅威を与えまたは与うることあるべき国」とは、ドイツと日本(とイタリア)のことです。日本が第二次世界大戦に参戦したのは、この憲章が米英二国間で調印されてから四ヶ月後のことです。「強力の使用」とは見慣れぬ用法ですが、原文では「the use of force」とあるので、おそらく「他国に対する侵略の意図による軍事力の行使」という意味なのではないでしょうか。

八、両国は、世界の一切の国民は実在論的理由によると精神的理由によるとを問はず強力の使用を抛棄(ほうき)するに至ることを要すと信ず。陸、海または空の軍備が自国国境外への侵略の脅威を与えまたは与うることあるべき国により引続き使用せらるるときは将来の平和は維持せらるることを得ざるが故に、両国は一層広汎にして永久的なる一般的安全保障制度の確立に至るまではかかる国の武装解除は不可欠のものなりと信ず。両国はまた平和を愛好する国民のために圧倒的軍備負担を軽減すべき他の一切の実行可能の措置を援助しかつ助長すべし。(出典:外務省編『日本外交年表並主要文書』下巻 1966年刊・原文のカタカナは、すべてひらがなに直し、引用者の判断で難読漢字にはよみがなをカッコ書きでその次に入れました。また、漢字をひらがなに直した部分もあります)

引用文中に「一層広汎にして永久的なる一般的安全保障制度の確立」(原文:the establishment of a wider and permanent system of general security )とあるのが、国連の構想の萌芽と考えられる箇所です。また、「平和を愛好する国民」(原文:peace-loving peoples)という文言は、約五年後に制定作業が開始された日本国憲法の前文中の「平和を愛する諸国民」(the peace-loving peoples)という文言として取り入れられるに至ったものと思われます。

このように早い段階から構想はあったのですが、当時の米国大統領ローズヴェルトは、一次世界大戦後の国際連盟への加入を合衆国議会によって拒否されたウィルソン大統領の事例が頭から離れなかったため、構想の具体化には慎重な姿勢を崩さず、国務省内で国際連合憲章案がまとめられたのは四三年八月のことでした。

ルーズベルトの慎重な姿勢を積極的なそれへ変化させるうえで大きかったのは、当時の野党・共和党の積極姿勢の表明と世論の動向でした。前者についてはここでは省くことにして、後者に触れておきましょう。

アメリカの代表的な雑誌のひとつである『フォーチュン』の調査によれば、第二次世界大戦後の国際組織への加盟を支持する有権者は、四一年には13%に過ぎなかったのが、四四年三月には68%にも達していました。おそらく、思っていたよりも戦争が長引いていることに直面して、伝統的に孤立主義者が多くを占めてきた米国民も、さすがに「こういうことは二度とあってはならない」という思いが強まってきて、世界平和を維持する国際機関の存在の重要性を認識し始めたのでしょう。

このような世論の変化に力づけられたローズヴェルト政権は、四三年十月にモスクワで開催された米英ソ三国外相会談の場に合衆国案を提出しました。紆余曲折はあったものの、討議の結果、主権平等原則に基づいて戦後世界に国際的な平和機構を樹立する点で三国は初めて合意しました。これが「一般安全保障に関するモスクワ宣言」となり、中国もこれに同意しました。

戦況に触れておくと、一九四二年六月日七日 のミッドウェー海戦で日本軍は敗北し、それを機に戦局が劣勢に転じました。翌四三年五月十二日には米軍のアッツ島上陸が始まり、二九日には島の日本軍は全滅しました。そのときはじめて「玉砕」という言葉が使われたそうです。日本の敗色が次第に濃厚になってきたのです。そういう最中に、アメリカを中心とする連合国側は余裕を持って戦後構想を具体化へ向けて練り上げ始めたわけです。

話を戻しましょう。先の合意を受けて勢いづいたローズヴェルトは、四三年十一月二八日~十二月一日にテヘランで開催された米英ソ三国首脳会談の場で、「四人の警察官」構想を提案し、了承を得ました。ここで、「四人の警察官」構想とは、来るべき国際組織において、すべての連合国からなる総会が勧告権をもち、紛争解決のための強制機関は米英ソ中四大国が担うとする構想のことです(敗戦国の末裔として、「四人の警察官」とは穏やかならぬ言葉です。それについては、後ほど触れます)。ここに主権平等原則に基づく総会と大国主導の安全保障理事会という二本立ての方向性が明確になりました。そうして、その細目については、四四年八月から約一ヶ月半かけてワシントン郊外のダンバートン・オークスで四大国代表によって開かれた会議で詰められることになりました。

