- 松永史談会 -

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葛原勾当日記の嘉永5年

2016年12月22日 | ローカルな歴史(郷土史)情報
勾当41歳、働き盛り嘉永5年の記事11月。
11月2日 福山に着き、江良屋・黒鉄屋を回り、6日に柳津着。そこに2週間滞在し、19日昼から尾道へ。一週間滞在し26日尾道から柳津へ。4日間滞在し、30日舟にて尾道へ。

11月7日の和歌だが「上もなき仏の御名唱えつつ地獄の種を蒔かぬ日ぞなき」
これは稽古をつける時、こころを鬼にして弟子に対し、スパルタ式特訓をする自らの厳しい指導態度を自省の念を込めつつ詠んだものだろうか。

11月日 日記文の「寒ければまた同じ。教えぬさかいに
下線部の「さかいに」は関西のお笑い芸人が「●●や、さかいに」という言い方をする時の言い回しに似ている。
"絶え間なく落ち来る滝の白玉は千代を重ねるためしなるらし"、かく詠みて短冊にして贈ったが、しかし、面白き歌とも思われぬようにおます(安政4年2月、223頁)。
関西弁(”やさかい”、”おます”などは商人言葉ないしは丁稚言葉風)!
「後ろから雪風に吹きたてられて早かった」とか「罪を置き土産にし、帰る」といった勾当のユーモア表現が印象的。
福山での買い物品目は健常者と変わらない。

柳津


11月30日の記事から勾当は尾道ー柳津間を船で移動していたことが判る。屏風絵の柳津の常夜灯は船着き場の存在を示唆し、同時にそれが燈台的機能を有したことを伺わせる。

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