美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

故事成語って、むずかしい

2014年01月29日 02時45分40秒 | 教育
故事成語って、むずかしい

私がなりわいにしている個別指導の学習塾の話です。

今日は、学校で国語の内申が1の中1の生徒の授業がありました。今日の授業内容は、学校の国語の授業で配られたプリントを完成させることでした。プリントの中身は、二〇個分ずらりと故事成語の意味が書いてあって、それに合う故事成語を空欄内のリストから選んで書き写す、というものでした。

先日の投稿でお話したとおり、その生徒は、「まあ、だいたいこんな感じ」という「器用な」分かり方が基本的にはできません。「なるほど」と思えなければ「分かった」ことになりにくいのですね。言いかえれば、自分で自分をとりあえずダマすのがきわめて不得手なお子さん、ということになるでしょうか。

日常生活は、話を中学生に限っても「自分で自分をとりあえずダマす」必要にあふれています。授業中のみならず、休み時間に仲間と語らうときもそうです。相手の言っていることが少々分からなくても、「まあ、だいたいこんな感じ」だろうと受け流さなければならない局面がたくさんあることでしょう。そうしなければ、「イチイチこちらの言葉にこだわるノリの悪いヤツ」というレッテルを貼られたり、「相槌をほとんど打たない変なヤツ」と見なされたりしてしまいます。そうなれば、クラスでの人間関係がうまくいかなくなってしまい、いわゆる「スクール・カースト」の最下層に位置するヤツと判断され周知されてしまうことになりかねません。

つまり、彼のそういうちょっとした弱点は、つつがない学校生活を送るうえでけっこうリスキーなものなのです。だから、精神科医から「障害」と診断されて通院しているのでしょう。

しかし、そのちょっとした弱点は、八〇分のときをともに過ごすたびに、私にいろいろと実り豊かなものをもたらしてくれることも確かです。というのは、ときにはあらぬ方向に小さな「暴走」をするときもありますが、その主体性を包みこむというスタンスをこちらがキープできている限り、彼がこちらの話を全身で受けとめようとしてくれるからです。その姿勢の根本には、どうやら、相手の言うことが分からなくなることへの恐怖感や不安があるような気がします。実はそれはだれの心にも潜在しているのでしょうが、彼の場合、それがとりわけ強いような感触があります。そこには、「分かり」に関して、自分がほかのひとびとより劣っていて、そのことで成績があまり良くなかったりするというような不利な結果を招いている、という認識が横たわっているような気がします。

故事成語って、「分かる」うえでの(つまり、教えるうえでの)ハードルがけっこう高いのではないかと思います。そう考えて、さてどうして教えたものかと、私はちょっと思案しました。

ハードルのひとつめ。ふつうの熟語の場合とちがって、その字面をいくら眺めていても、その意味が浮びあがってくることがありません。たとえば、「守株」という字面をいくら眺めていても、「古い習慣にとらわれて、まったく進歩のないこと」という意味は、その片鱗さえも浮びあがってきませんよね。それが浮びあがってくるためには、「宋の国の人に、畑を耕している者があった。畑に切り株があり、ウサギが駆けてくるなり、切り株に当たり、くびを折って死んでしまった。それからというもの、男は自分の耡(すき)をほうり出して切り株の見張りをし、もう一度ウサギをせしめてくれようと念じた。だが、ウサギは二度とは手に入らず、その身は宋国の笑い者になった」という故事をふまえる必要があります。

だから、プリントにあった二十個の故事成語をきちんと説明するためには、それらにまつわる故事をきちんとふまえていなければならないことになります。とくに、ごまかした教え方が通用しない彼に対してはそうです。

