美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

最近の中国経済をめぐって――フェイス・ブックより (美津島明)

2015年08月27日 17時43分37秒 | 経済
最近の中国経済をめぐって――フェイス・ブックより (美津島明)



最近、次のような事実を知って衝撃を受けました。

田村秀男氏の『人民元の正体』によれば、中国科学院上海微系統研究所(SIMIT)は日本の情報通信研究機構(NICT)と、中国科学院上海光学精密機械研究所(SIMO)は日本の理化学研究所(理研)と、それぞれ研究協力覚書を締結しています。問題なのは、SIMIT・SIMOいずれも、中国共産党に直属する人民解放軍の傘下組織であることです。SIMITは情報通信技術開発機関であり、SIMOはレーザー兵器技術開発を手がける機関です。両機関が連携することで、衛星破壊装置や衛星通信傍受技術や高密度レーザー開発衛星等の最先端軍事技術の開発が可能になるとの由。そのような、日本の安全保障の根幹を揺るがしかねない研究開発をしている中共関連研究機関に、日本は、自分たちの最良の頭脳を、何も知らずに脳天気に提供しているのです。中共当局のほくそえみが浮かんでくるようです。

このように中共は、全力を挙げて対日工作を行い、日本の情報通信システムと関連技術を事実上自分たちの支配下に置くと同時に、サイバー攻撃をふくむ軍事面での日本の無力化を実現しようとしているのです。日本は、そのような中共の謀略に対してあまりにも無知・無警戒であり、そうであるがゆえに、監視体制が事実上皆無なのです。ほんとうに恐ろしいことです。

無知といえば、日本は、中共が人民元を国際通貨にすることによって、大陸中国をはるかに超えた地域に広がる人民元帝国を築き、同時に安全保障面の強化をも徹底しようとしていることに対しても、無知・無警戒・無防備です。中共にとって、経済と軍事と安全保障の問題は一身同体なのです。そのことをしっかりと押さえたうえで物を言おうとしないので、日経新聞などのマスコミや政府の中からさえもAIIB参加やむなしの声が聴こえてきたり、中共当局の一挙手一投足に浮足立って一喜一憂するような愚かしい言説を開陳したりしてしまうのです。

私は、目下、大陸中国経済をめぐる報道に対して、FBを通じてその都度いろいろとコメントを付け続けています。間違ったこともけっこう言っているだろうし、正直どう考えたらいいのか分からなかったり迷ったりすることもあります。しかしながら、そういう試行錯誤を通じて、中共が意図することと、その意図を超えた経済事象をできうるかぎり腑分けし、事の因果関係とその広がりとを自分なりに視野におさめたいとは思っております。みなさまにとって、いささかなりとも参考になることがあれば幸いです。


●八月二四日(月)「上海株、一時8・5%下落…投資家『投げ売り』」(yomiuri on line 8/24)
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/business/20150824-567-OYT1T50046.html

中共当局は、株価が安定したと判断して、株価の下支えを解除した。ところが、その途端、株価が暴落したのである。この事実は、大陸中国の経済状態が、当局の想定を超えたヒドさであることを物語っている。それゆえ中共は、株価を下支えし続けるよりほかはあるまい。つまり今後、大陸中国では、統制経済の常態化=経済の社会主義化が進むことになるのではなかろうか。ほかに、カタストロフを避ける手があるだろうか。

●八月二四日(月)「元安誘導でなく『容認』、人民元騒動の大誤解 本質は人民元の国際化に向けた改革の第一歩」(東洋経済ONLINE 8/24)
http://news.goo.ne.jp/article/toyokeizai/business/toyokeizai-81412.html

私の目に、当記事は、悪質な媚中記事と映る。特に、中立をよそおいながら、今回の中共による人民元切り下げ措置が、人民元のSDR参加への着実な一歩であるかのように評価しているところにそれを感じる。その論調は、中共による人民元の国際通貨昇格戦略が、軍事的覇権主義と一身同体であり、日本の安全保障にとって重大な危機的意味を有することを看過している点で、致命的な誤りを犯している。意図的だとすれば、万死に値する。

このような、冷静で中立的で「専門」的な見方をよそおい、政治と区別された純粋な経済分野があるかのような幻想をふりまく言説が幅を利かしているうちは、日本国民は、中共の真の意図が何なのかについての認識を共有できないのだろう。

〔コメント欄〕
M氏: この記事の元は東洋経済ですが、日経新聞も含めて、普通の真面目な若手のサラリーマンが、会社の上司に、経済の動きを知る情報元として日経新聞や東洋経済を読むことを奨められ、それを是と捉えてしまいます。上司よ、若者よ、自分の頭で考えてくれ、と言いたいです。

美津島明: なるほど。そうなんですね。なんともなさけのないことです。ケント・ギルバートなら、「ほら、WGIPの実例がそこにもあるでしょう」というところですね。東洋経済のこの体たらくを、石橋湛山は草葉の陰で嘆いていることでしょうね。

●八月二五日(火)「人民元切り下げでもSDR通貨認定に動くIMF」(田村秀男 YAHOO!ブログ 8/17)http://blogs.yahoo.co.jp/sktam_1124/41077519.html

当論考によれば、IMFが、どうやら人民元をIMFのSDR構成通貨として認める方向に動いているようである。また、アメリカもそれを容認するようである。三日連続の人民元切り下げによって、世界経済をあれだけ振り回したのにもかかわらず、である。中米の間でなにがしかのバーターがあったのだろうか。人民元のSDR認定は、元がドル・ユーロ・円・ポンドと同列の国際通貨になることを意味する。そうなれば、元の威信はぐんと高まり、AIIB融資に、ドルではなくて元が使える。東南アジアの元経済圏化が加速化する。ロシアなどからの兵器購入も元で済むようになる。高性能の武器の購入が容易になる。このように、人民元の国際通貨化は、日本の安全保障にとっての直接の大きな脅威になるのだ。大陸中国と地理的に離れたところにあるEU諸国などとは事情がまったく異なるのである。それともうひとつ。アメリカが、日本の安全保障をどうやら真剣に考えてはいないことも、私たち日本人は、肝に銘じる必要がありそうだ。自分の国は自分で守る、という国防の基本を、思い出したいところである。その腹が決まれば、たとえば、TPP交渉などで、アメリカの腹づもりを忖度して、露払いの役を演じたりするようなみっともない振る舞いをするようなこともおのずとなくなるだろう。

