マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

寺沢恒信氏と哲学

2013年03月07日 | タ行
  第1節、寺沢のドイツ語学
  第2節、寺沢の付論3「A・B両版における『端初論』のちがい」
  第3節、寺沢の「ちがい」論の検討
  第4節、ヘーゲルを読んでも「哲学」が読めないのはなぜか
  第5節、「関口ドイツ文法」とヘーゲルの始原論

 寺沢恒信の訳した『ヘーゲル・大論理学、1(1812年初版)』(以文社)の「端初論」を検討しました。これを元に考えた事をまとめます。

 初めにお断りしておきます。以下の文章では寺沢の用語で牧野と違う点で主たるものは、端初(牧野では始原)、パラグラフ(牧野では段落)、段落(牧野では節)、A版(牧野では初版)、B版(牧野では再版)ですが、そのまま引きました。混乱する事はないでしょう。但し本論文の第3節以下では私の用語で統一します。

 なおヘーゲルのここのAnfangを「始原」と訳すのは珍しいと思いますが、私の邦訳語の選択の原則は以下の通りです。第1に、普通の辞書(「新明解」など)に該当する語があれば、それを使う、第2に、ない場合とか何らかの理由でどうしても新しい訳語とか用語を使う場合は、それと説明する、というものです。

 ヘーゲルやマルクスの翻訳では「呪物崇拝」で好いものを「物神崇拝」と訳したり、「始原」で好いものを「始元」と訳したりするのが当たり前になっていますが、賛成できません。「端緒」と「端初」は「新明解」にもありますが、「始原」を選びました。ヘーゲルのWissenschaftの訳し方については既に一文を草してあります。

 第1節、寺沢のドイツ語学

 寺沢の哲学に入る前に、そのドイツ語学について3点指摘しておきます。

 第1点。先行詞に不定冠詞が付いた場合

  第24段落に次の文があります。

 原文──denn ein solches setzt eine Bewegung, ein Vermitteln und Herübergehen von einem zu einem anderen innerhalb seinser selbst , voraus, von der das einfach gewordene Konkrete das Resultat wäre.

 寺沢訳──というのは、それ自身の内部に関係を含もようなものは、それ自身の内部における1つの運動を・媒介と或る契機から他の契機への移行とを前提しており、単一になった具体的なものはこの運動の成果であるだろうからである。

 牧野訳──と言うのは、そういう物〔を認めると、それ〕は先の具体的統一を結果とするような運動とか、或る物から他の物への移行的媒介とかを自己自身の中に前提している 事にな〔って、始原の直接性と矛盾す〕るからである。

 寺沢はeinが2つあるのに前者は「1つの」と訳し、後者は訳していません。
 限定的関係文で修飾された先行詞に不定冠詞のついている場合、ほとんどの学者が「1つの」と訳して誤魔化して通り過ぎる所ですが、文法のレベルとしては中級文法に属する程度の易しい事柄です。現に、関口存男(つぎお)も中級向けの「文法シリーズ」の「冠詞」で扱っています。拙著『辞書で読むドイツ語』の176頁以下で説明し、どういう練習をすれば分かるようになるかも提案しておきましたので、ここでは繰り返しません。

 かつてNHKのラジオドイツ語講座中級で慶応大学の某教授が担当した時、その教授は日本独文学会の会長でもあった人なのですが、テキストには不定冠詞の付いた文が2つ出てきました。それを元にその講師の出した問題は定冠詞の付いたものだったのです。私はNHKを通して意見書を送りました。「こういう事をするなら、それと断るべきだ」と。自分の間違いを認めた返事が来ました。

 多くの講師が返事をくれないのに返事をくれたのは評価しますが、この区別の重要性が分かっており、日頃から授業できちんと説明しているならば、ラジオ講座でこういう間違いをするという事は考えられません。

 なおこの文例では注意したい事がもう1つあります。それはein Vermitteln und Herübergehen von einem zu einem anderenです。

 これは「連語」です。VermittelnとHerübergehen von einem zu einem anderenを「連語」としているわけです。特徴は冠詞を1つで間に合わせている事です。これも考慮して、又「媒介とは、或る物から他の物へと移ってきている事であり、別の物から出て行く事である」(小論理学第86節への注釈)というヘーゲルの考えも踏まえて、「媒介即ち~移行」だと思いますので、上のように訳しました。寺沢は「媒介と或る契機から他の契機への移行」と訳していますが、これはein Vermitteln und ein Herübergehen von einem zu einem anderenと、冠詞を繰り返している場合の訳です。

