- 松永史談会 -

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煤だらけのある土人形@丹波大山荘

2016年12月28日 | ローカルな歴史(郷土史)情報
大山荘調査団編『丹波国大山荘現況調査報告』、(西紀・丹南町文化財調査報告 / 西紀・丹南町教育委員会編, 第3-7集)西紀・丹南町教育委員会, 1985.3-1~4 付録5(のちに一冊の本に)という大部のアカデミズムの中では立派な部類の報告書がある。わたしはこれらの報告書が出された直後からこれらの成果に導かれながらというかやり残しの部分とか、要するに多少あら捜しを兼ねて大山荘の故地を何度か訪れた。
その時の印象ではこういう報告書というのは第一に調査者の自己満足のためのものであって、地域住民にとってはまったく興味も関心もない代物なんだな~と痛感させられたものだ。当時は農林省が音頭を取った田畑の区画整理(圃場整備)事業が全国的に推進され、それを念頭に景観上に残存する荘園史料を記録保存することを目的に、京都大学の大山喬平とその門下生たちが中心となって報告書は書かれた。
地域住民を巻き込んで調査研究することの難しさ、あるいは地域住民を相手にしていては将来を見据えた格調高い調査研究などできないものなんだな~と

大山小学校を近くに二宮神社という小さなお宮さんがあってうっそうとした社叢林の木の間にぽっかりと浮かび上がるように陽光をうけた社殿のたたずまいが実に美しくいまもその時の感動がわたしの頭から離れない。その写真はむかしFlickrのわたしのサイトに掲載していたが、いまは写真の原版ともども行方不明。わたしの思い出の中にかすかに残っているだけだ(忘れていたが木彫の恵比寿大黒は2階の床の間に飾りっぱなし)。

その社殿の裏側に回ると油煙を浴びたのか煤だらけの土人形がたくさん打ち捨てられていた。
あれから20年。我が家にその一体がある。ゴミ捨て場からものを持ち帰るようないやな気持がしたが、おそらく炊事場に置かれていたのだろう、なかでも油煙でねっとりする感じの煤だらけ状態の汚い大黒さんが私の目を引いた。その表情のすばらしさに・・・・こうして今なお、我が家にあり続けている。
それがこれ


大みそかの日に神棚を掃除していたら小さな3体の恵比寿・大国さん土人形が見つかった。小さな土人形は旧宅時代の床の間にはたくさんあったように記憶するが、残っているものの中にはそのうちの1体と思われるものもあった。


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