美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

国境を越えたBABYMETAL現象のキーワードは、「萌え」である(その3) (美津島明)

2015年06月29日 03時17分19秒 | 音楽
国境を越えたBABYMETAL現象のキーワードは、「萌え」である(その3) (美津島明)


正面右が、小林啓氏

前回は、振付師MIKIKOやテクノポップ・アイドル・ダンスユニットPerfumeにご登場願って、BABYMETALの表現の世界性・普遍性の謎に迫ろうとしました。それがどこまでうまくいっているのかは、みなさまのご判断にお任せするよりほかはないのは当然のことでしょう。私としては、さらにその謎と自分との距離を縮めたいと思うばかりです。そのためには、彼らのほかにどうしてももう一人、BABYMETALという総合ユニットを生み出し、またいまもなお育て続けているKOBA-METALこと小林啓氏にご登場願うよりほかはありません。というのは、極言すれば、BABYMETALは、小林啓氏の脳内妄想を現実化したものにほかならないからです。小林氏の後は、マーティン・フリードマンにもご登場願おうと思っています。

以下、小林啓氏に触れますが、その脳内妄想のリアリティを追体験するために、私は、小林啓氏に関して入手できたさまざまな情報の隙間をつなぐ想像・妄想の翼をときには思い切り広げることを辞さないつもりです。それが的を射たものなのかどうかは、それこそ「Only The Fox God knows」です(Fox God 、すなわち「キツネさま」は、メタル・レジスタンスのためにこの世にBABYMETALの3人を送り出したメタルの神さまである、という基本設定が、BABYMETALユニットにはあります。それを踏まえたうえで、SU-METAL(中元すず香)が、自分たちはもういちどぜひこのライヴ会場に来たいのだが、「Only The Fox God knows」である、という殺し文句としてこのセリフをロンドンのファンたちに残して会場を立ち去るのです(二〇一四年十一月)。彼女たちは、どうやら本気でこの神の存在を信じているようです。この数年の劇的な変化を体験してきた彼女たちとしては、そうなるのが当然でしょうね。というか、小林氏自身も信じているふしがあります)。

小林啓氏の脳内妄想
小林啓氏が、骨の髄からのメタル好きであることは、BABYMETALファンにとっては周知のとおりです。たとえば、Colin McQuistanなる人物の2014年12月5日付のインタヴュー記事のなかの、次のような発言からも、そのことはうかがえます。
http://niyaniyakaigai.seesaa.net/article/410135542.html

Q:当時はヘヴィメタルの状態に不満を感じてたから、バンドを結成して、始めたの?

A:20年から30年くらいメタルを聴いてきたんだ。どう言ったらいいのか…、これは全てのジャンルでそうなんだけど、新しいスタイルが出てくるのは難しいなって感じたんだ。
僕はメタリカやアイアンメイデンや他のビッグアーティストを好きだし尊敬してる。でも、僕は彼らが出来ないメタルってのを考えるようになったんだ。だから、日本で僕に出来ることはBABYMETALであり、そんな感じで始めたのさ。


心から愛するヘヴィメタルが、いまや停滞している。その現状を打破し、新たな息吹をメタルに吹きこみたい。それが、自分の場合BABYMETALだった。そんなふうなことを言っているのですね。メタルを深く愛していなければ吐けないセリフです。

私は、小林氏のそういう言葉をウソだとまでは申しませんが、BABYMETALの原型を思いついたときの小林氏は、もう少し切実なものがあったのではないかと推察します。

2008年の何月ごろか定かではありません。アミューズに在籍していた(いまもそうですが)小林氏は、それまでメタル系バンドSIAM SHADEのマネージャーだったのですが、キッズ担当に異動しました。むろん、個人的な都合ではなくて、会社の判断です。アミューズでキッズとは、五歳から一四歳までを指すようです。本格的なメタルの世界に心を寄せ続けてきた小林氏の落胆の表情が浮かぶようです。彼は思ったはずです、「ションベン臭いガキのプロデュースなんて、メタラーのオレ様にできるはずないだろうが」と。情けなくなり、会社を辞めようかとさえ思ったのではないでしょうか。

そんな失意の日々のなかで、小林氏はPerfumeのライヴを観て感動し、キッズへの観方を変えます。そうして、自分なりのPerfumeを作ろうとしてできたのが、アニメ番組『絶対可憐チルドレン』の主題歌を歌う 可憐Girl'sでした。同グループは小学生三人組のユニットでありながら歌と踊りが上手いアイドルとして衝撃をもって迎えられたそうです。そのメンバーのなかのひとりが、当時小学校五年生の中元すず香(すなわち、後のSU-METAL)です。ほかは、武藤 彩未(小六)島ゆいか(小六)で、いずれもアミューズ所属です(ちなみに武藤彩未が、なにゆえいまだにブレイクしていないのか、私は不思議でなりません。歌と踊りの才能にめぐまれた、利発で愛くるしい一八歳のアイドル歌手です)。

忘れてならないのは、MIKIKO氏が、可憐Girl'sの振付を担当していることです。つまり、ここで、小林氏とMIKIKO氏と中元すず香というBABYMETALの核となるトライアングルの三つの頂点が出会っている のです。

ここで、寄り道のようなお話をふたつしておきましょう。

ひとつめ。「MIKIKO氏は、アクターズスクール広島(ASH)時代の中元すず香と接点があった」という説がありますが、どうでしょうか。Wikipediaによれば、中元すず香が、第4回アルパーク・スカラシップ・オーディションでグランプリを獲得し、アクターズスクール広島(ASH)に入学したのは2006年3月のことです。続いて2007年、アミューズ第2回スターキッズ・オーディションで準グランプリを受賞し、アミューズのキッズ部門に所属しています。MIKIKO氏は、2006年9月前後からずっとアメリカのニューヨークに滞在していて、そこから帰国し東京に生活拠点を置き始めたのは2008年2月です。渡米の前の半年間は、アミューズに所属して東京で過ごしています。つまり、2006年の3月には、生活の拠点を広島ではなくて東京に置いているのですね。とすると、MIKIKO氏が、アクターズスクール広島(ASH)時代の中元すず香と接点があったという説は成り立ちにくいのではないでしょうか(と書いた直後に、MIKIKO氏のインタヴュー記事が載っているアイドル雑誌『OVERTURE No.003』(徳間書店)を買ってきて早速読んでみたところ、MIKIKO氏ご本人が「すぅちゃんと会ったのは東京でなんです」と言っているのを目にしました。これで、この件は決着がつきましたね)。

ふたつめ。中元すず香の目標とするアーティストは事務所の先輩のPerfumeであることは、彼女のファンならばだれでも知っていることです。広島出身であること、ASH出身であること、アミューズ事務所に所属していること、振付の指導をMIKIKO氏に仰いでいること、アイドルに異なる音楽ジャンルを大胆に取り入れていること。これだけ重なれば、その存在を意識しないほうがどうかしていると言っていいくらいですね。ただし、彼女とPerfumeのメンバーがASHに在籍した時期は、重なっていません。2003年春 、 Perfumeのメンバーは、中学三年生になると同時に上京し、ASHと業務提携しているアミューズに所属したのに対して、中元すず香がASHに入学したのは2006年だからです。おそらく、当時の彼女にとって、Perfumeは、ASHから巣立って東京でアイドルになった伝説のトリオとして仰ぎ見る存在だったのではないでしょうか。その憧れの距離感がのちのちにまで残ったということなのではないかと思われます。

可憐Girl'sに、後のBABYMETALの核になる三人が集結した、というお話に戻りましょう。アニメ『絶対可憐チルドレン』の放送終了とともに、同グループは、2009年3月31 日をもって任務完了として解散します。中元すず香の歌声に触発された小林氏は、このころすでに、メタルとアイドルの融合のアイデアを脳内で温めていたようです。

小林氏が、メタルとアイドルの融合を夢見た中元すず香の歌声とはどういうものだったのか、気になるところです。そこにBABYMETAL誕生の秘密が隠されているような気がするからです。それをうかがわせるふたつの歌声を以下にアップします。ひとつめは、可憐Girl'sのデビュー曲『Over The Future』です(ある意味で、ロリータ趣味のアイドルオタクの領域に首を突っ込んでいるような気もしますが、この際、そういう外見にかまっていられません)。

可憐Girl's - Over The Future


いかがでしょうか。「一連の生歌音源では可憐Girl’sの歌の特長であった耳に突き刺さる高音が中元すず香の声であるのが分かる」というブログ「idol Shin Shin 中元すず香の軌跡」のご指摘は、極めて重要です。http://suzuka-nakamoto.idol-shinshin.com/%e4%b8%ad%e5%85%83%e3%81%99%e3%81%9a%e9%a6%99_%e3%81%be%e3%81%a8%e3%82%812008-1/
小林氏は、中元すず香の「耳に突き刺さる高音」に反応し、われ知らずメタルとアイドルの融合のアイデアが脳内に浮かんだ。どうもそういうことなのかな、という気がします。念のために言っておくと、右ほほにほくろのある、いちばん背が低い子が中元すず香です。彼女は、さくら学院に入るとき、ほくろを取ったといわれています。気になったのでしょうね。