 もうひとつ、von einem zu einem anderenをHerübergehenだけに掛けて取るか、それともVermittelnにも掛けて取るかの問題があります。ここは穏当に前者としましょう。しかし、こういう問題もある事は考慮出来るようにした方が好いでしょう。

 Naturland Deutschland(自然豊かなドイツ)という写真集を見ていたら、コブハクチョウの写真が載っていてDer Höckerschwan, einer der schwersten Flieger, ist auf dem Wasser die Würde und Anmut selbstという文が付いていました。訳せば「コブハクチョウは鳥の中では最も重量のあるものだが、悠々と泳ぐ姿は優雅そのものである」くらいでしょうか。このWürde und Anmutも連語です。2語にしたので「簡潔さ」では劣ったかもしれませんが、印象深くなったと思います。日本語では「優」と「雅」を合わせた語がありますので、1語で好いと思います。なおこの句ではselbstがAnmutだけでなく連語全体に掛かっているのは明白でしょう。

 第2点。A des Bs selbst

  第13段落に次の句があります。
 原文──die Natur der Sache und des Inhalts selbst
 寺沢訳──事柄と内容そのものの本性
 牧野訳──事柄と内容の本性自身

  第14段落には次の句があります。
 原文──in der Natur des Anfangs selbst
 寺沢訳──端初そのものの本性
 牧野訳──始原の本性自体

 ここでの問題は「A des Bs selbstではselbstをBだけに掛けるかA des Bsという句全体に掛けて取るか」です。

 私ははっきり覚えていますが、寺沢はゼミの中でこれについて注意をしました。曰く、「これは、形式的には決められない。内容をどう読むかだけで決めなければならない」と。
 寺沢のこの一般論はその通りだと思います。では寺沢はこれらの2例でどう考えてselbstをBsだけに掛けて訳したのでしょうか。

 私はいずれも句全体に掛けて取りました。大した差が出る訳ではありませんが、第14段落では句全体が隔字体になっているのではないでしょうか。

 第3点。Wissenschaftの訳

 我々の論じている文章にはWomit muss der Anfang der Wissenschaft gemacht werden ?という題が付いています。寺沢はこれを「学は何を始原としなければならないか」と訳しています。私は「論理学〔という哲学体系の叙述〕は何から始めるべきか」としました。そして、この「哲学体系」という語に詳しい註解を書きました。

 それはともかく私の言いたい事は、ここのWissenschaftは「学」とか「学問」と訳すか否かに関係なく、その「学」とやら、つまり「学一般」のことではない、ということです。これは書名のWissenschaft der Logikを受けているのであり、die Logikの事だということです。ですから、これは「論理学」と訳すのが正しいという事です。関口存男(つぎお)はこう言っています。

──この「予想時点の auf」は「予想」から「未来」一般へと移って、「その晩」(am Abend dieses Tages) を auf den Abend、「次の日曜日」(am nächsten Sonntag, nächsten Sonntag) と言う代わりに auf den Sonntagと言い、「次週」(nächste Woche, in kommender Woche) と言う代わりに auf die Wocheと言う。方言には殊に多い。これらの場合の定冠詞は(指示力なき指示詞としての定冠詞に由来する)温存定冠詞と見てよい。

 日本語でも、「今晩」または「その晩」と言う代わりに単に「晩に」と言い、「次の日曜日に」を単に「日曜に」と言うのと同じで、温存定冠詞の最も典型的な場合の1つである。従って、温存定冠詞の特徴たる「それとなく軽く語感の前を通過する Unauffälligkeit(目立たなさ)がこうした auf die Wocheや auf den Abendにおいて最もはっきりと感ぜられる、というよりはむしろ「感ぜられない」と言った方が適当かもしれない(定冠詞 1028 頁)。

 これは、言い換えれば、「文脈で分かる場合は、『特殊』を『普遍』で言う(一般的に言う)ことが好まれる」と言うことが出来ると思います。関口は「指示力なき指示詞としての定冠詞に由来する」と言いますが、それが温存定冠詞になると「通念の定冠詞」的な感じを「も」与えるようになるということではないでしょうか(定冠詞の三大分類は「指示力なき指示詞としての定冠詞」と「通念の定冠詞」と「形式的定冠詞」です)。

 「2度目には一般化して言う」という法則は普通は次のような形を取ります。

 1. Gegen zehn Uhr abends rief ich die Bergwacht an und meldete den Vorfall. Diese nahm den Fall zur Kenntnis, worauf ich auch die Polizei verständigte.(危険な週末)(夜の10時少し前、私は山岳遭難対策本部に電話して事件について報告しました。本部はこの件を了解しました。それから私は警察にも知らせました)
 感想・最初はVorfallと言ったものを、2回目は単にFallと一般化しています。