●八月二五日(火)「アリババが最安値=中国関連株売られる」(時事通信 8/25)
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/business/jiji-150825X700.html
アリババ・ホールディングスは、日本のマスコミから、大陸中国経済のめざましい発展の象徴のように、さんざん無責任にもてはやされてきた。しかし、その実態は、タックス・ヘイブンとして有名なケイマン諸島のペーパー・カンパニーにほかならない。契約で、大陸中国のアリババの収益は、すべてケイマンのアリババに送金されることになっているだけ、といううさん臭さである。つまり、アリババ・ホールディングスは、グローバル金融資本が繰り広げるマネー・ゲームの高価なおもちゃだったのだ。そんなものの株価が下がろうが、つぶれようが、どうなろうが、普通の日本国民からすれば、知ったこっちゃないのである。だってね、それは、辣腕会計士のキー操作のなかにしか存在しないのだから。それを考えると、ばかばかしくなってきませんか?マスコミは、また「あのアリババが、最安値!」とかなんとか無責任に騒ぎ立てるのだろうが。マスコミよ、真実を報道せよ。

●八月二五日(火)「中国、追加利下げ=株安阻止へ2カ月ぶり」(時事通信 8/25)
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/business/jiji-150825X817.html

大陸中国の止まらない株安は、金融経済と実体経済のはなはだしい乖離が根本原因である。つまり、中共は、バブル政策をやりすぎたのである。いいかえれば、膨らみすぎた金融経済が、株安という端的な現象によって、振るわない実体経済とのギャップを調整しているのである。だから、金融緩和によっていくら人民元を刷ってみても、あるいは、預金準備率を下げてマネーの活性化を図ってみても、実体経済が活力を取り戻さないかぎり、株価の安定は難しいだろう。金融緩和だけで実体経済の活力が高まらないことは、日本は目下経験中なので、多言を要しないだろう。実体経済の活力を取り戻すには、超格差社会という大陸中国の社会病理を改善するよりほかにはないだろう。つまり、中間層の育成をもたらす新たな成長モデルを設定しないかぎり、現状の改善は望めないということ。そういう、大陸中国におけるアメリカ型の国内問題が、世界中に大迷惑をかけている。それが、昨今の世界経済の実情であるように、私の目には映る。

●八月二五日(火)地デジのニュース番組を見ての感想

いま世界は、中国発の経済恐慌が起こるかどうかの瀬戸際にあるがゆえに固唾をのんでいる状況であるのに、日本のテレビでは、列島に迫りくる台風がいかにすごいものであるのかを、黄色いヘルメットをかぶったレポーターが、チープな実演をまじえて放送することに血道をあげている。いつもの馬鹿げた光景である。ケント・ギルバートが言うように、WGIPはいまだに日本のマスコミを呪縛しているようである。この、マスコミ主導の愚民化政策に終止符を打たなければ、日本はほんとうにダメになる。この発言を不愉快に思われるFB友達がいらっしゃるのなら、一度は、自分の、GHQによるWGIPの洗脳の可能性を慎重に確かめてみていただいたほうがよいような気がする。民放のレベルの低さには、目を覆うよりほかはない。NHKの反日報道のヒドサはもとよりであるが。

*誤解を生みそうな書き方になっているような気がするので、補足します。私は何も、台風の報道がいけないと言っているのではありません。日本は、地震・台風などの自然災害が多い国なので、国民が気象の変化に敏感になるのはしかたのないことです。だから、そのニーズに応える一定の報道内容があるのはごく自然なことでしょう。ところが、どのチャンネルを回しても、レポーターがヘルメットをかぶって強風のなかに立ち、いかに雨風がすさまじいものであるのかを絶叫口調で報じる同じような場面が目に飛び込んでくる、それもしつこく何度でも、となると話は別でしょう。詳細については上記に譲りますが、そういう内向きの報道姿勢がいつまで経っても変わらないのは不思議といえば不思議なことです。

●八月二五日(火)韓国の金融市場から資金流出 「制御不能」状態に=中国メディア(サーチナ 8/25)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150825-00000061-scn-bus_all

1997年のウォン暴落の再来か。根本的には、大陸中国寄りに舵を切ったことが誤り。韓国は、結局IMFの指導を仰ぐ事態を招くような気がする。彼らの、失敗を繰り返してしまう思考回路の独特の不器用さは、国民性なのだろうか。

●八月二七日(木)「中国経済の急減速を否定=『市場は悲観的』―日銀総裁」
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/business/jiji-150827X037.html

黒田日銀総裁によれば、大陸中国は、「来年までは6〜7%成長は達成できる」。李克強でさえ信じていない中共当局の数字を丸呑みするわけである。消費増税の影響についてのかつての発言もそうだったが、総裁は、馬鹿げた発言を垂れ流し続けるくらいなら、なにも言わないほうが得策である。金融面の安定化を図ることが中央銀行の主たる任務であることは分かる。そのことと、危機を危機として正面からきちんと認識し、それに基づいた見解を公にすることととは両立するのである。もし、黒田総裁が、すべてを分かっていながら、そういう馬鹿げた発言をしているのであれば、彼には、「国民は依らしむべし。知らしむべからず」という愚民思想があることになりそうだ。国民蔑視は、エリートの言葉の力を殺すのである。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ケント・ギルバートは、日本人に対するGHQの洗脳を問題視している(美津島明)

2015年08月17日 01時17分50秒 | 政治
ケント・ギルバートは、日本人に対するGHQの洗脳を問題視している(美津島明)



読書会仲間からの勧めで、ケント・ギルバートの『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』(PHP)を読んでみた。とても読みやすく書かれてあるというのもあるが、あっという間に読み終えた。面白かったのである。

どこが面白かったのか。それは、中国や韓国やアメリカから歴史認識に関していろいろとご無体なことを言われても、きっぱりと言い返せない日本人のもたもたぶりに業を煮やして、「いいかい、日本人よ。彼らにいろいろと言われたら、こんな風に言い返せばいいんだよ」と、ひとつひとつ具体的に指摘しようとする彼に、アメリカ人らしい率直さ、合理性、健全性が感じられた点である。

そうして、ギルバート氏は言う。日本人が、中韓米に対して言いたいことをいわずについ遠慮してしまうのは、占領時のGHQの洗脳がまだ解けていないからである、と。

氏によれば、硫黄島・沖縄の激戦や特攻隊の存在を通じて、連合軍は、日本軍の強さを思い知った。その強さが骨身に沁みて分かったのである。これが、戦後におけるGHQの日本人に対する執拗で徹底的な洗脳につながった。氏は、そういうふうに主張する。

本書から、引くことにしよう。少々長くなることをお断りしたい。

戦後占領期にGHQは、検閲等を通じて日本人に施した「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」というマインド・コントロールによって、日本人を徹底的に洗脳し、武士道や滅私奉公の精神、皇室への誇り、そして、それらに支えられた道徳心を徹底的に破壊することで、日本人の「精神の奴隷化」を図ろうと試みたのです。

GHQによる占領は、七年間で終了しました。日本はサンフランシスコ講和条約の締結により、形式上は独立国の主権を取り戻したことになります。ところが戦後七〇年になる現在も、日本人のマインド・コントロールはまだほとんど解けておらず、それが様々な分野に悪影響を与えています。なぜでしょうか?

