美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

ちかごろ思っていることは、こんな感じ。

2021年04月25日 00時28分46秒 | 日記


当ブログは、「ブログ村」にノミネートしています。そこの紹介文を最近、《「正しい情報の共有が日本を救う」が信条です。ニセ情報の跋扈は、日本を滅ぼします。》と変えました。

当方は、そのことを最近とみに痛感しております。

誤ったニセ情報がはびこる結果、解決できる問題がまったく解決できなくなっています。

消費税増税問題しかり。また、緊縮財政問題しかり。そして、2020年の米国大統領問題も、中共問題も、しかり。さらには、コロナ問題もしかり。おまけに、環境問題も。

ニセ情報のはびこりに最も「寄与」しているのは、大手マスメディアつまりMSMといわゆる「学者」「学識者」連中です。彼らが形作る「世論」を、政治権力も無視することができなくなり、解決できる問題がまったく解決できなくなる。

〔いまの私は、いわゆる「学者」とか「知識人」とか「思想家」とか言われてきた人々をまったく信じておりません。彼らは、自分のことを無意識のうちに「ふつうの人よりもオレはちょっと上」と思っていることを自覚できない点が、決定的にダメなのです。だから、事実を率直にまっすぐに観ることができないのです。〕

そういう間抜けな事態を懲りずにずっと繰り返しているのです。

この馬鹿げた連鎖を断ち切るには、さまざまな問題についての「正しい知識」「正しい情報」を国民の一定数が共有することが必須の条件となります。

間違ったニセ情報のはびこりは、冗談抜きで、国を滅ぼします。

そう考えて、近ごろの当ブログは、あれこれと発信をしております。

だから、図らずも間違ったことを発信してしまったら、それを率直に認め、なぜ意見を変えるにいたったのか、その理由をきちんと明示したいと思っております。

どうぞ今後もよろしくお願いいたします。
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『故事・ことわざ・慣用句 辞典』を買いました (美津島明)

2017年05月13日 14時37分00秒 | 日記


つい先ほど、近所のブックオフで三省堂の『故事・ことわざ・慣用句 辞典』を買ってきました。定価2400円が550円。安いですね。

実は私、言葉をあれこれと詮索するのがけっこう好きでして、この手の辞典を気ままにめくりながら、語源がどうの意味がこうのと考えるのが趣味みたいなものだったりするのですね。もっとも最近は、仕事にほとんどの時間を取られているので、そういう趣味に現を抜かすことがほとんどできていないのではありますが。

で、ひさびさにそういうことをしてみようかと思い立ったわけです(これを書いているそばで、中3の生徒がせっせと月例テストの問題を解いています)。

あいうえお順ではなくて適当にページをめくってみます。

櫛風沐雨」。「しっぷうもくう」と読みます。みなさん、この言葉の意味をご存知ですか。私は知りませんでした。「雨や風にさらされて苦労を重ねること。風を櫛として髪をとき、雨で髪を洗う意」だそうです。出典は「荘子・天下」で、原文は「甚雨に沐し、疾風に櫛(くしけず)り、万国を立てたり。禹(う)は大聖なり」です。禹は、伝説上の名君である堯(ぎょう)・舜(しゅん)から帝位を禅譲されて夏王朝の始祖となった、これまた伝説上の人物です。とすれば「櫛風沐雨」は、国家建設にいそしむ公人の苦労を意味していることになります。もともとの意味を考えれば、私人の苦労を形容する言葉としては適していない、と言えそうです。

借りる時の地蔵顔、済(な)す時の閻魔顔」。これは面白い。「金や物を借りる時にはにこにこと笑い顔をするが、返す時にはふきげんな顔をする。借りる時は貰ったような気持ちになり、返す時はただ取られるような気分になるのが人情の常である」とあります。人間通のことわざですね。思い当たる方がけっこういるのではないでしょうか。かくいう私もそのひとりです。人生いろいろありますから。で、基本的に私は、友人との間でのお金の貸し借りはしないことにしております。友情はお金で壊れやすいものだから。やむをえずお金を貸す側は、あまり「貸してやった」などと恩に着せたりせずに、お金を借りた側が返すときにはその腹の底に不機嫌な思いが渦を巻いている、つまり恩をあだで返されることを覚悟しておくほうがよろしい。その覚悟がないなら、友人にお金を貸すのはやめておけ、ということになるでしょう。

