美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

ケインズ、ルーズベルト大統領に物申す

2014年02月28日 05時46分55秒 | 経済
ケインズ、ルーズベルト大統領に物申す

ケインズは、一九三三年十二月に、第32代米国大統領フランクリン・ルーズベルトに公開書簡を出しています。同政権発足から約一年後のことです(ちなみに、第26代大統領セオドア・ルーズベルトは従兄(12親等)に当たります)。

ルーズベルト大統領といえば、大規模公共事業を柱とするニューディール(新規巻き直し)政策でデフレ不況から果敢に脱しようとした、いわゆるケインズ政策を実施した人物、というイメージが残っています。しかし、同書簡を読むと、同政権の発足後の歩みは、それほど平坦なものではなかったようです。

まずケインズは、同政権が力を注いできたNIRA(National Industrial Recovery Act:全国産業復興法)を槍玉にあげます。同法律は、企業の生産を規制して、企業に適正な利潤を確保させ、一方、労働者には団結権や団体交渉権を認め、最低賃金を確保させ、生産力や購買力の向上を目指そうとした、今日から見れば、リベラル左派色の強い政策で、同政権は、ニューディール政策の柱としていました。ケインズは、同法律について「本質的には『改革(reform)』であって、おそらく『回復(recovery)』を遅らせるNIRAが、誤って『回復』の手段であるとみなされて、拙速に進められている」という印象を持っていることを率直に語っています。

これを今日の状況に敷き移せば、規制緩和や既得権の打破を柱とする構造「改革」や行財政「改革」を推進することによって、デフレ不況からの「回復」を実現しようとすることの根本的な誤りを指摘していると読みかえることができるでしょう。

ケインズによれば、NIRAの思想は、「意図的な主要経費の引き上げ(最低賃金の確保など)や生産制限を原因とする物価上昇」を惹起することで労働者を経済的窮状から救い出そうとするものです。しかしそれは、手段と目的を取り違えた政策であって、あくまでも、国民総生産を増加させ雇用を拡大するために、総購買力を増加させ、生産を刺激した結果として、物価上昇が起こるのが正しい筋道である、とケインズは力説します。今日的な言葉遣いをすれば、デフレ不況から脱却するうえで、デマンド・プル・インフレ(有効需要牽引型の物価上昇)は望ましいけれど、コスト・プッシュ・インフレ(コスト上昇による物価の押し上げ)は望ましくない、と言っていることになります。その点、今日の日本経済における、誤ったエネルギー政策に起因する貿易赤字の増大と円安による物価上昇は、きわめてまずい事態であるといえるのではないでしょうか。日本経済は、いまだにデフレから脱却し切っていないのですからね(中小企業のみなさん、給料は全然上がっていませんよね)。ここは、原発の適正な再稼働によるエネルギー政策の正常化によって、貿易赤字を縮小することが望まれるところでしょう。

以上をふまえてケインズは、「『回復』の初期段階における主要なおける主要な原動力として、租税を通じての既存所得からの単なる移転ではない、公債によって資金調達された政府支出の購買力の圧倒的な力を、私は強調したい。実際、政府支出に比肩しうるような手段は存在しないのである」とデフレ不況からの脱却の処方箋を提示します。

ここでケインズが言っていることに耳を傾けると、デフレ不況下で子ども手当を実施しようとした(その本質は単なる所得移転にほかなりません)民主党政権の救いがたい経済音痴ぶりがあらためて思い出されます。また、安倍政権がしきりに経団連などに賃金アップを要請しているのが、実は虚しい所業にほかならないことも痛感します。もう終わってしまったことですが、安倍総理が消費増税などという馬鹿げた政策を意思決定しなければ、そんな要請をしなくても自ずとそういうことになったのではないかと、私は思っています。四月以降の「経済の崖」がどれほど深甚な悪影響を日本経済に与えるのか、いまのところだれにも分かりません。

話を戻しましょう。ケインズは、金融・財政政策に関して、次のような含蓄のある言い方をしています。

不況期には、政府の公債支出が物価上昇と生産増加をすばやく実現する唯一確実な方法であり、戦争が常に産業活動を力強く促進してきたことが、その証である。過去、正統派の財政論は、戦争を、政府支出による雇用創出の唯一正当な口実とみなしてきた。そのような束縛がない大統領には、これまで戦争と破壊という目的にのみ貢献してきた手段を、平和と繁栄のために用いる自由がある。

第一次世界大戦を経て、世界の覇権は、イギリスからアメリカに移りました。そのことをふまえて、ケインズはルーズベルトに対して、「今後の世界に平和と繁栄がもたらされるかどうかは、覇権国家のリーダーであるあなたが、適切なデフレ不況脱却政策を実行できるかどうかにかかっている。それが実行できなければ、世界は、戦争という解決策を否応なく採るに至りかねないのだ」と直言しているのです。いまの言葉に直すならば、デフレ不況から脱却するためには、緊縮財政の呪縛から脱して、果敢な積極財政と大胆な金融緩和によるほかないし、覇権国家アメリカが、そういう適切なデフレ対策を実行することによる世界経済に与えるプラスの効果には、計り知れないものがある、とケインズは言っているのです。彼には、その後の世界の行方がおおむね見えていたような気がしてなりません。

ケインズは、「世界恐慌と脱却の方途」という1932年の五月に発表した論考で次のように言っています。

各国が自らの相対的な立場を改善しようとする努力が、他の隣国の繁栄を妨げる手段となる。そうした行動によって利益を得る以上に、隣国の同様の行動によって損害を被ることは、この例に留まらない(「この例」とは、貿易収支の黒字をやみくもに増やそうとする試みが、他国の雇用や有効需要を奪い取ることを指している――引用者注)。実際、今日、人気があり、支持されているすべての救済策は、この共倒れの特徴を有している。賃金切り下げ競争、関税競争、競争的な外国資産の流動化(「流動化」とは現金に変えること――引用者注)、通貨の切り下げ競争、競争的な節約キャンペーン、そして新しい資本開発の競争的な縮小――これらはすべて近隣窮乏化の方策である。

ここには、個別的な善が決してそのまま全体の善につながらないとする「合成の誤謬」を指摘するケインズの鋭い眼差しがあります。「各国が自らの相対的な立場を改善しようとする努力が、他の隣国の繁栄を妨げる」ことによって、世界経済全体の有効需要を縮小させ、それが逆に自国経済にはねかえってくる事態を指摘しているのです。ケインズは、ルーズベルトが正しいデフレ脱却策を実行するのを促すことによって、アメリカに世界経済の牽引役を期待し、世界各国が、近隣窮乏化という愚策に陥らないように歯止めをかけようとしたのでしょう。

公開書簡に戻りましょう。ケインズは、通貨政策や為替政策について次のように言っています。

一国の通貨および為替政策は、適正水準に生産や雇用を回復させる、という目的に完全に従うべきである。

このごく短い提言は、今日においても十分に有効であると思われます。というのは、1985年のプラザ合意以来の政府・日銀は、円高・ドル安を事実上放置し続けることによって、輸出産業を窮地に陥れ、自国工場の海外流出を野放しにすることで、自国民の雇用の機会を奪い有効需要の減退を招いてきたからです。一昨年末以来のいわゆる「異次元緩和」によって、やっとその傾向に一定の歯止めがかかった、というのが実情ですね。間違った金融政策は、一国の経済を滅ぼすに至るほどの怖しいものであることを、私たちは、上記のケインズの金言とともに、肝に銘じたいものです。

最後にケインズは、望ましい政策とは何かについて、ルーズベルトに対して率直に語っています。

国内政策の分野では、私がこれまで述べてきた理由から、政府主導による大規模な公債支出を強く求める。どのようなプロジェクトを選ぶべきかは、私の領分を超えている。しかし、大規模でかつ短期間で着手できるプロジェクト――たとえば鉄道網の整備や復興などが優先されるべきである。

言いかえればケインズは、国富を増大させ一般国民の所得向上に資するような公共事業の大胆な実施を提言しているのです。デフレ不況下において、「個人」が進んで支出を増やす誘引は生じにくいし、「産業界」では、将来への確信が高まって投資を増やす誘引が生じにくいので、「政府」が、借り入れやお金の増発による支出を通じて追加的な新たな所得を生み出すことで、いわゆる「乗数効果」が生じるような起爆剤の役割を果たすほかはないのです。ここで「乗数」とは、〈新たな追加的な所得(投下資本)×「乗数」=国民所得の増加分の合計〉という式で表されます(むろんかなり単純化しています)。例えば、1兆円の公共事業を実施することで、めぐりめぐってGDPが2兆円増えたら、乗数は2ということになります(現内閣府は、乗数を1.1としていますが、それはIMFモデルを基にした、ケインズ政策に対して不当に否定的な、きわめて怪しい数字です)。

第二に私は、低利で潤沢な信用供給の維持、とくに長期金利の引き下げを求める。

ケインズは、デフレ脱却のために、産業界が新たな投資に乗り出す誘引を生み出す上での長期金利の引き下げの重要性を強調するだけではなくて、一般に、長期金利は低く押さえられるべきである、と考えていました。資本主義社会が自らの潜在的な豊かさ(莫大な生産力)を現実のものとし、一般国民が豊かさをおおらかに享受するうえで、企業家の「アニマル・スピリット」が十分に発揮されることがとても大事だと考えてのことでしょう。ケインズは、古典派経済学者のように、金利が自ずからなる均衡点を見出すなどとはあまり信じていなかったようです。

