美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

松浦亜弥のカバー曲は絶品である

2014年09月30日 10時57分12秒 | 音楽
松浦亜弥といえば、あだ名はあやや、そうしてちょっと歌の上手なアイドル、くらいの認識しかありませんでした。

ところが実は、めったにいないほどのとても上手な歌い手であることに最近気づきました。彼女は、それぞれの曲が表現しようとしている核心をきっちりと的確につかんで、それを丁寧に心をこめて不思議な透明感のある繊細な歌声で聴き手の心にじかに伝える技を体得している歌手です。おそらく、勘がよくて頭の回転が速いのでしょう。それが褒めすぎかどうかは、カバー曲を三つアップしておきますので、よろしければご自身でご判断願います。

彼女は二〇〇〇年に一四歳で芸能界に入りました。若いころから落ち着いた立ち居振る舞いをする女性だったのですが、いまや、しっとりとした情感をたたえた素敵な雰囲気を身につけ、ひとりの女性としてもじゅうぶんに成長した姿を私たちに見せてくれます。自分の好きな道をひたむきに歩んできた結果なのでしょう。良い恋愛をしてきたというのもあるような気がします。

いま彼女は二八歳です。一二年間の交際の後、w-inds.のボーカル・橘慶太と去年結婚し、年末には出産する予定です。彼女は二〇〇七年に子宮内膜症を患いいまは芸能活動を控えているそうですが、その病気の最善の治療法が妊娠ということなので、私たちが、彼女の完全復活した姿を見る日も近いかもしれません。

ネットで調べているうちに分かったのですが、スガシカオや竹内まりあは、実力派歌手としての彼女の今後に期待を寄せる心からのエールを送っています。また、ヘヴィメタル界のマーティ・フリードマンは、「笑っていいとも」に出演したとき、いまもっとも歌の上手な若手歌手として彼女の名を挙げています。私自身も、彼女の今後の活躍に期待をこめて注目したいと思っています。


では以下に、動画を三つご紹介します。

一曲目は、さだまさしの「道化師のソネット」です。「笑ってよきみのために 笑ってよぼくのために」のリフレインが、微妙に表情を変えながら、聴き手の心にしみこんできます。

道化師のソネット 松浦亜弥


二曲目は、荒井由実の「ひこうき雲」。嫌味がなくて飽きのこない「ひこうき雲」です。そういえば、マイクにまったくエコーをかけずに歌っていますね。歌唱力がはっきりと分かる条件をあえて選んだのでしょうか。″なんなら、アカペラでもかまわないわよ″という自信のほどがうかがえます。

松浦亜弥 『ひこうき雲』 クリスマス・ナイト2013


最後は、森山良子の「さとうきび畑」です。生ギターだけの伴奏で、単調な旋律の同曲の世界に聴き手を八分間引き込み続けるのは大変なことです。歌い手としての自分によほどの自信がなければ、失敗を恐れあえてチャレンジしようとはしないでしょう。この、そういう意味での難曲を、彼女は見事に歌い切っています。鈴のようにヴィブラートする声の魅力がよく引き出されている、という印象です。

松浦亜弥 - さとうきび畑
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BABYMETAL(ベビーメタル)は、クール・ジャパンの王道を歩んでいる

2014年09月26日 08時33分46秒 | 音楽


つい最近のことです。ひょんなことから、BABYMETALなるグループの存在を知りました。このグループは、日本の芸能における特有の文化としてのアイドルの可愛らしさと、欧米で生まれ日本に根付いたヘヴィメタルの過剰でアグレッシヴなサウンドとのいわば異種配合によって生まれた斬新な和製ユニットです。

彼らの所属事務所はアミューズです。同事務所は、渡辺プロダクションでキャンディーズや梓みちよのマネジャーだった大里洋吉が同社から独立して、一九七七年に設立しました。当時フォーライフレコードの社長だった吉田拓郎から紹介された新人シンガーソングライター・原田真二を売り出すため、と言われています。その二年後には、サザンオールスターズを売り出しています。もともと本物のポップ音楽へのこだわりのある音楽事務所であると言ってよいでしょう。また、当ユニットの仕掛け人は、「重音部RECORDS」顧問を務めるアミューズのKOBAMETAL(コバメタル)氏です。本名はよくわかりません。

