美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

いじめ問題の人間論的基礎 大津市いじめ自殺事件をめぐって  (イザ!ブログ 2012・7・21 掲載)

2013年11月24日 07時38分05秒 | 教育
大津市のいじめ事件でいま世論は沸騰しています。私も教育の端っこに位置する者として、少なからず関心があります。阿比留瑠衣さんがiza!の自身のブログで、いじめ問題を取り上げていた(七月十八日)ので、私はコメントを二回も投稿しました。彼のブログはいつも超人気で、いつもいろいろな人がさまざまなコメントを投稿してきます。だから、ここのコメント欄で展開されている対話は世論の縮図といっていいでしょう。

まずは、阿比留さんの投稿内容について。タイトルは、『「いじめ」を受けた側は一生忘れないという現実について 』。

いじめ、についてであります。以前のエントリかコメント欄でも書いたことがあるように思いますが、私も小学校1、2年生のころ、通学班の上級生からいじめられたことがあります。言葉でのいじめのほか、通学途中、ただでさえ3月生まれで体の小さい私を、彼らがからかいながら冬のどぶ川に突き落としたことなどを、今でもとてもはっきりと記憶しています。毎日がとても辛く、苦しかったことは忘れようがありません。

ご自身の小学校低学年のころのいじめ体験を語る印象的な書き出しです。それを踏まえたうえで、阿比留さんは、いじめの加害者に向かってこう語りかけます。

あなたは、今いじめている相手から、一生恨まれ、機会あれば復讐される覚悟があっていじめていますか。あなた自身は軽い気持ちであり、いつか相手のことを忘れても、いじめられた側は、絶対に忘れません。この切実で悲壮な思いに時効などありません。相手は常にあなたの存在を不快かつ排除すべきものと思い続けます。将来、仕事や何かの事情であなたと相手が再びあいまみえ、関係を持たざるをえないことだってあるのです。私も、今は生活上、何の関係もないHやSとどこがでかかわりを持てば、決して平静を保てないし、許すこともないでしょう。

私は、社会評論で心を深く動かされることは滅多にないのですが、上の文章にふれて、衝撃を受け、深い感銘を受けました。阿比留さんが、自分の正直な声に耳を傾けて物を書いている、いいかえれば、深い人間洞察に基づいて物を書いている人であることが、はっきりと分かったからです。

阿比留さんは、次のような対処療法を提示して、この文章を結んでいます。

たとえ本質論から外れていようと、今そこにあるいじめを少しでも減らすためには、ありとあらゆるレトリックと法体系、マスコミその他を通じた社会的制裁を行使し、とにかくいじめなんてやってられないよ、という状況を一刻も早くつくるべきだと愚考しています。私は個人的な体験もあり、何が嫌いと言って、いじめや差別ほど嫌いなものはありません。

よく言われることですが、すぐれたジャーナリストは、「鳥の目」と「虫の目」を合わせ持っています。「鳥の目」とは、全体を見渡す鳥瞰図的な視点であり、「虫の目」とは、地面を這いずり回る現場感覚にあふれた視点です。この文章では、主に「虫の目」が強調されています。が、すぐれたジャーナリストである阿比留さんは、「鳥の目」の視点を書き込むことをこの文章においても忘れていません。

大津市の件では、何より問題なのは学校と現場教師であり、事実上、学校と共犯関係にあった市教委であることは間違いありません。私がこのブログでしつこいぐらいに書いてきた山梨県の事例を引くまでもなく、教育委員会の事務局は教師の出向者の集まりであり、教育長の多くは教師の退職後の天下り先であり、今回の事例では詳しく把握していませんが、そうしたもたれ合い構造の背景には教職員組合の存在があります。

その上で、この文章においては「虫の目」を強調することによって、阿比留さんは、いじめ問題を考える上での人間論的な基礎を提示することに成功していると私は考えます。では、「いじめ問題を考える上での人間論的な基礎」とは何なのでしょう。それは、タイトルにあるとおり、『「いじめ」を受けた側は一生忘れないという現実』です。

では、私がコメント欄に投稿した内容とそれに関わる他の方のコメントを時系列順に並べてみましょう。

いろいろなハンドルネームが登場しますが、それらはすべて阿比留さんのブログのコメント欄への投稿者です。

Commented by 美津島明 さん
「悪心影」さん へ

>犯罪者から子供を守るべき人達が全く動かなかった。
>そのために結果、犯罪者に殺されてしまった。
>色々言われていますが、結局こういうことだと思います。

私も、次第にそういう印象を強めています。「atoms3001」さんがおっしゃっていたように、〈①「自分は悪くない」と責任を逃れる、②「自分は知らない」ととぼける ③「出来ることならば、自分は関わりたくない」と見て見ぬフリをする〉という(菅前総理のような)小役人根性の持ち主ほど、普段は、やれ平和だ、やれ人権だとキレイごとをならべているのですが、いざとなれば、我が身可愛さから、保護すべき生徒が犯罪に巻き込まれて命を落とした可能性から、目を背ける、とても醜い心根の持ちであることが多いことを今回再認識しました。ここで民主党批判をする気はないのですが、それにしても、滋賀県大津市の教育関係者一同と歴代の民主党執行部の言動パターンがそっくりなのには、思い半ばに過ぎるものがあります。

