美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

MMTの変わり種・モスラーの『経済政策をめぐる7つの嘘っぱち』を訳してみました(その18)

2019年08月26日 14時57分20秒 | 経済


*今回から、「Deadly Innocent Fraud #2」です。連邦政府の財政赤字についての議論が続きます。「次世代の子どもたちにツケを回すな」というのは、選挙での候補者たちの訴えの常套句ですが、それはまったくの誤りである、という趣旨の議論が展開されます。

ひどい無知による嘘っぱち#2:
 「私たちが財政赤字を残すことは、次世代の子どもたちに借金の重荷を背負わせることである。」

事実:
 〈総合的に判断すれば、本当の意味において、そのような重荷などありえない。借金があろうとなかろうと、次世代の子どもたちは、彼らが生産しうるものは何でも消費するのだから。〉

この、財政赤字は次世代の子どもたちの重荷になるという嘘っぱちは、人びとが政府の財政赤字に関連した主要な問題に言及するとき、開口一番、飛び出してくる文言の定番です。いま借金することは、今日の出費に対する後の支払いを意味する、というのです。もしくは、メディアでよく見聞きするがごとく、

今日の財政赤字の増加は、明日の税金の増加を意味する” 

後にツケを回すことは、私たちの子どもたちの生活水準や一般的な幸福度が財政赤字のせいで将来低下することを意味する、と。もし連邦政府が財政赤字を出したら、将来世代によって支払われるべき重荷が残されることになる、と彼らは考えているのです。

そうして赤字の数字は、安定せずよろめいている!

しかし、幸運なことに、ほかのすべてのdeadly innocent fraud と同様に、この嘘っぱちもたやすく理解されうる方法で進んで捨てられています。実際、次世代の子どもたちが、いわゆる“国の借金”なるもののせいで、将来の財やサービスを奪われているという考えは、馬鹿げているというよりほかはありません。

ここに、それがよく分かるお話しがあります。数年前、私は、セントクロイクスのボート乗り場の桟橋で、コネチカット州の元上院議員で知事のローウェル・ウェイカーと彼の奥さんのクローディアに偶然出会いました。私は、ウェイカー知事に州の財政政策の何が問題なのか尋ねました。彼は「われわれは財政赤字の増加と次世代の子どもたちに今日の支出のツケを回し重荷を残すことを止めなければなりません」と返事をしました。

それを受けて、私は、できうることならば彼のロジックの背後にある欠陥をあぶりだそうとして、次のような質問をしました。「次世代の子どもたちが、いまから20年間毎年1千5百万台の車を作るとすれば、彼らは借金を清算するために2008年に舞い戻らなければなりませんか。私たちは、第二次世界大戦がもたらした長引く借金を清算するために1945年に舞い戻っていまだに財やサービスを送り続けていますか」と。

そうして今日、私はコネチカット州の上院議員に立候補していますが、何も変わっていません。ほかの候補者たちの進行中の訴えは、自分たちは支出に対する支払いのために中国のようなところからお金を借りていて、子どもや孫たちにツケを回しているといったものなのです。

もちろん私たちはみんな連邦政府の赤字を清算するために昔に舞い戻ってそこに財やサービスを送ったりしていないことや次世代の子どもたちもまたそんなことをするには及ばないことを知ってはいます。

過去の財政支出によって、次世代の子どもたちが、働いて彼らが生産しうる財やサービスが生産できなくなる理由などまったくありません。合衆国財務省債券がどれほど際立って多かったとしても、次世代の子どもたちの将来において、今日がそうであるのと同じく、生きている者はだれでも、働いて財やサービスという生産物を生産し消費することができます。過去のせいでいまの生産をあきらめたり、前世代に舞い戻ってそれを送り届けたりするいわれはまったくないのです。仮に、彼らがそうしたいと思ったとしても、です。

赤字財政を補填することは、まったく重要ではありません。政府が財政支出をするとき、単に私たちの銀行口座の数字が増えるだけです。もう少しきちんと言えば、私たちが利用するすべての商業銀行は、アメリカの中央銀行であるFRBに準備金口座を設けています。FRBに設けられたこれらの準備金口座は、どの銀行においても設けられている当座預金口座のようなものです。

課税なしで政府が支出をするとき、FRBの適切な当座預金口座(準備金口座)の数字が増えるだけのことです。これは、例えばあなたが政府から2000ドルの社会保障の支払いを受けるとき、あなたの銀行がFRBに設けた当座預金口座の数字が2000ドル増え、自動的にあなたの銀行に設けたあなたの口座の数字もまた2000ドル増えることを意味します。
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ブログアップが滞っております。

2019年08月24日 10時36分50秒 | ブログ主人より


ブログアップが滞っております。

いま自塾が夏期講習会という繁忙期の真っただ中で、なおかつ、理系志望の高3生が夏期講習会から入塾し、理系数学と物理の受講を希望するとの意向を受け、文系出身の当方としては、予習することを余儀なくされ、それに膨大な時間を割くことになっている、という事情があります。