BABYMETALは、女性アイドルグループのさくら学院から派生したクラブ活動ユニットのひとつである“重音部”として二〇一〇年十一月にスタートしました。センターのSU-METAL(中元すず香・十六歳)がメインボーカルを担当し、両サイドのYUIMETAL(水野由結・十五歳)とMOAMETAL(菊池最愛・十五歳)がダンスとスクリーム(合いの手・掛け声など)を担当します。むろん、SU-METALも踊ります。ダンスにはヘッドバンギング、ダンス劇、格闘技などの要素がアレンジして取り入れられており、動画をご覧になると分かりますが、そのレベルはプロとして鍛え上げられたものです。楽曲の基調はもちろんヘヴィメタルですが、Jポップや歌謡曲や童謡などさまざまな要素が織り込まれています。なお、曲中でヘビィメタルならではのデスヴォイスが使用されることもありますが、メンバーは発声しません(メタルシーンは目下、さらに細分化されているようなのですが、それを論じることは私の手に余ります)。

バックバンドは三種類存在していて、「BABYBONE(ベビーボーン)」と「キツネ楽団」は当て振りでスタッフが担当し、「神バンド」は生で演奏しサポートメンバーが担当します。ライヴはもっぱら「神バンド」がサポートしているようです。その演奏ぶりは、うるさ方を黙らしてしまうほどの本格派です。

ライブ公演ではMCはありません。「キツネ様の黙示録」と呼ばれる紙芝居風の映像とナレーションが時折挿入されながら進行します。

以上は、wikipediaの記述内容などを適当に組み合わせたものです。おおむねどんなユニットなのかお分かりいただけたでしょうか。

このBABYMETALのアルバムやライヴが、実はいま欧米で大変な反響を呼んでいるというのです。それも、事務所による大々的なセールスプロモーションの展開の成果というわけではなくて、you tubeに配信されたデビュー曲のプロモーションビデオへのアクセス数がたまたま百万回を超えたりしたことで海外ツアーが実現し、行く先々で多くの人々を動員し、そのパーフォーマンスがライヴ会場に来た人々によって熱狂的に受け入れられることになったようなのです。要するに、当事者たちの思惑をはるかに超えたところでBABYMETAL現象が大きく展開されているのです。

二〇一四年二月に発売されたファーストアルバム『BABYMETAL』は、iTunes Storeを通じて海外にも配信され、アメリカ、カナダ、イギリス、ドイツなどのメタルアルバムチャートで1位、アメリカ、イギリス、ドイツ、台湾、インドネシアなどのロックアルバムチャートで1位をそれぞれ獲得しました。なお、アメリカのウィークリー総合アルバムチャートでは48位にランクインしました。さらに、アメリカのビルボードのカテゴリー別チャートにおいて、ハードロック・アルバムで12位、ワールド・アルバムで1位になりました。

同年七月の、イギリス・フランス・ドイツ・アメリカ・カナダでのツアーの成功の詳細については次のURLをクリックしてみてください。
http://news.livedoor.com/article/detail/9028704/?p=1 ヨーロッパ・ツアー
http://dng65.com/blog-entry-1208.html アメリカ・ツアー
http://dng65.com/blog-entry-1241.html カナダ・ツアー

これらのツアーの成功を受けて、英国メタル専門誌「METAL HAMMER」が、同紙のオンラインサイト上で行った一般投票による「Heavy Metal World Cup」決勝戦で、アメリカのバンド、マシーン・ヘッド(伝説的なヘビィメタルバンドです)を退けてBABYMETALが優勝を果たしました。「METAL HAMMER」のサイトには既に2000件を超えるコメントが寄せられていて、その反響の大きさを物語っています。

これらの出来事は、きゃりーぱみゅぱみゅがヨーロッパで人気がある、という次元をはるかに超えています。そのことは、コアなヘビメタファンたちの間で、BABYMETALが本物のメタルミュージックと言えるかどうかについて白熱した真剣な討論が繰り広げられていることからも分かります。そのこと自体が、欧米でのBABYMETAL人気がフェイクではないことを物語ってもいます。

どうしてこんなすさまじいことになってしまったのでしょうか。

まずは、世界規模のBABYMETAL現象のきかっけがyou tube であるということに着目したいと思います。つまり現在は、大げさなセールスプロモーションをしなくても、興味を著しく刺激する新鮮味と実力のあるパーフォーマンスが、あっという間に国境を超えて人口に膾炙する技術的な条件が存在する時代である、ということです。もちろん、降って湧いた大きなチャンスをがっちりとつかむためには、緻密な経営戦略が必要なのでしょうが、大きなチャンスそれ自体が、いま述べたようなひょんなことから生まれる可能性が、かつてよりかなり大きくなったことは確かでしょう。きゃりーぱみゅぱみゅも、そのあたりの事情はよく似ています。

