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美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

「デフレ脱却国民会議」報告 (イザ!ブログ 2012・7・2~4 掲載分)

2013年11月22日 05時52分33秒 | 経済
6月28日(土)に、永田町の衆議院第一議員会館で、勝間和代さんと上念司さん主宰の「デフレ脱却国民会議」が催されました。その内容を報告したいと思います。ちなみに、この会議は、デフレ脱却のために日銀法改正を実現しようとする超党派の集りです。

式次第は、次の通りです。

〔基調講演〕15時~16時

☆中原伸之(元日銀審議委員)
☆浅田統一郎(中央大学経済学部教授)

〔パネルディスカッション〕16時~17時

☆モデレーター(いわゆる進行役) 勝間和代(経済評論家・中央大学大学院客員教授)
☆パネリスト 衆議院議員 小沢鋭仁(おざわ さきひと)民主党
       衆議院議員 中川秀直(なかがわ ひでなお)自民党
       衆議院議員 山本幸三(やまもと こうぞう)自民党
       衆議院議員 浅尾慶一郎(あさお けいいちろう)みんなの党
       衆議院議員 宮崎岳志(みやざき たけし)民主党

日銀批判とデフレ脱却論の急先鋒が一堂に会した形で、なかなかの壮観でした。

まずは、中原伸之氏の基調講演から。

消費増税がらみの話を一つ。財務省は財政危機と騒いでいるが、よく分からない。国債残高890兆円のうち、地方債200兆円と建設国債250兆円はきちんとした計画に基づいて発行されたもの。残余が赤字国債(特例国債)。また、政府の金融資産は400兆円もある。国全体では、家計の金融資産は1500兆円あり、うち現金・預金が830兆円もある。なにを危機だ危機だと騒いでいるのかさっぱり分からない。

ここからが、本題です。

一つ目のポイントは、経済成長に関する議論をするとき、需要サイドからのものなのか供給サイドからのものなのか、話す方も聞く方もきちんと区別すべきである、ということ。そうしなければ、議論はいつまで経ってもかみ合わずに混乱したまま。

国民所得Y=消費C+投資I+政府支出G+輸出EC-輸入IM の式は需要サイドからのもの。ケインズ経済学ではこれを問題にする。消費Cは全体の約60%、投資Iは10数%、政府支出は20%、「輸出EC-輸入IM」は貿易収支。C+Iが、民需。政府支出G=政府固定資本形成(いわゆる公共投資)+政府最終消費支出(公務員の人件費を含む)

では、消費Cがなぜ伸びないのか。それは雇用がないからである。それが現状。それが問題。これを増やすには、公共投資を増やすしかない。アメリカの場合、医療関係と建設業で雇用が増えている。ITはそれほど伸びていない。アメリカのPPP(パブリック・プライベイト・パートナーシップ)は大いに参考にすべき。これは、民間に高速道路などのインフラの建設・運営をまかせること。これで雇用が増えている。また、シェール・ガスの生産でも雇用が増えている。これは、従来の天然ガスの値段の20%~25%と低価格。インフラと資源で雇用が増えている。人間は、皆が皆高度な知識を持っているわけではない。高級な知識を必要としない分野で無理なく雇用を増やすことを考えるべき。アメリカでも高速道路などのインフラの老朽化が問題になっている。日本でも同様。そこも雇用を増やすことができる。

国民所得=一人当たり労働生産性+労働人口。あるいは、伸び率に着目すると、国民所得の伸び率=労働生産性の伸び率+労働人口の伸び率。これらは、供給サイドからのもの。


(普通、潜在国民所得、あるいは潜在成長率として語られるものです。経団連などはひたすらこれを強調しますー報告者注)

一人当たり労働生産性を高めることは、小泉さんお得意の規制緩和や、ベンチャー・ビジネスの育成、イノベーションの推進によって実現される。労働人口は、一人当たり労働生産性が高められたときに社会的なキャパが広がることで高められるもの。

主要国の消費者物価は、96年を100(基準)にすると、日本以外はアメリカにしてもイギリスにしてもドイツにしてもイタリアにしても順調に数パーセントずつ伸びている。日本だけが、97年からマイナスが続いている。

GDPデフレーターも、97年からずっと低下している。(GDPデフレーター=名目GDP÷実質GDP×100。消費者物価指数と比べると、国内の企業の利益や労働者の賃金の変化に重心を置いた物価指数。消費者物価指数より上ぶれが少ないとされるー報告者注)

これらの指数の動きは、日本経済においてインフレ期待が抑えられていることを意味している。この国際的に孤立した状況は、日本経済全体のガラパゴス化が懸念される異常事態である。

GDPデフレーターの10数年間にわたる低下傾向の背景。それは、アメリカと日本におけるマネタリーベース(一言でいえば「中央銀行が供給する通貨」のことー報告者注)の供給量の変化率を見ると分かる。アメリカは、08年秋のリーマン・ショックの後にQE1、QE2という矢継ぎ早の量的緩和で対処し、GDPがマイナスにならずに済んだ。リーマン・ショックの直前と比べると、量的緩和を経た後のマネタリーベースは、4倍以上に膨れ上がっている。それに対して、日銀は、リーマン・ショックの前後でマネタリー・ベースにまったく変化がない。これで、GDPデフレーターが低下しないほうがおかしいくらいだ。

日銀の金融政策は、トランス・ミッション・メカニズムをまったく明らかにしていない。トランス・ミッション・メカニズムとは、量的緩和を実施した場合の波及経路のことである。例えば、マネタリーベースを増やす。すると、インフレ期待が高まる。すると、まず株価が敏感に反応する。すると次に、鉱工業生産高が伸びる。次に、設備投資が増える。そのような波及経路を日銀は明らかにしていない。

さらに、日銀の金融政策は、金利政策であって、緩和政策ではない。それでは、ダメである。日銀は、2%のインフレ目標をきちんと掲げるべき。そのために、当座残高を40兆円~50兆円に増やすべき。「資産買入等の基金」ではなくマネタリーベースを50兆円に増やし、それを保つ。(日銀は、一方では「資産買入等の基金」を増やし、他方ではマネタリーベースの諸項目を減らして相殺する、という詐術をたびたび弄してきました。そのせいで、市場が日銀の「緩和政策」を信用しなくなりインフレ期待が形成されにくくなっています。そういう不透明な事態を払拭するべきである、ということでしょう。また、当座預金は、マネタリーベースの3つの項目のうちの一つ。現状では、残高約32兆円。それを一挙に20兆円弱増やせと言っているわけです。デフレ・ギャップを一気に埋める意味合いがあるのでしょうー報告者注)

