美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

『古事記』に登場する神々について(その6) スサノオ・アマテラス神話②

2014年03月26日 22時29分57秒 | 歴史
『古事記』に登場する神々について(その6)スサノオ・アマテラス神話②

先日(三月二三日・日曜日)の読書会で、福永武彦現代語訳『古事記』を扱いました。その際、当論考の(その1)から(その5)までをレジュメとして使いました。参加者のみなさまから、当論考のさまざまな論点についていろいろと貴重なご意見をいただきました。また、それらの論点からからさまざまな方向に話が発展することもたびたびありました。有益で楽しいことときを過ごせたことを、参加者のみなさまに感謝します。『古事記』には、なにやら不思議なパワーもしくは魔力が秘められているようです。私の思い込みでなければ、私のみならず参加者のみなさまもそれぞれにそれを感じ取っていらっしゃったようです。

この論考は、古事記上巻までを扱おうかと思っています。余力があれば、所収の歌謡をいくつか扱いたいとも思っていますし、歌物語としてのヤマトタケル神話を扱いたいとも思っています。最初は、なんの気なしに書き始めただけなのですが、いまでは、せめてそこまで書き進めてみたいものだと思うまでになりました。

では、スサノオ・アマテラス神話の続きに入りましょう。イザナキが禊をして、三貴子を生みました。そこでイザナキは、とても喜んでこう言います。「私は、子どもを次々に生んで、最後に三柱の貴い子を生んだ」。それから、首にかけていたネックレスの玉をゆらゆらと触れ合わせてアマテラスに授けながらいいました。「お前は、高天原を『知らせ』」。そのネックレスは、御倉板挙神(みくらたなのかみ)と言います。次にツクヨミには、「お前は、夜之食国(よるのおすくに)を『知らせ』」と申し渡しました。次にスサノオには、「お前は海原を『知らせ』」と言いました。

ここで注目したいのは、『知らす』です。

八木秀次氏の『明治憲法の思想』(PHP新書)によれば、伊藤博文や金子堅太郎とともに明治憲法を制定するうえで中心的な役割を果たした井上毅(こわし)は、日本古典の研究に没頭し、『古事記』に「うしはく」と「知らす」という二つの対照的な統治理念があることに着目しました。井上が注目したのは、上記に引いたところではなくて、オオクニヌシの国譲り神話の次の箇所でした。

汝(な・オオクニヌシのことを指している)がうしはける葦原中国(はしからなかつくに)は、我(あ・アマテラスのこと)が御子(みこ)の知らす国と言依(ことよ)さし賜へり。

井上は、「ウシハク」と「シラス」の違いに注目したのです。では、両者はどう違いのか。先ず「ウシハク」について、井上は次のように言っています(『明治憲法の思想』からの孫引きです)。

ウシハクという詞は本居(宣長)氏の解釈に従えば、すなわち領すということにして欧羅巴人の『オキュパイド』と称え、支那人の富有庵有と称えたる意義と全く同じ。こは一(ひとつ)の土豪の所作にして土地人民を我が私産として取入れたる大国主のしわざを画いたるあるべし。
                        (「古言」『井上毅伝・史料編第五』より)

それに対して、「シラス」についてはどう言っているのか。観念的で晦渋な井上の説明を、八木氏はかみくだいて次のように説明しています。

「ウシハク」の方が支配者が公私を混同して、国土国民を自分の私有財産と考えるというタイプの統治理念であるのに対して、「シラス」のほうは支配者が公私を混同せず、国と家とを明確に区別し、さらに支配者自らの利益のために統治するのではなく、むしろ支配者の方が国民の心を汲み取り、国民の利益を図るべくして行うという統治理念だと言っているのである。

私はここで、井上の字義解釈の是非を問おうとか、あるいは、井上が日本独特の統治概念を打ち出したとナショナリスティックに拳を突き上げようとかしているわけではありません(井上は当時のヨーロッパ事情に精通する西洋型知識人です)。そうではなくて、立憲主義に基づく近代憲法を立ち上げようとするときに、ただひたすらに、欧米列強の憲法をお手本にするだけではなくて、一度は、民族精神の深みに降りて、そこから汲み取れるものは汲み取って、近代憲法に歴史的無意識に裏付けられた精神的な息吹を吹き込もうとする彼の姿勢に、いまの私たちが学ぶべき多くのものがいまにおいてもなお含まれていると申し上げたいだけです。端的に言ってしまうと、いまの私は、そういう姿勢を持とうとしない、あるいは、それを軽んじようとする知識人などは、少なくとも加地伸行氏が言う意味での「君子」=教養人ではありえず、たかだか、彼によって「小人」と読み替えられた知識人にしかすぎない、と思っています。

本文に戻りましょう。アマテラスとツクヨミは、イザナキの言葉に素直に従うのですが、スサノオだけは、そうしようとしません。治めるように言われた夜之食国をほったらかして、泣きわめいてばかりいます。ヒゲもじゃの大男がおいおいと泣き続けている様は、どこかしらユーモラスなところがありますね。スサノオが泣き続けたせいで、青山は枯れ山となり、川や海の水がなくなり、森羅万象がことごとく妖気を発したというのですから、すさまじいばかりです。

そこで、イザナキが問います、「お前はなぜ私が頼んだ国を収めようとせずに、哭いてばかりいるのだ」と。すると、スサノオが答えます、「私は、妣(はは・亡くなった母にこの字を当てる)の国根之堅州国(ねのかたすくに)に行きたいと思い、それで哭いているのです」と。すると、イザナキは大いに怒って「そうならば、お前はこの国に住んではいけない」と申し渡して、スサノオを放逐してしまいました。

ここで気になるのは、根之堅州国はどこにあるのか、ということです。一般的な注釈書には、「根は地下のイメージ。堅洲は東北方の地=死者世界。黄泉の国」とか「根の国は『底の国』の国ともいうとおり、地の底にあるとされた下界」とか、あるいは「地底の片隅の地の意か」といった記載が見られます。つまり、黄泉の国=死後の世界=根の国=根の堅洲国、という解釈がどうやら一般的なようです。そうして、それが編者・執筆者である太安万侶の意図した解釈でもあるのでしょう。

しかし私は、当論考(その4)で、そういった一般論や安万侶の意図に反して、黄泉の国=死後の世界は山にあるとしたほうが、『古事記』のそのほかの記載内容との矛盾のない解釈である、という意味のことを申し上げました。これを是とするならば、原文のなかで妣の国根之堅州国と併記されていて、「妣」が死んだ母を意味するのですから、根之堅州国=死後の世界とするほかありません。つまり、根之堅州国もまた地下などにはなくて、日本人の伝統的な死生観を踏まえるならば、山にあるとする方が妥当である、となるでしょう。しかし、山にこだわりすぎることにも注意する必要があるようです。ここで、たびたびご登場願っている西條勉氏にふたたびご登場願いましょう。

根の国はもともと、海上彼方の理想郷を指した。沖縄には「ニライカナイ」ということばが今でもあり、水平線の彼方にあると信じられている理想世界のことを指す。「根」は、沖縄のことばで「ニール」とか「ニーラ」という。ものごとの根源という意味である。それがスサノオのいう亡母の国だった。ところが、古事記では「根の堅洲国」となっている。「堅洲国」が文字通りに、堅い中洲と見るのは形容矛盾だ。川の中洲はほどよく柔らかい。ここは、あえてイメージを結ばない文字遣いを選んで、根の国が、片隅の国であることを隠そうとしたふしがある。根の国は、もともと、根源の国として世界の中心を占めていた。それが、本来のかたちがそこなわれ、隅っこに追いやられた片隅の国になっている。                
                      (『「古事記」神話の謎を解く』中公新書)

つまり、根の国は、死後の世界ではなくて、水平線の彼方にあると信じられている理想世界のことを指しているというのです。その場合は、妣の国=死んだ母の国=死後の世界、と狭く解釈するのではなくて、妣を母霊とすると、ユングの太母(グレート・マザー)のイメージが浮びあがってきて、西條説がけっこうすんなりと入ってくることになります。太母の坐す根の国が根源の国であるというのは、理解のし易いイメージですからね。

いずれにしても、『古事記』の世界を、高天の原‐地上の葦原の中つ国‐地下の黄泉の国という垂直構造として構築しようとした太安万侶の目論見は、伝統的な死生観によって強度の歪みを蒙っているというよりほかはありません。

故西郷信綱氏は、『古事記』の世界観を壮大なコスモロジーとしてとらえ、次のように述べています。

中心としての聖所は、大和王権の政治的発展、天たかき高天の原の形成とともに分化し、さらに東に進み、日出ずる海にじかに接した伊勢の地にあらたな定着をとげるに至るわけで、伊勢神宮の位置が香具山のほぼま東にあたるのは、この宇宙軸の意味するところを考えにいれなければ解けないだろう。(中略)出雲が雲にとざされた、日の没する西の果てなる国であるのにたいし、伊勢は東の海からじきじきに日ののぼるウマシ国であった。前者が暗の死者の国に接しているとすれば、後者の接するのは陽としての高天の原であった。                                 (『古事記の世界』岩波新書)

柳田国男などのように、日本人の伝統的死生観という観点からではありませんが、『古事記』の生死をめぐっての世界観が、垂直的なイメージというよりも、むしろ、壮大なコスモロジーとして、東‐西という太陽の出没を中心とする方向感覚に、生死の観念を重ね合わせた水平方向のイメージの色濃いものであったことが語られているのではないでしょうか。

スサノオを葦原の中つ国から放逐したイザナキは、「淡海の多賀に坐(いま)す」という記載があります。「淡海の多賀」は、滋賀県犬上郡多賀町の多賀神社の地とされているようです。多賀神社では、イザナキ・イザナミの二柱の神を祀っているとの由です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『古事記』に登場する神々について(その5) スサノオ・アマテラス神話①

2014年03月23日 06時49分23秒 | 歴史
『古事記』に登場する神々について(その5) スサノオ・アマテラス神話①

今回から、スサノオ・アマテラス神話について述べようと思います。

同神話は、『古事記』のなかでいちばん人口に膾炙しているのではないかと思われます。もっとも、「天照大御神」を「てんてるだいじん」と読んだ若者がいる、などということが、現代の若者の無知ぶりを物語る逸話として話題になったこともある(けっこう古いネタです)くらいですから、現在どこまでそうなのかこころもとない気もしないわけではありません。

『古事記』の本文に入りましょう。

追いすがるイザナミを振り切り、やっとのことで黄泉国から戻ってきたイザナキは、「私はいやというほど醜悪な、醜いきたない国に行ってきてしまった」と言って、身を清めるために禊祓(みそぎはらえ)を執り行います。

イザナキは、黄泉国のことを「いなしこめしこめ穢き国」と吐き捨てるように言っています。露骨な嫌悪感の表出です。離別したとはいえ、かつては心から愛したイザナミが黄泉津大神として君臨する国を、そこまで罵倒することはないではないかと、思わないわけではありませんが、そこが神様と人間の違うところ。神話に対して下手に感情移入をすることはことの本質を見誤る愚挙である、とはよく言われることです。イザナキは、生死の別を立てることでこの世は成り立っている、という世界観を決然として打ち立てたのですから、黄泉国をケレン味なく嫌悪し忌み嫌ってもまったく問題はないのです。