その点、とくにダメだったのは、「朝三暮四」です。恥をさらしますが、たしか「朝令暮改」とは意味が違うんだったよな、くらいのことしか浮かんできませんでした。それで、正直に「ちょっと自信がないので調べてみるね」と告げ、インターネットで検索してみました。すると、「春秋時代、宋の国に狙公(そこう)という猿好きでたくさんの猿を飼っている人がいた。ところが急に貧乏になり、エサを減らさなくてはいけなくなってしまった。そこで、まず猿たちをだましてこう言った。『エサのどんぐりの実を、朝三つ、夕方四つにしようと思う。』すると予想通り猿たちは立ち上がり怒りだした。そこで『それなら、朝四つ、夕方三つにしよう』と言った。すると猿たちはみな大喜びをした。結果としては、どちらもどんぐり七つで同じ数だが、猿たちは目先の数が増えたことで、喜んでしまったのである」という含蓄に富んだ故事が出てきました。「とすると、この言葉の意味は、どれになるのかな」と問うてみたところ、彼はちゃんと「⑦の『結果的には同じであるのに、目先の差にこだわわること』じゃないかなぁ」と正解を言うことができました。

彼は、「鼎の軽重を問う」ような浅はかなマネをしない奇特な生徒さんで、「いちいちインターネットで調べなければ教えられないなんて、もしかたら、このセンセイ、実力がないんじゃないか」と疑ったりしないので、このあたりのキャッチ・ボールはスムーズに行きます。ありがたいことです。

さて、ハードルのふたつめ。それは、故事が分かり意味が分かったとしても、読みや書きのむずかしい故事成語がけっこうあることです。たとえば、「守株」は、「しゅかぶ」ではなくて「しゅしゅ」。「画竜点睛」は、「がりゅうてんせい」ではなくて「がりょうてんせい」。また、「睛」の字は、よく注意しないと、つい「晴」と書いてしまいそうです。「臥薪嘗胆」の「嘗」がよく分からないというので、200ポイントに拡大して見せました。彼から、「鼎の軽重を問う」の「鼎」がどうなっているのか、また、書き順も分からないといわれたときは、けっこうヒヤっとしました。それで、「ちょっと待って」と言って、漢字の書き順サイトを探したところよさそうなのがあったので、それを彼に見せました。これは重宝します。こんな感じのサイトです。
http://kakijun.jp/page/kanae200.html なかなかいいとは思いませんか?

ちょっと細かい話になりますが、「五十步百歩」は、「ごじっぽひゃっぽ」であって「ごじゅっぽひゃっぽ」ではありませんね。これ、大人でもけっこう微妙な気がしますので、老婆心ながら申し上げた次第です。昔、おエライセンセイが公開講座で「約定」を「やくてい、やくてい」と繰り返していました。これは、もちろん「やくじょう」なのですが、けっこう学識の高い人でも、やらかすときはやらかしてしまうもんなのです。ましてや一般人であるわれわれにおいておや。

これは、漢字ではないのですが、私の父方の伯父が、大学生だったころの私の前でしきりに「カリスマ」を「カリマス、カリマス」とやらかして連発するのには閉口しました。「おじさん、『カリマス』ではなくて『カリスマ』だよ」とはなかなか言えないものです。ついでに、同じような話をもうひとつ。昔、ある大家さんから事務所を借りていたとき、その大家さんが、「オレはダンコンの世代だからさぁ」と半ば以上肯定的に語っているのを聞いたときは、笑いをこらえるのにかなり苦労しました。彼は、「団塊」をそう読んだのでした。誰からも指摘されなければ、「団塊」を一生「ダンコン」と言い続けるのでしょうね。彼は、ワンマン社長でしたからその可能性大です。ああ、恥ずかしい。お互い、そういうことを率直に指摘しあえる気の置けない仲間を持ちたいものですね。

掛け値なしに申し上げます。その中1の生徒は、私の、物事をけっこう分かったような気になっているいい加減さを、本人が知らないうちに心地よく木っ端微塵にしてくれる貴重な存在です。
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1.23 田母神俊雄・街頭演説・イン・秋葉原

