美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

太陽光発電推進は、国土を滅ぼす愚策中の愚策である

2022年05月29日 22時53分45秒 | 政治思想


前回アップした「橋下徹と上海電力」では、次のようなことを主張しました。すなわち《大阪市長時代の橋下徹氏は、山口敬之氏によれば、国民・住民の生命を支えるインフラを敵性国家である中共にゆだねる端緒を開いた。それは、中共の「静かな侵略」の片棒を担ぐ売国行為である》と。

今回は、池田清彦氏の『SDGsの大嘘』(宝島社新書)を援用しながら、太陽光発電推進それ自体が、国土を滅ぼす愚策中の愚策である》という主張を展開します。

SDGsの胡散臭さについては、以前拙ブログで取り上げたことがあります。「林千勝さん、SDGsの危険な本質を語る」
https://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/be3c24020bf74c6844c509f9a27af883

SDGsの、誰も反対できない17のスローガンのうちのひとつに「エネルギーをみんなに そしてクリーンに」があります。その美しいスローガンを具現した代表格が太陽光発電であると申し上げても過言ではないでしょう。

降り注ぐ太陽の光で発電ができるというのは、これ以上はないほどにクリーンでサステナブルでエコな発電方法であるような気がなんとなくします。池田氏によれば、ところがどっこい、これこそ「地獄への道は善意で敷き詰められている」典型である、となります。引きましょう。

誰に騙されているのか知らないが、今、日本全国の農地には続々とソーラーパネルが建てられている。なかには山林の斜面を削って、大量のソーラーパネルを並べ、メガソーラー発電を建設しているようなところもある。メガソーラーの設置に対する規制は甘いため、きわめて危険な場所に作られる場合も多い。

ご存じのように日本の農林業はかなり衰退している。農家の人たちが高齢化していたり後継者がいなかったりということで、就農人口が減少して、耕作放棄地や管理されていない荒れ放題の山林などがとても増えている。ただ土地を寝かせているだけではお金が生まれないということで、そこで続々と太陽光パネルが設置されているわけだが、これはサステナブル(持続的であること――引用者注)とは真逆だ。SDGs的な「飢餓ゼロに」や「陸の豊かさも守ろう」という目標とも真っ向から対立する。

その理由が次に述べられます。

ソーラーパネルを地面に建てて、そこで太陽エネルギーを奪っているわけだから、その下の地面にはそのエネルギーがいかない。これまでそこで生きていた生物は光合成ができないので死に絶える。当然、それを食べていた生物にも影響が出る。周辺の生態系も壊されていく。

それに加えて、一度ソーラーパネルを設置した土地を再び農地として使うということは、かなり難しいのだ。太陽エネルギーが届かないわけだから、土壌のなかにいる微生物などにも悪影響があり、農作物を育てる栄養素もなくなってしまう。その土地はいわば「死んだ」ことになる。

最近、化石燃料などのエネルギー資源とともに、穀物価格が全世界的に高騰しています。それを背景に、日本の食料自給率の37%程度という極端な低さがにわかに問題視されるようになっています。今後の世界情勢によって、日本が食料を輸入できないような状況に直面した場合、日本は、全国に広がったソーラーパネルを外して、そこで作物を育てようとしても、すでに土地は 「死んで」いるのだから、万事休すとなってしまうことが容易に想像できてしまいます。

池田氏によれば、太陽光発電の問題はそれだけにとどまりません。農地や山林のソーラーパネルは環境破壊を加速する恐れがあります。

景気のいいときに(ソーラーパネルを――引用者補)どんどん建てても、パネルが老朽化して撤去が必要となった際に、もし太陽光発電企業が経営難で倒産してしまっていたり、地権者側が破産したりしていたら、そのソーラーパネルは誰も管理しないまま、単にその土地や周辺の生態系を壊す瓦礫の山として放置されることになってしまうだろう。自治体が撤去するといっても、お金がかかるのだからそう簡単にはいかない。

パネルのなかにはセレン、カドミウム、鉛といった有害物質も含まれているので、管理者や地権者がそのまま逃げてしまって、誰も撤去する費用を出さなければ、ただ周辺の自然環境と生態系に悪影響を及ぼす「瓦礫の山」として放置され続けることになるに違いない。


