美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

日経新聞を斬る(その2)「国の借金」膨張説 (美津島明)

2016年08月19日 18時35分52秒 | 経済


少々前の記事にさかのぼります。8月11日(木)の5面に、《 「国の借金」膨張 1053兆円 6月末、国債残高は最高》という見出しの記事がありました。当記事は、日経新聞のみならず、日本の大手新聞が年4回垂れ流す、財務省との「お約束」です。短いので全文を引きましょう。

財務省は10日、6月末時点の国債や借入金、政府短期証券を合わせた「国の借金」の残高が1053兆円4676億円だったと発表した。名目国内総生産(GDP)の2倍強に匹敵する。3月末に比べて4兆1015億円増えた。財政投融資の原資となる財投債や繰り延べ債なども含む国債の残高は7兆6667億円増え、918兆4764億円で過去最高となった。

「国の借金」の残高を今年7月1日時点の総務省の人口推計(1億2699万人、概算値9で割ると、国民1人当たりでは約829万円になる。3月末から1人当たり約3万円増加した。普通国債は816兆円7635億円で、1人当たりでは約643万円になる。

国の借金は3月末の名目GDP(季節調整値)の2.09倍となる。

普通国債のうち、償還期間が10年以上の長期国債は585兆円7892億円で過去最高だった。3月末より10兆9993億円増えた。


この「国の借金1000兆円」報道については、以前、腹を据えて批判したことがあります。「いまの日本に財政問題なんてものはない」http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/c/0b8fc915d5f9d93adff4d6b029deee09/2

ここで、それを再び展開し直すことは控えますが、その骨子を取り出すと次のようになります。

〔1〕 1000兆円を「国の借金」と呼ぶのは誤り。正しくは、「政府の借金」
である。それは同時に「国民の資産」でもあります。また「国の借金」というなら、日本は、世界一の対外純債権高を誇る大金持ち国家です。2014年末で約367兆円にのぼります。ちなみに米国は、世界一の借金大国で、その額は約834兆円にのぼります。これで国が崩壊しないのは、ひとえに米国の通貨ドルが世界の基軸通貨だからです。

〔2〕大手マスコミがこぞって「国の借金」を吹聴し、国民の危機感を煽ることができるのは、「国の借金がかさむと大変なことになる」という印象を国民に与えることができるからです。では大変なこととは何か。それは「財政破綻」すなわち、利子が暴騰して政府が借金の返済不能に陥ることです。しかし、日本政府発行の国債はすべてが自国通貨建て です。だから、支払い不能に陥った分だけ通貨を発行すればよいので別に問題はありません。どう転んでも、ギリシャみたいにはなりえません。

〔3〕黒田日銀のいわゆる異次元緩和によって、 年間80兆円のペースで政府の財政状態は確実に改善されています

〔4〕財投と建設国債を「政府の借金」に含めるのは、理に適っていません。財投は、特殊法人の借金であって政府の借金ではありませんし、建設国債はインフラの改善によってGDPの上昇をもたらし税収を増やすからです。

〔5〕「国の借金1000兆円」には、「国の資産650兆円」が織り込まれていません。つまり相殺されていません。だから「借金」概念としてきわめて粗雑なものです。端的にいえば、誤りです。

おおむね以上のような指摘をしました。

日経新聞を筆頭とする大手マスコミは、なぜこのようなデマを垂れ流し続けるのでしょうか。それは、言うまでもなく、財務省の意向を受けてそういうことをしているとしか考えようがありません。大手マスコミは、政治イデオロギーの左右を問わず、財務省と日銀にだけは絶対に逆らいません(ただひとりの例外は、産経新聞の論説委員である田村秀男記者です)。

では、財務省はなにゆえ、こういう百害あって一利なしのデマをマスコミに垂れ流し続けさせるのでしょうか。ざっくりと言ってしまえば、その理由は次の二つであると考えられます。

ひとつめ。「消費税やむなし」の空気をつねに醸成しておきたいということ。いまの財務省は、消費増税を実現することによって国民経済が疲弊・衰亡してもやむをえないとする消費増税原理主義集団です

ふたつめ。デフレ不況下における公共事業の推進を是とする積極財政を敵視し、単年度における税収の枠内での歳出を理想とする緊縮財政の思想がいまの財務省の「省是」であるからです。

緊縮財政の理論的根拠は、結局のところ、いわゆる主流派経済学の予算制約式に求められます。予算制約式とは、要するに、収入の枠内での効率的な資源配分を定式化したものです。つまり いまの財務省は、景気動向を考慮しないという意味できわめて非現実的な経済観を有する正統派経済学に呪縛されているのです。