私はその最大の原因は、戦後の政治家と教育界、そしてマスコミのせいだと考えています。彼らは日本人でありながら、アメリカが始めた「精神の奴隷化」政策を放置したばかりか、GHQが去った後も、かえってそれを強力に推進したのです。


WGIP、すなわち、「戦争についての罪悪感を日本人に植え付けるための宣伝計画」の重要な柱になっているのが、いわゆるプレス・コードである。これは、GHQによる検閲の基準となる報道規制であって、全部で30項目ある。「これらのことを表現したら、検閲にひっかかり、最悪の場合削除したり、発行停止にしたりするぞ」ということである。

以上を踏まえたうえで、次の動画を観ていただきたい。氏自身が、プレスコードについて触れている貴重な動画である。

【公式】また?GHQの洗脳WGIPに縛られている日本人【ケントキ?ルハ?ート】


あらためて、プレス・コード30項目を列挙しておこう。それらについてのメモ書きは、筆者の私見である。

〔1〕SCAP(連合国軍最高司令官もしくは総司令部)に対する批判
要するに、マッカーサーやGHQの悪口はまかりならぬ、ということ。それはそうだろう。鋭い適切な批判によって、GHQが実質的な主権者であることが白日のもとにさらされると、間接支配がうまくいかなくなるのだから。
〔2〕極東国際軍事裁判批判
いわゆる東京裁判の正当性に関しては、法廷においても疑義が絶えなかった。それが明らかにされることは、戦勝国の正当性がゆらぐことにつながりかねないのである。
〔3〕GHQが日本国憲法を起草したことに対する批判
GHQが、「日本国憲法は、日本人自身が作った」というフィクションをどれほどに欲していたのかが、このことからもわかる。GHQは、わずか十二日間で当憲法を作った。いわば、やっつけ仕事の産物なのである。それを、日本人は後生大事に約七十年間一語も変えることなく守り続けたのである。律儀といえば律儀な民族である。
〔4〕検閲制度への言及
GHQが、自分たちが設けた検閲制度の存在を、日本国民から隠すことに腐心していたのが分かる。
〔5〕アメリカ合衆国への批判
GHQへの批判がまかりならぬとすれば、当然、アメリカ合衆国への批判もまかりならぬ、となる。東京大空襲をはじめとする無差別爆撃、広島・長崎原爆投下など、戦時中にアメリカがしでかした数々の戦争犯罪が暴かれるのを避けたかったのだろう。
〔6〕ロシア(ソ連邦)への批判
上記の④を守り続けてきたのがいわゆる戦後保守と呼ばれる人々であり、八〇年代まで⑤を守り続けたのが、いわゆる戦後左翼と呼ばれる人々である。
〔7〕英国への批判
英国への批判は、同盟国・米国への批判につながる。
〔8〕朝鮮人への批判
戦後のマスコミや政府が、これを律儀に守り続けてきたので、外交戦や言論戦で、日本はいまだに韓国に対してボロ負けである。基本的な事実として、終戦時の朝鮮半島の住民は、日本国民であり、ともに大東亜戦争を闘ったことをまずは押さえたい。つまり、韓国は戦勝国ではないのだ。
〔9〕中国への批判
同じく、この規定も、戦後のマスコミや政府が、律儀に守り続けてきたので、外交戦や言論戦で、日本はいまだに中共に対してボロ負けである。ケント・ギルバート氏も本書で言っていることであるが、当時の日本は、中華民国政府(国民党)と闘ったのであって、中共と闘ったのではないし、ましてや、彼らに負けたのではない。日本は、戦闘では、イギリス軍やオランダ軍にも負けてはいない。負けたのはアメリカに対してだけである。そういう基本的な(素朴な)事実でさえも、日本が当規定を墨守することで、あいまいになっているのである。
〔10〕その他連合国への批判
しつこいようであるが、韓国は、「その他連合国」に含まれない。
〔11〕連合国一般への批判(国を特定しなくても)
要するに、日本は、連合国=戦勝国に都合の良い歴史観を受け入れろ、と言っているのである。その意味で、〈歴史とは、戦勝国の歴史である〉というのは、本当のことである。
〔12〕満州における日本人の取り扱いについての批判
終戦時、満州に軍事侵攻したソ連軍は、満州の日本人居留民に対して、極悪・非道の限りを尽くした。http://kenjya.org/higai1.html(賢者の説得力ホーム 満州での被害)。それに一切触れるな、ということである。ソ連軍が、終戦時の敗色濃厚な瀕死のドイツに侵攻し、日本に対するのと同様のすさまじい所業をなしたことは周知の事実である。
〔13〕連合国の戦前の政策に対する批判
ルーズベルト大統領が、日本を対米戦争へ追い込んだことは歴史的事実である。それを暴くことはご法度ということ。
〔14〕第三次世界大戦への言及
第三次世界大戦が起きたら、敗戦国日本がそれに乗じてのし上がろう、などと言ってはいけないということ。また、ヤルタ密約でソ連に協力させて戦争に勝ったのに、その後米ソが対立していることを批判してはいけないということ。アメリカの対ソ戦略の誤りを指摘することになるからだろう。
〔15〕冷戦に関する言及
「日本は、冷戦が厳しくなったらそこにつけこんでのしあがろう」などと言ってはいけないということ。
〔16〕戦争擁護の宣伝
「大東亜戦争は、日本にとって自存自衛の戦争だった」などと主張して、日本の戦争遂行を弁護してはいけないということ。
〔17〕神国日本の宣伝
日本の国柄の核心が、国民の、天皇に対する敬愛の念であることを見抜いていたGHQは、それを補強する神国日本の宣伝を禁じた。
〔18〕軍国主義の宣伝
ケント・ギルバート氏が言うように、皇軍に対する、米国の恐怖心がよく分かる規定である。
〔19〕ナショナリズムの宣伝
この規定の「効力」については、個人的な経験がある。ある左翼の知人が、「日本のナショナリズムは危険である」とあまりにも言い募るので、「日本のナショナリズムはダメで、米中韓などの他国のナショナリズムはOKというのがどうにも納得できない。その理由を、ちゃんと言ってみてくれ」と問いただしたところ、彼は小首をかしげて、「本当にどうしてなんだろうな」と言った。笑い話のようであるが、実話である。
〔20〕大東亜共栄圏の宣伝
「大東亜戦争を通じて、日本は、アジア諸国の、欧米諸国からの解放をもたらした」などと宣伝してはいけないということ。
〔21〕その他の宣伝 
 この規定によって、どんな報道も規制の対象になりうる、という恐ろしい代物。
〔22〕戦争犯罪人の正当化および擁護
この規定によって、東京裁判におけるA・B・C各級の戦争犯罪人を弁護したり擁護したりすることが不可能になった。「A級戦犯は、靖国神社から分祀せよ」という文化的に無知な言説の歴史的淵源は、この規定である。
〔23〕占領軍兵士と日本人女性との交渉
GHQの職員たちが、日本人による性接待を陰に陽に要求し、それを満喫したことはつとに知られている。その実態が暴かれるのは、占領に支障を来すと判断したのだろう。真偽のほどは定かではないが、当時の花形女優・原節子がマッカーサーの性接待を担当した、という噂が世に出回った。それがまことしやかにささやかれるほどの状況があったということ。日本人の間に反米感情が蔓延することを当局は恐れたのだろう。
〔24〕闇市の状況
闇市の実態を報道することは、GHQの経済政策の批判(GHQの経済政策の失敗の指摘)につながるので禁じたのだろう。
〔25〕占領軍軍隊に対する批判
日本人の間に反米感情が蔓延することを当局は恐れたのだろう。
〔26〕飢餓の誇張
食をめぐる不満は、生物としての人間にとって根源的なものである。それがつのれば、統治に支障を来すので、報道機関が食糧不足問題に深入りするのを禁圧したのだろう。「食いものの恨みはおそろしい」。
〔27〕暴力と不穏の行動の扇動
国民が騒ぎ出すような暴力行為や不穏状態を誘導・扇動する報道をしてはいけない、ということ。GHQが、左翼の不穏な動きに目を配っていた証拠。
〔28〕虚偽の報道
「虚偽」かどうかは、GHQが決めるということ。
〔29〕GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及
①の規定の念押しだろう。
〔30〕解禁されていない報道の公表
いささか分かりにくい表現である。要するに、真実の報道であっても、時期尚早ならば公表を差し控えるべきであるということ。「時期尚早」かどうかを決めるのはもちろんGHQである。

