美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

ブルターニュの歌姫ノルウェン・ルロワに魅せられて (美津島明)

2016年02月25日 22時26分36秒 | 音楽
ブルターニュの歌姫ノルウェン・ルロワに魅せられて (美津島明)



マイク・オールドフィールドというミュージシャンをご存じでしょうか。私が高校のときのことだから、一九七三年だったと思いますが、『エクソシスト』というオカルト映画が話題になりました。それのテーマ音楽として採用されたのが、マイク・オールドフィールド作『チューブラ・ベルズ』の導入部でした。

同アルバムは、当時若干二十歳(はたち)のマイク・オールドフィールドが、ひとりで作り上げてしまった壮大なロック・シンフォニーで、いまでも、いわゆるプログレッシヴ・ロックの歴史的名盤とされています。

そのマイク・オールドフィールドが、1983年のアルバム『クライシス』収録の「ムーン・ライト・シャドー」を同年にシングル・カットし、それが大ヒットしました。歌詞は殺された恋人にいつか天国で会えることを祈るという内容で、癒し系のとてもいい曲です。歌はマギー・ライリーが担当していて、その甘酸っぱいヴォーカルが、ポップな曲調に哀切感を織り込んでいます。とても好きな曲なんですね。

昨日youtubeサーフィンをやっていて、この懐かしい曲を、ノルウェン・ルロワ(Nolwenn Leroy)というフランスの若手の女性シンガーがカヴァーしているのを目にしたのです。お聴きください。

Nolwenn Leroy, Moonlight Shadow, France 2 [HD 1080p]


「大輪の華が咲いたような」という形容詞節はこの女性のためにあるのではないか、などという大げさな言い方をしてしまいたいほどに、私は、この女性の歌う身体像に魅せられてしまったのです。いやぁ、ほれぼれします。むろん自然体を大切にしている趣きの歌声や曲作りのセンスも申し分ありません。こういう歌手の存在をこれまで知らなかったのは不覚でした。

彼女がカヴァーしているマイク・オールドフィールドの曲はこれだけではありませんでした。1996年にリリースされた『Voyager』収録の「woman of Ireland」も歌っているのです。原曲は、ギターとバグパイプをフィーチャーしたインストルメンタル・ナンバーです。この曲も、昔よく聴いたものです。この曲の持ち味である、哀切感と倦怠感に満ちた情緒をしっかりとつかまえた歌いぶりになっています。

Nolwenn Leroy - Mna Na H-Eireann - Musiques en fete - France 3


そうやって聴くうちに、「この女性、タダモノではない。なにか、背景がありそうだ」と思うようになり、いろいろと検索してみたところ、Wikipediaに次のようにありました。

フランスの北西部ブルターニュ地域圏フィニステール県にあるサン=ルナンで、ブルトン人の家庭にて生まれた。

ブルトン人とは、どういう存在なのでしょうか。

ブルトン人は、フランス、ブルターニュ地方に主として暮らすケルト系民族のこと。彼らの先祖は4世紀から6世紀にかけてグレートブリテン島南西部から移住してきたブリトン人である。ブルターニュという地名は彼らにちなんでおり、一部の人々は今もケルト語系のブルトン語(最近はブレイス語と呼ばれる)を話している。

要するに彼女には、ケルト民族の血が流れているのです。そういう背景を頭に入れたうえで、彼女の次のような歌をいくつか聴いてみるのも一興ではないでしょうか。

そういえば、マイク・オールドフィールドの母はアイルランド人でした。彼は、酒乱癖のある母親への複雑な思いにこだわり続けることを通じて、アイルランドやケルト文化に関わり続けてきたといっていいでしょう。そのことに、ノルウェン・ルロワはおのずと反応したのではないでしょうか。


Nolwenn Leroy - Clip "Tri Martolod"


Nolwenn Leroy - La Jument De Michao


Nolwenn Leroy - Juste Pour Me Souvenir
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世界を見る目は、どのようなものであるべきか ――北野幸伯氏の論考を手掛かりにして(美津島明)

2016年02月23日 15時23分36秒 | 政治
世界を見る目は、どのようなものであるべきか 
            ――北野幸伯氏の論考を手掛かりにして(美津島明)




国際関係アナリスト・北野幸伯(きたの・よしのり)氏のダイアモンド・オンラインに連載中の論考の第21回がアップされました。2014年の五月から連載が始まった、北野氏の「ロシアから見た『正義』 “反逆者”プーチンの挑戦」です。私は、この連載にとても注目しています。

これから、そのあらましをご紹介します。それをごらんのうえで、末尾に当論考のURLを掲げておきますので、ぜひそちらをご精読ください。どなたにとっても、益するところ大であると確信しています。

さて、日本の大手マスコミの報道は、いまだに次のような希望的観測を交えた、国際関係の「テンプレート」を前提としているように感じられます。

・アメリカとサウジアラビアとは、いまだに良好な関係である。

・イスラエルとアメリカとは太いパイプで結ばれた一心同体的な関係にある。

・アングロサクソン「米英」は、いつも一緒に陰謀をめぐらし、世界支配体制を維持強化しようとしている。

・欧州一の経済大国ドイツは、基本的にアメリカに従順である。

・欧米先進諸国の利害は、おおむね一致している。


ところが、北野氏によれば、それはもはや過去のものであり、その「テンプレート」的世界認識を捨て去らないかぎり、世界情勢の生の姿はわれわれ日本人の視野に浮かび上がってこないし、それが浮かび上がってこないと、今後の日本は、世界政治経済の荒波を乗り切ることができない。北野氏は、そう主張します。

これらの「テンプレート」の核心をざっくりと言ってしまえば、「基本的にアメリカの覇権は揺るぎがないとなるでしょう。そうして、アメリカの強力な軍事力を当てにした、他力本願の安全保障体制に長らく(本当に長らく)慣れ親しんできた日本は、とりわけアメリカの覇権幻想を抱きやすいがゆえに、そういう「テンプレート」に目をくもらされる危険性が、ほかのどの国よりも大きいのではないでしょうか。

私見によれば、日本人の、「民主主義」というマジック・ワードに対する過剰なほどの高い価値づけ、「民主主義はとにかくすばらしいものだ」というナイーヴな思いこみは、アメリカの覇権幻想にしがみつく、みっともないとしか言いようのない属国的習性から生まれてきたものです。

