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美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

イギリス・ジョンソン首相は、残念ながら、骨がらみの親中派である

2020年05月10日 22時32分58秒 | 政治

左から、父のスタンリー・ジョンソン、ひとりおいて、ジョンソン首相、弟のジョージ・ジョンソン

武漢ウィルスに感染し、死を覚悟するところまで追い詰められていたボリス・ジョンソン英首相が、4月16日無事に退院しました。ボサボサ頭がトレード・マークでどこか愛嬌のある人物なので、当方としては、キャラとして惹かれるところのある政治家だと思っています。英国人の間でもさぞかし人気の政治家であることと思われます。女性にモテるのもむべなるかな、とも思います。

しかしながら、まことに残念なことに、ジョンソン首相は、骨がらみの親中派なのです。

まずは、彼の家族と中共とのつながりについてです。

イギリスの大手一般新聞であるガーディアン紙の報道によると、ジョンソン首相の父、スタンリー・ジョンソン氏は駐ロンドン中国大使の劉暁明氏と面談し、イギリス高官に劉大使の次のような意向を伝えていました。ジョンソン首相がコロナ禍についてのお見舞いメッセージを北京に発信していないことに、劉大使が不満を示したというのです。中国がジョンソン首相の父親を通じてイギリス政府に影響を与えていたことが危惧されます

ジョンソン首相の弟、ジョー・ジョンソン氏も対中関係には積極的です。彼は大学担当大臣在任中、イギリスの大学の代表団を率いて中国視察ツアーを行いました。中国の教育大臣らと対談し、レディング大学と南京情報科学技術大学(NUIST)の提携を取り付けました。ちなみにジョー・ジョンソン氏は、運輸担当の閣外大臣だった2018年11月、ブレグジットに抗議して突然の辞任を表明し、メイ政権に打撃を与えたりしています。

ジョンソン首相の異母弟、マックス・ジョンソン氏も中国との縁には深いものがあります。彼は北京大学でMBAを取得した後、香港のゴールドマン・サックスに入社しました。現在は中国向けに製品を販売する企業を対象とした投資会社を運営しています

次は、ジョンソン首相の対中がらみの来歴について、時系列順に見てゆきましょう。

2013年10月、当時ロンドン市長だったジョンソン氏は事業促進を目的とした中国ツアーを敢行し、中国有数の起業家や投資家、高官らと交流しました。氏の後押しにより、科学技術を促進するロンドンと北京との相互協定が結ばれました

また、氏は市長在任中、ロンドンと上海という2つの金融拠点の連帯を推進しました。2019年6月17日、念願の上海・ロンドン株式相互接続(ストック・コネクト)が正式に決まりました。これは上海上場企業がロンドンに、ロンドン上場企業が上海に、それぞれ上場できる制度で、中国投資家によるイギリス企業への投資につながることが期待されました。

2016年のEU離脱後、イギリスと中国の距離は更に縮まりました。EUの後ろ盾をなくしたイギリスは、経済や貿易面で中国の助けが必要となったのです。今やEUを除くイギリス最大の貿易相手国は中国です

外務大臣時代のジョンソン氏は、2018年1月、あるインタヴューで氏は、一帯一路を賞賛し、また、英国が中共主導のアジア・インフラ銀行(AIIB)に最初に参加した国であることを強調し、大陸中国からイギリスへの投資をさかんに促しました。

2019年1~8月にかけて、中国企業に買収されたイギリス企業は15社、買収価格は83億ドル(約8700億円)に上ります。2019年2月、アリババ系列のアント・ファイナンシャルは、ロンドンを拠点とする決済・両替企業 ワールドファーストを買収しました。中国の投資会社ヒルハウス・キャピタルは2019年6月、スコッチウイスキーブランド「ロッホ・ローモンド・グループ」の株式を4億ポンドで取得し、筆頭株主となりました。更に2020年3月、中国の敬業グループが、経営破たんした英国2位の鉄鋼メーカーを5000万ポンドで買収すると発表しました。