2014年01月25日 15時55分58秒 | 政治
1.23 田母神俊雄・街頭演説・イン・秋葉原

田母神候補の街頭演説会は、午後五時から始まる予定だったのですが、四時過ぎには、秋葉原駅に着きました。カメラの電池が切れているので、電気街で買いました。アルカリ単三電池が二〇本で一六八〇円。さすがに安いですね。予定では田母神氏は四時十五分から電気街を歩き握手して回ることになっているので、あちらこちらとキョロキョロしてみるのですが、それらしい姿はどこにもありません。

あきらめて、演説会が開かれると思われる広場に行ってみました。すると、山際澄夫氏らしき人物がいるのを見かけました。以前からなんとなく親しみを感じていた人でしたから、声をかけてみることにしました。

「失礼ですが、山際澄夫さんでしょうか?」
その人物は、気さくに応じてくれました。
「ええ、そうです」
「今日は、田母神さんの応援演説にいらっしゃったのですね?」
「そう。まだ来ないのかなぁ。」
「電気街を回ってから、こちらに来られるようですね。ところで先日の朝生では、孤軍奮闘のご活躍でしたね」
「いやぁ、お恥ずかしい。」

山際氏とはこんな感じで、初対面であるのにもかかわらず、さらにいろいろとやり取りをしました。彼は、表裏のない「ますらおぶり」の心根の持ち主と見ました。なんとなくですが、今後またどこかでお会いするような感触が残っています。自分はブログをやっていて、今回の模様を何かしらの形でアップしたい、それで、よろしければ、写真を一枚撮らしていただきたい、と申し出たところ、彼は、快く応じてくれました。




彼は、弁士として登壇するだけではなくて、最後の最後まで会場に残って、ケレン味なく、一般参加者としても田母神応援団長の役割を果たし、場を盛り上げるために合いの手を入れていました。彼が、心から田母神氏を支持していること、男として田母神氏に惚れ抜いていることが、その一事からも分かります。

彼とやり取りをしているうちに、田母神応援団の方がちらほらと現れて、彼に挨拶をします。そのなかのひとり、ネット社会ではけっこう有名な人物のご登場です。




この「神さま、仏さま、田母神さま」のプラカードは、田母神支持者の間では結構有名です。というようなことを彼に言ったところ、気を良くしてくれたのか、彼はそのプラカードを裏返しました。


なるほど、有名なボードの裏はこういう文句だったんですね。

「同志たち」とこんなふうに交歓していたところ、電気街のほうから歓声が聞こえてきました。どうやら、いよいよ主役のご登場のようです。この際格好つけずに単なるミーハーとして振舞ってしまいましょう。



向かって左から、デヴィ夫人、田母神候補、Saya、葛城奈海さん

慌てて撮ったので、田母神候補が横向きの写真になってしまいました。話題のデヴィ夫人もいます。葛城奈海さんもいます。Sayaもいます。私は、FB友だちである葛城奈海さんの司会者さらにはコーディネーターとしての並々ならぬ力量と心に秘めた女傑ぶり、それと、you tubeを通じて聞いたSayaのハートフルな応援演説にはすっかり感心していましたので、間近に彼女たちを見ることができてワクワクしっぱなしでした。山際氏がいう通り、田母神候補は、才色兼備の良質な女性スタッフに恵まれています。彼女たちの今回の目覚しい活躍ぶりの根にあるものが、田母神氏に対する信頼感であることが、なんとなくこちらに伝わってきます。