もうひとつ。こちらは、同じ時期の中元すず香の独唱です。

中元すず香「明日への扉」


私自身が、中元すず香の歌声に魅せられている者のひとりなので、この歌声を冷静に評するのが難しいところがあるのは認めるほかないのでしょうが、小林氏自身もまた、この歌声に魅せられた者のひとりであることは間違いないでしょう。この歌声の特異な性格を端的に言えば、そこに宿る過剰で真摯な歌心が既成のアイドルソングに収まりきらなくて不安定にゆらぎはみだしてはいるが、それがあまりにも純粋で本当のものであるがゆえにどこか痛々しくもあり、悲劇の予感さえも聴くものに抱かせるほどの魅力を感じさせるものである、となります。小林氏は、いま私が述べたことをすべて感じ取り、その歌声に自らのメタル魂を激しく共振させたのではないでしょうか。彼は、そういう自分の反応をいぶかしく感じたにちがいありません。メタルともっとも遠いと思われたアイドルという領域の真っただ中で、10歳の女の子のひたむきな歌声を聴いて、自分がもっとも大切にしているメタル魂がどうしようもなく震えているのですから。この論考のタイトルに引きつけるならば、そのときの小林氏こそが、中元すず香の歌声にだれよりも最も深く激しく「萌え」たし、いまでも「萌え」続けている男なのです。そういう自己確認ができたところで、小林氏は、自分の音楽的感性のありったけを、この10歳の少女の歌声に賭けてみようと腹をくくったのではないかと思われます。

そのあたりの事情を、小林氏は次のようにふりかえっています。

例えば、「Perfume」というテクノとアイドルを組み合わせた成功例がある。これを自分が新しく作るならば、アイドルに組み合わせるのはメタル以外にないと思っていたところ、メインボーカルのSU-METAL(さくら学院の中元すず香)に出会った。そして、彼女の良い意味でクセがなくストレートな歌声を聴き、「メタルアプローチの曲を少年少女合唱団が歌う」ようなイメージを表現できるのではないかと感じたのが初めだ。(異色メタルアイドル「ヘビーメタル」はなぜ人気?“仕掛け人”を直撃!日経トレンディ・ネット 2012年10月31日)

“「メタルアプローチの曲を少年少女合唱団が歌う」ようなイメージ”と言われてもピンとくる人はほとんどいないでしょう。先に私が述べたような補助線を引いてはじめて、その意とするところがかろうじて伝わってくるのではないでしょうか。脳内妄想を端的に言葉にすると、通常そういう分かったような分からないようなものになってしまいがちです。

そのような、他と引きかえのきかない深い思いが根底にある場合、既存のビジネス・モデルに則って戦略的に展開することは極めて難しくなります。音楽ビジネスの真っただ中で、音楽ビジネスの定石を無視したようなことばかりをするほかなくなるのです。実際、小林氏は一貫してそういうふうにやってきたようです。

では、その具体例を挙げましょう。

ひとつめ、楽曲作り。小林氏の楽曲作りは、凝りに凝っています。Aメロはaさんの作曲から、Bメロはbさんの作曲から、サビはcさんの作曲から持ってきてつなげる、なんてのはごくふつうにやっている、と確かどこかで読んだことがあります。次は、メタルに造詣の深い「COALTER OF THE DEEPERS」のNARASAKI氏が作曲を手掛けた「ヘドバンギャー!!」の楽曲作りについて、小林氏が述べたものです。少々長くなります。

どの曲も、楽曲のコンセプトを先に立ててから作曲家に発注する。発注の段階では、コンセプトや歌詞の雰囲気、曲調、振り付け、ライブパーフォーマンスと観客の反応までをすべて想定している。「ヘドバンギャー!!」では「ヘドバン(ヘッドバンギング)」をテーマに発注した。個人的なイメージとしては、ヴィジュアル系シーンへの愛情と「なんだこれは?」という“ストレンジ感”を同時に感じられるものにしたいと考えていた。そのため、歌詞にあえて「咲く」「ドセン」「逆ダイ」など、“バンギャ”と呼ばれるバンドファンの女性が使う用語を入れたり、「the GazettE」のファンのライブパフォーマンスである「土下座ヘドバン」をオマージュしたりしている。「ヘドバンギャー!!」に限らず、作詞・作曲・ミックス・振り付けの方々とは、かなり綿密に話し合って作業を行っている。NARASAKI氏とも相当な回数のやりとりを繰り返し、「シンバルの位置をここにしたい」など、かなりの細かい部分まで相談させていただいた。Bメロでは、アイドルファンの方でもノリやすいよう、いわゆるヲタ芸の「PPPF(パン・パパン・ヒュー)」をなぞったリズムを敷いている。ここでも、アレンジの段階でNARASAKI氏と話し合い、ドラムをツーバスにしてメタルらしく仕上げてもらっている。              (同上)

(分かりにくい用語が散見されます。いくつか説明しておきましょう。 
〔ヘドバン〕ヘッド・バンギングの略。ライヴコンサートで見られる共鳴的動作の一つ。リズムに合わせて、頭を激しく上下に振る動作。 
〔咲く〕両手を広げ好きなメンバーの名前を呼ぶこと。"抱いて"という意味。 
〔ドセン〕ド・センター。ボーカルの真ん前。 
〔逆ダイ〕逆にダイブという言葉の略語。ビジュアル系バンドのライブでなされることが多い。 
〔土下座ヘドバン〕正座(もしくは座り込んで)をして土下座のようにヘッドバンギングをする行為。
〔Bメロ〕Aメロが、歌いだしの部分で、比較的おとなしい部分であるのに対して、Bメロは、やや曲調が変わり徐々に盛り上がっていく部分のこと。 
〔PPPF〕ハロプロ系をはじめとするアイドルのライブ、声優のライブで用いられる定番のヲタ芸。)

せっかくですから、「ヘドバンギャー!!」のPVをアップしておきましょう。

BABYMETAL - ヘドバンギャー!![ Headbangeeeeerrrrr!!!!! ] (Full ver.)


小林氏が、凝り性で完全主義者体質のプロデューサーであることがこの発言からお分かりいただけるのではないでしょうか。映画監督では、小津安二郎がこれに似ているような気がします。持ち歌約15曲全部が、このように凝りに凝った作りになっているのですから、驚きです。「メギツネ」に至っては、アレンジの選定のためにたしか36回ほどダビングを繰り返してコンピュータが壊れてしまったというような逸話をどこかで読んだことがあります。逆に言うなら、これほど楽曲作りに凝ってしまったら、楽曲を量産するのは不可能です。これが、いかにアイドルの通常の販促ノウハウからはずれたものであるか、私がくどくどと申し上げるまでもないでしょう。器用なお金の儲け方をしているとはとてもいえませんね。インタビューで、持ち歌の少なさについて尋ねられた小林氏は、次のように答えています。

やっぱり捨て唄を作りたくないので。僕はライブのことしか考えていないんですよ。ライブでどうパフォーマンスしてお客さんがどうリアクションするかがゴール地点で、そこをイメージして逆算して曲を作っているんです。で、常に新しい曲がポンポン出ていくっていうよりは、どっちかっていうとミュージカルの演目みたいな感じで。曲は一緒なんだけど、セットとか演出がちょっと変わっててみたいなイメージなんですよね。ミュージカルを観に行く方って、演目はわかっているじゃないですか。
――(質問者)なのに、毎回感動するという。
あの感じに近いんじゃないかなと思って。だから、ある意味様式美ですよね。

                  (「音楽主義No.68 2015.JAN-FEB」)

BABYMETALの場合、ライブが命というのは確かにそうです。だれよりもファンがそう思っているので間違いありません。彼は、持ち歌の少なさを言い訳しているわけではありません。「ライブが命」というセリフは、自分が提供するものに対して相当な自信と覚悟がなければ言えるものではありません。同じインタビューで、小林氏は、「行き当たりばったりなんですけど。でも、やっぱり全部がひとつひとつの積み重ねというか、今日がんばってクリアしたことが次につながっていくみたいな。すごい当たり前の話なんですけど、それしかないんだろうなって」という一見平凡なことを発言しています。しかし、よく考えてみれば、この言葉は、一回一回のライブに注がれるチームのエネルギーのすさまじさを物語っているように、私には感じられます。

ライブとの関連で、小林氏が、音楽ビジネス・アイドルビジネスの定石を無視したようなことばかりしているというお話のふたつめをしましょう。通常、バックの演奏は、メインのアイドルのあくまでも引き立て役であることを求められます。それは常識的な要求ですね。

しかし小林氏は、神バンドのメンバーに対して、それとまったく逆の要求をし続けています。あくまでもフル・ボリュームで手加減は一切しないで、ゴリゴリのメタルを全力で演奏することを彼らに求めるのです。彼らが、あまりにも大きくて分厚い音を出すとSU-METAL(中元すず香)のボーカルが聞こえにくくなってしまうので、ほどほどの音を出すよう微調整をするなどというさかしらをきっぱりと拒否している、ということです。

これは、ボーカルのSU-METALの舞台度胸や実力に対する深い信頼がなければ、出てこない姿勢です。もっと言えば、そのような妥協を許さぬ姿勢は、先ほど述べたような〈小林氏こそが、中元すず香の歌声にだれよりも最も深く激しく「萌え」続けている男である〉というBABYMETALというユニットを根底で支えている情念的な意味での真実に根差しているのです。小林氏のメタル魂が、そのような妥協を拒否するのだ、と言っても同じことです。

長々と述べてきましたが、まだ終わりません。フリードマンは次回にご登場願いましょう。
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国境を越えたBABYMETAL現象のキーワードは、「萌え」である(その2) (美津島明)

2015年06月26日 02時59分49秒 | 音楽
国境を越えたBABYMETAL現象のキーワードは、「萌え」である(その2) (美津島明)



前回は、「萌え」の対象を欲する心性が、爛熟期の資本主義に普遍的に存在するとして、純然たる日本語の歌を歌うBABYMETALというアイドル・ダンス・ユニットがそういう心性に対してなにゆえ国境を越えた強い訴求力や魅力を持ちえるのか、と問題提起したところで終わりました。

その疑問に答えるためには、BABYMETALの振付師MIKIKOの存在に触れないわけにはいきません。彼女のダンス観には、国境を越えた魅力ある表現とはどういうものかについてのヒントがちりばめられているように感じるからです。