次に、日本文化の特徴としての「かわいいもの」をことさらに愛でる縮み志向のもろもろのの産物が、世界の人々に「Kawaii」として広く認知されつつあるということが挙げられるでしょう。それは、豊かな経済的条件を背景として、日本女性が伝統的な美的センスに磨きをかけていることが土台にあるような気がします。端的に言えば、日本女性の磨き抜かれた繊細な美しさが世界的に認められるようになったということです。でなければ、欧米の人々がBABYMETALの三人の少女たちのかわいらしさに鋭敏に反応することはなかったでしょう。そういう事態に大きく貢献した過去・現在の存在を思いつくままに挙げれば、荒川静香・浅田真央・AKB48・女子バレー選手たち・女子カーリング選手たち・女子卓球選手たちと実は羽生結弦となります。羽生結弦を挙げたことを意外に思われるでしょうか。洗練された繊細な美としての「Kawaii」を世界の人々に認知させるうえで、羽生の果たしている役割はけっこう大きいというのが、私の見立てです。「Kawaii」の認知は、世界における美のスタンダードを少なからず変える可能性があるのではないかと私は考えています。

三つ目として、これも経済的な豊かさを背景にしていると言っていいと思われますが、ロックに限らず、高度な演奏をすることができるミュージシャンの層がかつてとは比べものにならないほどに分厚くなっていることが挙げられます。いつの間にか、日本の演奏の平均レベルが底上げされ、世界標準に迫りつつあるということですね。実際、「神バンド」の演奏は、玄人の耳を納得させるだけのものがあります。でなければ、ツアーの成功はありえませんでした。また、仕掛け人のKOBAMETALは、アイドルというメジャーの音楽シーンにヘビィメタルというアングラ音楽の実力者たちのアイデアを積極的に取り入れています。そういうことができるのは、メジャーの音楽シーンにはめったに顔を出さないミュージシャンの層が分厚いことを物語っているでしょう。

四つ目として、アイドルビジネスがアイドルたちに対して要求する水準がかつてとは比べものにならないほど高度化していることが挙げられます。可愛ければOKというわけではないのです。後ほど、動画で三人のパーフォーマンスをご覧ください。歌、踊り、表情。それらすべてが鍛え抜かれたものです。年齢は十五・六歳ですが、彼女たちは、十分に木戸銭を稼げるだけの堂々たるプロの技を披露しています。だから、海外で芸を披露する場合でも臆するところがないのです。日々の厳しい訓練のたまものといえましょう。若いので、ライヴのなかでどんどん成長している、という側面もあるでしょう。

最後に、これがもっとも大事な点であると思うのですが、仕掛け人であるKOBAMETALの存在の大きさを挙げたいと思います。彼はインタヴューに答えて、「アイドルとテクノとをつなげることでPerfumeという魅力的で斬新なアイドルグループが誕生した。次は、アイドルとメタルとをつなげるしかないと常々思っていた。自分は、アイドルもメタルもとても好きだ。それらの大好きなものをつなげることで新しいメタルミュージックを提示できたらというのがあった」という意味のことを言っています。そこから感じられるのは、彼には先見の明と音楽への真摯な思いがあるということです。それらが、先に述べた四つの要素をしっかりとつなげていると言えるのではないでしょうか。
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/pickup/20121026/1044961/?P=7

ところで、FBでの古谷経衡氏のコメントによって次のような事実を知りました。

日本文化を海外に広めながら、ビジネスにつなげる――。安倍政権が成長戦 略の一つに掲げ、設立された官民ファンド「クールジャパン(CJ)機構」が 後押しする事業が21日、明らかになった。第1弾は、中国で日本文化を売り 込むショッピングセンターなど三つだ。事業規模は計約650億円で、このう ち百数十億円を年内にも出資する。
http://www.asahi.com/articles/ASG4P4SJ8G4PUTFK005.html
朝日新聞 小林豪 2014年4月21日21時03分

これを目にするや、私は怒りと脱力感が同時に襲ってきて、軽いめまいがしました。アニメや斬新な音楽をちっとも楽しめないようなダサい感覚しか持ち合わしていないくせに、垢まみれの利権だけは欲しがろうとする脂ぎったオヤジ連中が、「日本文化を海外に広めながら、ビジネスにつなげよう」などと柄にもないことを考えるとこういう愚にもつかないことを思いつく、という好例です。

