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「民主党政権はなぜ短命だったのか」を読んで

2020年01月07日 | マ行
 「民主党政権はなぜ短命だったのか」を読んで

1,寺本太蔵氏の評論

 野党・民主党が政権後退への流れを確かなものにしたのが、2007年の参院選での勝利だ。

 小泉内閣が推し進めた構造改革で格差が拡大したことへの不満や「消えた年金問題」が追い風となって、自民党に大勝。衆参で多数派が異なるねじれ国会となり、その後の第1次安倍政権の退陣につながった。

 参院の主導権を握った民主党は「実行力」を有権者に実感してもらおうと「数の力」を存分に使った。

 自衛隊によるインド洋での給油活動を一時中断させ、ガソリン税の暫定税率をめぐり、参院で法案を採決しない手法で暫定税率を期限切れに追い込んだ。実際にガソリンの値段もー時的に下がった。

 同じ国会で、日銀総裁の同意人事をはねつけ総裁ポストが一時空席に。福田康夫首相への問責決議も可決した。支持率の低迷に苦しんだ福田氏は1年での退陣を余儀なくされた。

 政権の座にいない野党が国政の課題を左石する力を握る。その強烈な存在感に有権者の期待も集まり、民主党は09年8月の衆院選で単独政党では過去最多の308議席(全議席480)を凄得し、政権交代を果たした。

 だが、満を持して始まったはずの民主党政権は、3年3カ月で終わる。野党時代に政権交代の成果としてマニフェストで約束した政策や、政治主導を強調した政権運営で、実を上げられなかったことが大きな要因だ。

 米軍普天間飛行場の移設問題で迷走し、官僚を遠ざけた政治主導は空回りした。民主党は翌10年の参院選で敗北し、国会はまたもねじれ状態に。今度は野党自民党による徹底抗戦に直面した。

 民主党政権の負の記憶としてその後も尾を引いたのが、相次いだ党内抗争だ。12年夏にはマニュフェストになかった消費増税の是非をめぐって党が分裂し、政権の弱体化に追い打ちをかけた。

 民主党政権の挫折が示すのは、野党が政権交代をめざす上で、政策だけではなく、政党としての意思決定の部分でも政権担当能力を磨く必要があるという教訓だ。下野後、多くの幹部が民主党の意思決定の仕組みの弱さを指摘した。

 野田佳彦政権で副総理を務めた岡田克也・旧民進発代表は「消費増税の時など、党が大事な時にまとまらなかった。覚悟のなさに国民が不信感を持った」と話す。菅直人政権の官房長官だった立憲民主党の枝野幸男代表は当時を振り返り、「大事な政策の柱のところで、内部でゴチャゴチャさせないということを、これからもしっかりと貫いていきたい」と語る。

 期待を集めて誕生した民主党政権の失敗は、二大政党政治への失望を生んだ。その後、旧民主党勢力を中心とする野党は低支持率をさまよい、分裂を繰り返して多弱化した。安倍晋三首相はいま、7年前に終わった民主党政権を「悪夢」と批判し、自民党の安定感を強調しようとする。野党は、その主張を覆すだけの勢いを得られていない。(朝日、2019年10月10日。寺本太蔵)

2、牧野の感想

 ① 好くまとめてくれた事には感謝しますが、自分の立ち位置を表明していないのは、いかにも日本の評論家らしいと思いました。私は今では社会主義者ではなく、福祉国家を目指すべきだと考えている者ですが、その立場から発言します。

 ② 寺本さんの挙げた「内部での異論の扱いの下手さ」は確かに日本の社会民主主義系の組織や団体の共通の弱さだと思います。共産党はもちろん公明党も自民党も、やり方は違うにしても、それなりの「異論処理方法」を持っています。しかし、社民系の団体はそれを持っていません。そのために少しの異論でいがみ合い、「内部で分裂してしまう」のだと思います。分かりやすく言いますと、日本の社民は「子供」で悪ければ「青二才」なのです。

 ③ なぜこうなったかと考えてみますと、私見では、それは、日本の社民が「資本主義はダメで、共産主義が正しいのだが、そこまでは踏み切れない」と考えているからでしょう。分かりやすく言いますと、共産党に対するコンプレックスが根底にあるのです。ここから社民の「すべてにおいての不徹底」が出てくるのだと思います。従って本当の社民が生まれるためには、このコンプレックスを理論的にか、あるいは最低でも実践的に克服しなければならないと思います。

 ④ 北欧の福祉国家論者たちはこれを実践的に克服しました。今ではドイツの緑の党は先日の党大会で、「社会主義ではダメだ。市場経済の上に立って、人権も環境保全も何でも出来ないことはない」と表明したようです。

 ⑤ 私は、マルクスとエンゲルスとレーニンの理論自体の中に大きな欠点(欠けている点)と大きな間違いを見つけて批判していますが(『マルクスの空想的社会主義』、近刊の『フォイエルバッハ論』など)、ここでは日本の社民のことに絞りましょう。

 ⑥ 民主党の短命は、それまでの準備不足からの必然的結果だと思います。
 その1・権力はどのレベルのものでも、一番大切な事は皆、隠しています。つまり、政権の行動の前提となる「客観的で全面的な現状把握」は野党には「原理的に」不可能なのです。従って、政権を取ったならば、第1にしなければならない事は、「今まで隠されてきた事柄を調査して、はっきりさせる事」です。そのための準備は、「影の内閣」を作り、野にあっても調べうる事は全て調べ、まとめておくことです。
 それなのに、民主党は一時には影の内閣を作りましたが、それも継続せず、実のあるものではありませんでした。その結果でもありますが、選挙に勝利すると、すぐに「事業仕分け」とやらで大騒ぎをしました。これで多くの「ムダ」を指摘したつもりになって有頂天になっている間に、ずる賢い官僚は同じ予算案を名前だけ変えて提出しました。

 その2・これだけならまだしも、おめでたい鳩山首相は「(普天間飛行場の移転先は)最低でも県外」などという選挙用のスローガンを持ち出して、自分の首を締めました。

 これで鳩山に替わった管直人は、これまた、ド素人丸出しで、「消費税増税」という一番言ってはならない言葉を口にしました。
 選挙の直前にイギリスに行って、イギリスの政治と行政の関係を視察してきたそうですが、「優秀な連れ合い」が一緒に行かなかったのか、その視察は何の訳にも立たなかったわけです。行政の意義を正当に評価しない「政治主導」とやらの必然的結果でした。
 その後に東日本大地震が起きて大混乱となり、浜岡原発を止めてくれたのは唯一の功績ですが、野田「消化試合」内閣に引き継ぎました。

 ⑥ 今、安倍政権は数々の大失策を犯しながらも内閣支持率は、落ちてきたとはいえ、「政権交代論」が聞かれる程ではありません。なぜなら、替わる政権像がないからです。内閣支持の理由の一位はつねに「ほかの政権より良さそうだから」です。

 立憲も国民も「合同による強化」を模索しているようです。悪いとは言いませんが、前述した「意見の違いがすぐにいがみ合いに成る」小児病を克服しない限り政権は近づいてこないでしょう。

 ⑦ では、社民勢力はどうしたら好いのでしょうか。私見では、「全ての候補者に世田谷区長の保坂展人を見習うことを義務づける事」です。
 保坂は、主として、「学校教育と合わなくて苦しんできた子供達」に寄り添う活動を続けてきたことが基礎になって、そこから曲折を経て今日の「模範的区長」となったのです。
 ですから、一般化して言いますと、困っている人たちに関わる運動を続けてきていない人は候補者としないことです。逆に言うならば、候補者に成りたい人は、まずそういう運動に関わらせることです。
 こういう迂遠な道を通らずして、日本の社民の再生、どころか「誕生」はないと思います。(2020年1月7日)
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