2019年9月、香港取引所がロンドン証券取引所の買収を試みましたが、これは失敗に終わりました。香港取引所の最大株主は北京政府です。もし買収に成功していたら、中国共産党が欧州の金融市場を支配していたかもしれません

2020年1月28日に、ジョンソン政権は「コア部分」を除き、その他周辺機器については中国の華為技術(ファーウェイ・テクノロジーズ)の参入を容認すると発表しました。これは、中共と貿易戦争という名の覇権戦争に突入し、安全保障上のリスクから華為の導入に反対した米国の意向に真っ向から対立する決断でした。これまでの流れからすれば、むしろ自然・当然の成り行きと言わざるを得ないでしょう。安全保障面で、英米の足並みはまったく揃っていないと言っても過言ではないのです。つまり、英米はもはや軍事同盟国ではないのです。

以上から、ジョンソン首相は、骨がらみの親中派であると断じざるをえません。「コロナに殺されそうになったジョンソン首相は、中共に怒っている。これから反撃が始まる」というのは、どうやら希望的観測にすぎないようです。


以上の文章は、以下の記事の順序と文体を多少変え、いささか加筆しただけのものです。「<中共ウイルス>コロナに感染したジョンソン首相 イギリスと中国共産党の意外な関係」https://www.epochtimes.jp/p/2020/04/55178.html
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メディアで出回る経済言説の誤りを正す

2020年05月06日 23時17分56秒 | 経済


町田 徹という経済ジャーナリストが、5月5日(火)の現代ビジネス・ウェブ版に、『「10万円給付のツケ」は結局、国民に…!大増税時代がやってくる』をアップしています。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200505-00072339-gendaibiz-bus_allここには、メディアで出回っている、誤った経済言説の典型的パターンがてんこ盛りなので、それを取り上げて批判しようと思います。

では、早速はじめます。
 
われわれ納税者の立場からみて、さらに深刻なのは、日銀が制限なく買った国債の元利払いのため、遠からず、増税せざるを得ない日がやってくることだろう。

日銀が金融緩和によって買い入れた国債に対して、財務省が律儀に利子を支払っているのは事実です。しかし結局その支払額は国庫納付金の増大として政府に還元されます。つまり、政府と日銀を連結した統合政府において、日銀保有の国債に対する政府の支払い利子は、日銀の受取利子と相殺されるのです。親会社と子会社との連結会計と同じ理屈ですね。だから、日銀が買い入れた国債の元利払いのために、政府が増税しなければならなくなることはありえません

次にいきます。

歴史的に見れば、日銀のような中央銀行がその国の国債を大量に直接引き受けたり、度を超して買い入れたりすることは禁じ手とされてきた。通貨への信認が薄れるなどして猛烈なインフレを引き起こす懸念があるからで、経済学の世界では今でも、どこかで限界が来るという見方の方が支配的だろう。

財政法第5条に、次のような規定があります。

すべて、公債の発行については、日本銀行にこれを引き受けさせ、又、借の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない。

この規定に基づき、日銀は、日銀が自国の国債を直接引き受けることは原則として「禁じ手」であるとしています。日銀HPで、その理由は悪性インフレを避けるためと説明されています。ここで「悪性インフレ」とは、経済・社会全体を混乱に陥れるようなインフレで、いわゆるハイパーインフレーションを指しているものと思われます。

しかし、その後半の但し書きに次のようにあります。

但し、特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない。

この但し書きにより、日本銀行が市中から買った既発行の国債が満期を迎えたときに、それを新しく発行される借換債(日銀乗換という)に切り替えるという形で、日本銀行による日本国債の実質的直接引き受けは国会の議決の範囲内で毎年行われているのです。