そうすれば、岩田教授の言うとおり、1ドル100円くらいの円安になり、株価は10000円くらいにまで上がる。円高とデフレは一日でも早く止めなければならない。

「インフレ目標値の設定」を新規に規定することを考慮に入れたうえで、日銀法は改正されなけらばならない。その要点は以下の3つ。

まず、〔通貨及び金融の調節の理念〕の第二条を「物価の安定『と雇用の最大化』を図る」とする。『』内が追加分。これは、アメリカのFRBと同じ趣旨。なお、日銀法には、「金融政策」という言葉とその「目的」という言葉とがなぜか欠落している。

次に、〔役員の身分保障〕の第二五条の「日本銀行の役員(理事を除く。)は、第二十三条第六項後段に規定する場合又は次の各号のいずれかに該当する場合を除くほか、在任中、その意に反して解任されることがない。」とあるうち、( )内を(『総裁、副総裁、』理事を除く。)とする。その趣旨は、いわゆる「執行部」の最高責任者は、すべて身分保障はないものとする、ということ。選挙で選ばれていない者が国家の金融政策を左右する権限を持ち、説明責任だけあって、結果責任は負わない現状の法システムはおかしい。結果責任を果たせなかったときは、選挙で選ばれた国会議員の頂点に位置する総理大臣によって解任されるのは当たり前のこと。(国民主権を貫き通すために必要な措置であると考えますー報告者注)

次に、〔外国為替の売買〕を規定した第四十条を「日本銀行は、『金融政策の』必要に応じ自ら~」とする。『』内が追加分。今の日銀の「資産買入等の基金」の積み上げでやっているのは、返済期間が一年未満の限りなく現金に近い資産を現金と交換していること。いわば、現金を現金と交換しているだけ。それでは意味がない。CP(コマーシャル・ペーパー)、社債、ETF(株式)、REIT(不動産)などは、現金とは明らかに性質の異なる資産なので、これらと現金との交換は、意味のある資産買い入れといえる。そういう、何かはやっているのだが、何の目的につながるのかはっきりしない行動を禁じるのが当条文の改正の趣旨。

日銀は、資産を現金と交換し、マネタリーベースを増やし、物価連動債の名目金利の動向からインフレ期待率をきちんと把握して、目的のはっきりと分かる買い入れをすべき。

最近、白川総裁と野田首相が会談した。日銀法改正の必要性を問われて、首相は「日銀はよく努力している」と評価した。現状では、日銀のパーフォーマンスを測る尺度がない。マネタリーベースをどれだけ増やしたかを尺度にするべき。

グローバリゼーションとは、産業革命が全世界に波及すること。イギリス・フランス・アメリカ→ドイツ・イタリア→日本→韓国・台湾・香港・シンガポール→中国・インド・ブラジル→ベトナム・ミャンマー→… という波及プロセスにおいて、世界中の実質賃金が下がっている。これは大きな問題。

経済効率と安定のバランスを保つことが重要。だが、それは難しい。市場原理主義は、効率ばかり追い求めるが、それではバランスを失している。

とにかく、一日でも早くデフレと円高から脱却すること。それと、雇用を増やすこと。そのために、公共事業を民間に委託する方策を求めること。以上が、自分の提言の要点。


*****

次は、浅田統一郎氏(中央大学経済学部教授)の基調講演です。

自分は、経済学者であるから、これまであまり政治問題への言及をしたことがなかった。ただし、今回の消費増税については言いたいことがある。それは、今回の消費増税に大義はないということだ。民主党・自民党ともに敗者である。

大手マスコミによる洪水のような増税キャンペーンにもかかわらず、国民の6割がいまだに消費増税に反対している。民主党支持者の増税反対は5割程度。自民党支持者の増税反対は6割。国民は意外とマインド・コントロールされていない。覚めている。

民主党・自民党ともに、その民意に反している。だから、大義がない。

政治家のみなさんには、そのことを肝に銘じて、来るべき総選挙に臨んでいただきたい。


ここからが、本題です。

日本の名目GDPに対する名目国債発行残高(地方債を含まず)の比率は、日銀法改正と橋本消費増税(3%→5%)が実施された1997年以降急激に増えている。具体的に言えば、97年に約50%だったのが、右肩上がりにどんどん増えて、05年には約105%に膨らんでいる。つまり、8年間で約2倍になっている。いわゆる財政悪化が進んでいる。

これは、消費増税によってもたらされたデフレ不況によるもの。名目GDPは97年のピーク時が520兆円。震災が起こる直前の2010年が480兆円。だから、40兆円の減少。

では、税収はどうかといえば、97年に比べて2010年は15兆円の減少。税収の源泉は名目GDPだから、名目GDPが減少すれば税収も減少する。税収が減少すれば、名目GDPに対する名目国債発行残高の比率は高くなる。

消費税の税率が3%から5%に2%上がるだけでこんなにひどいことになってしまったのだから、今後5%から8%さらには10%へ税率が上がると、もっと悲惨なことになるのは目に見えている
。(財政悪化を脱して財政再建を実現するために、消費増税を実施するのは愚策である、ということですー報告者注)

同じ97年から、政府支出は微減傾向にある。政府支出=政府最終支出+固定資本形成のうち、固定資本形成、いわゆる公共投資(道路・ダムなどのファンダメンタルズの構築)は、どんどん削減されてきた。(ピーク時の半分未満)公共投資にはいわゆる乗数効果があるので、公共投資の大幅な削減で負の乗数効果が生じ、名目GDPが減少するのは当たり前のこと。

それに連動する形で、97年から名目マネーサプライ(現金通貨+預金通貨+準通貨+譲渡性預金(CD))の成長率が減少している。89年のピーク時の12%からいまでは五分の一程度に鈍化している。

それに対応して、フィリップス曲線は97年から典型的な右肩下がりを描いている。つまり、消費者物価上昇率が97年に2%弱だったのがどんどん減少するのに対応して、完全失業率がどんどん上昇している
。(デフレ不況が進行しているということですー報告者注)ちなみに、96年から97年にかけて物価が0%から2%弱に急激に上昇しているのは、消費増税によるもの。増税分が物価に上乗せされたということ。

