- 松永史談会 -

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史料紹介 小倉豊文校訂 『葛原勾当日記』

2016年12月09日 | ローカルな歴史(郷土史)情報
数か月前までネット上(藤沢市の渡内書店)で販売されていた。たしか¥4000。



いま私が知る限り、福山の児島書店(天満屋裏)で¥18000、アマゾンで¥32800。笑ってしまうくらいの高値で売り出されている。地元の公立図書館には禁帯出のものを含めかなりの冊数が所蔵されている。校訂者の小倉は広島大学の先生だった御仁。精魂(ご当人は80歳の老体に鞭打ちつつ全身全霊を)傾けて取り組んだ感じで社会史研究の史料として使えそうだ。
江戸末から明治初期にかけて活躍した、京都以西では並ぶものなしと言われた生田流筝曲(琴)の名人で、童謡作家葛原しげるの御祖父さんに当たる人物の、文政10(1827)年から明治15(1882)年までの出稽古記録だ。


凡例の一部


目次の一部(本文註・補註は小倉豊文の研究成果で、有用・・・・ただし、率直に言って内容的には遣り残し多々という意味では不徹底さ・手抜きも・・・・・・まあ、そう考えるよりも少年時代から、葛原しげるによる特別の薫陶を受けてこられた小倉氏は後学のものに多くの課題を残されたと解して感謝するというのがよいのだろうと思う。)   

記述はこんな感じ・・角倉志朗『禅道探究日録』の最晩年の記述がこんな感じ。松永村の高須屋とは麻生吉兵衛家のこと(下之町に別荘)。天保期には高須屋を稽古場として使っている。黒鉄屋とは福山・深津の藤井与一右衛門家のことだろう。文字通りのお稽古日誌。しかし、なかなか・・・・・・


勾当の愚痴まじりのユーモアーこの頃の文面は珍しく豊かな感情表出


私としては邦楽の知識がないのが悔やまれるが、如何にこの史料を料理するか思案するのは実に楽しい。
弟子たちを演奏技術に応じて組(表組・裏組・中組・奥組・四季組・外組)に分け、それぞれ組別にいくつかの課題曲を練習させている。この辺は邦楽の楽曲に関する知識不足を補ってくれそう。

三吉傾山の大成館で漢学を学んだ三井勝治郎は其の後数学・英語をそれぞれ別個に塾経営をする先生のもとを訪れそこで学んでいる。高島平三郎の場合も同様であった。そういう意味においてここで紹介した葛原は良家の子女たちにお琴・三味線を教えるために備後・備中各地の会場(豪商・豪農の屋敷の一角)を使ってその土地土地の入門者たちに対して出稽古を行っていた訳だ。

出稽古先として松永・柳津・藤江が記載されている頁に付けた付箋 江戸時代は松永・高須屋が中心、明治期に入って件数は少ないが、松永岡本某、島屋(村上氏)おきく、入江屋石井(石井竹荘夫人が勾当の弟子)が出てくる。幕末期に柳津の西屋(干鰯商柳田氏)、藤江・岡本は山路機谷家だろうか、少々。


この日記には若干、社会史的出来事、一年を振り返った勾当の社会生活面での所感、安政元年に岡山県邑久郡尻海(牛窓の北に位置する港町)で受けた大地震とそのとき勾当らがとった津波に対する警戒行動、藩主が危篤の折に国中での歌舞音曲の禁止令、四国に渡海するときに、村上とはともに乗船したくないとの気持ちの吐露・風の神送りに鐘太鼓を鳴らすことが禁止されたとか、最近(安政六年)コロリが流行しているとの記述、慶應元年の記事として当時評判の漢学者・興譲館の坂谷朗蘆先生のことなどまことに興味深い。
朗蘆の死の報(明治14年正月)に接し、挽歌一首「散る花はまた咲く頃のあるものを春待つ甲斐の無きぞ悲しき」。勾当は朗蘆の事を老いらくの友だと感じていたようだ。
嘉永五年5月28日柳津で読んだ歌の一首「誠とは誠無きこそ誠にて,誠は仏の誠をぞ得る」というのは思索的だった勾当の一面を垣間見せるもの。
そのほか雨乞神事に3日3晩琴の演奏をさせられ、その暑さには往生したことなど、断片的ならが史料としてつかえそうな記述もあるし、母親の病死とその直後の父親の自殺(心臓下を短刀か何かで刺したもの・・・「切れものを取り出し、手業に心下を突き」と記述)。世相に関する盲人の感度、安政大地震の余震・雷に対する感じ方は盲人勾当の身体性を知る手掛かりが得られるだろう。
山本瀧之助『月と親』、大正14という著書(小冊子)があったが、この諺「月と親は何時もよきもの」を人が話すの聞いて歌を詠んでいる。嘉永5年当時の人たちにとってはポピュラーな諺(親は良い、月は宵とを掛けた一種の洒落を含んだもの)だったようだ。
ここから先は研究次元の話題になるので非公開

本日記については紀田順一郎『日記の虚実』、新潮選書、1988、9-24頁が取り上げている。アマゾンでは雑本扱い(価格1円)で入手できるが、まあ、文芸的過ぎて読んでも読まなくてもよい内容だ。


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