当方が言いたいのは、実態として、国債の日銀引き受けは禁じ手でもなんでもない、ということです。

次に、国債を「度を超して買い入れたりすること」が歴史的に禁じ手であったのは、2008年のリーマン・ショックをきっかけとする欧米の中央銀行の大胆な金融緩和の断行という歴史的事実によって過去のものになりました。今でも当方は、日銀がそのトレンドに乗り遅れたことが、リーマン・ショックからの日本経済の立ち直りにマイナスに作用したと思っています。

三つ目として、「通貨への信認が薄れるなどして猛烈なインフレを引き起こす懸念がある」とされていますが、「通貨への信認」というあいまいな言葉が実際のところ何を指すのかはっきりしませんし、「猛烈なインフレ」は、歴史的に、国中の生産手段やインフラが壊滅的な打撃を蒙った大きな戦争や革命の後か、二〇〇八年のジンバブエのように、独裁者が途方もないほどに馬鹿げた経済政策を次から次に打ち出した場合か、いずれかにおいて起こる超レア・ケースです。第一、二〇数年間にわたってデフレを続けてきた日銀が「猛烈なインフレ」を抑えることくらい朝飯前でしょう。

四つ目として、「経済学の世界では今でも、どこかで限界が来るという見方の方が支配的」とありますが、そのなかの「経済学」とは、緊縮財政を思想的理念的に補強する、いわゆる「正統派経済学」なるものを指しているものと思われます。

以上述べたような、いわゆる通説への批判的視点が、当引用にはまったく見受けられません。それは、経済を論じる者として、コロナ恐慌という未曽有のデフレ恐慌に直面している現状に対する感度がゼロに等しい在り方であると当方は考えます。「通説べったり」と言われて、町田氏は、「経済」ジャーナリストとして恥ずかしくないのでしょうかね。

MMT派の学者の中には、「日本は早くからMMTを実践してきた国だ」という主張もあれば、「すでに人手不足で、なおかつ人口が減っている日本で行うのは極めて危険だ」と主張する人もいる。MMT派の中にもこれといった確固たる定説はないとも言える。

引用中の発言がだれのものかは定かではありませんが、「日本は早くからMMTを実践してきた国だ」という発言は、それがMMT論者のものであるとすれば、巨額の債務を抱えているのにインフレも金利上昇も起きない日本が、財政赤字それ自体は何ら問題ではないというMMTの主張の正しさを物語る実例である、という逆説的な物言いをしているだけのことであると思われます。また、「人手不足で、なおかつ人口が減っている日本でMMT的経済政策を行うのは極めて危険だ」と主張している人物が自分をMMT論者だと言っているとすれば、彼はMMTを誤解していると言わざるをえません。

というのは、デフレ恐慌下において、政府は無制限に貨幣発行権を行使することができる、すなわち国債を必要なだけ発行することができる、とするのが、MMTの基本的な主張だからです。「インフレにならない限り」という貨幣発行の制約条件が、デフレ恐慌下においてはなくなるからです。「MMT派の中にもこれといった確固たる定説はない」というのは、論者が雑な引用に基づいて間違った判断をしているのか、MMTの基本をよく理解せずにしのこの言っているか、あるいは、悪意があって曲解しているのかのいずれかだと思われます。

深刻なのは、財政の実情だ。将来、MMT云々とは無関係に、非常に厳しい事態が到来するだろう。その点こそ、今から覚悟しておかなければならない問題だ。どういうことかというと、所得税の大増税時代がやってくる可能性が高いのだ。

町田氏は、ここでひどく間違ったことを言っています。先日申し上げたことを繰り返しましょう。

財政赤字は、将来世代の増税によって補てんされなければならない、という誤解は、政府の借金=赤字国債は、国民の預貯金から拠出される、という非現実的な想定・設定に起因します。では、本当のところ、国債の拠出金はどこから生まれてくるのでしょうか。直截に言ってしまえば、日銀職員がキーボードのボタンをパチパチと叩くことによって生まれます。当方は、冗談を言っているのではありません。先日の例を以下に再録しましょう。