それに進む前に、先ほどの「四人の警察官」という穏当ならざる言葉に触れておきましょう。産経新聞記者の古森義久氏が、二〇〇三年九月十二日の産経新聞朝刊に、この問題について次のような大変興味深い文章を寄せています。http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/01297/contents/441.htm

第二次大戦の実際の戦闘で自らも莫大(ばくだい)な犠牲を払い、枢軸側を破った勝者は、米英ソの三大国だった。だから枢軸側への要求や戦後への構想を決める最重要な会議では当時の中国政権である中華民国は除外された。テヘラン会議やヤルタ会談は米英ソ三大国の首脳だけで進められた。国連がらみの戦後秩序を論じるときにも当初はこの三大国だけの「三人の警察官」構想が主だったのである。

ところが一九四三年十一月のテヘラン会議で米国のルーズベルト大統領が熱心に中国を連合国の主要メンバーに引きずりあげることを主張した。戦後への構想は「四人の警察官」となった。中国は人工的に大国の扱いを受けるようになったのだ。

               (中略)

ルーズベルト大統領は中国の格上げは対日戦争での中国の士気を高めるだけでなく、戦後のアジアで中国を親米の強力な存在とし、ソ連の覇権や日本の再興を抑えるのに役立つ、と計算していた。アジアの国を大国扱いすることは戦後の世界での欧米支配の印象を薄めるという考慮もあった。

しかしチャーチル首相は米国のこの動きを「中国の真の重要性をとてつもなく拡大する異様な格上げ」と批判した。スターリン首相も中国の戦争貢献の少なさを指摘し、さらに激しく反対した。だがルーズベルト大統領はソ連への軍事援助の削減までをほのめかして、反対を抑えていった。


古森氏は、さらにフランスの「警察官」への昇格についても触れています。この論の流れからやや脱線気味にはなりますが、とても面白いのでこのまま引用を続けましょう。

フランスは最初から最後まで「警察官」にさえ含まれていなかった。戦争ではドイツに敗れて降伏し、全土を制圧され、親ナチスのビシー政権を誕生させた。ドイツへの抵抗勢力としてはドゴール将軍がかろうじてイギリスで亡命政権ふうの「国民解放戦線」を旗あげした。だが米国もソ連もこの組織を政府としては認めず、フランスに冷淡だった。スターリン首相はテヘラン会議では「真のフランスはビシー政権であり、フランスは国として戦後は懲罰を受けるべきだ」とまでの侮蔑(ぶべつ)を述べていた。

だがチャーチル首相が一貫してドゴール将軍下のフランスを擁護した。国連づくりのプロセスでも主要連合国並みの資格を与えることを主張した。米国もソ連もやがて同調していった。米英軍のフランス奪回後にパリにもどり、一九四四年九月に臨時政府を成立させたドゴール将軍に対しフランス国民が熱狂的支持をみせたことが大きかった。

だがフランスは国連の安保理常任理事国の実質上の資格である第二次大戦の勝者ではないことは明白だったのである。中国も同様だといえよう。にもかかわらず両国とも国連では真の勝者たちの政治的、戦略的な意思によって勝者の特権を与えられたのだった。

この点でも国連はスタート時から平和への希求という崇高な顔の裏に大国のパワー政治のぎらぎらした素顔を宿していたのである。

中国とフランスが常任理事国に選ばれたプロセスは明らかにそうしたパワー政治が公正や平等、論理や規則という原則を押しのけた形跡をあらわにする。


フランスのことはとりあえず措くとして、戦勝国とは称し難い中国が、世界の「警察官」という勝者の特権を与えられたのは、ひとえにローズヴェルトの意向によることが引用文からうかがわれます。彼は、イギリスやソ連の強い反対を押し切ってまでも、その意向を貫き通しました。しかし、彼の「戦後のアジアで中国を親米の強力な存在とする」という目論見は見事に外れました。いまでは中国は、世界で唯一アメリカの覇権に挑戦状を叩きつける国にまで「成長」を遂げています。ローズヴェルトの意思決定は誤りであったと断じるよりほかはありません。