目下進行中MMTの訳、中途挫折の多い当方ではありますが、やり遂げる所存ですので、みなさま、お見捨てなきようお願い申し上げます。
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MMTの変わり種・モスラーの『経済政策をめぐる7つの嘘っぱち』を訳してみました(その17)

2019年08月20日 01時15分03秒 | 経済

緊縮財政生一本で、日本は世界で唯一20年間もデフレを続けている「ユニーク」な国家になってしまいました。

*今回で、嘘っぱち#1、終了です。

政府自身に余剰が見出しうるから、という理由だけで、政府のサイズを拡大するのはもっと良くありません。もう一度申し上げます。政府の財政は、政府がどれだけの大きさであるべきなのかについて私たちになにも教えてくれません。政府の大きさをどうやって決定するのかは、政府の財政とは完全に独立しています。政府支出の正しい額は、税収や借入能力とは何の関係もありません。税収や借入能力はともに公益のために実施する政策のための単なる道具であり、支出するかしないかの判断基準ではないし、実際の政府支出に必要な収入の源泉、すなわち財源ではないのですから。

私は、本書において後ほど、政府の役割とは何であるかについてはっきりと述べるつもりです。しかし、安心してください。私のビジョンは、はるかに合理化された効果的な政府、基本的な公共的目標にきっちりと焦点を当てた政府に向けられています。幸運にも、これをなすためのかなり有用で明瞭に分別のある方法がいくつかあります。私たちは、チャンネル市場が、はるかに少ない規制で公共的な目標をより促進するためのガイドを伴って強制する場所に正しい誘因を置くことができます(*)。

*当訳文に該当する英文は、「We can put the right incentives in place which channel market forces to better promote the public purpose with far less reguration.」です。あまり自信が持てません。特に「channel market」がピンときません。どなたかご教示願います。

これは、世界の羨望の的であり続ける政府と文化をもたらします。それは、私たちが本当の誇りを持って敬意を表しうるところの、熱心な労働への報酬、イノベーション、機会の平等の促進、公平な結果、実施しうる法律と規制という、私たちアメリカ人の価値を表現する政府です。

いささか脇道に逸れてしまいました。税金はどれくらいの高さであるべきかという問題に立ち返りましょう。そうして、もしも政府が買いたいと思うものだけを単に買おうとし、私たち国民の消費力をまったく取り除かないならば、無税国家が誕生することになるでしょう。それは、“多すぎるお金が、少なすぎる商品を追いかける”という事態を招き、とどのつまりインフレをもたらします。事実、税金がないならば、ちょっと前に論じたように、政府が発行したお金と交換される売り物が最初からまったく提供されないことでしょう。

*税金の支払いのために、「市場に商品を提供してお金を稼ごう」というモチベーションがまったくなくなるからです。

政府支出がそういうインフレをもたらさないようにするために、政府は、私たち国民の消費力のいく分かを取り除かなければならないのです。繰り返しになりますが、なにか支払いをするために徴税するのではなくて、政府支出がインフレをもたらさないようにするためにするのです。経済学者は次のように言うかもしれません。すなわち、税金の役割は総需要を規制することであって、税収を増やすことそれ自体ではない、と。別言するなら、政府が私たち国民に課税し、私たちのお金のいく分かを取り除くのは、インフレを防ぐためであって支出するために私たちのお金を分捕るためではない。

もう一度言います。税金の役割は、経済を規制し調整することであって、議会が支出する分のお金を国民から分捕ることではない。

さらにもう一度言います。政府は、ドルを持っているわけではないし持っていないわけでもない。政府は支出するとき単に銀行口座の数字を増やし、課税するときその数字を減らしているだけのことです。そうするのは、たぶん、経済の規制や調整という公共的な目的を達成するためです。

しかし政府が、「新たに財政支出をするためには、課税するかもしくは国債を発行して財源をその分増やさなければならない。別言すれば、政府の支出額は、課税したり国民から借り受けたりする能力によって限定される」という、7つの欺瞞の第一項を信じ続ける限り、生産活動や雇用の邪魔をする政策を支持し続け、私たちが相当に有用な経済的な結果を達成するのを邪魔だてすることでしょう。

*この20年来の日本政府による経済政策の愚かしさの本質が、「嘘っぱち#1」だけによっても見事にあぶりだされている、と感じるのは私だけでしょうか。
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いまの子どもたちにとって、ほんとうに必要なことはなんだろう(SSKレポートVol.156夏号 掲載)美津島明

2019年08月07日 17時54分56秒 | 教育

*20年度から実施される教育改革が、いま鳴り物入りで喧伝されています。いわく、主体的で対話的な深い学びを実現するアクティブラーニングの導入。またいはく、小学校でのプログラミングの必修化。さらにいはく、「覚えること」から「どう使うか」への教育の重心の移動。ついでにいはく、グローバル人材の育成。云々、云々・・・。子どもたちの実態をよく知る者としては、よくぞここまで現実離れした空疎な言葉を連ねることができるものだと、半ばあきれながら感心することしきり、というのが正直なところです。そんな感想を通奏低音としてふまえていただきながら以下をお読みいただくと幸いに存じます。(編集者 記)