こうやって列挙してみると、報道機関の良心を木端微塵にするような規定がずらりと並んでいて、一種「壮観」ですらあると感じる。日本の報道機関は、このような報道管制下に約七年間身を置いたのである。大東亜戦争の約四年間も報道管制下に置かれていたのだから、結局十年間以上も日本の報道機関は報道管制下にあったことになる。その間に、彼らは、自己検閲能力だけを不必要なほどに鍛え上げたのかもしれない。その意味で、ケント・ギルバート氏が言うように、日本のマスコミは、いまだに報道管制下の構え方から自由になれないのかもしれない。悲惨である。一種の精神病と言えよう。その症例が、冒頭に掲げた「報道ステーション」の一コマである。

また、30項目のなかに、「自国の尊厳を貶めるような報道」という言葉はいささかなりとも含まれていない。むろん、天皇陛下や皇室の報道への規制も一切見当たらない。GHQの裏のメッセージは、「そういうことは勝手にやれ」である、と私は受けとめる。そのあたりのことについても、日本のマスコミは「律儀」に守っているように見受けられる。

次の動画もごらんいただければと思う。氏の、言論人としての基本姿勢がよく分かる。

第1回 ケント・ギルバートが日本に興味を持ったきっかけとは?~日本に見出すチャンス~【CGS 日本再生スイッチ】


それにしても、アメリカ人からじれったく思われたり、叱咤激励されたりするのを私たち日本人は甘受し続けるよりほかはないのだろうか。日本人はいつまでたっても自分たちの力で自虐史観から脱却できないほどに情けない民族なのだろうか。そんなに自分に自信が持てないのだろうか。そういう素朴な感慨がおのずと湧いてくるのを私は禁じ得ない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三日連続・人民元切り下げをめぐる諸動向(十四日、追加あり)――フェイス・ブックより(美津島明)

2015年08月13日 18時32分31秒 | 経済
三日連続・人民元切り下げをめぐる諸動向(十四日、追加あり)――フェイス・ブックより(美津島明)



中共当局が、今月十一日から三日連続で、人民元切り下げを断行しました。おそらく、中国経済は、金融面・実体面ともに、きわめて苦しい状況にあるのでしょう。つまり、中共当局は、自国通貨切り下げを、なにがしかの確固とした見識によって実行しているのではなくて、苦し紛れにやっているという印象があるのです。この経済政策は、中国経済に対しておそらくなんらのプラスの効果ももたらさず、むしろ悪影響を与えることになるような気がします。のみならず、今後世界経済にも少なからぬ災いをもたらすことになるのでしょう。

人民元切り下げが目下どのような余波を諸方面にもたらしているのか、ここ数日間の動向を時系列順にお伝えいたします。


●八月十二日(水)<中国>人民元2%切り下げ 輸出促進の狙い (yahoo japan ニュース十一日)http://news.yahoo.co.jp/pickup/6170236

二〇一二年以来、元の実効為替レートは、一貫して上がり続けてきた。そこには、「強い元」をアピールし、元の国際化を実現しようとする、中共当局の強い意志があったものと思われる。しかし、不動産価格は下がるし、株価は暴落するし、実体経済はもとより振るわないし、それに加えて、ここにきて、輸出額が低下してきた(注1)。それはまだまだ内需の乏しい中国経済にとってはゆゆしき事態である。そこで、やむなく、中共当局は、元を切り下げ、輸出の促進を図ろうとしたわけである。相当に苦しい台所事情をうかがわせる。しかし、それにしても、輸出促進のための意図的な自国通貨切り下げは、国際社会のルールに反する。アメリカは、だまっているのだろうか?