今まで述べてきたことは、次のようにまとめることができる。1983年から1993年の10年間に政府支出は2.06倍に伸びている。その結果、名目GDPは1.71倍に伸び、名目GDPに対する国債発行残高の比率は1.05倍とほぼ横ばいである。

次の10年間(1993~2003)には、政府支出は1.09倍と横ばい。その結果、名目GDPの伸びも1.02倍と横ばい。名目GDPに対する国債発行残高の比率だけが、2.31倍と2倍強の伸び。

では、1993年から2008年までの15年間ではどうかといえば、政府支出は1.06倍と横ばい。名目GDPも1.02倍と横ばい。名目GDPに対する国債発行残高の比率だけが、2.76倍と3倍弱の伸び。
(消費増税と公共投資の大幅削減と日銀の金融引き締めが名目GDPの停滞を招き、財政悪化を招いたということでしょうー報告者注)

長期国債の名目利子率<名目GDPの成長率。これが国債の安定条件(ドーマー条件)。2000年以降、この条件を満たすことができていないので、財政は悪化の一途をたどっている。

その根本原因は、不適切なポリシー・ミックス、すなわち、消極的な日銀の金融政策と政府(財務省)の緊縮財政である。


以上が、講演の内容です。時間の関係で教授が触れることのできなかったところをレジュメから抜き出しておきます。

2012年1月、米国FRBは正式に「インフレ目標」(下限1%、上限3%、平均2%)を導入。過去実績打率8割。

そのことにあわてて、2月14日に日銀が「インフレの目途」導入を発表(ゼロ・インフレを許容し、上限が2%、平均が1%という低すぎるもので、達成時期もコミットメント(拘束力のある約束)も責任も不明確)。過去実績 打率1割。「偽インフレ目標?」

日銀法改正の必要性 コミットメンと責任を法律で明確に

Bloomsberg2012年4月4日の記事

「2月の追加緩和にかかわらずマネー急速減:日本の本気疑う声も」
嶋中雄二氏(三菱UFJモルガン・スタンレー証券景気循環研究所長)のコメント「まるで金融引き締めを実施したような収縮ぶりだ」

現在の「偽インフレ目標」ではなく「真のインフレ目標政策」を

年率平均2%程度(下限はゼロではなく、プラス1%程度)のインフレ率とプラス4%程度の名目GDPの成長率を恒常的に維持する必要性(OECD諸国の過去10年間の平均並みに過ぎない)

20兆円規模の震災復興費用の全額を日銀引き受けで行うべき(復興増税は必要ない)

日銀問題の放置と消費税の増税は、日本を経済先進国クラブから脱落させる道


*****

〔パネルディスカッション〕16時~17時

☆モデレーター(いわゆる進行役) 勝間和代(経済評論家・中央大学大学院客員教授)

☆パネリスト 衆議院議員 小沢鋭仁(おざわ さきひと)民主党
       衆議院議員 中川秀直(なかがわ ひでなお)自民党
       衆議院議員 山本幸三(やまもと こうぞう)自民党
       衆議院議員 浅尾慶一郎(あさお けいいちろう)みんなの党
       衆議院議員 宮崎岳志(みやざき たけし)民主党

議員それぞれの発言を以下のようにまとめてみました。むろん、文責はすべて私にあることをお断りしておきます

☆中川秀直:政治家として、マクロ経済政策の基本をふまえることがいちばん重要と思っている。金融政策と財政政策は車の両輪のようなもの。連携すべきもの。ムダの削減は、いつでもやるべきこと。金融政策は、物価と為替を決めるうえで重要な手段。日銀はそこから逃げている。デフレ脱却のために、政府・日銀間のアコード(政策協定)の締結でインフレ目標2%超を打ち出すべき。規制緩和などによる供給サイドの成長戦略も行うべき。制度改革のよる利便性の追求・サービスの向上も重要。歳出の削減は、アレシナ(ハーバード大学教授)らの、「財政再建に成功した世界の事例を調べてみると、公務員給与・社会保障費などの歳出の削減7割、増税3割の黄金比が見出される」という研究結果から見ても、重要。消費増税の影響は、増税分が価格に上乗せできないという形でまずは現われるはず。現在の消費税滞納額は年間約3000億円だが、今回の消費増税がそのまま実施されたら、年間一兆円ほどの滞納額になるのではないか。その結果中小企業の倒産件数は大幅に増えるはず。

中川氏は、自民党でただ一人、消費税法案採決を欠席しました。その経緯を自身のブログで述べているものを掲載しておきます。

6月18日に開催された「全議員・選挙区支部長懇談会」において、自民党執行部より、

①民主党はマニフェストを事実上撤回した
②社会保障国民会議による社会保障改革の合意がない場合には増税できない
③増税実施半年前の閣議決定の段階でデフレを脱却していなければ増税しない

等の説明があった。私は、翌19日の党総務会において、谷垣自民党総裁に対してこれらのことを野田首相に対して党首会談で確認することを求めた。

しかし、党首会談は開かれず、昨日の国会審議において野田首相は、民主党はマニフェストを撤回していないと公言している。このまま増税法案の成立をさせることは、「民主党の公約違反の増税に加担することはできない」、「衆議院の解散に追い込み、政権を奪還する」との自民党の平成24年度運動方針に反する可能性がある。

よって、私は現段階で増税法案に賛成することはできない。

同時に、国益に反する民主党政権を一刻も早く終わらせることが喫緊の課題であり、わが党が次期総選挙に向けて一致結束し、デフレ不況の脱却と安心できる社会保障の確立の鮮明な旗を掲げて闘い抜かなければならない。