クールジャパンを自然体で堂々と実践し、世界の人々が熱狂的に受け入れるBABYMETALと、CJ機構のバカ連中との気の遠くなるほどの隔たりが、クールジャパン政策の愚かしさを雄弁に物語っています。溌溂としてクールジャパンの王道を歩むBABYMETALと比べるとき、CJ機構の媚中的な振る舞いがいかにも薄汚くてみすぼらしく映ります。安倍政権のクールジャパン構想は、どうやら根本的に間違っているようですね。

世間は、「役人のダサいセンス」を敬遠します。そこには、「浮世はカネと色次第」という言い方に含まれる「ほんとうのこと」に対して、役人的マインドが致命的に鈍いことへの常識的で正当な感知があります。一方アイドル・ビジネスは、エロスとカネをめぐる衆生のありのままの現在についての鋭敏なセンサーの持ち主でなければ展開できないものです。また、そういう存在があってはじめて、アイドルやアニメや映画などの、日本の文化的産物がクール・ジャパンという魅力あるものとして海外で受け入れられるのです。でなければ、海外の人々のハートをつかめませんからね。つまり、クール・ジャパン政策は、いわゆる役人的なものから最も遠い磨きぬかれた鋭敏な感性によって担われるよりほかにないものなのです。

念のために申し上げておきます。「いわゆる役人的なものから最も遠い磨きぬかれた鋭敏な感性」の持ち主は、政府主導のクール・ジャパンの若者代表的な存在と目されている太刀川英輔氏(CJムーヴメント推進会議委員)のように、カタカナ語をやたらと散りばめて抽象的で無内容なことをペラペラとまくし立てるタイプの人ではありません。政府やNHKなどが抜擢する「若者代表」にロクなのがいないのは、古市憲寿氏の例でも分かります。そういうタイプは、自分の感性の鈍さ・地力のなさをそういう形でカモフラージュしているだけなのです。その意味で、彼らの小生意気そうな表情は、自分の貧弱な正体が見破られないための、防禦の構えにほかならないのです。

では、お待たせしました。BABYMETALの現状での代表曲ふたつと、イギリス・ロンドンでのライヴをご覧ください。ライブは三〇分ほどありますが、私は楽しく見続けることができましたし、なぜ彼らが欧米の聴衆に受け入れられているのかよく分かるような気がしました。


BABYMETAL - ギミチョコ!!- Gimme chocolate!! - Live Music Video


BABYMETAL - メギツネ - MEGITSUNE (Full ver.)


BABYMETAL in Sonisphere Festival UK 2014 fan cam Compilation
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「えもいわれない」の「え」とは何か

2014年09月19日 00時05分29秒 | 日記
中学二年生に、国語を教えていたときのことです。テキストに、゛「えもいわれない」という言葉の意味を次の中から一つ選び、記号で答えなさい。゛という問題がありました。正解はもちろん「言葉で言い表せない」ですが、生徒にその説明をしながらも、脳裏に「『えもいわれない』の『え』って、どういう意味なのかしら」という疑問が小さな積乱雲のように湧いてきてしまいました。無用の混乱が生じると面倒なので、生徒にはその疑問を投げかけてみたりはしませんでしたが(投げかけてみても、私自身分かりませんでしたしね)、気になってしかたがないので、授業後、調べてみました。

「広辞苑」によれば、「えもいわれぬ:何とも言い表せない(ほど、よい)」とありました。が、「えもいわれない」という言葉は載っていませんでした。ここから分かるのは、「えもいわれない」という言い方は、行き過ぎた口語化であって、「えもいわれぬ」で踏みとどまるべきではないか、ということです。みなさんも、「えもいわれない」という言い方にはいささか違和感を抱かれるのではないでしょうか。座りが悪いと申しましょうか。

では、「えも」には、どういう意味合いがあるのでしょうか。同じく『広辞苑』には、「えも:副詞エ(得)に係助詞モのついた語。①よくも、よくぞ。②(下に打消の語を伴って)どうにも~できない」とありました。この場合は②の意味であるとしておけば、受験的には申し分ないのでしょう。しかし、どうもすっきりしません。私のこだわりは、「え」それ自体の意味が分からないということであるからです。

インターネットで調べてみると、同じような疑問を持つ人がいるようで、それに対するベストアンサーは、次のようなものです。

「え」は動詞「得(う)」の連用形が副詞化したものです。上代においては可能「よく(…できる)」の意味で使われていましたが、中古(平安時代)以降、否定表現とともに用いられるようになりました。古典文法では「陳述(叙述・呼応)の副詞」などと呼び、下に打消の語を伴って「…できない」の意味を表します。「も」は係助詞で強意を表します。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1084691.html

