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三十三観音  日本史授業に役立つ小話・小技38

2024-05-01 15:25:59 | その他
埼玉県の公立高校の日本史の教諭を定年退職してから既に十余年、その後は非常勤講師などをしていました。今年度で七四歳になります。長年、初任者研修・五年次研修の講師を務め、若い教員を刺激してきましたが、その様な機会はもうありません。半世紀にわたる教員生活を振り返り、若い世代に伝えておきたいこともたくさんありますので、思い付くままに書き散らしてみようと思いました。ただし大上段に振りかぶって、「○○論」を展開する気は毛頭なく、気楽な小ネタばかりを集めてみました。読者として想定しているのは、あくまでも中学校の社会科、高校の日本史を担当する若い授業者ですが、一般の方にも楽しんでいただけることもあるとは思います。通し番号を付けながら、思い付いた時に少しずつ書き足していきますので、間隔を空けて思い付いた時に覗いてみて下さい。時代順に並んでいるわけではありません。ただ私の専門とするのが古代ですので、現代史が手薄になってしまいます。ネタも無尽蔵ではありませんので、これ迄にブログや著書に書いたことの焼き直しがたくさんあることも御容赦下さい。

38、三十三観音
 仏には、一般に如来と菩薩の区別があります。如来は既に悟りに至った仏のことで、過去世を掌る薬師如来、現世に実在した釈迦如来、未来世を掌る阿弥陀如来、宇宙の根本である大日如来がよく知られています。像に表される場合は、大日如来以外は装身具を着けていません。一方菩薩は、悟りには未だ到達せず修行中の身です。修行者が守り行うべき戒を「菩薩戒」というのも、これに拠っています。そして自ら修行に励むと同時に、衆生をも悟りに至らせようという願を立てているので、ある意味では如来より身近に感じられる仏です。ですから人々の救済のために自らの身をすり減らすような行いを、「菩薩行」と言います。菩薩の種類は大変多いのですが、地蔵菩薩・弥勒菩薩・勢至菩薩・観音菩薩などがよく知られています。その観音菩薩もこれまた種類が多く、聖観音・千手観音・十一面観音・馬頭観音・如意輪観音などがよく知られています。
 観音菩薩について記された『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』(観音経)には、観音菩薩が娑婆の世界で救済のためにどの様に説法するのか、その方便を釈迦が説く場面があります。原文は難解なので省略しますが、そこには説法をする相手に応じて、如何なる形にも変身し、それが三十三にも及ぶことが説かれているのです。つまり観音菩薩は救済しようという対象に合わせて、どの様な形にも変化して下さるという、衆生にとって実に有り難く身近な仏なのです。また阿弥陀如来が念仏行者を往生させるために迎えに来る来迎の場面で、観音菩薩は念仏者を乗せるための蓮台を捧げ持つ姿で表されますから、ある意味では阿弥陀如来よりも最も身近な仏と感じさせる仏ということができるでしょう。そういうわけで古くから観音信仰盛んであり、「三十三」という数字が、観音信仰にはついて回ることになります。
 最もよく知られているのは三十三間堂でしょう。正式には蓮華王院本堂というのですが、通称の方が知られています。もともとは後白河上皇が平清盛に命じて長寛二年(1165)に建立させた物でしたが、建長元年(1249)に焼失してしまいました。そして文永二年(1266)に現在の本堂が再建されています。ですから授業では鎌倉時代の和様建築の例として学習します。三十三間堂という呼称は、柱間が33あることに因っていますが、それは内陣の柱間ですから、外観上は35の柱間があります。内陣には本尊の千手観音像を中心に、左右に合計千体の千手観音像が隙間もなくずらりと並んでいて、その数に圧倒されます。数が多いということは、院政期に建てられた仏教建築や仏像・仏塔に共通することで、数が多いと功徳が多いという理解があったことによると説明できます。
 その他には西国観音霊場と坂東観音霊場が共に33カ所であることが挙げられます。これは観音菩薩をまつる寺のネットワークともいうべきもので、その成立時期には諸説があります。ただ庶民の巡礼が行われるようになるのは、室町時代と見てよいと思います。江戸時代には江戸から近い秩父に34カ所の観音霊場を加えて、切りのよい百観音の霊場巡りが行われるようになったため、秩父だけは一つ多くなっています。庶民の観音霊場の巡礼については江戸時代で学習しますが、鎌倉時代の文化で三十三間堂を学習する際に、なぜ三十三なのかを説明しておけば、その後の学習にすぐつながることでしょう。
 一般的に日本の公立学校では、宗教教育を意図して避けていますが、布教のためでないならば、もっと積極的に採り入れるべきであると思います。社会では仏教に起原をもつ習慣は大変多く、その意味を知っていたので役に立ったという場面はたくさんあるからです。こういう私自身はキリスト教徒ですが、それでもお寺や神社は大好きで、前を通り過ぎる時は、敬虔な気持ちで敬礼しています。