参議院の審議の過程で、わが党同僚議員による、民主党のマニフェスト撤回と正しい政策の実現を強く期待しつつ、法案採決に欠席する。 


☆小沢鋭仁:経済政策専門に政治活動をやってきた。「失われた10年」とも「失われた20年」ともいわれるデフレ不況とはいったい何なのかを10年ほど前から考えるようになった。2002年に枡添要一さんらと「アンチ・デフレの会」を発足させ、デフレについて勉強してきた。なかなか我々の考え方が多数派にならなかったのだが、勝間さんらとの共闘を組んだりするなかで、少しずつ永田町のコンセンサスが変わってきたように思う。しかしながら、政府は「脱デフレ脱円高」を目標として掲げているものの、いまだにこれといった具体策がない。だから、実は本気じゃないのではないか、脱デフレ・脱円高が必要だと本気で思っていないのではないかと思えてくる。日銀法改正はぜひとも成し遂げたい。ポイントは、日銀に掲げた目標が達成できなかった場合の結果責任を明記すること。それにしても、デフレ・円高についての問題意識の共有が難しい。これが最大のポイント。消費増税の景気条件(名目GDP成長率3%・実質GDP成長率2%達成)は、現状では留保条件にまったくなっていない。消費税については、デフレ下では税率を上げても税収が増えないことを理解すべき。増税については、マクロ経済政策の全体像のなかで考えるべき。「デフレは物価が下がるので悪くない。円高は、旅行するとき安くあげられるから悪くない。」そういう考え方がまだまだある。デフレは、経済停滞をもたらし、労働者の賃金を下げ、経営者にとっては、同じ努力をしても売り上げが減り、金利が変わらないので利子の支払いが大変になる。円高は、輸出産業にとって足枷になる。大変な問題であるという認識の共有が大切。政治家や官僚の間に「とにかく上げりゃあいいんだ」という感覚が蔓延している。財務省は、「消費増税に賛成したら予算をつけてあげるよ」という甘言で関係者を骨抜きにしようとする。諸悪の根源はデフレであり、デフレは貨幣現象なのだ、という認識の共有が大事。増税キャンペーンを展開する、大手マスコミの大本営発表が良くない。そんなことを繰り返しているマスコミはつぶれるに決まっている。NHKの大河ドラマ『平清盛』の人気がない。貨幣経済を日本に初めて導入したのは平清盛。しかし、日本人は経済のことがまったく分かっていない源氏の方がカッコいいと思っているし、こちらの方が人気がある。日本人はデフレが好きなのかもしれない。しかし、デフレに耐えるのがカッコいいという考えは正常ではないことに気づくべき。

小沢議員は、26日の消費増税法案の採決を棄権しました。その経緯についてご自身のブログで語っているのを掲載します。

私は26日、衆議院本会議において消費税増税など税制関連の2法案の採決を棄権しました。社会保障と税の一体改革関連8法案の採決のうち、社会福祉関係の6法案に賛成票を投じた後、議場を退席したのです。

私自身、消費税増税につき昨年の「民主党社会保障と税の抜本改革調査会」では会長代理を務め、政策論的に自分が方向性を示す責任者のひとりとして決めました。その経緯を踏まえると、今回の三党合意も『政策論としてぎりぎり許容範囲』といえるものでした。

しかし、前回選挙で『増税しない』とした国民との約束を反故にすることはできません。そこで、苦渋の決断として棄権を選択したのです。

今後は、今回の消費税増税法案にもみられるように、いつもゴタゴタした印象を持たせるとりまとめの過程を仲間と立て直し、民主党における政策決定過程の確立に汗をかいていく所存です。

「0増5減」の減員区での棄権議員となり、党からの公認の問題も生じる可能性もありますが、国民・県民の皆さまとの約束を破るわけにはいかないと考え、悩んだ末の選択でした。


☆浅尾慶一郎:税収は1990年がピークで60兆円だった。昨年は40兆円。3分の2に減っている。しかし、実質GDPは、1990年当時より大きい。それは、貨幣価値が高くなったデフレによるもの。だから、税収を増やすには、デフレから脱却するほかない。一つ提案したいのは、物価水準を測るGDPデフレーターに、土地や株や為替相場を含めるべきなのではないかということ。というのは、日銀が金融緩和をした場合、まっさきに反応するのは、株価であり、地価であり為替相場であるからだ。目下のデフレ下で、株価は四分の一くらいになり、地価は半分以下になっている。これらをGDPデフレーターに含めることを検討すべきではないか。消費増税について、財務官僚の頭の中には単純にかけ算しかないのではないか。5%で12兆5000億円の税収だから、1%上げれば2兆7000億円の税収増なので、5%上げれば2兆7000億円×5の税収増、くらいのことしか考えていないようだ。つまり、税率を上げれば単純に税収が増えると考えている。それが彼らの実情。財務省の人事評価は、増税が勝ち組、減税が負け組。日銀の人事評価は、利上げが勝ち組、利下げが負け組。それが実態。世間の感覚とかけ離れた、そういう人事評価を変えなければならない。軽減税率は財務官僚の権限が増えるだけだから危険。

みんなの党は消費増税反対が党是なので、浅尾議員ももちろん消費増税法案採決は反対票を投じました。

☆山本幸三:先の選挙で自民党はなぜ民主党に負けたのか。それは、デフレ不況のせいで国民の6割が自分たちは貧しくなっていると感じたからだと気づいた。デフレこそが政権交代の原因である。自民党は次の総選挙の公約に脱デフレ・脱円高を掲げている。それを実効性あるものにするために日銀法改正を公約に掲げるよう党本部をいま説得しているところ。消費増税は景気が加熱したときに実施すればいいもの。いまやることではない。今回は、消費増税法案に賛成した。それは、自分としては、日銀法改正と引き換えにした苦渋の選択だった。自公民三党協議をしたとき、自民党が民主党案のなかの景気条項を取り下げるよう求めたと聞いたとき、バカなことをするなと党本部に掛け合った。とにかく、日銀法を改正して、日銀に(政府とのアコードを締結して、コミットメントとして)インフレ・ターゲット政策を実施してもらわなければならない。そうして、予想インフレ率を高めてデフレから脱却しなければならない。今年の2月29日に財務金融委員会で白川総裁とやりあったとき、私が「日銀は、予想インフレ率を日銀の金融政策にきちっと応じて動いている物価連動債でその都度測るべきなのに、何故長期予想インフレ率なんてものを、怪しげなアメリカのコンセンサス・フォーキャストという会社の予測を根拠に鵜呑みにするのか」と質問したことがあった。欧米の中央銀行は、物価連動債で予想インフレ率を客観的に測定している。また、普通の予想インフレ率は長くても二、三年である。それに対して、このわけのわからないコンセンサス・フォーキャストというアメリカの会社は、六年から十年の予想インフレ率を出している。そこで「メド1%」という数字が出てきている。こんな検証の可能性が極めて低い数値によって政策決定するなんていい加減なことはよせ、と提言した。