この言い方は、『広辞苑』の「副詞エ(得)に係助詞モのついた語」の部分を詳しく説明したものとして評価できますが、根のところで、私のこだわりを氷解してくれるものではありません。頭の良い先生に丸め込まれたような感触をどうにも払拭できないのですね。

それで、インターネットでさらにあれこれ調べてみたところ、次のような説を見かけました。

この「え」は上代語で感嘆詩 (「詩」は「詞」の誤りでしょう――引用者注)にあたり、「ああ」の意味で使われています。そこから「ああ、とも言えない」→「感嘆の言葉が、出ない」→「何とも言えない」と転じたものです。http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4271901.html

そうして、丁寧に゛「え、くるしゑ」(ああ、苦しいことだ:「天智記」)゛という用例まで添えられています。これは、なぜ頭に「え」が来るのか、という、私のこだわりの根にあった素朴な疑問に答えてくれる説明の仕方です。

私に、この説の妥当性を検証する力などもとよりありませんから、とりあえず、これで満足します。

ところで、生前の開高健は、角田光代女史に対して、「『得も言われぬ味』と、物書きなら絶対に書くな」という厳しい言葉を投げかけたそうです。http://present-inc.jugem.jp/?eid=1403 その論法を貫き通すならば「筆舌に尽くしがたい」や「いわく言い難い」というのもダメということになりそうです。そこまで言われると、『源氏物語』に「えも言ひやらず~」とあるのもダメなんですね、とちょっとくらい皮肉を言いたくもなってきます。しかし、開高健が言っていることには抗し難い一面があります。「言葉にし難いことをなんとか言葉にするのが物書きの物書きたるゆえんではないか」というわけですからね。文章表現に対していやしくもこだわりを持とうとする者なら、彼の主張にはどうやら謙虚に耳を傾けるほかないようです。

こういう発言の呪縛は、割と強くて、名前は忘れてしまったのですが、誰かが「アイデンティティ」という言葉を使うのはなるべく避けるべきだという意味のことを主張していて、私は、それに説得されてしまった、という経験があります。「アイデンティティ」には、自己同一性などという訳語が当てられていますが、要するに、「私(たち)が私(たち)であることの基底的な理由・究極的な根拠」という意味の言葉なのでしょう。それくらいに、突き詰めた意味の言葉であるにもかかわらず、というより、そうであるがゆえに、これを多用するうちに、だんだんそれが薄められていく不可避性がこの言葉にはある。だから、なるべく使うべきではない、という主張に私は説得されてしまったのです。また、この言葉を使うと、なかなか結構なことを言った気分になるのも気に入りません。それ以来、私はこの言葉を使ったことがありませんし、それをひょいと使いたがる手合いを、(申し訳ありませんが)実はいささか軽蔑していたりします。なんとなく、世間を敵に回すような発言をしてしまったような気もしますが、削除せずに残しておこうと思います。

これでまたひとつ、使うのをためらうことばが増えてしまったようです。
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石狩川の流れはなぜ速いのか

2014年09月17日 07時28分44秒 | 歴史


私の父方の伯父は、北海道の札幌市に住んでいます。そのため私は、これまで何度も札幌市に行きました。そのついでに、市内や郊外をうろついたことも何度かあります。

十年ほど前のことだったでしょうか。私ははじめて石狩川を間近に見ました。その流れの速さに、私は目を見張ったものです。間違って川に落ちることを想像しただけで、寒々とした気分になりました。大人でも、けっこう大変なことになるのだろうなぁ、自力で這い上がれるのだろうか、などと妄想が尽きませんでした。「こんなに流れが速いのは、雪解け水がふんだんに流れ込んでいるからなのか」などとぼんやり考えましたが、それ以上は深く考えませんでした。春先ではなかったような気がするので、自分でも、脳裏に浮かんだその答えにあまり納得しなかったことをなんとなくですが覚えています。

最近、元建設省官僚・竹内公太郎氏の『日本史の謎は「地形」で解ける 文明・文化篇』(PHP文庫)を読んで、その本当の理由を知ると同時に、インフラなるものについての自分の認識がいかに浅薄なものであったのかを思い知ることにもなりました。以下、初めて知ったことを前から知っていたかのような話し方をしますが、それは、知ったかぶりをしたいのではなくて、引用を繰り返すことで読み手であるみなさまを煩わせたくないからです。