顔に紅葉を散らす」。慣用句とありますが、昨今ではめったに耳にしない言葉になりました。『男はつらいよ』のフーテンの寅さんが、こういう言葉遣いをしていたような記憶がおぼろげながらあります。「女性が恥ずかしがって顔を赤らめ、かえって色気を感じさせる様子」だそうです。用例として「おめでただそうですねと言うと、彼女は顔に紅葉を散らして、『はい』と答えた」が挙げられています。こういう時代がかった表現は、気恥ずかしくてできませんよね。クールさが女性の魅力としてクローズアップされるようになってきたこととどうやら関連がありそうです。クール・ビューティって、大変な誉め言葉でしょう?

尾大(びだい)掉(ふる)わず」。「上が弱小で下が強大な時は、制御することができないたとえ」とあります。原文は、「左伝・昭公十一年」にあり「末(すえ)大なれば必ず折れ、尾(お)大なれば掉わざるは、君の知る所なり〔木の枝が大きすぎると、その本がきっと折れるし獣の尾が大きすぎると、その尾を自由に振るい動かすことができないことは、主君もよくご存じのことです〕」と紹介されています。まるで、昨今の中国と北朝鮮の関係のようです。中国がコントロールするには、北の核兵器は肥大化しすぎたのかもしれません。

気ままなお話しにお付き合いいただきましてありがとうございます。生徒がテストを終えたようなので、これにて失礼いたします。
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わが初夢 (美津島明)

2016年01月01日 10時15分19秒 | 日記
わが初夢 (美津島明)



夜中の二時ごろ、妻が「いい初夢をみたいものだ」という。それはそうだと思いながら床についた。

すると初夢に、太宰治が出てきた。これからそのことを話してみようとは思うが、あくまでも夢なので、ほんとうらしさ以外は、すべてフィクションである。

太宰治は、新潮社の正社員になろうとして役員面接を受けている。家計が不如意のようで、必死である。生きんがために、正社員の座にかじりつこうとしているのである。役員は浮かない表情だ。どうも、太宰治が正社員として勤まりそうにないと思っているようなのである。ノートに「営業を理解しているか疑問」という意味の文言が書きつけられている。「企画力」に三角マークがついている。

そういう、自分に不利な空気を察し、太宰治の顔には脂汗がにじんでいる。心のなかで、「やはり俺は物を書くしかないのか」と思いはじめている。私は、夢のなかで、どうやら太宰治の夢を見ているという自覚があり、それなりに自分と太宰とを区別しているのだが、他方では太宰治の意識のなかに潜り込んでもいる。

ここで場面が変わり、私自身がサラリーマンになり、社内のプレゼンテーションに失敗し、しょぼくれている。そうして、同期の某氏が得意げにプレゼンしているのを心寂しくうかない気分で眺めている。どうやら、若いころのサラリーマン時代の一コマがモチーフになっているようだ。自分は、なぜここにいるのだろうか、という拭い難い違和感を抱きながらおのずと目が覚めた。

自分は組織に向いていないという思いが、夢の底に流れているのは明らかだ。それにしても、初夢に太宰治が登場したことそれ自体は、悪い気がしない。この歳になってもなお、「物を書くこと」をめぐって尋常ならざる思いが心中にざわついている自分を自覚しているからだ。その意味でいい初夢を見た、ということにしておこう。
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三島由紀夫『文章読本』と映画『少年時代』の感想 (再掲載・美津島明)

2015年12月08日 21時44分35秒 | 日記
日記がわりですみません
今日は、文学の読書会と映画鑑賞会という趣味的に充実した催しを楽しむ一日を過ごしました。文学の読書会は、もうかれこれ四年になるでしょうか。気心の知れた仲間と地味に続けています。普...