では、本当のところ、世界はどう動いているのでしょうか。北野氏が言わんとするところを、以下のようにまとめてみました。

まずアメリカについて。シェール革命を経て、いまや世界一のエネルギー資源大国となったアメリカが、サウジアラビアやイスラエルと親密な関係を維持する理由はない。だからアメリカは、さっさとイランとの関係修復に乗り出したのだ。つまり、エネルギー問題をめぐる不安を解消したいまのアメリカの関心は、もはや中東にはない。TPPに象徴されるように、アメリカの関心は東アジアにシフトしているのである。

次に、イギリスとドイツについて。利に敏いイギリスやドイツは、「覇権国」アメリカの制止を振り切って、中共が提唱するAIIB(アジアインフラ投資銀行)構想にはせ参じた。それに加えてイギリスやドイツは、昨年末のIMF(国際通貨基金)における人民元のSDR化(国際通貨化)を実現するうえで主導的な役割を果たした(AIIBも人民元のSDR化も、潜在的には、アメリカの覇権を支えるドル基軸体制を脅かしかねない事柄です)。そのほか、イギリスやドイツの、中共との親密ぶりを示す証拠は枚挙にいとまがないくらいである。ただしイギリスやドイツは、金儲けに乗っかろうとしているだけであるから、昨今の大陸中国経済の減速ぶりを目にするやいなやいまは態度を豹変させつつある。かといって、アメリカに擦り寄ろうとしているわけではない。様子見、といったところだろう。

少々私見を交えてしまいましたが、北野氏は、当論考でおおむねそういうことを述べています。

それらをふまえて、平野氏は、現在の世界情勢は次のようになっているとします。

・米国とイスラエル、サウジアラビアの関係は悪化している。

・かわって、米国とイランの関係は改善している。

・米国と英国の関係は悪化している。

・英国と中国の関係は、良好になっている。

・ドイツをはじめとする欧州(特に西欧)と米国の関係は悪化している。

・そして、欧州(特に西欧)と中国の関係は良好になっている。


この一年間、中共を中心に世界の動きをウォッチングしている立場からすれば、北野氏が言っていることは当たっていると思います。

これらの事実を踏まえることが重要なのは、いまの日本が、お隣の中共から、歴史戦(心理戦)、経済戦(マネー戦)、軍事戦、移民戦という四つの戦争を露骨に同時並行的に仕掛けられていて、日本は、その戦いに負けるわけにはいかないからです。その場合ポイントになるのは、「国際関係に対する感度の鈍さに起因する孤立化」であると思います(これは北野氏も言っていることですが)。

つまり、かつての大東亜戦争と同じように、「国際関係に対する感度の鈍さに起因する孤立化」の道を歩めば、日本は中共が仕掛けてきた戦争にまたもや惨敗する、ということです。

そういう残念な結果を再び招かないために、私たちは、ロシア発の北野情報に耳を傾ける必要がありそうです。

なんとなくですが、氏が発信し続けている情報や主張は、日本人が世界を見る目を、ボディブローがじわじわと効いてくるように、確実に変えつつあるような気がするのです。それは、とても良いことであると思います。

あくまでも国益を守り抜こうとするリアリストの目。それが、世界を見るうえで、私たちが持つべきものなのではなかろうかと考えます。歴史的に見て、それは日本人があまり得意とする構えではありませんけれど。まあ、なんとか頑張りましょう。あの中共の子分になるってのは、私、どうしても甘受できかねますので。みなさんもそうでしょう?

「第2次大戦前夜にそっくり!米国離れが加速する世界情勢」(「ロシアから見た『正義』 “反逆者”プーチンの挑戦」第21回)http://diamond.jp/articles/-/86785 
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平成天皇陛下について――岡部凜太郎さんの投稿「『欺瞞の時代』と奪れた天皇」に関連して (天道公平)

2016年02月17日 10時52分03秒 | 文化


〔編集者より〕拙ブログに掲載された、岡部凜太郎さんの二月七日付の論考「『欺瞞の時代』と奪れた天皇」が、少なからず反響を呼んでいます。現役の高校一年生が硬派の保守思想の論陣を張っていることへの驚きがもたらしたもの、という側面があるのはたしかなのでしょう。しかし、彼の真摯な論調が読み手の心に響いたがゆえのもの、という面があることも間違いないと思われます。逃げ場を作らない、潔い文章ならではのすがすがしさ・迫力は、人の心を動かすものです。

次にご紹介する、天道公平氏の、ご自身のブログに掲載なさった文章も、岡部さん(かなり年下なので、どうしても、「氏」ではなくて親しみを込めて「さん」付けになることをご容赦ください)の文章の真摯さに触発されて綴られたものであるように思われます。

岡部さんのコメント中に、「特に東日本大震災以後の天道さんと天皇陛下とのある種の個人的な体験にはぐっとくるものがありました」とあります。私もまったく同じ感想を持ちました。私は、根にそういう感性を有しない天皇論をまったく信用できないのです(あの政治学者・丸山眞男や文学者・中野重治でさえも、そういう感性をその言説の根に隠し持っていたと、私は思っています)。


***

平成天皇陛下について(岡部凜太郎さんの投稿「「欺瞞の時代」と奪れた天皇」に関連して)
2016-02-13 15:15:52 | 時事・風俗・情況


岡部凜太郎さんという方の、美津島明氏編集「直言の宴」に投稿された、「『欺瞞の時代』と奪れた天皇」http://blog.goo.ne.jp/mdsdc568/e/a0aa85ded6cdc2a5e0167f84562c93c6という論考を読み、若い世代(現役の高校生らしいです)の真摯な考察に感服しました。

しかし私としては、(多くは年齢の違いに帰してしまいそうで卑怯な言動になってしまいますが)氏の思考がとても気になり、また、そのブログにkkさんという方のコメント投稿がありましたが、その方の心情や考えにも歩み寄れるような気がしました。私とすれば、その方の考えに対するコメントを含め何か書きたいと思いました。

しかしながら、いつものように、たぶんいたずらに長く冗長になってしまうように思われ、コメント投稿にはなじまないとも思いますので、私のブログでその内容について、申しあげたいことを書かせていただきたいと思います。