典拠『デフレ不況をいかに克服するか ケインズ1930年代評論集』(文春学藝ライブラリー・松川周二氏編訳)
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雪かきと近所付き合いと人倫感覚

2014年02月26日 02時56分48秒 | 戦後思想
*ちょっと前の文章ですが、そのまま掲載します。日にちの計算が合っていないところはご容赦願います。

雪かきと近所付き合いと人倫感覚

先週末に続き、一昨日から昨日にかけて、関東地方はまたもや記録的な大雪が降りました。紙面には「気象庁も読み間違えた『ドカ雪』」なんて文字が踊っていましたね。むろん、わが家の前にも大量の雪が降り積もりました。

わが家は、県道沿いに建っていて、家の前には2m弱の幅の歩道があります。そこに降り積もった雪が凍って固まってしまうと、道行くひとびとが滑って転ぶ危険があります。それで、家の前だけですが、人ひとりが通れる幅だけ、先ほどシャベルで除雪しました。先週も同じことをしました。

そういうことをしていて、ひとつ、どうにも腑に落ちない思いが湧いてきました。わが家のまわりには、歩道沿いに五、六軒家が並んでいます。そのなかで、歩道の雪かきをしているのは、先週も今週もわが家だけなのです。別に威張っているわけではありません。お互いほんのちょっとだけ雪かきをすれば、道行くひとびとが安心して気持ちよく歩くことができるのに、その「ほんのちょっと」をどうしてもしようとしないのです。私には、その気持ちがいささか分かり兼ねるところがあります。

「関係ない」?あるでしょう。自分たちもその歩道を利用するでしょうに。「面倒くさい」?安全に歩けるようにするのが、そんなに面倒なことでしょうかねぇ。

「近所の人たちとなるべく顔を合わせたくない」。なるほど、それなら話が分かりやすい。要するに、そういうことなのでしょう。私だって、別に顔を合わせたくなるような隣人がいるわけではありません。にしても、合わせたら合わせたで、申し訳程度にぺこりとお辞儀をすればいいだけのことではないですか。「それもイヤ」?これもおそらく図星でしょう。なんともチンマイ世の中になってしまったものです。そういう殺風景な情況を「個人主義の流布」などというもっともらしい言葉で飾り立てることに、私はあまり賛成できません。

単刀直入に言ってしまいますが、近所づきあいにおける人倫とは、おそらく「向こう三軒両隣」の精神なのではないでしょうか。「たとえば玄関の前を掃除するとして、自分の家の前だけを掃除するのではなくて、隣との境をちょっとだけはみ出して掃除するんです。お互いそうすれば、気持ちいいし、和気藹々とした雰囲気がかもしだされるし、街全体がキレイになるし、いいことだらけになるでしょ?」。これは昔永六輔さんが言っていたことです。ここに「向こう三軒両隣」の精神の真髄が語られていると言っていいでしょう。(昔は、永六輔さんのような隣近所の物知りじいさん的なテレビタレントがけっこういましたね)。

そういう心構えのひとびとが少しずつでも増えれば、世の中は、余計なお金をかけずとも随分暮らしやすくなるような気がします。昔の人もおそらくそんなふうに考えたので、「向こう三軒両隣」という言い方が知恵ある言葉として流布し定着したのでしょう。

私は、藤井聡さんが唱導している「国土強靭化」にもろ手を挙げて賛成している者です。これって、国民経済を充実させるマトモな公共事業を積極的に推進するのにモッテコイのグッド・アイデアですね。というのは、人間は何よりも自分の命が大切なので、「あんたね、いい気になって公共事業を悪者扱いしてるけど、そんなに死にたいのかい。大地震が起ころうと、トンネルがどんどん崩落しようと、橋が次から次に落ちようと、道路がガタガタになろうと、水道管が破裂しようと、とにかくかまわないから公共事業を削れって、いつまで言い続けるんだい?」と詰め寄られると、たいがいの人はさすがに黙ってしまうでしょうからね。

思うに、国土強靭化のココロというのは、実は「向こう三軒両隣」の精神の復権なのではないでしょうか。「情けは人のためならず」の復権といっても、「袖触れ合うも他生の縁」の復権であるといっても、それは同じことです。つまり、日本人としての世間道徳の復権ということです。これまで日本人が当たり前のことを当たり前のようにして行うことで世の中を住みやすくしてきたごくふつうの振る舞いがなるべくふつうにできる物質的な条件を整えることが、実は国土強靭化の趣旨なのではないでしょうか。

「情けは人のためならず」と思うからこそ、何を措いても、いま苦しんでいる東北の被災者を無条件に救おうとするのでしょうし、それを少し広げて考えれば、「地震大国・日本」において、未来の被災者の苦しみを少しでも減らし和らげるために、日本列島の耐震構造・防災システムを高度なものにするよう手を尽くことにもなるのでしょう。

その意味で、国土強靭化の精神と真っ向から対立するのが、竹中平蔵流の構造改革の精神です。構造改革の根にあるのは、「われわれは、これまでの旧態依然とした日本人のままではダメだ。根本的に日本を改造してアメリカのような自己責任社会にしなければ日本はとんでもないことになる」という考え方です。竹中平蔵の言い草を聞いていると、なんとも落ち着かなくなってきたり、息苦しくなってきたりするのは、彼が、日本人としての自然体の世間道徳を否定し破壊する衝動をむき出しにするからです。素手の状態にある人々に理不尽なストレスをかけてくるのですね。彼がなぜかくも日本を敵視するのか、よく分からないところがありますが、それはとりあえず措きます。そういうことに興味はありませんからね。

この十数年間、構造改革の断行に次ぐ断行は、日本人としての自然体の人倫感覚をすっかり荒廃させてしまったかのようです。その点景として、我が家の周りの雪かきの惨状がある、と言えそうな気がしなくもありません。

私たち日本人は、「自由」とか「平等」とか「人権」などという言葉を振りかざされることに非常に弱い一面があるような気がします。〈岩盤突破で、企業間の「自由な」競争を実現するべき〉と言われると、あまり強く反対できなくてついつい規制緩和や構造改革を甘受してしまってわざわざ自分たちが住みにくい世の中を作ってしまうし、〈男女「平等」は大切だ。女性の社会進出は素晴らしいことだ〉と言われると、そうかなぁと怯み、ラディカル・フェミニズムの文化破壊工作にまんまと引っかかってしまうし、TPP問題で〈「自由」貿易はすばらしい。国家の垣根を超えて企業が「対等」に競争できるルール作りは推進されなければならない〉と推進派から強く出られると、ヘタをすれば、国家主権をグローバル企業に献上する振る舞いさえもしかねないのです。まったくもって馬鹿げています。

どうしてそういうことになってしまうのか。その歴史的淵源を探し求めれば、大東亜戦争でアメリカにボロ負けしたことによる敗戦コンプレックスに行き当たるのではないかと思われます。つまり、アメリカにボロ負けしてしまったのは、日本人が、人間的にも道徳的にもアメリカ人に劣るからである、といういわれのない劣等感の呪縛からいまだに解き放たれていないのではないか、ということです。

だから、自分たちの身体に宿る自然体の人倫感覚が、なんとなく「自由」や「平等」や「人権」といった舶来製の理念よりも劣っているような気分に陥るのではないでしょうか。そうであるがゆえに、そういう言葉を振りかざされると、そこはかとなく違和感は覚えるものの、なんとなく押し切られてしまうのではないかと思われます。端的に言えば、米食よりもパン食の方が高級な気がする、という漠然とした感覚が払拭できないのですね。

そういう心性が根付いてしまっているからこそ、戦前の日本近代史を真っ黒に塗りつぶしてしまう、いわゆる「自虐史観」が、たびたび問題視され痛烈に批判されながらも、なおも優勢を占めてしまっているのではないでしょうか。また、いわゆる「根本病」的な考え方が受け入れられやすいのも、自分たちの身体に宿る自然体の人倫感覚を物事を考える拠点にできない心性があるからなのではないかと思われます。「根本病」とは、あの石橋湛山によって、日本人の欠点を指摘した言葉として提示されたものです。

日本人の一つの欠点は、余りに根本問題にのみ執着する癖だと思う。この根本病患者には二つの弊害が伴う。第一には根本を改革しない以上は、何をやっても駄目だと考え勝ちなことだ。目前になすべきことが山積して居るにかかわらず、その眼は常に一つの根本問題にのみ囚われる。第二には根本問題のみに重点を置くが故に、改革を考うる場合にはその機構の打倒乃至は変改のみに意を用うることになる。そこに危険があるのである。

(昭和11年「改革いじりに空費する勿れ」石橋湛山全集10巻から)

この言葉に触れると、私は、口を開けば二言目には「構造改革」と言いたがるいまどきの経済学者やエコノミストの誰それが浮かんできます。彼らは、「根本病」の使徒であり、百害あって一利なしの空疎なデマ・ゴークなのですね。私は、「構造改革」という言葉を口走る連中を絶対に信じません。彼らは、日本人の弱点を悪用する不逞の輩です。私は、『新約聖書』の口ぶりを真似て、命の続く限り「蝮のすえたち、構造改革びとよ。汝らに災いあれ!」と呪いの言葉を吐き出し続けたいものだと思っております。構造改革論者の最も許しがたい点は、意味もなく、日本人が長い歴史の中で育んできた人倫感覚を目の敵にして、それを木っ端微塵にしようとするニヒリズムを内に秘めているところです。それゆえ実は、構造改革論とフェミニズムとは、きわめて相性がいいのです。