「四人の警察」についてはこれくらいにして、先ほどのダンバートン・オークス会議に話を進めましょう。

同会議は、二回に分けて行われ、一度目は米英ソ間で、一度目は米英中間で行われました。二回に分けられたのは、表面化しつつあった米英とソ連との対立関係を先鋭化させずに米英が終始リーダー・シップをとろうとしたからでしょう。この会議で採択された提案は「ダンバートン・オークス提案」といわれ、これはサンフランシスコ会議で採択された国連憲章のもととなるものでした。しかし、安全保障理事会における表決手続き(つまり拒否権問題)やソ連の代表権問題などでは合意に至らず、決着は四五年二月のヤルタ会議に持ち越されました。

ヤルタ会議で英米は、紛争の当事国となった大国は安全保障理事会での表決を棄権すべきと主張しました。それに対してソ連は、すべての議題について「大国一致」の原則を貫くよう主張し、ダンバートン・オークス会議に続いて英米とソ連は再度対立しました。結局この対立は、手続き問題以外の議題では大国の拒否権を認める方向で妥協が図られました。しかしこの点は、大国が関与した紛争に対して安全保障理事会が機能麻痺に陥る原因を作ることになりました。また、ソ連の代表権問題では、ソ連邦を構成する全共和国ではなく、白ロシアとウクライナだけに限って追加加入させることで妥協が図られました。

なおヤルタ会議では、ポーランド問題やドイツ問題や朝鮮半島問題という戦後国際政治体制の根幹に関わる問題についても話し合われました。その詳細については、ここでは触れません。当会談以後の戦後体制は、しばしばヤルタ体制と呼ばれます。これ以降、アメリカを中心とする資本主義国陣営と、ソ連を中心とする共産主義国陣営の間で本格的な東西冷戦が開始されたと言われています。ここから戦後が始まったと言っても過言ではないということですね。

またこの会議で、ルーズベルトが、スターリンに対して、ドイツ降伏の二、三ヵ月後に日ソ中立条約を破棄して対日参戦するよう要請し、その見返りとして、日本の領土である千島列島、南樺太、そして満州に日本が有する諸々の権益をソ連に与えるという密約を交わした(ヤルタ協定)ことは前回申し上げました。http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/25ea208c021f47f7d85b4c7cbdf4be4a
ちなみに、ドイツが最終的に降伏したのは、ヤルタ会議から約3ヶ月後の、一九四五年五月九日です。また、ソ連が日本に宣戦布告をしたのは、同年八月八日です。ドイツ降伏のちょうど3ヶ月後。スターリンは、物差しで測ったように正確に密約を守った、実に「律儀」な男であったわけです。さらにつけ加えれば、広島に原爆が投下されたのが八月六日、長崎に投下されたのが同月九日。スターリンは事を進めるのに実に慎重な男でもあったわけです。

さて、これまで述べてきた流れを踏まえて、四五年四月末からサンフランシスコで国際連合の創立総会が開催されました。この会議には連合国側に立っていた五〇カ国が参加することになりました。ポーランドの参加については、米英とソ連との間に対立があったために認められず、妥協の末に連合政権が樹立されてから参加が認められ、結局原加盟国は五一カ国となりました。

つまり国際連合は、対日戦の続行中に招集されたことからも分かるとおり、「連合国(United Nations)」を母体として発足したのであり、国際連合の英語の表記(もちろん「United Nations」)にその継続性が示されていたし、いまも示されているのです。それが証拠に、安保理を構成する十五カ国のうち、常任理事国を構成する中・ロシア(旧ソ連邦から議席を継承)・英・米・仏の5カ国は、対枢軸国戦の戦勝国としての「四人の警察官」プラスワンであり、国連憲章が改正されない限り恒久的にその地位にあり、さらに拒否権も与えられているのです。彼らは、永遠の特権的な戦勝国というわけです。