財務省の意向どおりにデマを垂れ流す大手マスコミもまた、その経済観は非現実的な正統派経済学に呪縛されているというよりほかはありません。そういう愚かな言論状況の象徴的存在が日経新聞なのです。
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日経新聞を斬る(その1)TPP問題をめぐって(美津島明)

2016年08月13日 13時24分23秒 | 経済


これからしばらく、日経新聞の記事を批判してみようと思います。そのココロを一言でいえば、世間で経済の権威とされている日経新聞が、グローバリズムという、国を亡ぼす危険で過激なイデオロギーを国民に注入しようとする碌でもないゴロツキ新聞であるという事実を白日の下にさらすことです。

今日〔8月13日(土)〕の新聞をながめていたら、5面に「クリントン氏、TPP反対 自由貿易に『負の連鎖』も 日米欧の通商交渉 正念場」という見出しの記事がありました。まずは、冒頭の数行を引用しましょう。

世界の自由貿易体制が「負の連鎖」に陥る懸念が高まっている。米民主党の大統領候補、ヒラリー・クリントン氏が環太平洋経済連携協定(TPP)反対を改めて強調。TPP承認後に交渉を妥結させるのが基本シナリオの日欧経済連携協定(EPA)なども影響を受ける可能性が出てきた。

当記事の主語を明確にすれば、世界の自由貿易体制が「負の連鎖」に陥ることを「懸念」しているのは、日経新聞です。つまり日経新聞は、ここで、自由貿易体制は世界に富をもたらす絶対善であり、自由貿易体制の推進を阻止する事態はあってはならないと言っているのです。引用を続けましょう。

日米欧を主軸に新たな貿易秩序をつくる動きは正念場を迎えている。英国が欧州連合(EU)を離脱した後の域内の貿易の枠組みも不透明だ。日本政府は、11月の米大統領選後から来年一月の新大統領就任までの「レームダック国会」での米議会のTPP関連法案承認に望みを託してきた。TPP発効に不可欠な米国の承認が早期に終われば、交渉中のほかの大型貿易交渉を加速する推進力になるためだ。

自由貿易を推進しようとする思想の本質は、グローバリスムです。そうしてグローバリズムとは、ヒト・モノ・カネ・情報が国境を越えて自由に行き来することを絶対善とする新自由主義のイデオロギーです。もっと突き詰めた言い方をすれば、最も効率的な生産システムを世界レベルで構築することを絶対善とするイデオロギーです。この場合「効率的」とは、投下資本のさらなる増大を伴わずに(つまり、生産性の向上を伴わずに)世界の賃金格差をフル活用する度合いです。つまり、グローバル企業は、より人件費の安い国に既存の生産設備を移動するだけで生産コストのさらなる低下を実現することができるようになるのです。あるいは、先進諸国の企業は、自国に移民を招き入れれば招き入れるほど、人件費の削減を、すなわち「効率的」な生産を実現することができるのです。

その結果もたらされたのが、先進諸国における一般国民の実質賃金の低下であり貧困層の拡大であり格差の拡大です。

アメリカの大統領予備選において「社会主義者」を自認するサンダース上院議員が「本命」クリントンを向こうに回して善戦したり、ナショナルエコノミーを重視する「異端者」トランプ氏が共和党の大統領候補に選ばれたりする背景には、アメリカが、グローバリズムの推進によって世界一の超格差国家になり果てた現実があるのです。

また、イギリスのEU離脱も、EU版域内グローバリズムの諸矛盾という背景を抜きにしては語りえません。むろんトランプ・クリントン両大統領候補が、反TPPを公約として掲げざるをえない事実にも、グローバリズムの諸矛盾が濃い影を落としています。

つまりこれらの諸現象は、グローバリズムのさらなる推進に、国家や社会が耐えきれなくなっていることを指し示しているのです。

ちなみにピケティの『21世紀の資本』によれば、アメリカとイギリスは、1980年以降の新自由主義的な政策の断行によって、格差がもっとも広がったふたつの先進国です。

そういう深刻な事態をすべて無視し、判断停止して、日経新聞は、なおも自由貿易を、TPPを推進しようとするのです。日経新聞が、メディアとして過激であり、無謀であり、反国家的、反国民的であることが、この一事からだけでも分かるのではないでしょうか。
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由紀草一の、これ基本でしょ その4 Brexitから民主主義を考える

