- 松永史談会 -

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カメラを持ってブラブラ ー久保・長江界隈ー

2017年12月08日 | 断想および雑談
史料調査に出かけた道中をとったフォトたちだ。
浄泉寺の本堂前の石造 用水桶の餓鬼像台座

播磨屋松之助寄進のジャンボ常夜灯

土堂在住の「唐津屋徳兵衛」

中近世移行期の一石五輪塔-豪商で尾道宿本陣笠岡屋小川家墓地@尾道・正授院-



一石五輪塔、向こう側の屋根の下のものは元和・寛永の年紀が読み取れる。


小川和太郎正宣の妻・浪は沼隈郡山南村桑田次郎兵衛遜学(何鹿桑田家)の娘で行年20歳


手前の一石五輪塔は慶安、寛文・慶安期の墓石だ。向こう側の舟形光背墓は一世紀の後の明和・宝暦期のもの。俗名:笠岡屋作右衛門、小川作右衛門正治とある。




つくだ煮屋の老舗本多里治商店の倉庫をみっけ!むかしは隣の「ナガミ株式会社」の建物も本多商店のものだったと思うのだが・・・・。




儒学者宇都宮龍山墓@尾道・慈観寺

橋本家の菩提所:尾道・慈観寺本堂・・・・恩師河野先生(数学)はこの寺の住職だった。むかしは牡丹寺として知られた。現在の住職(副住職)はその後他所から来た人。
【参考資料】文政4年尾道町絵図に見る慈観寺-正授院界隈//橋本竹下を頼って尾道に来た宇都宮龍山の最初の塾舎は慈観寺東側角にあった。文政4年段階には時宗寺院の正覚寺の小さな御堂がある辺りだったろうか(要確認)






備前屋山路氏の開祖@尾道・正授院 備前屋は史料上知られるのは尾道の代表的な茶屋(遊郭)経営者だった側面だ。

芸州甲立の高橋佑四郎の三男幸太郎を山路熊太郎(機谷)は文久年間に5女徳子の養子として迎え備前屋山路家を尾道の地に起こす。お徳は早世したので吉本山路家の娘熊恵を後妻にあてたらしい。




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