- 松永史談会 -

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『万延元(1860)年備後国名勝巡覧大絵図』-古地図研究の面白さ・3ー

2019年03月23日 | ローカルな歴史(郷土史)情報
保安庁のHPからの引用だが、いかのような記述が目に留まった。
瀬戸内海の浅瀬名(普通名称)
 
 この海域の浅瀬名をその数の多い順に列記すると瀬、石、岩、磯、ソワイ (ソワ)、出シ、州、碆、礁、藻、ツガイ、ソノ、アサリ、喰合などがある。このうち「出シ」「ツガイ」「喰合」はこれら暗礁の位置を探し出す目的で付与された特別な呼び名で、航海・漁業用語ともいえるものである。

この「ぞわい」(隠顕岩=海岸などで干潮時には水面上に現れ、満潮時には水面下に沈んでしまう岩)という言葉自体は国土地理院の地形図にも記載があり、既知の事ではあったが、それが近世絵図にも記載されていた点が今回は注目された訳だ。この点は『備後国名勝巡覧大絵図』の大きな特徴を示すものだともいえよう。
この地図史料は広島県立博物館にも所蔵されているようだが、今回初めて満井石井氏からの紹介で知った。
この穏健岩の所在地を示すと思われる「ソワ」の注記のある『万延元年備後国名勝巡覧大絵図』がこちら。


宮内省書陵部のサイトより直接閲覧されたい→Googleで『備後国名勝巡覧大絵図』を検索。


蛇足ながら


当時一般に流通していたのは今津・剣社(古社)・陰陽石、高須・高諸神社(式内社)ということだったらしい。

こちらに比べると寛永の備後国絵図にみる芦田川の流域は相当に不正確だった。
使用されている地図記号・・・・当時流通していたものを採用しているわけだが、古城址のマークや神社マークなどは今日と同じものだ。

この種の地図史料の研究手順としては①記載された地域に関する情報密度の分布及び②近世地誌類との参照関係のチェックなどだが、第一印象としては比較的簡単に処理可能だ。郷土誌的には貴重な資料の一つだが地図史的には新鮮味はない。



金嶋嘯雲
資料に関する注記
一般注記:
タイトル注記:原題簽存(中央双辺)。内題「備後国御調郡尾道市街地絵図」。
縹色表紙。表紙寸法18.5/12.9。書写者金嶋嘯雲は伝不詳。尾道の人か。
カテゴリ名:無し
資料の種別:地理 地図
資料の分類:一枚物-地理 地図 地方図 山陽道
公開範囲:ウェブ公開
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資料詳細
内容細目:
備後尾道市街の略地図。寺院と神社名、及び僅かの地名を注記する。彩色入り(山は緑、海は藍、道路は代赭色)。亀山士綱編『尾道志稿』(文化11年成)に拠るもので、図の右に尾道の建置沿革、諸方道法、名臣について補訂記事を記す。
(提供元: デジタルアーカイブシステムADEAC)
解題・解説:
冒頭に書写識語「此ノ図ハ文化十三年丙子孟春尾道処士亀山士綱著ハス処尾道志十一冊第十之巻中ニ図スルヲ模写スル所也余地図ノ癖アリテ此書閲センコト既ニ年アリト雖得ル不能一日葛西喜水翁ト閑談ノ折リ其書籍ハ予カ家ニ蔵セリト乃チ借覧ヲ乞フ翁コレヲ赦ス仍テ熟読スルコト再三ニ至リ頗ル地勢沿革ヲ悟リ心欣然トシ老筆ヲ揮ヒ僅カ脱漏ヲ補フ明治廿五年壬辰八月四日六十七歳ノ老夫金嶋嘯雲此日陰雲醸雨嗚呼暑熱難堪」。
(提供元: デジタルアーカイブシステムADEAC)

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