2016年08月11日 19時08分34秒 | 由紀草一


ブレグジット(Britain+exit)即ち英国のEU離脱について、その政治的・経済的な是非を論ずることは私にはできません。結局のところ、英国にとって、また日本を含めた国際社会にとって、プラスであるのか、マイナスであるのか。そもそも、英国はいかなる条件でEUを離脱することになるのか、わかりませんので、それを詳細に論じるのは時期尚早でしょう。

私が面白く思ったのは、これに対する、日本の、様々な反応です。これはまちがった選択だ、というのが多いようですね。

ネット上で髙野孟氏のメルマガを見ましたら、6月21日付ロイター通信の論評が引用されており、要旨はぽぼそれに尽きています。「そこにあるのは、ナショナリズム、美化されたノスタルジア、エリートへの不信感、移民が犯罪を持ち込み雇用を奪うという警戒心だ」。これは確かにあるでしょう。同じような感情は、今までにもあったのだし、世界のいろいろな地域で見つけることができるでしょう。

ここから、問題が二つ出てきます。

(1)ロイターの論評氏や髙野氏は、ナショナリズム、などなどの感情を、当然のようにマイナスなものとみなしている。本当にそうなのか。
(2)髙野氏たちが正しいとしたら、そういう感情に動かされやすい国民を「主権者」とする民主主義を、どう考えるべきか。結果としてまちがいを犯しやすい、よくない政治制度だとすべきなのか。


(2)から先に述べます。「民の声は天の声」でしたっけ。民衆は常に正しく、少なくとも善なるもので、権力者こそが悪なんだ、と、日本では今まで、主にいわゆる進歩派が言っていましたっけね。ここへ来てそんなのウソだったんだ、これを口にした多くの人が、本音ではそんなの信じていなかったんだ、ということが暴かれたようです。

だってそうでしょう。ブレグジットはまちがっている、という見地からしたら、どうしてもそうなる。キャメロン前首相を初めとする政府は、ほとんどがEU残留を求め、離脱した場合には英国はどういう経済的な不利益を被ると予想されるか、データを挙げて国民を説得しようとしていた。民衆のほうが、ナショナリズムなんて古臭くてしょうもない方角の、決定をしてしまった。

「警戒心」を煽る右派の宣伝は、あったでしょう。だとしても、そんな宣伝に乗ぜられるほど民衆は愚かだ、ということに変わりはない。

念のために、すべての人に完全に正しい情報が与えられ、正しい判断ができれば……、なんて、理想じゃなくて、夢想に耽っちゃダメですよ。誰の目にもわかる完全に正しいことがあるなら、民主制も寡頭制も何も、そんな各種の制度自体がハナからいらない。相談もいらない。いろんな立場や考え方から、いろんな正義や利害が考えられてくるからこそ、選挙にもせよリーダーの決断にもせよ、集団としての決定の方法を定めておくことが必要になってくるわけで。

では、各種の制度の中でも、愚かな民衆に立脚していることがタテマエの民主主義はダメ、とすべきのか。そうとは言い切れないと思います。ここで、有名すぎるので気恥ずかしくなるのを抑えつつ、チャーチルの名言を思い出しておきましょう。

民主主義は、今まで試みられてきた他のすべてを除けば、最悪の政治形態と言われてきた」(It has been said that democracy is the worst form of government except all the others that have been tried.)

民主主義は、ある特定の個人・集団だけが得をして、国の残り全部が不利益被るような施策は防げるだろう、少なくとも、そのためには一番有効であろう。それだけです。それだけで満足すべきなのです。「今まで試みられてきた他のすべて」の制度に、民主主義より後発の社会主義を加えても、できなかったことなんですから。

そして、民主主義の名において行われる害悪を最小限に止めるためにも、この断念は必要です

つまり、民主主義の究極の決定法と言うべき国民投票は、濫用してはならない、と言うより、最小限にしかやってはいけない。これははっきりしたようです。そこをより明確にするべく、どのようなところから今回の投票がなされることになったのか、ちょっと振り返っておきましょう。

国政に関する国民投票(referendum)は、イギリスでは、今回のを含めて今までに三回実施されました(一昨年の、スコットランド独立に関するものを含めて四回、と言う人がいますが、これはスコットランド住民のみの投票ですから、国民投票にはカウントしないほうが妥当なようです)。

最初のは、1975年、労働党の第二次ハロルド・ウィルソン内閣により、EUの前身であるEC(欧州共同体)離脱か残留かをめぐって行われたものです。ECへの加盟は、保守党のエドワード・ヒース内閣によって決定されたのですが、労働党は、加盟そのものには反対はしないものの、加盟条件を見直すべきだとしていました。