政府と市中銀行は、日銀の口座に「日銀当座預金」勘定なるものを設けています。たとえば政府が赤字国債10兆円を発行し、市中銀行がそれを買い入れたとします。その場合、政府の「日銀当座預金」が10兆円増え、市中銀行の「日銀当座預金」が10兆円減ります。政府の10兆円規模の公共事業を請け負い、政府発行の10兆円の政府小切手を入手した企業は、市中銀行にそれを持ち込み、市中銀行は10兆円を企業の口座に記帳すると同時に10兆円の取り立てを日銀に依頼します。で、日銀は、政府の「日銀口座預金」を10兆円減らし、市中銀行の「日銀口座預金」を10兆円増やします。これで振り出しに戻るわけです。プラス・マイナス・ゼロというわけです。

政府が、どうしても増税したければ、「借金は返さなければならない」というわけで、国債を償還することになります。というのは、国債償還の財源は、財務省が言う通り税収だからです。

しかし、実はその必要はありません。上記の赤字国債10兆円の発行・買い入れは原理的に無限に繰り返すことができるからです。つまり、国債償還に伴う増税は「余計なこと」「はた迷惑」なのです。

マスコミで流布する経済言説のほとんどは(池上彰のそれを含めて)、国民に貧乏くじを引かせるとんだ食わせものなので、お互い注意しましょうね。
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天皇は、男系でなければならない

2020年05月05日 19時54分34秒 | 政治


当方の年来の天皇観がいかほどのものか、正直なところを述べておきましょう。

当方は左翼ではないので、天皇という存在は是が非でも廃止しなければならないものであると思ったことは一度もありません。というか、諸外国から訪日する国賓がそろいもそろって天皇陛下に謁見したがるところから察するに、天皇が存在することがどうやら日本にとって、特にソフト・パワーの面で、けっこう得のようだとはずいぶん昔から思っていました。

しかし、天皇は男系でなければならないという確固たる信念を持ち続けてきたわけでもありません。2004年から2005年にかけて小泉内閣で女系天皇を認める皇室典範の改正が議論になったとき、当方は「男系が危ういなら女系天皇容認でも仕方がないかもしれない」とさしたる確信もなく思っていました。少なくとも当時私の周りで男系維持の立場を堅持した人はほとんどいませんでした。これは、当人の名誉のために言っておきますが、故・宮里立士氏ひとりだけが遠慮深そうに「できうるかぎり男系でいかないとまずいんですけど」と言っていたのを、いま思い出しました。

さはさりながら、小室某をめぐる秋篠宮家バッシングに乗じて愛子さまを天皇にしようとする左翼的な策謀が見え隠れすることに対しては、少なからず危惧の念を抱いてはおりました。左翼勢力が、天皇なる存在を事実上骨抜きにしてその解体を図っているのは明らかだからです。しのこの言おうとなにをしようと結局のところ本音では「反日がしたい」「日本を壊したい」。そういう連中なのです、彼らは。

それはとにかくとして、要するにこれまでの当方は、お世辞にも、確固たる天皇観の持ち主であるとは言い難かったのです(いまでもそうですが)。

そんな当方に、知人のSさんが「これ、いまのわたしの一押しです」と言って紹介してくれたのが、いまから紹介する、竹田恒泰氏と谷田川惣(おさむ)氏の『入門 「女性天皇」と「女系天皇」はどう違うのか 今さら人に聞けない天皇・皇室の基礎知識』(PHP)です。

本書を読むことによって、当方、タイトルにあるとおり「天皇は、男系でなければならない」と強く思うに至りました。本書を読むことによって、当方がこれまでうっすらと感じていたことに鮮やかな光が当てられた、と申しましょうか。