話は、一八六九(明治二)年、開拓使が設置され、蝦夷(えぞ)が北海道と改められ入植が始まったころにさかのぼります。北海道は北緯四二度以上に位置する亜寒帯気候域です。だから、入植を支援した政府は西欧式の大規模な畑作農業を目指していました。ところが、入植者たちは「米」にこだわりました。生まれ育った内地を後にして、いわゆる「化外の地」というよりほかのない北海道に流れ着いたことが、彼らをして「米」にこだわらしめた、という側面があったのかもしれません。竹村氏の言い方を借りれば、「米は日本人にとってかけがえのない宝であり、生きる希望であった」となります。

北海道の太平洋側の、夏の平均気温が十六~七度で霧深く北東の風が吹く、という厳しい気候は米作りにまったく適していませんでした。それに対して、日本海側の石狩川流域の夏の平均気温は札幌で二一度だったので、どうにか米を作ることができました。それで入植者は、米作りを目指して石狩平野の石狩、空知(そらち)、上川流域へと入っていきました。

ところが、とんでもない障害が入植者たちを待ち構えていました。それは、みなさまも中学生のころに地理の授業で教わったにちがいないと思われますが、「泥炭層」です。では泥炭層とはいったいなんなのでしょうか。

六〇〇〇年前の縄文前期、海面はいまよりも五メートル高く、石狩平野一帯は遠浅の内湾でした。その後、寒冷化とともに海水面が低下し、かつて海だったところが石狩川の土砂によって沖積平野、すなわち石狩平野に姿を変えていきました。残念なことに、寒冷地である北海道では、堆積した植物の分解が進まず、炭化した状態のまま蓄積されることになりました。それが泥炭層です。六〇〇〇年間に堆積した泥炭層の深さは二〇メートルを超えました。

泥炭は燃料にするには適していますが、稲作には適しません。入植者たちは表土の農作土を他から搬入するという重労働を繰り返すほかはありませんでした。しかし、下層の泥炭層はいやというほどに水分を含んでいて、搬入した農作土はすぐ腐食して使い物にならなくなりました。水分を含む泥炭層は雪が解けてもなかなか乾かず、初夏になり乾燥しかけてもわずかな降雨で元の泥炭湿地に逆戻りしてしまうのでした。

泥炭層の水を抜くこと。泥炭層の地下水を低下させること。それが入植者たちの死活問題となりました。それを実現するには、石狩川の河口まで徹底的に川底をさらう浚渫(しゅんせつ:港湾・河川・運河などの底面を浚(さら)って土砂などを取り去る土木工事のこと)をしなければならないのですが、当時の開拓庁も入植者たちもあまりにも貧しかったので、弥縫策に終始するよりほかはありませんでした。根本的な解決は、先延ばしされるほかなかったのです。

一八九八(明治三一)年、未曾有の大洪水が石狩平野を襲いました。そのため、入植者たちのたくさんの命と彼らが開発したわずかばかりの田畑とが濁流にのみこまれました。そのままでは北海道開拓事業は全滅、という危機的状況でした。それで、さすがに中央政府も、石狩川の治水に乗り出さざるをえなくなりました。日露戦争の勃発が現実味を帯びてきたので北海道の国防上の重要性が浮上してきた、という事情もありました。

とはいうものの、当時の日本政府は借金をしなければ戦争もできないほどに貧しかった。それゆえ、北海道に派遣された土木技術者たちは、乏しい予算で石狩川の洪水を防ぎ、泥炭層の地下水を下げるという二つの課題を同時に達成しなければならなかったのです。

彼らは徹底的な石狩川のショートカット、すなわち捷(しょう)水路計画を策定しました。流れにくい蛇行部をショートカットして直線にするのです。この計画は内地でも実施されている一般的な手法です。しかし、石狩川のショートカット計画には別の狙いが秘められていました。

蛇行部を直線にすると流れは一気に速くなり、洪水は短時間で流れ去ります。ショートカットの一般的な効果はそれだけです。ところが石狩川の場合、その先があります。

石狩川の川底は柔らかい泥炭層です。だから、流れが速くなると川底の泥炭は削られていきます。川底が削られると石狩川の水位は下がります。水位が下がると泥炭層の地下水は石狩川に吸い出され、低下していきます。