労働党は、その名の通り国内の労働者保護が第一の党是ですから、労働者市場を含めた国内市場の、少なくとも部分的な開放の結果、国内産業及びその従事者(=労働者)への悪影響が懸念される欧州連合構想には、消極的か慎重にならざるを得ませんでした(その後、英国とヨーロッパとの関係の変遷につれて、英国保守党と労働党の政策も変わりましたが、現在の労働党はこの、1975年当時の立場に近いところにいるようです)。

そのため、ウィルソンは、政権を失った後の1974年の総選挙を、労働党内部の根強いEC加盟反対論を宥めるためにも、次の二つを公約して戦いました。①ECとの再交渉と、②その成果を踏まえたうえで改めてEC加盟の賛否を広く問うための国民投票。

翌年彼が連立内閣で首相に返り咲いてから実施された投票結果は、67%対33%の、ダブルスコアで残留派が勝利しました。

こうして英国は、主権者による直接決定というパンドラの箱を開けてしまったのです。

ただし、この時のも今回のも、国民投票の法文自体には法的拘束力をうたっていません(2011年の、選挙制度改革に関する国民投票のみ、政府は投票結果に拘束される、とされました)。「参考」に止めておいても、違反ではないのです。とは言え、結果を無視する、なんてわけにはいかない。それでは第一、なんのための投票だ、ということになりますから。

また、そのつどの特別立法によって行われる(まず国民投票のための法律を制定してからやる)もので、「~の場合には実施されなくてはならない」なんてものでもない。が、またしても「とは言え」なんですが、一度やってしまったものを、同じようなケースでやらないとしたら、やっぱり「なぜ今回はやらないのか」の理由が必要であるようにも感じられてくるでしょう。そう詰問する人は必ずいるでしょう。

その代り、政府の思い通りの結果が出たときには、国民投票はウルトラマンのスペシウム光線のようなものです。それがなくても怪獣には勝てるところを、最後をカッコよく決めるために使われる技で(このへんは呉智英氏が以前書いておられたことを勝手に変えて使っています)、最初から出せば三分ルール(ウルトラマンが地球上でウルトラマンでいられる制限時間)も気にせず簡単にすむだろうに、なんで出さないの? と幼い頃の私は思っておりました。が、やっぱり見世物にはスリルが必要で、それを経た上での勝利だからカタルシスもあるわけでして。

いやもちろん、国民投票はそれだけではない。国民中の有権者=庶民に、一国全体の問題について周知させる効果はある。知らない人はそれでもやっぱり知らないでしょうけど、やらないよりはマシでしょう。そして勝利の暁には、日本の安保法案について未だに言われているような、「その政策は民意に反しておるぞ」なる非難の声は封ずることができる。

生憎、現実は、スリルがスリルだけでは終わらないときもある。キャメロンは、政府要人のほとんどは残留派だし、自分がやったEUとの交渉では、ウィルソン以上の成果を挙げたのだという自負もあって、勝利を確信していたようですが。

あにはからんや、の結果が出たとき、法的な義務はないにもかかわらず、投票結果に従うこと、そのための指導者として自分は不適当だとして辞任を表明したのは、立派だったと思います。後任のテリーザ・メイも、自身も残留派でありながら、再投票などで以前の結果を覆すような試みはしない、と明言したのは、妥当としか言いようがない。

だってそうでしょう。二回目の投票で一回目とは違う結果が出たとしたら、どちらが「本当」なのか。「本当」にも二つの意味が考えられて、「どちらが国益のための正しい決定か」と「どちらが正しく民意を示しているか」。これを決定するために、三回目の投票が必要であるように考えられてきて、それをやると、三回のうちどれが「本当」かで……、以下、これが無限に繰り返されかねません。

本当は、「国益」にせよ「民意」にしろ、固定したものではなく、従って完全な「正しさ」などどこにもありません。だからこそ、投票その他の決定手段が必要になるんです、と、ここは肝心なポイントだと思うので、しつこく繰り返しておきます。

とは言え、というか、だからこそ、なんでしょう、たった一度の投票結果ですべて決定済みにしていいものか、という思いもどうしても消えない。殊に今回のような、48%対52%の僅差となると。この結果は、半分近くの国民がEU離脱には反対であることをも、明らかに示してしまっていますから。
国民投票の怖さはここにあります。国論だけではなく、国民そのものを二分しかねないところが。

もっとも、スイスのような、直接民主制で、年中国民投票をやっている国はどうなのか、もう慣れてしまっているから平気なんでしょうかね。「慣れの力」って、けっこう大きいですから。しかし、たとえそうだとしても、例えば永世中立のような根本的な国是を変えるための投票を将来やったらどうなるか、それは予想の限りではないんじゃないですか?