また、ほどんど死文化しているとは言われていますが、敵国条項(国連憲章中、第53条、第77条、第107条の3ヶ条)は依然として破棄されていません。日本国政府の公式見解として、日本はそれに該当すると判断しています。だれがどう考えても、そういうことになりますよね。当条項によれば、第二次世界大戦中に「連合国の敵国」だった国が、戦争により確定した事項に反したり、侵略政策を再現する行動等を起こしたりした場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は、安保理の許可がなくても、当該国に対して軍事的制裁を課すことが容認され、また、この行為は制止できないとしているのです。なんだか穏当ではありませんね。ほとんど死文化・形骸化しているとは言われるものの、憲章中にその不穏当な姿をとどめているのは事実なのです。それゆえ私は、今後中国がこの条項を盾にとって悪質な情報戦を展開する局面もありうると思っています。それを想像するだけでも片腹痛いこと限りなし、と言いたいところです。現状では、アメリカがそれに乗るとは思えませんが、韓国あたりは戦勝国でもなんでもないにもかかわらず、最近の中国への傾斜ぶりからすればそのウソ話に乗りそうですね。いま、とんでもない人が国際連合事務総長の椅子に座っているので、そういうことになると、なにやら面倒臭いことが起こりそうな気がします。杞憂に過ぎなければいいとは思います。

ここまでが話の前段です。

参考
・『世界の歴史28第二次世界大戦から米ソ対立へ』(中央公論社)
・http://royallibrary.sakura.ne.jp/ww2/text/atlantic_cha_e.html 大西洋憲章英文
・http://home.c07.itscom.net/sampei/kenpo/kenpo.html 日本国憲法英文
・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%B5%E5%9B%BD%E6%9D%A1%E9%A0%85 Wikipedia 「敵国条項」


*****

前段では、一九四一年八月の大西洋憲章第八項で米英両国首脳(ローズヴェルトとチャーチル)によって、第二次世界大戦後の世界の安全保障を新たな国際機構の設立によって実現しようとする構想が表明されたことを起点として、四五年四月末にサンフランシスコで国際連合の創立総会が開催されるまでの歴史を点描しました。その要点を列挙すれば次のようになります。

① 国連構想の実現のプロセスの先導役は、つねにアメリカであった。そのアメリカがもっとも尊重したのは、イギリスの意見であった。

② 国連は、その名が示す通り、第二次世界大戦の戦勝国である連合国を母体として発足した。

③ それゆえ常任理事国5ヵ国は、いずれも連合国の中心メンバーである。そのなかで中国とフランスは実質的には戦勝国とは言えないが、それぞれアメリカとイギリスの政治的、戦略的な意思によって戦勝国の特権としての常任理事国入りを認められた。その意思の核心には、ソ連の力の封じ込めの意図があったものと思われる。

④ 連合国の敵としての枢軸国であった日独伊には、敵国条項が適用される。その条項は、ほとんど死文化・形骸化されたといわれているものの、いまだに残っている。

⑤ 国連構想の実現化のプロセスの途中から、米ソ対立が影を落とし始め、その影は次第に濃くなった。

以上を要すれば、「その1」において国連の主に権力政治的な側面について述べてきたことになります。

ところで、人間世界は現実主義だけで事が進み成就するわけではありません。『聖書』においても、「ひとはパンのみで生きるにあらず」とあります。現実主義という「パン」のほかに、「ぶどう酒」すなわち理想主義的な要素が幾分かないと、人間はどこか奮起しない生き物なのです。人間が編み出した国連もまたその例外ではありません。

では、国連における理想主義的な側面とは何なのでしょう。それは、ひとことで言えば、平和についての道義主義的なリベラリズムの流れです。それが国連構想の実現化のプロセスやその後の展開に一定の役割を果たしてきたことは、これまた、国連の歴史の偽らざる一側面なのです。その理想主義的な流れは、国連憲章前文やUNESCO憲章の前文にはっきりと認めることができます。

〈国連憲章前文〉
われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の向上とを促進すること、並びに、このために、寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互に平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いないことを原則の受諾と方法の設定によって確保し、すべての人民の経済的及び社会的発達を促進するために国際機構を用いることを決意して、これらの目的を達成するために、われらの努力を結集することに決定した
。(以下、略)

〈ユネスコ憲章前文〉

この憲章の当事国政府は、その国民に代って次のとおり宣言する。

戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。

相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。

ここに終りを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代わりに、無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義をひろめることによって可能にされた戦争であった。

文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果さなければならない神聖な義務である。

政府の政治的及び経済的取極のみに基く平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない。
 (以下、略)