禊祓については、こういう記載があります。

古代の重要な宗教的儀礼であった禊は、海に向かって水の流れる河口で行われたり、また川原でも行われたが、要するに水の浄化力によって、罪・穢・禍など、いっさいの災禍を洗い清めるための呪儀である。
             (次田真幸『古事記(上)全訳注』・講談社学術文庫)

『古事記』が書かれるずっと前から、禊の儀式はあったようですね。どうやら、もともとは海人集団の宗教的儀礼のようです。『古事記』と海、というのはひとつの大きなテーマになりそうです。

イザナキは、「筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘の小門(をど)の阿波岐原(あはきはら)」(宮崎県宮崎市に阿波岐原が実在しますが、未詳もしくは架空の地名とされているようです)で禊を執り行ったときに、またもやたくさんの神々を生みます。列挙することをお許しください。神々の名の意味や由来が気になってしかたがないのです。

まずは、身につけていた着物を脱ぐことによって十二柱の神が生まれます。

・衝立船戸神(つきたつふなとのかみ)
イザナキが投げ捨てた杖から生まれた神。「ふなと」は入口を越えて来るなの意の「くなと」が転じたもの。分かれ道に立つ道祖神です。イザナ キはイザナミに「そこからこちらへは来るな」と申し渡したのでした。
・道之長乳歯神(みちのながちはのかみ)
 投げ捨てた帯から生まれた神。「道之長乳歯」長い道行きの末の意。「ながち」は「ながて」の音転。福永武彦氏は、道中の安全を守る神としています。
・時量師神(ときはかしのかみ)
 投げ捨てた御囊(みふくろ)から生まれた神。時間を掌る神などとされていますが、ここで突然抽象的になるのはちょっと変な感じがします。福永武彦氏は、神の名そのものを「時置師神」(ときおかしのかみ)と大胆に読み替え、「解き置く」の意味に解しています。そのために、御囊を裳(も・腰から下に着る女性の衣服)としています。かなり強引なことをしていますが、これで、突然抽象的になるという難を避けています。なかなかむずかしいですね。
・和豆良比能宇斯神(わづらひのうしのかみ)
 投げ捨てた御衣(みけし・着るの尊敬語「けす」の名詞形)から生まれた神。
 「うし」は主(ぬし)で、支配する者の意。厄介なもの、煩いの神。福永武彦は、「煩いからまぬがれた」の意に解しています。こちらが素直な解釈ですね。
・道俣神(ちまたのかみ)
 投げ捨てた袴(はかま)から生まれた神。道の分岐点にいる神。これも道祖神系ですね。
・飽咋之宇斯能神(あきぐひのうしのかみ)
 投げ捨てた冠から生まれた神。諸説あるようです。蛇のイメージというのが妥当なところでしょうか。
・奥疎神(おきざかるのかみ)
 投げ捨てた左の手の手纏(たまき・手にまく飾り、あるいは武具)から生まれた神。奥=沖、疎=遠ざかるの意。
・奥津那芸佐毘古神(おきつなぎさびこのかみ)
 同上。「那芸佐」=渚で禊の儀式を行う場所。
・奥津甲斐弁羅神(おきつかひべらのかみ)
 同上。沖と渚の間を掌る神という解釈があります。「かひべら」は語義未詳、というのが本当のところのようです。
・辺疎神(へざかるのかみ)
 投げ捨てた右の手の手纏から生まれた神。辺は海辺で、沖に対する言葉。
・辺津那芸佐毘古神(へつなぎさびこのかみ)
 同上。辺=海辺、那芸佐=渚。
・辺津甲斐弁羅神(へつかひべらのかみ)
 同上。辺=海辺。

意味のよく分からない神々がたくさん登場しましたが、水や海と深くつながっていることがわかればとりあえずよしとしましょう。

次にイザナキは、「上流は流れが速いし、下流は流れがおそい」と言って、中流に身を沈めて、身体を清めます。そのときに、またもやたくさんの神が生まれます。

・八十禍津日神(やそまがつひのかみ)
 「八十」は「たくさんの」の意。「禍津日」は「災禍を起こす神霊」の意。
・大禍津日神(おほまがつひのかみ)
 「禍」(まが)は「曲」(まが)と同様に「直」(なほ)の反対語。

本文に、「この二柱の神は、イザナキノミコトが穢れに満ちた黄泉国に行ったときの汚垢(けがれ)によって生まれた」とちゃんと説明がなされています。おそらくここが欧米社会の神概念といちじるしく隔たったところではないかと思われます。欧米社会からすれば、穢を神格化するなどとんでもないことであって、それは、悪魔か、土着的なタチの悪い妖精にほかならない、ということになるでしょう。日本人の神概念は、神に対する冒涜であるとさえ考えるかもしれません。欧米社会のGODを「神」と訳すのは、多くの誤解を招くモトなのかもしれませんね。今後日本人は、自分たちの神概念もしくは神感覚を、欧米社会に向けて、彼らが誤解をしない形で説明することができるようにならなければならなくなるような気がします。それができなければ、彼らから心からの尊敬を勝ち得ることはないでしょう。クール・ジャパンなどと浮かれていないで、そういうことをもっと真面目に考えるべきではないでしょうか。そういうことの実現こそが、ソフト・パワーなるものの基礎になるはずです。かなり脱線してしまいました。

いま登場した二神の「禍」を元の状態にするために次の三柱の神が登場します。

・神直毘神(かむなほびのかみ)
・大直毘神(おほなほびのかみ)

毘(び)は神霊の意です。なお、その次に、伊豆能売(いづのめ)が登場しますが、これは、わざわいの神とわざわいを直す神との間に立つ巫女のようです。だから、「神」の字がないのでしょう。しかし、『古事記』ではちゃんと神としてカウントしていますから、それに従いましょう。

次にイザナキが水底で身体を清めたとき、二柱の神が生まれます。「綿」は仮訓字で海の意。「箇」は「筒」に通じ、最初の「つ」は助詞の「の」、次の「つ」は津=港の意だそうです。

・底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)
・底箇之男命(そこつつのをのみこと)

次に水の中ほどで洗い清めたとき、二柱の神が生まれます。

・中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)
・中箇之男命(なかつつのをのみこと)

次に水の上のあたりで洗い清めたとき、二柱の神が生まれます。

・上津綿津見神(うはつわたつみのかみ)
・上箇之男命(うはつつのをのみこと)

ここで、上記の「綿津見神」は安曇系の神で、「箇之男命」は住吉系の神であると、『古事記』の編者兼執筆者(太安万侶)は断り書きを入れています。太安万侶がなにゆえ海の神に関して安曇系と住吉系とを併記したのか、インターネットで調べてみたら、いろいろと議論があるようですが、いまの私には歯が立ちません。勘で言ってしまえば、そこには複雑な政治的配慮があったような気がします。こういうことに深く首を突っ込むと、いわゆる「古代史オタク」になってしまうのでしょうが、とりあえずは、古代史の謎のひとつとしておきましょう。

さて、いよいよ「三貴子」を生む有名なシーンが登場します。原文の訓読み文を引きましょう。

是に左の御目(みめ)を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)。次に右の御目を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、月読命(つくよみのみこと)。次に御鼻を洗ひたまふ時に成りませる神の名は、建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)。

イザナキは、黄泉の国で被ってしまった穢れをすっかりと洗い清め、大海原の清々しい潮風が吹き寄せてくる胸のすくような状態で、「三貴子」を生んだのですね。

このシーンに関して注をいくつか引いておきましょう。

天照大御神 天高く照り給う大御神の意で、太陽神としての面と、皇祖神としての面とがある。女神とされているのは、この神が巫女神の性格をも有するからであろう。

月読命 「月読」は月齢を数えるの意。月の神。


建速須佐之男命 「建速」は勇猛迅速の意で、この神の荒々しい性格を表わす称辞。「須佐」は、元来出雲国(島根県)飯石郡の地名で、この神は本来、出雲地方で祖神として信仰されていた神である。
        (以上、次田真幸『古事記(上)全訳注』講談社学術文庫)

スサノオが、「本来、出雲地方で祖神として信仰されていた神である」という指摘との関わりで、次田氏は、次のような重要な指摘をしています。

スサノオノ命が天照大御神と姉弟の関係で結ばれているのは、注目すべき点である。日神と月神が、天父神の左右の目から生まれたとする神話は、日本神話以外にも例があるが、鼻からスサオノ命が生まれたとするのは異例である。スサオノ命は、元来出雲神話の祖神であって、皇室神話の祖神である天照大御神との間には、血縁的関係はなかったはずである。それが共にイザナキノ命の子として結合されたのは、皇室神話と出雲系神話とを統合するために採られた方法であったと思われる。

皇室を筆頭とする当時の国家意思を体現した太安万侶(ら)が、異なる神話をつなぎ目がわからないようにつなごうとした手元に強い光が当てられています。こういうところで、編者・太安万侶の姿が躍如として鮮やかにあぶりだされますね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『古事記』に登場する神々について(その4)イザナキ・イザナミ神話完結編

2014年03月22日 05時34分27秒 | 歴史
『古事記』に登場する神々について(その4)イザナキ・イザナミ神話完結編


島根県の東出雲町にある黄泉比良坂(よもつひらさか)の千引石(ちびきいわ)

前回に提示したふたつの疑問のうち、「我をな視たまいそ」というイザナミの言葉にまつわっての禁室話型に触れずじまいでした。

禁室話型のパターンは次のとおりです。

① 女主人公が、男に対して自分の部屋を覗くことを禁止する。
② 男がその禁を破って部屋を覗く。
③ 正体がばれた女主人公と男とが離別する。

イザナキ・イザナミ神話も、このパターンをほぼそのまま踏襲します。ほかには、昔話の『鶴の恩返し』や木下順二の『夕鶴』がこのパターンの話としては有名でしょう(『鶴の恩返し』は話素が異なります)。また、ギリシャ神話のオルフェウス・エウリュディケの話も、細かい違いを除けば、ほぼそのパターンを踏襲しています。詳しくは知りませんが、中国にも似たような神話があるそうです。

私は、ユングのように、ここで集合的無意識の存在を主張するつもりはありません。が、この事実から最低限、人の心を動かす話のパターンに民族の違いや国境はないとは言えるのではないかと考えます。いいかえれば、話型は通時的に普遍性を有すると同時に共時的にもそれを有する、となりましょう。

では、なにゆえ禁室話型が、地域や民族や時代の違いを超えて、人々の心を深く揺さぶるのでしょうか。

それは、エロスにまつわる失敗や挫折に対する痛切な思いやその記憶が普遍的なものだからではないかと、私は考えます。卑近な例を挙げます。気の置けない友と深酒をして心理的に武装解除をしたとき、私たちは、自分にとってのかけがえのない人をめぐっての思いの丈をお互いに腹を割ってしみじみと伝え合わないでしょうか。そのときに湧き出てくる思いは、たいていの場合、取り戻しようのない過去についての後悔や愚痴や儚い望みだったりしないでしょうか。こういう言い方をされて、そういうことはまったくないとシラを切れる人がいることを、私は想像ができません(あるいはそういう人がいるのかもしれませんが、そういう人は、もっと根本的なところでとても不幸な境遇にあるのではないかと私は考えます)。

そのとき私たちは、心のとても深い処に降りて言葉を繰り出しているはずです。おそらくそこが、禁室話型を受け入れる情緒的な基盤なのでしょう。そこを、鬼の目にも涙の致命的な弱点と言ってもいいでしょう。