今上平成天皇(そういう呼称が正しいかどうかも知りません)の人となりについては、ほぼ私の父に近い世代であり、また、昭和天皇が長く在位されたこともあり、自分の父親が煙たかったように、私は、あまり興味が持てませんでした。昭和天皇は幸いご壮健であり、日本国の有史以来の大敗北という苛酷な時代を経て、長らく、それこそ激動の時代を経て、経済的にも復興を遂げた昭和期を長く生きぬかれました。平成天皇とすれば、そんな方を父君としていただくことには、大きな重圧(?) があったのではないかと愚考します。

昭和天皇については、かつて吉本隆明が、ある対談の中で、「あの人が生きているうちは、私は死ねないと思っている」と述懐していたことを思い、戦中派の(天皇に対する)想念がアンビバレントで、複雑であったことを思います。

長らく一緒に暮らし、戦争期(太平洋戦争)のことは殆ど語らなかった、私の祖父母も、皇室を思いやり、 十分に尊王的でした。個人的には、無関心で、「既存秩序とはそんなもんだろ」と思い、大学に入るまでは「天皇及び天皇制」など考えてみたこともありませんでした。私のアドレセンス(青春期、発情期)までの道行きで、幼少期から、民放で「皇室アルバム」とか、明らかにアイドル番組のようにして、皇室の幸福なそして平凡で退屈な様子が放映されていたのも、その当時の自分の率直な気持ちに反映していました。

三島事件のときは、高一だったと思いますが、知識人が、自己の理念に対し現実的に命を懸けることは十分衝撃的でしたが、彼の檄文が、当時響いたかどうかといえば、田舎の高校生にはあまり影響はありませんでした。それが、当時の多くの人たちの社会通念というか雰囲気としてあまり間違っていたとは思えません。むしろ、しばらくして、村上一郎が、明らかに三島事件に呼応するかのように、頸動脈切断の自殺をした(1975年)ことに、私は決して熱心な読者ではなかった人でしたが、戦争を戦った軍人として、自己に殉じた行為として、当時の、いわゆる平和ボケ(?) の時代に背を向けたような、何か昏い記憶があります(昏い記憶といえば、吉本隆明に教わった、戦中の法華経系過激派宗教団体「死のう団事件」もその一つと思われます)。

その後、三島由紀夫の様々な、私的な事情が明らかになるにつれ、澁澤龍一が述べていた、「友人三嶋は、エロスの極北の行為として切腹したのだ」、といったようなことも、分からないことはないと思った覚えがあります。

大学時代(1974年~1978年)、当時の「反帝、反スタ」の隆盛の政治の時代においても、私自身は、天皇及び天皇家を積極的に敵と思えたかどうかについて特に感想はなく、ただ、大学のキャンパスのそばに京都御所があり(本当はその逆かもしれませんが(笑い))、皇宮警察が常駐し、二回生の中途から、電子警備となり、「(御所の周囲を流れる30cm幅くらいの)疎水溝を越え、白塀に近寄ると、センサー反応で、あいつら出てきよるで」という話を聞いて、「つまらんことで税金を使いやがって」と反発を覚えた思い出があります。当時、そのように考えたことが特殊であったとは思えません。多くの国民大衆はおおむね無関心であったのではないでしょうか。

昭和天皇の崩御を経て、ご闘病中に、私の義母、妻は、ご回復の記帳に参加させていただきましたが(言葉に、ちょっと「違和」を感じますが)、「まあ、寿命だからしょうがねー」、と私は参加しませんでした。

閑話休題、平成の御世になって、今上の天皇になられた、平成天皇が謙虚に勤勉に国務をお勤めになっていることは知っていました。我々の世代では、皇后美智子様とのご結婚のイベントは存じ上げなかったので、その後も、ひたすら、地味に、堅実であることを意識的に目指されているように思われました。また、二男一女をもうけられ、美智子妃を核としてそれぞれの育児に励まれ、親としても素晴らしい方であると思えます。後年、マスコミ会見などで話される彼らの様子を見ればよく分かります。

私が、今上天皇に、初めて、お会いした、と感じたのは、もちろん3.11の後のことです。

(石原慎太郎のような)周囲の諌言もあったでしょうが、私に最も印象深かったのは、厳しい日程の中で、自らを叱咤するように、個別の避難所を、目立たぬ普段着で懸命に巡回され、「時間がない」との側近からの制止もあったでしょうに、被災者に対し、子を亡くした、母を亡くした悲しみにより添うようにいつまでもひざまずかれたそのお姿でした。自分ながら不思議ですが、「かたじけない」というのが、それをみたときの正直な感想でした。万一、人智の及ばない大きな事件が起こった時に、国民の、その悲しみを受感し、共感していただく、というのが、大きな、陛下の仕事であることが良く分かりました。100年に一遍という大災害と国民の危機に、そのような仕事を直ちにできることが、今上陛下の偉いところです。

さすがに、偏向したサヨク商業新聞を含め、批判記事は見当たりませんでしたが(ばかサヨクとして国民にふくろ叩きになったろうからなー)、バカの民主党(なぜバカかは何度も書きましたが)の首班菅直人が、被災した災害時におたおたし、急遽現場へ行くなど、愚かな行為や迷走を繰り返し、何より東北地方の住民大衆に対し、未曽有の災害に対し適切な善後策が取れなかったことに比べ、なんと見事な行動であったか、時間がたつにつれても、諄々と国民の胸に迫るような尊い仕事でした。

私が思う天皇陛下は、やはり日本国の祭司です。お布施を捧げずとも、政治的に力を持たないとしても(あるいはそのように振る舞われることを嫌悪されても)、大惨事に際しては、国民により添い、国民と一緒に悲しみ、ひそかに国民の幸せを望んでおられるそのような賢い方です。その意味で私は「国民統合の象徴」という言葉に対し、何の疑問も、違和もありません。

しかしながら、祭司は、当然その日常生活を問われます。国民はそれを見ていると思います。たとえば、イギリスのチャールズ皇子の、自己欲望の開放の次第を考えれば、わが皇室と明らかに異質であり、他国の王族は、私は好きになれません。少なくとも、私には、天皇陛下はそれと無縁と信じられるからです。新興宗教の俗な教祖は別にして、日本国最大の祭司に、そのような、醜聞があろうはずはないではありませんか。