国連憲章前文において、主語が「われら連合国の人民は」となっているのが敗戦国の末裔としては気になるところですが、この際そこには片目をつぶりましょう。ここに、民主主義の諸価値(基本的人権の尊重・男女平等・国家間の平等)の擁護・実現が世界平和の実現・維持にとって不可欠であるとする「デモクラティック・ピース」の思想が示されているのは明らかです。

また、ユネスコ憲章前文には、リベラルな平和運動の「平凡な市民たちの平和を求めるささやかな願いの集結が平和を建設する根源的な力であり、それは世論として現実政治をも動かす」という基本理念がその核として織りこまれていることも分かります。

「デモクラティック・ピース」の理念とリベラルな平和運動の理念とは、相補的な関係にあります。つまり、「草の根の民の声こそが真の民主主義においてもっとも尊重されねばならないものである。その民主主義の核心としての庶民の真摯な平和祈念の声が、平和実現の源として世界の世論を形成し、現実政治をも動かしていく。すなわち、民主主義の進展=世界平和の進展である」というふうに。この両者がリンクすると、どことなく宗教めいた信念を彷彿とさせますね。

以下、リベラルな理想主義的平和論(あるいは運動)の可能性とその限界や問題点について展開します。それは同時に、その理念を自らの理想主義的側面の核心とする国連の、世界平和実現を目的とする世界機関としての可能性とその限界や問題点をあぶり出す作業でもあります。その際、タネ本として高坂正堯氏の「二十世紀の平和の条件」(『海洋国家日本の構想』所収)を使用します。いちいち引用するのは、読み手としてもわずらわしいでしょうから、なるべく祖述の形をとります。とはいうもののそれに専念せずに、またもやあっちこっちで道草を食うだろうことをお許しください。

高坂氏によれば、リベラルな理想主義的平和論の問題点とその流れは次のようになります。

その最大の問題点は、現代の権力政治状況において決して有効であるとは言い難い「世論の力」なるものに疑問を投げかけることなく、かえって、その力を過大に評価し、それを前提としていることです。言いかえれば、現実の権力政治における平和実現の可能性のリアルな認識をかたくななまでに拒否して、あくまでも理想主義を高く掲げようとする姿勢です。それで思い出すのは、時代はちょっと下りますが、80年代の、旧社会党系市民団体主導の反核運動で、原爆投下で自分たちが死んだありさまを想像しながら地べたに大勢でゴロンと寝そべる「ダイ・イン」なる運動形態があることを知ったとき、自分が唖然としてしまったことです。これなんぞ、その問題点が「自己満足」という堕落し腐り切った形で表れている例としてとらえることができるでしょう。故・吉本隆明が、『反核異論』でそれを痛烈に批判したのは正当なことであったと、私はいまでも思っています。

高坂氏によれば、「世論の力」に過大に信を置く平和運動の哲学は、国際政治におけるユートピア思想の基盤を構成してきたリベラリズムの一変形です。この流れは、十八世紀にルソーやカントによって準備され、十九世紀を通じて発展し、二十世紀には国際連盟という形をとることになりました。「戦争は君主が彼ら自身の利益のためにおこなうもので、人民は戦争によって被害を受けるだけだから、人民は戦争を欲しない。したがって、世論が力を発揮しうる共和政体のもとでは、世論は戦争を防止することができるであろう」とするルソーやカントの考え方は、国際連盟の理念に脈々と流れこんでいるのです。

しかし皮肉にも、その「世論の力」を最大限に活用して、ヒトラーは二十世紀の只中に世界平和の理念とは正反対の世界破壊的な全体主義国家を樹立したのです。高坂氏によれば、このナチズムの嵐の前に、国際連盟の基礎となっていたリベラリズムの哲学は、木っ端微塵にくだけてしまったのでした。

しかし、独伊日の枢軸国側との戦いが終わりに近づくとともに、リベラリズムの哲学はアメリカの国務長官ハルなどを中心として復活してきました。それをもっとも典型的に表現しているのが、先ほど掲げたユネスコ憲章前文です。また先ほど述べたとおり、「デモクラティック・ピース」の理念とリベラルな平和運動の理念とが相補的な関係にあることに着目すれば、国連憲章前文とユネスコ憲章前文とは相補的な関係にあると言えるでしょう。相補って一体、というわけです。高坂氏は、以上の流れを踏まえて次のように言います。