その狙いは見事に当たりました。ショートカットによって石狩川の流れが早くなり、川底は水流で削られて低下していきました。川底が下がると、泥炭層の地下水は次々と川に吸い出されて低下していきました。徹底的なショートカットによって、全長三六〇kmあった石狩川が、なんと二六八kmにまで短縮されたのです。その結果、石狩川の各地にはショートカットされた蛇行部の三ケ月湖が残されています。それらのすべてが石狩川より高い位置に浮くように存在していることが、石狩川の川底が削られて低下したことの証となっているのです。竹村氏は、土木技術屋としての熱い思いをこめて次のように言っています。「土木技術者たちは、今まで苦しめられてきた石狩川の流れの力を逆に利用したのだ。この執念のショートカットが進むにつれ、悪夢の泥炭地が希望の大地に生まれ変わっていった。彼らは生死の瀬戸際の戦いで勝った。石狩川ショートカットの図面で感じた執念は、彼らの生への執念であった」と。

私は、以上のことを知り、打ちのめされてしまったと言っても過言ではないほどの衝撃を受けました。単なる自然現象だと思っていた石狩川の速い流れが、実は、高度な知に裏付けられた、人間の執念のたまものであったからです。まさしく、「知と汗をあつめて速し石狩川」なのです(字余り、失礼)。インフラをめぐるこのような壮絶なドラマが、北海道に限らず日本列島のあちらこちらに数え切れないくらいあるに違いありません。それを思うと私は、日本列島のインフラ整備のために注ぎ込まれた先人の叡智と深い思いに対して、黙って頭を垂れるほかはありません。自分たちが当然のことのように享受している豊かさなるものは、実は、さまざまな自然条件と格闘することでインフラを整備し続けてきた先人たちの知と汗の結晶なのです。

そのことに思いを致せば、私たちは謙虚であるほかはないでしょう。インフラ整備、すなわち、公共事業を軽々しくバラマキなどと批判して貶めることなどできうるはずがありません。そういう振る舞いは、インフラなるものについての無知と、自分の無知を悟らぬ愚かさ・軽率さと、先人に対する傲慢な態度とによってもたらされるものであると断じざるをえないのではないでしょうか。

一八五九年以前には一〇〇軒たらずの貧しい寒村にすぎなかった横浜村が、その三〇年後の一八八九年には人口一二万人の近代港湾都市に変貌し、近代日本の表玄関に成長していくうえでの、水関連インフラ整備をめぐる横浜の「格闘」とも称しうる営みの果たした役割の意義など、ほかにも触れたいことがいろいろとあるのですが、それはまた別の機会に譲りましょう。
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箱根湯本~芦ノ湖ルートは、素晴らしい

2014年09月06日 09時39分15秒 | 報告
八月三〇・三一日、私は妻と箱根に行ってきました。これまで箱根に行ったのは、高校時代に美術部の仲間に彫刻の森に連れられていったのと、大学時代に運転免許取り立ての友人の運転でドライヴしたのの二回だけでした。一度目は、帰りの箱根登山電車が山の中でストップして暗闇のなか数時間立ち往生したので大変辛い思いをしました。また二度目は、箱根の激しく蛇行した道路を青い顔をして運転する友人の余裕のなさそうな様子に肝が縮み上がる思いがしました。いずれも正直にいえば、いい思い出として残っていなかったわけです。そのせいでしょうか、ずいぶん長い間、箱根から足が遠のいていました。今回は、約三五年ぶりの箱根旅行、ということになります。

いやぁ、想定していなかったほどの、とても良い旅となりました。そこで、私のつたない経験から、箱根の素敵なルートをご紹介いたします。みなさまの参考になればと思います。

新宿駅から、小田急のロマンスカーで約一時間半、箱根湯本に着きます。じつに快適な乗り心地です。そこから、箱根登山鉄道で、塔ノ沢、大平台、宮ノ下、小涌谷、彫刻の森を経て強羅(ごうら)に着きます。約四〇分の道のりですが、スイッチバックが二回あったり、車窓からの美しい景色が少しづつ変化したりで、立ったままでも少しもつらくありません。あっという間に強羅に到着する感じです。強羅駅界隈は、落ち着いた上品な雰囲気です。駅から三分のところに函嶺(かんれい)白百合学園中学校・高等学校というカトリック系ミッションスクールがあるので、それも当然といえば当然ですね。



箱根登山鉄道
(http://sl-taki.blog.so-net.ne.jp/archive/c2301822538-1 から転載させていただきました。ありがとうございます)

強羅からは、箱根登山ケーブルカーで早雲山(そううんざん)まで登りましょう。わずか一〇分ほどで同駅まで着きます。かなりの傾斜があるので、本当にゆっくりと走ります。まさしくケーブルでヨイショと引き上げられる感触です。乗り降りする人々も心なしかみなのんびりとしています。もしも、百年の歴史を誇る強羅公園に立ち寄りたければ、公園上駅で降りましょう。そうして、公園下駅からあらためてケーブルカーに乗りましょう。残念ながら、私たちは今回そこに立ち寄ることができませんでしたが。