さて、いよいよ街頭演説の開始です。下の写真のような感じで始まりました。左端にいて合掌しているのが、水島社長です。




まず、岡野俊昭氏(「新しい歴史教科書をつくる会」副会長)が、次に諸橋茂一氏(「昌平塾」事務局長)が、「飲み友達」代表と自称して登壇しました。気心の知れた仲間・精神的な意味での身内というわけでしょう。特に岡野氏は、田母神氏のハート・ウォーミングな人柄を強調する話しぶりでした。諸橋氏は、脱原発派のひとびとの虚妄性を強調するために、原発をめぐる世界の動向についての話に時間の多くを割きました。とても重要なお話しなので、彼の演説の動画をアップしておきます。米国がスリーマイル島原発事故から三〇数年ぶりに昨年エネルギー政策を転換して、原発再稼働を決定したとき、世界の原発技術を精査したうえで、東芝の原発に発注を決めたことを取り上げて、日本の原発技術が世界最高であること、現在世界には450基の原発があり、それはこれから増える傾向にあること、だから、日本の世界最高水準の原発技術が世界の原発の安全性確保に果たすべき役割は高まっていることなどが語られています。田母神氏は、有力候補の中でただひとりの原発推進派なのですね。諸橋氏は、よく通る声で言葉が分かりやすいですね。

諸橋茂一 田母神としお 都知事候補 応援演説 秋葉原駅前 平成26年1月23日(木)


次が歌手のSaya(さーや)。決して能弁ではないのですが、彼女は、聞き手の心をつかむ話し方のできる人です。歌手としてのノウハウとどこかつながるところがあるのでしょうかね。

saya(歌手) 田母神としお 都知事候補 応援演説 秋葉原駅前 平成26年1月23日(木)


Sayaさんの別の会場での応援演説をもうひとつ。女性らしいこまやかな観察眼が光っています。

saya(歌手) 田母神としお 都知事候補 応援演説 新橋SL前 平成26年1月23日(木)


その次が、いよいよ真打登場。三〇分弱の演説ですが、内容が明快で充実しているので退屈することはありません。ぜひ耳を傾けていただければと思います。友人によれば、脱原発を社是にしている東京新聞は、推進派の田母神氏が、街頭演説で原発のことに触れようとしないと報道しているそうですが、それが本当ならばまったくの誤報もしくはネガキャンです。田母神氏は、日本における水や食品の放射線基準が、欧米社会の100倍以上の厳しさであるという非科学的な事情が、汚染水問題を生み出していることなどをきちんと話しています。

田母神俊雄 最強選挙演説 東京都知事選 (秋葉原駅) 2014/1/23


当日登壇した方々の演説をなるべくアップするようにしましょう。次は、タイラヨヲ(作詞家)と荒木和博氏(予備役ブルーリボンの会代表)です。荒木氏の「舛添は、自民党がいちばん苦しいときに逃げ出した政治家。細川は、自身の一億年問題と外交的な圧力に耐え切れずに政権をおっぽりだした政治家。ともに、都民が直下型自身で危機にさらされているとき、体を張って、都民を守ろうとする気概に欠けたところがある」というご指摘、ごもっともとうけたまわりました。

田母神としお ポスター全箇所完全貼付! タイラヨオ,荒木和博 応援演説 秋葉原駅前 平成26年1月23日(木)


さて、話題のデヴィ・スカルノ夫人の登場です。正直に言って、話の中身がそれほど充実しているとは思えませんが、彼女には、とにもかくにも聞き手を注目させるパワーがあります。彼女は人寄せパンダの役割を果たせばいいので、それでかまわないのでしょう。

デヴィ夫人 田母神俊雄 最強応援演説 (秋葉原駅前) 2014/1/23


次は、小山(おやま)和伸氏(神奈川大教授)。五分程度のごく短い演説ですが、胸のすくような内容です。彼の憂国の情がじかに伝わってくる名スピーチです。今回のこの演説がきっかで、私は彼のファンになってしまいました。チャンネル桜で、とてもいい話をしていますので、それも合わせてアップしておきますね。

小山和伸 田母神としお 都知事候補 応援演説 秋葉原駅前 平成26年1月23日(木)


【早い話が...】マイナス・バブルとエネルギー安保[桜H24/11/13]