振付師MIKIKOの存在
Wikipediaによれば、MIKIKO氏が活動を開始したのは、1999年。「広島のダンスシーンを盛り上げたい」との思いで地元の広島で活動していたが、20代前半、東京でMAXのバックダンサーのオーディションに合格。それがきっかけでVAXというグループを結成しました。それから約五年間、週1回は新幹線に乗って広島と東京を往復する生活を送りました。東京でVAXの一員としての仕事などをする一方、広島ではダンス指導と振付と舞台演出をするという生活の中で、次第に演出や振付への興味が大きくなっていき、広島で『DRESS CODE』という舞台を創りました。その後、アミューズに所属して東京で半年間過ごします。

2006年、アミューズ会長・大里洋吉氏から「感性を磨いてきなさい」と言われ、舞台演出の勉強のためにニューヨークに渡ります。これが、彼女にとって大きな転機となります。以下は、youtube動画「ESPRIT JAPON MIKIKO Perfume ELEVEN PLAY 」における彼女のインタビューから、その転機の中身を私なりに組み立てたものです。
https://www.youtube.com/watch?v=UiBKLlbofCE&index=20&list=LLpgnjyBp7TTPUwfhW_pjSuw

氏によれば、自分がアメリカに留学する直前の日本では、アメリカのダンスをまねること、特にアメリカの黒人っぽく踊ることがカッコいいことであるとされ注目されていました。自分もまた、そういうつもりでそれまで踊っていた、と。安室奈美恵やExileなどを思い浮かべれば、それは今でも基本的には同じなので、よく分かるお話です。

〈ところが、ニューヨークに来てみて、アメリカの黒人のマネをすることそれ自体が恥ずかしくなってきた。自分は、彼らのような「ボン、キュッ」というような体形じゃない。あのダンスは、あの体形とあの魂から自然と生まれてきたもので、自分があれをやるのは違う。では、自分は何を本当に表現したかったのか。そういうものは本当にあったのか。周りから求められて、いろいろとやってはいたが、そうではなくて、「自分が」本当になにをやりたいのか、分からなくなってきた〉

正確ではありませんが、おおむねそういうことを言っています。続けましょう。

〈ニューヨークで、日本の文化の発表会があるというので行ってみると、着物着て踊って、太鼓叩いてという感じだった。それを否定する気はないが、少なくともそれは私がやりたいことではなかった。自分としては、あえて「和」を意識せずにやりたいと思った〉

MIKIKO氏は、いかにも「これが、和です」というわざとらしさがいやだったのでしょう。もっと、いまふつうに生きている日本人としての自然な思いを生かした表現をしたい、という思いがあったのではないでしょうか。

2007年7月、世間の「ポリリズム」への注目をきっかけに、Perfume がブレイクします。Perfumeは、MIKIKO氏が振付師として七年前から手塩にかけて育ててきた三人の女性のアイドル・ユニットで、彼女は、そのグループがブレイクするなどとは夢にも思わずに、ひたすら愛情だけで、彼女たちを指導してきた。留学中は、ビデオ・レターで指導した。それゆえMIKIKO氏は、Perfumeのブレイクを端的に「事故」と形容しています。その、想定外の「事故」によって、MIKIKO氏は、振付師としての自分の方向性に自信を持ち始めます。日本人の体形に見合うもので、そこに、緻密さやこまやかさを加えれば、日本独特の良さが生まれるのではないか、と。言いかえれば、そういう思いで、MIKIKO氏はPerfumeに振付の指導をしてきた、そうしてそれが世に受け入れられることになった、というわけです。

〈振付において、日常の仕草が体現できたら、その人が魅力的に映るんじゃないか。いかにもダンスを踊っています、というんじゃなくて、リズムに日常の仕草をはめている。それがふつうのダンスと違っているので、独自のものと言われるの、かな〉

おおむねそういうことを、MIKIKO氏は言っています。

彼女の発言を私なりに要約すると、次のようになります。アメリカの猿真似がどれほど上手にできても、それはしょせん猿真似でしかない。そこには、アメリカや世界の人々をひきつける魅力などない。むしろ、心の底で小馬鹿にされるのがオチだ。かといって、いかにも日本でごさいと言わんがごとくに伝統に傾斜することにも、ためらいがある。いまをふつうに生きる者としての生活実感を、「日常の仕草のリズムへのはめこみ」、いいかえれば、音のビジュアル化・言語化によって日本人の身体表現の細やかさ・緻密さとともに表現することが、それを表現する日本人をもっとも魅力的なものとして、アメリカや世界の人々にアピールすることになるのではないか。

私には、MIKIKO氏がそういうことを言っているように響きます(余談ながら、日本人がどうやって世界性・普遍性に至るかをめぐるMIKIKO氏の明察を理解し実践している日本の知識人は、いまにおいてもそれほど多くありません)。

2008年2月、MIKIKO氏は、約一年半滞在したニューヨークから帰国し、東京に生活拠点を置きます。その二年後に、彼女は、さくら学院重音部所属のBABYMETALの振付を担当することになります。それは次回に触れることになるでしょう。

BABYMETALの振付に話を持っていく前に、Perfumeの振付や歌についていささかなりとも触れておく必要があります。というのは、Perfume抜きにBABYMETALの誕生はあり得なかったからです。そのことについても、次回に詳しく触れたいと思っています。

テクノ・ダンス・ユニットPerfumeについて
MIKIKO氏が、インストラクターとして、Perfumeのメンバーたちに出会ったのは、2000年のことです。正確に言えば、三人のうち大本彩乃(のっち)には、もう少し後に出会っているようですが、まあそれはいいでしょう。それから一五年間、彼女たちは、文字通りの師弟愛を育み続けてきました。そのことを、Perfumeのメンバーたちは、「Perfumeは四人いる」という言い方で表しています。

MIKIKO氏によるPerfumeのダンスの振付がどれほどすごいものであるかについて、同じく振付師の竹中夏海氏が、次のようなことを語っています(彼女は、PASSPO☆などの振付を担当しています)。
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E5%A4%8F%E6%B5%B7+perfume

〈Perfumeに「不自然なガール」という曲がある。そこで、Perfumeは、ジャンルとしてはヒップホップ系をベースにしたPerfumeダンスを踊っている。ところが、バック・ダンサーたちは、クラシック・バレーなどのアート系をベースにした前衛的なコンテンポラリーダンスを踊っている。まったく系統の異なるダンスが同時並行で進行しているのだ。この曲のPVを観ていたとき、Perfumeダンスは、MIKIKOさんが振付を担当し、バック・ダンサーは別の人が振付けているのだと思った。しかし後に、バック・ダンサーたちがMIKIKOダンサーであることを知るに及び、両方をMIKIKOさんが振付けているのだと分かって驚いた。振付師としての奥行きが深いと言おうか、引出が人の何倍も多いと言おうか、通常は考えられないことである。また、Perfumeは、MIKIKOさんが仕掛ける、拍と関係のない動きや、考えられないリズムのとり方や、予想のつかない動きを一見楽々と楽しそうにこなすところがすごい。だから、踊りの専門家は、Perfumeのダンスの難しさが分かるのだけれど、素人は、「Perfumeのダンスってそんなにむずかしいの」という感想をもらす。すごく難しいことを簡単そうにこなすことが、本当はいちばん難しいし、すごいことなのである。だからPerfumeのライブは、無機的な音楽とダンスを完璧にこなしながら、楽しそうにニコニコしていたりするので、とても人間臭いし、血が流れているという感じがして、感動してしまう〉

以上の発言を踏まえたうえで、次の二本の動画をごらんください。

[MV] Perfume「不自然なガール」


Perfume   Spring Of Life  Live  武道館


いかがでしょうか。とくにふたつ目の動画によってPerfumeの魅力の核心部分に触れたような気がするのは、私だけでしょうか。テクノポップによる無機的な世界観の只中に彼女たちのイノセントな笑顔を発見し、そこに温かい血が流れていることを感じ取ることによって、Perfumeの世界に触れる者は、じゅうぶんに「萌え」ることが可能なのです。

Perfumeが、MIKIKO氏とのコラボレーションによって、高度な表現に達していることもまたお分かりいただけるのではないでしょうか。ここで着目していただきたいのは、Perfumeが、「可愛い」という従来のアイドル像に、音楽とダンスの両面で「カッコいい」という要素を大胆に織り込むことに成功し、アイドルの新領域を切り開いている ということです。

Perfumeが切り開いた、この新領域こそが、BABYMETAL誕生の地なのです。と同時に、そこは、世界の「萌える男」たちが引きつけられる場所でもある、という話を次にしたいと思います。
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国境を越えたBABYMETAL現象のキーワードは、「萌え」である(その1) (美津島明)

2015年06月25日 01時04分28秒 | 音楽
国境を越えたBABYMETAL現象のキーワードは、「萌え」である(その1) (美津島明)


(ポインターを写真の上に置いてクリックすると拡大されます)

以下は、いわゆるBABYMETAL現象なるものについての私見です。当ダンス・ユニットの基礎知識にあたることがらについては、以前「BABYMETAL(ベビー・メタル)は、クール・ジャパンの王道を歩んでいる」(http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/7f20ff67f6b98537b0ad77e2d77118b1)で触れているので、興味のある方は、そちらをご覧ください。

昨年の七月、BABYMETAL(ベビーメタル)は、フランス・ドイツ・イギリス・アメリカ・日本を巡る初のワールドツアーを開始しました。その大きなきっかけは、YoutubeにアップされたPV動画『Gimme Chocotate!!』のアクセス数1000万超えでした(いまでは約2800万です)。日本で、いわばカルト的な根強い人気があったBABYMETALが、それをきっかけに、世界で大きな反響を呼ぶことになったのですね。その人気がいわば逆輸入される形で、日本の一般の人々にもその名が次第に知られるようになり、アイドルについてほとんど何も知らなかった私が、当ユニットに関心を持ったりするようにもなったわけです。