(注1) 私は八月九日(日)に、「中国輸出、8.3%減=景気に影響も―7月」( gooニュース)というニュースを受けて、FB上に、次のようなメモ書きをしています。

〈大陸中国は、内需主導型経済の日本とは異なり、韓国と同様にまだまだ外需依存体質を脱していないので、輸出8%減は、国内実体経済に少なからざる影響を及ぼすものと思われる〉。


●八月十二日(水)「上海株、続落で始まる 連日の人民元基準値下げ、資金流出懸念大きく」
(日経新聞 十二日)http://www.nikkei.com/markets/kaigai/asia.aspx?g=DGXLASFL12H70_12082015000000

連日の人民元基準切り下げ。中共は、あいかわらず、攻撃的だ。にしても、元安が加速すれば、輸出は確かに増えるが、株安で顕著になっている資金流出が加速され、資産価値が下落することでバブル崩壊の傷口が広がることになる。「あっち立てれば、こっち立たず」が、大陸中国経済の現状である。中共はいったい何をどう考えているのだろうか。その本当のねらいはなんなのか。あるいは、混乱しているだけなのか。しばらく静観する必要がある。昨日も書いたが、アメリカは、この露骨で攻撃的な自国通貨安誘導を座視するのだろうか?

●八月十二日(水)「ベトナム、取引幅拡大=人民元切り下げで―輸出競争力維持・「通貨戦争」に発展も」(時事通信社 十二日)
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/business/jiji-150812X120.html

中共の人民元切り下げのはらむ攻撃性に、ベトナムが反応したわけである。アジア諸国に自国通貨切り下げの連鎖反応が生じる危険性がある。中共発のアジア通貨戦争が火ぶたを切ってしまうのか。輸出依存国家・韓国がまずは敏感に反応しそうである。気が早いかもしれないが、そうなると、アメリカの利上げのタイミングへの思惑とも重なって、アジアからのドルの大量流出もありうることになる。つまり、アジア通貨危機の再来である。それが最悪のケースだ。

●八月十三日(木)株、「一時400円超安 人民元安でちらつく2万円割れ」(日経新聞 十二日)http://www.nikkei.com/markets/features/30.aspx?g=DGXMZO9045126012082015000000

株の一時的な変動はあまり気にならないが、記事のなかで、「市場関係者は人民元のさらなる下落を見込む。人民元の基準値は前日の終値をベースに決めるため、13日以降も切り下げが止まるかが不透明」とあるのは無視できない。人民元安がさらなる株価安と不動産価格安を招くと、その影響は、アジア大に広がり、大規模な通貨安を招き、世界経済に大きな影響を与えることになるからだ。安倍首相は、中共の人民元切り下げの動きがとまらないようであれば、遅滞することなく、消費増税の無期限延期を発表し、内需強化によって、中共発の世界経済のデフレの大波に対する防波堤をいち早く張り巡らせるべきである。国民はその意思決定を歓迎し、低落気味の内閣支持率が回復することだろう。景気の舵取りを誤れば、ヘタをすると麻生政権の二の舞である。安保関連法案に、その次は、川内原発再稼働問題に、間髪入れず食い下がろうとするアンチ安倍ネガキャン勢力の執拗さをあなどってはならない。

●八月十三日(木)「<中国>人民元、連日切り下げ…市場の動揺拡大」(毎日新聞 十二日)
http://news.goo.ne.jp/article/mainichi/business/mainichi-20150813k0000m020108000c.html

人民元の連日の切り下げの影響が、強いインパクトを伴って、世界に広がりはじめている。特に、新興国の場合、〈『資源安』『人民元切り下げ』『米利上げ』の三重苦に陥っている〉。BRICS神話は、もはや過去のものになりつつある。アメリカの対応に注視したい。

●八月十三日(木)「米国の幹部議員ら、中国の人民元切り下げを『挑発的』と非難」(ロイター 十一日)
http://jp.reuters.com/article/2015/08/11/china-markets-yuan-congress-idJPKCN0QG2B720150811

米国は、議員レベルでは、中共による人民元切り下げの強行を不正行為、挑発行為として、厳しく批判しているようである(日本の国会議員の間でそういう声がある、という話は聞いていない)。「為替操作国と認定すべし」という声もある。もし、オバマ政権が中共を為替操作国と規定すれば、大陸中国の保有する米国債は紙くずになる。

●八月十三日(木)「人民元3日間で4・65%下げ…元安誘導が加速」(読売新聞 十三日)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150813-00050063-yom-bus_all
中共による、この露骨で強引な人民元安誘導操作が、世界経済に災いをもたらすことは必定である。通貨によって、世界に戦争を仕掛けているのと同然である。なんとも困った国である。加地伸之氏がかつて中共を「巨大な田舎国家」と喝破したのは正鵠を射ている。ここは、アメリカに頑張ってもらうしかなかろう。

●八月十三日(木)「3日連続人民元切り下げ 中国、特異な“相場管理”『国際秩序乱す』批判の声も(産経新聞 十三日)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150813-00000088-san-cn

通貨の国際化を積極的に推し進めていないにもかかわらず、中共が、AIIBを立ち上げたり、IMFのSDR(通貨引き出し権)の獲得を目指したりするのは、じつは、おこがましいにもほどがあるというべきである。また、中共は、国際的な通貨秩序を守る気や世界経済に貢献する気などさらさらなくて、横暴かつ強引に、自国の都合のみを優先させようとするので、ヘタに元を国際通貨に昇格させると、世界経済には災いがもたらされるだけであるような気がする。そのことが、今回の人民元切り下げ騒動ではっきりとしたのではなかろうか。

〔追加〕
●八月十四日(金)「人民元、窮余の策に限界 切り下げ幅3日で4.5% 」(日経新聞 十四日)http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM13H84_T10C15A8EA2000/

「人民元切り下げ騒動」は、世界の、中共に対する不信感を残しただけで、とりあえず収束しそうである。今回の措置で貿易収支が改善されるとも思えない。元の国際化には明らかにマイナスの振る舞いだった。当局の「迷走」の印象はぬぐえない。

これは憶測の域を出ないが、三日連続で人民元を切り下げた後、申し訳程度に切り上げたところから察すれば、オバマ政権から、中共の今回の露骨な為替操作に対して、なにがしかの強烈なメッセージが発信されたのではなかろうか。
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

経済学を学ばなくても経済音痴は克服できる  (小浜逸郎)

2015年08月11日 19時47分55秒 | 小浜逸郎
編集者記:長いまえがきになることをお許しください。

以下は、ASREADという言論ポータルサイト(http://asread.info/)に掲載された小浜逸郎氏の論考です(掲載日五月二五日)。題して、「経済学を学ばなくても経済音痴は克服できる」。掲載については、著者ご本人とASREADの承諾を得ております。この場を借りて、あらためて感謝の念を表したいと思います。