財務官僚たちでマクロ経済政策を分かっている人なんて一人もいない。彼らの間では、増税すると仕事をした、という評価である。日銀の金融政策が功を奏して景気回復し、税収増が実現して財政内容が良くなったら困るから、日銀は財務省が増税を実現するまでは、まともな金融政策はちょっと控えてくれ、という阿吽の呼吸でやっている。白川総裁がまた「生産年齢人口が減るとデフレになる」なんてデマを飛ばしたので、きっちりと調べて論破した。デフレは物価を下げるからいいものだと真顔でいう議員もいる。固定相場制のときの頭のままで切り換えができない。ジェネレーション・ギャップは確かにある。日銀法改正を争点に政界再編をすべき。小沢新党はそれを織り込むべき。アメリカの経済学者のクルーグマンは、新卒の若者が給料の安い会社に入ったらほぼ一生その状態のままである、と言っている。日本の若者は、一五年間そういう状況下に置かれている。デフレ脱却は焦眉の課題である。

五人の議員のなかで一人だけ消費増税法案に賛成した山本議員は、いささかやりにくそうだったように感じられたのは私の気のせいでしょうか。

☆宮崎岳志:最近日銀の人事異動があった。企画局長というエリート中のエリートのポストに就いた内田氏が新任の挨拶に来たとき、年来の疑問だったことを尋ねてみた。それは、「資産買入等の基金」の中になぜ資産項目と貸出項目がごっちゃになっているのかという疑問である。内田氏の答えは「それは金利なんです」。つまり、オーバー・ナイト(超短期)の貸出の金利をまず0%に近づけ、次にそれよりやや長めのものの金利を0%に近づけ、その次に国債の一年以内のものを0%に近づけ、二年ものを0%に近づける、という考え方でああいうふうにズラリと並んでいるのである、と。それで年来の疑問が氷解した。日銀の「資産買入等の基金」は、金融緩和のためにあるのではなくて金利政策のためにあるのだ、と。つまり、日銀はゼロ金利政策だけに責任を感じているのであって、消費者物価指数や雇用などには責任を持ちたくないというのが本音のようだ。財務官僚と日銀官僚のマインド・コントロールも大きな問題。金融緩和の必要性を他の議員さんに訴えようとすると「それは危険だ」という反応がかえってくる。別に深い考えがあるわけではなく、単に財務官僚や日銀官僚がそう言っていた、ということらしい。さらに、「そんな簡単なことでデフレ不況から脱却できるなら財務省や日銀はとっくにやっているはずだ。でもやっていない。彼らがやっていないことはダメだ」となる。

(私自身、これに類することをたくさん体験しています。『お前が偉そうに言うことくらい、お前より頭の良い財務官僚や日銀が思いつかないはずがない。その彼らが、お前の主張をダメだと言っているのだから、お前は間違っている』という露骨な反応が透けて見えることがしょっちゅうです。日本人の官尊民卑は骨がらみのようですね。それを別名百姓根性と言います。これを隠し持っている人間に対して私はとても敏感なようです。これが実は民主主義の最大の敵ではないかと私は感じています―報告者コメント)

財務官僚や日銀官僚にとって、デフレは天災のようなもの。増税や金融引き締めによってデフレが生じても、それはたまたま起こったことで、自分たちの振る舞いとは関係ない。運が悪かったね、で済んでしまう。デフレの何が問題か。それは、雇用がなくなるからいけないのだ、という認識を共有することが大事。

☆☆☆☆☆

政治家や官僚の世界を身近なものとして知らない私にとって、衝撃的な事実が次から次に明らかにされた観があります。これらを踏まえて、これから物事を考えるようにしたいと思っています。みなさんにとっても、有用な情報がいくつかあってくれればと願っています。

最後に、モデレーターの勝間和代さんの進行ぶりがお見事だったことを申し添えておきます。明朗で、頭の回転が早くて、物事を的確にテキパキとこなす能力が高い人です。しかし、自分の才にばかり恃むのではなくて、人とのつながりを大切にしている感じがしました。これから、もっと大きな人になるような気がします。
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『竹田の子守唄』は世界水準の名曲である  (イザ!ブログ 2012・7・1 掲載分)

2013年11月22日 05時08分21秒 | 音楽
一九六〇年代前半、アメリカのサイモンとガーファンクルはイギリスや南米の民謡を取り上げ、『スカボロ・フェア』や『コンドルは飛んでいく』を歌いました。六〇年代後半に、今度はイギリスのフェアポート・コンベンションやスティーライ・スパンなどが自国やアイルランドの民謡を取り上げ、数々の名曲を生みました。いささか難しい言い方をすれば、近代という普遍性を追求する運動は、エスニシティへの回帰の衝動を不可避的に招来するということなのでしょう。

その世界的な波が日本にも伝わり、フォーク・グループの赤い鳥が、京都の竹田地区に伝わる伝承曲に着目し取り上げて歌い始めました。それが、『竹田の子守唄』。一九六九年十一月「第3回ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に彼らは関西・四国地区代表として出場し、この曲を歌ってフォーク・ミュージック部門の第1位を獲得、さらには他部門の優勝グループを抑え、グランプリをも獲得しました。

ちなみに、この時、オフコース(当時は「ジ・オフ・コース」)やチューリップ(当時は「ザ・フォー・シンガーズ」)も同コンテストに出場していました。財津和夫はオフコースを聴いて「負けた」と思い、オフコースの小田和正は赤い鳥を聴いて「負けた」と思ったというのは有名な話。そういう伝説が残るほどに、『竹田の子守歌』でのメイン・ヴォーカル山本潤子(当時は、新居潤子)さんの歌声が素晴らしかったということでしょう。

レコード会社側の「売らんかな」の皮相的な思惑で、歌詞の意味が分かりにくいと判断され、同じメロディに違う歌詞を載せて『人生』として一九七〇年に発売されたものの、さっぱり売れなかったそうです。それで、元の歌詞に戻して一九七一年に発売し直されたところ、爆発的に売れミリオン・セラーを記録しました。

この曲の歌詞は、次の通りです。

守りもいやがる
ぼんからさきにゃ
雪もちらつく
子も泣くし

盆が来たとて
何うれしかろ
かたびらはなし
帯はなし

この子よう泣く
守をばいじる
守も一日
やせるやら

はよもゆきたや
この在所こえて
むこうに見えるは
親のうち
むこうに見えるは
親のうち

戦前の日本の貧しい家では、10歳前後の娘さんたちが口減らしのために奉公に出されるのはごく一般的なことでした。この曲は、奉公先で子守をしている娘さんが、泣きやまない赤ん坊に手こずって困り果てている様を娘さんの立場から歌ったものです。