当文章中で、「三島由紀夫が、〈自分が読んだ中で最も神に近い美人をあげろと言われれば、それはリラダンの「ヴェラ」である〉といっている一節が妙に記憶に残ってしまったので、ぜひ読んでみたい」という意味のことを言いました。その後、岩波文庫の『フランス短編傑作選』(山田稔編訳)に収録されているのを見つけたので、さっそく買ってきて、読んでみました。短編ながらも読みごたえのある小説でした。じっくりと読み進めると、最愛の美しい妻を亡くしたダトール伯爵の哀しみが、読み手の心を少しづつ浸してゆき、おぼろげながらも、その女性のイメージが浮かんでくる仕掛けになっています。いまでも、この小説の余韻に身を任せようとすると、切ない気持ちが、地下水のように音もなく自ずと湧いてきます。巻末の作者紹介を引いておきましょう。

オーギュスト・ヴェリエ・ド・リラダン(一八三八~八九):名門貴族出身の伯爵。ブルターニュ地方に生まれ、後にパリに移住。詩才をボードレールに認められ、彼を通じポオやワグナーを知りつよい影響をうけた。またヘーゲル哲学にも傾倒した。没落貴族として、ときには浮浪者にまで身を落とすほどの極貧を経験したといわれるが、精神の高貴さを失うことなく、十九世紀後半のブルジョア的功利主義、物質主義、科学主義を呪いつづけ、反俗的な夢想、超自然的世界の賛美のうちに孤高を守った。最期は施療院で友人マラルメに見とられて窮死。生前はボードレール、マラルメ、ユイスマンらごく一部の人にしか認められなかったが、死後、象徴主義の先駆者として高く評価された。「ヴェラ」は一八七四年に「神秘的な物語」という副題つきで雑誌に発表され、後、彼の代表作の短編集『残酷物語』(一八八三)におさめられた。(後略)
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日記がわりですみません

2014年12月08日 01時06分52秒 | 日記
今日は、文学の読書会と映画鑑賞会という趣味的に充実した催しを楽しむ一日を過ごしました。

文学の読書会は、もうかれこれ四年になるでしょうか。気心の知れた仲間と地味に続けています。普段は、三人程度でひっそりとやっているのですが、今日は珍しいことに、三〇代から六〇代までの老若男男が六人集まりました。お昼に集合なので、まずは腹ごしらえをということで、代々木駅界隈のベトナム料理屋に行きました。料理についてのみんなの反応がまずまずだったので、ガイド役の私としては胸をなでおろしました。


そこを一時間ほどで出て、行きつけのルノアールで二時間ほどインテンシヴに文学談義をしました。テキストは、三島由紀夫の『文章読本』(中公文庫)。当ブログをご覧になっているみなさんが、三島由紀夫についてどういうイメージを抱いていらっしゃるのかよくは分かりませんが、一般的には、市ヶ谷の陸上自衛隊の駐屯地に乗り込み、若い隊員相手に時代錯誤のアジテーションをして総スカンを喰らい、総監室に戻って割腹自殺をして果てるという衝撃的な振る舞いをした狂信的右翼、といったところでしょうか。

そういう見方をむげに否定する気はありません。しかし、それだけではくくりきれない高度な知性と論理性を兼ね備えた思想家という側面が三島由紀夫にはあった、というと、驚かれるでしょうか。「それは言いすぎだろう」と思われたあなた。次に三島由紀夫の言葉を引くのでぜひご覧ください。

それ(現代口語文の革新――引用者補。二葉亭四迷の『浮雲』に始まる)は日本の歴史を西洋の世界史につなぐものであり、物質文明の歩調にあわせて、日本の言語を改革しようとするものでありました。その恩恵をわれわれはいま深く蒙っているのであります。その結果、失ったものは決して少いとは言えません。しかし文章は刻々変化して行くものであって、現代口語すらその発生時には、漢語めいた言いまわしや、明治時代特有の言いまわしを数多く固着させて、いま見ると当時の口語文は同じ口語文でありながら、あたかもたくさんの貝殻を附着させた廃船のように見えないものもないではありません。言葉は絶えず時代の垢をつけて死に絶え、また生き変わりしながら発展して行くものであります。

いかがでしょうか。彼が、日本の近代化を、言葉という具体相に即して、不可避の過程としてきちんと押さえるだけの視野の広さと懐の深さを持った、思想家としても及第点を与えうる人物であったことがおわかりいただけるのではないでしょうか(私見によれば、近代がもたらしたさまざまな意味における豊かさを軽く見る手合いは、思想家として一流とはいえません)。ここで短兵急に言ってしまいますが、彼は、抽象概念が欠如した、情緒的で、その意味で女性的な日本の文学風土において、論理と理知という男性的な武器で文学的に自立することに自己投企した文学者であると、私は思っています。その文学的姿勢と、反時代的な構えとが重なっているところに、彼の文学者としてのユニークさがあります。少なくとも彼は、直情径行的に反近代に走ったのではないのです。ここは、もう少し解きほぐしてじっくりと語るべきところではありますが、今日は、この点に関してはこれくらいで筆を置きましょう(いずれまた)。

