美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

由紀草一の、これ基本でしょ? その1 北朝鮮による拉致問題

2016年03月26日 15時05分36秒 | 由紀草一
由紀草一の、これ基本でしょ? その1 北朝鮮による拉致問題

〔編集人より〕由紀草一氏による時事問題シリーズの第一回です。まっとうかつユニークな切り口にハッとさせられます。読後、拉致問題解決のはなはだしい難しさを痛感させられます。



最初に御断り。私は、新聞や雑誌、ネット記事や書籍に書いてある基本的なことしか知りません。新情報なんて、あるべくもない。それでも、私から見て決して逃すことができないポイントだと思えることを、知らないような顔をして、展開されている議論をけっこう見かけます。浅学非才の身も顧みず、警鐘を鳴らしたくなるような。

従って、そんなことはとっくにわかっているよ、という人には、以下は全くの無駄口にしかなりません。それ以上に、私こそとんでもない思い違いをしているかも知れない。その場合には諸賢の御叱正を願いたい、という思いも込めて、今後いくつか時局談義をこちらに寄せたいと思っております。

今回は朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)関連。この国は、今年に入ってから水爆実験や長距離弾道ミサイル発射を強行し、3月2日には国連安保理の五つ目になる対北朝鮮制裁決議「2270号」が採択されました。先行きが注目されるのは当然ですが、日本政府は現在「拉致・核・ミサイルの包括的解決」を目標として掲げています。そのことの是非・巧拙はしばらく措くとして、ここでは、やや影が薄くなった感じのする、拉致被害問題を採り上げます。

近年の動きは以下です。平成26年5月の日朝政府間協議の結果、同月29日に出た、協議の場所から「ストックホルム合意」と呼ばれている文書があります。北朝鮮が「日本人の遺骨及び墓地、残留日本人、いわゆる日本人配偶者、拉致被害者及び行方不明者を含む全ての日本人に関する調査を包括的かつ全面的に実施する」ことと引き換えに、日本が独自に取っていた(国連安保理決議に基づくものは別)北朝鮮に対する経済制裁などの措置の解除を約束したものです。

そして北朝鮮が調査のための特別委員会を設置したと言った時点で、日本の制裁措置は一部解除されましたが、先方からの報告のほうはいっこうに来なかった。いや、一応報告書は作成されたが、一番肝心の拉致被害に関する部分が、北朝鮮の従来の主張を繰り返すばかりで、全く進展が見られなかったので、日本側が受け取りを拒否したのだ、とも言われています。

そして本年2月7日の長距離弾道ミサイルの打ち上げに対して、日本政府は10日、独自の追加経済制裁措置を決定。すると12日、北朝鮮は拉致被害者などの調査を全面中止する、と通告。ストックホルム合意の事実上の破棄宣告で、日本側は認めない、と言っていますが、これで拉致をめぐる日朝間交渉は、平成26年5月以前にもどってしまった、と考えられます。つまり、全くの手詰まり状態に。

日本側の対応には何か手抜かりがあったのでしょうか。いやそれより、この問題を今後前進させるには、どのような方策が考えられるのでしょうか。拉致被害者蓮池薫氏の実兄で、「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(以下、家族会)元事務局長・蓮池透氏が昨年の12月に上梓した著書『拉致被害者たちを見殺しにした安倍晋三と冷血な面々』(以下、『冷血』)を手掛かりにして考えてみましょう。

『冷血』は、家族会から厳重に抗議されています。それより先、国会でも。1月12日、衆議院予算委員会で民社党の緒方林太郎が安倍総理に向かって、「あなたは、この本に書いてあるように、拉致を使ってのしあがった男でしょうか」と質問、安倍は、「そういうことは議論する気すら起こらない。私が嘘を言っているなら、国会議員をやめる」と答弁。

17日には参議院予算委員会で日本の心を大切にする党代表の中山恭子が、質問の形で、「蓮池透さんは自分では気がついていないかも知れないが、北朝鮮の工作関係者に利用されている」と発言しています。それに対する安倍総理の答弁の中には、「北朝鮮は常に国論を二分しようと、様々な工作を行う。それに乗ってはならない」というのもありました。