阿比留さんの、自分の体験を交えた「イジメは損」という考え方に、心からの賛意を表します。いじめられ、命まで奪われた側の怨み・つらみは、一生消えません。そういうリアルな人間認識に基づかなければ、被害を受けた人間に対する深い共感は生まれません。そこに根ざさない論は不毛であるとも思います。加害者を「許す」ことの方が人間として高級だ、などという考え方は、弱者の辛さに根ざさない非人間的な寝言であると思います。

いじめを受けたことによる屈辱感や被害感や悔しさや加害者に対する殺意は、子どもの世界だけのことではありません。私は、以前勤めていた会社で上司から受けたいじめに対して、いまだに屈辱感や被害感や悔しさや加害者に対する殺意を抱いています。おそらく、一生許すことはないでしょう。だから、阿比留さんのいうことがとてもよく分かります。(ちなみに、私と同時に同じ会社に入った年若い知り合いは、私をいじめた上司と同じ人物によるいじめが原因で、強度のうつ病を患い、いまだにその後遺症に苦しんでいます)

自分の持つそういう限界や心の狭さを謙虚に受け入れることが、すべての議論の出発点であると私は考えています。繰り返しになりますが、物事を深く考え抜く基礎は、自分の素直な声にできうる限り静かに耳を傾けようとする姿勢です。

Commented by 美津島明 さん
「やせ我慢A」さん へ

>イジメって、100%悪いことでしょうか?
>イジメって、根絶できるものなんでしょうか?
>私は疑問に思っています。

この論点については、「よもぎねこさん」の視点でおおむね解決できるのではないでしょうか。「よもぎねこ」さんは、こうおっしゃっています。

>「苛め」と言って済むのは「仲間外れにされる」「悪口を言われる」ぐらいまでで、今回の大津の事件のような物は集団暴行、恐喝、自殺教唆などの犯罪として教育ではなく司法の手で処理すべきだと思います。

つまり、教育が対象とする「苛め」が、心身の具体的脅威を感じるにまで程度がはなはだしくなった事態は、「苛め」とは区別して、「犯罪」として司法の対象になる、という考え方が常識になることが必要なのではないでしょうか。

その場合、〈教育関係者の責任は、「犯罪」の被害者である生徒の保護者に事実を告げることである〉という考え方を徹底することが必要と思われます。

つまり、われわれ自身が「自分で抱えきれない問題を抱えようとするのが良い教師」というストレスフルな共同幻想から訣別しなければならないのではないかと私は考えます。

そうすると、現場の教師たちもいい意味で大分楽になるはずです。現場の教師のストレスを増やす方向で世論が沸騰するのは、彼らが預かる生徒たちや保護者にとって得策ではないと考えます。


このコメントに対して、「やせ我慢A」さんから、次のような丁重なご返事をいただきました。

Commented by やせ我慢A さん

美津島明さん へ

>つまり、われわれ自身が「自分で抱えきれない問題を抱えようとするのが良い教師」という>共同幻想から訣別しなければならないのではないかと私は考えます。

>そうすると、現場の教師たちもいい意味で大分楽になるはずです。現場の教師のストレス>を増やす方向で世論が沸 騰するのは、彼らが預かる生徒たちや保護者にとって得策ではないと考えます。

とても参考になる視点を、ありがとうございました。

どこまでがイジメか? という定義すら無い状態で、また、イジメが、どんな状態でどのように発生・エスカレートするのか、といった基本的な観察をすっ飛ばして、精神論・道徳論・日本的教育批判・戦後教育批判…などばかりで、疑問を感じていました。


なお、「yuurimorucot」さんの次のコメントは「予言的」でした。

Commented by yuurimorucot さん

阿比留さんに全く賛同いたします。親たちも自分の子供がいじめる側にならないように、育てていくことが大事ですね。とかくこういう事件が起きた時、日ごろ「人権、人権」と叫ぶ人たち、「平和、平和」と叫ぶ人たちはダンマリを決め込むんですよね。(民主党の輿石さんや前文科大臣の地元の川端さんとかも)


なぜなら、その数日後、民主党輿石幹事長が次のコメントを公表したからです。

記者 大津市のいじめ自殺事件への所見を

輿石氏 非常に残念なこと。だれが責任がある、ないなんて問題ではない。尊い人の命をなくしてしまう、自ら命を絶つ、そういうのは大変なことなんで。学校が悪い、先生が悪い、教育委員会が悪い、親が悪いと言ってる場合じゃないでしょう。みんなで、そういうことのないようにきちんとやっていく、ということだと思います。

記者 教育現場にいた立場から、何が問題だとみるか?

輿石氏 それは、なかなか簡単に「こういうところに原因がある」という、そのことが分かれば、防げるでしょう。そう簡単ではないでしょう。


見事なまでに、倫理観ゼロの事なかれ主義が露呈されている発言です。こういう脳みそ空っぽの人間にとてつもない権力が集中している現実をどう形容すればいいのか、私は適切な言葉が思い浮かびません。

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