翻って考えてみるに、石橋湛山が「根本病」を指摘したのは戦前です。とするならば、「根本病」は、近代日本の宿痾である、とどうやら言えそうです。その近代的宿痾が、敗戦コンプレクスによって補強されてしまったのが戦後なのだとすれば、それは相当に根深い社会病理であるということになりそうです。

スローガン的に言挙げすれば、「常識感覚に帰れ」ということになりましょうか。それを信じて悪い理由はどこにもないのではありますが、崩壊の瀬戸際にあるものに帰るのは、言うは易く行うは難き典型例ではあります。しかし、その難事をあえて実行することがかなわないとなると、めぐりめぐって結局のところ、対米ボロ負け状態が続くことだけは確かです。であるがゆえに、その難事を実行するための現実的条件を少しでも充実させるために、国土強靭化は、なんとしても実地に移されなければならないのです。安倍内閣がもっと大胆にやりたくてうずうずしている「第3の矢」など犬に喰われてしまえ、なのです。また、なんとなく実施されてしまいそうな形勢の法人税減税路線なんていうものは、国民経済を弱体化させるだけの下策にほかなりません。この路線の存在それ自体が、消費増税の必要性の根拠など実はなにもなかったことを雄弁に物語っています。

念のために言っておくと、対米ボロ負け状態が続いているのは、100パーセント日本人のせいであって、アメリカにはまったく責任がありません。アメリカは、ごく普通に国益を追求しているだけのことなのですから、文句を言われる筋合いはないのです(逆に言えば、アメリカ政府がグローバル企業やウォール街に乗っ取られようとどうなろうとこちらは知ったことではありません)。だから、日本側がいくら反米意識を強化しても、ボロ負け状態からの脱却にはまったくつながりません。むしろ、ボロ負け状態をこじらせるだけでしょう。そういう愚か者の道を、私たちは、間違っても選ばないようにしたいものです。

単なる雪かきの話をしようと思っていたら、あちらこちらと道草を食ったような、とりとめのない文章になってしまいました。でも、まあ、ちかごろ私が考えていることがけっこう素直に出ているような気もしますので、そのままアップしておきますね。
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フェミニズムの同性愛聖化は、虚偽と虚妄に満ちている (兵頭新児)

2014年02月20日 02時45分37秒 | 兵頭新児
*新しい執筆者の登場です。オタクの切り口から斬新なフェミニズム批判を展開なさっています。

フェミニズムの同性愛聖化は、虚偽と虚妄に満ちている



「話は聞かせてもらった……人類は滅亡する!」
「な……なんだってーーー!?」
「間もなく地球の地軸が傾き、それに伴う大洪水のため、世界は壊滅状態に陥る! だが清い心を持った者だけは善なる宇宙人のUFOによって救われ、高次元の世界で第二の人生を送ることが許されるのだ!!」


――すみません、根っからオタクなものでついつい『MMR』ネタから始めてみましたが、ご機嫌いかがでしょうか、皆様。

初めまして、兵頭新児と申します。

今月の2日に行われましたトーク・イベント「あらためて、フェミニズムを斬る!」http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/cf3e8ab2631348075fc606b85133f3ffに参加しまして、それをきっかけに美津島様とお話しさせていただき、今回こうしてブログにお邪魔させていただくことになりました。

さて、上のネタについてですが、『MMR』というのは90年代、『週刊少年マガジン』で連載されていたオカルト漫画です。何かと言えば『ノストラダムスの大予言』を持ち出しては「人類は滅亡する!」と危機を煽って、読者の少年たちを怯えさせるという内容でした。が、実際に上のような教義を説き、混乱を巻き起こしたCBA(宇宙友好協会)と呼ばれるUFOカルトが、かつての日本にも存在したのです。

いわゆるUFOカルトの人たちは宇宙人を「神様のように我々を導く善導者」と捕らえる傾向にあるようです(逆に、矢追さんのようにワルモノと考える人たちもいますが)。カルトのリーダーは自分がそうした正義の宇宙人とコンタクトし、宇宙人の覚えめでたい存在であることを根拠にカリスマとして振る舞います。そう考えるとオウムなどは「UFO」を「超能力」に置き換えただけのパクリだ、という感じもしないではありません。

単純なヤツらだ、これだからカルトはダメだと言いたいところですが、よく考えてみれば思想界隈の人たちも、似たようなものではないでしょうか(事実、この種のUFO信者には共産主義者崩れが多かったそうです)。

ぼくがちょっと思うのは、同性愛者という存在もまた、そうした「正義の宇宙人」と変わらない受け取り方をされているのではないか……ということです。

実は美津島様の著書で知ったのですが、浅田彰氏は『逃走論』において「ゲイは素晴らしい、そしてまたヘテロセクシャル男性でも男性の性役割から逃れようとする者はゲイの一種だ(大意)」といったどうにも脳天気なことを書いていたそうです。

そもそも「男性の性役割から逃げる」行為をそこまで無批判に正義だと考えること自体が理解しにくい上に、「ヘテロセクシャル男性でもそうした者はゲイだ」では実際の同性愛者の立場がなくなるような気がします。

ここには「理念」としての「同性愛者」像が「宇宙人」と同じような薄っぺらな「正義の味方」役として捏造されている様子が見て取れます。ただ、その意味で本物の「同性愛者」は被害者とも言えますが、同時にその「理念上の同性愛者」像に乗っかった同性愛者たちも少なくないだろうことは、留意する必要があるでしょう。

とにもかくにもここ二十年間ほど、同性愛者やセクシャルマイノリティたちは左派インテリたちの間で「無辜でキヨラカでその理解者足ることが絶対的価値を持つ究極の弱者」としての地位を誇ってきました。しかし、近年ではネットなどで彼ら自身の生の声が聞かれ、その「聖性」にクエスチョンマークがつけられる事態も多くなっている気がします(ツイッターなどで同性愛者やその共感者は「虹アイコン」をつけていることが多いのですが、弱者という立場に居直った聞くに堪えない罵詈雑言を並べ立てる方も少なくなく、自分たちの首を絞めているように思います)。

さて、今回は浅田氏と同じような「同性愛者=宇宙人説」を唱える御仁たちについて、ご紹介したいと思います。

J氏、N氏、そしてI氏の三人です(さんざん引っ張っておいて何ですが、少々事情があり、名前はイニシャル表記に留めます)。

お三方ともフェミニストであり、腐女子(ボーイズラブを好むオタク女子)であり、J氏が社会学者、N氏、I氏のお二人が小説家と、それなりに知名度を持った方々です。フェミニズムが同性愛者の運動と深く関わってきたこと、フェミニストが同性愛者を持ち上げる傾向があることは周知の通りですが、このお三方はあろうことか、同性愛者の子供への性的虐待を称揚する人物の振る舞いを頑迷に否定して、その人物を擁護し続けたのです。

順を追って説明しましょう。

お三方が擁護したのは、伊藤文学という人物です。

伊藤はホモ雑誌『薔薇族』を、四十年間もの長きに渡って刊行し続けた編集長です。「ゲイの解放に尽力した偉人」というのが一般的な評価でしょうし、それはそれで間違いではありません。

しかし伊藤の著書を見ていくと、彼が小児愛者に異常な肩入れをしている人物でもあることがわかるのです(ちなみに伊藤は子供を好む同性愛者を「少年愛者」と呼称していますが、本項では「小児愛者」で統一したいと思います)。
『薔薇よ永遠に―薔薇族編集長35年の闘い』(九天社、2006)では親公認で小学生の少年と性交渉を持つ小児愛者のエピソードを紹介し、

その子は小学校の高学年になってくると、ひとりで彼の住む部屋にも訪ねてくるようになる。そうなれば当然のこと、子供と性交渉を持つようになっていくのは、自然のなりゆきだった。/十歳年上の男(註・この少年の伯父)もゲイだから、二人の関係についてはとやかくは言わない。お母さんも理解してくれている。(p117)

とまで言い、また『薔薇族』読者からの「少年愛者の心得」を説く投書、子供と性交渉を持つことを前提としたノウハウ集を

少年愛の人にとって、バイブルといっていい文章だ。(p256)

と絶賛する始末です。『『薔薇族』の人びと その素顔と舞台裏』(河出書房新社、2006)も見てみましょう。

その中でもうすぐ七〇歳に手が届くという人の話は感動的だった。なんと現在、小学六年生の男の子と付き合っていて、この子とは五年生のときにゲームセンターで知りあった。(P243)

ずばり少年とのセックスのことを聞いてみたが、最初はあったそうだが、今では精神的なもので、本当の息子のようにかわいがっている。(p244)

いかがでしょうか。伊藤の著作を見ていくと、以上のように小学生の子供を手懐け、セックスに誘導する行動を肯定する文章に、度々出くわすのです。

しかし、彼への批判は、どこからも聞こえてはきません。左派寄りのインテリたちが同性愛者に極度の信仰心を抱き、その言動には盲目的に賛同するのは先に書いた通りです。

ぼくは去年の秋、ツイッター上でフェミニストたちがあまりにも邪気なく伊藤を賞賛することに切れ、上の事実を指摘しました。問題のある記述を書名、ページと共に提示し、またその画像をネットにアップして「読んで欲しい」とお願いもしたのですが、彼女らはそれを最後まで認めようとはしませんでした。