以下、女性天皇論者や女系天皇論者の典型的な意見や疑問に答えるQ&A方式で、なにゆえ天皇が男系でなければならないのかを論じようと思います。

その前に、「女性天皇」と「女系天皇」の違いをはっきりしておきましょう。というのは、NHKが令和元年の九月に実施した「皇室に関する意識調査」によって、国民の94%が、女性天皇と女系天皇との違いがよく分かっていない実態が判明したからです。

歴史上女性天皇は、推古天皇をはじめとして十代八人存在しましたが、女性天皇はお父さんの血筋だけをたどっていけば初代・神武天皇につながります。一方、女系天皇はお父さんの血筋だけをたどっていくと、初代天皇につながりません。お父さんの血筋だけで初代天皇につながれば女性天皇。お父さんの血筋だけで初代天皇につながらなければ女系天皇。前者は歴史上存在しますが、後者は歴史上存在しません。たとえば、愛子さまが天皇になれば女性天皇であり男系天皇ですが、愛子さまが山田太郎さんと結婚なさって、そのお子さんが天皇になれば、その性別に関係なく、お父さんの血筋をさかのぼっても初代天皇にはつながらないので、女系天皇となります。

では、Q&Aを始めましょう。

Q1:歴史的に天皇の男系継承が連綿と続いてきたことは認めるが、それは近代の男女同権の原則に反するもはや時代遅れのルールにすぎないのではないか。
A1:これまで天皇になれる血統は決まっていて、その血統にない人はなれなかった。女系天皇容認論というのは、歴史的に天皇になれない人でもなれるようにしようということであり、皇室で男子の人数が減っているからといって、これまでの歴史において決して天皇になりえない人までなれるようにしようと主張している。伝統無視のけっこう乱暴な議論なのである。

Q2:歴代天皇の三分の二が嫡子(正妻との間に生まれた子)ではなくて庶子(正妻以外の女性との間に生まれた子)である。近代の一夫一婦制では男系継承を続けるのはきわめて困難なのではないか。
A2:歴代天皇の母に正妻以外が多かったのは、宮家よりも側室を優先しただけのことであって、側室がなければ男系継承が維持できなかったなどということはない。近代以前においては乳幼児死亡率が高いので、側室を置いてなるべくたくさん子どもを作ることと、いざというときに宮家から皇位を継ぐことのふたつの要素によって、これまで男系継承=皇統を保ってきた。一夫一婦制になったのは乳幼児死亡率が低下したことの表れとしてとらえることができるし、一定数の宮家を確保することによって、男系継承断絶のリスクをカバーできる。

Q3:男系継承論者が主張する旧宮家復活は、現在の皇室と血が離れすぎている。旧宮家とはいうものの、現皇室と離れすぎているのだ。その意味で旧宮家復活は、非現実的である。だから、直系を重視する方がいいのではないか。
A3:これまで血が離れていても宮家を維持できたのは、男系の血筋という大前提があったからである。直系重視で血統論理を放棄すると、血の離れた宮家と本家との関連性がなくなってしまい、宮家が機能しなくなる。さらに直系重視となれば、子を産むプレッシャーが一か所に集中してしまう。その悲劇を体現したのが現皇后である。

Q4:宮家から天皇が出るのは、何百年に一度あるかどうかである。そういうまれな事態を想定することは、非現実的ではないか。
A4:そもそも歴史的に世襲親王家をつくったのは、何百年に一度の危機に備えたものである。だから宮家は、今上天皇と血が離れることが前提の仕組みである。例えば、現在の天皇の直系の先祖の光格天皇も、江戸末期の後桃園天皇の御代に直系の皇位継承者が不在になって閑院宮から即位した。光格天皇と後桃園天皇とは七等身も離れていた。宮家とは、そういうもの。