 2. Der Bundestag stimmt an diesem Montag über das zweite Hilfspaket für Griechenland ab. Eine Zustimmung gilt als sicher, da auch SPD und Grüne bereits Zustimmung signalisiert haben. Mehrere Abgeordnete der schwarz-gelben Koalition wollen gegen das Paket stimmen. (DW)(連邦議会は次の月曜日に、ギリシャ支援の第2弾を採決する。可決される見通しである。(略)何人かの議員は反対票を投ずると言っている)
 感想・1回目はabstimmenで、2回目はただstimmenと言っています。

 3. Aber haben diese einfachen Kategorien nicht auch eine unabhängige historische oder natürliche Existenz vor den konkretern ? ... Dagegen wäre es richtig, zu sagen, dass Familien, Stammesganze existieren, die nur noch besitzen, nicht Eigentum haben.……Geld kann existieren und hat historisch existiert, ehe Kapital existierte, ehe Banken existierten, ehe Lohnarbeit existierte etc. (Marx)(では、これらの単純なカテゴリーは進んだカテゴリーが出て来る前に独立して、即ち歴史的ないし現実的に実在するのではなかろうか。……それに対して、占有関係はあったが所有関係は持たない家族や種族関係があったと言うとしたら、それは正しいだろう。……貨幣は資本や銀行や賃労働等々の発生以前から存在しうるし、事実存在した)

 感想・先ずhistorische Existenz habenと言い、2回目は一般化してexistierenと言い、3回目は大分離れたので本来のhistorisch existiert に戻し、4回目はexistierenと又一般化した表現を使う。この法則の好く分かる珍しい用例です。

 4、継之助はファブルブランドから贈られた遠眼鏡(とおめがね)をもっており、それでのぞくと、マストにも船尾にも長岡藩の藩旗がひるがえっていた。藩旗は、戦国三河以来の「五段梯子」である。 / どうかすると、甲板にいるスネルの姿までめがねでとらえることができた。(司馬遼太郎『峠』新潮文庫中巻170頁)

 感想・まず「遠眼鏡」と言ったのを2度目にはただ「めがね」と言っています。こういうのは、多分、何語にもあるのでしょう。ドイツ語ではそれが相当頻繁に使われているだけなのでしょう。思うに、日本語とドイツ語を比較しますと、人称代名詞を使う頻度が大きく違います。こういう事も関係しているのではないでしょうか。

 5、しかもこの二階座敷の便利なことは小さな北窓がついていて、それをあければ沖合のスネルの蒸気船がみえるのである。(略)
 三日目に揚陸が完了し、継之助は日没後伝馬船を出し、スネルのにむかった。調印をするためであった。
 スネルの蒸気船の名は
 ──カガノカミゴウ
 というのである。(司馬遼太郎『峠』新潮文庫中巻170-1頁)

 感想・ここでは初め「蒸気船」と言ったものを2回目はただ「船」と言っています。これは「2度目には一般化して言う」という法則の通りです。問題は3回目に、離れてもいないのに、再び「蒸気船」と言ったことです。

 思うに、これはこの文が、啄木の俳句のように、3行に分けて書かれている事と関係しているのでしょう。つまり、この句を強調したかったのでしょう。もし特別強調する意図がないのなら、最初の時に「沖合のスネルの蒸気船『カガノカミゴウ』がみえる」と言っていたでしょう。

 ともかくこれは文法の問題ではなく、文学の問題です。私は文学を解さない人間ですし、司馬文学に造詣が深くありません。その道の愛好家のご意見を求めます。

 文法としては、①「2度目(以降)では一般化して言う」という「法則」を確認する事(これを明記した文法書はこれまでに出ていないのではなかろうか)、②ただし、「何らかの理由のある時はこの法則の守られない事もある」という事も知っておくことでしょう。

 結論として、こういう言い方はドイツ語でも日本語でも好くあります。ここでもそれを使っただけでしょう。ですからここは「論理学」と訳すべきなのです。内容を見ても、「学」一般の始原を論じていません。「論理学の始原」だけを論じているだけです。もちろんここから「学」一般の始原を考えるのは「哲学者」の務めです。この事は後で論じます。