歌詞の内容についてちょっとだけ説明しておきましょう。

子守をしている娘さんは、なぜお盆以降を嫌がっているのでしょう。それは、やらなければいけないことが増えて忙しくなるからです。10歳前後の娘さんにとって、忙しくなることは、こき使われることを意味します。こき使われることは、奉公先のご主人や奥さんからお小言をたくさん頂戴することを意味します。それを思うと切なくなってきます。そうなると、ホーム・シックが募っても来ます。10歳前後と言えば、まだ親に甘えたい盛りです。当時の娘さんたちの真情が、歌詞とメロディとから切々と聴く者に伝わってきます。

「かたびら(帷子)はなし、おび(帯)はなし」というのは、どんな年中行事があっても、自分は、縄や紐でしばった着物一枚しかないので気分が晴れないと嘆いているのでしょう。オシャレが第二の本能と化している女の子にとって、こういうことの辛さは身に堪えるのではないでしょうか。

「いじる」は、いじめるという意味のようです。赤ん坊が泣き止んでくれないと、しっかりと子守をしていないじゃないかと、奥さんから叱られたりするので、赤ちゃんが私をいじめると言っているのでしょう。

「在所」。この一語があることで、この名曲は不幸な運命をたどることになりました。この語に京都では「被差別」の意味があるというのです。竹田が京都の伏見区に実在する被差別の所在地であることも不運な巡り合わせでした。(赤い鳥のメンバーは、そういう事情を当時全く知らなかったそうです)それで、各テレビ局が一斉にこの曲の放送を自主的に控えるようになったのです。放送禁止のリストに一度も載ったことがないのに、事実上放送禁止歌扱いをされ続けてきた。そんな馬鹿げたことが、つい最近まで続きました。

この曲の美しさに純粋に惚れ込み、心を込めて歌い続けた赤い鳥のメンバーは、そのような、事態の意外な展開に深く傷ついたことでしょう。ましてや、差別を助長するような内容はこの曲に一切ないのですから、やりきれない思いが募ったことでしょう。一九七四年という比較的早い段階でグループが解散していることに、彼らの、『竹田の子守歌』をめぐる複雑な思いが濃い影を落としているような気がします。

しかし、少なくともメイン・ボーカルの山本潤子さんにとって、この曲をめぐる30年間の理不尽な歴史は無駄ではなかったようです。「この美しい曲がなぜそんな理不尽な目に遭わなければならないのか」という想いが、彼女をこの曲の本質への深い理解に導いたことを、私たちは、彼女の歌声からうかがうことができるからです。

若いころに赤い鳥で歌ったころの彼女の歌声が素晴らしいのは論を俟ちません。しかし、数十年の歳月を経た彼女の歌声は、奥深さとしか形容のしようがないものが際立っているように感じられます。いまここで歌っていることと、はるか彼方から木霊が響くように歌っていることとが同時進行しているので、聴く者に名状し難い感情が湧き起ってくるのです。神がかり、という言葉がふさわしい気さえもしてくるほどに。そういう、言語化するのに困難を感じるほどの迫力は、昔の彼女の歌声になかったものです。

おそらく、後年の彼女の、ポップス・センスによって洗練された歌声は、日本文化の古層に届いているのでしょう。ここで、日本文化の古層とは、柿本人麻呂が「志貴島の日本(やまと)の國は事靈の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)くありとぞ」と歌い上げた、言霊の響きの交差する、時空を超えた豊饒な世界のことを指しています。彼女は、知的さかしらによってではなく、一人の感覚の鋭い表現者の直観によって、その世界に触れ得ているように、私には感じられるのです。だから、私たちは、この曲を聴いて心が本来の場所に戻ったような安堵感を抱くのではないでしょうか。もっとも、本人はそう言われてもポカンとするとは思いますけれど。

アメリカで犬畜生扱いをされ続けてきた黒人のやりきれなさを表現したフィールド・ハラー(労働歌)や黒人霊歌からブルースやジャズが生まれたように、日本の伝統社会で一番弱い立場である被差別の10歳前後の娘さんたちのやりきれない切なさを表現した子守歌から『竹田の子守歌』が生まれました。

そのルーツを、後年の山本潤子さんは、長い年月をかけて高度に洗練された感性で掴み直し、日本文化の古層にまで届くこの子守歌のエッセンスを今日に蘇らせたのです。

優れた表現者は、自分のナショナリティやエスニシティを深く掘り下げることによって、世界普遍性を獲得する逆説の果敢な実践者です。

ルイ・アームストロングやビートルズと並んで、『竹田の子守歌』の山本潤子さんは、そのような果敢な実践者の一人であると、私は考えます。『竹田の子守唄』は世界水準の名曲なのです。

60年代の欧米で巻き起こった、民謡へのポップスの接近のムーヴメントは、エスニシティを足がかりにして世界普遍性を獲得しようする表現拡張の試みであったことが、今なら分かります。その試みを、山本潤子さんは今もなお継続している、と見ることもできるでしょう。大した人ですね。

赤い鳥 竹田の子守唄(ライヴ)


*後期の赤い鳥は、2番の歌詞を「久世の大根飯 吉祥の菜飯 またも竹田のもんば飯」と変えています。理由は、分かりません。

山本潤子 竹田の子守唄
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ザ・ピーナッツ 伊藤エミさんの死去報道にちなんで (イザ!ブログ 2012・6・29 掲載分)

2013年11月22日 04時59分52秒 | 音楽
私は、小中学生対象のささやかな学習塾を経営しています。

今の塾業者は、生徒を教えるだけではなくて、彼らの保護者と面談して進路指導がちゃんとできることが求められています。

公立中学はいまだに偏差値追放の建前に縛られています。だから、保護者からすれば、我が子の進路について、身のある相談が学校の担当の先生とできないという事情があります。勢い、我が子を教えている塾の先生に頼る、ということがごく普通に行なわれることになります。

だから、塾の責任者は、私立学校による塾対象の説明会にマメに参加し、偏差値情報などを詳細に集めています。私も、もちろんそういう動きをするわけです。

昨日は、西武新宿線沿線のT女子校に行ってきました。われわれ塾業者は、夜型人間が多いので、午前中に実施されることの多い説明会は、情けないことですが、睡魔との闘いになるケースがよくあります。昨日は、特にそういう状態でした。

で、いささかウンザリしていたところ、ぞろぞろと同校の20人くらいの女生徒たちが私たちの目の前に現れて、合唱しはじめたのです。

一曲目は、ただぼおっとして聴いていました。旋律にあえて不協和音を織り込んだ難易度の高い曲で、ちょっと朝には合わないかなと思いました。朝といっても午前11時ですけどね。われわれ塾業者にとっては、その時間帯はまだ朝感覚なんです。

