まだ少し早いですが、桜のお話しを一つ。
今はあまり使われなくなりましたが、桜の花を愛でるために少々遠出をすることを「桜狩り」と言います。そう言えば同じようにもみぢを愛でるた「紅葉狩り」もあります。そこで古語辞典を検索してみると、「桜の花を尋ねて山野を歩き回ること」とあり、「狩る」で検索してみると、「山野に入って花木を探し求めること」と記されています。ネット情報では、「狩りをするわけでもないのに『狩り』というのは、草花や自然をめでることを意味していたから」というような、ピント外れの解説がいくつかありました。
「狩る」ことは草花を愛でることと言われると、私は一寸首をひねってしまいます。「○○狩り」と言う言葉は他にもいくつかあります。潮干狩り・蛍狩り・茸狩り・鷹狩りなどが思い当たりますが、いずれも獲物を狙って山野を歩き回ることが共通しています。
現代人のモラルからすれば、桜やもみぢを眺めに行って、枝を折って持ち帰ることは許されないことです。また古くから「桜きる馬鹿、梅きらぬ馬鹿」と言うように、桜の枝を剪定すると、切り口から腐りやすくなり、また桜のつぼみは枝の先端に多くつくので、花が咲かなくなるため、(梅は樹形を整えるためには剪定が欠かせず、梅は剪定してもすぐに回復して花のつく枝が伸びてくる)桜の枝を折り取ることを戒めたものでした。
ところが花見の古歌を探してみると、枝を折る歌が沢山あるのです。それに対して梅の枝を折る歌はあまり見かけません。そもそも「桜狩り」はあっても「梅狩り」という言葉はありません。
①いしばしる滝なくもがな桜花手折りてもこん見ぬひとのため (古今集 春 54)
②見てのみや人に語らむ桜花手ごとに折りて家づとにせん (古今集 春 55)
③山守はいはばいはなむ高砂の尾上の桜折りてかざさむ (後撰集 春 50)
④桜花今夜かざしにさしながらかくて千歳の春をこそ経め (拾遺集 春 286)
⑤折らば惜し折らではいかが山桜けふをすぐさず君に見すべき (後拾遺 春 84)
⑥みやこ人いかがと問はば見せもせむこの山桜一枝もがな (後拾遺 春 100)
⑦咲かざらば桜を人の折らましや桜のあたは桜なりけり (後拾遺 雑 1200)
⑧よそにては惜しみに来つる花なれど折らではえこそ帰るまじけれ (金葉集 春 54)
⑨万代とさしてもいはじ桜花かざさむ春し限りなければ (金葉集 賀 309)
⑩桜花手ごとに折りて帰るをば春のゆくとや人は見るらん (詞花集 春 31)
⑪一枝は折りて帰らむ山桜風にのみやは散らしはつべき (千載集 春 94)
⑫仏には桜の花をたてまつれわが後の世を人とぶらはば (千載集 雑 1067)
①は、桜を見に来られない人のために、桜の枝を折りたいのだが、滝があって折ることができないという。②は、見てきたよという言葉だけでは桜の美しさを伝えられないから、家への土産(家づと)に枝を折って持ち帰ろう、というのです。③は、山の管理人はとやかく言うなら言ってもよいから、桜を折って髪に挿そう、というのです。花の一枝を折って髪や冠に挿すことを「かざし」と言います。意味は「髪挿し」で、後に「かんざし」と変化することは察しがつくことでしょう。本来は長寿を祈る呪術でしたが、次第に装飾となっていきます。④も同じくかざしを詠んでいます。桜のかざしを挿すので、千年も長生きできるというのです。⑤は、折るのは惜しいが、折らないと今日という日を過ぎずにその美しさをあなたに見せることができるだろうか、というのです。⑥は、都人が、山の桜はどうでした尋ねたらね見せもしたいので、一枝ほしい、というのです。⑦は、桜の枝が折られてしまうのは、桜が美しく咲くからで、咲かなければ折られることもないと理屈を言っています。⑧は、遠くで見ていた時には花が惜しいと思っていたのに、いざ来てみたら、惜しむどころか、枝を折って持ち帰らずにはおれない、というのです。⑨もかざしを詠んでいます。万代と限っては言いますまい。