 第2節、寺沢の付論3「A・B両版における『端初論』のちがい」

 さて「寺沢の哲学」の検討ですが、本節のテーマでそれを考えます。まず、寺沢の考えの主要部分を引きます。

──A・B両版の「端初論」を比較するにあたって、叙述の便宜上まず、付論二でやったのと同様に、A・B両版についてそれぞれパラグラフごとに番号をつけよう。ところで、この付論三で取り上げるのは、A版の第7パラグラフ・B版の第10パラグラフまでである。それ以後はとくに比較して論じるだけの興味ある問題がない。それ以後においても、両版の叙述には小さな表現のちがいだけでなく、A版の2つのパラグラフがB版では1つのパラグラフに合併されていたり、逆に、A版では1つのパラグラフであるものがB版では2つに分けられていたりすることがあるし、B版での追加や、また逆に省略もあるのだが、しかし論旨に基本的なちがいはなく、とくに比較して研究するに値しないと思うからである。(480頁)

──第5パラグラフまでが第1節である。(481頁)

──以上、A版の第1-第7パラグラフの所論を通観するとき、A版の端初論が『精神の現象学』の成果としての純粋知(=絶対知)が論理学の前提であることを強調し、この媒介されたものである純粋知にしてはじめて直接的なものである純粋存在を端初とすることができるとすることによって、「端初は媒介されたものかまたは直接的なものかでなければならないが、しかもそのどちらでもありえない」というアポリアを切りぬけている、ということがわかるのである。

 では、このようなA版における端初論の内容とその展開の仕方が、B版ではどのように改変されているであろうか。

 まず顕著なことは、わたしがA版についてのいまの叙述でここまでが第一節であると述べた部分が後まわしにされて、A版の第6パラグラフ落がB版ではわずかの表現上の変更を加えて第1パラグラフにされている、ということである。(略)

 注目すべきは第4パラグラフである。ここで論理学の端初は直接的なものであるかそれとも媒介されたものであるか、という問いがふたたび提起され、このような考察が予備的におこなわれている場所として、『エンチクロペディー』の予備概念の第61節以下が指摘されている。──ここまでをB版の端初論の第一段落とみてよいであろう。

 A版の第1段落ではもっぱら『精神の現象学』と論理学との関係が語られていたのに、わざわざその順序を変え、かなり長い加筆をおこなって、しかもその間に『精神の現象学』への言及が1回もなく、その代りに『エンチクロペディー』の予備概念への言及が現われる──これは実に特筆すべきことではないだろうか。これこそまさに、『精神の現象学』と論理学との関係をどうとらえるかについての考えが、1812年と1831年とでははっきりちがっていたということを示すものでなくて何であろうか。(482-3頁)

 そして、結論は以下の通りです。

──以上によって、この付論三の目的であるA版の第7パラグラフまでとB版の第10パラグラフまでとの比較検討を終ったわけであるが、最後にこれまでの比較検討の総括を述べよう。──『精神の現象学』の成果と論理学の端初とを直結させているA版の「端初論」を改変しようとする意図が1831年のヘーゲルにあったことは、以上におこなった比較検討によって明瞭になったものと思う。では、この改変によってB版の「端初論」の内容はどのようなものになったのか。

 わたしは、1831年のヘーゲルは『精神の現象学』を論理学から「遠ざけようとしている」という表現をとってきた。A版におけるような両者の直結的な関係を否認しようとしているが、しかし両者のあいだに何らかの関係があることを否認しておらず、両者をまったく切りはなそうとしているのではないからである。微妙な「その限り(insofern)」がB版の第5パラグラフにあることを指摘しておいたが、この微妙さがいわばB版の「端初論」の全体を性格付けているである。こうしてB版によれは、『精神の現象学』と論理学とは、関係がありそうでなさそうで、なさそうでありそうだ、ということになる。

 B版だけを読んできた約30年間、わたしは「端初論」を非常に意味深長なむずかしいものだと考えてきた。その微妙なところに深い意味があるのではなかろうか、と。だがA版の明解な論述を見た限りでB版の改変された姿を見ると、これはもう混乱であり・中途半端そのものであるとしか思われない。1831年のヘーゲルは『エンチクロペディー』を(これはその題名どおり「綱要」(im Grundrisse)にすぎないから、その内容を充実させる必要を感じていたにちがいないが、その体系構成の基本に関して)自分の「哲学体系」であると考えていた。このことは『精神の現象学』から「学の体系の第一部」という表題を取り去るという言明と、B版の「端初論」で哲学の端初について予備的な叙述がなされている場所としてまず第1に『エンチクロペディー』の「予備概念」のところをあげていることとをあわせて考えれば、疑う余地がなかろう。だがそうすると『精神の現象学』をどう始末するかが問題になる。「学の体系」から追放されたとしても、この体系の外にあって、体系の入口まで導く「はしご」の役割を依然として『精神の現象学』がもっているのかどうか。『エンチクロペディ一』を自分の哲学体系だと認め、体系の入口まで導く「はしご」の役割をその「予備概念」に認める見解からいえば、『精神の現象学』に対しては「はしごの役割」をすら否認すべきであったとわたしは考える。ことの是非は別問題として、そのことによって少なくも一貫性だけは確保できたであろう。だが、ヘーゲルはそこまで徹底できなかった。それは、おそらく、自分の最初の著作へのたち切りがたい愛情によるものだっただろうとわたしは思う。だがその結果、一貫性が失われた。B版の「端初論」の理解しにくさは、それが一貫性をもった論述ではないことによるものであり、B版における「端初論」の改変は、まさに改悪であるとわたしは断ぜざるをえない。