J氏は比較的誠実に対話を持ってくださり、またぼくがしつこく食い下がることでとうとう、

伊藤文学さんの児童虐待に甘い側面を知らなかったことは認めますし今後気をつけます。

とおっしゃってくださり、ほっと胸を撫で下ろした――のですが……後ほど、態度をひるがえしてしまいました。

勘繰ることを許されるならば、後に述べるようにN氏がぼくを攻撃し出したのを見て、「戦況有利」と判断して対応を変えたように、ぼくには見えました。

このJ氏の後に話したのがN氏です。N氏は「十数年前から、子供の身を守る運動を展開している団体に所属している」と自称しておいででした。彼女が男児への性的虐待に憤り、「フェミニズムはそうした男性たちにこそ救いになる思想なのではないか」とツイートしているのを拝見して声をかけたところ、「実際にチェックしてみます。」とおっしゃってくださったのですが……一時間後には、J氏たちに対するぼくの態度を「フェアではない」などと難詰して、遁走してしまいました(どこがフェアでないのかはさっぱりわかりませんでしたが……)。

とは言え、J氏、N氏も全く反論をなさらなかったわけではありません。お二人とも伊藤の著作の中に、「少年への性行為、児童ポルノを否定的に書いている箇所がある、伊藤は子供との性行為など正当化してはいない」と反論してきたのです。

実のところ、この主張は間違いではありません。伊藤の著作を見ていくと、確かに小児愛者に「子供とセックスしてはいけない」と自制を呼びかける箇所に、何度も行き当たるのです。しかし子供との性行為を正当化する記述もまた、不思議なことに同じ本に同居しているのです。むろん、彼女らが挙げた著作の中にもそうした記述はありましたし、ぼくもそのことは指摘したのですが、やはり聞く耳は持っていただけませんでした。

伊藤は少年に対する性犯罪が起こるなど、風当たりが悪くなると場当たり的に子供との性行為を否定して見せ、ほとぼりが冷めるとまた肯定する。そして著作をまとめる時には考えなしにその時々に書いたエッセイを一冊に混載し、結果、主張に一貫性がなくなっている――といったところが実情なのです。

もうおわかりでしょう。J氏N氏のお二人は伊藤の著作をそれなりに読み込んでいます。しかしそれにも関わらず、問題発言については丁寧に丁寧にスルーしている。伊藤をカリスマ視するあまり、著作の中の快い部分だけしか目に入らなくなってしまっているのです。

J氏とN氏のぼくに対する反応が似通っているのは、上の点だけではありません。お二人とも、「兵頭は実際に児童や男性の性暴力被害者を救うために動いてる様子はない、伊藤と話をしようとしない(大意)」と、ぼくを腐しました。

しかし(一番悪いのは伊藤とはいえ)問題のある発言をスルーし続けている彼女らが批判されるのは当たり前のことだし、ましてや「実際に児童を性暴力から守る活動」をしていない者は相手を批判する資格がない、というのは全く不可解です。いえ、そもそも彼女らが「兵頭はそのような活動をしていない」「伊藤と話していない」とするのには何ら根拠はなく、単に彼女らが「きっと兵頭はそんなことをしていないに違いない」と思い込んでいるだけ、なのです。

またこちらの批判を曲解し、「漫画表現への攻撃」であると言い募ることも、お二人共通の反応でした。ぼくはあくまで実際の子供への性的虐待について指摘しているのですが、お二人の目には一体全体どうしたことか、「性的な漫画表現を規制しようとするワルモノ」に見えているようなのです。そもそもぼくはオタク向けのアダルト物のゲームシナリオや小説を書くことが本業であり、それらが規制されれば真っ先に首をくくらなければならない立場にあるのですが。

お二人の言は残念ながら、頭のてっぺんから足の爪先に至るまで、全て思い込みに支配されたものだったのです。

フェミニストにはこうした、「客観的な事実を認めようとはしない」「裏腹に論敵の主張は恣意的にねじ曲げてそれを吹聴するといった方が大変に多いように思います

さて、上に「N氏がぼくを攻撃し出した」と書きましたが、それについても少し書かせていただきましょう。

私事で恐縮ですが、実はぼくはかつて、知らない間に彼女にお世話になっていたことがあったのです。諸事情で宙に浮いてしまった原稿を、知人の編集者さんに他の出版社へとご紹介いただいた折、N氏が仲介してくださっていたらしいのです。議論を続ける内、N氏はそのことをぼくに告げ、「その時の個人情報を知っているぞ」「編集者からあなたのことをいろいろ聞いているぞ」と言い立ててきました。同時に彼女のファン(N氏は有名な作家さんですから、ファンも多いのです)も彼女の言動に、一斉に唱和しました。その中にはI氏など、著名な作家さんもいました。どうやら彼女らの目には、事態が「大作家に粘着しているストーカーが、返り討ちにあった」というストーリーに見えていたようです。

さて、そのI氏もまたマニア間で人気のある小説家であり、「実在児童の人権擁護基金」の理事を務めていらっしゃいます。彼女はぼくの言動に対し、

まず最初に『伊藤文学さんの全著作、全発言を資料として用意して』『それを共有できる場をセッティングして』その上で特定の誰かに『この発言についての意見を聞きたい』という段取りなら『あり』だと思う。
(中略)
それが最低限度の礼儀。

と、おおせになりました。これが非現実的な空論であることは言うまでもありませんが、そもそも彼女自身が伊藤の著作に対して調べた様子がないのにぼくの指摘を否定しているのだから、全くもって奇妙な話です。

しかも上のつぶやきの直後に、彼女はぼくの著作に対して「読む気がしない」とした上で全否定なさったのです。彼女の辞書に「矛盾」の文字はないのでしょうか。むろんないのでしょう。

最後にC氏についても少し触れておきましょう。彼は(恐らく)男性で、左派寄りではあるものの、フェミニストというわけではなさそうです。また、上の方たちとは直接の関係はないようでした。この問題でもめている時に、たまたまC氏が著作で石原慎太郎氏と伊藤を比較し、後者を称揚していたのを見て、ツイッター上でこちらから声をかけてみたのです。

彼はぼくの伊藤文学に関する指摘を、当初はやはり認めようとはしませんでしたが、話す内に「『薔薇族』の編集者と知りあいなので問い質してみる」とおっしゃり、しばらくそのままになっておりました。先日そのことをふと思い出し、DMを送ろうとしたのですが、いつの間にやらブロックされていたのです。そもそも彼とは二、三言交わしただけで、言い争いなどにはならなかったと記憶しているのですが。ちなみに余談ですが、彼は「と学会」のメンバーであったりします。

これまでのぼくのお話しにおつきあいいただいた皆様は、どのようにお感じになったでしょうか。お疑いの向きはどうか調べてみていただきたいのですが、伊藤が子供への性的虐待を称揚してきたことは紛れもない、誰がどう見ても解釈の幅などない明白な事実です。しかしそれを目の前に突きつけられ、少なからぬフェミニストたちが事実を頑迷に否認し続けたのです。

男性の女性に対する振る舞いであれば、いかなる些細な言動もセクハラあるいは性的虐待に結びつけ、大騒ぎするフェミニストが、しかも性暴力から子供を守る運動をしてきたと自称している方が、何故このような態度を取り続けたのでしょうか。

J氏やN氏たちに対し、「児童虐待を擁護する人間の屑ども」と激しく憤る方もいました。N氏のぼくに対する言動についても「相手に知らさずに行ったことを後から恩に着せるのはどうなんだ」「恩を傘に批判を封じている」「まるで漫画に出て来る悪役そのままだ」、また「伊藤の醜聞を握りつぶしたくて、兵頭を黙らせたのだ」と指摘する方もいらっしゃいました。

が、少なくとも彼女らの意識の上では、それは違うのだろうと思います。彼女らにとっては本当に本件が「小児愛者という無辜なマイノリティへの心ない攻撃」、「自分が世話をした人間が恩を仇で返して絡んできた図」に見えてしまっているのだと思います。同様に、恐らくN氏が長年子供を守る運動を真摯になさってきたことにも嘘はないでしょう。

彼女らに悪意は、恐らく一切ありません。彼女らはただ、専ら善意で「同性愛者=無辜の弱者」との図式を鵜呑みにし、「伊藤=同性愛者の味方=正義」と短絡的に考え、そこから一歩も動けなくなっているだけなのです

こうした彼女らの「徹底した思考の停止ぶり」は、先の浅田氏の発言と被っては見えないでしょうか。そこにあるのは「男性同性愛者=善/男性異性愛者=悪」という幼稚な二元論、一度描き上げられた「弱者地図」のアップデートができない動脈硬化ぶり、仲間内の批判が全く不可能な自浄能力のなさです。

ぼくは、左派が「弱者、マイノリティの味方」であろうとすることそれ自体は、大いに意義のあることだと思います。しかし彼ら彼女らは非常にしばしば単調で非現実的な「強者/弱者」「マジョリティ/マイノリティ」といった二元論に陥り、その弱者やマイノリティ側につくことで自らを正義であると規定してしまう傾向にあります。まるで、「宇宙人に認められた我々は選ばれし人間なのだ」との選民意識に陥ってしまった、UFOカルトの人々のように。