そうでした。あとひとつだけ付け加えておきたいことがありました。本書中で三島が、自分が読んだ中で最も神に近い美人をあげろと言われれば、それはリラダンの「ヴェラ」であるといっている一節が妙に記憶に残ってしまったので、帰りに書店でそれが収録されている「フランス短篇傑作選」(岩波文庫)を買いました。さて、どうなんでしょうか。

次に、タクシーで隣駅の原宿まで分乗しました。そこで友人の映画会が催されるからです。読書会参加者六人のなかで、G氏は体調が万全ではないからというのでお帰りになりました。マスクでくぐもりがちな声で「最近なかなか美津島さんとお会いする機会がないから」という意味のことを控えめにおっしゃっていました。それだけのために、体調がすぐれないのを押して読書会に参加なさっていただいたことになります。言葉がありません。こういう方を大事にしないとバチが当たります。

映画会には、うろ覚えですが10数人が参加しました。上映されたのは、篠田正浩監督の『少年時代』(1990)。井上陽水の同じタイトルの曲が主題歌の映画です。むしろ、曲の方が人口に膾炙しているのではないでしょうか。少なくとも私は映画の方は初見でした。


内容は、戦中の一九四四年に富山県の親戚宅に東京から疎開した小学校五年生の男の子・シンジの、夏から翌年の終戦の夏までの輝かしくも切ない、そうして当人にとっては十分に過酷な体験です。「過酷な」と申し上げましたが、そこに戦争体験の過酷さが描かれているのではありません。戦争は遠景という位置をキープしながら、克明に描かれているのは、あくまでも《少年共同体》です。シンジは、その《少年共同体》の中心的存在、つまりガキ大将のタケシとの交流において、タケシの、権力者としての絶頂期と、自分に対する理不尽な暴力的振る舞いと、凪の海のような優しさと、王座からの不様な転落のさまのすべてを目の当たりにします。そうして、その転落に加担した自分の卑怯さ・矮小さにも直面することになります。しかし、王座から追放されいたぶられ続けるタケシは、彼とできうることならば和解を図ろうとするシンジに対して、彼の裏切りをなじるでもなく、毅然として「オレはかわいそうじゃない。オレに構うな」と小声で言います。

終戦を迎え母親が東京からシンジを迎えに来ますが、久しぶりに会った母親を懐かしむ余裕など、シンジにはありません。彼の小さな胸は、タケシをめぐるわだかまり・こだわりでいっぱいなのです。それをきちんと映像で表現しえたのを観たところで、私は、この映画を一級品であると心から思いました。つまりこの映画は、″少年にとっては《少年共同体》が世界のすべてであり、そのことを通して、彼はある決定的な心の傷を負うことになる。少年は、そういう痛切な通過儀礼を経ることによって、図らずも大人に変わっていく契機を不可避的に掴むのである″という人間の(男の?)ある時期の真実を描くことに成功しているからです(ネタバレになるのでこれくらいにしておきましょう)。しかし、その真実に気づくには、一定の鋭敏な感受性が必要であることも、映画会に参加なさった方々の感想をうかがっていて気づきました。普遍的なことがらが普遍的に周知されるとは限らないのですね。その事実に、胸の奥がいささか痛みました。人はあくまでも孤独な存在なのです。

ちょっとだけイチャモンをつけておきます。エンディングで流れる、井上陽水の「少年時代」が有するのびやかな情感と、当映画のリアリティの核としての少年の「痛み」とが、どこかずれているような感触を抱きました。曲自体はとても素晴らしい作品ではあるのですが。おそらく、陽水の、作り手としての美的メカニズムが、ある地点で映画のメッセージと遊離して、自律的に作動してしまったのでしょう。

それはとにかくとして、大変いい映画を見る機会を得ることができました。上映者のKさんに感謝します。はい、とても良い一日でした。
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