桜をかざしに挿して過ごす春は、果てしなく続くのだから、というわけです。かざしが長寿のまじないであることがわかりますね。⑩は、皆が手に手に桜の枝を以て帰ってゆくのを見て、人は春が去ってゆくと思うだろうか、というのです。花見の帰りに、皆が桜の枝を持っていたことがわかりますね。桜が散れば春が終わるという理解が前提になっているわけです。⑪は、いずれ風が散らしてしまうのだから、一枝くらいは持って帰ろう、という。⑫は西行のよく知られた歌で、自分が死んだら、大好きな桜の花を供えてほしい、というのです。どこにも枝を折るとは詠まれていませんがね供える以上は折るということなのでしょう。
いかがですか。あまりに多いので一部しか載せませんでしたが、結構大胆に折って持ち帰っている様子がわかるでしょう。現代人の感覚では顰蹙をかいそうですが、当時の倫理観ではそのようなことはなく、土産に持ち帰るのが当たり前だったようです。
もう一つ確認しておきたいのは、桜は山に自生していたので、桜を愛でるには遠出をする必要があったということです。梅は唐伝来の花木ですから、野生の梅はありませんでした。それで庭に植えて観賞するものでしたから、「軒端の梅」という言葉ができるのです。しかし桜はもともと野生でしたから、庭に植えられることは多くはありませんでした。もちろん庭の桜を詠んだ歌はありますが、梅ほど多くはなく、「軒端の桜」とは詠まれないのです。ですから桜の美しさを伝えるためには、どうしても一枝折って持ち帰りたくなるのです。
桜狩りとはただ桜を観賞することではなく、桜を求めて山や野に分け入り、十分に桜を堪能するだけでなく、ついでに枝を折り取って持ち帰ることだったと言うことができるでしょう。辞書には「狩る」とは「花や木を探して観賞すること」と説明されていますが、私ならもっと強く、「花や木を探し求めて山野に分け入り、それを採って愛でること」と説明したいところです。ただ眺めて愛でるのではなく、動物を狩るように手に採って愛でるからこそ、「桜狩り」と呼ばれたのでしょう。
今はあまり使われなくなりましたが、桜の花を愛でるために少々遠出をすることを「桜狩り」と言います。そう言えば同じようにもみぢを愛でるた「紅葉狩り」もあります。そこで古語辞典を検索してみると、「桜の花を尋ねて山野を歩き回ること」とあり、「狩る」で検索してみると、「山野に入って花木を探し求めること」と記されています。ネット情報では、「狩りをするわけでもないのに『狩り』というのは、草花や自然をめでることを意味していたから」というような、ピント外れの解説がいくつかありました。
「狩る」ことは草花を愛でることと言われると、私は一寸首をひねってしまいます。「○○狩り」と言う言葉は他にもいくつかあります。潮干狩り・蛍狩り・茸狩り・鷹狩りなどが思い当たりますが、いずれも獲物を狙って山野を歩き回ることが共通しています。
現代人のモラルからすれば、桜やもみぢを眺めに行って、枝を折って持ち帰ることは許されないことです。また古くから「桜きる馬鹿、梅きらぬ馬鹿」と言うように、桜の枝を剪定すると、切り口から腐りやすくなり、また桜のつぼみは枝の先端に多くつくので、花が咲かなくなるため、(梅は樹形を整えるためには剪定が欠かせず、梅は剪定してもすぐに回復して花のつく枝が伸びてくる)桜の枝を折り取ることを戒めたものでした。
ところが花見の古歌を探してみると、枝を折る歌が沢山あるのです。それに対して梅の枝を折る歌はあまり見かけません。そもそも「桜狩り」はあっても「梅狩り」という言葉はありません。
①いしばしる滝なくもがな桜花手折りてもこん見ぬひとのため (古今集 春 54)
②見てのみや人に語らむ桜花手ごとに折りて家づとにせん (古今集 春 55)
③山守はいはばいはなむ高砂の尾上の桜折りてかざさむ (後撰集 春 50)
④桜花今夜かざしにさしながらかくて千歳の春をこそ経め (拾遺集 春 286)
⑤折らば惜し折らではいかが山桜けふをすぐさず君に見すべき (後拾遺 春 84)