昔から今に至るまで、天皇家の外戚(?) というか、皇族の方々の素行が同時に、幾たびも女性週刊誌の俎上に上がりましたが、そんなことがあろうと、同根の、皇族提灯持ち記事と同様で、何の興味も、違和もありません。

先ごろ『「シャルリ」とは誰か』http://www.nikkei.com/article/DGKKZO97254170T10C16A2MY7000/ というエマニュエル・トッドさんの新書が出ていましたが、信仰なき、祭司なき、ロールモデルも不在のフランスの状況をお気の毒と思いましたが、もし「シャルリ誌」が、他国の聖者モハメッドを侮辱したように、日本の天災による原発事故をおひゃらかしたり、万一、天皇家を侮辱するような風刺(?) があれば、上京して、フランス大使館(どこにあるのか知りませんが)に抗議しに行くことを考えます。日本国民を侮辱したと直感的にそう思います。天皇家及び天皇制は、日本にとって誇るべき歴史であり、危機において発動する誇るべき制度なのです。

私が思うのは、私はバカ左翼でもなく、天皇陛下が政治的に行動することを求めるわけでもない、ただの保守的な人間ですが、福澤諭吉の「帝室論」で、「社会秩序が乱れるのは、情誼にもとづく徒な対立にあるのだから、そうした信念対立が非妥協的になって恐ろしい事態を起こさないためには、人民の激した感情を慰撫する不偏不党の大きな緩和勢力がなければならず、それはあらゆる政治勢力を超越した、すべての日本人にとって精神の源となるような形をとっていなくてはならない。それこそが帝室の役割だというのである。『国の安寧を維持するの方略』ときっぱり言い切っている。」(『日本の七大思想家』中「第7章福澤諭吉」篇p449の、著者小浜逸郎氏の現代語訳篇から孫引き)、と論じられたように、近代以降、天皇制は論じられてきたし、
たとえバイアスのかかったバカでも国民は国民であり、信憑対立を超え、また制度は制度のみでは味気ないものであり、「かたじけない」あるいは「勿体ない」と多くの国民に感じさせる祭司=人格者の存在は、日本国にとって是非に必要であると思います。

私は、莫大な皇室財産を解放せよ、とか、まったく考えておりませんが、エコロジスト天皇家のおかげで、皇室財産という誇るべき日本の森や自然が古来のまま守られ、現在までに、無慈悲で没義道なビジネスにおける乱開発で、腐った億ションや、腐ったリゾートに変わらず本当によかったと衷心から思っております。

しかしながら、君側の奸とまでは言いませんが、宮内庁の管轄での、箸墓などの古墳が、学術的な発掘も許されず、日本国の起源の解明につながっていかないのを大変に残念に思っています。
また、現在の日本国の皇太子も、気さくで、正直に思われる方であり、時々お見受けする、その人となりと、私の代ではまだ大丈夫(?) と、その温和な人間性に安堵しているところです。

岡部さんの論考とは随分違った安易なことを書いたかもしれませんが、こういうことを考える人間もいる、ということで理解していただければありがたいと思います。

今後も、ラジカルで(昔流行った言葉なのですが)、真摯な、岡部さんの活動を期待します。



〔コメント欄〕

岡部凜太郎 「記事ありがとうございます。」 2016-02-14 03:20:02小論についてブログで書いていただきありがとうございます。

小論を「直言の宴」に掲載後、各所から思わぬ反応があり、驚きながらも嬉しく思っています。
天道さんの実体験を踏まえた論考、人生経験の浅い私からすると他者の人生の経験の凄みを感じる圧倒的な文章であると感じました。

特に東日本大震災以後の天道さんと天皇陛下とのある種の個人的な体験にはぐっとくるものがありました。

比較はできませんが、私も天皇陛下のご尊顔を拝見したことがあり、その時に神はここにいるかもしれないと大袈裟かも知れませんが心の中で思ってしまいました。

最近ではその天皇陛下の御言葉を政治的に利用しようとする輩もおりますが、私も含めて天皇陛下について政治的な道具としないよう肝に銘じていきたいと思います。

ラディカルで急進的な私ではありますが(笑)、これからも執筆活動を行っていきたいと考えていますので、これからもよろしくお願いします。

天道公平 「コメントありがとうございました」2016-02-14 18:21:23 早速、コメントありがとうございました。

私が、大学に入ったサークルで、最初に皆で読んだのが、吉本隆明編著の「国家の思想」(筑摩戦後日本思想大系 (1969年)でした。名著であり、私にとってとても印象的な本です。ただ、戦中派の直接体験を考えれば、ひよってしまい、昭和天皇への言及は躊躇しがちになってしまうのが本音です。ブログ=コメントで言及された、長谷川先生の本は不勉強で読んでおりません。申し訳ありません。

もう一つ、ラディカルというのは、もう一つ、「根源的な」という意味があったと思います。それは岡部さんもご承知でしょうが、今後の岡部さんの営為と精進を見守りたいと思います。
 ついでに、与太話をしますが、私が就職した際(はるか昔ですが)に、新採研修で、ディベートする機会があり、その時、つい、「ラディカルな」と言ってしまい、しばらく、同期に「ラディカル君」と揶揄されました。たぶん、人事課は、瞬時に、私の出自を見抜いたでしょうが。笑ってやってください。
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「ドル・リンク離れ」は、決定的な流れとはならない (美津島明)

2016年02月10日 00時55分20秒 | 経済
「ドル・リンク離れ」は、決定的な流れとはならない (美津島明)



〈MAG2NEWS 『中国が大量の「米国債」売り…そして加速する世界のドル離れ』(津田慶治)
http://www.mag2.com/p/news/146609
 
以下は、上記記事からの引用である。

もし、ドルリンクを外す国が増えると、基軸通貨制度が崩壊するのであるが、各国は米国債を一斉に市場で売ることになり、ドルの長期金利がUPしてしまい、そのことでドル暴落になる。このため、より多くの国がドルリンクを止めることになる。ドル基軸通貨制度の崩壊である。現在、中国が米国債を大量に売り出しているが、まだ中国だけであるので、なんとか対応できるのである。