敗戦後の暗い現実のなかに生きていた日本の知識人は、その(リベラルな理想主義的平和論の――引用者補)哲学をむさぼるように吸収したのであった。こうした歴史的文脈において見るとき、戦後の日本の平和運動がリベラリストと呼ばれる人々によって始められたことが理解できるであろう。「平和問題談話会」のメンバーを構成したこれらの人々は、『戦争は人の心の中に生まれるものであるから、人の心の中に、平和のとりでを築かなければならいない』というユネスコ憲章の言葉に、彼らの代弁者を見出したのであった。

「平和問題談話会」とは何でしょうか。調べてみたら、次のような説明がありました。

第2次世界大戦後,再び国際情勢が緊迫してきた1948年7月に発表されたユネスコの社会科学者による平和の訴えに示唆を受け,同年12月12日に東京青山の明治記念館に安倍能成,仁科芳雄,大内兵衛ら50余名が集い,〈戦争と平和に関する日本の科学者の声明〉を出したが,これに署名した学者が,49年初頭に東西でそれぞれ東京平和問題談話会,京都平和問題談話会を組織し,同年12月21日,東京丸の内の工業俱楽部で総会を開き,横田喜三郎,入江啓四郎を招いて討議し,〈講和問題についての声明〉をまとめ,50年1月15日付で発表,全面講和の実現を要望した。 コトバンク.JP より 
http://kotobank.jp/word/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E5%95%8F%E9%A1%8C%E8%AB%87%E8%A9%B1%E4%BC%9A

全面講和なるものが、その実現の政治日程が判然としない、いわゆる「絵に書いた餅」のような政治選択であったことは、今日においては明らかです。当時の日本の名だたる知識人たちが、そういう痴呆的な政治的意思決定を大真面目に政府に対して求めていたことを、私は自分の胸にあらためて深く刻み込んでおきましょう。というのは、日本の知識人たちのその惨めな姿もまた、敗戦のわびしい眺めのひとつとして私の目に映るからです。戦争に負けることは、あくまでも惨めなことなのです。その惨めさから目を背けるために、頭の良いはずの人たちが、そろいもそろってかりそめの理想主義に逃げこんでいたのです。そのことが、彼らをいっそう惨めに見せます。「日本はアメリカに負けて良かったんだ」なんてのはウソに決まっています。開戦時と終戦時の外相だった東郷茂徳が、戦後巣鴨プリズンで詠っています、「いざ児等(こら)よ 戦ふ勿(なか)れ 戦はば 勝つべきものぞ ゆめな忘れそ」と。虚心に読めば、彼が血を吐く思いでこの歌を詠んでいるのが分かるでしょう。これくらいの気骨がなければ「敗戦を戦う」というキツい営みを実行することはかなわないでしょう。また、そのことを抜きにして、敗戦国日本の知識人が自力で平和の理念を掴み取ることは到底かなわないと私は思っています。

私がいま述べたようなことを織り込んだうえで、高坂氏は次のように述べます。すなわち、現在の日本の平和運動の前提となっている命題のなかでもっとも基本的なもの、すなわち、権力政治の否定と道義主義の肯定の立場が問題になってくる、と。それは、「権力政治をアプリオリに否定する」。そのラジカルな姿勢の根にあるのは、リベラリズムがよって立つ基盤としての「世論の正しさとその力」への反省が欠如しているという一種の幼稚さである。高坂氏は、「幼稚」とは形容していませんが、私なりにアレンジするとそうなります。ここで、カントが登場します。そうして高坂氏は、絶妙な筆使いでカントの一側面をきちんと評価します。

リベラリズムの国際政治観の基礎を作ったカントは、世論の有効性の問題と書面切って取り組んでいる。彼はその著書、『永遠平和のために』のなかで、永遠平和のための確定条項として、まず、「各国家における公民的体制は共和的でなければならない」と規定しているが、それは、世論が戦争を防止するために必要な力を持ちうる条件を規定したものなのである。