生きているうえでの失敗や挫折は、エロス的なものに限らないだろう、という反論がありえますね。しかし、そのほかの失敗にはない特徴が、エロス的な失敗や挫折にはあります。それは、エロス的な失敗や挫折は、かけがえのない人をめぐってのものであるということです。それゆえその記憶は、とりわけ痛切なものとして感じられ、そういうものとして記憶に残りやすい。

では、禁室話型において、なぜ女性が禁止する側で、男性が禁止される側なのでしょうか。直観的にそれを理解するのはそれほどむずかしくないのですが、それをきちんと言葉にするのはけっこうむずかしいような気がします。いまの私に言えるのは、次のようなことです。

当論考の(その2)で、私は男女のエロス関係について次のように申し上げました。

″男女間のエロスにおいて、女はあくまでも誘惑者であることによってその魅力が最大限に発揮されます。男は、その誘惑の力に抗しきれなくなってやむをえずアクションを起こす。つまり、誘惑という前言語的かつ身体的な次元において、女は能動的であり男は受動的である。そうであるがゆえに、言動の次元においては、男が能動的であるのに対して、女は受動的である、という形をとる。″

その場合、アクションを起こす男の方が、おおむねエロス上の失敗を犯しやすい。フラレるのはたいがい男の側ですし、付き合ったりさらには結婚したりしたふたりの仲がうまくいかなくなった場合も、なんとなく男の方が部が悪いですね。エロスの窮状において、女はたいがい「あんたのせいでこうなった」というスタンスをくずしません(場合によっては、女は命懸けでそのスタンスを守ることもあります)。私は、別に個人的な愚痴をこぼしたいわけではありません。そいうことは、男女間のエロスのあり方の本質から不可避的に導き出されるのではないかと言いたいわけです。

とするならば、おのずと女よりも男の方が「オレはなにかイケナイことをしでかしてしまったのだろうか」と自問自答する頻度や深度がはなはだしくなります。それが、「女性が禁止する側で、男性が禁止される側」というエロスの構図を受け入れる心理的な基盤になるのではないかと思うのです。いまの私に言えるのはここまでです。

ちょっと個人的な経験をしゃべりたくなったので許してください。私は、中学三年生のときに、重度の恋愛病を患ってしまいました。相手は、O・Rという子でした。性格はあくまでも明朗ではあるのですが、どこかとてもしっとりとした柔らかい雰囲気があり、色白で色艶のいい黒髪の、相手を温かく包みこむような響きの声がとても素敵な女性だった、という記憶が残っています。また、穏やかに笑ったときの唇の形がとても綺麗でした。どうしてあんなに歯が白いのかとても不思議でもありました。五〇の大台を越えた男がいうようなことなのかどうかはなはだこころもとないのですが、これまでの人生のなかでいちばん好きだった女性なのではないかと思っています。どうもそういう感じなのです。受験を控えた大事な時期なのに、勉強にまったく身が入らない状態が続いて、私は困り果てたものでした。

それは救いようのないほどの片想いでした。やむにやまれず公衆電話から彼女の自宅に電話をかけたこともあります。あまり覚えていないのですが、おそらくそのときはじめて告白したのでしょう。手応えはまったくありませんでした。それから何日か経って、諦めきれずに学校の階段のところであらためて思いを伝えたような気がします。そのときたしかその子はうつむきながら「ごめんなさい」と言ったような気がします。万事休すです。私は思いを残しながらも、その場を離れるよりしかたがありませんでした。その日のことだったと思いますが、その子が教室でほかの数人の女の子に囲まれて泣いているのを目にしました。

どういうやりとりがなされているのかまるで分からなかったのですが、私の言動が原因で泣いているのは明らかでした。しかし、私を責めるような攻撃的な雰囲気は伝わってきません。私は不思議でなりませんでした。告白した相手(つまり私)を振ったのですから、相手を好きではないことは確かです。しかし、好きではないにしろ、相手から熱心に好意を示されたことそれ自体は、自分に女性としての魅力がある証拠なのですから、うれしくないはずがない。「なのに、どうして泣いたりするんだ。オレはなにかとんでもないことを彼女に対してしでかしてしまったにちがいない。何をやってしまったんだろう。」そういう思いで頭がいっぱいになってしまいました。

いまなら、おおむねそのときの事情が分かります。彼女は、電話でやんわりと断ったつもりだったのです。しかし、それをそれとして受けとめられるほどに私の心は成熟していなかったし、なにやら急いてもいた。それでもっとはっきりした言葉がほしくて、直接行動に出た。彼女は、やむをえずはっきりとした言葉を私に伝えるほかなかった。そのとき、伏し目がちになりながらも、私の悲しそうな表情を盗み見したにちがいありません。

そうした一切が、一五歳の彼女のデリケートな心にとって耐え難かったのでしょう。仲間に囲まれて張り詰めていたものがほどけるにつれて、おのずと涙が湧いてきた。そういうことだったのでしょう。やはり私は「これ以上は踏み込まないで」という彼女の禁室のメッセージを無視し、禁を破ってしてしまったのです。

閑話休題。黄泉国神話を進めましょう。

イザナミがなかなか戻ってこないので、イザナキはしびれを切らしてしまいました。それで、左のみずら(髪を左右に分け、耳のあたりでくくって垂らす貴族男子の髪形)に刺した湯津々間櫛(ゆつつまくし・「ゆつ」は神聖なの意。「つま櫛」は爪の形をした櫛の意)の男柱(ほとりは・櫛の両端にある太い歯)を一本折り取りそれに火をともして建物の中に入っていきました。すると、生前のイザナキとは似ても似つかぬ姿が目に飛び込んできたのです。その体中に、蛆(うじ)がたかってごそごそとうごめいています。また、体のあちらこちらに次のような八柱の雷神が宿っているのでした。

・大雷(おほいかづち):頭に宿る
・火雷(ほのいかづち):胸に宿る
・黒雷(くろいかづち):腹に宿る
・析雷(さくいかづち):性器に宿る。物を裂く威力のある雷。
・若雷(わかいかずち):左手に宿る。
・土雷(つちいかづち):右手に宿る。
・鳴雷(なるいかづち):左足に宿る。
・伏雷(ふすいかづち):右足に宿る。

それを見て、イザナキは恐れおののき逃げ帰ろうとします。そのとき、イザナミが(おそらくすごい形相で)「私に恥をかかせたのね」と恨みごとを言って、ヨモツシコメ(ヨモは「ヨミ」の交替形。黄泉の国のみにくい女。死の穢の恐ろしさ・醜さを擬人化したもの)を遣わして逃げるイザナキを追いかけさせます。

ここは、本当におそろしい光景ですね。これまで貞淑な妻だったイザナミが、禁を破ったイザナキが自分の醜い姿を見た瞬間に、鬼女の形相に変わるのです。太安万侶は、女のおそろしさとはどういうものであるのかよく分かっていたのでしょう。

それはそれとして、実はさきほどから、私は頭を抱え込んでしまっています。というのは、雷神がなぜ地下世界にいるのか、どうしても分からないからです(「黄泉の国」は、地下深いところにある死後の世界ということでしたね)。だって、雷は肉眼で観察するかぎり、空で派手に暴れまわってときおり地上にズドンと落ちるものですよね。その神が地下にいるというのは、相当にアクロバティックな小理屈をコネ回さないかぎり、うまくつながらないのではないかと思ったわけです。

苦し紛れに、「雷:いかづち」の語源をインターネットの「語源由来辞典」で調べてみたところ次のように出ていました。
「語源由来辞典」http://gogen-allguide.com/ (これ、便利ですよ)

「いかづち」の「いか」は、「たけだけしい」「荒々しい」「立派」などを意味する形容詞「厳し(いかめし)」の語幹。「づ」は助詞の「つ」。「ち」は「みずち(水霊)」「おろち(大蛇)」の「ち」と同じで、霊的な力を持つものを表す言葉。だから、「厳(いか)つ霊(ち)」が語源である。本来「いかづち」は、鬼や蛇、恐ろしい神などを表す言葉であったが、自然現象のなかでも特に恐ろしく、神と関わりが深いと考えられていた「雷」を意味するようになった。

語源的な観点からすれば、「いかづち」は、雷の意味に限定されるものではないことが分かります。だから、地下に「いかづちの神」がいたとしてもそれほど悩む必要がない、となってくれれば、一件落着と相成るのでしょうが、残念ながら、太安万侶は、「いかづち」にちゃんと中国語の「雷」(らい)の字を当てているのです。明らかにここでの「雷神」は、「かみなりのかみさま」なのです。これでふりだしに戻ってしまいます。

こういうときは、背理法の考え方が役に立つのではないかと思います。つまり、矛盾のある結論が導き出された場合、基本的前提が誤っている、とする考え方です。この場合の基本的前提とは、「黄泉国は、『地下深くにある』死後の世界である」です。これが誤っていると考えてみる必要があります。つまり、黄泉の国は地下になどない、としてみるのです。

では、どこにあるのか。前回の(その3)で、無文字社会以来の日本人の伝統的死生観においては山に死者の霊魂が宿るという考え方がむしろ一般的だったという意味のことを申し上げました。それをここで敷衍すれば、「黄泉国は、地下などにはなくて、実は、山にある」となります。これは、太安万侶の目論見とは矛盾する仮説です。そのことについては、のちほど触れることにします。ここでは、その仮説を前提とした場合、『古事記』の読みにおいて不都合が生じないかどうか確かめてみましょう。

黄泉の国が山にあるのだとすれば、雷神もまた山にいることになる。これは実に納得のいくイメージです。雷は空で活躍するから、ふだんは山で待機しているというのはとても素直な連想ですね。さらに、イザナキの遺体が比婆山に葬られたこととも見事に符合します。また、黄泉の国が地下にあるのだとすれば、イザナキはのろのろとしか走れませんが、山にあるのだとすれば、一目散に駆け下りることができます。その方が、逃げろや逃げろのシーンにふさわしいのではないでしょうか。また、後に出てくる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、読んで字のごとく「坂」です。黄泉国が地下にあるのならば、ここは、「坂」ではなくて大きな「洞穴」のようなものが登場するのが自然でしょう。「坂」である以上、イザナキは、山から駆け下りてきたとするほうが妥当なのではないでしょうか。また、大きな千引の石(ちびきのいわ)を「坂」に「引き塞(さ)へ」(引きずって据えた)とは言っていますが、穴を塞いだようなニュアンスはあまり感じられません。さらには、「黄泉比良坂の坂本」という言い方があり、「坂本」とは、ふもとの意です。

ここまでのところ、黄泉国は山にある、という仮説とつじつまあわないところはありません。

では、黄泉国は地下ではなくて山にある、という仮説を別の角度から検証しましょう。

ここで登場する雷神は、いったいどんな姿をしているのでしょうか。一般的に雷神といえば、次のようなイメージが定着しているものと思われます(おそらく俵屋宗達の屏風絵『風神雷神図』の影響でしょうね)。




しかし、こんな神様が八つも体にまとわりついていたら、イザナミの姿がかすんでしまって、怖いもなにもあったものではありませんね。大の男のイザナキが総毛立つほどの恐怖を味わって、百年の恋もいっぺんで吹っ飛んでしまったのですから、イザナミの姿はよほど怖くて薄気味の悪いものだったにちがいありません。図のような神様は力強くはありますが、どこかユーモアが漂っていて、そういうイメージにはふさわしくありません。