日銀はマイナス金利にして、金融機関は金利が大きい米国債を買う方向である。米国も日本に要求した可能性もある


中共は、ほんとうにそんなに大量の米国債売りを展開しているのだろうか。次のグラフを見ていただきたい。


http://www.evojapan.com/branch/joho/blog/201551266000.php より引用

上記グラフによれば、2015年末において、2014年の半ばを基準とした場合、中共の外貨準備は約17%以上減っている。金額にすれば、約6800億ドル=約78兆円減(1ドル=115円換算)である(グラフの目分量計算であることをご容赦いただきたい)。78兆円といえば、日本の1年分のGDPの約15%強であるから、すごい金額である。外貨準備のほとんどは通例米国債であるから、中共による米国債大量売りは事実である、というよりほかはない。

安倍政権は、日銀のマイナス金利政策によって、米国債買いを加速させ、円の海外流出を増やすことで、円安・株高の流れを確実なものにし、七月の選挙に備えようとした。しかし、それよりも中共の米国債売りが優勢で、世界経済の変調を懸念する金融資本は、安全な円買いを強めている。

そのため、日銀や安倍総理の意に反して、円高・株安の流れが強まっている。安倍首相は、株価チャートとにらめっこしながら政局での振る舞い方を思案しているという。そんな安倍首相としては、困った事態になったものだ。このままでは、衆参同時選挙の実現も、自身の手による憲法改正も、夢のまた夢となる可能性が大きくなっていくばかりである。

それよりももっと頭を抱えているのは、大量の米国債売りによって中共からケンカを売られたオバマ大統領だろう。なにせ習近平は、世界のドル離れを促進することでドルから基軸通貨の地位を奪い、さらには、アメリカを覇権国の地位から陥落させようとしているのであるから。1949年以来、中共は、マネーの支配者が世界の支配者であることを知り抜いているし、中共自身が覇権国家となるには、人民元がドルに代わって国際通貨になるよりほかに道はないこともよく分かっている。だから、中共の対米通貨戦争は「マジ」なのである。

しかしこの戦い、習近平の敗北に終わる、と私は思っている。

なぜなら習近平は、アメリカのみならず、ジョージ・ソロスをはじめとする国際金融資本をも敵に回してしまったからだ。国際金融資本は、ドル基軸通貨体制の最大の既得権益者なのである。だから、ドル基軸通貨体制の破壊者=中共は、アメリカのみならず国際金融資本にとっても(むろんウォール街にとっても)、大敵なのである。ジョージ・ソロスは、中共がAIIB(アジアインフラ投資銀行)構想を立ち上げると、アメリカの同盟国であったはずのEU先進諸国が、アメリカの制止を振り切って、中共の下にはせ参じ、AIIBに加盟した様を目の当たりにして、中共がドル基軸通貨体制の破壊者であることを確信したのである。だからこそ、年来の親中派の衣をさらりと脱ぎ捨て、ほとんど一夜にして反中派の急先鋒に豹変したのだった。「君子、豹変す」ではなくて、「グローバリスト、豹変す」なのである。
http://www.mag2.com/p/news/142681 

国際金融資本は、これから、潤沢な資金とマスメディアを使って、全力で中共をつぶしにかかることだろう。これまで決して中共の悪口を言わなかったBBCワールドニュースが、香港における中共の言論弾圧を詳細に報じ中共批判を強めていることは、その兆しのひとつなのではなかろうか。

昨年中共が提唱したAIIB(アジア・インフラ投資銀行)に参加せず、いまはマイナス金利政策によって米国債をさかんに買い支えようとしている日本は、かつての「親中派」だったいまのオバマの目にも、心強い味方と映っているにちがいない。つまり、米中のケンカは、日米のゆるぎない同盟関係を中共に印象づけたい日本にとって、基本的に「吉」なのである。

安倍総理は、株価のチャートに一喜一憂してばかりいないで、その良い流れをしっかりと理解していただきたいものである。
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「欺瞞の時代」と奪われた天皇 (岡部凜太郎)

2016年02月07日 11時06分07秒 | 岡部凜太郎
〔編集者より〕新しい執筆者の登場です。岡部凜太郎さんは、現役の高校生です。まだ一年生のようです。その若さで、言論ポータルサイト・ASREADにおいて健筆を奮っていらっしゃるとは驚きです。(http://asread.info/archives/author/rintaro_okabe)。 拙ブログでのデビューを心から祝福します。個人的には、本文中で引用された、福田恆存『象徴天皇の宿命』の文言にぐっとくるものがありました。



「欺瞞の時代」と奪われた天皇 (岡部凛太郎)

戦後日本という「欺瞞の時代」
平成二十三年(2011年)に発生した東日本大震災は文字通り国難と呼ぶに値する大災害であった。一万を超える人々が震災の犠牲となり、未だに二千あまりの人々が行方不明となっている。多くの人々が家族や最愛の人を亡くし、その傷は今なお深いものである。

日本人にとってこの大震災は今までの平和で豊かな時代と言われていたそれが大きな転換点に立っているということを否応無く意識させた。政府の無為無策ぶりは強く批判され、今まで安全安心とされていた制度や技術に欠陥が見つかり、日本人が漠然と有していた技術や政府への奇妙な信頼というものは一気に失われてしまった。

そんな今回の大震災の発生五日目の三月十六日に今上陛下はテレビ放送を用い全日本国民へお言葉が述べられた。このテレビ放送を用いたお言葉は大東亜戦争敗戦時の玉音放送以来のものであったため、一部で平成の玉音放送と呼ばれ、また、今上陛下そして皇后陛下におかれては震災発生の翌月より千葉、埼玉、茨城、宮城と行啓され、被災者を励まされた。陛下の行啓によって治し難い心の傷が少しだけでも癒された被災者は少なくない。