蓮池氏自身は最初のうち、家族会の中でも対北朝鮮強硬派として知られていたのに、その後反省した、と言います。その心境の変化については、「いつまでも北朝鮮はケシカランばかり言っててもラチが明かんだろ。向こうも一応国家なんだから、対話路線でいくしかないんじゃないか」と、誰かに説得されたのかも知れませんが、北朝鮮の工作員に洗脳されたとは思いません。また、世論を二分するのが北朝鮮の狙いだというのが正しいとしても、日本に言論の自由がある以上、二分でも三分でもするのが自然であり、国論を無理に統一しようなどというほうが危険です。それなら、北朝鮮の体制のほうがすぐれている、なんてことになりかねない。

ただ、『冷血』には、矛盾があるのは事実で、それは蓮池氏個人の問題と言うより、この事案全体の困難を象徴しているもののようです。

まずタイトル。政府が平成14年に帰国した拉致被害者やその家族に対して冷たかったというのは、初耳で、確かにちょっとひどい。北朝鮮に二十年以上いて日本での生活の基盤もない人に、月に十三万円の手当、収入を得た場合にはそれも減額、というのはいかにも安すぎる。それでも、「拉致被害者たちを見殺しにした」とまで言うのは、やや羊頭狗肉に思えます。

安倍や中山が、拉致問題解決に尽力して、それで政治家としての声明を得たなら、何も問題はありません。蓮池氏が言いたいのは、「彼らは拉致被害者五人とその家族の帰還を含め、この問題では実際は何もしていないのに、手柄顔をして政治家としての地位を築いた。けしからん奴らだ」ということです。

一方で、小泉純一郎への評価はとても高い。「いまも昔も、小泉首相は唯一無二の『行動する政治家』だった」(P.116)と。彼はとりあえず、二度にわたって訪朝し、拉致被害者とその家族合計八人を奪還した。安倍らは、何をしたと言おうと、なんの成果も挙げていないではないか、ということです。マックス・ウェーバーも言うように、政治家には結果責任が問われてしかるべきなのだから、それも宜なるかな、とは思います。しかし、小泉の成果そのものが、独特のアイロニーに基づいたものであったことは見逃し得ないでしょう。

平成14年9月17日のことについて、蓮池氏自身がこう書いています。

金総書記の口から発せられた、「拉致被害者五人生存、八人死亡、その他の人は入国が確認されていない」という言葉を日本側は鵜呑みにして、小泉首相は日朝平壌宣言に署名した。もしこのとき、日本政府が必死に拉致被害者を探していたのならば、生存者を速やかに連れて帰ることは当たり前、死亡というのであれば、いつ、どこで、なぜ、ということを追求し、その証拠が出てきた場合、信憑性を確認するとともに、犯人の処罰や損害賠償を請求して然るべきであった。 (P.97)

全くその通り。すべての被害者についてこういうことがなされて初めて、拉致事件は「完全解決」したと言えるのです。しかし、日本側がそう要求したら、そこで話がこじれて、平壌宣言はなかったでしょう。五人の帰国だって、どうなったか、危うい。

これらを逆に見ると、この時、拉致被害問題は、日朝双方にとってさほどの重要事だとは考えられていなかったようなのです。

『冷血』にもあるように、これ以前、日本のこの問題への関心はとても低かった。拉致が事実かどうかさえ、疑われていた。また、韓国では、朝鮮戦争時を含めると三万人以上が拉致されていると言われていますが、今に至るまでそんなに騒がれてはいない。

そこで国防委員会委員長・金正日の思惑。日本から、戦時賠償金でも援助でも、名目はなんでもいいから金を取りたい。向こうから言ってきている国交回復に乗るべし。交渉がスムースに運ぶための手土産として、日本からさらってきた人間がいるのを認めてやろう。少々高い買い物になるかも知れないが、将来まで考えたら損はないはずだ……。

と、いうのはあくまで私の推測ですが、それほど大きく外れてはいないでしょう。いや、少しでも当たっていたら、驚くべき話ですね。考えてみてください。あなたのお子さんがさらわれた。誘拐犯が二十数年後にその子を返した。だからと言って、犯人に感謝しますか? 冗談ではない、でしょう?

たぶん他人の命なんて屁ぐらいに思っている金委員長に、こういう感覚が薄いのはしかたないとしても、日本側も五十歩百歩だったようです。上の引用文のような要求はしなかったばかりか、被害者五人は「一時帰国」として、つまり一週間程度でまた誘拐犯のところへもどす約束をして、帰国させたんですから。彼らの人生より、日朝友好のほうが大事だと思っていたのだろうと言われてもしかたない。権力の座にいると、ついそんな気持ちになってしまいがちなんでしょうかね?