 それでは「端初論」はA版のままでよいのか、と問われるであろう。「そうだ」とわたしは答える。ただしそう答えるのは、『精神の現象学』から「学の体系の第一部」という表題を奪わず、(第3部以下がどのようなものになるかは別途に検討することを要するが、少なくも)『大論理学』を「学の体系の第2部」と認めて、第1部の成果である「絶対知」を論理学の成立する境地と認めるばかりでなく、付論二で取りあげた「論理学の一般的区分」の問題に関しても、絶対知の展開としてそれが存在と思考との2つの契機へと分離するという二分法を区分の原則とし、この絶対知の契機としての存在を論理学の端初としてとらえる、という立場にたってのことである。(487-9頁。引用終わり)

 第3節、寺沢の「ちがい」論の検討

 先ず第1に、「初版と再版との始原論の展開」を比較検討するのに、それぞれの論の「全体の流れ」を確認しないで、最初の約3分の1の部分の比較だけで考えているのが、方法として根本的に間違っている、と思います。

 寺沢は初版についても再版についても「第1節」だけを確認していますが、第2節以下の確認さえありません。それを踏まえての全体の検討など望むべくもありません。私は全体を以下のように分けて理解しました。

  初版の内容目次

第1節、本論・始原概念は「純粋存在」である(第1~5段落)
第2節、補論(第6~30段落)
 その1、直接性だけのものは無いという意見の検討(第6~16段落)
 その2、始原という概念から始めるという意見の検討(第17~24段落)
 その3、事柄から始めるという意見の検討(第25~30段落)

  再版の内容目次

第1節、本論(第1~9段落)
 その1、始原論の現況(第1~3段落)
 その2、始原は媒介されたものか媒介されてないものか(第4~5段落)
 その3、論理学の始原は「純粋存在」である(第6~9段落)

第2節、補論(第10~ 30段落)
 まえがき(第10段落)
 その1、純粋存在は仮の始原ではないかという意見の検討(第11~15段落)
 その2、純粋存在は媒介性でもあるのではないかという意見の検討(第16段落)
 その3、始原という概念から始めるという意見の検討(第17~24段落)
 その4、事柄自体から始めるという意見の検討(第25~26段落)
 その5、自我から始めるという意見の検討(第27~31段落)

 寺沢は初版については、「第5段落までが第1節」としていますが、これは賛成です。しかし、再版については、「第4段落までを第1節とみてよいであろう」と言っていますが、賛成できません。全体が本論と補論とから成っている事を見抜けばそういう判断は出てこないと思います。これを見落としたので、第10段落が「補論へのまえがき」になっている事を理解できなかったのでしょう。とにかく、全体で十数頁、段落で30段落くらいの文章の「全体の流れ」を見ないで論ずるという態度自体が間違っていると思います。

 寺沢の得意な点は原典批判で、文脈の読み方ではかなりの難点があると思います。まず前者については、拙稿「哲学とは何か、2、寺沢訳『大論理学2』について」(雑誌『鶏鳴』第140号(1997年4月)でこう書いておきました。

──寺沢さんはかつて卒業論文で、ヘーゲルのイェーナ論理学の編集か何かに間違いがあるということを問題にしたそうです。ドイツ文字の判読などで間違えて、編集者が誤解しているということを主張したようです。これを私は授業で聞きました。そういうわけで、寺沢さんはこういう事は得意のようです。(引用終わり)