次は、佐波優子さん(戦後問題ジャーナリスト)。アニメボイスのとてもソフトな雰囲気の女性ではありますが、予備自衛官とのことですから芯は強そうです。「自衛隊は、人を殺すために武器を持っているのではなくて、国民を守るために持っている」という言葉が印象的です。

佐波優子 田母神としお 都知事候補 応援演説 秋葉原駅前 平成26年1月23日(木)


さて次は、ご存知三橋貴明氏(経済評論家)の登場です。彼らしい理路整然とした話しぶりです。彼によれば、「田母神氏は経済の基本をきちんと分かっている唯一の候補者」と高く評価しています。むろん、田母神氏を推す熱い思いも聞き手に伝わってきます。田母神都知事が実現したあかつきには、三橋氏が都の経済政策のブレーンになるのでしょうね。そう考えるだけで、私はゾクゾクしてきます。
三橋貴明 田母神としお 都知事候補 応援演説 秋葉原駅前 平成26年1月23日(木)


次は、西村幸祐氏(ジャーナリスト)です。彼は、石原都政を継承するのは田母神氏以外にいないし、石原氏自身がそう言明している、と指摘しています。「墓場から出てきたような人」とは細川氏のことで、「なんだか分かんないけど急に出てきた人」とは舛添氏のことを指しています。言い得て妙ですね。

【HD】西村幸祐氏 石原都政の継承者は田母神としお候補14.1.23秋葉原駅前?


次は、さきほど冒頭のところで触れた山際澄夫氏です。彼の人間性が感じられる良い演説です。田母神氏の高校生のときのエピソードが面白いですね。「秋葉原は、日本が大好きな人の聖地。ここに集まったわれわれが、安倍さんを総理にし、日本の流れを変えた」。そのとおりです。だから、私も足を運んだのです。大きく言えば、アベノミクスが、小泉改革流の新自由主義路線に舵を切りつつある現状に危惧を抱いていて、その流れをもういちど変えるために、です。

山際澄夫 田母神としお 都知事候補 応援演説 秋葉原駅前 平成26年1月23日(木)


次は、古谷経衡(つねひら)氏(評論家)です。「アイゼン・ハワー、レーガン、ブッシュなどアメリカの大統領には、多くの軍人出身者が就任している。危機管理の能力が高く評価されたから」というのは、なるほどと思いました。それにしても、古谷さん、寒そうですね。

古谷経衡 田母神としお 都知事候補 応援演説 秋葉原駅前 平成26年1月23日(木)


次は、三輪和雄氏(社会運動家・チャンネル桜キャスター)。あのガラガラ声の絶叫型の演説が、ライブで聞くと大変な迫力で、独特の心地よさがあることを発見しました。彼は、聴衆の心をつかむのが上手な弁士です。

次は、西村真悟衆議院議員が登壇したのですが、彼のスピーチはやや不適切な部分があり、それをアップするのははばかりがあるので、控えておきます。それをアップして、田母神さんのイメージがアップするとはどうしても思えないのです。彼の応援演説は今後控えてもらったほうがいいのではないかと思われます。

次は、色希さん(モデル)。抜群のスタイルとその美貌に思わず惹きつけられます。彼女が、田母神氏に頼もしい父性を感じていることがよく分かるスピーチです。同じことは、さきほどのSayaにも感じます。彼女の当会場での演説が見当たらなかったので、同日の他会場でのものをアップします。


色希 田母神としお 都知事候補 応援演説 新橋SL前 平成26年1月23日(木)


終わりから二人目は、水島社長です。選挙カーの上は、とても寒そうです。「タモガミクス」がうまく言えずに、社長が苦慮しているのが、なんだかかえって感慨深い。彼もまた体を張って闘っているのです。

水島総 田母神としお 都知事候補 応援演説 秋葉原駅前 平成26年1月23日(木)