とするならば(これは、先ほど引いた「いかづち」の語源から思いついたことですが)、八匹のヘビが、蛆虫だらけのイザナミの死体のそこらじゅうに巻きついているというのがどうやらいちばん怖くて薄気味が悪い、ということになるでしょう。つまり、『古事記』の雷神は蛇である。

これは、黄泉国が山にあることと見事に符合します。だって、蛇というのは、人里離れた山の中にいるというイメージがありますからね。

古代人にとって、蛇は特異な霊力を有する動物として、恐れられながらも、神聖視されていました。というより、古代人にとって、恐れ忌み嫌うことと、神聖視することとは、まったく矛盾しなかったのです。神とは、そういう存在だったのです。

ちなみに、私の生まれ故郷の対馬(大八島のひつとの、あの「津島」)では、少なくとも私が生まれ育った五〇年ほど前まで、蛇は神聖視されていました。噛まれると命を失う危険のある毒性の強いマムシを殺すことはやむを得ないこととされていましたが、大蛇のアオダイショウ(青大将)を殺すことはタブー視されていたのです。というのは、アオダイショウは、家の守り神であると信じられていたからです。

それで、この仮説に一定の妥当性があるとして、太安万侶の目論見との矛盾をどう考えるのかという課題が残ります。

太安万侶の目論見は、『古事記』の世界を、高天の原-葦原の中国(なかつくに)-黄泉国という垂直構造として構築することでした。そのために「ヨミノクニ」という和語に、中国の「黄泉」(こうせん)という外来語を当てたのです。

しかし、その目論見がいつも成功するとは限らないのです。新たな世界観を構築するには、伝統的な死生観に裏付けられた伝承的な神話を統合し再編し別のものに仕立て上げることが必要です。しかし、その作業を完遂するには、論理的に考えれば、自らが依って立つ土着的な価値観や死生観から自分を根こそぎにしてしまうことが必要となります。

しかしそれは、たかだかひとりの人間に出来うるワザではありません(自分がそれを完遂しようとすることを想像してみてください。無理でしょう?)。如何に強固な意志で自分を固めたとしても、そういう意志によって固めた世界は、必ず、一万年以上をかけ、無名の数知れぬひとびとによって培われてきた感覚・価値観・死生観の浸潤を受けることになります。意識は、歴史的無意識の自律性の作用を受ける。そういう当たり前の事態を、私は、黄泉国をめぐる安万侶の目論見と実際に構築された表現世界とのギャップに見る思いがします。そこをきちんと見ることが、『古事記』を読むうえでのはずせないポイントの少なくともひとつになるのではないでしょうか。そこのところで私は、いわゆる左翼的な『古事記』解釈とは袂を分かつことになるのではないかと思われます。

『古事記』の本文に戻りましょう。

よもつしこめが追いかけてくるのを防ごうとして、イザナキは、黒御縵(くろみかづら・黒い蔓性植物の髪飾り)を髪から抜いて投げ捨てると、それがたちまちエビカズラ(山葡萄)になりました。よもつしこめが、それを拾って食べている間に、イザナキは逃げて行きました。食べ終わった後に、なおも追っ手が追いかけてきます。それで、右の御かづらに刺していた湯津々間櫛(ゆつつまくし)を引き抜いて投げ捨てるとタカナミ(筍・たけのこ)になりました。追っ手がそれを引き抜いて食べている間に、イザナキは逃げて行きます。追っ手の援軍として、八柱の雷神と、千五百の黄泉軍(よもついくさ)が加わりました(おそらく、八匹の大蛇と多数の小蛇のことでしょう)。イザナキは、身に着けていた十拳(とつか)の劔(つるぎ)を抜いて、後ろ手に振りながら逃げて来ます(これは、相手を忌み嫌う所作と解されていますが、坂を下ってくる蛇の軍勢を追い払うには、合理的な行動なのではないでしょうか)。        



  エビカズラ (山葡萄)

古代人が、山葡萄や筍などの植物の有する邪気祓いの力を信じていたことがうかがわれて興味深いですね。現代人でも、心が安らぐからとかなんとか言って、室内や店内に植物を置くところを見ると、古代人の感性と無縁だとは言い切れません。

本文に戻りましょう。

イザナキが、黄泉比良坂(よもつひらさか・「ひら」は崖の意。黄泉国とこの世の境界を示す斜面状の坂)の坂本(「ふもと」の意)に到着して、そこにある桃を三個もぎ取って追っ手に投げつけたところ、軍勢はことごとく退散しました。
そこでイザナキは、桃の果実に言いました。「お前よ、私を助けたように、葦原中国(あしはらのなかつくに)に住んでいるあらゆる世間の人びとが、苦しい目にあって呆然としているときに、彼らを助けてやってくれ」。そうして桃に意富加牟豆美命(おほかむづみのみこと)という名を賜りました。

イザナキが桃に賜わたった名のなかの「おほかむづ」を、次田真幸氏の『古事記(上)全訳注』(講談社学芸文庫)は、「大神(おおかむ)つ霊(み)」の意であろうと言っています。植物に神の名を賜ることは、『古事記』のなかではじめてのことです。このことは、古代人が桃には鬼神をも恐れさせる強い呪力・霊力が宿っていると信じていたことを雄弁に物語っています。桃についてのこういう考え方や感じ方は日本独自ものではなく、桃の原産国支那大陸から桃といっしょに伝来したものです。それに加えて、桃の見た目のふくよかさと上品な香りと色の美しさが、そういう考え方を定着させるうえで大きかったような気もします。

イザナキ・イザナミ神話は、いよいよクライマックスを迎えます。

最後にイザナミ自らが追いかけて来ます。イザナキは、千引の岩(ちびきのいわ。千人力でなければ引き動かせないほどの大きな岩の意)を黄泉比良坂(よもつひらさか)に引き据えました。それを間にはさんで、イザナキとイザナミは、向かい合います。そうして、事戸(「ことど」。離婚の言葉の意。「ど」は呪言)を交わします。

イザナミ:愛(うつく)しき我(あ)がなせの命(みこと)、かく為(し)たまわば、汝(いまし)の国の人草、一日(ひとひ)に千頭(ちかしら)絞(くび)り殺さむ。
イザナキ:愛しき我がなに妹(も)の命、汝(なれ)然(しか)為(せ)ば、吾(あれ)一日に千五百(ちいひ)の産屋(うぶや。出産のために新しく立てる小屋)を立てむ。

夫婦の離別の言葉として、凄まじくも美しいこと、限りがありません。と同時に、これは単なる離別のことばではなくて、神として人間世界の生死の別を立てた言葉でもあります。あるいは、愛別離苦の宿命を引き受ける言葉でもあります。

批評家・故小林秀雄は、スワンソング『本居宣長』の終末部に近いところで、上記のやり取りを引いたあとに次のように言っています。

もう宣長とともにいえるだろう、――「千引岩(チビキイハ)を其(ソ)の黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)に引き塞(サ)へて、其の石を中に置きて、各(ア)ひ立(タタ)」す、――生死について語ろうとして、これ以上直な表現を思い附く事は、物語の作者等には出来ない相談であった、と。万葉歌人が歌ったように「神社(もり)に神酒(みわ)すゑ 禱祈(いのれ)ども」、死者は還らぬ。だが、還らぬと知っているからこそ祈るのだ、と歌人が言っているのも忘れまい。神に祈るのと、神の姿を創り出すのとは、彼には、全く同じ事(ワザ)なのであった。死者は去るのではない。還って来ないのだ。と言うのは、死者は、生者に烈しい悲しみを遺さなければ、この世を去る事が出来ない、という意味だ。それは、死という言葉と一緒に生まれて来たと言ってもよいほど、この上なく尋常な死の意味である。(中略)死という物の正体を言うなら、これに出会う場所は、その悲しみの中にしかないのだし、悲しみに忠実でありさえすれば、この出会いを妨げるような物は、何もない。

ここがおそらく、最晩年の小林が到達した思想的な場所なのでしょう。私からすれば、これだけのまともなことが言えたのならば、小林の長かった批評家人生もまんざら無駄ではなかったという感想が湧いてきます。これは、最大の褒め言葉なのですが、その意味がお分かりいただけるでしょうか。思想にとってもっとも重要なことは、ごく普通の人々が、自分たちにごく普通(であるかのよう)におとずれる悲しみや苦しみをどうやってしのいで生きているのかということに、やわらかい眼差しをまっとうに振り向けうる言葉を持つことであるからです。最晩年の小林は、そういうことがわりとすんなりとできたのでしょう。

私はまだまだですが、小林のような、さかしらやこざかしいはからいをのびやかに超えたところで、物を考えたり、言葉を紡いだりできる思想の自然体を身につけえた者だけに、『古事記』はその素顔を見せるような気がします。 

『古事記』の主人公は、この後、イザナキ・イザナミからアマテラス・スサノオコンビにバトンタッチされることになります。    
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ボクと契約して、フェミニストになってよ!」 (兵頭新児)

2014年03月21日 01時30分06秒 | 兵頭新児
「ボクと契約して、フェミニストになってよ!」

兵頭新児



『魔法少女まどか☆マギカ』のキュゥべえ

――前回、ぼくは「ホモ雑誌の編集長が小児愛者と子供とのセックスを称揚している」こと、「フェミニストがそれを指摘されても目を背けるどころか、編集長を擁護し、指摘した側を攻撃してきた」ことについて述べました。そんなフェミニストたちが揃いも揃って腐女子(BLを愛好するオタク女子)であったことから、論調は「オタク批判」とも言えるものになっていったかと思います。

*Wikipedia によれば、″BLは「ボーイズ・ラヴ」の略で、ボーイズラブ(和製英語)とは、日本における男性(少年)同士の同性愛を題材とした小説や漫画などのジャンルのこと。書き手も読み手も主として異性愛女性によって担われている″とあります。(編集者注)

が、正直ちょっと駆け足で説明不足だったかなとの反省もあります。恐らくお読みくださっている方々にしてみれば、オタク文化などなじみのない方がほとんどでしょうし。

そんなことから今回、それらの事情についての補足説明をすると共に、もうちょっと話を広げてみたいと思います。

その前に本件のタイトルですが、これは『魔法少女まどか☆マギカ』に登場するキャラクター、キュゥべえの「ぼくと契約して、魔法少女になってよ!」という名セリフのもじりです。

『魔法少女まどか☆マギカ』(以降、『まどマギ』)とは2011年にテレビ放映を開始し、オタクの間で大ヒットしたアニメです。

『新世紀エヴァンゲリオン』は従来のスーパーロボットアニメのパロディのような世界観の中、主人公が最後まで戦うことを拒否し、現代社会でぼくたちが抱えている虚無感を描き出しました。

一方『まどマギ』は、言わば従来の魔女っ子アニメのパロディです。妖精のような不思議な生物・キュゥべえと「契約」し、魔法少女となった少女たちが、悪い魔女を相手に戦うお話なのですが、これもまた、『エヴァ』的な仕掛けが施されていました。キュゥべえは善意からヒロインたちを魔法少女にしたわけではなく、少女たちが魔力を使い続けるうち、次第に魔女(つまり、悪役ですね)と化していくことを見越して、それこそを目的としていた存在だったのです。