その後、御存じの通り、北朝鮮への非難が囂々と巻き起こり、帰国者五人は日本に留まることになった。そう勧めたのは巷間言われているような安倍や中山ではなく、自分だ、と蓮池氏は主張するのですが、どちらにしろ輿論の後押しがあって実現したことに違いはない。

そして、機を見るに敏なることにかけては天才的な小泉は、「拉致問題の解決なくして日朝国交正常化なし」に豹変し、それを安倍も引き継いでいるわけです。しかしこれは、日朝国交正常化を果てしなく遠ざけることになった。だって、北朝鮮の現体制では、拉致問題の満足な解決なんて、望むべくもないんですから。

伝えられるところによると、金委員長は、小泉に向かって、「拉致は私の知らないところで実行された。その時の責任者はもう処罰した」と言った、と。しかし安明進の証言http://www.sukuukai.jp/report/item_1949.htmlなどからすると、拉致指令は金正日その人から出ている。いや、安明進なんて怪しい男の証言をまつまでもなく、独裁国で、独裁者が知らないうちにこんなことが行われると信じるほうがずっと難しい。で、果たしてそうなら、「犯人の処罰」は、最高責任者である金正日から真先に行われなければならない。そんなことを、彼自身や彼の後継者が認めるか。それこそ、口が裂けても言わないでしょう。
 
でも、これからが本当にやっかいなんですが、拉致被害者の救出をあきらめるわけにはいかない。ならば、無理は承知で「対話」を続けるしかない。何が無理かって、「対話」であるからには向こうの言い分も少しは認めなければならないところです。何を認めればいいんですか?

私は不明にして知らなかったのですが、前出安明進証言によると、北朝鮮は公式にこんなことも言っているそうです。「日本が北朝鮮に対して植民地支配をしたせいで大きな被害を受けた。従って、わが民族の統一のために日本の被害は当然だ」。

よく言うよ、ですけど、日本の中にも、「日本が過去の罪にきちんと向き合い、清算してこなかったことがこの場合も」云々、などと言う人がいるんで、驚き呆れるより脱力してしまいます。まさか、だから北朝鮮による朝鮮半島統一(普通、南に対する侵略、と言うのですよね)に協力しろとまで唱えるわけではないでしょうが。じゃあ、なんなんですかね、いったい。

日本がかつてかの国に何をしたにもせよ、それを、その当時は生まれてもいなかった一国民が背負わなければならない責務などない、と良識のある人ならクドクド言うまでもなくわかるでしょう。が、それ以上に。

北朝鮮が拉致したのは日本人だけではありません。脱北者や帰国できた被害者の証言などから、前述の韓国人を始め、中国人・フランス人・ギニア人・イタリア人・ヨルダン人・レバノン人・オランダ人・ルーマニア人・マレーシア人・シンガポール人・タイ人も被害にあっていることが明らかになっており、最近ではアメリカ人も一人、拉致された疑いが濃いとのこと(チャック・ダウンズ編『ワシントン北朝鮮人権委員会拉致報告書』)。

これらの国の大半が、歴史上一度も、大韓帝国とも北朝鮮とも紛争の経験はなく、現在も北朝鮮とは国交があります。即ち、両国間の過去がどうあろうと、また現状がどうだろうと、拉致問題とはなんの関係もない。そこで「過去の清算」を言い出すのは、日本が大東亜戦争中にやったことを反省しようとする気など本当はなく、政治的に何かの為にする議論か、反射的に出てくるクリシェ(決まり文句)と化していることの、何よりの証拠に他なりません

「いやあ、あんまり固いこと、言うなよ」とも言われそうですね。保守派の論客として知られている人が次のように書いているのを、ついこの間読みました。

国民の安寧秩序を守るのが国家の第一の仕事なのだから、今も北朝鮮にいる拉致被害者を放っておくことはできない。しかし日本には憲法九条があって、軍事力に訴えるのは禁じ手になっている。いつかはこんなの、改正するのが望ましいにせよ、ともかく今はできない。ならば、「金をやるから、さらった人を返せ」しかない。誘拐犯に身代金を払うということで、もちろん正規のやり方とは言えないが、現に世界中で行われていることだし。