最後に、「名司会者」葛城奈海さんが締めのスピーチ。今回の彼女の活躍ぶりには目覚しいものがあります。私は、すっかりファンになってしまいました。彼女はいまや「保守系の若き女神」のような存在になっているのではないかと私は感じています。滑舌の良い彼女でさえ「田母神イズム」と発音するのが難しそうです。寒いのでしょう。私も、二時間半の立ちっぱなしで、全身に打撃を受け、足は棒のようになってしまいました。支持者たちの熱心な「田母神コール」を背に、私は現場を去りました。

葛城奈海 田母神としお 都知事候補 応援演説 秋葉原駅前 平成26年1月23日(木)


最後に、カタイお話しを少々。

私は、埼玉県民ではありますが、都知事には、田母神俊雄氏がもっともふさわしいと思っています。その最大の理由は、安倍総理が掲げた「戦後レジームからの脱却」を、都政レベルで展開できるのは、田母神氏を措いてほかにいないということです。「日本を取り戻す」闘いを、都政レベルで力強く展開できる人物は彼しかいない、と言ってもよいでしょう。また、そのためには10数年間続いたデフレからの脱却がまずは実現されるべき最大の課題であることを、田母神氏は、ほかのどの候補よりもよく分かっているというのも大事なポイントです。国政レベルの国土強靭化路線を都における防災強化として肉付けしてアピールしている点が高く評価できる、と言ってもいいでしょう。

「国政と地方行政とは次元が異なる」というのはよく聞く言葉ではあります。しかし、東京都の経済規模は、世界の中堅諸国家と同程度という大きなものです。端的に言えば、東京都知事は、韓国大統領と同レベルの力を有するのです。だから、誰が東京都知事になるのかは、国政にも少なからぬ影響が及ぶといってよいでしょう。

また、「日本を取り戻す」ことは、とりもなおさず、「歴史を取り戻す」ことであり、そのためには、旧大日本帝国の国家主主権を死守するために命懸けで戦いそうして戦死していった英霊に対して、政治的なリーダーは、率先して最大限の敬意を払うべきであるという見識をゆるぎなく持することが必要です。その点、靖国神社への参拝を政治的な指導者としての当然の義務と公言する田母神氏は信頼ができます。

さらに、田母神氏以外の主な候補者が、外国人地方参政権を推進する立場なのに対して、田母神氏だけが、それは日本破壊の暴挙であるから断固として反対すると表明している点も評価できます。

さきほども申し上げましたが、アベノミクスが第三の矢に重心を傾け、新自由主義的な色彩を強めつつある昨今、それにノーを突きつける民意を示し、「日本を取り戻す」戦いの仕切り直しをするためにも、田母神氏にぜひ都知事になっていただきたいものだと思っております。ほかの候補者になくて田母神氏にだけあるもの、それは、手弁当で馳せ参じるコアな支持者たちです。この存在が、安倍政権を誕生させた原動力なのです。今回も「神風」が吹くのかどうか、しばし状況を見守りたいと思っています。戦況は予断を許しません。田母神氏を泡沫候補として扱いたがっている既存のメディアの手つきから、「インターネット・メディアVS既存メディア」の構図が透けて見えます。わたしたちは、負けるわけにはいかないのです。


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「つじつま」って何ですか?

2014年01月21日 21時47分32秒 | 教育
「つじつま」って何ですか?