この「魔法少女」が「魔女」と化していくことが必然だとの設定は、成長することそのものが汚れること、悪くなること、というぼくたちの成長忌避的な心理を表現しているとも言えますし、またこの少女たちを勧誘し、魔法少女にしていくキュゥべえはまさに「ブラック企業」のメタファーだ、といった批評もさかんになされました。

今回は現実世界でもこのキュゥべえが暗躍しているのではないか……というお話です。

ぼくは前回、「オタク界には左派の勢力が強い」「しかしオタクのマジョリティは必ずしも左派とは言いにくい」と書きました。この辺りをもう少し詳しくお話ししたいと思います。

 オタク文化の発祥が何かとなると議論は百出するでしょうが、80年代の初期、70年代的な「エロ劇画」が廃れ、今で言う「萌え」的な美少女のエロ漫画、いわゆる「美少女コミック」というものが流行し、「ロリコンブーム」などと言われていたことは事実です。つまり、オタク文化の源流の一つには、明らかにこの種のエロ漫画があったわけです。

さて、その「エロ劇画」ですが、ウィキペディアの「エロ劇画誌」の項を見てみると、「三流劇画ムーブメント」という小見出しが作られ、

>これは、当時の三大エロ劇画誌と言われた『漫画大快楽』『劇画アリス』『漫画エロジェニカ』の編集者(亀和田武、高取英ら)によって打ち上げられたもので、言わば学生運動のような革命思想をマンガ雑誌の世界に持ち込んだもので「劇画全共闘」とも呼ばれた。

などと描かれています。

つまり、元からエロ漫画界は左派的な勢力が支配的だったわけです。

が、「美少女コミック」はそうした「エロ劇画」の影響があるとは言い難く、全く別な場所、つまりアニメなどを源流に発生してきた表現としか言いようがありませんでした。

この時期の美少女コミック界を戯画的に表現するならば、

ぼくたちがコミケで美少女コミックの同人誌を売っていたら、雑誌の編集者がスカウトに現れた。喜んでほいほいついていったら「体制と戦え!」みたいなウザいお説教をされてウンザリ……。

といった事態がそこかしこで起きていたと、そんなわけです。

もっとも、とは言え、オタク文化の歴史は性描写規制、児童ポルノ法との戦いの歴史といった側面もあります。古株のオタクであればあるほど、こうした左派の影響を色濃く受けざるを得なかった状況があったわけです。今では「萌え」一辺倒のエロ漫画業界ですが、それでも「登場人物がアンドレア・ドゥオーキンの主張をそらんじながらセックスする」といったモノスゴい漫画を描く、「東大法学部出身」を売りにした「砂」という漫画家さんなんかがいらっしゃったりもします。

*故アンドレア・ドゥオーキンは、ラディカル・フェミニズムの象徴的な人物。詳しくは、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3 をご覧ください。(編集者注)

前回のフェミニストたちがぼくのことを「漫画の敵」と短絡的に勘違いしてしまったのも、そうした歴史故のことだったのですね。

そしてまた、90年代にもオタク界は大きなターニングポイントを迎えました。そう、先にも挙げた『エヴァ』が注目され、ある種、オタク文化が市場と市民権を得たのです。この頃、東浩紀氏に代表されるようなオタク系文化人の姿も目立って来ました。

が、こうした(揃いも揃って左寄りの)文化人たちは今でこそオタクの味方のようなポーズをしきりに取っていますが、この当時、彼らは『エヴァ』に飛びつくのとは裏腹に、オタクそのものは見下して批判しておりました。

1998年に出された雑誌『Quick Japan vol.21』を見ると*1、東氏は

> たとえばコアな男性オタクには、妙な硬派意識があるでしょう。現実の女とチャラチャラ飲みにいったり、イタリア料理食いに行ったりはバカにして、むしろプレステで格ゲーやってるほうが「かっこいい」、みたいなね。エロ同人誌を描いていて硬派とはどういうわけか、僕は長いあいだ謎だった。ホモソシアル、がその答えではないか。

などと語っています。ぼくは何十年とオタクをやってきて、そんなふうに感じたことは一度もないのですが。しかし彼の妄想はそれでも止まらず、オタクはナショナリストだとも(無根拠に)言い出します。

「オタクはマッチョである」
「オタクはホモソーシャルである」
「オタクはミソジニーである」
「オタクはネトウヨである」

左派寄りの人々はオタクにいろいろなレッテルを貼りつけることが実に大好きですが、その元祖は東氏にあったわけです(そのくせ、BLは「男たちのホモソーシャル性をからかった高度な批評である」と強弁し、称揚しています。もう見ている方が赤面してしまうような腰巾着ぶりですね)。

極端に言えば、彼らは『エヴァ』をきっかけにオタクたちの上に君臨したかったわけです。東氏以外にも、今はオタクの味方であるかのように振る舞っている文化人が、やはり当時『エヴァ』に飛びつきつつもオタクのことは見下し、古株のオタク系の評論家が『エヴァ』を語るのを悪し様に罵っているのを見たこともあります。

彼の『動物化するポストモダン』など初期の著作についても、既にオワコン(流行遅れ)である「ポストモダン」を「オタク文化」に絡めて語ることで読者を幻惑し、延命させようとしたもの、という以上の印象を持つことができません。論壇の人たちにしてみればいまだ暗黒大陸である「オタク文化」をネタにすれば反論しにくかろう、といった計算があったのでは……といった勘繰りもつい、してしまいたくなります。

むろん、これは一種の極論です。東氏は「利益のためにオタクを装っている」わけでは別になく、ご本人もコアなオタクであることは事実です。

ただ、ぼくとしては、

ぼくたちが『エヴァ』について熱く語っていたら、文化人たちがまるでアメリカ大陸を「発見」した欧米人のようにずかずか上がり込んできて「俺たちの方が『エヴァ』をよくわかっている!」と我が物顔で暴れ出した。ぼくたちは食うためにやむを得ず、彼らにインチキインディアンダンスを踊ってみせるハメに……。

といった感想をつい、抱いてしまうのです。

さて、ここでちょっとしたねじれが生じました。

左派寄りである彼らオタク系文化人は、ことに性的な事柄についてはリベラル寄りの考えが強い。同時にまた彼らはフェミニストと非常に親和的で、フェミニストたちも前回挙げた人々が代表するように、腐女子率が大変に高い。

しかしフェミニストたちはポルノや「萌え」的な表現を嫌っているのではないか……といった疑問が、当然湧きますよね。

むろん、フェミニストといっても一枚岩ではなく、むしろ最近のフェミニストは性的なものに対してオープンな姿勢をアピールする人々が主流になっているように思います。上野千鶴子氏からして「うぐいすリボン」という「表現の自由を守る」ことを目的とするオタク寄りのNPOの講演会で、

>「フェミニズムは敵ではありません」と、ジェンダーの話題を怖がるオタクたちへのメッセージを、印象的な言葉で語っていました。

>上野は一貫して「表現の自由」擁護の立場。「想像力は取り締まれない」と壇上で発言したら拍手を受けた。


といったスタンスを表明していました*2。

近著である『女ぎらい』を見ても、妙にオタクに対して親和的なスタンスをアピールしている様子が見て取れます。

が、しかしながら、彼女は同時に、

> 対価を払って同意を得ているから買春してもいいという人がよくいるが、カネを払えば女性の身体を自由にしていいのか。資本主義だって何でも商品にしていいわけではない。

>やはり、風俗は完全になくすべきだという結論以外にない。


とも言っているのです*3。先の『女ぎらい』を見てもやはり、

> 売買春とはこの接近の過程(引用者註・男女のおつきあい)を、金銭を媒介に一挙に短縮する(つまりスキルのない者でも性交渉を持てる)という強姦の一種にほかならない。

とまで断言しています。

おかしな話です。そんなことを言い出したらAVだって「売買春記録物」に他ならず、「強姦」であり、「完全になくすべきだという結論以外にない」はずです。

むろん、彼女がオタクに親和的なのは「エロ漫画など、架空の美少女を性の対象にしている」との理由があり、彼女の中では矛盾はないのかも知れませんが、非オタクにしてみればやはり、納得のできる論理ではないでしょう。

正直、彼女らのホンネがいかなるものか理解に苦しむのですが、彼女の弟子筋である千田有紀氏の著作を見ると、「体制側の規制は反対、しかしポルノそのものは女性差別であり、(自分たちの手によって?)改革されていかなければならない(大意)」といったことが書かれていました。彼女らのリクツでは、ポルノは「ヘイトスピーチ」の一種だと言うのですから、恐れ入ります。そうなると、彼女らのお眼鏡に適うポルノはBLのみ、なんてことにもなりかねないような気がしますが……。

しかしそうしたフェミニストたちの欺瞞に対して、オタク系文化人たちは全く頓着する様子がありません。「表現の自由」のためにはどんな犠牲でも払おうという人たちが、自分の仲間の欺瞞には徹底的に甘い。これはとても不思議なことと言わねばなりません。考えてみれば、彼らがあれだけフェミニズムに服従しつつ、一方では幼い子供を拉致監禁し、レイプして精神をずたずたに破壊するような凄惨なポルノを絶賛し続けること自体、ぼくの感覚からは全く理解が及ばないのですが。

ところで前回ぼくは、「オタク界の上層部には小児愛者、或いは小児愛者を政治利用しようという意図を持った者がいるのではないか」との想像を述べました。ネット上では「ホモフォビア」というフレーズをパクって「ペドフォビア」といった言葉を振り回す者も目立ってきた、といったことも指摘しました。

*ペドフォビアという言葉は、社会的な事象に使用される概念で、小児性愛者(ペドフィリア)を「過度に」嫌悪する心理のことを指すようです。小児性愛者に対する過度な差別を批判・告発するための術語のようです。(編集者注)

が、最近、これに関連してちょっと面白い事件が起こりました。

レインボーアイコン(ツイッターではアイコンに虹マークをつけることで、セクシャルマイノリティへの支援の表明となるとされています)をつけた人々が「ロリコン」を口汚く罵り、ロリコン寄りの人々*4にダブルスタンダードではないかと批判される、といったことが起こったのです。

欧米のゲイ団体などが小児愛者に厳しいことは前回にも書きました。が、日本では小児愛者も「子供とのセックスを法で認めよ!」などと表立って運動することもなく、同時に彼らに対する嫌悪も、あまり表明はされない。しかし内部にくすぶった感情が、ネット時代になって表に出てきた……本件をまとめれば、そんなことになろうかと思います。

しかし、(罪を犯してもいないロリコンへの罵倒が正当化されるわけではないものの)ことこれについては、セクシャルマイノリティ、或いはフェミニストたちの言に理があるように、ぼくには感じられました。

彼ら彼女らの主張をまとめると、「小児愛者はヘテロセクシャル男性である、よってセクシャルマイノリティではない」といったものです。

そう、言葉をそのまま「性的な少数派」と捉えるのであれば、小児愛者は明らかにセクシャルマイノリティです。が、同時に彼ら彼女らの論理は基本的にはフェミニズムをフォーマットにした、「ヘテロセクシャル男性へのカウンター」といった性質を持っています。つまり、ヘテロセクシャル男性への異議申し立てというセクシャルマイノリティの思想、運動のスタンスを鑑みた時、単純に「小児愛者もまたセクシャルマイノリティ」とは言えないわけです(彼ら彼女らがレズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスセクシャルの頭文字を取ってLGBTと名乗っていることは象徴的です)。