箱根登山ケーブルカー
(http://blogs.yahoo.co.jp/takah1ro581/52578419.html から転載させていただきました。ありがとうございます。)

早雲山で、箱根ロープウェイが次から次に来るので、それにヒョイと乗ってしまいましょう。ロープウェイのなかが混み合うことはないので安心ですよ。ここから大涌谷(おおわくだに)までの一〇分間と、そこから乗り換えての一八分間は、文句なしの絶景が続きます。大涌谷の雄大な眺め、大涌谷から姥子(うばこ)までの緑の広々とした絨毯、姥子を過ぎてからの眼下の芦ノ湖の清浄な眺め。それらは、あなたの目を悦ばせることでしょう。高所恐怖症気味の妻は、ちょっとビビリながらも、周りの景色を大いに楽しんでいました(残念ながら、その日は曇りで富士山は見えませんでした。そこが画竜点睛を欠いたところ、とは言えるでしょう)。ひまがあれば、大涌谷で途中下車して、高い山の清涼な空気を肺腑にこころゆくまで行き渡らせ、お土産に黒玉子を買うのもいいでしょう。大涌谷の温泉池で卵を茹でると殻の周りに鉄分が付着してそれが硫化水素と反応して硫化鉄ができるので真っ黒になる、というわけです。理屈はとにかくとして、見ているだけで面白いし、食べてもなかなかのものですよ。


箱根ロープウェイ
(http://camecan.blog.fc2.com/から転載させていただきました。ありがとうございます。)

ロープウェイに乗ってゆられながら雄大な景色で目を喜ばせて空中散歩をしているうちに、ほどなく芦ノ湖のほとりの桃源台港に到着します。そうしてそこで箱根海賊船に乗りかえて港を後にします。船は美しくて穏やかな湖面をゆっくりと静かに進みます。船のなかでくすぶっていないで外に出て、湖の涼やかな風に当たりましょう。湖を囲む一面の緑が心地よいですよ。

おおよそ三〇分ほどで、船は細長い湖を縦断し、箱根町港に接岸します。私たちは、朝の八時半に新宿を出発したのですが、時計を見るともう少しで午後の一時になります。さすがにお腹が空いてきたので、湖畔のレストランで、一一五〇円の、虹鱒をメインディッシュにした芦ノ湖定食なるものを食しました。芦ノ湖にはブラック・バスがたくさんいると聞いたことがあるのですが、虹鱒や姫鱒などの在来種は大丈夫なのでしょうかね。

虹鱒に舌鼓を打った後、私たちは、箱根の関所に行きました。そこで知り得たことは次回に別立てでお伝えすることにして、そこで一時間ほど過ごした後、ちょっと散歩をしようということで、私たちは湖畔沿いの杉並木をぶらぶらしました。「こんな素敵なところを誰も歩いていないなんて、みんなバカだなぁ」などと話し合いながら、三〇分ほど歩きました。そこは、本当にめったにない素敵な散歩道です。プロポーズするならこんなところがいいなぁ、などと何の役にも立たない妄想にふけっているうちに、元箱根港の近くまで来ました。もしも時間が許すならば、箱根町港に引き返して、そこから箱根登山バスに乗り箱根峠を経由して湖畔を走り抜け桃源台港に戻りたかったのですが、時間的にちょっと不安があったので、元箱根港から箱根海賊船で桃源台港に引き返し、やはりロープウェイとケーブルカーを乗り継いで、強羅に戻りました。そこに宿を予約しておいたからです。戻りのルートもやはり楽しかったですよ。飽きる、ということがありません。ちなみに、強羅の「田むら銀かつ亭」で食べた豆腐かつ煮は、絶品でした。強羅にお越しの際はぜひお立ち寄りください。http://ginkatsutei.jp/sp/

″なかなかのルートだというのは分かったが、交通費がけっこうかかるんじゃないか″と思われるかもしれませんが、箱根湯本からの二日間有効のフリーパス券を四〇〇〇円で買ってしまえば、鉄道もケーブルカーもロープウェイも船もバスも乗り放題なのでお得です。

以上のルートは、日帰りでも十分に満喫できます。私たちは、紅葉の季節を迎えたら、日帰りで当地に舞い戻って来ようと思っています。観光客のマナーが良いという印象が残りました。もっとも、あれだけの景色を見せられて、それでも下品なことをしてしまうなら、もはや救いようがないという気はしますけどね。
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