私は、学習塾経営で生計を立てています。教室が手狭なのもあって、すべて個別指導で教えています。だから、生徒のレベルはまちまちで、学校でいちばんという子もいれば、学習にいちじるしく困難をきたしている子もいます。

今日は、精神科医から学習障害があると診断されている中1の生徒を教えました。その子には、国語を教えています。

ちょうど学校で故事成語のプリントが配られたので、それを教材にして教えました。いくつかあった出題のうちのひとつに、″「矛盾」は、どういう故事から出来て、どういう意味で使われているか説明しなさい″というのがありました。

いっしょに、「盾」(たて)と「矛」(ほこ)をめぐるあの故事をなるべく簡潔にまとめる作業をしたうえで、私は「だから、『矛盾』の意味は、つじつまが合わないこと、あるいは、話の理屈が通っていないこと、となるよね」と教えたところ、その小柄な子がどうも納得がいかないという風情で小首をかしげているのです。この仕草は、教える側が手を差し伸べるべきタイミングが到来したことの、その子なりのサインなので、どうしたのか問いただしてみたところ、要するに、「つじつま」という言葉自体の意味がつかめずに、戸惑っているようなのです。

その生徒に対しては、だいたいの感じを掴ませて「はい、つぎ」という形のラフな指導は通用しないので、そこで踏みとどまって、納得のいくまで掘り下げるよりほかに術はありません。

正直に言いますが、私には、その時点で自力で「つじつま」それ自体の意味をかみくだいて教えるだけの知識の持ち合わせがありませんでした。それで、「ちょっと調べてみるね」と正直に言ってインターネットで調べてみたところ、「つじつま」=「辻褄」で、〈「辻」は裁縫で縫い目が十文字に合う所。「褄」は 着物の裾の左右が合う所〉とありました。着物を仕立てるときに、印をつけた「つじ」や「つま」がピッタリと合う事によって、美しく出来あがります。要するに、「つじつまが合わない」とは、「本来、ぴったりと合うべきところが合っていなくて美しくない様子・状態」という意味なのでした。そのニュアンスがしっかりと伝わるやいなや、その子の表情がぱっと明るくなって、「先生、分かりました」という言葉が返ってきました。

先日その生徒が、「超える」と「越える」の違いが分からないという意味の疑問を抱いたときも、私は、ヒヤリとしました(具体的なものを「こえる」ときは「越える」で、抽象的なものを「こえる」ときは「超える」ということのようです)。その子が分からないと言っている内容は、実のところ至極ごもっともというよりほかにないものばかりなのです。

その例から、学習障害者一般がどうのこうのというつもりはありませんが、その子に限って言えば、分かった気になってとりあえず先に進む年相応の「器用さ」が不足しているせいで、集団授業からずるずると遅れをとっているようなのです。そうして、その子が分からなくて右往左往しているポイントは、実は、教える側がほんとうにそのことをよく分かっているのかどうかが試される箇所でもあることが、私は少しずつ分かってきました。相手は生身の人間ですから、これからいろいろと出てくるのでしょうが、私自身その事実から逃げることなく真正面から取り組んでいくことができたらよいものだと思っています。

その子を美化するつもりはありませんが、当人は、自覚しないうちに、身体ごととても大きな問いの入口に立っているのではないでしょうか。それは、〈「わかる」とは本当はどういうことなのか。ほんとうのことが分からなくて右往左往していることは、わかったつもりになって安心していることよりも「わかっていない」、劣ったことなのか〉という問いです。その問いは、突き詰めれば〈「ほんとう」とは何なのか〉という問いにつながるでしょう。その小さな身体が、その大きな問いに知らないうちに押しつぶされてしまわないように、すこしでもサポートすることができれば、とは思っています。
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BBC ワールド・ニュース キャスター・コムラ氏(Komla Dumor)急死

2014年01月19日 10時58分50秒 | 報告
BBC ワールド・ニュース キャスター・コムラ氏(Komla Dumor)急死



BBCワールド・ニュース「FOCUS ON AFRICA」のキャスター・コラム・デュモール氏が、一八日自宅で急死しました。享年四一歳。あまりにも早すぎた死です。

その迫力のある身体像と深みのある知的陽性ヴォイスは、いちど見聞きしたら、強烈に印象づけられます。さきほどその死を知って、思わず落涙してしまいました。さぞかし無念だったことでしょう。「FOCUS ON AFRICA」で、彼は、ポジティヴなアフリカの今を伝え続けました。クリントン元大統領と接する場合も、アフリカのスラム街の住民と接する場合も、彼の態度はいつも同じでした。相手に対する敬意をつねに失わない態度をキープしたのです。真のジェントルマンであったと言えましょう。または、マンデラ・スピリットのマスメディアにおける実践者とも申せましょう。