これに似た例として、数年前、東浩紀氏が「ろりともだち」という美少女コミックを絶賛したことにフェミニストたちが憤った、といった事件がありました*5。その「ろりともだち」は小児愛者の青年の心理を描いた(インモラルながら、大変優れた)作品だったのですが、フェミニストたちは一つに、「幼い少女を陰惨にレイプする漫画を絶賛したこと」に、二つ目には「小児愛者の青年同士の親友関係を(ホモソーシャル、と称しておけばいいものを)ゲイ的、と表現したこと」に切れていたように思います。小児愛者をゲイに準えて批評するとは何ごとか、というわけですね。

念を押しておきますが、ぼくはフェミニズムの理を一切認めませんし、その意味で残念ながらセクシャルマイノリティたちのロジックも、基本的に受け容れる気にはなりません。

しかし上に挙げたロリコン寄りの人々が「ペドフォビア」などといった言葉をひねり出し、セクシャルマイノリティたちの論理を(まるで『エヴァ』をオタクから横取りした文化人よろしく!)パクっておいて、しかし彼らの「小児愛者はヘテロセクシャル男性である、それ故マイノリティとは認められない」といったロジックにだけは反駁するというのでは、平仄にあいません。

こうしたロリコン寄りの人々は常に自らの立場をゲイに、黒人に準え、敵対者に「レイシスト」との言葉をぶつけるだけでよしとしています。そこにあるのは「自分たちも嫌われることなく市民権を得られるはずだ」との素朴な確信、そして「自分たちが何故嫌われるのか」といったことに対する想像力の欠如――とどのつまり、近代的な「人権」観に対する教科書通りの全幅の信頼でしょうか。

更に言うと彼らの論調からは、「無辜な被差別者」として不遇感をぶちまけ、「愚かな大衆」に対して傲岸不遜に振る舞うことの快楽すらも感じ取れるようです。

これは少し話が飛躍しますが、ネット上で目立つ「男性差別反対派」にも近い心性が感じられます。彼らは「女性専用車両」や「女性優遇サービス」を「男性差別である」として、「差別だ!」「男女平等だ!」と騒げば受け容れられるのだ、との素朴な確信を抱き続けています。そこに欠けているのは男性が強者として、女性が弱者として扱われるこの社会の「お約束」に対する洞察でしょう。

むろん、オタクと小児愛者が全然別物であることは前回にも書いた通りですし、上のような人々の主張は左派寄りのロジックの影響が大とは言えいささか奇矯にすぎ、上野千鶴子氏が、東浩紀氏が同意するかとなると疑問ではあります。

とは言え、東氏は数年前もツイッターで

>オタクをセクシュアルマイノリティと呼ぶのは間違っている、と主張する人々は、単に「マイノリティ」という便利なレッテルを自分たちで占有したいだけだと思いますよ。オタクはそんなのに付き合う必要はさらさらないので、クイア理論とか読むといろいろ学ぶところあると思うな。

*クイア理論については、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A3%E3%82%A2%E7%90%86%E8%AB%96 をご覧ください。(編集者注)

などと発言していたことがあるのです*6。「マイノリティ」との称号がある種の「利権」であることを認識し、自分もまたご相伴にあずかりたいとの清々しいまでに下世話なホンネが、そこには現れています。何だか彼の師匠である浅田氏の発言を思い出させないでもありません。それはつまり、前回指摘した「ヘテロセクシャル男性でも男性の性役割から逃れようとする者はゲイの一種だ(大意)」発言ですね。

彼ら彼女らは男性は悪/女性は正義との幼稚極まりない二元論を築き上げ、セクシャルマイノリティや自分たちだけは特例で後者側の人間である、「名誉女性」であると自称してきました。

そしてオタクたちに「今までマッチョであった罪を悔い改め、我々に帰依することでお前たちも名誉女性との、弱者との称号を得て、救われるぞ」と説き、論理破綻も省みずに目玉商品である「弱者認定証」を「免罪符」よろしく大安売りし、気づくとどうしようもないところにまで来てしまったのです(いや、彼ら彼女らの主観では、自宅の庭の柿の木になった「オタク文化」という名の実をもいで食べているだけ、ということになるのでしょうが)。

そう、彼ら彼女らは

ボクと契約して、フェミニストになってよ!

とぼくたちを勧誘し、魔女に仕立て上げようとする「ブラック思想」と化してしまったのです。

小浜逸郎氏の名著『「弱者」とはだれか』の終章は「ボクもワタシも「弱者」」と題されています。ぼくはこれを読んだ時、「まさにその通りだ」「いや、しかし違うぞ」と相反する感想を持ちました。

ぼくがこの時感じたのは弱者の椅子には限りがあり、弱者側についた連中は容易にその席を明け渡さない、「弱者になれるエリートは一握り」ではないか、ということです。

むろん、小浜氏の意図は「弱者/強者」関係の流動性を指摘し、またそれ故に万人が「弱者になりたがる」傾向を指摘する点にあり、このぼくの感想は勇み足ではあります。

近年の傾向を見ていくと、小浜氏の指摘があちこちで現実化しているのを見ることができます。今までやせ我慢を続けていた男性たちも、「弱者になりたい」というホンネを吐露することに逡巡しなくなってきました。弱者の椅子を狙うバトルがいよいよ激化してきた、我も我もと椅子に飛びつこうと必死になってきた、今まで述べてきた事例はその一端ではないでしょうか。

男性が鎧を脱ぎ捨て、自らの欲求を語り出したことについては、好ましい面もあるでしょう。しかし問題はその「弱者の椅子」こそがもう、古びたものである点です。イナバの物置のように頑強かと思われた「弱者の椅子」の上では、もう百人以上の「弱者」がひしめきあっており、ぎしぎし言っているのです。

ぼくとしては椅子の上に乗っかろうとするよりも、その椅子がインチキであることを指摘するとか、或いは新しいもうちょっと丈夫な椅子を作ろうとする方がいいように思うのですが。

そうそう、『まどマギ』ですがこの作品、何を間違ったのか「ジェンダーSF研究会」の主催する「センス・オブ・ジェンダー賞シスターフッド賞」を受賞しています。「男社会で翻弄される女性の姿を活写して云々」みたいなことが受賞理由なのだと多分、思います。

フェミニストたちはキュゥべえを「女を搾取する男」の象徴と考えたいようですが、しかし魔法少女たちを「ブラック企業で使い捨てられる女性のメタファー」とするのであれば、キュゥべえは「フェミニズム」の象徴であると解釈した方が、ぼくにはよほどしっくりくるのですが。

本作は最終回、主人公であるまどかちゃんが時間を巻き戻して魔女を消失させることで終わりを迎えます。

そしてまどかちゃんのママはいつもスーツ姿(で、私服の時はパンツ)のバリキャリ、パパは主夫(!)という設定が与えられ、担任の先生は婚活に失敗しては男の悪口を言っている女性、というキャラクターなのですが、この魔女のいなくなった世界で、ママは(いまだキャリアウーマンなのかどうかは描かれないものの)、主婦っぽいスカート姿になっているのです!

果たしてまどかちゃんがやっつけた魔女の正体は、一体何だったのでしょう?

しかしオタク界ではいまだ魔女の支配が続いているがため、彼女らの耳に快くないこうした評論は、決して表には現れないのです。

それは丁度、『エヴァ』に先んじて登場した、『美少女戦士セーラームーン』の時にも起こった現象です。若い女性を原作者として、強い女の時代を象徴するアニメとして称揚された『セーラームーン』ですが、実質的にこの作品のクオリティを保っていたのは若い男性のアニメスタッフたちのようでした。アニメでは「母性原理で世界を守るセーラームーン」の理想主義が失敗し、男性原理を司るキャラクターがその独善を糾弾する、といったエピソードも描かれましたが、当然、アニメ評論はそんなエピソードを正当に評価することはありません。

オタク文化の歴史は、それがそのままオタク修正主義の歴史でもありました

正当に評価されてこなかったオタク文化の流れを、いつかオタク自虐史観から解き放ち、語り直すことができればいいな――とぼくはそんな風に考えています。

*1当方のブログ「東浩紀「処女を求める男性なんてオタクだけ」と平野騒動に苦言(その2)(http://shinji-hyodo.blog.ocn.ne.jp/blog/2010/08/post_2723.html)」もご参照ください。
*2「うぐいすリボン 堺市立図書館BL小説廃棄要求事件を振り返る(http://www.jfsribbon.org/2012/10/bl.html)」
*3「上野千鶴子氏 売春は強姦商品化でキャバはセクハラ商品化(http://www.excite.co.jp/News/society_g/20130609/Postseven_191042.html)」
*4まず、「真性の小児愛者」が自ら名乗りを上げることはネット上でも稀少ですし、こうした論者自身、自らの立場を明言することは稀です。また、こうした議論の場では「現実の子供を性の対象とする真性の小児愛者」と「アニメなどの美少女を好むロリコン」が常に(場合によっては意図的に?)混同して論じられます。ですから今回採り上げた人々も後者の人々である可能性は否定できません。よって本論では敢えて、「ロリコン寄りの人々」という曖昧なフレーズを使うことにしたいと思います。またこの種の議論においては「実際の子供に手を出したら犯罪」という最低ラインは一応、共有されていることが基本ではあることは、ご了解ください。ちなみにこの騒動についてはtogetter「性的マイノリティ差別反対している人間がオタクとかロリコンとかが気持ち悪いと言っちゃう現実。(http://togetter.com/li/636375)」を参照。
*5詳しくは当方のブログ、「ろりともだち(http://shinji-hyodo.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/08/post_744a.html)」「ろりともだち(その2)(http://shinji-hyodo.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/08/post_010b.html)」「ろりともだち(その3)(http://shinji-hyodo.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/08/post_1021.html)」を参照。
*6(https://twitter.com/hazuma/status/94230144373370880
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『古事記』に登場する神々について(その3)

2014年03月20日 02時42分06秒 | 歴史
『古事記』に登場する神々について(その3)


比婆山。イザナミ埋葬の地。

あらかじめ申し上げておいた方がよろしいかと思われます。今回は、地名や神の名がたくさん出てきます。そういうことはなるべくしたくないというのが偽らざる本音ではあるのですが(だって退屈ですものね)、それらをひとつひとつ丹念に文字として刻み込んだいにしえびとの深い思いが、実はどうしようもなく押し寄せてきて、それを見て見ないふりをするのが難しくなってきてしまったのです。たまには、それにのんびりとお付き合いしてみてもバチは当たらないだろうと。そういうわけですので、その旨をご了承願ったうえで、それにお付き合いいただける奇特な方がいらっしゃることを信じて書き進めようと思います。

イザナキ・イザナミ神話を続けましょう。前回(その2)の冒頭に掲げたポイントのうち③の大八島を生む話ですね。天つ神のアドバイスに従って、まずイザナキのほうから声をかけ、次にそれにイザナミが応える、という手順をふんだところ、国生みが順調に進みます。生まれた順にそれを並べましょう。

・淡道(あはぢ)の穂の狭別(さわけの)島 
・伊予の二名(ふたな)の島 
・隠伎(おき)の三子(みつご)の島 
・筑紫の島 
・伊岐島 
・津島 
・佐度島 
・大倭富秋津島(おほやまととよあきづしま) 