Q5:Q1の繰り返しになるが、あえて言おう。女性が天皇になれないのは男女平等の理念に反する。それでは、愛子さまがかわいそうだ。
A5:男女平等理念は、平等原理に根差すものである。天皇の存在そのものがその平等原理に反する。だから、平等原理を持ち出せば、天皇の存在を否定することにつながる。「天皇の存在は平等に反しないが、皇族女子が天皇になれないことだけ平等に反する」というのは不徹底であり論理的な一貫性がない。天皇をなくせと言わないと論理が一貫しない。そもそも、男女平等に当てはまるには前提がある。個人の能力や努力によって成し遂げられる地位や立場についてなら、男女は平等でなければならない。しかし、当人の才能や努力によってなれない地位や立場については、男女平等の例外になる。また、「愛子さまがかわいそう」という意見には無責任なものを感じる。天皇という地位は、多忙で、責任が限りなく重く、完璧が要求され、耐え難いからといって逃げ出すこともできない。いわば苦役である。好きな男性と一緒になって皇籍を離れ自由に暮らすことのほうが愛子さまにとって幸せなのは明らかではないか。国民の世論の7割、8割が女性天皇・女系天皇を支持しているが、それは、愛子さまに、女性として幸せになる自由を捨てさせ天皇という苦役のような地位を強制することを意味するのである、という感度があまりにも鈍いのではないか。

Q6:伊勢神宮でお祀りしている皇祖神が女性の天照大御神(あまてらすおおみかみ)なのだから、皇統とはそもそも女系で始まっている。だから女系でも問題がないのではないか。
A6:あくまで初代の天皇は神武天皇だから、神武天皇より前には、皇位は存在しない。皇位継承はあくまで神武天皇を起点に考えるべきである。天照大御神とどうつながっているかではなくて、神武天皇とどうつながっているかが重要なのだ。神様に人間レベルの血統はない。神話に皇位継承の話を持ち込むべきではない。

Q7:長らく民間で過ごしていた旧皇族が皇室に戻るのは、国民が納得しないのではないか。「一般人とどこが違うんだ」と。
A7:普通に考えれば、次に皇位継承の危機が訪れるのは、どんなに早くても悠仁親王殿下の次の世代である。もし将来、天皇の世継ぎが生まれなかったとしても、皇室に復帰した旧宮家の子どもが皇嗣として早くから注目されていけば、国民にも馴染み感が生じてくるはず。旧皇族からいきなり天皇が出て、国民が驚くようなことにならないためにも、旧皇族から早く皇室に戻っていただき、生まれながらに皇族となる男子を育てなければならない。その意味で、旧皇族からの復帰が、もし赤ちゃんで行われたら最良のケースである。これらのどこに国民が不満を持つのか、よくわからない。

これくらいにしておきましょう。いくらQ&Aを重ねても、納得しない人は納得しないでしょうから。

思うに、天皇の男系継承の破棄は、自然環境の破壊に似ているところがあります。私たちに有形無形の喜びと慰藉と恵みとをもたらしてくれる自然環境を破壊するのは一瞬のことです。ところが、失ったものは二度と元には戻りません。そうして、失った後はじめて、失ったものの巨さやありがたみが身に染みて分かる。当方は、数十年ぶりに帰った生まれ故郷の対馬が、無益な護岸工事を徹底的に施されて、なつかしい海が無残に死んでしまったのを目の当たりにしてとても残念でもあり哀しくもあった自分の経験を念頭に置きながら、そう書いております。

当方は、天皇をそういう存在にしたくありません。最後は感性・感度の問題だと思います。
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量子力学について(その10)電子の発見⑧⑨