アフリカのガーナで生まれ、ガーナ大学で社会学と心理学を専攻し、ハーバード大学の修士課程を卒業しています。地元ガーナでは有名なキャスターで、二〇〇七年にBBCに入社しています。

Rest in peace,Komla.


KOMLA DUMOR SKILLS BBC FOCUS ON AFRICA
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長谷川三千子氏、自著『神やぶれたまはず』を語る

2014年01月17日 13時46分28秒 | 戦後思想
長谷川三千子氏、自著『神やぶれたまはず』を語る

来月の二日(日)に、新宿のジャズバー「サムライ」で「小浜逸郎×長谷川三千子×西村幸裕」の鼎談イベントが開催されることは、すでに申し上げました。
http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/cf3e8ab2631348075fc606b85133f3ff

「サムライ」では、実は、西村幸祐氏主催の思想系のイベントがすでに二回開催されています。

その第一回目は、昨年の八月二十日に開催された〈「戦争」を描けなくなった日本人、『風立ちぬ』と『終戦のエンペラー』と『終戦の昭和天皇』〉です。出演者は、西村氏のほかに三浦小太郎氏(評論家)、山野車輪氏(漫画家)、古谷経衡(評論家)でした。私自身、当イベントに参加しました。三時間あまりのイベントがあっという間に過ぎるほどに面白かったことを覚えています。

第2回目は、同じく昨年の十一月二四日(日)に開催された〈西村幸祐トークライブwith長谷川三千子"戦後体制は、どう克服されるのか"~長谷川三千子著『神やぶれたまはず』を巡って~〉です。ゲストに長谷川三千子(哲学者・埼玉大学名誉教授)を迎えて、話題の書『神やぶれたまはず』をふたりでじっくりと語るという趣旨のイベントです。

『神やぶれたまはず』は、著者ご本人をお招きしての読書会で取り上げたこともあり、また、私自身としても、この十年間ほど課題にしてき続けた「戦前と戦後をつなぐ」という問題意識に深く関わる内容を当著が含んでもいたので、当イベントにも参加する気でいたのですが、当日は読書会の実施日で、残念ながら出席できませんでした。ちなみに当日の読書会で取り上げた書物は、百田尚樹『永遠の0』でした。店主の二健さんからFBを通じて当イベントに招待されていたので、「読書会とぶつかってしまったので、残念ながら出席できません。取り上げるテキストは『永遠の0』。だから、場所の違いを超えて、「サムライ」と心はひとつに結ばれています」と返信しました(ちょっとキザですが)。

その内容を知りたいものだと思っていたところ、先週友人から当日の模様がまるまるyou tube にアップされていると教わりました。さきほど観終わったのですが、とても興味深い内容になっています。長谷川氏が、一昨日亡くなった小野田寛郎氏のことに触れて、「先日の八月一五日、靖国神社で小野田さんとお会いしたとき、彼は『私は、八月一五日が嫌いだ』と文字通り苦々しい表情で言っていた。彼は、『あくまでも生き残れ。そして、ひとりでもふたりでも殺せ』と命じられて昭和二十年八月一五日後も、たったひとりで三〇年間闘い抜いた。そういう小野田さんと、敗戦直後に集団自決した大東塾のひとびととを両極におかなければ、敗戦がほんとうにどういうものだったのかが浮びあがってこないような気がする。その視点がすっかり抜け落ちていた」と語っているのが、いちばん印象に残りました。よろしかったらご覧ください。画質・音響ともに鮮明です。


西村幸祐トークライブwith長谷川三千子
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