BABYMETAL現象の波は、その後もまだまだ収まっていないようです。翌年一月、ファースト・ライブアルバム『LIVE AT BUDOKAN 〜RED NIGHT〜』と映像作品『LIVE AT BUDOKAN 〜RED NIGHT & BLACK NIGHT APOCALYPSE〜』が、オリコン週間チャートで、それぞれアルバムで3位、Blu-ray総合で1位となり、女性アーティストのライブアルバムとしては十一年ぶりにTOP3に入り、Blu-rayでは総合1位の女性最年少記録を更新することになりました。また、同月に開催されたさいたまスーパーアリーナでの公演では二万人を動員しました。ちなみに、いま触れたCDとDVDは、前年三月、2日間にわたって日本武道館で単独公演を行ったときの模様を音と映像で記録したものです(私はその両方を持っていますが、いずれもSumetalの渾身の歌とYuimetal&Moametalの「切れっ切れ」ダンスと神バンドの卓越した演奏を心ゆくまで堪能できる逸品です)。

BABYMETAL現象の波は、その後もまだまだ収まっていない、という話にもどりましょう。二〇一五年の三月、「第7回 CDショップ大賞 2015」で、アルバム『BABYMETAL』が大賞を受賞した(これは、レコード大賞などよりすごい賞であると思います。お金や枕営業などはいっさい介在していないですからね)のが前祝いのような形になり、五月、メキシコ・カナダ・アメリカ・ドイツ・フランス・スイス・イタリア・オーストリア・イギリスを巡る2度目のワールドツアーを敢行しました。六月二一日の幕張メッセ・ワールド・ツアーの凱旋ライヴは、全席オールスタンディングで、ワンマンライブとしては自己最多となる2万5000人を動員しました(残念ながら、私は抽選漏れで、このライヴに参戦することがかないませんでした。いつのもことですが)。アメリカでは「Rock On The Range 2015」に、ドイツでは「ROCKAVARIA」と「Rock im Revier」にも出演しました。また、海外レーベルのearMUSIC、RALと契約し、欧米でCDの販売を開始したほか、国内で発売した映像作品『LIVE IN LONDON -BABYMETAL WORLD TOUR 2014-』がオリコン週間チャートのBlu-ray総合で1位となり、十代アーティスト初の2作連続Blu-ray総合1位を記録しました。これは、前年七月と十一月のロンドンでのライヴの模様を映像で記録したものです。これを観れば、シンプルな舞台装置でのBABYMETALの歌や踊りや演奏の卓越性も、観客の自然発生的な熱狂ぶりもよく分かります。特に、「メギツネ」でのSumetalの、会場に向かってキックしながらの「ナメたらいかんぜよ」のセリフを観客たちが一緒に言っているのを見たときは、「みんなよく研究しているなぁ」と感心してしまいました。

ほかにもまだまだありますが、これくらいにしておきましょう。

私が、このように、BABYMETALの活躍をこれでもかこれでもかというくらいにしつこく強調するのには理由があります。それは、彼らがテレビにほとんど出ないので、AKB48やモーニング娘の認知度にははるかにおよばないということです。

言いかえれば、彼らが世界レベルの成功を手に入れるうえで、電通や博報堂という既存の大手広告代理店はいっさい介入していないということです。それが証拠に、テレビ局で、BABYMETALを本格的に取り上げたのは、電通の力の及ばないNHKだけです。NHKは、昨年の十二月二十一日に「BABYMETAL現象~世界が熱狂する理由~」という特集番組を放映しました。当番組は、BABYMETALファンからの熱いエールの的になりました。私は、彼らの気持ちがよく分かるような気がします。(私をふくめた)彼らは、大手メディアがBABYMETALの良さをきちんと伝えてくれて、その名が日本においてメジャーになることを切望しているのです。去年の紅白歌合戦にBABYMETALが出場できなかったことにがっかりしたファンが少なからずいたことがそのことを雄弁に物語っています。しかしそこには、「オレたちにしか、BABYMETALの本当の良さは分からない」という矛盾した思いもあって、恋心はなかなかやっかいなものです。

ついでながら、電通などは、おそらく、躍起になってあの手この手でBABYMETALの既存メディアへの露出を防ごうとしているはずです。そうしなければ、自分たちのメディア支配力を呑みこむ勢力の台頭を許すことになってしまいかねないからです。自分たちの軍門に下ったならば、安心して彼らがメディアへ露出するのを許すのでしょうが。

いろいろと申し上げてしまいましたが、そこからおのずと浮かび上がってくるのは、世界同時のBABYMETAL現象は、メディアが作り上げたものというより多分に自然発生的なものである、ということです。いささか大げさに言えば、BABYMETAL現象は、先進資本主義の現在におけるある種の精神の流れを象徴している、と考えられるのですね。

告白めきますが、そこをきちんと論じられなければBABYMETALの本質を射抜いたことにはならない、という思いが、この半年ほど、脳裡の片隅にこびりついて離れませんでした。だから、インターネット上のBABYMETAL関連のコメントには、できるだけ目を通してきました。何かヒントになる言葉はないのか、と。BABYMETALへの熱い思いや深い愛の感じられる良質なコメントにはたくさん接しましたが、目からうろこというわけにはいきませんでした。要するに「てめぇの頭で考えろ」ということなのでしょう。

手がかりは、ひょんなところからやってきました。最近のことです。オタク評論家の兵頭新児氏から、本田透『萌える男』(ちくま新書・2005)を紹介されてどれどれという感じで読んでみたところ、示唆を受けるところ大だったのです。

本書は、オタク用語の「萌え」に対する視線変更を敢行し、現代資本主義の精神史的文脈における「萌え」の潜在的可能性を探り当てる、という離れ業を半ば以上成就した思想書です。個人的なモチベーションとしては、世間の無理解・蔑視に対するオタクの側からの反攻を企てたいということがあったものと思われます。一時期、各種メジャー・メディアをにぎわした『電車男』に対するやむにやまれぬ反発が、著者をして檄文のような『電波男』を書かしめ、それを一般人にも受け入れ可能な形にしたものとして本書が上梓されたというのがその出版事情のようです。

さて、本書によれば、「萌え」とは、脳内恋愛であり、昔はゲーテやダンテなどの芸術家のような限られた人々だけが萌えていたのだが、その後、科学技術の発達や萌えオタク市場の確立によって、だれでも萌えることが可能になりました。一方、近代は、かつて人々が宗教に求めていた魂の救済の役割を恋愛に求めることになりました。それは近代化の過程が、同時に宗教の力の衰退の過程(神の存在に対する懐疑の深化の過程)でもあることによって不可避的にもたらされた精神の傾向といえましょう。それが、かつて北村透谷らが欧米思想から輸入した恋愛至上主義です。しかし、八〇年代になって、個々人の恋愛行為が、メディアや広告代理店の流布する大量のイメージに縛られたり洗脳されたりするようになり、資本の論理に汚染されるようになります。それを本田氏は、「恋愛資本主義」と名付けます。以上のような議論を踏まえたうえで、本田氏は次のように述べます。

「萌え」とは、メディアが押付けてくる恋愛資本主義システムという共同幻想とは異なる自己幻想を自らの内面に持つことで「自分で自分を救う」ことである。

私は、現状ではそこまで「萌え」を積極的に評価することはかないませんが、恋愛の露骨な商品化や家族の解体現象を目の当たりにして、鋭敏な感性を有する若者たちが、商品化された恋愛ゲームのプレイヤーであることを静かに断念し、純愛願望を秘めながら二次元世界に撤収して「萌え」に専念するに至った心の事情を共感とともに思い浮かべることはできます。これは、マルクスのいわゆる労働力の商品化をはるかに超えて、エロスの領域までも微細に商品価値化するようになった爛熟期の資本主義が不可避的に招き寄せた事態であると言っても過言ではないでしょう。資本主義に対していささか肯定的な物言いをすれば、「萌え」というエロスのモラトリアムを許容しうるほどに社会が豊かになったということでもあります。

日本と同じく先進資本主義諸国である欧米社会においても似たような若者事情があると考えるのはむしろ自然なことでしょう。というより、そもそも純愛感情に根差した恋愛(プラトニック・ラブ)や恋愛結婚そのものが、明治維新から大正デモクラシー期にかけて西欧から輸入された外来文化であるという側面があるのです。たしかに、恋愛感情は太古の昔から日本にもあったのでしょうが、性欲をことさらに排した神聖なる恋愛という観念は、たしかに西欧産であり、その起源がキリスト教にあるというのも妥当な見解であるような気がします。

それゆえ欧米諸国の鋭敏な若者たちが、近代におけるキリスト教の衰退によって、それが担っていた魂の救済の役割を恋愛が代わりに担うことを期待し重視する度合や、資本主義が爛熟期をむかえることによって、エロスの商品化が不可避的に進行する過程において、恋愛の神聖性の破壊や家族の物語の解体が進むことに対して抱く危機感は、現代の日本の鋭敏な若者に勝るとも劣らないほどのものがあると想像してもそれほど不自然ではないでしょう。伝統的にキリスト教を信じてきたからこそ、その救済の力が衰えることは、欧米社会の人々が自己の存在根拠を確認するうえでのゆゆしき問題になるのではないでしょうか。

私が申し上げたいことを要するに、現代の欧米社会においては日本に勝るとも劣らないほどに「萌え」に傾く心性が高まっているのではなかろうか、ということです。日本の心ある若者たちと同じくらいにいまの欧米社会の心ある若者たちも、「萌え」の対象を渇望しているのではないでしょうか