そもそも今上陛下におかれては御即位以来、雲仙普賢岳の噴火災害や阪神淡路大震災などの大規模災害に際しては積極的に未だ危険の残る被災地を行啓されてきた。こちらにおかれても今上陛下は東日本大震災と同じく被災者へ励ましのお言葉を述べられ、被災者の精神的な拠り所となった。このような今上陛下の我々国民への献身的な御姿は被災者のみならず、多くの日本人が好意的に反応し、感謝している。かくいう私もその一人である。実際、平成二十一年(2009年)に今上陛下御即位二十周年を記念してNHK放送文化研究所が行った世論調査によると「今の天皇が憲法で定められた象徴としての役割を果たしていると思うか」という問いに対してアンケート回答者の85%が「十分果たしている」あるいは「ある程度果たしている」と回答したと言う。この世論調査は大震災発生前に行われおり、仮に大震災発生後の現在に行えば上記の問いに対して、今上陛下に対して好意的な回答は平成二十一年(2010年)の調査を上回るであると推測出来よう。

現在、このような天皇と国民の関係性に一日本人として私は一定の安堵の念を覚える。この安堵の念は今後も皇室の未来が安泰である可能性が高いからだが、それと同時に私を含めた一定数の人々は現在の今上陛下の御姿に疑問とも言える奇妙な違和感を感じざるを得ないのではないだろうか。それはこの今上陛下の御姿が果たして本来の天皇の御姿なのかという疑問である。

古来より歴代の天皇は国の混乱期にその混乱を鎮めようとされ、国民の精神的拠り所となってきた。奈良時代の天平期におきた度重なる疫病の流行や政変に際し、聖武天皇が全国に国分寺を建立され、さらに東大寺盧遮那仏像を建立されることでその混乱を鎮め、国家に平穏をもたらそうとされたことは有名である。又、室町末期の戦乱期に後奈良天皇が国内の戦乱と民の窮状を憂いになられ、「般若心経」を書写されたものは現在、「後奈良天皇宸翰般若心経」(ごならてんのうしんぴつはんにゃしんぎょう)として伝わっている。このように国の混乱に際して、これを鎮めようと尽力されることは天皇の御務めの重大な要素の一つとなっていると言える。そして今上陛下も古来の伝統と同じく災害が発生した際は国の混乱を鎮めようとなされてきた。

しかし、今上陛下と歴代天皇におかれてはその方法において大きな差異が存在する。
歴代天皇は国の混乱期に際してはあくまで祭司者として御祈願されてきた。しかし、今上陛下におかれては国の混乱期には自ら被災地に行啓され、被災者を御見舞いされている。歴代天皇が祭司という「祈り」で国の混乱を鎮めようとされていたのに対して、今上陛下は被災地を行啓されるという「行動」で国の混乱を鎮めようとなされていると言えるだろう。勿論、今上陛下の被災地への行啓は私自身、一国民として心から感謝しているし、それを非難しようとする意図は毛頭ない。しかし、今上陛下のこの行啓という「行動」が歴代天皇の方法と異質だということは否定し難い事実と言えるだろう。

この事実を前に石原慎太郎氏は自身のコラムの中で下記のような疑問を呈している。

日本人が一貫して継承してきたものは、神道が表象する日本という風土に培われた日本人の感性に他なるまい。そして天皇がその最大最高の祭司であり保証者であったはずである。
戦後からこのかた皇室の存在感の在り方は、宮内庁の意向か何かは知らぬが、私にはいささかその本質からずれているような気がしてならない。たとえば何か災害が発生したような折、天皇が防災服を着て被災地に赴かれるなどということよりも、宮城内の拝殿に白装束でこもられ国民のために祈られることの方が、はるかに国民の心に繋がることになりはしまいか。
   (平成十九年(2006年)二月六日 産経新聞朝刊より)

天皇はただの個人ではない。天皇は日本の歴史の中に存在する。そして、その歴史とは祭司としての歴史である。しかし、その祭司としての天皇、即ち天皇の伝統に鑑みた場合、本当に現在の天皇の在り方で良いのか。上記の石原氏の違和感とは日本の文化伝統である天皇が現在の天皇のあり方と一致しているのかという違和感でありそれを問題としない現代の日本への危機感を祭司という文言を使い投げかけたものと言えるだろう。

とはいえ、天皇という存在は説明するまでもなく日本の伝統そのものである。そういった天皇という伝統が従来の伝統から離れつつあるというこの事態はいささか奇妙である。それは天皇が歴史であり、なおかつ個人を指す、多義的言葉であることに直接の原因をみいだせるし、単に今上陛下が従来の伝統とは異質な御仁であられると言うこともできるだろう。しかし、この奇妙な事態の原因を深く探っていけば、最終的に現在の天皇像、すなわち戦後における天皇という問題に突き当たってしまうだろう。

 戦後天皇の欺瞞
戦後日本において天皇のその神格性は積極的に肯定されていない。天皇と言えどもその地位はあくまで国民の意思の下にあり、その改廃の可否は国民自ら決める権利を有する。こういった意識は天皇を否定的、肯定的に見る立場に関係なく、戦後日本人が有している共通の認識と言えるだろう。また敗戦直後の昭和二十一年(1946年)に昭和天皇御自身より天皇は現人神ではないと解釈できる詔書が発布され、天皇は神ではなく、あくまで我々と同じ人間であり象徴なのだ、との考え方が天皇の意思、言うなれば陛下の御心とされ、戦後の日本はそうした天皇の人間性すなわち人間天皇を国家の大前提、「象徴」としていただきながら歩んできた。いわゆる「象徴天皇制」と呼ばれるものは、そういった個々の天皇の人間性を強調し、政治性を排除する「制度」とそしてそれを覆うように存在する天皇もただの人だとするヒューマニズムと表現できる人間礼賛主義的な思潮の総称と定義することができるだろう。

今上陛下が、「日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓い」というお言葉を皇統の歴史と伝統を我々日本人に最も意識させる即位の礼に際して述べられたことで、戦後に始まった「象徴天皇制」は完成を迎えたと言って良い。勿論、宮中においては現在も祭祀は行われており、神道と天皇の関係性は切っても切れないものである。が、そういった宮中の祭祀や神道との関係性があくまで皇室の「私的」行事とされているということ自体、天皇の神格性を否定しようとする「象徴天皇制」の試みそのものと言えるだろう。

天皇と言えどもあくまで国民の意思決定の下にあるとする考えが日本人の共通認識である。そして、この共通認識は勿論、現行憲法第1条における「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」という条文に起因する。

