初音ミクという緑の髪のキャラクターがいるそうな。その方面にはからっきし知識のない私は、どうやら生まれる時代を間違ったようです。それはともかく、緑色の髪の毛を見ると、私のような古い世代は、「緑の黒髪」を思い起こします。逆に若い世代に言わせれば、「何じゃそりゃあ、緑なのか黒なのか、はっきりせんかい」ということになるのでしょう。
そこで「緑の黒髪」とはどんな髪なのか、改めて辞書を引いてみると、「黒くつやのある女性の美しい髪」と説明されています。私の理解と同じで、まずはほっとするのですが、それならば「みどり」の意味を権威ある古語辞典で調べてみると、本来は色名で新芽を意味した語が、転じて色名になったといわれている、と説明されていました。古語辞典でそう説明されていますので、ネット上ではそのような説明を受けて、受け売りのように、みどりとは、本来は「瑞々しさ」を表す意味であったらしいが、転じて新芽の色を示すようになったととか、その逆に、新芽や若い枝のことであり、転じて瑞々しく艶やかなもののを意味するようになったというような説明が溢れています。中には「芽出る」が語源らしいとまでいう説明もありました。
素人のくせに疑い深い私は、「・・・・といわれている」という説明を見ると、本当かいなと、まずは疑ってかかります。根拠が示されていないからです。特にネット情報というものは受け売りが多く、結論は同じでも、自ら確かめているわけではないことが多いからです。
そもそも私に言わせれば、奈良時代以前の文献で、「みどり」の用例が極めて少なく、そう簡単に結論を出せないのではないでしょうか。『万葉集』には、「春は萌え夏は緑に紅(くれなゐ)の斑(まだら)に見ゆる 秋の山かも」(巻10‐2177)という歌があることでもわかるように、グリーンの色としての「緑」が使われています。平安時代には色としての使用が普通になり、「瑞々しいこと」を表す「みどり」の例は多くはありません。また空の色を「みどり」と表現することがしばしばあり、「みどり」という概念にブルーが含まれるとすると、新芽の色から転じたという説明も納得できないのです。そもそも「瑞々しく艶やかな」という理解の根拠となったと思われる「緑の黒髪」の文献上の所見がどこまで遡るのか、その辺りをしっかりと検証する必要があると思います。ただ『万葉集』には「緑児」の用例がいくつかあり、「大宝令」では三歳までの男児を指すことになっていますから、7世紀末には、「みどり」が初々しいことを表す言葉でもあったことは確かめられます。要するに、奈良時代までには、「みどり」は色としても、瑞々しいとか初々しいというような意味でも、両方使用されていたということなのです。
如何にも何かわかっているような書きぶりですが、私自身もよくわかっていません。ただみどり色に対して万葉時代の人々がどんなことを感じていたかを推定させる、面白い視点があります。それは緑色の貴石である翡翠に関することなのです。『万葉集』に次のような一連の歌があります。
①天橋(あまはし)も長くもがも 高山も高くもがも 月読(つくよみ)の持てる変若水(をちみづ)い取り 来て 公(きみ)に奉(まつ)りて 変若(をち)しめむはも(3245)
②天なるや 月日のごとく吾が思へる 君が日に異(け)に老ゆらく惜しも(3246)
③沼名川(ぬなかは)の 底なる玉 求めて得し玉かも 拾(ひり)ひて得し玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜しも(3247)
①は、天への橋も長くあってほしい。高い山ももっと高くあってほしい。そして月の神が持っている若返りの水を取って来て、あなたにさし上げ、若返っていただきたい、というように理解できます。②天の月や太陽のように私が思っているあなたが、日ごとに年老いて行くのが惜しいことです、という意味でしょう。③は、(越の国の)沼名川の水底にある玉は、探し求めて得た玉でしょうか、拾って得た玉でしょうか。大切なあなたが年老いて行くのが惜しいことです、という意味に理解できます。①~③はその内容からして、若返りを祈る歌と考えられます。
ところで③の「沼名川」とは新潟県糸魚川市の姫川に当たることはわかっています。するとその川の「玉」とは翡翠に他なりません。翡翠は縄文時代から古墳時代にかけて勾玉などに加工され、貴重な呪物となっていましたが、「玉」がどのような意図をもってここに詠み込まれているのか、今一つはっきりしないのが残念です。しかし一連の歌の流れから、翡翠が命の若返りに関わる霊力を持つと理解は出来ないでしょうか。もしそうであれば、③の上の句と下の句がうまく繋がるのです。当時の人には説明をしなくともわかることだったのですが、現代人にはわからなくなっていたので、上の句と下の句が分離しているように見えるのではと思うのです。
翡翠は緑色の貴石です。まあ日本の翡翠は白っぽい方が多いのですが、それでも少しは薄く緑色が混じります。この緑色というところに、万葉人は若返りの生命力や呪力を感じたのではないでしょうか。もしそうだとすると、「みどり」が瑞々しさや初々しさを表すという最初にお話ししたこととうまく繋がるかもしれないのです。私の此の推論にはかなり無理があるのは承知しています。まあ一つの可能性として、御笑覧いただければそれで十分です。