 又、この『大論理学2』の翻訳でも他のいずれの版も見落としている間違いを指摘しています。これもその拙稿に書きましたので、繰り返しません。

 後者、文脈の読み方ではかつて『歴史における理性』のゼミでの事をどこかで書いたと思います。つまり、ヘーゲルが大分前の方で「精神界の発展は意識を媒介とする」と言ったのを受けて、「だから精神界での発展は自己との闘争だ」と言っているのに、その前提を見落として、「植物の発芽でも殻を破って発芽するのだから、自己との闘争ではないのか。これはヘーゲルの観念論に由来する誤解だと思う」と批判しました。

 又自分の作品である『意識論』(大月書店)で、前の方では「言語」を「第2信号系」と定義しておきながら、その後でサルの発する音声が言語か否かを考える時には、この定義はきれいさっぱりと忘れてしまって、全然別に考えるというおかしな事をしています。これもその拙稿に書きました。

 文章の流れと言いますが、そもそも寺沢には何かの文章を認識論的に分析したことがあるのでしょうか。私は知りません。ゼミでもそういう課題を出して学生に練習をさせたことはないはずです、私の知る範囲では。

 憚りながら、私には実績があります。2例を挙げますと、「『フォイエルバッハ・テーゼ』の一研究」(『労働と社会』に所収)と「『パンテオンの人人』の論理」(『生活のなかの哲学』に所収)がそうです。この始原論でも上のように「内容目次」を作った人はこれまでにいないはずです。

 根本的な方法上の間違いを指摘しましたが、その方法の適用でも間違っていると思います。寺沢は「まず顕著なことは、わたしがA版についてのいまの叙述でここまでが第1節であると述べた部分が後まわしにされて、A版の第6段落がB版ではわずかの表現上の変更を加えて第1段落にされている、ということである」と書いています。これ位の事は誰でも気づく事です。問題はここから、「始原論の始原はどうするべきか」という問いに進まなかった事です。これは驚くべき事です。はっきり言って、これに気づかないという事は「始原論を論ずる資格がない」とさえ言ってよいと思います。

 この問題に気付けば、ヘーゲルのやり方に通じている人ならば、次の事にも気付くでしょう。

 ① 前の叙述の結論を次の叙述の始まりとする方法は、「進展の方法」である。
 ② 所与の対象についての「これまでの研究の方法」の確認と評価から自分の方法の説明へと進むのが、ヘーゲル本来の方法である。

 つまり、若かったヘーゲルは勇んで『大論理学』(初版)の執筆に掛かった。その頃にはまだ後年のやり方を確立していなかったので、それまでに確立していた「進展の方法」を使って書き始めた、という事なのでしょう。

 その後、色々なテーマでまとまった仕事をするに及んで、「自分の方法」を確立したのです。例として「歴史哲学」を挙げましょうか。その「序論」を見ますと、「歴史の扱い方」として、「原初的な扱い方」「反省的な扱い方」「哲学的な扱い方」となっています。

 先に拙訳を発表しました「自然哲学」でも経験的自然学と悟性的自然哲学とを検討した上で自分の理性的自然哲学を出しているのです。これがヘーゲルのやり方です。私はこれで正しいと思います。先人の仕事を検討してその意義と限界を確認した上で自分の方法を出すのですから。

 従って始原論の始原としては再版の方が正しいという結論になります。そのほかにも流れを分かりやすくするための加筆が幾つかあります。最大の物は第10段落ですが、ほかにも小さな改善があります。再版の翻訳で注を入れておきました。

 「初版の方が好い」という寺沢説には賛成できません。両版共に、本論と補論に分けられていて明解です。結論はしかし両版共に、あまり明解ではありません。寺沢は「『始原は媒介されたものかまたは直接的なものかでなければならないが、しかもそのどちらでもありえない』というアポリアを切りぬけている」と言いますが、私には分かりません。寺沢自身、その結論を応用して何か正しい始原から出発した本を書いたのでしょうか。応用されない理論は無意味です。

 第4節、ヘーゲルを読んでも「哲学」が読めないのはなぜか

 先に「始原論の始原はどうするべきか」という問題意識がない、と指摘しましたが、更に大きく見るならば、ヘーゲルの始原論を研究して、「ものを書き始める時はどう書き始めたら好いか」(最大の一般論)とか、「哲学論文はどう書き始めたらよいか」(哲学論文での一般論)とか、そういう事を反省していないということです。これが拙い。

 これは表題を「学は何を始原としなければならないか」と訳した時、ヘーゲルが問題をどう限定して立てたかを考察していない事と結びついていると思います。そのため、自分は『弁証法的論理学試論』や『意識論』を書く時、どういう考えでどう書き始めたか、それはヘーゲルの始原論で反省するとどう評価することになるか、といった事を振り返らないこととなりました。