2020年05月04日 12時16分49秒 | 科学

高校物理解説講義:「電子の発見」講義8

高校物理解説講義:「電子の発見」講義9


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日本人にとって、コロナとは「ケガレ」である

2020年05月03日 19時08分45秒 | 歴史


井沢元彦の『逆説の日本史』がめっぽう面白い。ハマっていると言っていいでしょう。最近やっと鎌倉時代の滅亡と建武の新政のところまできました。

その史観の特徴をざっくりと要約すると、次のようになるかと思われます。

〈日本の歴史は「言霊・和・怨霊・穢れ」への無意識の非合理的な信仰によってその流れの基本が創り出された。そのことを明らかにするためにはアカデミズムの史料絶対主義を排すべきである。もっとも、史料を尊重するのは当然のことである。しかしそれに加えて、書かれなかった背景をも深く考察すべきこと。その際「当たり前のことがらとして同時代人が認識していることは記録されなかった」ことを考慮すべきである。それらを含めて、アカデミズムの行き過ぎた専門性を超える通史的考察の重要性を強調したい〉

以上のような、井沢氏の主張に、当方、基本的に賛成します。とはいうもの、井沢氏は強烈な個性の持ち主なので、おそらく毀誉褒貶にはすさまじいものがあることでしょう。

それはさておき。

これまで読んだなかでいちばん印象に残っているのは、平安京を作った桓武天皇が徴兵制による大規模な「正規軍」を廃止し、健児(こんでい)という小規模な専門兵士の集団というより地方警察や派出所程度のものに変えたこと、および平安時代の政府には健児制を積極的に維持しようとする姿勢がみられなくて、同制度は平安時代の中ごろまでに自然消滅してしまう、という国家権力としての驚くべき経緯についての分析です。ちなみに健児の制は、当時の憲法にあたる律令を改正して設けたものではなくて、「太政官符」という政府の一片の通達で設けたものです。つまり一片の通達によって、日本は「軍隊なき国家」になったのです。

ざっくりと言ってしまえば、井沢氏は、桓武天皇が「軍隊なき国家」を作った根本動機を「ケガレ」思想に求めます。井沢氏によれば、日本人にはケガレを極端に嫌う「信仰」があり、特に古代・中世において最も嫌われたのは、「死のケガレ」つまり「死穢」(しえ)です。そうして、「死穢」を最も体現する存在は、人殺しの専門家集団である軍隊です。だから、ケガレ信仰を体現する桓武天皇は、死のケガレにまみれた軍隊を廃止した。井沢氏は、おおむねそう主張します。賢明な読み手なら「では、桓武天皇が坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し蝦夷討伐に熱心だったのはどう説明するんだ」という疑問が湧くことでしょうが、それに答えるのは控えておきましょう。この論点に興味を持たれた方は、井沢元彦『逆説の日本史3 古代言霊編』(小学館文庫)をお読みください。

で、察しの良い方は、当方が言いたいことがもうお分かりでしょう。

そうです。当方は、目下猖獗を極めている新型コロナウィルスは、日本人の理屈以前の根本感情において、「死のケガレ」と受けとめられている、と主張したいのです。「きたない」と思ったモノは煮沸消毒しても相変わらず「きたない」と思うのがケガレ信仰なのだから、死をもたらす新型コロナは、日本人にとって、怖いものというよりむしろ嫌悪の対象なのです。怖いものであると同時に忌み嫌っているものでもある、ということ。

井沢氏によれば、ケガレ信仰は、不可避的に差別をもたらします。平安貴族は、殺人という死のケガレに触れる専門軍隊=武士を差別し、「罪人」というケガレに触れる警察=検非違使を差別し、動物の解体・皮革業というケガレ仕事に従事する「・」を差別しました。

同じように、コロナ禍の日本人は、職業上、新型コロナという「死のケガレ」に関わらざるをえない医療関係者を差別しています。それは大変残念なことあり、人としてとても悲しいことでもあります。

「触らないで!」医療従事者への“コロナ差別”が横行 本サイトに届いた悲鳴https://jp.news.gree.net/news/entry/3617300

私たちは「理屈以前の根本感情において、新型コロナを死のケガレとして受けとめている」という自己認識をはっきりと持たなければ、コロナ問題を根のところから乗り越えることがかなわないのではないか。いたずらに混迷の度を深めるだけなのではないか。

そういう当方の思いが杞憂に終わればさいわいです。
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