それが正しいとするならば、次に、その対象としてなにゆえBABYMETALが選ばれることになるのか、という疑問が浮かんできます。言いかえれば、「萌え」の対象を欲する心性が、爛熟期の資本主義に普遍的に存在するとして、純然たる日本語の歌を歌うBABYMETALというアイドル・ダンス・ユニットがそういう心性に対してなにゆえ国境を越えた強い訴求力や魅力を持ちえるのか、という問題です。

話が長くなりそうなので、それについては、次回に述べることにしましょう。


〔オマケ〕BABYMETALの曲のなかで、私が最も愛する「紅月(あかつき)」の素晴らしい音質と画質の動画があったので、アップしておきます。たしか昨年三月・武道館ライヴの二日目の映像ではないかと思います。この曲には、当ダンス・ユニットの生みの親にしてプロデューサーであるKobametalの、Xjapanへのオマージュが込められているとは、よく言われることです。なんというか、日本人の滅びの美意識を激しく揺さぶるところがあるような気がします。Sumetalという超絶美少女がマントをひるがえしながら、なんの技巧もほどこさずに、どこまでもまっすぐにのびていくすずやかな声音で「紅く染まれ、真っ赤に染まれ」と絶唱すると、私はいつも脳内センサーの針が振り切れてノックアウトを喰らってしまいます。Kobametalは、昭和男があえて人目のつくところにさらそうとはしない感性上の弱点をよく知っているのではないかと思われます。いま「なんの技巧もほどこさずに」と申し上げましたが、これは天賦の鋭敏な音感がなければできない芸当です。微妙な音程の狂いが増幅されてしまうという、悲惨な結果を招きやすい極めてリスキーな歌唱法なので、普通の歌手は、とてもじゃないが怖くてようせんわ、という感じではなかろうかと思われます。

<iframe frameborder="0" width="480" height="270" src="//www.dailymotion.com/embed/video/x38akfc" allowfullscreen></iframe>Babymetal Live - Benitsuki -Akatsuki- 紅月-アカツキ... 投稿者 newmarxssahd2
(↑クリックしてください)

残念ながら、削除されてしまいました。もともと違反なのですから、仕方ないですね。しかし、なにもないのは淋しいので、ファン・カム動画のなかではけっこう録音状態が良いものをアップしておきましょう。はじめてお聴きになる方に、一言いっておくと、高音が伸びていないかのように聴こえますが、たぶん、録音機械の性能のせいで高い音程を拾い切れていないのでしょう。そのあたり、割り引いで聴いてください。昨年七月のアメリカ公演のようですね。

140727 - BABYMETAL - Akatsuki @ Fonda Theatre
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母親就業率のランク付けに見る欺瞞 (小浜逸郎)

2015年06月17日 19時02分49秒 | 小浜逸郎
*編集者記:以下は、小浜逸郎氏ブログ「ことばの闘い」の掲載記事を転載したものです。

母親就業率のランク付けに見る欺瞞 (小浜逸郎)

2015年06月12日 20時07分56秒 | 経済



 これから書くことは、政府の女性政策に対する批判であり、同時に、世間で当然と思われている考え方に対する異議申し立てです。その考え方とは、女性が社会に出て労働者として働くことは無条件によいことだというものです。
 まず言っておくと、さまざまな女性を「女性」という抽象的な言葉で一括りにして、だれが、人生のどんな時期に、どういう条件下で働くのがよいのかを一切問おうとしないところに、この考え方の最大のまやかしがあります。ここには、男女共同参画社会などの美名のもとに仕組まれた巧妙なトリックがあるのですが、女性差別はけしからんという一見だれも逆らえない現代の大原則のために、ほとんどの人がそのトリックを見抜けません。
 この原則の前では、女性政策やそれを支える世間の考え方に違和感を感じた男たちがいても、逆襲を恐れて口をつぐんでしまいます。安倍政権の「すべての女性が輝く政策パッケージ」なるものも、当然、このトリックを存分に利用しているのです。
 ちなみに誤解を受けないようあらかじめことわっておきますが、私は、女性が社会で働くことそのものを否定するような保守反動オヤジではありません。むしろ、できるだけ多くの女性が幸せな人生を送ってほしいことを切に願う、真の意味の「フェミニスト」なのです。
そのことは、以下の文章をきちんと読んでいただければ、必ずわかってもらえると思います。

 まず、下のグラフを見てください。これは、子どもを抱えた25歳から44歳までの女性の就業率を都道府県別に表したもので、総務省の「平成24年就業構造基本調査」に掲載されています。



 一見して明らかなように、山陰、北陸、東北などの人口の少ない農村部で高く、首都圏、関西圏、政令指定都市のある県など、大都市を抱えた地域では低くなっています。これについて、総務省自身は、格別のコメントを記していませんが、民間のサイトであるまぐ2ニュース「働くお母さんが多い都道府県第1位は島根県。上位は日本海側に集中」には、次のように書かれています。(http://www.mag2.com/p/news/16593

就業率ワースト12都道府県

1位  神奈川県
2位  兵庫県
3位  埼玉県
4位  千葉県
5位  大阪府
6位  奈良県
7位  北海道
8位  京都
9位  滋賀県
10位  山口県
11位  愛知県
12位  京都府

就業率上位は島根県など、日本海側に集中

 育児をしている女性の就業率1位は島根県、それに続くのは山形県、福井県、鳥取県、富山県と日本海側の県が目立った。就業率下位は、都市部から周辺のベッドタウンとして栄える地域が目立つ。都市部よりも地方、特に日本海側の地域で就業率が高い点について、47求人.comでは「3世代世帯の多さ」と比例することが要因のひとつとみている。
 47求人.com調査によると、3世代同居率が高い都道府県ランキング(厚生労働省「平成25 年国民生活基礎調査」)でも、上位の山形県、福井県、鳥取県、富山県がトップ5にランクイン(島根県は13 位)。3世代で暮らしている方が、子育てをしている女性が働きやすいという子育て環境の地域差がうかがえる。


 さてこれを読んで、腑に落ちない感じを抱かれた方はいないでしょうか。
 まず、女性就業率の低い順に並べたランキングを、「ワースト12」とは何事でしょうか。なぜ家庭の外で働く女性の少ない県が「ワースト」なのか。ここには、これを書いた記者(「まぐまぐ編集部・まつこ」とあります)のフェミニズム的な偏見が露骨に出ています。
 別にこの記者に対して、個人的な非難を浴びせるつもりはありません。しかしこうした受けとめ方が、相当幅広く(特に知的な女性の階層に)行き渡っていることは確かだと思います。非就業者の中には、幼い子の育児に専念することを最重要と考える女性、生活に余裕があるので、わざわざ稼ぐ必要を感じない女性、家庭での役割を大切にしたいと考える専業主婦、社会の仕事に就くことに向いていないと感じている女性、など、さまざまな女性が含まれているはずです。就業率が低いことを「悪い」とみなす人は、そうした多様な生き方を否定していることになります。この単純な決めつけは、たとえば、元社民党党首の福島瑞穂氏などのような、出産・育児期にも女性は必ず働くべきで、そのために行政に対してもっぱら保育施設の充実を訴えていくという政治的立場と同じです。
 昔、あるテレビ番組で彼女が、M字曲線(出産、育児期に女性の就業率が下がって谷間をなすこと、先進国では日本に特徴的)の図が描かれていたボードに向かって歩いて行き、「こういうふうにまっすぐにするのがいいのだ」と、その図に向かって颯爽と線を引きなおすのを見たことがあります。なんて粗雑な人なのだろうと呆れたのですが、社民党の勢力が衰えても、この考え方は世間に浸透し、いまや自民党までがそれを率先して推奨する立場になっているのですね。なぜそうなるのかには、じつは理由があるのですが、それは後述します。
 現に働く母親が多く、待機児童が山ほどいるのだから、保育施設の充実が目下の政治課題だ、という話なら、もちろん理解できます。一刻も早くその政治課題を解決すべきでしょう。しかしそれは、あくまでも応急手当であって、そこには何が多くの出産・育児期の女性にとって一番ありがたいことか、政治はそれに対して何ができるのか、という本質的な問いが欠落しています。
 答えは言うまでもなく、物質的精神的な生活のゆとりであり、夫が十分に協力できるような体制であり、可愛い子どものために後ろ髪を引かれる思いをしなくても済むような環境でしょう。では、これらのことが満たされるためには、政策として何が必要か。これも明らかです。できるだけ多くの人が豊かに安心して暮らせるように、内需を拡大し、景気の好循環をもたらして国民経済を充実させることです。しかし、いまここでは詳しく述べませんが、安倍政権の経済政策を見ていると、この目的に逆行するようなことばかりしています。高い保育料を払うために、幼子との貴重な接触時間を削ってまで働きに出る、というのでは本末転倒で、シャレにもなりませんね。
 現在年収200万円以下のワーキング・プアは、1100万人もいて、男性は全勤労者の1割ですが、女性勤労者では、なんと4割を占めます。
http://www.komu-rokyo.jp/campaign/data/
http://heikinnenshu.jp/tokushu/workpoor.html

