- 松永史談会 -

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『宇都宮龍山傳并遺稿』

2021年05月12日 | repostシリーズ
宮原節庵遺稿の巻4に「遺芳湾十勝詠並序」という一文を見つけた。西国周遊時(宮原は尾道出身、頼山陽門下で昌平黌を出て京都で開塾)の滞在先とか名勝として尾道の橋本竹下、山南の桑田翼叔とか阿伏兎とかの記述が散見された。山路家の別業白雪楼での接待が以下のごとくハイライト化されていた。




宇都宮龍山

2021年5月10日 広島の古書店にて川ノ上亮作『宇都宮龍山傳并遺稿』尾道市教育会、1931を入手。「宇都宮龍山傳」部分(1-48㌻)は龍山の経歴を知り得る唯一の史料。
宇都宮龍山は山田方谷(子孫に二松学舎学長山田準など輩出)永井荷風『下谷叢話』に脇役として登場する鷲津毅堂(尾張丹羽郡の鷲津家の一族)の親友[徒士身分出身で山林奉行だった宇都宮龍山、新谷藩(愛媛県)脱藩前は原田姓を名乗っていたが藩主から「不埒千万」と怒りを買った。『宇都宮龍山傳并遺稿』18-20㌻に依れば、龍山還暦を迎える文久2(1862)年には25年ぶりの新谷帰参を計画。実現は見なかったが、そのとき鷲津らは龍山のために藩側に対していろいろ恩赦免責工作の労を執っている]だった。毅堂自身は永井荷風の外祖父。なお、『下谷叢話』は鷲津家の一族:大沼竹渓父子、就中子の大沼枕山に焦点を当てた歴史小説。勝ち組vs負け組という事で言えば、鷲津一族の負け組(荷風自身が自分の生き様と何となく重なり合う部分を感じ、幕末明治期の漢詩人大沼枕山一族)にスポットライトを当てた歴史小説の名作だ。
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宇都宮龍山墓@慈観寺

【参考データ】
こころを動かされたのはこちら(幼子3人:智仙童女・壽光童女・秀月童女を失った.。漢学者宇都宮清(1803-1886)夫婦の哀惜の情が伝わってくる)
本日(2020年12月12日)一番の発見(^-^)/



三童女の墓石と対面する形で慎ましく宇都宮龍山夫婦墓(脇に小さな石灯籠)が建っている。
国会図書館デジタルコレクション『宇都宮龍山遺稿』、1931

宮原節庵については最近集中的に行った尾道調査の中でわりとしばしば目にした名前。尾道には菅茶山ー賴山陽縁故の文人たちのことに関心をもつ福山藩側でいえば浜本鶴賓のような人が郷土史家達(例えば財間八郎)の中に何名かいて、いろいろ「山陽日日新聞」などタウン誌に興味深い話題提供していた。わたしはこの「山陽日日新聞」(一面A3サイズ)については平成13年以後のものは一通り目を通したが、残余についてはまた機会があれば悉皆的に当たってみたいと考えている。戦前は一時期地域史研究者青木茂も編集に関わっていた。
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