太陽光発電の問題点は、それだけにとどまりません。

2021年現在、日本における中国製太陽光パネルのシェアは50%を超えています。また、太陽光パネルの核をなす結晶シリコンの大半は新疆ウィグル地区で製造されています。つまり、日本における太陽光発電の推進は、いま世界で問題視されているウィグル・ジェノサイドに加担する可能性が極めて高いのです。

これだけ多くのリスクや問題点を抱えた太陽光発電を推進することは、国土を滅ぼし、食の安全保障を脅かし、人道に悖る、愚行中の愚行、愚策中の愚策であることは、火を見るよりも明らかではないかと思われます。

小池東京都知事よ、いい加減にしなさい。
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橋下徹と上海電力ーー橋下徹は中共によるサイレント・インベージョンのキーマンである

2022年05月27日 18時30分39秒 | 世界情勢


「橋下徹と上海電力」。ジャーナリスト山口敬之(のりゆき)氏が3月から取り上げ始めたテーマです。インターネット上ではホットな話題になっているのに対して、MSMではまったくといってよいほどに取り上げられておりません。雑誌では『月刊Hanada7月号』がはじめて取り上げました。題して「橋下徹と上海電力の闇」。山口敬之氏による12ページ分の記事です。それを読んで、当記事を書いています。

上海電力は、中共政府の中枢である国務院直下の事実上の国営企業です。

そうして、中共政府と日本は、目下尖閣有事や台湾有事の勃発の危機を抱えています。当有事が勃発した際、中共政府が、咲洲(さきしま)メガソーラーなどいまや日本全国でメガソーラー事業を展開する上海電力に、国防動員法に基づいて、「発電を突然停止せよ」あるいは「異常な電流を流し込め」と命じることが可能です。

要するに、こういうことです。敵性国家の中共政府が支配する組織が日本人の生命や安全を守るインフラの核をなすエネルギー分野に参入するのは極めて危険である、と。

橋下徹氏は、大阪市長時代に、この危険な事態に日本を引きずりこむ端緒を故意に開いたのではないか。それが「橋下徹と上海電力」問題の核心です。

いささか詳細にふみこむと、橋下市長下の大阪市は咲洲メガソーラー事業に入札し落札した伸和工業と共謀して、

① きわめて不透明な入札を限られた業者にだけ告知した。
② ふつうは公表されない予定価格を事前に公表した。
③ 落札企業が期限までに発電を開始しなくても無罪放免とした。
④ 公共事業に参加する要件をまったく満たしていない上海電力の着工を容認した。
⑤ 加入日時を改竄してまで上海電力の支払い義務を圧縮するよう最大限の便宜を図った。

また、次は現在の大阪市の問題点となります。
⑥ 現在では咲洲メガソーラーの主たる事業者として上海電力を堂々と認定している。

以上のような到底看過できないもろもろの問題点が、山口氏の粘り強い取材によって明らかにされつつあります。

咲洲に続いて、兵庫県三田・茨木県つくば・栃木県那須烏山にも上海電力のメガソーラーが設置され、さらには山口県岩国や静岡県牧之原台地にもぞくぞくと設置がなされようとしています。

中共によるサイレント・インベージョンが具体的な分かりやすい姿で、わたしたちの目の前に現れてきた、ということですね。橋下徹は、そのキー・マンという位置づけなのでしょう。

それを白日の下にさらしつつある山口氏は、とても良い仕事をしています。橋下氏の山口氏に対する「元自称ジャーナリスト」という悪罵は的外れとしか形容のしようがありません。

山口氏の動画をふたつアップしておきます。

【橋下徹への公開質問状】橋下徹が「上海電力の大阪市発電事業への参入は入札」と述べたが、これは事実と全く異なる。入札を経ずに上海電力を「ステルス参入」させた「橋下徹スキーム」が問題なのだ。


【上海電力問題】大阪府の皆様に見てもらいたい、今までの経緯をきちんと説明。山口敬之×さかきゆい 山口インテリジェンスアイ
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「神は細部に宿る」、あるいは、川端康成『伊豆の踊子』との邂逅