 そういう人たちの多くは、乳飲み子や幼子を抱えながら、働かなければ食べていけないので、仕方なく職に就いているのです。女性政策などを考える人たちは、概してパワー・エリートのキャリア女性で、こういう問題に対する実感に乏しく、自分たちの社会的地位・権力の平等の確保しか頭にないので、女性就業率の低さというような抽象的な数字を「よくないこと」とみなすのですね。彼らは、「働きたい女性を支援する」などという表現を平気で使いますが、しかしこの不況下で働く女性の実態をよく見れば、どの女性もみな「働きたがっている」などということはあり得ないのです。
 ちなみにいま、20代の独身女性の専業主婦願望は、なんと58.5%に及びます。ついでに申し添えておきますと、「夫は外で働き、妻は家庭を守るべき」という考え方に「賛成」と答えた人の割合が過半数を越え51.6%、反対派を大きく引き離しています。
http://magazine.gow.asia/life/column_details.php?column_uid=00003837
 欧米の例も出しておきましょう。
 少し古いですが、2001年に出版した拙著『男という不安』(PHP研究所)の中に、ピーズ夫妻の『話を聞かない男 地図が読めない女』(主婦の友社)の一節を引いた部分があります。そんなに社会心理が変動しているとも思えないので、それをここに再現しましょう。


 イギリスの民間保険会社BUPAと美容と健康雑誌「トップサンテ」が五〇〇〇人の女性を対象に行なったアンケートでは、(中略)金銭的な問題さえなければ、専業主婦や無職でいたいという女性がほとんどで、仕事をすること自体に意味を見出していた人は二割に満たない。オーストラリアでも、十八~六十五歳の女性を対象に同じような調査が実施されている。人生で大事なことを順番に答えてもらうと、仕事を第一位に持ってきた人
は五%だけで、母親であること、という答えが断然多かった。回答者の年齢層を三十一~三十九歳に狭めると、仕事を重視する人は二%に落ちる。

 欧米でもこの通りです。考えてみれば当然で、社会で働くことには肉体的・精神的な辛さがつきもの。安月給としがない仕事で一生を過ごす人がほとんどです。まして人生の最も大切な時期である育児期に、子どもをあずけながらフルタイムのきつい労働に従事することがどんなに厳しいことか。だからM字曲線は、経済的に可能な限りで選び取る、日本人の賢い知恵を表しているのです。欧米では谷間がないからそれに早く追いつけなどと「ではの神」を主張することが、いかに浅薄であるかがわかるでしょう。
 人生にとって職業の意義は大事ですし、たまたま身に合った職業なら続けているうちに興味もファイトも湧いてくるでしょうが、金銭抜きで何でもいいからわざわざ「働きたい」などと思う人がたくさんいるはずがないのです。就業率の低さをそれだけ見て「よくないこと」と考えるような頭の持ち主は、「女性も男性並みに社会で働いてこそ平等が実現する」とか「人は働きたいから働くのだ」といった硬直したイデオロギーに騙されているか、そうでなければ、ある隠された意図のためにこうしたイデオロギーを利用しているのです。

 さて、さきほどの都道府県別の母親の就業率についての記事に戻りましょう。
 この記事には、「都市部よりも地方、特に日本海側の地域で就業率が高い点について、47求人.comでは「3世代世帯の多さ」と比例することが要因のひとつとみている。」とあります。じっさい、47求人.comにはそのように書かれており、3世代世帯の多さと就業率の高さとが相関するという結論が導かれそうです。
http://47kyujin.com/column/infographic-working-mother
 しかしここには、意識的にか無意識的にか、抜け落とされていることがあります。常識的に考えればすぐに思いつくことですが、都道府県別の平均年収が低いところほど、母親の就業率が高いのではないかという予想です。調べてみると、予想通りでした。
 厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」に基づくサイト「年収ラボ 都道府県別平均年収 成25年版」(http://nensyu-labo.com/2nd_ken_ranking.htm)によると、年収上位14位までの間に、上記のいわゆる「ワースト12都道府県」のうち、なんと10位までが収まることがわかります。見事な逆相関です。下に、例の母親の就業率の順位(ワーストではなく)を示します。

都道府県別年収ランキング



 逆も真なりで、平均年収34位から47位までの下位14県のうちに、就業率の高い県10県が収まります。



 この結果は、要するに、所得の高い大都市部では、夫婦の場合、夫の収入だけでも食べていける人が多いこと、反対に所得の低い地方では、妻が働かなければ食べていけない人が多いことを表しています。
 地方の疲弊に対して政府が取ろうとしている地方創生などの政策は、昔の竹下政権時代の「ふるさと創生」や民主党時代と同じようなただのバラマキ政策だったり(バラマキは受け取った側が貯金してしまえば何の経済効果にもつながりません)、もともと条件の違う地域同士を競争させるような政策だったり(これは地域間格差を一層助長させます)と、見当違いのことばかりしています。まずは東京一極集中の回避と地方経済の活性化のためにインフラを整備することが焦眉の課題なのに、そのために予算を組もうとはまったくしていません。
 こうした都市と農村との所得格差という切実な面を見ないで、ただ3世代世帯が多いから母親の就業率が高くなり、それが素晴らしいことであるかのように説くのは、非常に欺瞞的です。3世代世帯といっても、おじいちゃん、おばあちゃんは、無収入か、零細農業などによる微々たる収入しかないケースが多いのではないでしょうか。すると、だから孫の面倒を見てあげられてよいではないかというかもしれませんが、それはまた別の話です。低収入で多人数の家族を養わなくてはならないという面もあるわけですから。

 ところで、なぜ、政府及び公式の世論は、女性の就業率が高まることを無条件によしとしているのでしょうか。単にフェミニズム的なイデオロギーに毒されているだけとは考えられません。そこには次のようなからくりがあります。
 男性と女性の賃金格差は、だいたい10:7で、この比は何年も変わっていません。これは地位と勤続年数とがその主たる理由をなしています。多くの働く女性は、これに対して不平等だという声を挙げず、あきらめムードです。また、責任ある地位や長い期間にわたる勤務を女性自身があまり望まないという点も見逃せません。ですから、それはそういうものという慣習が定着しています。
 さて企業主は、もちろんできるだけ安い賃金で労働者を雇おうとします。それはこの不況時代には自然な成り行きです。そのことで個々の企業主を責めるわけにはいきません。そうした企業主の意向にとって、この慣習の定着はまことに都合がよい。つまり男性よりもはるかに安い女性労働力を利用することは、外国人労働者や派遣労働者を雇うのと同じメリットがあるわけです。取り換えも解雇も男性正社員より簡単にできます。
 ことに、より単純な労働において、この傾向がはっきり出ます。というか、単純労働的な部分をより多く女性にゆだねること、正社員や昇進への道を封じておくことで、結果的に女性の低賃金が固定されるといってもよいでしょう。
 安倍自民党政権は、「すべての女性が輝く政策パッケージ」などと謳って、女性をおだて上げていますが、その本質は、低賃金労働者を労働市場に招き寄せようという経団連など財界の意向をオブラートにくるんでそのまま差し出しているだけのことにすぎません。いま経団連など大企業の集まりは、グローバル企業が多く、国内の賃金が高ければ生産拠点を海外に移して安い労働力を得ようとします。こうして国内の労働者も賃金競争に巻き込まれてしまうわけです。
 ちょっと考えてみましょう。現実にこの不況下で、女性の就業率を挙げるべく労働市場に誘い込めば、低賃金できつい労働に耐えなくてはならない女性が大多数を占めるに決まっています。そういう状況下で、「輝く」ことなどできるはずがないではありませんか。
 ここにこそ、この政策の最大の欺瞞があります。それは、デフレ不況に対して適切な経済政策を打たないで済ませるための目くらましに他ならないのです。
 現にこの政策パッケージの中身をつぶさに検討すると、ドボジョ(土木女子)やトラガール(女性トラック運転手)を増やそうなどという提言が大真面目に出てきて驚かされます。
http://www.kantei.go.jp/jp/headline/brilliant_women/pdf/20141010package.pdf
 そういうことを得意とする肉食系の若い女性が少数ながらいても別におかしくありませんが、政策としてそれを増やすということは、労働のきつさに比べて賃金の安い肉体労働に女性を巻き込んでやろうという意図がありありで、まさに問うに落ちず語るに落ちるというべきです。女性には女性に合った職業があるはずでしょう。
 ところでその女性向きの職業の一つである看護師さんは、いま若い人のなり手がなくて現場ではたいへんです。資格があるのに辞めていく看護師さんが激増しているのです。せっかくの潜在的な供給力がつぶされているわけです。理由は簡単で、一般の職業に比べて深夜勤務など労働条件が厳しいのに給料が安いからです。
http://a href="http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan">-"Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/0000025363.pdf

 私たちは、「すべての女性が輝く」などというまやかしの謳い文句や、母親の就業率をもっと上げるべきだなどという考え方にけっして騙されないようにしましょう。本当に女性に輝いてもらうためには、彼女たちが物質的にも精神的にも豊かになり、ゆとりをもってその女性性や母性に磨きをかけられるようになることが必要です。そのためには、日本が全体として不況から脱却することを何よりも優先させなくてはならないのです。

*以上の論考は、ポータルサイト「ASREAD」に掲載されている「すべての女性がぼやく政策パッケージ――女性政策の欺瞞を暴く」と併せ読んでいただければ幸いです。
http://asread.info/archives/1680
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極私的田恆存入門 その2「一匹の立つ場所」(由紀草一)

2015年06月10日 00時57分59秒 | 由紀草一
極私的田恆存入門 その2「一匹の立つ場所」(由紀草一)


パウル・クレー「大聖堂(東方風の)」(1932)
*編集者記:上の絵画は、本文を読んでいるうちに、なんとなく浮かんできたものです。特段の関係はありません


いきなりですが、次の問いから始めましょう。人間が生きていく上での内面の苦しみとはどんなものでしょうか。

飢えや天災・人災による被害に対応するのは広い意味での政治、前回述べた九十九匹の領域に属することです。それは一応免れていて、その意味では安穏な生活が送れたとしても、すべてが満足というわけにはいかないのが人生です。細かく見れば、この世の中は思い通りにならないことだらけ。これはいわゆる大人が多かれ少なかれ抱かなければならない苦い感慨であるようです。