当論考は、以前読んだ記憶があります。むろん、そのときも興味深い論考であると思いましたが、当ブログにぜひ転載させていただきたいと思ったのは、つい最近のことです。

そのきっかけは、施光恒(せ・てるひさ)氏の『英語化は愚民化』(集英社新書)を読んだことです。施氏は本書において、おおむね以下のような議論を展開しています。

″ヨーロッパが近代化を成し遂げるのには、宗教改革の過程において、ラテン語という当時の普遍語で書かれた聖書を土着語であるフランス語やドイツ語や英語に翻訳したことがきっかけになった。そういう翻訳作業を通じて、抽象的な観念や新しい語彙がそれらの土着語の中に作られ、土着語で高度な知的議論をすることが可能になっていった。それらの土着語で、次々に哲学書が書かれたこともその流れを加速させた。そのような文化の動向によって、土着語は国語となり自信をつけた一般国民の活力を引きだすことになった。また、日本が近代化を成し遂げたのも、欧米諸国の書物を盛んに日本語に翻訳して欧米思想の土着化を図り、日本語を豊かな国語に成長させることによってであった。つまり、近代化は基本的に、普遍から土着へという方向性によって成し遂げられたのである。その意味で、グローバリズムが主張するような土着から普遍へという一方向的な道すじに従うことは、中世世界への逆戻りを招来しかねない。″

私は、ざっくりと言ってしまえば、現代におけるいわゆる主流派経済学の術語が、上記のラテン語や近代以前の日本にとっての欧米語にあたり、生活感覚にあふれた一般国民の経済理解が土着語にあたるのではないかと思ったのです。そうして、小浜氏が当論考で喝破しているように、一般国民の「経済のことはよく分からない」として経済を語ることを敬遠する消極姿勢こそが、主流派経済学という今様ラテン語がエラそうに跋扈していられる事態を招いているのではないかとも思ったのです。

いま私は、「跋扈」という言葉を使いました。なぜか。それは、主流派経済学が基本的にはグローバリズムの流れに掉さしているからです。グローバリズムは、結局のところアメリカ型の超格差社会を招来することになるので、一般国民としては、それに組することで得るものはなにもありません。

要するに、われわれ一般人が身近なところで、普遍を装うグローバリズムの流れに抗するためには、小浜氏の論考のタイトルにあるとおり「経済学を学ばなくても経済音痴は克服できる」という姿勢を固めることが相当に有効であると思うのです。

そう考えると、当論考が俄然光り輝きはじめたのです




経済学を学ばなくても経済音痴は克服できる  (小浜逸郎)
2015/5/25

5月15日にPHP研究所で、経済評論家の三橋貴明氏、評論家の中野剛志氏と一緒に、特別シンポジウム「日本の資本主義は大丈夫か――グローバリズムと格差社会化に抗して」というのをやりました。当日参加してくださった多数の皆さんに、この場を借りて謝意を表します。

会の冒頭、私は次のようなことを申しました。

私は三年前くらいまでひどい経済音痴だった。キャピタルゲイン、プライマリーバランス、マネタリーベースなどという基礎的な経済用語すら知らないばかりでなく、経済に明るいある友人が三橋氏の本を読んでいるのを傍らから覗き込み、「なんだってまた、石橋貴明の本なんか読んでるんだ」と言ったくらいである。ところが、評論家稼業などを長年やっているのに、いくらなんでもこれではまずいと思い、その友人にサポートしてもらいながら少しばかり勉強するうち、マクロ経済の全貌がおぼろげながら見えるようになった。そうなってみると、マスメディアを中心に世の中に出回っている一部の経済学者、エコノミストたちの発言がとんでもない誤りであることがわかるようになり、また、そうした「知識人」の発言に同調して行動している政権担当者や政権に食い込んでいる人たちがいかに国民のためにならない間違った政策を実行しているかも明らかになった……。

こう言うと、英会話学校の広告みたいに、短時間で私が経済学理論をマスターしたことを自慢しているように聞こえるかもしれませんが、それとはまったく違います。私はいわゆる「経済学」など知らないという意味では相変わらず経済音痴で、特定の経済理論をマスターしているわけでもありません。そのことをわかってもらうために、上記の発言で言い足りなかったことを本稿で補足します。

経済のことはよくわからない、という人が多いですね。社会は、まるで地球の自然現象のように、ちっぽけな自分などはるかに超えた大きな流れで動いていて、特に経済界は、いろいろな立場の人たちの意向が複雑に絡み合い、その時々の集合心理であっちに動いたりこっちに動いたりするので、法則や予測を立てることができない。また経済学者は難しい用語を用いてもっともらしい理論を持ち出すし、エコノミストの言うことも人によってバラバラで、何を信じてよいのかわからない、と。

こうして多くの人々は、経済について考えるのをあきらめてしまっています。現代の経済理論って、難解な数式を使って法則らしきものを導き出しているようだけど、あれにはとてもついていけない。でもそれが理解できなければ、経済がわかったとは言えないだろう。だからやっぱり、経済問題や経済政策について考えるのは遠慮しておこう。頭のいい偉い人たちが言ったりやったりしているんだから、なんだかよくわかんないけど、一応それに任せておくほかはないんじゃないか。こちとら毎日生活に追われているしな……。

ところが、ここにこそ大きな落とし穴があります。経済学者やエコノミストは、いかにも長年の理論武装で経済の現実を正しく分析しているような顔をしていますが、そういう顔ができるのも、多くの人々が経済について考えるのを敬遠していて、その空隙につけ込んでいるからなのです。そうしてこの30年間ほど、そのつけ込みが功を奏して、いわゆる経済学の分野は、競争と効率さえ追求すればよいという新自由主義イデオロギーと、政府の債務を減らして支出を削ることがいいことだという、根拠のない財政均衡主義とにすっかり毒されてしまいました

後者の好例は公共事業アレルギーですが、これと軌を一にするのが、歳費の節約(いわゆるムダをなくす)という発想です。この発想は、国民のルサンチマンと合体して、公務員の給料カットや国会議員減らしの政策として推進されています。先ごろ大阪都構想で敗北した大阪市長の橋下徹氏などは、なんと国会議員の数を半分にしろとか、一院制にしろとかとんでもないことを主張して、一定の支持を得ていました。これがとんでもない一番の理由は、この提案が日本の代議政体の破壊による全体主義化につながるからですが、それはともかく、かつて私は、こうした政策がどれくらいの節約につながるか計算し、そのデメリットを分析してみたことがあります。
http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/d88685ce9a47d49c4edf040b19558e6a