二曲目で、だんだん目が覚めてきました。女生徒たちが、懐かしいザ・ピーナッツのこれまた懐かしい『恋のバカンス』を歌っていたのですから。それも、可愛らしい振り付きで。AKB48なんかの商業的な臭いのする振りより、私なんかは、目の前の女生徒たちの自然体の振りの方がよっぽど可愛らしいと思いました。「陽にやけた ほほよせて」のところで、右手の人差し指でほほをそっと押し、「ささやいた 約束は 二人だけの 秘めごと」のところでは、胸のところで両手を交差させて、軽く首を傾げる。そんな単純な振りで、場を魅了してしまう。

パーフォーマンスが終了すると同時にやんやの拍手が巻き起こりました。かけ声までも聞こえてきました。説明会ではめずらしいことです。彼女たちは、オジサン塾長たちの心をすっかり掴んでしまったようです。

奇しくも、昨日の朝、ザ・ピーナッツの姉、伊藤エミさんが15日に亡くなっていたことが、報道されました。司会によれば、全然それを狙ったわけではないとのこと。偶然の一致というわけです。

昭和三〇年代前半生まれのわれらが「三丁目の夕日」世代にとって、ザ・ピーナッツの代表作と言えば、「恋のバカンス」でもなく「恋のフーガ」でもなく、実は「モスラの歌」です。これは、どうしようもないことで、われわれは、小学校に上がるかどうかという頃に、モスラやゴジラやガメラや大魔神に心を奪われてしまった世代なのです。

大した娯楽がほかになかった当時、田舎のションベン臭い映画館でそれらの怪獣映画を、われわれは大げさではなく全身で観たのです。小人役のザ・ピーナッツが、窮状に陥ったとき「モスラの歌」を歌って、モスラの助けを求めるシーンに、われわれは感情移入なんていう言葉では足りないくらいに、彼女たちといっしょになって「モスラよ、早く目覚めてくれ」と全身全霊をこめて祈ったのでした。それが証拠に、「モスラの歌」を聴くと、四〇数年間の時空を瞬時に超えて、当時の心持ちにすぐに立ち返ってしまうのです。

映画の中で、事態の真相を理解できない大人たちが、モスラを砲撃したりするシーンでは、悲しくて、切なくて、悔しくて、それこそ眩暈がしそうなくらいでした。

「モスラの歌」に込められた真摯な響きは、今でも、私の胸を打ちます。それは、ザ・ピーナッツの基本トーンでもあるような気がします。彼女たちは、真面目で一途な女性なのではないでしょうか。

その真摯で一途な響きをキープしながらも、成熟した大人になったピーナッツが歌った「大阪の女」は、後期の傑作です。「弱い女はあかへんわ」というため息のようなフレーズが、とても印象的です。ませガキだった当時、このフレーズにはっとしたのを覚えています。この曲での橋本淳の作詞のセンスは冴えわたっています。

伊藤さんは、ザ・ピーナッツの解散直後、歌手の沢田研二さん(64)と七五年に結婚しました。しかし、その後沢田研二さんが女優の田中裕子さんと不倫関係に陥り、結局二人は八七年に離婚しました。

伊藤さんは、おそらく死ぬまで沢田研二さんに対して真摯な思いを持ち続けたのではないでしょうか。「別れたら次の人」という感じがぜんぜんしないのです。当てずっぽうと言われてしまいそうですが、そういう古風な人でないと「モスラの歌」は歌えないような気がします。

よい歌をたくさんありがとう。

ご冥福をお祈りいたします。

説明会のことですか。合唱を聞いた後は、なんだかすっかり生き生きとしてきて、細い数字がよく頭に入るようになりました。歌って、すごいですねぇ。

http://www.youtube.com/watch?v=K_wQEQiVfoc モスラの歌

ザ・ピーナッツ 大阪の女(歌詞付).flv
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ジャーナリスト岩上安身はいま異彩を放っている  (イザ!ブログ 2012・6・28 掲載分)

2013年11月22日 04時45分39秒 | 政治
ジャーナリスト岩上安身。その名に注目し始めたのは、つい最近のこと。当ブログで取り上げた平智之元民主党議員の民主党離党の翌20日の彼へのロング・インタビュー(2時間!)におけるインタビュアとしての彼の力量に舌を巻いたのが、きっかけでした。

平議員は、反原発(本人の真意はもっと過激に即座の「禁原発」)の最前線に立ち続けてきた行動派の政治家であると同時に、原発の技術的側面に関する深い知識に裏付けられた知性派の政治家でもあります。だから、インタビューをする側に、彼の真価を炙り出す力量がなければ、無残なインタビューになってしまう危険性が高いのです。そういう意味で、インタビュア泣かせの「要注意人物」あるいは「難物」であると言っていいでしょう。

2時間のインタビューを最初から最後まで辛抱強く見聞きして、私は「平議員って、大した人物だ」と率直に思いました。また、私は正直に言って、これまで原発についての態度がフラフラしていたのですが、彼の話を聞いて、気持ちが脱原発に大きくシフトしたのも事実です。それくらいには、当インタビューは、私に衝撃を与えました。岩上氏は、ヘソ曲りの私の心をそこまでこじ開けるくらいの 「演出」をきっちりと出来るジャーナリストなのです。

むろん、平議員に対して異論がないわけではありません。突然の原発破棄と経済成長とはやはりどう転んでも両立しないのではないかと、私は思ってしまうのです。彼は、両立する、という立場なのですが。また、彼の「禁原発」の立場と大飯原発再稼働を甘受した橋下市長に対する高評価とは私の頭の中ではどうにも結びつきません。さらには、ベーシック・インカムの推進を是としているようですが、それもどうかと思います。これって、弱い者イジメの新自由主義政策の典型なのですから。彼は弱い者イジメが嫌いみたいなので、大丈夫なのかな、と。理系の頭の良い人ほど、フリードマンの、論理的に美しい空語にヤられてしまいがちなのですが、さて。

もっとも、他人同士がまったく同じ意見であることの方がまれでしょう。だから、当然のことながら、意見の違いは違いとしてはっきりと認識することと、相手を大した人物である、誠実な人柄であると認めることとは両立します。

彼に対する異論を展開し始めると、それはそれで長い話になってしまいます。そうすると、今回の投稿の主旨からだいぶ逸れてしまうので、今回もまたそれは控えようと思います。