私たちは日々の勞働で疲れてくる。ときには生気に滿ちた自然に眺めいりたいと思ふ。長雨のあとで、たまたまある朝、美しい青空にめぐりあふ。だが、私たちは日の光をしみじみ味はつてはゐられない。仕事がある。あるものは暗い北向きの事務所に出かけて行き、そこで終日すごさなければならない。そのあげく待つてゐた休日には、また雨である。親しい友人を訪ねて、のんきな話に半日をすごしたいとおもふときがある。が、行つてみると、相手はるすである。そして孤獨でありたいとおもふときに、かれはやつてくる。

天気も仕事も友人も、元々自分のために拵え上げられたものではない以上は、それが当然だ、と簡単に答えは出ます。しかし、では、それらはいったいなんのためにあるのか? いやむしろ、自分はいったいなんのためにあるのか? たぶん一番怖いのは、それにはどうやら答えなどない、と思えることでしょう。

いや、急ぎ過ぎてはなりません。まさかこれだけで人生がいやになったりはしない。青空の下で十分に長く過ごせる日もあるし、孤独に飽きたちょうどそのとき友達がやってきて、四方山話で気が紛れることだってある。もっとも、それだけに、できないときには苦い思いをせねばならないわけですが。しかし、それはあきらめるしかないし、実際誰もがあきらめて過ごしています。

本当に苦しいのは人間関係の中で、報いられないと感じることでしょう。仕事の上で評価されないこと、愛する者から愛されないこと、など。まとめると、他人が自分を受け容れてくれず、結果、自分の居場所がない、そんな思いこそが辛いのです。そしてそのとき、内に向かっては「自分とは何か」という問いが切実に立ち上がり、外に向かっては、目の前の共同体を超えた他の場所、外界または他界、への憧れが湧いてくるのでしょう。

すると、ここで問題なのは、共同体そのものよりむしろ人間の自己意識だとわかります。実際のところ、人々からけっこう認められているように見える人でも、「今・ここ・の自分」には満足できず、「別の場所・別の自分」を求めることはあるのです。

文学作品から例を出しましょう。以前に自分のブログで森鷗外の訳したヘルベルト・オイレンベルク「女の決闘」を取り上げましたが、鷗外はもう一つ、同じ作者の「屋根の上の鶏」も訳しており、こちらのほうが国語の教科書などに取り上げられたので、けっこうよく知られています。こんな話です。

ある村に三代続いた仕立屋(鷗外訳の表記では、裁縫職)がいて、大人しい平和を愛する男であったが、大の政治好きでもあった。というのは、仕事が済んだ後新聞を読み耽っては、そこから得た知識をもとに、ビスマルクがどうたら、アフリカ情勢はこうたら、講釈を垂れるのが趣味なのである。女房が生きていた間は、彼女が少なくとも態度だけは熱心に聞いてくれた。それが死んで、自分の意見を尊重してくれそうな者がいなくなると、この趣向が内攻して激しいものとなった。新聞には毎日のように胸をドキドキさせるようなできごとが書かれている。それに比べると、平凡な自分の生涯が、つまらない、無価値なもののように思えてくるのだった。自分にはもっと値打ちがあるはずだ。どうにかして人々の注目を集めるようなことはできないものだろうか。と、思いめぐらして、教会の尖塔の上に取り付けられた風見鶏を盗むことを思いつく。その場所へ外から這い登るだけでもたいへんな難事だから、風見鶏がある晩忽然となくなっただけでも大騒ぎになる。しかし、犯罪ではあるので、自分がやったと明らかにすることができないのが難点で、仕立屋は、いささかの満足と大いなる失望の後に、破滅に至ることになる。

この仕立屋は仕事の腕と温和な人柄のおかげで、村落共同体の中で確固とした地位を占めていたのです。それがどうしてこんな愚かな振舞いに及んだのか。奥さんに先立たれて孤独になったことは大きな要素に違いありませんが、それは既婚者の半分近くが経験しなければならない不幸です。

一番大きいのは19世紀から社会の中で存在感を増してきたマスコミ、具体的には新聞報道であることは見やすいでしょう。これによって多くの人々が、自分が現に暮らしているのとは別次元の世界があることを知るようになりました。もちろんそれは情報として「知る」、ということですから、その中で「生きる」というのとは違います。それだけに、具体的な苦労など実感できませんので、ますますスリリングな、輝かしい世界のように思えるのです。そして、それに比べると、現実の生活があまりに凡庸で些細なことに満ちた、つまらないものにも思えてきます。

と、ネガティブなことばかり申しましたが、こういうことは近代化に付随して起きる必然の一部だと言えるでしょう。この時代になってから、すべての人が「国民」として、「国家」というデカ過ぎて個人の目にはよく見えないものも、いくらかは意識するように求められたのですから。もっとも、なぜ求められたのかと言えば、「国民皆兵」で、つまり兵士として使う都合からですが。戦争もまた、ごく最近までは、あるいは現在でも、特に男性の冒険心と功名心をそそる大イベントではあるのです。

それは当面のテーマではありませんので閑話休題。今現にある共同体から精神的にまぐれ出る際の原動力は、自己意識だということがここでのポイントです。自分で自分をもっと大きな、意味のある存在だと思いたいのに、他人はいっこうにそう見てはくれない。その思いは、時に人を駆り立てて、例えば地理上の大発見をさせたりもしますが、たいていは全く報われないまま終わります。そしてその「報われない」思いのために、自己意識はますます肥大します。ごく稀にではあっても、それに応じて無茶なことをして、自分にも他人にもろくでもない結果を招くほどに。

ところで、この自己意識自体の中に矛盾があるのも注目すべきでしょう。あるとき一人の人間が、自分が現に暮らしている共同体はちっぽけで、ほとんど価値がないものだ、と思い込む。しかしその理由は、自分自身をきちんと認めてくれないからなのです。つまり、本当に「こんな村、つまらんところだ」などと思っているのなら、そこで自分がどんなふうに遇されようと、どうでもいいはずです。それどころではなく、そういう人ほど共同体が、その中での具体的な人間関係が問題になります。そこで、自分の夢想する基準で、自分が「きちんと」認められることを熾烈に求めているのです。多少とも冷静さが残っていたら、そんな夢想に、他人が、たとえ家族といえども、まともに付き合ってくれるはずがない、とすぐにわかるのは、またたいていの人間が抱く悲しみではあるのですが。

仕事の上で低く評価されたときや、好きな相手から好かれないときには、最も端的に苦しまなければならないのですが、そうでなくても、人は多かれ少なかれ誰もがこの種のジレンマを抱える、と言えるでしょう。


以上を最も簡単にまとめると、例えば、「人から見られている自分」は揺れがちであり、一度揺れ始めたら容易に安定を得られない、ということになるでしょう。もっと突っ込んで考えると、他から与えられた場所には安住できない、と感じたとき、「自分」は本当に問題になる、ということかも知れません。いずれにせよ、これを扱うべきなのは政治などではない。普通の意味での宗教でもない、というのは、上の例でもわかるように、これは近代において一般化し顕在化した問題だからです。即ち、文学的な問題なのです。

もう一つ申しておきましょう。近代的な理念のうちでも大切だとされる「自由」だとか、「個人の尊重」、いやそれが大切ではないとは申しませんが、ただしかし、これらもまた広い意味での政治の世界に属するものだと知っておかねばなりません。それが証拠に、日本国憲法の条文にも、「職業選択の自由」や「婚姻の自由」というのが記載されています。それは具体的にはどういう意味かというと、「あなたがどんな職に就こうが、誰と結婚しようが、公に属する機関は容喙しない」、つまり、文句は言わないが、協力もしないというだけです。これがあるからと言って、日本国民の誰もが、なりたいと思ったら政治家にでもプロスポーツの選手にでも映画スターにでもなれ、どんな美男美女とでも結婚できる、なんて話ではありません。

「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする(第十三条)」のほうはどうかと言えば、あなたの生命や財産が不当な危険にさらされたときには、公的な機関はできるだけそれを守るように努めよう、と約束しているのです。もちろんこれはやってもらわなくてはならないことですが、しかし「幸福追求」の結果本当に幸福になれるかどうかまでは、誰も保証してくれません。

結局のところ、この社会で自分の望むものを手に入れて自分で満足できる自分になることは、自分一個の責任だ、と言われているのです。きっと昔からそうだったのでしょうが、社会が流動化し、例えば「親が仕立屋なんだからあなたも仕立屋になるのが当然だ」などというのは当然ではない、と広く一般的に考えられるようになった近代でこそ、現状に満足できない、だからと言ってそれを誰のせいにもできない個人が多く見られるようになったのは本当でしょう。


個人の内面の側から「自由」の理念を考え直しても、何か外側から束縛を受けている人以外には、大して値打ちのないものであることがわかります。「何をしてもよく、なんでもできる状態」、だからまた何もしなくていい状態が、人に幸福や満足をもたらすものでしょうか。一歩進めて、やりたいことがあって、それがやれる状態、と言ってみても、まだ足りません。空腹なときには食べ物がほしくなる。それが得られたら、とりあえず願望は満たされる。でも、それだけで、そこにはどんな「意味」も見出せません。「意味」なんてものを考えるから、やっかいなことになるんだ、というのは本当ですが、人間とは本来やっかいな生き物なのです。

こう言えば正解に近くなるでしょうか。人間が本当に望んでいること、それは自分がいるべきところにいて、やるべきことをやっている、と実感することなのだ、と。詳しく言い直しますと「私たちが欲するのは、事が起るべくして起つてゐるといふことだ。そして、その中に登場して一定の役割をつとめ、なさねばならぬことをしてゐるといふ実感だ」。これに賛同していただけますと、本当にやっかいな問題も見えてくるでしょう。それは、この「べき」が、個人の内部からは出てこない ところなのです。