 その事は更に、ヘーゲルの始原論を訳しただけで、マルクスとエンゲルスの始原論は参照しないという事でもありました。これでもマルクス主義の哲学者と言えるのでしょうか。

 更にもう1つ、寺沢の弟子ではあるが師を追い越した許萬元のNachdenken論を検討しないという事になりました。これでは向上心がないと言われても仕方ないでしょう。

 要するに、ヘーゲルを読んでも「哲学」が読めないのです。これは寺沢だけの欠点ではなく講壇サラリーマン哲学一般の特徴と言ってよいでしょう。金子武蔵も加藤尚武も山口祐弘も同じです。

 寺沢は今問題にしている訳書の中で数学や幾何学や物理学が問題になっている所ではその現実的な意味を解明していますから、そういう点では好い方ではあります。しかし、これは「哲学した」と言える程の事ではありません。数学や幾何学や物理学は、それを哲学的に考察するのでない限り哲学にはなりません。

 金子は生涯を『精神現象学』の翻訳に捧げ、欧米の研究書を広く渉猟して2回も訳し直した点では一番徹底していると言えるでしょう。しかし、その翻訳は「哲学史的背景を訳す」だけで、「哲学した」と言えるものではありません。又、文脈の流れを読む点でいささか欠点があり、分からない所は「もっとも」という語を入れて誤魔化している(と、私には思えます。この点は拙訳『精神現象学」の259頁訳注1で指摘しました)のは困った物です。

 加藤と山口に至っては特段の長所はありません。ドイツ語を表面的に訳しているだけです。加藤については既にいくつかの文章を発表しています。山口については近いうちに「山口祐弘訳『始元論』を読んで」といった題で文章を書く予定です。

 ではなぜこうなるのでしょうか。これらの人々は皆、私では足元にも及ばない程の秀才であり、語学力でも私よりはるかに上です。それなのになぜ、「ヘーゲル哲学の現実的な意味」を考えると言う点では何の成果も上げられないのでしょうか。今回はこれを改めて考えました。

 結論を正直に書きます。皆さんは「哲学者」ではないからだと思います。哲学者とはphilosopherの訳語です。この原語はギリシャ語に由来し、原意は「愛知者」という意味です。これは周知のことと言って好いでしょう。

 では、愛知者とは何でしょうか。「知」を他の一切の事より愛する人のことです。もちろん「知」以外に愛するものや事があっても好いのです。しかし、知とその他の物や事とが矛盾する時には知を優先する人にして初めて「愛知者」と言えるのだと思います。

 しかるに、これらの方々の生き方を見ていますと、どうも知以上に大切なものがあるようです。それはあるいは学界をボス支配したいという欲望であったり、政治団体に忠勤を励むことだったり、格上の大学に転職して出世することだったり、教授として保身を図ることだったりと、様々ですが、ともかくこれらの人々には「絶対に疑わない大前提」があるようです。その結果、「全てを疑う」という学問の大前提が出来ていないのです。そうして、そういう態度で「研究」とやらをし、ヘーゲルを読むだけですので、理解力が高まらず、哲学する態度が身に着かないのだと思います。

 ヘーゲルの中に哲学を読むためには自分の哲学がなければならないと思います。自分に「現実の哲学的問題意識」があって初めて、それを基準にして、ヘーゲルが役立つか否かを判定できるのだからです。

 たとえば、哲学演習の授業はどう進めるべきか。授業の中で学生間に、あるいは学生と先生の間に議論が発生したら、それはどう整理するのが「認識論的に」正しいか。これなら、哲学教授たる者必ず考えていなければならない問題でしょう。しかし、この程度の問題すら気づかないのです。

 もう少し視野を広げるならば、特に唯物論の立場に立つならば、共産党の統一戦線論とか、理論と実践の統一とか、批判と自己批判の関係とか、民主集中制論の認識論的研究とか、哲学的に重要な問題はいくらでもあります。しかし、サラリーマン教授達は皆、こういう問題から逃げているのです。

 そうして、こういう態度を何年も続けていると、それが「習い性」と成ってしまうのです。かくして、ドイツ語の不定冠詞の用法がいまひとつ分からないと思っても、関口文法を調べようという気さえ起らない怠惰な教授が出来上がるのです。一巻の終わりです。

 以上、正直に感じた事を書きました。日本のヘーゲル研究の最高水準がこの程度だと分かり、愕然としました。

 第5節、「関口ドイツ文法」とヘーゲルの始原論

 寺沢について自分の『試論』や『意識論』の始め方を反省していないと批判しましたので、私が近刊予定の『関口ドイツ文法』をどう反省しているかを書きます。

 この本は全体が3部から成っています。即ち、第1部「文法研究の方法」、第2部「理解文法」、第3部「表現文法」です。こういう構成そのものが従来の文法書とは異なっています。