さて、冒頭で例に挙げたUFOカルトは、「悔い改めればノアの箱船に乗れる、我々だけは助かるのだ」といった信仰でした。

フェミニズムに理解のある素振りを見せる男性たちを見ていると、こうした「助かりたいがために必死で教祖様にお布施をする」「側近を目指して覚えめでたくなろうとする」的な嫌らしさが感じられます。

が……ここまでお読みになった皆様は、本件のフェミニストたちの伊藤に対する感情にも、ちょっとそうした匂いが感じられるとはお思いにならないでしょうか? 彼女らの振る舞いは、「伊藤という、同性愛者(=宇宙人)の覚えめでたい教祖」を崇拝する、一種のUFOカルトのように見えます。

そもそも今回の伊藤の問題発言は同性愛者ではなく小児愛者についてのものであり、また伊藤自身は同性愛者ですらありません。また、欧米ではNAMBLAなどといった少年を好む小児愛者の組織が「子供とのセックスを合法化せよ」などと運動し、ゲイの団体がそれに嫌悪を表明しているという事実もあります。

彼女らがそれを顧みず、非現実的な対応を繰り返したのは、彼女らにとって同性愛者とは、宇宙人同様の空疎なご神体だったからでした(*)。

また一方、彼女らはぼくが「漫画などの性表現を圧殺している」のだと、あり得ない曲解をした上で難詰してきました。

彼女らは腐女子であり、オタク女子です。先に申し上げた通り、ぼく自身オタクであり、オタクの悪口を書くことはしたくありません。また、ここまでお読みいただいた方は、さすがに彼女らは例外であり、いかにフェミニストも左派もその大多数はそこまで病的ではないだろう、とお思いかも知れません。が、オタク文化というものが漫画などのサブカルチャーに源流を持つことは厳然たる事実であり、その有力者はほとんどが左派寄りの人たちです。正直、この業界の上層部においては彼女らが少数派だというのは楽観的な見方ではないか……と思われるのです。

 ――いや、それはおかしい。ネット上では「オタクはネトウヨだ」といった言説がしょっちゅう聞かれるではないか。

そんな反論が聞こえてきそうです。しかしそうした声こそ、むしろオタク界の上層部の人たちが、(近年、ことに急速に増えた)オタク界のマジョリティたちを自分たちの意のままにできないことに焦れ、逆切れ気味に言い出したことのように思えます(これはまた、オタク界の上層部に君臨する人たちが必ずしも「オタク」のマジョリティと性質を同じくしない、言い換えればオタクの上層部に位置している人たちはオタクではなく、その先代に当たるサブカルチャーの愛好者たちである、ということでもあります)。

上に挙げた腐女子フェミニストたちも、オタク界で一定の地位を持った、言わば上層部のメンバーであると言えます(余談ですが、今のフェミニストたちのなかで腐女子の姿が大いに目立ちます。が、上と同様な理由で、若い腐女子たちの中のフェミニスト率がそれほど高いかは、大いに疑問です)。

そうした図式を念頭に置いた上で、近年のオタク界で妙に小児愛者を擁護する声が大きくなっている点を、ぼくは指摘したく思います。

つまり、彼女らの中には小児愛者の地位の地盤固めをするために、同性愛者を「政治利用」しようという意図があったのではないか。いえ仮にその意図はなくとも、結果的に「同性愛者という名の宇宙人にお布施を捧げることで、小児愛者も箱船に乗れるのだ」との教えを「布教」するような振る舞いをしてしまっているのではないか――との想像です。

一例を挙げると、「ペドフォビア」という言葉。ウィキペディアで「ペドフォビア」の項を見ると、

「小児性愛者嫌悪」。 社会的に使用される概念で、小児性愛者(ペドフィリア)を『過度に』嫌悪する心理。および、これを犯罪的人格とみなして攻撃・差別する事とされる。[要出典]

小児性愛者が、被害者意識や自己の性的嗜好の擁護から、『一般的な』小児性愛に対する反応までもペドフォビアとして主張することもあり、『過度な』嫌悪との線引きは難しい。[要出典]


とあり、[要出典]と繰り返されているように、どうも正当な学術用語ではないようです(「ホモフォビア」も学術的な用語なのかどうか、ぼくにはわかりませんが……)。

想像するに「ホモフォビア」の二番煎じを狙って、小児愛者の「ケンリ」を守るために作られたワードなのでしょう。

しかし「小児愛者は例え子供に手を出していなくても発見され次第、逮捕」といった法律でもあるならともかく、一般的な小児愛者への嫌悪感までをもこの言葉で断罪しようというのはいかにも乱暴であること、上にも指摘されている通りです。事実、ぼくはネット上で成人と子供の性行為を否定するだけで「ペドフォビア」呼ばわりをされるといった類の経験を、幾度かしてきました。

ここで少し補足させていただくと、いわゆる「オタク」に「ロリコン」が多いのは事実です。が、オタクが好むのは「萌えキャラ」に象徴されるように、あくまで架空のキャラクターです。またオタク向けのアダルトゲームや漫画などに小学生めいたキャラが多数登場することは事実であるものの、一般的には高校生クラスのキャラが人気であると言えます(作中では小学生、高校生と明言はされませんが……)。

近年、オタク人口が急増してからはいよいよ、オタクと真性の小児愛者の関係性は薄くなったというのが実情なのですが、オタク界の上層部には小児愛者が、或いは小児愛者を政治利用しようという意図を持った者がおり、敢えてオタクと小児愛者を混同することで後者を肯定するような危険な思想をばらまこうとしているのではないか……あくまで想像ですが、ぼくはそのような疑念を抱かずにはおれないのです。

本件はつまり、「同性愛者」という「宇宙人」を味方に引き入れることで正義を得たフェミニストや左派という「UFOカルト」が、「小児愛者」或いは「オタク」をも信徒にしようと奔走している、それに乗っかってしまうオタクも少なからずいる、そんな状況の一端を垣間見たものであると、そんなふうにまとめてしまえるように思うのです。

 ――最後に今回、ツイッター上でぼくともめたフェミニストの皆さんへ一言。万一、これをご覧になっていたとしたらお怒りのことでしょうが、どうかもう一度、冷静に伊藤の著作を調べてみてはいただけないでしょうか。ことにNさん、非礼は承知しておりますが、ぼくはこれでもかなりセーブして書いたつもりです。またJさん、ぼくがあなたにしつこく話したのは、こと本件については「フェミニストはこんな反社会的なことを言っているぜ、バーカ」で済ませるのではなく、「フェミニストにもわかっていただきたかった」からです。

それは、NさんやIさんが児童を虐待から守る活動をしていることが象徴するように、そうした分野にはフェミニズムの影響が、極めて大だからです。ことこれに限ってはフェミニストと敵対するより、そうした活動に一日の長のある人々に事実を理解してもらい、本当の意味で子供を守るための運動を展開して欲しい、と考えたからです。その意味で、Jさんが理解をひるがえしたのはいかにも残念でした。

同様に読者の方も、ぼくの主張にご納得いただけない向きは是非、伊藤の著作をチェックしてみてはいただけないでしょうか。

また上のフェミニストたちとのやり取りはtogetter、

伊藤文学の「子供とのセックス肯定」について(改訂版)(http://togetter.com/li/550318
伊藤文学の「子供とのセックス肯定」についてⅡ(http://togetter.com/li/564318

にまとめられています。伊藤の問題発言についてはぼくのブログの

伊藤文学の問題発言について(http://ch.nicovideo.jp/hyodoshinji/blomaga/ar341241
に引用しています。

(*)いえ、彼女らに聞けば、「私には大勢同性愛者の友人がいるぞ」とおっしゃるかも知れませんし、それは事実かも知れません。でも、伊藤文学って同性愛者には非常に嫌われている人物であり、仮に同性愛者の友人が多いなら、そういう風評も耳に入ってくるはずなんですけどね。
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「本当の父親」って何?

2014年02月15日 22時27分13秒 | 小浜逸郎
*以下の論考は、小浜逸郎氏ブログ「ことばの闘い」からの転載です。いわゆる「科学信仰」に振り回されない家族の在り方とはどのようなものなのかについて、和辻哲郎の『倫理学』を援用しながら、考察を深めています。

「本当の父親」って何?