それらは、いまのどこを指しているのでしょうか。淡道の穂の狭別島は淡路島、伊予の二名の島は四国と見て問題はないようです。しかし、三つ目の隠伎の三子の島に関しては、隠岐諸島という定説に対して異論があるようです。隠岐諸島は四島からできているのに三つ子の島という言い方は変ではないかというわけです。その詳細に首を突っ込むと、それはそれで面倒なので、異論があるそうだ、というあたりでとどまります。筑紫の島は九州、伊岐島は壱岐、津島は対馬、佐渡島はもちろん佐渡島で問題はなさそうです。最後の大倭富秋津島はばくぜんと本州を指しているとされるのですが、ぐっとしぼって畿内とその周辺くらいにとどめておいたほうが無難なような気がします。東北地方なんてあまり意識してはいなかったでしょうから。

以上八つで大八島と呼ばれています。本州や四国や九州をその他の島と同列に並べているのは、現代の私たちの地理感覚には合いませんが、日本地図を見たことのない彼らからすれば、ごく自然なことだったのでしょう。筆頭に淡路島が来るのは、畿内中心の地理感を物語るようで分かりやすいですね。その次に四国が来るのも自然な感じがします。その次に隠岐諸島が来るのは、『古事記』の執筆者兼編集者の太安万侶が終始気にし続けた出雲との関連かもしれませんが、よくは分かりません。その次に九州、壱岐、対馬と続くのは、当時の日本と朝鮮半島とのつながりがおのずと連想されて興味深いですね。最後に、「横綱」の大倭富秋津島が登場するのは、国生みという大仕事の締めとしてふさわしい感じがするので、問題がないような気がします。

ちょっと奇妙な感じがしたのは、佐渡島です。なぜなら、当時の航海技術では、佐渡は絶海の孤島だったはずであって、その存在を知ってはいても、日本の代表的な島のひとつと呼ぶほどの近しい感覚が、畿内にいる人々によくもあったものだと感じるからです。いまのところ、それに対する明快な答えは見つからないのですが、一応疑問は疑問として提示しておきます。

イザナキとイザナミは、その次に、以下の六つの小島を生みます。

・吉備(きび)の児島 〔別名、建日方別(たけひかたわけ)〕
・小豆(あづき)島 〔別名、大野手比売(おほのてひめ)〕
・大島 〔別名、大多麻流別(おほたまるわけ)〕
・女(をみな)島 〔別名、天一根(あめひとつね)〕
・知訶(ちかの)島 〔別名、天之忍男(あめのおしを)〕
・両児(ふたご)の島 〔別名、天両屋(あめのふたや)〕

吉備の児島は岡山県の児島半島、小豆島は淡路島の西にある小豆(しょうど)島、大島は山口県柳井の東にある大島(あるいは同県周防大島町に当たる屋代島)、女島は大分県国東市沖の姫島、知訶島は長崎県五島列島、両児の島は五島列島の南にある男女群島であると、それぞれされているようです。大八島のひとつの大倭富秋津島を本州としてしまうと、吉備の児島の存在とのつじつまが合わなくなるので、それはやはり畿内とその周辺としておいたほうがよさそうです。

大八島と六つの小島を生んだ後、イザナキ・イザナミは、たくさんの神々を生みます。それらを生んだ順に列挙してみましょう。退屈な思いが去来なさる方もいらっしゃるとは思いますが、それを一歩踏み越えて、それぞれの神の名を丁寧にゆっくりと声を出して読んでみると、古代人の思いがじかに少しずつ伝わってくるのではないでしょうか。それが、『古事記』を読む、ということの重要な一側面であると私は思っています。言霊なるものは、頭だけで解釈するものではなくて、身体で掴むという側面がはずせない、という議論にもつながるでしょう。

まずは、神代七代を引き継ぐ純粋な神ともいえる抽象化された七柱の神と三柱の具象的な神が生まれます。

・大事忍男神(おほことおしをのかみ)
「大事を終えた男神」の意のようです。
・石土毘古神(いはつちびこのかみ)
石や土を神格化したもののようです。
・石巣比売神(いはすひめのかみ)
石や砂を神格化したもののようです。
・大戸日別神(おほとひわけのかみ)
 人の居所や門戸を掌る神のようです。
・天之吹男神(あめのふきおのかみ)
屋根を葺くことの神格化のようです。
・大屋毘古神(おほやびこのかみ)
 屋根の神格化のようです。
・風木津別之忍男神(かざもつわけのおしをのかみ)

以上が「抽象化された七柱の神」です。以下が、それと比べると具象的な三柱の神です。

・大綿津見神(おほわたつみのかみ)
 海を司る神です。
・速秋津日子神(はやあきつひこのかみ)
・速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)
 最後の「速秋津」二神は、以下の十二柱の神を生みます。イザナギ・イザナミからすればお孫さんですね。

・沫那藝神(あはなぎのかみ)
・沫那美神(あはなみのかみ)
・頬那藝神(つらなぎのかみ)
・頬那美神(つらなみのかみ)
 以上の四柱の神は、水面がなぐことと波立つこととを神格化したもののようです。
・天之水分神(あめのみくまりのかみ)
・国之水分神(くにのみくまりのかみ)
「水分」とは、分水嶺を指すようです。
・天之久比奢母智神(あめのくひざもちのかみ)
・国之久比奢母智神(くにのくひざもちのかみ)
「久比奢母智」とは、ヒサゴで水を汲んで施すことのようです。

 以上、八柱の孫神はすべて水に関係があります。
 
 以下四柱は、イザナキ・イザナミの子神に戻ります。
・志那都比古神(しなつひこのかみ)
 風の神です。「し」は息・風。「な」は穴のことのようです。「つ」は風の出口。
・久久能智神(くくのちのかみ)
 木の神です。「くく」は茎。「ち」は精霊。
・大山津見神(おほやまつみのかみ)
 山の神です。
・鹿屋野比売神(かやのひめのかみ) 別名は野椎神(のづちのかみ)
 野の神です。

大山津見神と野椎神は以下の八柱の孫神を生みました。読んで字のごとく、山と野原関係の神々です。

・天之狭土神(あめのさづちのかみ)
・国之狭土神(くにのさづちのかみ)
 山地の狭くなったところを掌る神々のようです。
・天之狭霧神(あめのさぎりのかみ)
・国之狭霧神(くにのさぎりのかみ)
霧を掌る神々のようです。
・天之闇戸神(あめのくらどのかみ)
・国之闇戸神(くにのくらどのかみ)
 谿谷を掌る神々。
・大戸惑子神(おほとまとひこのかみ)
・大戸惑女神(おほとまとひめのかみ)
 名義不詳とされていますが、山地に迷う意の神という解釈もあるようです。「惑」には、乱れるという意味もあるそうですから、山嵐の神格化 というのはどうでしょうか。乱気流のイメージもいいかもしれません。

 以下、子神に戻ります。いよいよイザナミの悲劇が近づいてきます。

・鳥之石楠船神(とりのいはくすぶねのかみ) 別名は天鳥船(あめのとりふね)
 鳥のように天空や海上を通う楠製の丈夫な船の神ということ。ここではじめて人間の営みを指し示す神の名が登場しました。
・大宜都比売神(おほげつひめのかみ)
 食物を掌る女神。「げ」は穀物のこと。いかにも娑婆のにおいがしますね。
・火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)
別名は火之毘古神(ひのかがびこのかみ)。また別名は火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)。
 火の神。「火之夜藝速」は火が物を焼く激しさを表しています。「」は揺れ光の意。「火之迦具土」は物の焼けるにおいを表しています。
 
火の神を生んだところで、イザナミの身にたいへんなことが起こります。火の神によって、女陰(ほと)が火傷を負い、病に伏してしまったのです。ところが、病に苦しむイザナミの吐瀉物などから、神々が次々に生まれます。

・金山毘古神(かなやまびこのかみ、イザナミの吐瀉物から生まれる)
・金山毘売神(かなやまびめのかみ、同上)
 以上二神は鉱山を神格化したもの。
・波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ、イザナミの大便から生まれる)
・波邇夜須毘売神(はにやすびめのかみ、同上)
 以上二神はねば土を神格化したもの。「はに」は埴で粘土のこと。
・彌都波能売神(みつはのめのかみ、イザナミの尿から生まれる)
 灌漑用の水の神。あるいは水中の神。背がかがまり手足が突き出た龍体の女神。
・和久産巣日神(わくむすひのかみ、同じくイザナミの尿から生まれる)
 若々しい生産の神、あるいは竈(かまど)の神の意。和久産巣日神には以下の一柱の子がいます。
・豊宇気毘売神(とようけびめのかみ)
 食物を掌る女神。「うけ」は穀物(稲)、食物。

カナヤマビコ以下の神々の系譜は、冶金・窯業・農業等における火の効用を示したものですが、火・金・土・水・木の中国の五行思想の影響も見受けられます。

イザナミは、断末魔の苦しみのなかで人間世界に文明とその豊かさをもたらす神々を生み続けた末に、「火の神を生みしによりて、遂に神避(かみさり)ましき」。つまり、あの世に行ってしまいます。

私は、ここに文明をめぐる深い思想が込められていることに驚いています。それを端的に述べるならば、「人間は、文明とその豊かさを手に入れるために神殺しを敢行した」となります。

人間は、山火事などによって自然発生した火を利用する段階から、自分たちが必要なときに自由自在に火を利用できる段階に飛躍したとき、文明の確かな基礎を築いたと言っても過言ではないと思われます。ここで、火をエネルギーと言いかえると事態はもっとはっきりするでしょう。私たちは、自然界から自分たちが必要とするだけのエネルギーを好きなときに自由に取り出せる技術を会得しています。そのことが、今日の豊かな文明社会の土台であることは、何びとも否定し得ない事実です。もしも何かしらの事情で、化石燃料と原子力エネルギーの使用を禁じられてしまったとしたら、その瞬間に、私たちが今日享受している豊かさなど夢幻のように跡形もなく消えてしまいますものね。

その歴史的な端緒・起源は、自然界の偶発性に依存した火の使用の段階からの脱却です。それを神話の次元に移しかえると、神殺しとなります。私たちは、力まかせに、私たちに恵みを与える神を殺し、自然の諸力の束縛から自己存在を引き離し、そのこととひきかえに、今日の豊かな文明社会を獲得する道筋の第一歩を踏み出したのでした。つまり、人間社会の根にあるのは、自然の諸力からの自由の衝動なのです。私は人間の本質を共同性に求める考え方に同意をする者ですが、その共同性の根には、自然の諸力からの訣別への同意があるのではないかと考えます。つまり私たちは、神殺しの古い記憶を共有しさらには忘却することにおいて共同性を獲得するのです。

別に私は、自分の観念を『古事記』に投影しようなどと思ってはいません。同書をはじめからゆっくりと自分なりに読み進めると、おのずとそういう認識が浮かんでくるのです。太安万侶自身、ことさらにそういう思想を表現しようと思っていたはずはなくて、神話の形式で人間を大もとから捉えようとしていたら、おのずとそういう表現になったというだけのことだったのでしょう。私たちは、古代人の直観的な認識力をゆめゆめ侮ってはならないのではないでしょうか。

イザナキ・イザナミ神話の最後のポイント⑥の、イザナキがイザナミを慕って黄泉国へ行くくだりに移りましょう。

イザナキは、「いとしいわが妻よ。たかがひとりの子のためにお前の命を失おうとは」と嘆き、仲睦まじくいっしょに寝た寝床の枕の方に身をよじらせ、あるいは足の方に身をよじらせて哭いていたときに、その涙から生まれたのは、次の神です。

・泣沢女神(なきさはめのかみ)
 この神は、天の香具山の小高いところに生えている木の根本に鎮座している、とあります。橿原シ木之本町の畝尾(うねお)郡本多神社に祀られています。

イザナミは、出雲国と伯伎(ははきの)国との境の比婆の山に葬られました。広島県比婆郡に伝承地があるようです(余談ですが、比婆郡というと、私は世代的にどうしても「ヒバゴン」騒動を思い出してしまいます。ヒバゴンはたしか途中からツチノコと呼び名が変わりましたよね?)