カントは、『永遠平和のために』(一七九五年)において、共和的な体制の条件として次の三つをあげます。

① 各人が社会の成員として、自由であるという原則が守られること

② 社会のすべての成員が臣民として、唯一で共同の法に従属するという原則が守られること

③ 社会のすべての成員が国家の市民として、平等であるという法則が守られること

①は個人の自由権の尊重、②は法のもとの平等の確立(あるいは法治国家の確立)、③は平等権の尊重 とまとめることができるでしょう。

これは、私たちが今日言うところの民主主義体制です。つまりカントは、世界平和の実現のためには、民主主義体制の確立が絶対条件であると主張していることになります。

では、カントはなにゆえ世界平和の実現のためには、民主主義体制の確立が絶対条件であると考えたのでしょう。彼の言葉にちょっと耳を傾けてみましょう。

この体制では戦争をする場合には、「戦争するかどうか」について、国民の同意をえる必要がある。共和的な体制で、それ以外の方法で戦争を始めることはありえないのである。そして国民は戦争を始めた場合にみずからにふりかかってくる恐れのあるすべての事柄について、決断しなければならなくなる。みずから兵士として戦わなければならないし、戦争の経費を自分の資産から支払わねばならないし、戦争が残す惨禍をつぐなわねばならない。さらにこれらの諸悪に加えて、たえず次の戦争が控えているために、完済することのできない借金の重荷を背負わねばならず、そのために平和の時期すらも耐えがたいものになる。だから国民は、このような割に合わない〈ばくち〉を始めることに慎重になるのは、ごく当然のことである。

こう考えてカントは、世界平和の実現のためには民主主義体制の確立が絶対条件であると主張するに至ったのですね。彼は、「デモクラティック・ピース」を二百年以上も前に提唱していたことになります。それはそれですごいことですね。

ここでまたもや道草を食いますが、イスラム教圏を見る限り、私は「デモクラティック・ピース」の考え方は基本的に通用しないと思っています。欧米諸国がイスラム圏における独裁政権打倒の動きをひところ「アラブの春」などと形容して持ち上げていました。しかし、イスラム圏において独裁政権が倒された後、アルカイダなどのテログループの跋扈を含む無秩序な混乱か、イスラム原理主義政権の成立か、どちらかに傾く場合がどうも多いような気がします。つまり、イスラム圏においては独裁政権が国を治めているときのほうがむしろ秩序が保たれるような印象があるのです。だから、欧米諸国はそろそろ自分たちキリスト教圏以外の国々に「デモクラティック・ピース」を押しつけるのはやめた方がいいのではないかと、私は思っています。そこに国連の平和理念のひとつの限界を私は見ます。しかし、その批判をカントにぶつけるつもりなどまったくありません。そのアイデアを考案した彼は、やはりたいしたものなのです。そういうカントを馬鹿みたいに持ち上げたがる今日の日本の国連中心主義者たちは、大いに批判され馬鹿にされてしかるべきである、とは思いますけれど。

カントの『永遠平和のために』に話を戻しましょう。彼は、世界平和のために国際機構を確立する必要があることは信じていますが、かといって世界政府を樹立することに対しては消極的です。おそらく、当時の国際政治の現状を直視して、ヨーロッパの諸国家がそれぞれの主権を手離す姿がどうしても想像できなかったのでしょう。それを彼は「国家は(中略)それを一般的には正しいと認めながらも、個々の場合には否認する」と言い表しています。彼は、実はなかなかのリアリストでもあったのです。そのうえで、「だからすべてのものが失われてしまわないためには、一つの世界共和国という積極的な理念の代用として、消極的な理念が必要となるのである。この消極的な理念が、たえず拡大しつづける持続的な連合という理念なのであり、この連合が戦争を防ぎ、法を嫌う好戦的な傾向の流れを抑制するのである」と言っています。これは、今日の国際連合の正確な雛形になっていますね。さらにカントは、この「連合」が成り立つうえで「啓蒙された強力な民族」による共和国、すなわち、覇権国家の役割の重要性を強調します。国際連合がアメリカ主導で創立された歴史的な事実に鑑みれば、その発言は、予言的ですらあります。

カントは、夢想家気質の哲学者ではありません。国際政治のありのままがその慧眼にはっきりと映っていたのです。同書の結語部分には次のようにあります。彼が、永遠平和という課題の困難さをよく分かっていたことが感じられます。