冒頭に掲げたのは、昨年評判になった映画『そして父になる』の一画面です。

ご承知の通り、この映画は、5歳まで愛情を注いで育てた子どもが「実の子」ではなく、病院で取り違えられたことを知らされ、それから夫婦の苦悩が始まるという設定です。

実は私、この映画を見そびれてしまいました。ですので、詳しい展開や結末を知りません。でもテーマにはずっと関心を抱いていたので、DVDが発売されていたら買おうと思って注文したところ、4月発売予定ということです。ずいぶん先の話で残念なのですが、見るのはそれまで我慢することにしました。

本来なら、映画を見てからこの文章を書くべきなのですが、映画の内容いかんにかかわらず、「ほんとうの父親」という問題について現時点での考えを発表することはできますから、それを書いてみます。DVD発売を待ちきれなくなったというのが本音です。

現代の科学技術はたいへん高度な水準に達しています。なかでも、人物特定にかかわるDNA鑑定は近年その精度が飛躍的に高まり、犯罪捜査や拉致問題などにも利用されていることは周知の事実です。遺骨、毛髪、体液などのほんの少しのサンプルがあるだけで、当人をめぐる血縁関係が特定できるわけですね。

この鑑定法は、夫が妻の浮気や不倫を疑って「ほんとうに俺の子なのか」という疑惑が生じた場合や、遺産相続をめぐって兄弟姉妹間で争いが生じた場合などで、一つの決着をもたらすための有力な手段としても活用されているようです(数としてはそれほど多くないでしょうが)。

しかし、この「決着」なるものが、果たして当人たちを心から納得させるものなのかどうか、まして、「決着」があったからと言って、当人たちのどちらかあるいは両方に、これまでよりも将来の幸せを約束してくれるものなのかどうか、ということになれば、これははなはだ疑わしい。新しいトラブルの起爆剤にならないとも限りません。

2014年1月、次のような興味深い(と言ってはご本人たちに失礼ですが)新聞記事が載りました。全文転載します。

DNA鑑定「妻と交際相手との子」、父子関係取り消す判決
(朝日新聞デジタル版 2014年1月19日05時00分)

DNA型鑑定で血縁関係がないと証明されれば、父子関係を取り消せるかが争われた訴訟の判決で、大阪家裁と大阪高裁が、鑑定結果を根拠に父子関係を取り消していたことがわかった。いったん成立した親子関係を、科学鑑定をもとに否定する司法判断は、極めて異例だ。

訴訟は最高裁で審理中。鑑定の精度が急速に向上し、民間機関での鑑定も容易になるなか、高裁判断が維持されれば、父子関係が覆されるケースが相次ぐ可能性がある。最高裁は近く判断を示すとみられ、結果次第では、社会に大きな影響を及ぼしそうだ。

争っているのは、西日本の30代の夫婦。2012年4月の一審・大阪家裁と同年11月の二審・同高裁の判決によると、妻は夫の単身赴任中、別の男性の子を妊娠。夫は月に数回、妻のもとに帰宅しており、実の子だと疑っていなかった。

その後、妻と別の男性の交際が発覚。妻は夫に離婚を求め、子と交際男性との間でDNA型鑑定を実施したところ、生物学上の父子関係は「99・99%」との結果が出た。妻は子を原告として、夫との父子関係がないことの確認を求めて提訴。「科学的根拠に基づいて明確に父子関係が否定されれば、父子関係は取り消せるはずだ」と主張した。

民法772条は「妻が婚姻中に妊娠した子は夫の子と推定する」(嫡出〈ちゃくしゅつ〉推定)と定めている。この父子関係を否認する訴えを起こせるのは夫だけで、しかも、子の出生を知ってから1年以内に限られている。

今回のケースはこれにあてはまらないうえ、「夫がずっと遠隔地で暮らしている」など、明らかに夫婦の接触がない場合は772条の推定が及ばないとする、過去の最高裁判例も適用されない事案だった。家裁の家事審判は、あくまで夫と妻が合意した場合に限り父子関係の否定を認めるが、今回はそれもなかった。

夫側は父子の関係を保ちたい考えで「772条が適用されるのは明らか。子への愛情は今後も変わらない」と主張。民法の規定や従来の判例、家裁の実務を踏襲すれば妻の訴えが認められる可能性はないはずだった。ところが一審の家裁は「鑑定結果は親子関係を覆す究極の事実」として妻側の訴えを認めた。二審の高裁は子どもが幼く、妻の交際相手を「お父さん」と呼んで成長していることなども考慮。家裁の結論を維持した。(田村剛)

◆キーワード
 <嫡出推定> 民法772条は、妻が身ごもった時、夫の子と推定すると定めている。妻が夫に隠して別の男性の子を身ごもった場合も、この規定により法律上は親子となり得る。父を早く確定することが子の利益になるとの考えからだ。ただ、この規定ができたのは血縁の有無が科学的に証明できなかった明治時代。DNA型鑑定で血縁関係を確認するケースは想定されていなかった。


いかがですか。

この記事には、「いったん成立した親子関係を、科学鑑定をもとに否定する司法判断は、極めて異例」と書かれていますが、さらに「異例」な印象を受けるのは、夫が訴えているのではなく妻のほうが原告代理で、「科学的根拠」を使って夫と離婚し、交際相手とその子どもと共に新しい家族を作ろうとしている動機が見える点です。しかも最高裁で争うということは、夫のほうが妻の不貞を知り、「根拠」を突き付けられてもなお判決を不服とし、控訴、上告していることを意味しますね。

特異といえば特異であり、また当事者間には、外からはうかがい知れない複雑な事情があるので、軽々しく倫理的な判断は下せません。しかし野次馬的に言うなら、時代も変われば変わるもの、離婚への妻の意志の強さ、婚姻関係・家族関係に対する夫の執着の強さだけはうかがえるでしょう。夫側の主張にある「子への愛情」というのがはたして本物なのか、それとも形式にこだわっているだけなのか、あるいは自分を裏切って幸せになろうとしている妻への復讐心が根元のところにあるのか。想像はいくらでもたくましく膨らみます。ただ心配なのは、こんな争いに終始している間にどんどん子どもは成長していくのに、その子の人生を二人がどこまで真剣に配慮しているのかという点です。

さて私がここでひとまず指摘しておきたいのは、現代人の「科学的根拠」なるものについての異様なまでのこだわりについてです。このこだわりは、こうしたプライベートなケースに限らず、今日、他のあらゆる場面で物事の決着のための最終根拠として重宝されています。医療分野、原発問題、環境問題、経済問題、日々の健康美容……。何か問題を感じたり意見が対立したり判断に迷う場合、必ず駆り出されてくるのが、「科学さま」という神様です。あたかも古代中国において亀甲の罅の入り方によって政治的な決断をしたように。いや、この卜占によるほうがまだましかもしれない。人知ではうかがい知れないことを神々の定めにゆだねるという謙虚な自覚があったのですから。

では「科学さま」という神様によって万事が解決するのかといえば、それはとんでもない。ある問題をめぐって、どちらも「専門的」「科学的」という看板を使いながら、まったく反対の主張をして譲らない例は腐るほどありますね。

私は、この科学万能主義にもとづく判断や行動の少なからぬ部分が、良識と寛容とよき慣習によって成り立っている社会関係を破壊する大きな作用を持っているのではないか、と考えています。もちろんこう言ったからといって、万人をよく説得しうる真の科学的精神を否定するものではまったくありません。「科学さま」のお札をかざしさえすれば、それを主体的に疑いもせずに安易に信じ込んでしまう現代の風潮こそが問題なのです。信仰が宗派の数だけ多様であるのと同じように、現代の科学教の乱戦模様もすさまじいものがあります。なおこの問題については、まもなく発売(2月17日)になる雑誌『表現者』53号掲載の拙稿をご参照ください。

話を「ほんとうの父親」問題に適用してみましょう。

DNA鑑定によって法的な判断を下すという場合、その背景にある私たち共通の観念とは何か。それは「血がつながっている」ということですね。では「血のつながり」とは何か。これはふつう、妊娠は男女の性交によるという生物学的な因果関係の知識に基づいています。DNA鑑定がこれほど威力を持つというのも、この知識があればこそです。だれもこの「科学的」知識の力を疑おうとはしていません。それどころか、冒頭に掲げた『そして父になる』においても、次に掲げた新聞記事の中身においても、私たちのいざこざ、煩悩、苦しみが、この「血のつながり」を疑いえない絶対の真実と前提するところから生まれてきていることは明らかです。

「ほんとう」とはこの場合、「性交→妊娠」という生物学的な事実を唯一のよりどころにして成立しています。特に、父親は母親に比べて「ほんとうに私の子か」という疑いを持ちやすい条件の下におかれていますね。いや、大病院で出産することが多くなった現代では、まれとはいえ、母親だってこの疑いを持つ可能性があるわけです。

さて性交→妊娠という生物学的な因果関係を根拠としたこの「ほんとうの子」という観念は、疑うに値しないでしょうか? この「ほんとう」は本当でしょうか

昔から、お前は私の実の子どもではないと聞かされた人が心理的な動揺をきたして、「ほんとう」の親はどこで何をしているのか探索する気持ちに駆り立てられるという話がよくあります。ずいぶん前に流行った「ルーツ」探しなども、同じですね。当人の気持ちはよくわかりますが、これって科学がもたらした近代人特有の過剰なオブセッション(強迫観念)に思えて仕方がないのです。

私は、生物学的な事実そのものを疑えといっているのではありません。また、文明のある段階からは、どの社会でも、「性交→妊娠」という因果論理が基礎となって家族が営まれてきた歴史を否定するつもりもありません。いわんや、血縁などただの幻想だから捨ててしまえなどと、ひところのフェミニズムみたいなことを言いたいのでもありません。

ただ、この生物学的な事実だけに依拠して婚姻の秩序や家族的な人倫の慣習が成り立っていると限定してしまうと、もし「科学」が、ある婚姻関係や家族関係においてこの事実の存在を否定し、ほとんどの人がそれに納得してしまったら、これまでの夫婦、親子の生活の共同過程そのものはすべて無意味ともなりかねない。それでもいいのですか、と問いたいのです。

何が婚姻や家族にまつわる秩序、人倫意識を成り立たせているのか。それは「血がつながっている」という科学的な「知識」ではありません。

かつて「生みの親より育ての親」とよく言われました。また、江戸期から明治時代までは、養子縁組が当たり前でした。これらの言葉や事実を媒介している根本のところには、もちろん「血のつながり」の観念があります。これらの言葉や事実は、社会の現実が必ずしもその観念どおりには貫かれてはいないので、そうした実態に即したカウンターあるいはサブの役割を担っていたのでしょう。