 第1部は、「個別言語を科学する」、「ソシュールの『連想関係』」、「意味形態論(1976年版)」、「意味形態論(2010年版)」、「物と事、または名詞と動詞と形容詞」の5本の論文集です。

 最初の論文では「文法研究における大前提」である「用例主義」を主張しています。文法研究は用例集めから始まるというのは、一般に研究はデータ集めから始まると言うのと同じです。文法学にとっての事実は言葉の用例なのですから。又、用例主義というのは作例主義の反対です。「用例は作例よりも奇なり」と言っておきましょうか。

 次の論文では、「辞書的な意味」ではなく、「実際の文の中での語句の意味や、文自身の意味」を考える時の「連想関係」の重要性を確認しています。用例を集め比較する場合も、連想関係で考えるのに役立つような集め方をしなければならない事を確認した訳です。その前提として、或る小文を実例に取って、連想関係で考えるとはどういう事かを詳しく説明しています。

 第3と第4の論文は、関口の提唱した「意味形態論」を考察したものです。意味ではなく意味形態と言うのはなぜか、私なりに考えてみました。

 最後の「物と事」は第2部への序論です。

 第2部「理解文法」は文論から始めました。言語学では言語の最小単位を「音素」などに求めるとか聞きましたが、文法での最小単位は文だと思います。或るドイツ語の文章を読む場合、先ず1つ1つの文について、それがどういう性質の文かを見極めなければならないと思います。ドイツ語では定形の位置が1つの手掛かりになりますが、それも必ずしも単純ではありません。それらの諸問題を考えやすくするような指針を作ったつもりです。

 その文の中の要素である品詞としては名詞が一番根本だと考えて、品詞論は名詞論から始め、次いで名詞に関係の深い他の品詞(代名詞、形容詞、数詞、冠詞)へと進みました。なぜ名詞が中心かと言いますと、それは「物と事」の中にも書いてあるのですが、名詞こそ最も言語的な品詞であると同時に最も非言語的な品詞だからです。

 名詞と並ぶもう一つの根本的品詞は動詞ですから、その後に動詞を持ってきました。そして、助動詞、接続法、副詞としました。その後に前置詞を持ってきたのに対しては、「前置詞は名詞と関係が深いのではないか」との批判が出てきそうですが、関口が「前置詞は動詞と一緒に理解しなければならない」と言っている事も考慮して、まとめの所に持ってきたのです。最後の接続詞は、語句と語句、文と文とをつなぐ品詞ですから、これまた最後に持って来るのが適当だと思います。

 第3部「表現文法」は、否定、問い、間投、譲歩、認容、受動、比較、伝達、強調、断り書き、配語法、主題の提示、などを取り上げていますが、取り上げたテーマが適当だったかも、取り上げる順序が正しかったも、分かりません。ただ集めた物を1つの袋の中に入れたというだけです。いまだにその原則が分からないからです。いずれこの点についての文章を発表するつもりですが、今回の所は、表現文法という考え方を明示し、その具体的な内容をこれまでになく沢山集めたというだけの意義しかありません。それでも、この事で、文法を理解文法と表現文法に分けて整理する事の意義をはっきりさせ、今までは落ちていた重要な事柄を沢山拾い上げる事に成功したとは思っています。表現文法の体系化は今後の課題です。

 以上で分かりますように、この文法書の内容や順序や始原を考えるのにヘーゲルの始原論はほとんど役立ちませんでした。それはなぜかと考えますと、文法学はヘーゲルの言うような「概念的理解」には適さない対象だからだというのが根本だと思います。文法学は悟性的で好い、と言うか、悟性的でしかありえないのだと思います。

 しかし、悟性的認識にも順序はありますし、始原も終局もあります。ですから、上のように考えて構成を決めたのです。そして、こういう事を考えた事自体がヘーゲルの問題提起を知っていたからだと考えれば、やはりヘーゲルに感謝しなければならないと思います。
(2013年03月02日)

    参考文献とブログ記事

金子武蔵氏と哲学(雑誌『鶏鳴』第149号に所収、拙訳『精神現象学』のも転載)

ヘーゲルのWissenschaftをどう訳すか

加藤尚武訳『自然哲学』と関口文法

議論の認識論

『哲学の演習』
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« サバティカルという制度 | トップ | 「2度目には一般化して言う」... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

タ行」カテゴリの最新記事