2022年05月24日 21時37分49秒 | 文学

伊藤初代

*以下は、川端康成の「初代体験」をご存じの方にとっては、あまり興味の湧く読み物ではないと思われます。無視していただいてかまいません。

***

本を読んでいて、目が覚めるような思いをすることなどもはやないと思っておりました。

ところがつい最近、そういうことがあったのです。

渡辺惣樹さんの『第二次世界大戦とは何だったのか』の「あとがき」の次のくだりを読んでいるとき、文字通り図らずも、そういう経験をしてしまったのです。(指示語の内容を補ったりして、原文そのままでない箇所もあります。)

川端の『伊豆の踊子』を真の意味で鑑賞するには、川端の伊藤初代との強烈な失恋を頭に入れておく必要がある。大正六年(一九一七年)、川端は旧制第一高等学校に入学した。高校二年のとき、本郷にあるカフェ・エランの女給伊藤初代を知った。エランは当時の著名人谷崎潤一郎や佐藤春夫などが足繁く通う人気カフェで、初代は谷崎の仕草を真似たりして客を笑わせる人気者であった。

ここまでは、当時の文士や文士気取りの人びとにありがちな単なる風俗が淡々と述べられていると受けとめただけでした。

カフェの女将マスは、帝大法科の学生と恋に落ち、台湾銀行に就職する彼について行くため店を辞めた。マスは気に入っていた女給初代と多賀を台湾に帯同することを決め、郷里の岐阜に連れ帰った。しばらくすると、事情が変わった。二人の帯同が難しくなり、多賀は東京に戻り、初代はマスの長姉テイの暮らす岐阜西方寺預かりとなった(実質養女)。

上記引用中の「多賀」は、エランの新米の女給さんです。引用を続けます。

カフェ・エランに戻った多賀から、人気者だった初代の居所を知った学生たちの中にはわざわざ岐阜を訪ねるものがいた。その一人が川端であった。彼を誘ったのは友人の三明永無(みあけ・えいむ)だった。彼らが初めて岐阜を訪れ、友人らと初代を宿に連れ帰って手相などを見て他愛なく遊んだのは、大正十年(一九二一年)九月半ばのことである。初代は初め、川端のぎょろっとした目を気味悪がっていたようで、彼に惹かれてはいなかった。

三明永無は、川端と同級で三明が積極的にエランに川端を誘ったそうです。

川端らは十月にも再度岐阜を訪れ、初代を誘い出している。川端が、初代との結婚を決意したのはこのときであった。初代は、当時の少女らしく父親の許しがあればとの条件付きで結婚を承諾した。川端は早速友人ら四人と学生服姿で、初代の父が用務員をしていた岩手県江刺郡(現奥州市江刺岩谷堂)の岩谷堂尋常高等小学校に向かった(十月十五日)。翌十六日には、父忠吉から、「結構でございます。みなさんさえよければさしあげます。娘には大変気の毒な事をしておりますから」と許しを得たのである。

話の流れとは異なりますが、「奥州市江刺」と聴くと、大滝詠一フリークの当方としては、心に波立つものがあります。大滝詠一の生まれ故郷が同じく「奥州市江刺」だからです。

川端はすぐさま結婚の準備を始めた。菊池寛に相談し、親戚から当座のお金を工面した。そんなときに、突然彼女から結婚を止めたいとの手紙が届く(十一月七日)。驚いて岐阜に向かって会った初代の外貌は惨めであったらしい。何とか翻意をさせようとしたが、結局は絶交したいとの手紙が送られてきた(十一月二十四日)。

続けます。

彼女は心変わりの理由を川端に語ってはいない。川端が、その理由を初めて知ったのは別れからおよそ二年が経った大正十二年(一九二三年)の十月ごろである。彼女は、義父(僧侶)に犯されていたのである。この事件が公知となったのは、昭和二十三年に発刊された『川端康成全集』第四巻の後書きにおいてであった。川端が『伊豆の踊子』を発表したのは、彼が「事件」を知ってから三年経った大正十五年(一九二六年一月)のことであった。