しかし、我々日本人はこの条文の意味を深く理解しているのだろうか。例えば、条文における象徴という語の意味を一体何人の日本人が説明できるのだろうか。そもそも、条文の国民統合の象徴という語の意味自体、明確ではない。ここにおける国民とは単に現在生きている日本人のみに限定しているのか、それともすでに死者となったものあるいは今後生まれてくる日本人も含むであろうか。それ自体もこの条文からは読み取ることは出来ない。

我が国の現行の憲法は国家の最高の成文法であるにも関わらず極めて不明瞭かつ不可解なものである。

なぜ現行の憲法がこれ程不明瞭かつ不可解であるかと言えばそれは現行の憲法が日本に対して無知で無理解な極少数のアメリカ人によって起草され、銃剣を前に日本政府に押し付けられた欠陥憲法だということに当然、起因する。この連合国軍による憲法の押し付けは占領軍の被占領地での遵法義務を明記したハーグ陸戦条規第43条に明らかに反し、国際法違反である。このことは十分に批判されなければならない。しかし、真に問題なのはこの国際法違反の欠陥憲法を一度も微修正すらせず、天皇という我々のアイデンティティー、自己同一性に深く関わる存在を「国民統合の象徴」という条文に追いやった事である。

福田恆存は昭和天皇崩御ののちの平成元年(1989年)に「象徴天皇の宿命」という評論を発表した。ここにおいて福田は自身と昭和天皇との想い出を回想したのちにこの「戦後の天皇」という存在の辛さについて述べた。

 『象徴』とは何を意味するのか。不敏にして生者が『象徴』に使はれた例を知らない (中略) この世の一体何人が同胞感などといふ抽象的属性の『象徴』たる事が出来ようか (中略) 全生活をあげてさういふ『象徴』にならうとすれば、身動きの出来ぬ非人間的な存在にならざるを得ないであらう。天皇はさういふ苛酷な宿命を身に背負ひながら、しかしなほ周囲のあらゆる紐帯を断ち切られてゐるのだ。政治から断ち切られ、軍事とは訣別し、藩屏たるべき華族は消滅した。そしてひたすら署名をし、人に会ふことのみを責務として求められてゐる‥‥‥。これを四十年間繰返してゐれば、天皇の面上に孤独、苦渋の色が現れて来るのも至極当然といへよう。  (『象徴天皇の宿命』)

我々日本人は戦後、天皇を非人間的な「象徴」に追い込み、福田の言う「さういふ苛酷な宿命」を追わせたと言えるのではないだろうか。敗戦前に天皇が有していた軍人としての雄々しさや凛々しさは排除され、天皇はただ国民に笑顔を見せ、人々に会うというある種のロボットに戦後、仕立て上げられてしまった。更には天皇が執り行われる祭祀は現在、あくまで天皇の個人的な儀式とされ、天皇が有してきた国家の祭司という側面すらも発端は連合国軍とは言え戦後日本人は否定してしまった。

天皇が有してきた様々な属性と呼べる天皇像を奪い、国民統合の象徴という急拵えの存在に統合する、これが我々日本人の真の戦後の歩みの姿だったのだ。

先程の引用で福田が述べたように昭和天皇は孤独であられた。大東亜戦争敗戦とその結果としての国民の犠牲の責任を深く痛感されながらも、戦後、その苦しい重圧を吐露する重臣や元老らはすでにおらず、外野の批判に耐えることしか出来なくなってしまった。

宮中の外には昭和天皇を侵略戦争を指揮した悪魔のごとく宣伝する輩が溢れ、天皇打倒を謳う知識人らが時代の寵児として持て囃された時流すらあった。それと同時に皇室は悪しきジャーナリズムの餌食となり、下品で興味本位な皇室に関する記事が盛んに掲載されるようになった。「週刊誌的天皇制」などという言葉が生まれたのは丁度、そういった悪しきジャーナリズムが跳梁跋扈していた昭和三十年代である。

我々日本人の戦後の天皇に対する関係性を見ていけば、それは天皇を「国民統合の象徴」という檻に追い込むことで、それ以前に存在していた様々な天皇像を否定し、下品なジャーナリズムや知識人達を用いて、皇室ひいては天皇を好奇の対象として見物し、あるいは与太話の種として消費し、天皇の人格性を徹底して蝕んでいくものであった。そういった現状を前にすれば現行の「象徴天皇制」が全く戦後、信奉されてきたヒューマニズムとは程遠い非人間的かつ多様な天皇のあり方を否定する偏狭なものであると言え、そして、そのような非人間的で偏狭な「制度」を国家の前提としてきた戦後という時代はヒューマニズム、自由から最も遠い時代であると言わざるを得ないだろう。

江藤淳は戦後という時代をアメリカの力に依存し、自己同一性を回復できず、真の経験を得ることができない「『ごっこ』の世界」であると批判した。が、天皇を一つの存在に押し込むという行為を主権回復後、自ら進んで積極的に行ってきた戦後日本は天皇という問題に関しては「ごっこ」よりも酷い「欺瞞の時代」だと言えるだろう。

 三島由紀夫の行動と挫折
三島由紀夫は昭和45年(1970年)に森田必勝と共に自衛隊庁舎において自決を遂げた。この三島由紀夫事件の背景に三島達の戦後時代の欺瞞への絶望があるということは言うまでもない。

 われわれは四年待つた。最後の一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒瀆する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。共に起つて義のために共に死ぬのだ。日本を日本の眞姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の價値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の價値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主々義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と傳統の國、日本だ。これを骨拔きにしてしまつた憲法に體をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、眞の武士として蘇へることを熱望するあまり、この擧に出たのである。  (『檄』)

三島が自衛隊庁舎でばら撒いた「檄」は三島の最後の文学であり叫びであると言える。この有名な三島の叫びの奥には三島の複雑なものがある。それは、天皇への崇敬とそれ故の激しい呪詛である。