とにかく一度観てみてください。2時間経って、「おお、民主党内にも、しゃんとした奴がいたんだな」と再認識すること請け合いです。彼の知的な誠意は疑いようがないと思うのです。「そんなことない。あいつはクワセモノだ。損をしたぞ!」と思われた方、ぜひコメントを。

http://www.youtube.com/watch?v=zp1khfRnKU8"

次に、消費増税法案の衆議院における可決直後の、有田芳生民主党議員に対する、これまたロング・インタビューがとても刺激的で興味深いものでした。

有田芳生氏と言えば、江川紹子とともにあのオウム真理教関連報道で露出度ナンバーワンのジャーナリストでした。

正直に言って、私が、議員としての彼に期待することはこれまで何もなかったのです。逆に、ちょっとうさんくさい感じさえ抱いていたほどです。「オウム報道で顔を売って、いまでは議員さんかい」といったふうな。

ところが、今回の、岩上安身氏によるロング・インタビューで、そんな「邪推」が払拭されました。というか、このインタビューで、国会議員「有田芳生」の存在価値がくっきりとあぶりだされることになったという印象が残りました。

具体的に言えば、このインタビューを聴く前と後とでは、例の「小沢一郎夫人書簡」のイメージが真逆になりました。これが、当インタビューの目玉であることは言うまでもありません。

世間では、「小沢一郎は、今回の奥さんの手紙を取り上げた、文春の私生活暴露記事によって、政治生命を断たれてしまった」とか、あるいは「小沢は、原発事故のとき、放射能が怖くて秘書と一緒に逃げた。そんな奴は政治家失格だ」という「風評」が一般的です。

ところが、有田議員によれば、この小沢報道の本質は〈謀略〉あるいは〈陰謀〉である、となります。その記事の主要部分が、事実無根であることを有田氏は力説します(彼は小沢派ではありません)。私は有田議員から、ほとんど説得されてしまいました。有田議員の言っていることがウソかホントウか、みなさんも、次に掲げるインタビューのアドレスをクリックして、自分の目で判断してみてください。お前は有田に騙されたのだ、というご意見をお持ちになった方、ぜひコメントを。

有田議員の指摘の数々は、単なるゴシップものをめぐる瑣末なおしゃべりとは言い難い。理由は二つあります。

小沢一郎は、陸山会政治資金問題をめぐって、検察と検察審査会による〈謀略〉あるいは〈陰謀〉にも巻き込まれています。それが、目下首謀者の減俸処分という軽い処置で揉み消されようとしています。有田議員によれば、小沢一郎夫人書簡の本質も〈謀略〉あるいは〈陰謀〉です。これは、偶然の一致でしょうか。私には、どうもそう思えません。なんとなく、個々の政治家を超えた大きな権力の存在を感じませんか。ぞっとしませんか。日本権力の闇のようなものと言いましょうか。有田議員は、その所在を示唆しているように感じられます。これが、理由の一つ目。

もう一つは、おそらく近いうちに実施される総選挙における国民の投票行動の自由度を、有田議員の語りは格段に広げてくれたこと。

次回の総選挙の争点のひとつは間違いなく、今回衆議院で可決された消費増税法案の凍結の是非であると、私は思っています。なぜなら、国民の過半数はいまだに消費増税に納得していないからです。その思いの受け皿に、小沢新党がなりうるかどうかは今後の国政を左右する大きなポイントです。

もしも、文春の言うことが本当だったら、というか一般国民がそのゴシップを鵜呑みにしてしまったら、いくら小沢新党が消費増税反対を力みかえって唱えたとしても、清き一票をそこに投じることに、二の足を踏んでしまうでしょう。後は、今のところ、みんなの党か共産党か社民党に投票するしかなくなってしまいます。それでは、あまりに選択肢が少ない。そんなことでは、国民の投票行動が、政治の閉塞状況を打破する勢いを得るのはまったく無理です。

有田議員は、そういう最悪の事態を鋭いジャーナリスト感覚に裏打ちされた話し言葉で事実上打破してしまったのです(大手マスコミは当然だんまりを決め込むでしょうが)。彼は、「政治家になったのに、いつまでジャーナリスト気取りをしているんだ」と揶揄されることがしばしばあるそうです。彼によれば「しかし、私はジャーナリストとしてのセンスを忘れない政治家でいたいのです」。その大きな成果が今回出たというべきであると、私は思います。有田議員のそういう基本スタンスの無視し得ない価値を、岩上氏は今回彼から引き出すことに成功したようです。予定は一時間だったところ、40分もオーバーしてしまい、有田議員は慌てて腕時計を見ていました。時が経つのも忘れて、つい話し込んでしまったのでしょう。岩上氏は、相手を話に夢中にさせる才覚に恵まれているようです。

このインタビューは、二人の優秀なジャーナリストの合作なのではないでしょうか。

話題は、小沢氏の人となり、新党の動き、拉致問題と多方面に渡りました。ぜひ、ご覧ください。

/http://www.ustream.tv/channel/iwakamiyasumi"

岩上安身氏のジャーナリストとしての手法は、ごくオーソドックスなものです。相手の話を丁寧によく聴き、同意できるところには共感を示しながら大きく頷き、ここというツボにさしかかると果敢に掘り下げる。つまり、彼は、「話すことは聞くことである」というコミュニケーションのつぼを心得たジャーナリストなのです。

そうやって彼は、話相手の真価を自ずと示し、事実をきちんと報道し、物事の真実を伝えようとしています。そんなふうにオーソドックスに踏み行えば踏み行うほどに、危ういくらいの迫力が生じてきます。臭いモノに蓋をしたがる人びとがそわそわと落ち着かなくなってきます。これこそ、ジャーナリズムの本道なのではないでしょうか。岩上氏の存在そのものが、「垂れ流し報道」「無責任な野次馬報道」に対する痛烈な批判になりえているように、私は感じます。

狡猾な周囲から潰されないように、しぶとくがんばってほしいものです。


*この後、私の岩上評は、ガラリと変わりました。脱原発運動への過剰な傾斜ぶりに対して、拭えぬ違和感を抱くようになったからです。彼のUSTREAMチャンネルが「原発反対ドン、ドン、ドン」の連中のお祭りさわぎの様子を延々と実況中継したときに、私の違和感はピークに達し、それ以降、彼の言動に注目するのを一切やめてしまいました。気が萎えたのです。
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