その結果得られたのは、節約分は全公費のわずか0.3%であり、しかもただでさえ先進国中、最も少ない公務員数で何とかやっている日本の行政サービスが、劣化の道を歩むことが確実に予想されるという結論です。

さて消費増税、公共事業削減、TPP交渉、構造改革、聖域なき規制緩和、いわゆる成長戦略、外国人労働者受け入れ拡大策、ホワイトカラー・エグゼンプション、電力自由化、条件抜きの法人税減税、女性政策、農協改革など、近年の政権が取ってきた、あるいは取ろうとしている政策は、すべて先の二つの「毒」の産物なのです。これらの政策がパッケージとして施行されると(施行されつつあるのですが)、国民経済はやせ細る一方であり、これまで日本の経済力を支えてきた労働慣行や商業慣行、要するに よき文化・慣習の破壊に導かれることは確実です。


ところで、経済音痴がなぜこんなことを断定できるようになったのか。じつは、はじめに申し上げた「少しばかり勉強した」という、その「勉強」の方法、関心のもち方、目のつけどころをどこに置くかが決定的なのです。

「勉強」というと、勉強好きの日本人は、たいていまず大学や大学院に通って専門家に学ぼうとするか、学界で偉いと言われている先生が書いた「経済学入門」などの本を読んで基礎的な教養を身につけようとするか、または難しい理論書に肩を怒らせて取り組んだりします。しかし、それが間違いの元です。
『経済学の犯罪』(講談社現代新書)を著した佐伯啓思氏を読書会にお呼びした時、塾を経営しているある参加者が、「自分の塾に来ている生徒が経済学部を受験したいと言っているのですが、どうでしょうか」と質問しました。佐伯氏は言下に「あ、それはやめたほうがいいです」と答えて、会場の笑いを誘いました。

経済学や経済の理論を勉強することと、経済社会の現実が大筋でどうまわっているかを理解しその是非を判断することとはまったく別のことです。もちろん重要なのは後者です。その違いを簡単に整理してみると、次のようになります。


①現代の「専門学」と名のつくものは、価値観からの中立を装い、できるだけ脱倫理的・客観的な体裁を取ろうとする。しかし経済の現実を理解することにとって、ある学説や政策がどんな価値観を暗黙の前提にしているかを知ることは不可欠である。どんな言説も、純粋中立などということはあり得ない。中立、公正、脱倫理・没価値的・客観的な体裁を取っている言説ほど、じつはあるイデオロギーのドツボにハマっている傾向が強い。経済学に関してはことにこのことが当てはまるので、要注意。

②経済とは、現実の生きた社会における人間のダイナミックな活動である。したがって、その現実の活動からある法則性を抽出し、理論として提示されたものは、あくまで一つの仮説にすぎない。流動する現実がその仮説と食い違う実態を示すときには、仮説のほうを改めなくてはならない。しかるに、理論信仰に陥っている主流派経済学者たちは、そういう時、現実のほうが間違っていると固執する

③経済を理解する上で重要なのは、国民生活にとってある不幸な現象がみられるとき(たとえば失業者の増加、賃金の低下、生活の困窮、企業の倒産)、なぜそうなるのかという問題意識を抱き続けることである。しかるにとかく学問の牙城に閉じこもりがちな「経済学者」たちは、概して理論の形式的な整合性にこだわり、こういう切実な問題意識に対して冷ややかな態度しか示さない。


もちろん、経済のことを考えるのに、ある程度の基礎知識は必要でしょう。しかし、それは経済「」を学ばなくても、日ごろから上記のような問題意識を手放さず、世界情勢、国内情勢の生きた動きに絶えずアンテナを張っていれば、自然に身についてきます。

次に、自分の常識的な感覚(ただしマスメディアにマインドコントロールされていないかぎりでの)に照らして、この人の言説は信頼がおけると感じられる言論人を何人か見つけることです。その人たちの発言になるべく多く接していると、経済学上の語彙・概念がわかってきますし、同時に、その使い方を見ていれば、ある理論(たとえばトリクルダウン理論)が正しいか間違っているかも読めます。その人たちがたとえ少数派であろうと所属する世界で孤立しているように見えようと、そんなことは関係ありません。書物に関しては、そうした優れた洞察力を持つ人のものを何冊か読めば十分でしょう。

要するに、「勉強」というときに、「学問」的に権威とされている人の説を盲信しないことです。これはどんな勉強についても言えますが、特に経済に関しては顕著に当てはまります。たとえば東京大学教授の経済学者(私はここで三人の名前を思い浮かべています)だからといって、正しい説と指針を示しているかといえば、まったく反対で、いずれも新自由主義者であり、財政均衡主義者です。

ちなみに、政権与党の党首・有力政治家だけでなく、いまの野党で日本の経済危機の本質をきちんと理解している政治家は全然見当たりません。安倍政権の最大の弱点を突く政党が存在しないことを見てもそれがわかるでしょう。

マルクスは、経済社会の構成と運動を下部構造ととらえ、政治、宗教、芸術などの観念様式は、それによって大きく規定される上部構造だとして、社会をよりよくするには前者の解明こそが重要なのだと説きました。社会主義国家の崩壊とともに、マルクスの思想的な業績は忘れられたかに見えますが、彼のこの指摘は、依然として正鵠を射ています。

現代日本の政治家たちは、経済について真剣に考えることの重要性を忘れ、上部構造的な問題にばかり主力を注いでいます。頭でっかちになっているのですね。

いかがでしょうか。

本稿で訴えたかったのは、次のことです。

「経済は難しいから、自分は苦手だから、踏み込むのは遠慮しておく」という多くの人が抱いている感覚が、じつは間違った「経済学」をのさばらせる温床なのだということ。そういう遠慮をひとまず捨て去り、上に述べたような仕方で少し勉強してみると、意外とだれでもマクロ経済の動きが見えてきて、ある理論や政策のおかしさが判断できるようになるのだということ。国民の利益や福祉に少しも資することのないこうした理論や政策をきっぱりと拒否できるような人が、少しでも増えてほしいということ、以上です。

私のような経済音痴だった人間が、まさに発展途上のいま、実感を込めて言っているのですから、これは確かです。どうぞ、これまで経済問題を考えることを敬遠していた人たち、今日からでも「経済学」ではなく、現実経済の勉強を始めてください!

