- 松永史談会 -

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沼隈郡今津村にあったもう一つの中世宝篋印塔

2019年03月24日 | ローカルな歴史(郷土史)情報
相輪部は宝珠・伏鉢部分が欠損、九輪部分も過半が欠失。笠部分の隅飾りは心持ち外側へ傾き、隈取が二重線(2弧)。塔身部の4面に薬研彫りのキリーク(金剛界四仏の種字)・・・東西南北の向きに誤り有。南面する正面側に阿閦如来(あしゅくにょらい)⇒東が来ている。基礎部分の格狭間(こうざま)は花頭曲線の左右方向への張りがあり、内側も彫りこんでいる。現在残っている部分の高さは110センチ。

歴代住職の墓石に交じり、中世の宝篋印塔。この宝篋印塔は事情が判らず、ここに運びこまれたもの。わたしの朧げな記憶では付近のどこかにあった宝篋印塔だ。


法量


これまでルポしてきた今津村の宝篋印塔(この宝篋印塔は現在は削平して駐車場になっている旧岡見山の上にあった。この一帯は中世の金剛寺境内地)



沼隈郡今津村における中世宝篋印塔が薬師寺関係の場所に存在した。
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