三島の盟友的存在である林房雄との対談において、三島は天皇は神と人間の境界に位置するとする林の天皇観に対して天皇は絶対的に無謬な神であると述べている。

 僕は天皇無謬説なんです。僕はどうしても天皇というのを、現状肯定のシンボルにするのはいやなんですよ (中略) つまり天皇というのは、僕の観念のなかでは世界に比類のないもので、現状肯定のシンボルでもあり得るが、いちばん先鋭な革新のシンボルでもあり得る二面性をもっておられる。いまあまりにも現状肯定的ホームドラマ的皇室のイメージが強すぎるから、先鋭な革新の象徴としての天皇制というものを僕は言いたいというだけのことですよ。天皇制のもう一つの側面というものが忘れられている、それがいかんということを僕は言いたい。それだけのことです。天皇は実に不思議で、世界無比だというのは、その点ですよ。   (『対話・日本人論』)

三島にとって天皇とは人格性を有しつつもそれは無謬の存在つまり神であった。それは幼少の頃より祖母の影響で古典に親しみ、蓮田善明や伊東静雄から強い精神的な影響を受けていた三島にとっては当然のことであった。

そして文の後半で三島が述べているように戦後の「人間天皇」は三島にとって我慢ならない存在であった。
自決の三年前の昭和四十二年(1967年)に発表された「英霊の聲」には三島の天皇への崇敬故の戦後の天皇への呪詛が死した英霊の叫びとして明瞭に書かれている。

「陛下がただ人間と仰せ出されしとき神のために死したる霊は名を剥脱せられ祭られるべき社もなく今もなほうつろなる胸より血潮を流し神界にありながら安らひはあらず」

「日本の敗れたるはよし農地の改革せられたるはよし社会主義的改革も行はるるがよしわが祖国は敗れたれば敗れたる負目を悉く肩に荷ふはよしわが国民はよく負荷に耐へ試煉をくぐりてなほ力あり。屈辱を嘗めしはよし、抗すべからざる要求を潔く受け容れしはよし、されど、ただ一つ、ただ一つ、いかなる強制、いかなる弾圧、いかなる死の脅迫ありとても、陛下は人間なりと仰せらるべからざりし。世のそしり、人の侮りを受けつつ、ただ陛下御一人、神として御身を保たせ玉ひ、そを架空、そをいつはりとはゆめ宣はず、(たとひみ心の裡深く、さなりと思すとも)祭服に玉体を包み、夜昼おぼろげに宮中賢所のなほ奥深く、皇祖皇宗のおんみたまの前にぬかづき、神のおんために死したる者らの霊を祭りてただ斎き、ただ祈りてましまさば、何ほどか尊かりしならん。などてすめろぎは人間となりたまひし。などてすめろぎは人間となりたまひし。などてすめろぎは人間となりたまひし」

  (『英霊の聲』)
 
三島にとって天皇は無謬の存在であり続けなければならなかったのであり、神であったからこそ、二二六事件の蹶起者達、そして特攻隊員達は救われるのである。この「などてすめろぎはひととなりたまひし」という一文に代表されるように、天皇に神としての無謬性が存在すると考える三島にとって天皇が人間であるということは正に「裏切り」であり、戦後日本の「象徴天皇」は英霊への冒涜以外の何物でもなかったのだ。

三島はそういった戦後の「象徴天皇」という冒涜の現状を変革するために「文化防衛論」を発表し、「政治概念」とは分離された「文化概念としての天皇」を提唱した。

「みやびの源流が天皇であるということは、美的価値の最高度を『みやび』に求める伝統を物語り、左翼の民衆文化論の示唆するところとなって、日本の民衆文化は概ね『みやびのまねび』に発している。そして時代時代の日本文化は、みやびを中心とした衛星的な美的原理、『幽玄』『花』『わび』『さび』などを成立せしめたが、この独創的な新生の文化を生む母胎こそ、高貴で月並みなみやびの文化であり、文化の反独創性の極、古典主義の極致の秘庫が天皇なのであった (中略) 文化上のいかなる反逆もいかなる卑俗も、ついに『みやび』の中に包括され、そこに文化の全体性がのこりなく示現し、文化概念としての天皇が成立する、というのが、日本の文化史の大綱である。それは永久に、卑俗をも抱含しつつ霞み渡る、高貴と優雅と月並みの故郷であった」(『文化防衛論』)

「全体性」「再帰性」「主体性」に要約される「行動様式」としての日本文化を防衛するためにその文化の母胎である天皇を防衛する必要があるとする三島の論には、浅薄な文化主義が跋扈する戦後への嫌気と天皇、つまり国体を形式的に或いは内実的に破壊しようとする試みが目前にあったことへの危機感があることは明白である。特に後者への危機感は天皇がいくら国民から支持されようともそれが単なる天皇への「好意」である以上、いつその「好意」が無関心になるかはわからない。だから単純に天皇を擁護するのではなく文化も含んだ国体を保護する必要があるという三島の複雑な天皇への想いを見ることが出来る。

 文化の全体性を代表するこのような天皇のみが窮極の価値自体だからであり、天皇が否定され、あるいは全体主義の政治概念に包括されるときこそ、日本の又、日本文化の真の危機だからである。 (『文化防衛論』)

しかし、その試みは失敗し、先程述べたように三島はあの劇的な死を迎える。
幼少より崇敬していた天皇に人間の「象徴天皇」というかたちで裏切られ、更に戦後、浅薄な昭和元禄を終焉せしめる役割として希望を見出していた自衛隊からも最後、自衛隊庁舎で自衛隊員から罵声を浴びせられることで裏切りられてしまった三島は切腹という「行動」で自身の文化、天皇への思いを叫ぶことなる。

 二十五年間に希望を一つ一つ失つて、もはや行き着く先が見えてしまつたやうな今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大であつたかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使つてゐたら、もう少しどうにかなつてゐたのではないか。

私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。
 (『果たし得ていない約束』)

三島が没して四十五年が経とうする現在も三島が唾棄した戦後の天皇は国民からの崇敬ではなく興味というかたちで存在している。そして、元号こそ変わっても浅薄な文化主義による昭和元禄は続いている。三島の論はある種の過激さが常に存在しており、三島の天皇への想いを政策論として俎上にあげることは危険かも知れない、戦後という時代における我々日本人の努力を否定することも決して行うべきではない。しかし、仮にそうであったとしても我々日本人はこの「欺瞞の時代」とどう向き合い、対処すべきか、我々はその行動の真価が問われているのではないか、そのように私は考える。
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