すると、どうも、間接民主主義である代議制のほうがマシなようだな、と思えてきませんか? これについて、高野孟氏も引用している成田憲彦氏の意見は、急所を突いているようです(『讀賣新聞』6月26日、「論点スペシャル」)。

代議制の大きな利点は、政府責任のシステムが使える点だ。もし国民投票で誤った選択がなされた場合、誰が責任を取るのか。この点で行き詰る。代議制なら、代表者や党派に責任を取らせることで、方向転換が可能になる。

よく、「政治家が悪いと言うけれど、そんな政治家を選挙で選んだ国民にも責任があるじゃないか」と言われ、正論のようではあるんですが、国民にどうやって責任を取らせるのかわからないので、話が終わってしまいます。

ところで、国民はこの場合、無責任でいいんだ、と憲法に明記されていることはご存知でしたか? 第十五条の4項です。「すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない」。だから選挙人=選挙権があるすべての国民は、買収や利益供与によって投票するのでない限り、ヒトラーを選んだとしても、「公的にも私的にも」責任を問われることはないのです。

再び、責任を取らせようったって、具体的にどうするんだ、でだいたい話は終わりますから、あまり深くは考えられないのですが、これは「君主無答責」原則を主権者たる国民に応用したものだと見ることができます。君主は、間違えたとしても、その責任は問われない。立憲君主国にはよくある規定で、大日本帝国憲法下の日本もそうでした(部分的には、天皇が「国家元首」から「象徴」になった今でもそうです)。

で、ここからが私の言いたいことなんですが、国内では至高の決定力である主権sovereigntyの持ち主は、間違いは犯せない。間違った、とはっきりしても、認めることができない。「至高」の度合いが低くなるから、と言うか、そういうのはもう「至高」ではないからです。

そんな存在に、実質的な選択・決定をさせるのは非常にまずい。逆から見ると、人間が、個人でも集団でも、決して間違いを犯さない方法は、たった一つ、何もしないことです。これがイギリス王室の「君臨すれど統治せず」の原則であり、日本も、多少の例外はあっても、明治以来それでやってきたのです。
国民は、天皇と違って、議員を選挙で選ぶという政治上の決定を実際にしますんで、「何もしない」わけではありません。でも実際の政治は、選ばれた者たちがやる。そこで何か間違いがあったら、それはその政治家の責任であるから、引責辞任させたうえで、新たな政治家に訂正させればよい。それで取り返しがつく。「間違いを犯すような政治家を選んだ責任」は、あったとしても、遠い所にあるんで、忘れることができる。なんだか幾重にも欺瞞が働いているような気がしますが、あまり深く考えなければ、最悪の事態はなんとか防げそうではありますね。

他にいい代替案が見つからない以上は、政治は当分、これでやっていくしかないのではないでしょうか?

それでも、日本で国民投票をやらなくちゃいけない場合があります。憲法を改正する時。何しろこれ、条文に明記されてますんで(日本国憲法第九十六条)。

ここへきて、進歩派とか護憲派と言われている人たちのうち何人かが、これはどうも危ない、と言い出していますね。参議院選で、改憲派に三分の二超の議席を与えるほどバカな国民に、憲法を決めさせるなんて、というわけで。まあ、私も「危ない」の部分は同意見ではあるんですけど。しかし、「国民主権」を憲法の三大原則の一つだとしたのは彼らのお仲間だったはずなんで、それにはきちんとケジメをつけてもらわないと、どうも信用できない。

いずれにしても、「国民投票はやめよう」とか、「過半数による決定じゃなくて、せめて国会と同じ三分の二以上にすべきだ」などと唱えるのはいいですが、そう変えるのにも既定の方法で、つまり国民の過半数の賛同を得なくてはならないわけですから。「一般国民はバカなんだ」の前提では、どのみちよい結果が期待できないわけでしょう。

私は、憲法九条改正論者です。しかし、国民投票の結果否決されたら、しょうがない、だからと言って日本を脱出したくもないので、従うしかない。自分が絶対に正しいとは思っていませんから。いや、思ってますけど、それがすべての人に認められるとも、認められるべきだとも思っていませんから。他のより少しはマシな制度である民主主義を守るためには、そこは覚悟するしかないでしょう。

もうけっこう長くなりましたので、(1)のナショナリズムについて述べるのは、次回にしたいと思います。ご親切に拙文を読んでくださっている方々は、どうぞご期待ください。
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