⑥みやこ人いかがと問はば見せもせむこの山桜一枝もがな (後拾遺 春 100)
⑦咲かざらば桜を人の折らましや桜のあたは桜なりけり (後拾遺 雑 1200)
⑧よそにては惜しみに来つる花なれど折らではえこそ帰るまじけれ (金葉集 春 54)
⑨万代とさしてもいはじ桜花かざさむ春し限りなければ (金葉集 賀 309)
⑩桜花手ごとに折りて帰るをば春のゆくとや人は見るらん (詞花集 春 31)
⑪一枝は折りて帰らむ山桜風にのみやは散らしはつべき (千載集 春 94)
⑫仏には桜の花をたてまつれわが後の世を人とぶらはば (千載集 雑 1067)
①は、桜を見に来られない人のために、桜の枝を折りたいのだが、滝があって折ることができないという。②は、見てきたよという言葉だけでは桜の美しさを伝えられないから、家への土産(家づと)に枝を折って持ち帰ろう、というのです。③は、山の管理人はとやかく言うなら言ってもよいから、桜を折って髪に挿そう、というのです。花の一枝を折って髪や冠に挿すことを「かざし」と言います。意味は「髪挿し」で、後に「かんざし」と変化することは察しがつくことでしょう。本来は長寿を祈る呪術でしたが、次第に装飾となっていきます。④も同じくかざしを詠んでいます。桜のかざしを挿すので、千年も長生きできるというのです。⑤は、折るのは惜しいが、折らないと今日という日を過ぎずにその美しさをあなたに見せることができるだろうか、というのです。⑥は、都人が、山の桜はどうでした尋ねたらね見せもしたいので、一枝ほしい、というのです。⑦は、桜の枝が折られてしまうのは、桜が美しく咲くからで、咲かなければ折られることもないと理屈を言っています。⑧は、遠くで見ていた時には花が惜しいと思っていたのに、いざ来てみたら、惜しむどころか、枝を折って持ち帰らずにはおれない、というのです。⑨もかざしを詠んでいます。万代と限っては言いますまい。桜をかざしに挿して過ごす春は、果てしなく続くのだから、というわけです。かざしが長寿のまじないであることがわかりますね。⑩は、皆が手に手に桜の枝を以て帰ってゆくのを見て、人は春が去ってゆくと思うだろうか、というのです。花見の帰りに、皆が桜の枝を持っていたことがわかりますね。桜が散れば春が終わるという理解が前提になっているわけです。⑪は、いずれ風が散らしてしまうのだから、一枝くらいは持って帰ろう、という。⑫は西行のよく知られた歌で、自分が死んだら、大好きな桜の花を供えてほしい、というのです。どこにも枝を折るとは詠まれていませんがね供える以上は折るということなのでしょう。
いかがですか。あまりに多いので一部しか載せませんでしたが、結構大胆に折って持ち帰っている様子がわかるでしょう。現代人の感覚では顰蹙をかいそうですが、当時の倫理観ではそのようなことはなく、土産に持ち帰るのが当たり前だったようです。
もう一つ確認しておきたいのは、桜は山に自生していたので、桜を愛でるには遠出をする必要があったということです。梅は唐伝来の花木ですから、野生の梅はありませんでした。それで庭に植えて観賞するものでしたから、「軒端の梅」という言葉ができるのです。しかし桜はもともと野生でしたから、庭に植えられることは多くはありませんでした。もちろん庭の桜を詠んだ歌はありますが、梅ほど多くはなく、「軒端の桜」とは詠まれないのです。ですから桜の美しさを伝えるためには、どうしても一枝折って持ち帰りたくなるのです。
桜狩りとはただ桜を観賞することではなく、桜を求めて山や野に分け入り、十分に桜を堪能するだけでなく、ついでに枝を折り取って持ち帰ることだったと言うことができるでしょう。辞書には「狩る」とは「花や木を探して観賞すること」と説明されていますが、私ならもっと強く、「花や木を探し求めて山野に分け入り、それを採って愛でること」と説明したいところです。ただ眺めて愛でるのではなく、動物を狩るように手に採って愛でるからこそ、「桜狩り」と呼ばれたのでしょう。