*本文の流れからすればどうでもいいことのようにも思われますが、ヒバゴンとツチノコとは別物であることがその後判明しました。ほぼ同じ時期に騒がれたので、混同してしまったのでしょう。誤認したことを含めて、「歴史の証言」(笑)としてそのまま残しておきます。

イザナギは、火の神であるわが子がどうしても許せなくて、ついに「十拳(とつか)の釼(つるぎ)」でその首を斬ってしまいました。そのほとばしる血しぶきから次のような神々が生まれました。

・石析神(いはさくのかみ)
 岩石を引き裂くほどの威力のある神の意。
・根析神(ねさくのかみ)
・石筒之男神(いはつつのおのかみ)
 名義不詳の神のようです。福永武彦氏は、以上三柱の神を、刀剣を鍛えるときの石槌を称える神であろうと推察しています。
・甕速日神(みかはやひのかみ)
・桶速日神(ひはやひのかみ)
 「みかはやひ」「ひはやひ」は火の威力を示す言葉。以上二神は火の根源である太陽をたたえた神名。
・建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ)
 またの名は建布都神(たけふつのかみ)。あるいは豊布都神(とよふつのかみ)。勇猛な雷の男神の意で、剣の威力をたたえたもの。
「ふつ」 は剣の切断音。この神は、大国主神の国譲りのところで再登場します。
・闇淤加美神(くらおかみのかみ)
・闇御津羽神(くらみつはのかみ)
 「くら」は谿谷。「みつは」は水中の意。いずれも溪谷の水を掌る神。

また、父神に殺された迦具土神の体からも次のような神々が生まれました(神話って、倫理を超えたところがあるとつくづく思います)。以下のすべての神の名に出てくる「やまつみ」は山の精霊の意。

・正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ、迦具土神の頭から生まれる)
・淤縢山津見神(おどやまつみのかみ、迦具土神の胸から生まれる)
・奥山津見神(おくやまつみのかみ、迦具土神の腹から生まれる)
・闇山津見神(くらやまつみのかみ、迦具土神の性器から生まれる)
・志藝山津見神(しぎやまつみのかみ、迦具土神の左手から生まれる)
「しぎ」は茂る意。
・羽山津見神(はやまつみのかみ、迦具土神の右手から生まれる)
「はやま」は麓の意。
・原山津見神(はらやまつみのかみ、迦具土神の左足から生まれる)
「はら」は開けた台地状の場所。
・戸山津見神(とやまつみのかみ、迦具土神の右足から生まれる)
 「と」は外側の意。

刀剣の原料である鉄鉱石や燃料の木は、すべて山の精霊の賜物です。つまり、刀剣は山の精霊の化身であると言っても過言ではないでしょう。だから、火の神と山の精霊とをつなぐのは、刀剣の存在であると言っていいのではないかと思われます。ちなみに、イザナキの手にした剣は、天之尾羽張(あめのおわばり)(別名、伊都之尾羽張・いつのおわばり)といいます。「剣から発する光が尾を引いて走る」の意です。この釼は、大国主神の国譲りのところで、神格化されて再登場します。

では、神話のストーリーにもどりましょう。以上のように、イザナキの悲しみはついに癒されることがありませんでした。そこでイザナギは、もう一度イザナミに会いたいと思って、黄泉国(よもつくに)に行きます。そうして、建物の閉じてある戸の外から中にいるイザナミに向かって、「愛しい妻よ、私とお前とで作った国を、まだ作り終えていないではないか。さあ、いっしょに帰ろう」と言いました。するとイザナミは、「悔しいことです。もっと早く来て欲しかった。私は、黄泉国の竈(かまど)で炊いた食べ物を口にしてしまいました。でも、愛しい旦那様がわざわざいらっしゃったのはとてもありがたいことです。だから、帰ることができるのならばぜひいっしょに帰りたいものです。黄泉神に相談します。私の姿をぜったいに見ないでください。」と言いました。

このなかで気になることが、ふたつあります。ひとつは、黄泉国とは何かということ。もうひとつは、原文を挙げれば「我をな視たまいそ」というイザナミの言葉。

神話の話型との関連でいえば、黄泉国往還譚は主人公が別世界に行く異郷訪問型であり、イザナミの言葉は禁室型であるといえるでしょう。さらに言えば、イザナミが黄泉国のものを食べるのは共食儀礼型、イザナギが追ってから逃れる工夫は三枚のお札型であるとも言えます。つまり、イザナギ・イザナミの黄泉国神話は話型の宝庫であるという意味で、とても神話らしい神話なのです。

話型とは、無文字の口承時代からの決まりきった話のことです。神話や昔話は、ほとんどお決まりのパターンからできていますね。そういう意味では、黄泉国往還譚は、お決まりのパターンのかたまりであるといえるでしょう。別にこれは、イザナキ・イザナミ神話を貶めているわけではありません。私たち人間が心を動かされるパターンには限りがあって、時代がどう変わろうと、それ自体にはほとんど変化がないということです。ここに、話素の変化(兄妹が恋人に入れかわる、など)という要素を導き入れれば、「ほとんど」というより「まったく」変化がないと言いかえても過言ではないでしょう。変わるのは話型の組み合わせ方と話素であるということです。

(その1)で、『古事記』の執筆者・編者が、オオナムチ・スクナヒコナのコンビによる口承的な世界創成神話を意図的に解体し、二神を分離し、オオナムチを独神オオクニヌシとして新たな主人公に仕立て上げた「日本」神話を立ち上げたと申し上げました。話型に着目するならば、太安万侶は、口承時代の自然発生的な話型をなるべく多く集めて、それらを整理し再編成し統合することによって、全く新しい神話を作り上げようとしたのです。そこに、天武朝を筆頭とする当時における国家の強い意志が反映されていることはいうまでもないでしょう。

同じことは、黄泉国の設定についても言えます。

黄泉国は、通常「死者の行く穢れた地下世界」と解されます(岩波文庫や角川ソフィア文庫の『古事記』の注)。しかし、死後の世界が地下にあるという観念はそれほど自明なものではありません。

例えば柳田国男は、『先祖の話』等で、日本人の無文字社会以来の伝統的な生死観を述べています。彼によれば、日本人の観念には死者が別の遠い国に行くという考えはなくて、身近な死者の霊は近くの山にとどまって、祖霊として子や孫などを見守り、農耕の折り目ごとに里に下りてくるという考えをします。つまり、日本人にとって、死後の世界は垂直方向の地下にあるのではなくて、おおむね水平方向にある、ということになります。里の近くの山は、仰ぎ見るというよりも、ひょいと視線をななめうえに上げるというイメージの方が強いですからね。

また『万葉集』には、山に死者の霊魂が宿るという歌が少なからずあります。

豊国の鏡の山の岩戸立て隠(こも)りにけらし待てど来まさず

手持女王(たもちのおほきみ)の作。「豊国(福岡県東部と大分県北部)の鏡の山に、愛しい私の夫は、岩戸を立ててお隠りになっていらっしゃるのでしょう。お会いしたいと思い、いくら待っても姿を現しません。」

こもりくの泊瀬(はつせ)の山の山の際(ま)にいさよふ雲は妹にかもあらむ

柿本人麻呂の作。土形娘子(ひぢかたのをとめ・伝不詳)を泊瀬の山に火葬したときに作った歌です。もうひとつ、人麻呂が別の人物のために作った挽歌を引いておきます。いたって平易なので解説は不要でしょう。

山の際(ま)ゆ出雲の子らは霧なれや吉野の山の嶺(みね)にたなびく

佐保山にたなびく霞見るごとに妹(いも)を思ひ出で泣かぬ日はなし

大伴家持の作。歌の意味を解説する必要はないでしょう。佐保山は、奈良市北部、佐保川の北側にある丘陵です。京都府との境を成します。

地下に死後の世界があるとは、いにしえびとがあまり考えなかったことがおわかりいただけたでしょうか。

しかし、『古事記』の編者・執筆者すなわち太安万侶は、死後の世界として山のイメージを使っていません。それを拒否し、死後の世界を表す言葉として「黄泉」の文字を使っています。「黄泉」(こうせん)は中国語です。中国において、黄泉は死者の赴く泉であって、地下にあるとされていました。安万侶は、水平的な山のイメージを拒否し、大陸風の垂直的なイメージの他界観を古事記神話のなかに意識的自覚的に取り込もうとしたのです。そのあたりのことについて、前回名を挙げた西條勉氏からふたたびその卓見を引きましょう。

古事記の神話では、「天地初発」にすでに高天の原があった。天地を軸とする垂直的な世界イメージである。高天の原の主神に、太陽神がおさまるのも、「日本」神話が垂直的な枠組みをもつからである。この構造に、民間の水平的な世界像が押し込められるとき、死者の世界は垂直的なものに変化せざるをえない。かりに民間信仰のヨモツクニが水平的な山中他界であっても、「日本」神話の黄泉の国は垂直化されているのだ。古事記のねらいは、伝承的な死者の世界を作ることではなかった。それだったら、民間の創成神話をもってくればよい。たとえば、スクナヒコナあたりの話にちょっと手を加えれば、死者の逝く世界など容易に作れたはずだ。それをしなかったのは、神話の枠組みを替えることにねらいがあったからである。死者の世界を垂直化すること。そこに「日本」神話の主題があった。

『古事記』の世界を、高天の原-葦原の中国(なかつくに)-黄泉国という垂直構造として構築することによって、太陽神である天照大御神を最高神として祭り上げ、それが国津神を睥睨するかのようなイメージを作り上げることが、編者・執筆者としての太安万侶の狙いであったということです。そうすることによって、天孫降臨と皇室の権威を確固たるものにしようとしたことはいうまでもないでしょう。『古事記』を読む楽しみとは、その編集・執筆方針を具体相においてきっちりと掴むことと、そういう編者・執筆者の意図・意識では包み込み切れなかった作品の無意識、すなわち遠く無文字文化時代から長いときをかけて醸成・蓄積されてきた世界観・生死観が顔を覗かせたいわば「露頭」のようなところをていねいに掬い取ることなのではないかと思います。

読み手の皆さまにだいぶご負担をおかけしたような気がしますので、とりあえずこのあたりで筆を置き、イザナキ・イザナミ神話の残りについては次回にお話しさせていただきます。



参考文献
『古事記』(倉野憲治校注・岩波文庫)
『古事記 現代語訳』(福永武彦訳 河出文庫)
『新版 古事記』(中村啓信 角川ソフィア文庫)
『「古事記」神話の謎を解く かくされた裏面』(西條勉 中公新書)
『古事記誕生 「日本像」の源流を探る』(工藤隆 中公新書)
『古事記の宇宙(コスモス)――神と自然』(千田稔 中公新書)
『「古事記」と壬申の乱』(関裕二・PHP新書)
『図説 古事記と日本書紀』(坂本勝監修 青春出版)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする