広益国産考
原文
夫(それ)、国産の基(もとい)を発(おこ)さんとならば、其事に熟したる人をかゝへ入て、其者にすべての事を任(まか)し、耕し種(ううる)ならば、二三反或(あるい)は四五反の田畑(でんぱた)をあてがひ、心のまゝに仕立させ見給ひなば、農人おのづから見及びて、其作り方を感伏(かんぷく)せば、利に走(わし)る世の中なれば、我も〳〵と夫(それ)にならひて、仕付(しつけ)るやう成べし。
始(はじめ)より領主の威光を以て教令しては、却(かえ)りて用ひず、弘まりがたきもの也。此(この)趣(おもむ)きをもて取扱ひなば、終(つい)に一国に広まりて、農家の益となるに違ひなかるべし。是第一、民を賑(にぎ)はすの道理にあたり、然して其品の捌口(さばけくち)をよく調へ候やうに、専ら御世話あらせられなば、国産とも御益ともなるべし。始(はじめ)より領主の益となさんと、人数(にんじゆ)多くかゝりて行(おこなわ)せらるゝは、得(う)る所少なくして、費す処(ところ)多ければ、益となさんとてする事、却(かえり)て損となる事も有ゆゑに、只その部下に作らせて其締(しまり)をよくする時は、理に叶(かな)ひて其益また広大也。
現代語訳
そもそも国の産物の基盤を作ろうとするならば、その事に熟達した人を迎え入れ、その人に全てを任せ、それが農耕に関することであるならば、二三反(約20~30a)、あるいは四五反(40~50a)の耕地を預け、自由にやらせてみるべきである。農民達が自分でその様子を見て、そのやり方に感心すれば、誰もが利に走る世の中であるから、我も我もとそれを真似てやるようになるだろう。
最初から領主の力で強制しては、かえって受け容れられず、普及もしないものである。このことをよく弁(わきま)えて扱えば、ついには領国中に普及し、農家の益となることは間違いないであろう。これこそが民を豊かにする第一の心得である。そして(領主が)その生産物の販売・流通に心を配り、十分に処置をなさるならば、その領国の産物・産業とも、利益ともなるであろう。最初から領主の利益にしようと大人数で行えば、得るものは少なく、出費ばかりが増えて、利益を得ようとしたはずが、かえって損失となることもあるから、ただ下の者に生産させ、(領主は)管理だけをうまくやれば、理にかなって、その利益がますます大きくなるのである。
解説
『広益国産考(こうえきこくさんこう)』は、江戸時代の三大農学者の一人とされる、大蔵(おおくら)永常(ながつね)(1768~1861)が著した農書です。彼は未刊のものも含めて、生涯で約八十もの農書を著しました。よく知られているのは、副業を勧め、蝋燭(ろうそく)の原料である櫨(はぜ)の栽培について述べた『農家益(のうかえき)』を手始めに、農具について詳述した『農具便利論』、鯨油を用いて稲の害虫の退治することを説いた『除蝗録(じよこうろく)』、各地の綿花栽培について述べた『綿圃要務(めんぽようむ)』があります。そして弘化元年(1844)には、それまでの著作の集大成とも言うべき『広益国産考』を著しています。ただし出版されたのは、安政六年(1859)でした。書名の意味は、「広く利益を生む、地域の物産についての考察」といったところでしょう。
総合的な農書としては、既に十七世紀末に宮崎安貞が著した『農業全書』がありました。これは栽培百科全書であり、農作物の栽培法の視点から叙述されています。しかし大蔵永常の活躍した時代には、貨幣経済がいよいよ農村に浸透し、加えて凶作・飢饉が頻発し、農村は疲弊していました。大蔵永常は、困窮する農民を救済するためには、中心となる穀物の増産は言わずもがな、副業的な商品作物(工芸作物・換金作物)の栽培と加工により、多角的農業経営を行うことを説いたのです。そして単に農家に現金収入を得させるだけでなく、領主の管理・奨励により地方特産物が育成され、地域産業の活性化まで視野に入れるものでした。
具体的には「国産」として、油菜・紅花・藍・麻・煙草・藺草・綿・葛・蕨・芋(里芋)・蕃藷(ばんしよ)(薩摩芋)・蜜柑・柿・梨・梅・葡萄・杉・松・檜・桐・桑・漆・楮・三俣(みつまた)・櫨(はぜ)・茶・蜂蜜・砂糖などが取り上げられています。
このような発想については、永常の父が農民でありながら、蝋燭を作る職人でもあったことが大きく影響しているのではないかと思います。永常は十一人兄弟の次男で、父が農産物の加工により現金収入を得ていることが、どれ程子沢山の家計を助けてくれるかを、身を以て体験していたはずです。
ここに載せたのは、一之巻の総論の「国産の基(もとい)を発(はつ)するに損益の心得ある話」の一部です。農産物栽培は熟練者や農民にまかせ、領主は製品の販売や買い上げのお膳立てに専念すべきであると説いています。他にも総論には、「領主より買上場などを立給ひて取集め、都会に出して売捌(さば)き給はゞ、其時は御益にもなるものなり」とも記されていますから、藩の専売まで考えていたことがわかります。
昨年12月、清水書院から『歴史的書物の名場面』という拙著を自費出版しました。収録されているのは高校の日本史の教科書に取り上げられている書物を約100冊選び、独断と偏見でその中から面白そうな場面を抜き出し、現代語訳と解説をつけたものです。この『広益国産考』も収められています。著者は高校の日本史の教諭で、長年の教材研究の成果をまとめたものです。アマゾンから注文できますので、もし興味がありましたら覗いてみて下さい。
原文
夫(それ)、国産の基(もとい)を発(おこ)さんとならば、其事に熟したる人をかゝへ入て、其者にすべての事を任(まか)し、耕し種(ううる)ならば、二三反或(あるい)は四五反の田畑(でんぱた)をあてがひ、心のまゝに仕立させ見給ひなば、農人おのづから見及びて、其作り方を感伏(かんぷく)せば、利に走(わし)る世の中なれば、我も〳〵と夫(それ)にならひて、仕付(しつけ)るやう成べし。
始(はじめ)より領主の威光を以て教令しては、却(かえ)りて用ひず、弘まりがたきもの也。此(この)趣(おもむ)きをもて取扱ひなば、終(つい)に一国に広まりて、農家の益となるに違ひなかるべし。是第一、民を賑(にぎ)はすの道理にあたり、然して其品の捌口(さばけくち)をよく調へ候やうに、専ら御世話あらせられなば、国産とも御益ともなるべし。始(はじめ)より領主の益となさんと、人数(にんじゆ)多くかゝりて行(おこなわ)せらるゝは、得(う)る所少なくして、費す処(ところ)多ければ、益となさんとてする事、却(かえり)て損となる事も有ゆゑに、只その部下に作らせて其締(しまり)をよくする時は、理に叶(かな)ひて其益また広大也。
現代語訳
そもそも国の産物の基盤を作ろうとするならば、その事に熟達した人を迎え入れ、その人に全てを任せ、それが農耕に関することであるならば、二三反(約20~30a)、あるいは四五反(40~50a)の耕地を預け、自由にやらせてみるべきである。農民達が自分でその様子を見て、そのやり方に感心すれば、誰もが利に走る世の中であるから、我も我もとそれを真似てやるようになるだろう。
最初から領主の力で強制しては、かえって受け容れられず、普及もしないものである。このことをよく弁(わきま)えて扱えば、ついには領国中に普及し、農家の益となることは間違いないであろう。これこそが民を豊かにする第一の心得である。そして(領主が)その生産物の販売・流通に心を配り、十分に処置をなさるならば、その領国の産物・産業とも、利益ともなるであろう。最初から領主の利益にしようと大人数で行えば、得るものは少なく、出費ばかりが増えて、利益を得ようとしたはずが、かえって損失となることもあるから、ただ下の者に生産させ、(領主は)管理だけをうまくやれば、理にかなって、その利益がますます大きくなるのである。
解説
『広益国産考(こうえきこくさんこう)』は、江戸時代の三大農学者の一人とされる、大蔵(おおくら)永常(ながつね)(1768~1861)が著した農書です。彼は未刊のものも含めて、生涯で約八十もの農書を著しました。よく知られているのは、副業を勧め、蝋燭(ろうそく)の原料である櫨(はぜ)の栽培について述べた『農家益(のうかえき)』を手始めに、農具について詳述した『農具便利論』、鯨油を用いて稲の害虫の退治することを説いた『除蝗録(じよこうろく)』、各地の綿花栽培について述べた『綿圃要務(めんぽようむ)』があります。そして弘化元年(1844)には、それまでの著作の集大成とも言うべき『広益国産考』を著しています。ただし出版されたのは、安政六年(1859)でした。書名の意味は、「広く利益を生む、地域の物産についての考察」といったところでしょう。
総合的な農書としては、既に十七世紀末に宮崎安貞が著した『農業全書』がありました。これは栽培百科全書であり、農作物の栽培法の視点から叙述されています。しかし大蔵永常の活躍した時代には、貨幣経済がいよいよ農村に浸透し、加えて凶作・飢饉が頻発し、農村は疲弊していました。大蔵永常は、困窮する農民を救済するためには、中心となる穀物の増産は言わずもがな、副業的な商品作物(工芸作物・換金作物)の栽培と加工により、多角的農業経営を行うことを説いたのです。そして単に農家に現金収入を得させるだけでなく、領主の管理・奨励により地方特産物が育成され、地域産業の活性化まで視野に入れるものでした。
具体的には「国産」として、油菜・紅花・藍・麻・煙草・藺草・綿・葛・蕨・芋(里芋)・蕃藷(ばんしよ)(薩摩芋)・蜜柑・柿・梨・梅・葡萄・杉・松・檜・桐・桑・漆・楮・三俣(みつまた)・櫨(はぜ)・茶・蜂蜜・砂糖などが取り上げられています。
このような発想については、永常の父が農民でありながら、蝋燭を作る職人でもあったことが大きく影響しているのではないかと思います。永常は十一人兄弟の次男で、父が農産物の加工により現金収入を得ていることが、どれ程子沢山の家計を助けてくれるかを、身を以て体験していたはずです。
ここに載せたのは、一之巻の総論の「国産の基(もとい)を発(はつ)するに損益の心得ある話」の一部です。農産物栽培は熟練者や農民にまかせ、領主は製品の販売や買い上げのお膳立てに専念すべきであると説いています。他にも総論には、「領主より買上場などを立給ひて取集め、都会に出して売捌(さば)き給はゞ、其時は御益にもなるものなり」とも記されていますから、藩の専売まで考えていたことがわかります。
昨年12月、清水書院から『歴史的書物の名場面』という拙著を自費出版しました。収録されているのは高校の日本史の教科書に取り上げられている書物を約100冊選び、独断と偏見でその中から面白そうな場面を抜き出し、現代語訳と解説をつけたものです。この『広益国産考』も収められています。著者は高校の日本史の教諭で、長年の教材研究の成果をまとめたものです。アマゾンから注文できますので、もし興味がありましたら覗いてみて下さい。