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うたことば歳時記

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年号・元号を用いた歴史用語

2019-04-04 10:30:19 | 歴史
 新しい令和という元号が発表され、連日のように元号についての記事が溢れています。中には元号不要という主張があるのですが、高校で主に日本史を教えていた者として、年号がなかつたら困ったことになっただろうと思います。

 ここで最初にお断りしておきますが、「元号」が正式な言葉となったのは、明治憲法と同時に発布された皇室典範により、それ以前は専ら年号という言葉ばかりが用いられていましたので、時期によって元号と年号を使い分けています。なお私のブログ「うたことば歳時記 年号と元号」には、その相違点を文献史料に基づいて論証してありますので、あわせて御覧下さい。辞書類には元号と年号の区別がいい加減に解説されていますが、本来ははっきりとした違いがありましたから。

 西暦が導入される以前の年を特定する紀年法としては、古代中国以来の干支法がありました。これは単年を表すには向いています。しかし60通りの組み合わせが機械的に巡って来てしまいますし、60通りの組み合わせを順番に覚えるのは至難の業です。西暦ならば無限に異なる数が続きますから、そのような問題は生じません。単年を正確に選び出すことができ、いくつかの年の前後関係を一瞬に理解できます。しかし干支も西暦も、複数年に跨がる期間を表現するには、その正確さの故にあまり適していません。その点で年号ならば他の言葉を連結させて、その時点における事象を印象的に表すことができます。

 一つ例を上げてみましょう。江戸時代の18世紀後半に天明の大飢饉が起きました。飢饉というものはその始まりと終わりがはっきりしません。一応1782年から1787年ということになってはいますが、もともと冷害が続いていたところに浅間山の噴火でそれが顕著になったのですから、いつからいつまでと線を引くのが難しいのです。それなら「18世紀後半の大飢饉」も可能ですが、漠然としすぎています。1782年からということにすると、西暦ならば「1782年に始まる大飢饉」としか表現できません。干支ならば「壬寅の大飢饉」となるのでしょうが、ますますわけがわからなくなります。将軍徳川家治のもとで田沼意次が実権を握っていたというので、「家治の大飢饉」「田沼の大飢饉」と表現すると、まるで家治や田沼が引き起こした飢饉のように聞こえてしまいます。しかし「天明の大飢饉」ならば、およその時期は押さえることができますし、少し勉強した人ならば、将軍徳川家治のもとで田沼意次が実権を握っていた時期であることに結び付けることは簡単です。

 このように歴史的事象を印象的に表現するには、年号と結び付けることが実に便利なのです。もちろんその事象が起きた時点では歴史用語ではないのですが、時間の経過とともに歴史用語となり、歴史の学習には欠くことの出来ないものとなっています。このような言葉の中から、高等学校の日本史の授業で学習するレベルのものを探し出してみました。こうして並べてみると、大変多いことに驚かされます。もし歴史的に日本に年号がなかったら、これらの言葉をどのように表現したのでしょうか。複数年にわたることがらは干支や西暦では表しにくいことを考えると、年号の便利さを再確認できることでしょう。

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 丁寧に探せばもっとあることでしょう。きっといくつかは漏れていると思います。明治以後は元号を用いた歴史用語は多くはありません。これからもそれ程は増えないでしょう。

 これらの歴史用語を年号・元号を用いないでどのように表せるでしょうか。大化の改新を乙巳の変と表しても、乙巳の変は蘇我入鹿・蝦夷を滅ぼした事件その物ですし、大化の改新と言えば、それに始まる一連の政治改革を指していますから、干支で表せるとは限りません。やはり年号があったからこそ、表現できるのです。年号のお陰で、歴史学習がどれだけわかりやすくなっているか、それは上記の歴史用語を年号・元号を用いずに表せないことを考えれば、おわかりいただけると思います。



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