- 松永史談会 -

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岸浩編著『資料 毛利氏八箇国御時代分限帳』まつの書店、1987

2017年03月06日 | ローカルな歴史(郷土史)情報
岸浩編著『資料 毛利氏八箇国御時代分限帳』まつの書店、1987の編著者岸は獣医さんだった人らしい。まことにユニークな御仁だ。見た目大著だが、内容的には数十ページの小冊子級。



徳山のマツノ書店は学生時代に『
防長地下上申』全巻を購入する友人に連れられていったことがある。こういう資料を制作してしまう長州藩と『備後郡村誌』や『福山志料』程度しか出せなかった福山藩との差はどうしようもなく大きい


延享期に山田五左衛門家に伝わってきた毛利氏の『八ヶ国御配地絵図』に記載された天正惣国検地の結果(文字注記)だけを抜き出して簿冊化し藩に提出したものらしい。まだ『八ヶ国御配地絵図』の現物には当たっていないのだが、とりあえずということで、今回は岸の編著書を図書館から借り出し、備後国(沼隈郡:毛利氏が支配下においた石高は8369石、御調郡:8704石、女房衆分の配地だけで沼隈郡は1300石余とダントツに多い)関係のデータを調べることにした訳だ。ここで紹介するのはその一部だ。興味のある人は標記の書籍を直接紐解いて見てほしい。なお蛇足ながら、女房衆分の多さは毛利一族に娘を差し出した人物(未特定)が沼隈郡にいたことを示唆するものだろう。

岸浩は『八ヶ国御配地絵図』に記載された天正惣国検地の結果(文字注記)が正しくテータ化されているかという問題を絵図にあたって逐一調べ直すという作業は不十分、この辺が一番よくない・・・・要するに結構ずぼらな史料集なのだ





毛利氏八箇国支配時代の領域支配のあり方の一端がうかがえ、興味深い内容だ。
以下では一例として備後国分


高須荘内に拠点を置いた高須三郎左衛門(杉原氏)の名前がある。

高須(洲)氏といえば日明貿易に深くかかわった家筋。福建省の港町普江(アモイの近く)から明船が赤間ヶ関か備後・尾道(尾路)港には来ていたようだ。



1450)尾道に拠点を置いて新庄に支配地を有した毛利氏の海の御用商人;渋谷与右衛門尉の名前もある。
沼隈郡に180石の給地を与えられていた。これは古志氏からの押収分のことだろう.渋谷は沼隈郡新庄にも領地を有したがこれは含まれていないのだろうか。


268)新座 今伊勢は神村の伊勢宮さんのこと。新座という語に誤りがなければこの神社は山陽道筋の要地に新らたに造営されたのだろう。今伊勢、今津(浦)そして今宮(大元神社境内の一角に高須八幡を新造営)。これらの地名に付与された接頭辞=今(New)は何か意味ありそうだが、いまのところ不明。

御調郡「うか島」は尾道水道に立地する「宇賀島(小歌島 おかじま)」(近世史料では「をか島」を通称)。

1864‐1866)白木は旧沼隈郡山南村の白木(新良貴)かな~(要確認)。



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