まずは手始めに、三橋氏だけではなくいろいろな人が執筆されているメルマガ「三橋経済新聞」の会員(無料)になり、これを毎日欠かさず読まれることをお勧めいたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国経済をめぐっての覚書――フェイス・ブックより (美津島明)

2015年08月09日 20時12分31秒 | 経済
中国経済をめぐっての覚書――フェイス・ブックより (美津島明)


出井伸之・ソニー元CEO

目下の世界経済のおもな着眼点は、①ギリシャ問題に象徴されるEUの動向、②アメリカ・FRBの利上げのタイミング、③中国経済の崩壊の可能性やそのタイミングの3つであると言われています。それに、ISをめぐる中東情勢の不安定化・危機の深化を付け加えてもよいかもしれません。

そのなかで、日本にとっていちばん直接的な影響がありそうなのが、③の「中国経済の崩壊の可能性やそのタイミング」であるというのは、衆目の一致するところでしょう。むろん、そのほかの論点を過小評価してならないことは言うまでもありません。

それで、昨日・今日、中国経済をめぐってフェイス・ブックにアップしたいくつかの覚書をお見せしようと思います。みなさまが中国経済について考える材料にでもなればと思います。

●八月八日(土)「中国経済成長率、実際は公式統計の半分以下か 英調査会社が試算」
(ロンドン 六日 ロイター)
http://jp.reuters.com/article/2015/08/07/china-economy-data-idJPKCN0QC0G520150807

中共当局の公式発表の成長率7%の半分どころか、鉄道貨物輸送量、消費者物価指数の下落傾向を勘案すれば、いまの中国経済は、デフレに突入した可能性さえありうる。つまり、ゼロ成長。鉄道貨物輸送量は十四年当初から、消費者物価指数は十二年当初から前年同月比で低下し続けているのである(鉄道貨物輸送量については、ナンバー・ツーの李克強首相が「当局が発表する経済指標のなかで唯一信頼できるもの」と評したことはよく知られている)。

このことは、中共当局が、適切な経済政策を施すための正確な経済指標をほとんど持っていないことを意味する。おそろしいことである。なぜ、おそろしいのか。そういう場合、荒っぽいけれどさしあたり高い効果が期待できる経済対策=戦争に走る公算が大きいからである。かつて、ヒトラーがそうだったように。

●八月九日(日)「崩壊する中国“成長の方程式” 不動産ブーム支えた外準の減少が止まらない」(田村秀男 産経ニュース 八日)
http://www.sankei.com/economy/news/150808/ecn1508080008-n1.html?fb_action_ids=1482866432012327&fb_action_types=og.recommends&fb_source=other_multiline&action_object_map=%5B849715265124060%5D&action_type_map=%5B%22og.recommends%22%5D&action_ref_map=%5B%5D

中共の通貨発行は、中央銀行である中国人民銀行が、国内に流入するドルを買い上げて外貨準備とし、その額を基準にして通貨人民元を発行し、その元資金を商業銀行に供給する、というしくみである。ドルの裏付けのある通貨発行をすることで、元の信用をキープしてきたわけだ。実質的にドルペッグは継続されているのだ。

ところが、この一年間、外準が減少し続けているせいで、通貨発行が思うようにできず、機動的な景気対策がかなわなくなっている。AIIB構想も、潤沢な外準があってこそなのであるから、外準の減少傾向は、中共にとって、きわめてゆゆしき事態なのである。

それゆえこれから、日本政府に対する友好姿勢が際立ってくるはずである。すでにその兆候はある。日本政府には、例のごとくに中共からコロッと騙されるお人好しにならないよう注意していただきたい。心配なのは、外務省の事なかれ主義である。彼らは、中国の「軟化」にヒョイと乗っかり、政府を自分たちの都合のいいように誘導しそうな気がしてしょうがない。

●八月九日(日)「中国失速、鉱業に打撃=金属相場安で人員削減」(時事通信社 八日)
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/business/jiji-150808X672.html

大陸中国の経済失速のせいで、金属相場が下落している。そのため、世界経済に悪影響が出始めている、ということ。具体的には、英資源大手アングロ・アメリカンの業績が悪化したり、有力鉱業国の南アフリカがあわてふためいたいりしている。中国経済の世界経済への影響は、金融面にとどまらない、ということである。

●八月九日(日)「中国輸出、8.3%減=景気に影響も―7月」(時事通信社 八日)
http://news.goo.ne.jp/article/jiji/business/jiji-150808X650.html

大陸中国は、内需主導型経済の日本とは異なり、韓国と同様にまだまだ外需依存体質を脱していないので、輸出8%減は、国内実体経済に少なからざる影響を及ぼすものと思われる。大陸中国の輸出依存率(輸出総額の対GDP比)は、22.67%、日本は15,26%である。ちなみに韓国は、43.87%と突出している。

日本は、バカマスコミが喧伝したがっているような輸出依存型の経済構造ではない。そういう経済構造からは、高度経済成長期に早々と脱却しているのである。アメリカに次ぐ内需主導型経済国家なのである。
http://www.globalnote.jp/post-4900.html

●八月九日(日)「ソニー元会長の出井氏、中国のゲーム企業顧問に」(YOMIURI ONLINE 八日)
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/business/20150808-567-OYT1T50114.html

たしか出井・ソニー元CEOという人物は、ソニーをボロボロにした張本人ではなかったか。これから混迷の度を深める公算の高い中国経済にあえて首を突っ込むところから、彼がソニーをダメにした大本の原因が、中国経済に対する見通しの甘いその媚中性にあった、ということを垣間見るような気がするのは私だけか?日経新聞が、ヨイショ記事を書きそうなネタである。遊族ネットは、出井氏をおそらく日本から金を引っ張り出す金ヅルとしか見ていないのではなかろうか。まあ、推測の限りでしかないが。

私は、出井氏を個人的に誹謗中傷したいわけではない。むろん、彼には何の恨みもない。理不尽なことに、財界に「大陸中国は、巨大な市場」という「中国幻想」が根強く残っている事実を指摘したいだけである。ほんの数年前に反日暴動によって多大なる被害を受けたうえ、中共当局からなんの補償もされなかったという「泣きっ面に蜂」の経験をしておきながら、懲りずに、伊藤忠のように大陸中国に投資し続ける日本企業がまだまだ存在するのである。

むろん、撤退したくても、先方の法律上のご無体な縛りがあって思うに任せないという事情があるのは理解できる。既存の現地日本企業はいわば人質にとられているようなものなのである。だったらなおさら大陸中国に対しては警戒モードで臨むのが常識だろう。出井氏の身の処し方や、日経新聞等の大陸中国がらみのネタの取り扱い方から、そういう危機感や緊張感が感じられないことが、私は不思議でしょうがないのである。そういうことが、経団連の媚中体質につながっているのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする