- 松永史談会 -

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増訂(熊沢)蕃山全集

2018年11月24日 | 断想および雑談
第三巻『大学或問』が欠けているが、とりあえず熊沢蕃山研究の基本文献中の基本文献を入手した。
校訂者宮崎道生氏の教え子のひとりが持っていて今回じっくりと勉強する下地が整った。


宮崎は自分の研究対象とした新井白石と熊沢蕃山を文武に秀でた稀有の人物だと称賛する、ややエコひいきの激しい(=よく言えば惚れこみの激しい)この道(近世思想史)の大家だが、今日はとりあえず増訂(熊沢)蕃山全集の第七冊から着手することにした。









自白法鑑』理解(むろん理解不能を含む、その見極め)に役立ちそうな宮崎の記述がこれ
繋辞下伝』?
ということは・・・・・・
この第七冊を当面、読んでいくことになろう。断っておくが、わたしとしては本庄重政の思考回路(ピタゴラスや孔子同様に自然現象には驚異的なほど”数学的性質”を帯びるという事を薄々感じていたところがあり、1/2/3/4/5といった数字の中には完全性とか調和(本荘のいう「天の形」)が備わっていると考えていた。この種の前論理的or前科学的な思惟形態)の解明には興味があるが、「易経」とか易学自体にタッチする気は毛頭ない
熊沢蕃山の『民徳論』は『自白法鑑』(本荘重政 /憐情居士) 著、松永町青年会、明42.9、76p)風の易学的思考が全面展開するものだが、一言で言えばエラズマス・ダーウィン(Erasmus Darwin, 1731年12月12日 – 1802年4月18日)のscience的思考とart的思考とが同居状態の観相学的思考(physiognomy)以上に滑稽かつナンセンスな代物だ。
李, 瑩 「繫辞伝」における熊沢蕃山の易学思想,2017・・・・・読むだけ時間の無駄

水・器考
本庄重政の人間観


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