しかし、実際にそういう言葉や事実が生きていてそれを多くの人が受け入れるということは、人々が生物学的な事実の知識そのものよりも、むしろそれに先立って、「夫婦」や「親子」という社会的な認知の関係を大切にしていることを示しています。この認知の関係が成立するためには、必ずしも生物学的血縁の事実を絶対の必要条件としてはいません。「この子は婚姻関係を結んだ私たちの子ども」という男女相互の「信憑」と、それに対する周囲の社会的「承認」があれば足りるのです。この当事者の「信憑」と周囲の「承認」があるからこそ、物心ついた子どもも、「自分のお父さん、お母さんはあの人」として疑わず、そのいのちの行く末をその人たちにゆだねるのです。少し乱暴かもしれませんが、これは、ペットが家族同然となる例などを見ればわかりやすいでしょう。

この信頼関係が揺らぐような契機さえなければ、鑑定の必要なども生じないわけで、家族を営む以上は、夫婦、親子の信頼関係が揺らがないような努力が必要とされます。そのためには、時には余計なことは言わずに黙っていたり、しらを切りとおしたり、嘘をついたりする必要もあります。私がこれまで見聞してきた中でも、だれかが子どもに「真実」なるものを教えてしまったために、家族関係に深刻な亀裂が入ってしまった例、逆に、黙りとおしていたために何とかうまくやりおおせた例などがあります。

ギリシャ悲劇の最高傑作『オイディプス王』では、主人公は「お前は父を殺し母と交わるであろう」というアポロンの不吉な予言が的中したことを知らされます。それを知ってしまった一番の原因は、他ならぬオイディプス自身の、「真実」追究へのあくなき情熱です。そのことを悟った彼は、「見ようとすること」が呼び込む不幸に打ちひしがれ、われとわが両眼を突き刺すのです。
「知らぬが仏」とはまさにこのことです。

以上述べてきたことは、人間の関係、人間の社会が、もともと、何か絶対の「真実」というようなものによって支えられているのではなく、「そうである」という相互の信憑、あるいは「そういうことにする」という相互の約束によって成り立っていることを示しています。思想家の吉本隆明は、これを「共同幻想」と呼びました。そう、ラディカルな言い方をすれば、人間の社会は「幻想」によって動いているのです。

しかし「幻想」といってしまうと、「幻想というからには、幻想ではない真実なるものの存在があらかじめ想定されていることになるではないか」という反論がただちに返ってくるでしょう。ですからこの言い方は確かに誤解を招きやすい。

幻想といっても、個人の妄想ではなく、ある共同世界に共有されている幻想には、それなりの必然性と根拠があるのです。ですから、共同幻想というよりは、「共同観念」と言い直すべきでしょう。

すべてとは言いませんが、人間がともに生きていくために、「共同観念」のあるものは、なくてはならない価値を持っています。では、親子関係、血縁関係という「共同観念」が性交→妊娠という単なる生物学的な「知識」によって生かされているのではないとすれば、それは何によって維持されているのでしょうか。

答えはすでに述べたとおり、婚姻という約束と承認から生じた「私たち夫婦の子」という信憑であり、また、その信憑に息を吹き込み続けているのは、実際の生活の共同過程なのです。『そして父になる』における、福山雅治演じる野々宮良多は、余計なことを知らされて悩む必要などなかったのです。

この認識は、何ら私のオリジナルではありません。昭和十七年、なんと今から七十年以上も前に、哲学者・和辻哲郎によってほとんど同じことが、しかもはるかに周到に書かれています(『倫理学』第三章・人倫的組織)。一節をひきましょう。

母親はその子が自分の体内の細胞から生育し出でたということを、何らかの仕方で直接に知っているというわけではない。彼女はその産褥の苦しみや哺乳の世話を通じてその子の間に関係を作るのであり、従って血縁の関係は彼女の自覚的な存在に属する。それを証するために我々は次のような極端の場合を考えることができる。もし出産の直後に、偶然の出来事によって、何人もそれに気づくことなく嬰児が取り換えられるとしたならば、そうして母親がそれを己の子と信じて哺乳を続けたならば、その母子の間には血縁関係が体験せられるであろう。(中略)かく見れば、血のつながりと言われるものは、生殖細胞によって基礎づけられるのではなく、逆に主体的な存在の共同にもとづいて成立し、後に生殖細胞によって説明せられるに過ぎぬのである。母親は胎児との間にすでに存在の共同を設定している。従って現前の嬰児が生まれ出たその胎児であると確信している限り、たといそれが他の児であっても、同じき存在の共同を続けうる。
(中略)
父と子との間の血縁に至っては、それが事実上の物質的関係に基いて初めて成立するのでないことは一層明白である。父は夫として妻への信頼を持つ限り、嬰児が彼の子であることを確信する。彼の身体のある細胞が事実上この子の原因となっているかどうかは、父子関係の成立を左右するものではない。もちろん父と子との間には肉体的類似の見いだされるのが通例であるが、しかしこれに基いて初めて父子関係が成立するのではない。逆に父子関係がかかる類似を見いださしめるのである。これに反して、夫が妻への信頼を持たぬ場合には、たとい事実上彼の細胞が生育して嬰児となったのである場合にでも、それを彼の子として確信することはできない。

和辻が言うとおり、「ほんとうの父親」は、「事実上の物質的関係」=遺伝子の同一性を意味するのではなく、妻への信頼にもとづく「自分の子である」という確信の上にこそ成り立つのです。

この記述で何とも鮮やかなのは、「類似」の問題すらも、生物学的父子関係の「証拠」と考えずに、父子関係の承認が逆に「似ている」という把握を導き出すのだと主張している点です、なるほど、生物学的血縁であっても、いっぽうあるいは両方の親にちっとも似ていない子というのはいくらでもあり、そういう場合に人々はふつう、似ていないことを根拠に「あれはほんとうの子ではない」などと騒ぎ立てたりしません。信頼の揺らぎが生じた時に初めてそういうことが問題とされるのです。じっさい、他人の空似ということもよくあることですし、逆に類似の問題をDNAがかなり決定づけると仮定したとしても、夫婦両者のアマルガムによって、両方に似ない顔が出現することは大いに考えられるでしょう。

近代科学・技術の偉大な成果を私は否定しません。特に乳幼児死亡率の激減、貧困からの脱却、資源・食料の確保、災厄に対する防衛、快適で豊かな生活の保障などに近代科学・技術が大いに貢献したことは争うことのできない重要な事実です。

しかし行き過ぎは何ごとも人を仕合せにしません。いったい、「科学さま」の一出先機関に過ぎないDNA鑑定を唯一の頼みとして、「ほんとうの父親」なる観念に金縛りになり、そのことによって、つつがない生活の平穏さを自らかき乱すような振る舞いが良識のあるふるまいと言えるでしょうか。

先の新聞報道の例では、つつがない生活の平穏さが通っていたとはもともと言えないので、当事者の意志についてどうこう言うつもりはありません。また裁判所が、結果的に原告である妻側の離婚要求を認めることになったとしても、それはそれで仕方がないことでしょう。

問題は、よき慣習に見合った普遍的な良識に立脚すべき法曹界の判断が、形式上の生物学主義にひたすら根拠を求めている点です。これはいかにも安直であり、「人間」を考えないわざと言うしかありません。「近代」の諸価値をけっして盲信してはならないという教訓がここからも得られると思うのですが、いかがでしょうか。
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長州藩士・長井雅楽(うた)の悲劇

2014年02月12日 03時07分23秒 | 文学


君がため 捨つる命は 惜しからで ただ思わるる 国のゆく末

二月八日の「夕刊フジ」に幕末の長州藩士・長井雅楽(うた)の記事が出ていました。歌人・田中彰義さんの紹介記事です。心に残ったので、その肖像を書きとどめておきましょう。

その人となりについて、記事から引きながら、おりにふれつけ加えます。

1819年に生まれた長州藩士・長井雅楽。4歳で父を失ってからは藩校の明倫館で学び、萩城下一の英才と言われた。藩主・毛利敬親(たかちか)からも信頼され、息子である定広(さだひろ)の後見人にもなっている。


付け加えれば、明倫館で学んでいるとき、雅楽は敬親の小姓となっています。これは、将来の出世を約束されたのも同然の待遇でした。また、定広はいわゆる若殿で、その後見人になったことは、敬親の雅楽に対する信頼の厚さを物語っています。

1858年には直目付(じきめつけ)に任命された。これは藩主直属の仕事で、藩政全般を監査し、藩主に上申をする役割だった。

世に出た雅楽は、順風満帆の滑り出しだったのです。ところで、世は幕末。世論は、開国か攘夷かで喧々囂々(けんけんごうごう)の状態でゆれていました。長州藩も、何かしらの形で、藩論を天下に示さねばなりませんでした。おそらく、藩主・敬親の求めがあったのでしょうが、雅楽は、1861年「航海遠略策」を藩に献上します。一言でいえば、それは公武合体・開国進取を主張する内容でした。具体的には、次のような内容です。

「朝廷は諸外国と結んだ条約を破棄して鎖国に戻せというけれど、今、条約を破棄すれば戦争になる。そのとき、長い平和に慣れた武士団は敗れ去るだろう。今はむしろ積極的に外国と貿易をし、国力を高めるべきときだ。それを朝廷が幕府に命じることで、君臣の関係も正されていく」