公法の状態(永遠平和のこと――引用者注)を実現することは義務であり、同時に根拠のある希望でもある。これが実現されるのが、たとえ無限に遠い将来のことであり、その実現に向けてたえず進んでいくだけとしてもである。だから、永遠平和は、これまで誤って平和条約と呼ばれてきたものの後につづくものではないし(これはたんなる戦争の休止にすぎない)、たんなる空虚な理念でもなく、実現すべき課題である。この課題が次第に実現され、つねにその目標に近づいてゆくこと、そして進歩を実現するために必要な時間がますます短縮されることを期待したい。

高坂氏は、この結語の厳しいトーンをふまえて、次のように言います。

彼はその努力を通じて、永遠平和のための条件が容易にはもたらされえないことを認識することができた。したがって彼は、すべての民族が自由にして共和的にみずからを統治するまでの長い過渡期の矛盾を想定することができた。それゆえにこそ彼は、永遠平和が現実化されるためのプログラムを与えようとはしなかった。彼は人々を現実と理想の激しい緊張のなかに残しておいたままで、書物を終えてしまっているのである。

高坂氏は、真の平和主義者は、その「現実と理想の激しい緊張」に耐え抜く強靭な思考力をこそ有するべきであると言っているのです。「現実」とは、国家内と国家間の生々しくて激しい権力政治であり、「理想」とは、リベラルな平和論のことです。

したがって、われわれがカントの『永遠平和のために』から学ぶことができるもっとも重要な教訓は次のことである。世論に対する素朴な信念から出発した平和への努力は(その起源を国際連盟に求めるにせよ、日本の場合のように敗戦後に求めるにせよ)、現在、冷厳な国際政治の現実を経験し、平和を求める世論はそのまま平和に直結するものではないというにがい真理に直面している。そのときにあたって、一方的軍縮論というリベラリズムの自殺行為へ走ることなく、また、現在の体制を否定したあとでこの地上に理想郷が出現するという終末論に魅せられることもなく、真のリベラリズムの精神を生かすためには、まず、リベラリズムの存在理由ともいうべき世論の有効性に対して、仮借なき反省を行なうことが必要である。そうすれば、権力政治の単純な否定に代わって、権力政治への深い理解が生まれ、理想への一途な夢からさめて、理想と現実との間の激しい緊張関係のなかに立つことになるであろう。そうすれば、永遠平和への過渡期において、一歩ずつ永遠平和に近づくための過渡的平和条件を見出すことができるであろう。

後段の結論らしき上記の引用に私からつけ加えることがあるとすれば、中共の露骨な覇権主義の矢面に立たされているいま、高坂氏が示した真の理想主義=真の現実主義の道を追求することの重要性が、当時にも増して高まっているということです。

そろそろ、全体のまとめをしましょう。

国連は、国際政治の生々しくて激しい権力政治に基づく現実主義が70%の本体で、そこに、カントやルソーに始まるリベラルな平和論の理想主義の流れが30%ほど加味されている、というイメージがおおむね妥当なところかと思われます。「ちょぼちょぼ」の人間存在それ自体がおおむねそんなところだから、それほど間違ったイメージではないでしょう。

シリアへの軍事介入におけるアメリカのリーダー・シップの失墜という事態を目の当たりにするにつけ、いよいよG0(ゼロ)世界(覇権国家不在の世界)が現実のものになってきたことを実感します。

それは、権力政治的な側面における無秩序の深化を意味するので、国連の機能低下の進行を招来するものと思われます。

他方では、それは、高坂氏が言う意味での現実主義によって鍛え上げられたリベラルな平和論への期待を招来するものと思われるので、国連の理想主義的な側面における役割への期待はこれまで以上に高まるのではないでしょうか。溺れるもの藁をもつかむというわけで。

そういう両側面における矛盾し、分裂したイメージを抱えながら、国連はこれからも道なき道を歩み続けるよりほかないのでしょう。とにかく、その緊張に耐え切れずに短気を起こして途中で投げ出さないことが肝要、とは言えるでしょう。これを機に、日本は、国連を妙に尊重しすぎるこれまでの偏った、敗戦国コンプレクスまみれの姿勢を改めて、バランスの取れた、大国にふさわしい余裕のある姿勢で国連に関わるようにすべきであると、私は考えています。
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