この事実を知ることで、私は『伊豆の踊子』に密やかに込められた川端の、言葉にしがたい思いにはじめて触れることができたような気がしました。つまり、当方は長い時間を経てやっと『伊豆の踊子』との邂逅を経験できた。と同時に、作家・川端康成の深い悲しみの根幹にじかに触れたような気もしました。

むろん〈われわれの前には『伊豆の踊子』という一個の作品があるだけであり、そこから読み取りうるものがすべてである〉という考え方があるのは承知しています。それにも一理はあります。

しかし、上記の事実を知ってしまった後の当方が、それを知る前と同じように『伊豆の踊子』を、さらには作家・川端康成を受けとめることなどもはや不可能であることもまた事実です。そのことに、私は正直であらねばならないでしょう。

作品『伊豆の踊子』にとって、川端の初代体験は「細部」に他なりません。しかしその「細部」に当作品の「神」すなわち「真実」が宿っていることもまた確かです。

それにしても、川端が大作家になるために払った代償がいかに大きくて痛切なものであったのか。ついつい、それに思いをはせてしまいます。
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及川幸久動画【米国】パウエルFRB議長再任!米政府とロスチャイルドの通貨発行権の戦い【及川幸久−BREAKING−】

2022年05月22日 20時31分32秒 | 世界情勢


今回の及川動画は、いわゆる「神回」といっても過言ではないでしょう。

当方が世に広めたいと思っている「本当の近現代史」のツボを突く内容です。

なぜ、当方が「本当の近現代史」を広めたいのか。それは、当方を含めたごく普通の人びとが、戦争のない平和で豊かな世界で生きられるようになればと思うからです。それは掛け値なしであって、別に善人ぶっているわけではありません。

とにもかくにも「儲けたい」と思っている国際金融資本が、FRBの貨幣発行権を握っているかぎり、貨幣発行によって得る利子収入を得るために、彼らは、戦争・パンデミック・世界恐慌などの人類の災禍を、マスメディアを通じて次から次に作り出し続けます。世界の災いの根源がここにある、と当方は考えております。

今回の動画を要約すれば、次のようになるでしょう。

《米国の歴史は、通貨発行権をめぐる政府と中央銀行の闘いである。1770年代の独立戦争しかり、1812年の英米戦争しかり、1832年のアンドリュー・ジャクソン第8代大統領の登場しかり、1861年から65年の南北戦争しかり、政府に通貨発行権を取り戻しグリーン・バック政策を断行したリンカーン第16代大統領の暗殺しかり、FRBの通貨発行権を奪い返したケネディ第35代大統領の暗殺しかり、国民の所得税がFRBの利子支払いに充てられていることを調査したレーガン第40代大統領に対する暗殺未遂しかり、大統領執務室に民主党を創設したアンドリュー・ジャクソン大統領の肖像画を飾りFRBからの通貨発行権の取り戻しを画策していたトランプ第45代大統領の再選を阻止した不正選挙しかり。そうして、FRBの背後にはロスチャイルドがいる。》

以上は、トランプ大統領の再選をめぐる不正選挙が周知される以前において、「陰謀論」と蔑まれていた言説です。当方も長らく蔑む側にいたことを白状しておきます。

ロスチャイルドという固有名詞に違和感を抱かれるのなら、「国際金融資本」と言い換えても、一向にかまわないでしょう。

そのうえで、近現代史の「基礎知識」として、ぜひ、ごらんください。

この「基礎知識」は、アメリカの有権者の35%以上が共有しているものであり、日本の有権者のわずか1~2%が共有しているものでもあります。その数値の隔たりが、日米における政治動向やグローバリズムをめぐる問題意識の温度差の違いの根源である、と当方は考えております。


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『バック・トゥー・ザ・サイレント・ムービー(その1)』

2022年05月18日 14時42分11秒 | 文化

澤登翠弁士

ASREADというサイトにいくつか文章を載せたことがあります。それらを当ブログに再アップしておきます。このところ、政治経済を論じた無粋な論考が続いておりますが、実は文化への関心も人並みにあります。タイトルに(その1)とありますが、残念ながら後が続きませんでした。考えすぎちゃったんだと思います。これを書いたときの熱とサイレント映画の記憶と記録のすべてをもはや失っているので、いまや続編は書けません。もったいないことをしたと思います。