藩主はこの雅楽の建白を認め、これが長州藩の藩論となります。そこで藩主は、雅楽を伴って、朝廷・幕府双方をめぐりました。朝廷側の当時の重鎮・正親町(おおぎまち)三条実愛(さねなる)は雅楽の建白書を一読、大いに賛意を表し、それを孝明天皇に上奏しました。すると、天皇も大いに満足し、これを支持しました。のみならず天皇は、次の歌を藩主・慶親(敬親)に下賜しています。

国の風 ふき起こしても 天津火の 本の光に かへすをぞまつ


ちなみに、仲介役の三条実愛は、長井に対してじきじきに次の歌を与えています。

雲居にも 高く聞こえて すめみ国 長井の浦に うたふ田鶴(たず)の音(ね)
*「すめみ国」は、「すめらみ国」(皇御国)と同じで、天皇が治(し)らす国という意味。


これらの歌から、長井の策を目にした天皇や実愛が、それに深く心を動かされ喜んでいる様子を感じ取るのは、私ばかりではないでしょう。

次に江戸に上り、老中の安藤信正に建白書を見せたところ、彼もこの策に賛同したのでした。つまり、当時の朝廷と幕府の両方から、雅楽の策は賛同され受け入れられたのです。

長井の策が正論であり、後の明治維新政府の基本路線の先駆けとなるものであることは、後世の私たちからすれば、よく分かりますね。長井の論は、翌1862年の春頃まで確かに我が世の春を謳歌したのです。

けれども、時代は尊皇攘夷の方向へと傾いていた。藩内でもこうした機運が高まり、次第に尊皇攘夷派の攻撃の矛先は雅楽へと向かった。反幕派の公卿たちも動き、雅楽の建白書には朝廷を誹謗する文言があると指摘しはじめた。押し寄せてくる時代の激流の中で、朝廷は結局、雅楽の策を不採用とした。



ここには詳細を記しませんが、「雅楽の建白書には朝廷を誹謗する文言がある」というのは、むろん「言いがかり」の類です。しかしその「言いがかり」は、雅楽を追い詰めるための智謀としてのそれでした。論者によっては、その首謀者は長州藩の尊王攘夷派の急先鋒・久坂玄瑞としているようです。結局長井は、久坂ら尊王攘夷派との政治闘争に負けることになります。

1863年、雅楽は潘の責任をすべてとらされるかたちで、切腹を命じられる。藩の進路を見誤らせた、というものだった。藩を思い、国を思って生きてきた雅楽はさぞ無念だっただろう。藩の中には雅楽を支持する藩士も多くいた。

けれども、このままでは藩論が真っ二つに分かれ、内乱となってしまう。それを見越し、案じた雅楽は、あえて過酷な運命を受け容れ、自ら身を引く道を選択したのだった。濡れ衣であることは誰の目にも明らかだ。それでも雅楽は藩命に従った。

掲出歌はこの時、詠まれたものだ。最後まで国の行く末を案じ続けた思いが素直に伝わってくる。雅楽は、「今さらに何をか言はむ代々を経し君の恵みにむくふ身なれば」という歌も残している。


文久三年(一八六三年)の二月六日、萩城下土原(ひじはら)の自宅において、長井の切腹は実行されました。そのとき長井は、掲載歌とともに、次の漢詩も作りました。

君恩に報ぜんと欲して業、未だ央(なか)ば
自ら四十五年の狂を愧(は)づ
即今の成仏は吾が意に非ず
願くは天魔と作(な)りて国光を輔(たす)けん


気にかかるのは、「狂」と「天魔」です。四十五年の人生は、「狂」に貫かれていて、自分はそれを愧じるというのです。およそアポロ的な知性の持ち主というイメージが強い雅楽にふさわしくないような言葉です。おそらく雅楽は、余人からはうかがい知れないような激情を内に秘めていて、強力な知性でそれをどうにかこうにか押さえ込んできたのではないでしょうか。そういう「狂」を自覚するがゆえに「成仏など自分には似合わない。仏教の修行を妨げる天魔になってこの世にとどまり国の行く末を見守りたい」という言葉が自ずと浮かんできたのではないかと思われます。自らの血で書かれた鬼気迫る詩とは、こういうものを指していうのではないでしょうか。

雅楽の激情の所在は、彼の切腹の様子をつぶさに描写したものを読むと如実に知ることができます。雅楽の切腹の一部始終を見届けて藩主に報告する正使は国司信濃(くにししなの)、副使は目付上席糸賀外衛(とのえ)でした。また、介錯は親戚の福原又四郎という二一歳の青年で、前日に雅楽が選びました。又四郎は古田松陰の門をくぐったことのある青年で、松陰から、「外見はやさしく見えるけれども、才知があってこれを補っている。そして一度正しいと思ったことは絶対にゆずらない」と評されました。以下は、井沢元彦氏の文章から引きました。http://ktymtskz.my.coocan.jp/denki/nagai.htm許しを得て、雅楽が世阿弥の謡曲『弓八幡』(ゆみやわた)を歌い終えたその直後の場面です。

その謡曲の一くぎりがすむと、長井は静かに肩衣を脱ぎ、(切腹刀を載せた――引用者補)三方を引きよせ、白紙を指先に巻いで首と腹をぬぐったという。そして、残りの白紙で短刀をつつむようにして持ち、刃先一寸を余して右手にかまえ、左の手で三方を背後にまわした。こうした儀式の進行と型は、長州藩において後の模範になったようである。

それから、長井は帯を下げて腹部をくつろげ、ゆっくりとそれを撫でおろすようにして左の脇腹をさぐり、その手を右手の拳の上に置くと、一気にそこに突き立てた。そして右の方に向ってきりりと一直線に刃を走らせたのである。そこで、切先をかえして上方に抜き、そのまま頚動脈に持ってゆくのだ。

ところが、長井は、あまりにも深く刃を突き立て過ぎたようだ。気性の激しい人物には、往々にしてこのことがあるようである。そのために、思いもかけないほど多量の血液がながれ出てきた。長井は、その腹部を左手でかばったまま、右手だけで咽喉をはねようとしたのだ。

しかし、腹部の重傷が彼の右手を狂わせた。刃は急所をはずれたようである。介錯なしに自決したいという一念は、それほどの痛手にも屈せず左手を腹部から右の拳に戻すと、いま一度と血糊のふき出している咽喉首に突き立てた。そして、その刃をはねるようにして抜くと、その短刀を畳の上に突き、ゆらりとゆるいで前方に伏せた。型の通りにいったのである。

ところが、このときも急所を外れていたようだ。長井は、ぐっと首をあげ、最後の力をふりしぼるようにして身体を起した。正坐にかえったのである。そしてじっと局囲を見廻したという。

また目が正使から副使の糸賀に向けられたとき、糸賀は背筋を走るような悪寒におそわれて、頭をあげることができなかったという話も残っている。

又四郎は、ここで介錯の役目を果すときがきたと思った。彼はすぐにその側に進みよった。そして左の小脇に長井の身体を抱き、右手にその短刀を持たせて、これを助けながら一気に咽喉をはねさせようとしたのである。

しかし、長井は左の手を振った。一人で死ねる、まだよいという意志表示なのだ。又四郎は手を放した。長井の意志とは反対に、もう身体が動かないのである。手が徒らに宙に舞っている。又四郎は、長井から渡された刀を抜こうとした。

しかし、あくまでも自分の手で死のうと最後の力をふりしぼっている叔父の心を思うと、ここで首を打ち落すことがためらわれた。彼はもう一度、叔父の身体にかぶさるようにして坐り、そしてその短刀を咽喉首に向けてあてがってやった。

そのとき、長井はまだそれだけの力が残っていたかと思われるほどの勢で、自分の気管を絶ち切ったのである。彼の呼吸はそこで絶えた。しかし、身体はまだ坐ったままであったという。又四郎が、その身体を静かに横にして、両手を合掌させた。切腹の作法が型の通りに終ったのである。


これを読んで、私は、その生々しい描写に圧倒されるとともに、「もののふ」の最期とはこういうものではないかという感慨を抱きました。「もののふ」としてじつにあっぱれな最期であり、ここまで剛毅な姿をとどめた切腹はきっとまれなものなのではないかと感じたのです。最後の力をふりしぼり、介錯の助けを拒み、自分だけで切腹を完遂させようとしたところに、「この死は、敵の勢力の奸計に陥れられたことによるのではなくて、あくまでも自分が選びとったものなのだ」という一念を命を賭けた振る舞いによって貫き通そうとする雅楽の強靭な意志を感じるのは、おそらく私だけではないでしょう。

このように、武士としていろいろな意味で傑出していて、また尽きせぬ人間的な魅力にあふれてもいる長井雅楽は、激動の幕末史のなかのまごうことなき敗者です。そうして敗者は、勝者によって歴史の表舞台から片隅に追いやられ、やがて闇から闇に葬り去られるのが常です。雅楽もまたそういう憂き目に遭い続けてきた人物のひとりであることは間違いないでしょう。私はそのことを惜しむ者のひとりです。と言っているうちに思いついたのですが、雅楽は、又四郎に介錯の役柄を期待したのではなくて、自分の死に様の一部始終を後世に伝えることを期待したのではないでしょうか。とするならば、雅楽は、いま私が述べた歴史の冷徹な「鉄則」を知悉していたことになります。その意味で、最期の雅楽は、歴史の神に渾身の力で抗おうとしたのではないかと、私は考えます。
コメント (2)
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