「人は個人として尊重されるべき」の「べき」でさえ例外ではありません。「そんなことはない。私は本当に、心から、尊重されたいと願っている」とあなたは言うでしょうし、それに嘘はないでしょうが、では、そう言うあなたは、他人を個人として尊重しているのでしょうか? よく考えるまでもなく、あなたの幸福や満足とは直接関わりのない赤の他人の場合には、せいぜい、その人の自由やら幸福追求を積極的には邪魔しない、それをもって「尊重」と呼んでいるのが関の山でしょう。憲法が謳っている「尊重」だって、実質的にはそんなものなのですから、それに罪責感など持つ必要はありませんが、他人がそんなあなたを過度に「尊重」することを求めるわけにはいきません。また、それはできません。あなたはせいぜい、何かの権力を得て、他人を従わせることができるだけです。

そういうわけで、自由を、「できる限り自分の好きなように振る舞うこと」と定義しなおしますと、それを求めるとは、権力闘争に勝ち、可能な限り他人を従える、ということになります。実際、「ごく限定された場所(例えば家庭)であっても、できるだけ人より優位に立ちたい」と思っているらしい人は、男でも女でも、けっこうたくさんいます。正直言って私は、そういうのが鬱陶しくてたまらないタチなのですが、私がどう思っても、何を言っても、人を動かす力はありませんので、それこそ自由にやってもらうしかありません。それでも、権力闘争に負けた場合には、どんな満足も残らない。これは動かし難い真実であることは、わかっていただけるでしょう。


結局、目に見える他者との関係によって織り上げられる実社会の平面に留まる限り、この迷宮から逃れ出る方途はありません。迷路の基本構造が、「自己意識は他者に支えられなければ存立し難いのに、それが発達すると他者の否定を指向するようになりがち」というアポリアにあるからです。

ここを逃れるために苦し紛れのように考え出されたのが「他界」です。どこか目に見えない場所にあって、そこなら今現にある「ここ」ではどうしても満足のいかない「自分」とは決定的に違う「自分」になれる、想像上の場所です。人間が多少なりとも文明・文化を持った場所なら世界中どこでもこの観念が見られるのは、人間が必ず「自分・と・その周囲」という概念の枠を通してこの世を見ること、いやむしろ、この枠こそが人間世界と呼ばれるものを形作っている基盤であることの証拠になるでしょう。

ただしかし、この観念が嵩じて、人間にとって本当の価値は他界にこそあり、目に見える世界のほうはどうでもいいのだ、にまで至れば、いろいろと問題が起きそうです。死ねば誰もが「他界」へ行く、そこでなら必ず自分は自分が思い描いているような自分なれる、今はその準備段階だ、として、苦しいことがあっても、よく耐えて、他人に迷惑をかけずに生涯を送れる人もいるでしょうが、すると、人間が努力すれば多少は変わる見込みのあるこの世の悪が存続するのを助けてしまう結果にもなる、などはよく指摘されます。マルクスの宗教批判は、つまりそういうことですね。

それ以上に、他界を過剰に希求する心性は、それ自体がこの世の権力闘争に敗れた結果、他人に支配される惨めな状態に陥っていると思っている者たちの、陰にこもった復讐心の表れだ、ということは、ニーチェやD・H・ロレンスが夙に指摘したところです。だから、立場が逆転して、彼らのほうが権力を奪取したら、もっとひどい支配を他人に対してするでしょう。さらに、社会的な支配者にはならなくても、自分は俗界を超えた真理を知っているのだと思い込んだら、それだけで、知らない者より優越しているのだから、彼らに対して生殺与奪の権がある、などとも思い込むことがあります。仮定の話ではありません。戦前の右翼テロや、最近のオウム真理教事件を思い浮かべれば、十分でしょう。

宗教心やそれに近い観念からこのような毒素を除染し、人が生き生きと過ごせるよすがとするのにはどのようにしたらよいのか。以下が一つの回答例です。


人間にはすべてを知り、見通すことはできません。絶対に正しいことも、わかりません。なんとも頼りない存在ではあるのですが、しかしそれは本当に悪いことなのでしょうか。

例えば自然科学の分野で絶対の真理が発見されたなら、後の人がやるべきなのはそれを覚えることだけであって、創造的な能力などもう用がないことになります。実際は万有引力の法則でさえ一個の仮説に過ぎないので、新たな仮説とその検証とに、人はいつでも創造的に取り組むことができるのです。

日常生活でも同じことです。絶対に正しいことはわからないので、人はいつも、自分に与えられた範囲内で、類例に依りながらではあっても、結局は自分で決断して、新たな行為(特に何もしないことを含めて)に踏み出します。それでどうなるかもわかりません。やる前から結果が100パーセントの確率でわかっているなら、人はもう何をする気もなくすでしょう。それくらいなら、次には、生きていく意欲もなくすでしょう。つまり、「分からないこと」は、人間が生きていくための必須の条件なのです。

長年仕事をしてきた仕立屋は、慣れきった仕事で、めったに失敗しないので、よくわからなくなっているだけで、実際は常に新たな服を生産し続け、結果として、これまた慣れているので特別に意識はされませんが、ことさらに文句は出てこない程度の満足は客に与えていたのです。その安定はいつか壊れるかも知れない。それは誰にもわかりません。その点で、これはこれでけっこうスリリングじゃないかと思えるんですが、残念なことに、世間の大多数と同じく、できるだけ安定を守ることが彼の義務なのです。そして、義務を果たした挙句、その義務をも含て、自分のやったことがつまらなく思えてきてしまったのです。

どこでまちがえたのか。それは結局、自分のやったことの価値が、ひいては自分自身の価値が、全体としてよく見えるはずだ、見えなくてはならない、という思い込みからです。

こういう人に申し上げたいことがあります。マスコミというのは、事実を伝えるのではなく、物語を伝えるのです。というのも、できごとの意味は、後から振り返って見出されるものですが、その後付けの意味によってまとめられた叙述が、できごと=人間のやったことそのものであるかのような錯覚によって、新聞報道などは成り立っています。古来より物語というものはあったのですから、それをマスコミの発明というのは不当でしょう。しかしそのおかげで、人間のやるあらゆる行為には意味があり、かつそれは人にも自分にもわかるはずだ、という思い込みが定着したのは事実です。

実際には行為のさなかにいる者には全体的な「意味」は見えません。だからこそ人間は、仕立屋その他の立場で、何ごとかをなし続けることができるのです。

前述の「他界」とは、意味そのものの世界であり、それこそが「あるべき世界」だなどとみなすから、それは結局「今・ここ」の現世の、個々人の願望を反映したものに過ぎなくなるのです。それとは関わりのない、即ち究極の価値や絶対の正義は、「分からない」ままに、別次元にあると考えられるとしたら、それによって、自己と他者の織りなすこの世界を相対化することができるでしょう。自分はとてもちっぽけで、その「意味」など探してもほとんど見つからないのですが、共同体だって、国家でさえも、物理的に巨大なだけで、意味・価値ということになれば同じようなものです。

だとすれば、そこでどれほど高く評価されたとしても、本当の支えにはならない反面、低く評価されても、自分が完全に否定されたなどと思い込むことはない。あとは自分が直感的にやるべきだと感じ、やることに多少なりとも喜びを感じることを、やっていけばいい。ニヒリズムでもヤケクソでもない、上に書いたように、それが結局普通の人間の生き方なのです。

以上はもちろん、人間性全体の中の一匹(1パーセント)について言えることで、世間の評価を全く気にせずに生きていけるような人はまずいないのですが、それだけに、決定的に道を踏み外さないために、その一匹をどこかに感じていることは大事です。

たんなる認識者の眼には、時間は消滅し放しである。かれには過去・現在・未來が見えてゐる。が、全體が見えてしまつたものに、全體の意識は存在しない。いひかへれば、過去も現在も未來もないのだ。たゞ模糊たる空間があるだけだ。自分が部分としてとゞまつてゐてこそ、はじめて全體が偲ばれる。私たちは全體を見ると同時に、部分としての限界を守らなければならない。あるひは、部分を部分として明確にとらへることによつて、そのなかに全體を實感しなければならない。

自分を信じつつ、同時に自分の思い通りにならない現実も信じることはできるのです。繰り返しますが、現実が決して完全には自分の思い通りにならないことが、人間が生き続けることの条件なのですから。ありふれた譬えですが、水に抵抗があるので、人はそこで浮かぶことも、泳ぐこともできるようなものだと言っていいでしょう。

それ以上に、現実は個人の願望を阻害することで、個人の外部の「枠」を作り、その中の「自分」を成立させます。また人間は、自分は相対的な、限界のある存在だと知ることで、その反対側に、無限を、絶対を観念することもできます。それは個人にしかできないことであり、かけがえのない「自分」の存立基盤であり、存在理由にもなるのです。


田恆存の主著「人間・この劇的なるもの」は、震えるように繊細な感性と、大胆な逆説と飛躍で構成された稀有の評論文学です(かつて西尾幹二先生がおっしゃっていた評言をお借りしました)。また、それまで田が展開してきた悲劇論や日本文学史論、シェイクスピア論、D・H・ロレンス論、J・P・サルトル論、などなどを集大成したものでもあります。

私はそのほんの一部から読みとった信じられることを、上で自由に展開しました。いわゆる解説より、私のような凡庸な人間に、田の投じた言葉の石がどのような波紋を立てたか、お目にかけるのも一興かと思いまして。少しも面白くない、まして、なんの参考にもならない、という人には、最初か、何度目かを問わず、ご自身の頭脳と心でこの稀有の人間論にぶつかる知的好奇心を試みるよう、お勧めするしかありません。
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