内容の薄いものになってしまいました。御免なさい。
そこで「緑の黒髪」とはどんな髪なのか、改めて辞書を引いてみると、「黒くつやのある女性の美しい髪」と説明されています。私の理解と同じで、まずはほっとするのですが、それならば「みどり」の意味を権威ある古語辞典で調べてみると、本来は色名で新芽を意味した語が、転じて色名になったといわれている、と説明されていました。古語辞典でそう説明されていますので、ネット上ではそのような説明を受けて、受け売りのように、みどりとは、本来は「瑞々しさ」を表す意味であったらしいが、転じて新芽の色を示すようになったととか、その逆に、新芽や若い枝のことであり、転じて瑞々しく艶やかなもののを意味するようになったというような説明が溢れています。中には「芽出る」が語源らしいとまでいう説明もありました。
素人のくせに疑い深い私は、「・・・・といわれている」という説明を見ると、本当かいなと、まずは疑ってかかります。根拠が示されていないからです。特にネット情報というものは受け売りが多く、結論は同じでも、自ら確かめているわけではないことが多いからです。
そもそも私に言わせれば、奈良時代以前の文献で、「みどり」の用例が極めて少なく、そう簡単に結論を出せないのではないでしょうか。『万葉集』には、「春は萌え夏は緑に紅(くれなゐ)の斑(まだら)に見ゆる 秋の山かも」(巻10‐2177)という歌があることでもわかるように、グリーンの色としての「緑」が使われています。平安時代には色としての使用が普通になり、「瑞々しいこと」を表す「みどり」の例は多くはありません。また空の色を「みどり」と表現することがしばしばあり、「みどり」という概念にブルーが含まれるとすると、新芽の色から転じたという説明も納得できないのです。そもそも「瑞々しく艶やかな」という理解の根拠となったと思われる「緑の黒髪」の文献上の所見がどこまで遡るのか、その辺りをしっかりと検証する必要があると思います。ただ『万葉集』には「緑児」の用例がいくつかあり、「大宝令」では三歳までの男児を指すことになっていますから、7世紀末には、「みどり」が初々しいことを表す言葉でもあったことは確かめられます。要するに、奈良時代までには、「みどり」は色としても、瑞々しいとか初々しいというような意味でも、両方使用されていたということなのです。
如何にも何かわかっているような書きぶりですが、私自身もよくわかっていません。ただみどり色に対して万葉時代の人々がどんなことを感じていたかを推定させる、面白い視点があります。それは緑色の貴石である翡翠に関することなのです。『万葉集』に次のような一連の歌があります。
①天橋(あまはし)も長くもがも 高山も高くもがも 月読(つくよみ)の持てる変若水(をちみづ)い取り 来て 公(きみ)に奉(まつ)りて 変若(をち)しめむはも(3245)
②天なるや 月日のごとく吾が思へる 君が日に異(け)に老ゆらく惜しも(3246)
③沼名川(ぬなかは)の 底なる玉 求めて得し玉かも 拾(ひり)ひて得し玉かも 惜(あたら)しき君が 老ゆらく惜しも(3247)
①は、天への橋も長くあってほしい。高い山ももっと高くあってほしい。そして月の神が持っている若返りの水を取って来て、あなたにさし上げ、若返っていただきたい、というように理解できます。②天の月や太陽のように私が思っているあなたが、日ごとに年老いて行くのが惜しいことです、という意味でしょう。③は、(越の国の)沼名川の水底にある玉は、探し求めて得た玉でしょうか、拾って得た玉でしょうか。大切なあなたが年老いて行くのが惜しいことです、という意味に理解できます。①~③はその内容からして、若返りを祈る歌と考えられます。
ところで③の「沼名川」とは新潟県糸魚川市の姫川に当たることはわかっています。するとその川の「玉」とは翡翠に他なりません。翡翠は縄文時代から古墳時代にかけて勾玉などに加工され、貴重な呪物となっていましたが、「玉」がどのような意図をもってここに詠み込まれているのか、今一つはっきりしないのが残念です。しかし一連の歌の流れから、翡翠が命の若返りに関わる霊力を持つと理解は出来ないでしょうか。もしそうであれば、③の上の句と下の句がうまく繋がるのです。当時の人には説明をしなくともわかることだったのですが、現代人にはわからなくなっていたので、上の句と下の句が分離しているように見えるのではと思うのです。
翡翠は緑色の貴石です。まあ日本の翡翠は白っぽい方が多いのですが、それでも少しは薄く緑色が混じります。この緑色というところに、万葉人は若返りの生命力や呪力を感じたのではないでしょうか。もしそうだとすると、「みどり」が瑞々しさや初々しさを表すという最初にお話ししたこととうまく繋がるかもしれないのです。私の此の推論にはかなり無理があるのは承知しています。まあ一つの可能性として、御笑覧いただければそれで十分です。
内容の薄いものになってしまいました。御免なさい。
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