***

2014年10月29日『ASREAD』掲載

 サイレント映画の良さについて語ろうと思います。

 サイレント映画とは、せりふや音響のない映画のことです。せりふや筋立ては画面と画面の間に挿入される字幕で説明され、日本では活弁士がそれを音声化しました。不思議なのは、日本でだけ活弁士が重要な存在になったことです。

活弁士が“日本でだけ”重要視された理由とは
 おそらくそれには、歌舞伎や人形浄瑠璃で舞台の脇に「語り手」がいて物語の進行役をつとめる表現様式に当時の日本の観客たちが慣れていたことや、落語や講談という話芸の伝統の存在が大きく影響しているのでしょう。ちなみに、「せりふ」の語源は「競(せ)り言ふ」だそうで、そこに演技者の「身ぶり」の意味は含まれていません(漢字の「科白」にはその意味が含まれています)。また、音響は生演奏が担当しました。日本初の完全なトーキー(発声)映画と評される五所平之助監督の『マダムと女房』の登場が1931年ですが、35年ごろまではサイレントが作られています。観客たちがトーキーに慣れるまで時間がかかったのでしょうね。

 先日池袋新文芸座で溝口健二監督の『瀧の白糸』(1933)と『折鶴お千』(1935)を観ました。もちろん両方ともにサイレント映画で、弁士付きです。

 『瀧の白糸』については、かつての名活弁士・徳川夢声による「活弁トーキー版」と澤登翠(さわとみどり)女史によるものとのふたつを観ました。また『折鶴お千』については、同女史によるものと斎藤裕子女史によるものとのふたつを観ました。

「言葉に対する感覚の鋭さ」を日本人は持つ
 いま、「澤登翠」の名が二度出てきました。どうやら彼女が現在の活弁界の第一人者ともくされているようです。あるインタビューによれば、若かりし日の彼女は定期大卒で入った出版社を早々に辞めた後、一人でできる仕事を探して思い悩む日々を過ごしていました。「人との競争や人間関係を上手にやっていくことが苦手だった」と率直に語っています。ある時、ひょんなことから無声映画鑑賞会で上映される『瀧の白糸』を観に出かけ、「映像と語りと音楽が一体になって、時にさざ波となり、時に大きなうねりとなって押し寄せてくるのを感じ、その心地よさに心身ともに、まさに至福の時間を過ごした」そうです。その時の弁士が、松田春翠氏。彼女はその感動をぜひ伝えたいと思い、氏の自宅を訪問しました。いろいろと話しているうちに、気がついたら、その場で弟子入りすることに。そのときを境に、彼女は活弁士の道を歩みはじめます。

 思えば、私がはじめてサイレント映画を見たのは三年前の四月二九日、作品は往年の大女優・栗島すみ子主演、島津保次郎監督の『麗人』(1930)でした。″六歳の高峰秀子が男の子役で出ているからとりあえず観ておこう″という軽い気持ちで池袋新文芸座に出かけたのでした。そのときの活弁士が、たまたまと申しましょうか、澤登翠女史だったのです。

 映画の細部はおおむね忘れてしまいました。覚えているのは、女史の活き活きとした見事な語りの力によって、80年あまりの時代のへだたりを超え、あまり鮮明とはいえない画面のなかにゆるゆると入っていく自分を感じたこと、主人公で女学生の鞘子(栗島)が、知人の男子学生・浅野(奈良真養)から乱暴を受けて妊娠してしまい一度は人生に絶望するがやがてひとりで生きていく決心をする殊勝なこころばえに(陳腐な筋立てだと十分に知りながらも熱い涙がこぼれてしまったこと、観終わったときおのずと会場の観衆と一緒に、映画と弁士に向けて心からの拍手をしたこと、そうして会場が懐かしいとしか言いようのない温かさでいっぱいになったこと。それくらいです。私がサイレント映画を人並み以上に熱心に観始めたのは、そういう経験がきっかけです。(つづく)
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