なんか、昭和52年の、日航機ハイジャック事件を思い出しますが。いや、考え方としてはそれもアリかな、とは思います。でも、前述の本質的倫理的な問題には目を瞑って、実際的にのみ考えても、まだ問題がありそうです。第一に、ミサイル開発の一部に使われそうな金を拠出すれば、きっと国際的に非難されますが、他にも。

ダッカの事件の時には、誰が人質か、はっきりしていましたが、拉致された日本人は誰で何人いるのかがそもそも特定できていません。そのための、ストックホルム合意での、調査だったわけです。現在日本政府が認定しているのは十七人、「救う会」から独立した民間団体・特定失踪者問題調査会の推計では約百人、警察庁が本年2月に発表した「北朝鮮に拉致された可能性が排除できない行方不明者」の人数は883人。一方の北朝鮮は、公式には、最初に認めた十三人以外は知らない、と言い続けています。

それでも、「一人につきいくらで、金をやるよ」と言えば、金額によっては出す可能性はあります。でも、一遍にではなく、少しづつ値段を吊り上げたり、他の条件を付けながら、じゃないですか? そんな、文字通り人をバカにした、厭らしい「交渉」に耐える心の準備をまずしないといけない。
だけではなく、これは結局、日本が相手なら拉致は商売になる、と教えてやることです。だったら今後も……とは考えられませんか? あの国がこれからはもうやらないとか、やっても日本の警察力が必ず防ぐ、とか、誰か保証してくれますか?

一応の結論としては、金一族の独裁体制を打倒しない限り拉致問題の完全解決はないし、妥協点も見つからない。でも、日本だけではそんなことはとてもできないし、他国の拉致問題への関心は低いようですから、ミサイル問題などとリンクさせて、国際的な協力体制で追いつめていくしかない。

つまり、現在の政府の政策支持、ということになるので、我ながら面白くないんですが。なんでもかんでもお上に反対して、それだけで一廉の人物になったような気分に浸っていればいいという歳でもないですし、まあ仕方ないです。それとも、他に妙案はありますか?
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極私的田恆存入門 その1「一匹にこだわる心」  (由紀草一)

2016年03月18日 18時34分08秒 | 由紀草一
極私的田恆存入門 その1「一匹にこだわる心」  (由紀草一)
極私的田恆存入門 その1「一匹にこだわる心」 (由紀草一) 私淑している田恆存について、自分のブログで、「田恆存に関するいくつかの疑問 その1(アポカリプスより出でて...


由紀草一氏の秀逸な田恆存論です。当論考を掲載できることは、編集者冥利に尽きます。
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「協同組合」をその歴史から考えてみる(その1)(美津島明)

2016年03月09日 23時33分28秒 | 経済
「協同組合」をその歴史から考えてみる(その1)(美津島明)


ロバート・オーエン

三橋貴明氏の『亡国の農協改革』(飛鳥新社)を読んでいろいろと考えたことをきっかけに、当論考を書き始めました。今回は、埼玉県私塾協同組合の機関誌『SSKレポート』の最新号に掲載した「その1」を掲載します。一見ちょっと地味な論考のようですが、そうでもないような予感があります。「協同組合」の問題を掘り下げていくと、過酷な競争社会のなかでいかに生きるべきかとか、圧倒的な拝金主義の奔流のなかで自分はいかなる価値観を抱いていきていくべきなのか、また、どうやってその実践を実りあるものとしたらよいのか、といった実存的諸問題が、ごくリアルな形で自分に突き付けられる思いがするからです。また、私が協同組合という結社の形にこだわるのは、ごく卑近なところでどうやって、現代版資本原理主義の権化であるグローバリズムの圧倒的な押し寄せをいささかながらでも押し返すことができるか、という問題意識があるからでもあります。

***

はじめに
今回からしばらくの間、「埼玉県私塾協同組合」という名称のなかの、「協同組合」という言葉に着目した話を展開してみようと思っています。「協同組合」には、いったいどんな意味合いがあるのか。そうして、この結社形態にはどのような社会的可能性があるのか。そういう問題を、「協同組合」の歴史をふりかえることによって掘り下げてみようと思うのです。そういう試みが、埼玉県下の初等・中等教育を底辺のところで日々支え続けている中小学習塾の活動をいわば黒子としてサポートする役割を担う埼玉県私塾協同組合に資するところがあれば幸いであると思っています。明晰な自己認識こそがさらなる発展の基礎である、という命題は、組織にも個人にも当てはまる普遍性を有するものと思われます。その意味で、埼玉県私塾協同組合の「明晰な自己認識」に資するところが多少なりともあるような話ができれば、と考えています。

協同組合の定義
これから協同組合について、いま申し上げたように、その歴史的展開を軸にしながら、いろいろとお話しをしていくつもりなのですが、まずは、その定義をはっきりとさせておきましょう。漠然としたイメージだけで話を進めると、書き手にとっても読み手にとっても、無用の混乱を招きやすいので。

協同組合の定義については、国際協同組合同盟(ICA=International Co-operative Alliance)のものが普遍的であると思われるので、ここでも、それを採ります。

それをごらんいただく前に、ICAの概要について触れておきましょう。

ICAは、世界各国のさまざまな協同組合によって作られている国際組織です。ICAには、世界九五カ国から生協、農協、漁協、森林組合、労働者協同組合、住宅協同組合、信用協同組合など、あらゆる分野の二八四におよぶ協同組合組織が加盟しており、組合員の総数は、10億人を超えます(二〇一五年一月現在)。10億人といえば、世界の人口は約70億人とされているので、その7分の1に当たります。世界の7人に1人がなんらかの形で協同組合に関与しているということになります。ICAは、国連に登録された世界最大のNGO(非政府組織)でもあります。

ICAは、1995年、イギリスはマンチェスターで開催された「ICA100周年記念大会」で、「協同組合のアイデンティティに関するICA声明」を採択し、「協同組合の定義・価値・原則」を定めました。これは、世界中のさまざまな協同組合の指針となっています。

そのなかで、協同組合の「定義」は次のようになっています。

「協同組合は、共同で所有し民主的に管理する事業体を通じ、共通の経済的・社会的・文化的ニーズと願いを満たすために自発的に手を結んだ人々の自治的な組織である。」


何度読み返してみても、なるほどよくできた定義であると、感心してしまいます。

この定義は、「声明」が規定する協同組合の「価値」と合わせて読めば、その意とするところの理解が深まります。「価値」は、以下のとおりです。

「協同組合は、自助、自己責任、民主主義、平等、公正、そして連帯の価値を基礎とする。それぞれの創設者の伝統を受け継ぎ、協同組合の組合員は、正直、公開、社会的責任、そして他人への配慮という倫理的価値を信条とする。」

これらを読むと、協同組合とNPOの違いが気になってきますね。両者は、ともに、株式会社のように営利追求を目的とする組織でない点では似ています。しかしNPOが、公益を実現し社会的な使命を達成するための組織であるのに対して、協同組合は、組合員の「経済的・社会的・文化的ニーズと願いを満たす」こと、すなわち、「組合員の生活向上」を目的とする組織である点が異なります。

イギリスにおける近代的協同組合誕生の歴史的背景
共同体の成員同士が助け合う相互扶助の歴史は、人類の誕生とともに始まったものと思われます。しかしここでは、話を近代に限りましょう。

今日にまで続く「制度としての協同組合」すなわち近代的協同組合が誕生し、初めて成功を収めたのは、十九世紀の半ばのイギリスにおいてです。その具体的なお話は次にするとして、まずは、その歴史的背景について触れておきましょう。それをおさえておくことが、協同組合とはなんぞや、を理解するうえで、きわめて重要であると思われるからです。

イギリスでは、一七三〇年代から約百年間、人力にかわって機械の動力を使う機械制工場生産の確立をもたらした産業革命が進行しました。イギリスで最初に産業革命がおこったのは、①名誉革命(一六八八~八九)によって、絶対王政が終わりをつげ、議会主権にもとづく立憲王政の基礎が確立され、地方に定着した中小地主層であるジェントリが、政治の主導権を握るようになり、中央政治への国民の精神的エネルギーの吸い上げが可能になったこと、②地主貴族が中小農地を併合して大農地をつくり(囲い込み〈エンクロージャー〉)、農業の生産力が高まり、これを資本家が借りて近代農法による市場向けの生産をはじめた(農業革命)ため、囲い込みで土地を失った農民が労働者として都市へ流入したこと、③フランスとの七年戦争(一七五六~六三)以来、広大な海外市場をもったこと、などが原因とされています。

産業革命によって安い商品が大量に生産され市場に出回り始めると、それまでの工業の担い手だった手工業者が没落し、囲い込みで土地を失った農民とともに工場労働者になりました。資本家にとっては、大量の安価な労働力が生まれたことになり、まことに好都合な事態だったといえましょう。