***
当方、新井紀子氏の『AI VS 教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)を読んで、子どもを教える現場に身を置く者として、いろいろと思うところがあり、筆をとりました。

新井氏は数学者なので、言っていることが理路整然としています。本書の前半の内容は、以下の通りです。ちなみに氏は、2011年にスタートした「ロボットは東大に入れるか」、略して「東ロボくん」という人口知能プロジェクトの責任者です。ご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。

① 「真の意味でのAI」とは、「人間の一般的な知能と同等レベルの知能」である。また、厳密な意味での「シンギュラリティ」とは「真の意味でのAIが自分自身よりも能力の高いAIを作り出すようになる地点」である。
② 「真の意味でのAI」には、決して「シンギュラリティ」は来ない。「来る」という主張は、ロマンや空想の類である。
③ なぜなら、AIが人間の一般的な知能と同レベルの知能を実現するには、人間の脳が意識無意識を問わず認識していることをすべて計算可能な数式に置き換える必要があるが、数式に置き換えることができるのは、論理的に言えること、統計的に言えること、確率的に言えることの三つだけであるから。AIはどんなに発達しようともただの計算機に過ぎないのである。端的に言えば、AIは足し算と掛け算に翻訳できないことを処理しえない。

職業柄、「東ロボくん」の成果が気になりますね。

結論からいえば、「東ロボくん」は、いまだに東大に合格できる見通しが立っていません。しかしながらなかなかの善戦ぶりで、最後に受験した「2016年度進研模試 総合学力マーク模試・6月」で5教科8科目の偏差値は57.8。学部にもよりますが、MARCHや関関同立レベルには達しています。

 では、「東ロボくん」は、どうして東大レベルに達することができないのでしょうか。それは、国語・英語が苦手だからだと氏は言います。

 たとえば、東大の2次試験を想定した「2016年度 第1回東大入試プレ」において、数学(理系)は偏差値76.2、世界史で51.8でした。数学は、東大理Ⅲレベルに達しているのです。他方、英語は偏差値50.5、国語は49.7と偏差値50付近で伸び悩んでいます。

 ではなぜ「東ロボくん」は、国語・英語が苦手なのでしょうか。氏によれば、それはAIが「常識の壁」を乗り越えることができないからです。本書から引用しましょう。

私たち人間が「単純だ」と思っている行動は、ロボットにとっては単純どころか、非常に複雑なのです。冷蔵庫から缶ジュースを取り出すという単純な作業を行うとき、人間はとてつもない量の常識を働かしています。缶。ジュースはどこにあるのか。押し入れや靴箱には入っていない。冷蔵庫にあるはずだ。冷蔵庫はどこにあるか。玄関ではない。台所だ。どのドアはどうすれば開くか。そもそも缶ジュースはどのような物か。冷蔵庫のどこを探せば見つかるか。ジュースを取り出すとき、邪魔になるものはどうするか。冷蔵庫にジュースがなかったらどうするか・・・・・、こんな複雑なことを一瞬のうちに判断しているのです。

氏によれば、上記のような、中学生が身につけている程度のごく普通の「常識」は、AIにとって、気が遠くなるほどの膨大な量であり、AIにそれを教えるのは、とてつもなく難しいことなのです。

要するに、AIには「意味」が理解できない、ということです。

AIの本質を成す数学は、論理的に言えること、確率的に言えること、統計的に言えることは、実に美しく表現できる。

しかし、人間なら簡単に理解できる、「私はあなたが好きだ」と「私はカレーライスが好きだ」との本質的な意味の違いを数学で表現することには非常に高いハードルがある。これが、「東ロボくん」の国語・英語の伸び悩みの根本原因である。氏は、そう述べています。それゆえAIは、せいぜい偏差値60あたりが限界だろう、東大合格は無理だろう、と。

数学の限界がすなわちAIの限界。要するに、そういうことですね。

以上をふまえたうえで、次に問題になるのは、ただの計算機に過ぎないAIに代替「されない」人間が、いまの社会の何割を占めているか、です。

というのは、「東ロボくん」は、東大に合格することはできませんでしたが、ホワイトカラーを目指す若者の上位20%に入ることができたからです。

逆に言えば、子どもたちの80%は、「東ロボくん」すなわちAIに負けたのです。人手不足が叫ばれる昨今、今後の10年から20年間、AIが全社会的に急速に広がった場合(当然そうなるでしょう)、私たち大人は、この負けた80%に明るい未来を提供することができるのでしょうか。

この問題意識は、「教科書が読めない子どもたち」という現実の恐ろしいお話につながってゆくのですが、どうやら紙面が尽きたようです。

大急ぎで、新井氏が「中3までの子どもたちが、教科書の内容をきちんと理解できる読解力を身につけることが何より大切であり、あるべき教育改革の核心はそれに尽きる」と主張していることを付け加えておきますが、その詳細については、またの機会に。 
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