一方、人口が急にふえた都市は伝染病や犯罪の巣窟となり、労働者はひどい労働条件と非衛生的な生活環境をしいられることになりました。のみならず、産業革命は、熟練した技術を不必要なものとし、賃金の安い女性や子どもが多く使われるようになりました。炭鉱などでは、子どもの労働時間が一九時間にもおよぶ悲惨なものとなったという記録もあります。

このように、産業資本主義の発達によって、資本家がますます富み栄え、労働者・農民・中小事業者などの弱者がますます経済的に圧迫され窮乏化する、という対照的な事態が同時並行で進むことになりました。いわゆる「階層分化の進展」や「階級対立の先鋭化」が生じたのです。

こういう事態に心を痛める資本家がまったくいないわけではありませんでした。それが、かの有名なロバート・オーエンです。オーエンは、マルクス=エンゲルスの『共産党宣言』においてサンシモン、フーリエとともに「空想的社会主義者」のひとりとして批判的に紹介されています。

ついでながら、私たちは、社会主義諸国の誕生と大崩壊と残存する社会主義国の現実とをすべて知っています。だから、オーエンの社会的実践とマルクス=エンゲルスの思想的実践とのどちらがより〈空想的〉であるのかについて、マルクス=エンゲルスほど歯切れよく断言できない、と言えるでしょう。これはいまだに、思想上の大問題につらなる重要な論点であり続けています。そのことについては、いずれ深く掘り下げることになるでしょう。

話を戻しましょう。

イギリス人のオーエンは、スコットランドのニューラナークに工場を建て、当時としては画期的な10時間労働を実施し、清潔なアパートを建設し、世界最初の幼稚園を運営しました。そのような実践を通して、利潤追求を抑制し、環境の改善による豊かな人間性の育みを実現しようとしました

オーエンの協同組合思想を受け継ぎ、近代史上はじめて成功した協同組合として歴史にその名を刻み込んだのが、「ロッチデール先駆者協同組合」です

ロッチデール先駆者協同組合
ロッチデール先駆者協同組合についての以下の記述は、もっぱら三橋貴明氏の『亡国の農協改革』(飛鳥新社)に依っていることをあらかじめ述べておきます。

産業革命によって機械制工場における大量生産が支配的となったイギリスでは、さきほど述べたように、製造業に従事する労働者が劣悪な雇用環境と貧困にあえいでいました。それとともに、労働者は日常的に購入する食料や衣類などの生活必需品の品質の低下や価格高騰に悩まされていました。労働者側に販売店を選ぶ余地などほとんどなく、質が悪くて割高な商品であったとしても、労働者たちは、それを購入せざるをえませんでした。

ひとりの消費者として微弱な存在でしかなかった労働者たちは、大手の小売業者の巨大なセリングパワーに、個人として対抗する力は持っていませんでした。そこで労働者たちは、団結・連帯してバイイングパワーを獲得するために、協同組合を立ち上げたのでした

一八四四年十二月二一日、新興の工業都市だったランカシャーのロッチデールに、いま申し上げた趣旨のもと、ロッチデール先駆者協同組合が誕生したのです。同組合は、出資した組合員の「社会的・知的向上」「一人一票による民主的な運営」「取引高に応じた剰余金の分配」を標榜しました。

ロッチデール先駆者組合で特筆されるべきは、教育の重視です。同組合は組合員の社会的・知的向上を目的の一つにしていて、四半期ごとに剰余金の2.5%が教育費とされました。

一八五四年、本店に設けられた新聞閲覧室は日曜日も含め朝九時から夜九時まで開かれていました。検閲は行われなかったそうです。一八六一年には蔵書が五千冊に達し、顕微鏡・望遠鏡を借りることもできました。支部にも同様の施設が設けられていました。

組合員の子女は科学・美術・フランス語などの教育を受けることができました。また、成人向けの講演も行われており、ケンブリッジ大学からは公開講座が提供されました。一八六四年に100ポンドの特別教育基金が用意され、優秀な生徒に賞金が与えられました。   
(次回に続く)

参考資料
日本生活協同組合HP http://jccu.coop/aboutus/coop/#ICA 
『亡国の農協改革』(三橋貴明 飛鳥新社)
『もういちど読む 山川世界史』(山川出版社)
『協同組合理論の展開と今後の課題』(清水徹朗 農林金融2007.12)
Wikipedia「ロッチデール先駆者協同組合」の項
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