軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

Emile Galle

2018-05-18 00:00:00 | 日記
 ガレ調の照明器具は私もだいぶ前から持っているし、骨董市などでもガレ作と称するガラス器を目にすることはあるが、本物となるとなかなか見る機会がなかった。 その本物のガレの作品と最初に出会ったのは上越市に赴任していた時で、市の総合博物館で開催された、有澤忠一「エミール・ガレ」コレクションを見に行ったときであった。2003年ころの真冬のことで、博物館のある高田公園あたり一面に雪が降り積もっている時であった事を思い出す。

 この展示は、私も一時期勤務していたことのある地元企業、有沢製作所の2代目社長であった故有澤忠一氏から1988年に市に寄贈された24点のガレのガラス工芸作品を、氏の希望により毎年1回、一定期間行われているものである。

 花瓶、香水瓶などが展示されていたのだが、そのころはガラス工芸に関する知識もなく、ただ貴重な珍しいものを眺めるといったことに終始した。

 それから、長いブランクがあったが、今年軽井沢でアンティークガラスショップを開くことになり、その店の名前を「軽井沢ヌーヴォー」としたことから、フランスのアール・ヌーヴォー運動をナンシー派の総帥として推進したとされるエミール・ガレの仕事に再び関心を持つようになった。

 長野の諏訪湖畔には、ガレの作品の収集で有名な北澤美術館があり、かねて訪ねてみたいと思っていたが、先日その機会が訪れた。

 ちょうど今の時期、北澤美術館の開館35周年を記念した特別展「花のジャポニスム・ガレ、ドーム、ラリックに咲く日本の花」がスタートしたばかりであった(会期:2018.4.4~2019.3.31)。

北沢美術館「花のジャポニスム-ガレ、ドーム、ラリックに咲く日本の花-」のパンフレット

北澤美術館の入り口に掲げられた「花のジャポニズム」の看板(2018.5.8 撮影)

 展示会場の入り口には、高さが83cmの大きな作品「ひとよたけ」が展示されていた。写真撮影が許可されていたのは、この「ひとよたけ」だけであったので、ここでその他の展示品を紹介することはできないが、パンフレットによると展示品は全部で103点、その内エミール・ガレ(ガレ作とした1点を含む)の作品は39点、ドーム兄弟の作品は28点、ラリックの作品が27点とその他の関連資料であった。

展示会場入り口に展示されているガレの「ひとよたけ」、後方にガレの写真が見える(2018.5.8 撮影)

 この「ひとよたけ」はガレの最晩年、1904年頃の最高傑作とされ、1900年ころから急速に進んだ一般家庭への電気の普及に合わせて生まれた当時最新の電気照明器具でもある。

 笠はピンクがかった肌色不透明地に、透明、濃茶のクリスタル被せガラスを宙吹きした後、形を整え、手彫り仕上げがなされたものという。軸はグレーがかった透明ガラスにガラス粉を封入し、縦の溝をつけ、ねじりを加えながら伸ばし、金属の導芯を通して錬鉄製の台に固定されている。キノコのつば(襟)とツボ(袴)は銅製とされる。

 間近に見るこの「ひとよたけ」とこれに続く作品群は、いずれもみずみずしく、100年を経た今も色鮮やかでとても美しい。モチーフに採りあげられた、菊、睡蓮、ハナショウブ、藤、紫陽花、朝顔、スミレ、ユリ、柳、松、笹、柿など、われわれにも馴染みの花や植物を多く見ることができる。

 有澤忠一氏、北澤利男氏の二人の実業家が、いち早くガレの作品を見出し、コレクションとしたことで、われわれはこうして間近に多くの作品に接することができるが、両氏がガレの作品を選んだ理由の一つは、今回のテーマにあるように日本人になじみの深い植物などのモチーフが多く取り入れられているからであろう。

 北澤コレクションの核をなすのは初期から晩年までのエミール・ガレのガラス作品であるが、ガレは学業を終え1867年に父シャルル・ガレの会社に入り、すでに18世紀からの大手クリスタルガラスメーカーであるサン・ルイやバカラが君臨する中で、製品のモデルを考案する「産業芸術家」としてキャリアをスタートさせている。

 以後、正式に経営を任された1877年から1904年に亡くなるまで、27年間ガレ社の製品は、エミール・ガレひとりがほぼ唯一の発案者であり決定者であったとされる。私には意外であったが、ガレは、当然ながら深いガラス工芸の知識はあったものの、彼自身がガラスを吹いたり削ったりする職人的な製造作業に携わっていたわけではなかったとのことである。

 今回の展示でも同様の作品「菊にカマキリ文月光色鉢」が展示されていたが、ガレは1878年のパリ万国博覧会ではこの微量の酸化コバルトを添加して得られる、薄青色の「月光色ガラス」を、初めて自身の名前で発表しており、この時ガラス部門では銅賞を受賞している。その後も独創的なデザイン、豪華な絵付け、丁寧な仕事ぶりが評価されて、中央の美術関係者や知識人の間で名前が知られるようになった。

 続く、1889年の第4回パリ万国博覧会では、ガラス部門でグランプリに輝き、国際的な名声を獲得し、更に1900年の第5回パリ万博でも再びガラス部門のグランプリを受賞し、その名声を不動のものにした。

 しかし、この1900年のパリ万博では、1889年のガレの活躍に刺激され、兄弟二人三脚で後を追った同郷のドーム兄弟もまた、同時にガラス部門でグランプリを獲得した。

 ドーム兄弟の短期間での成功の秘訣は、兄と弟で経営と美術面での仕事を分けたことにあるとされる。すべてを一人でこなし、カリスマ的な個性を発揮した、エミール・ガレとは対照的なものであったという。

 エミール・ガレは、1904年白血病のために58歳で没するが、ガレ工房は妻アンリエットが経営を引き継ぎ、1914年にそのアンリエットもまた急逝すると、次女の夫ポール・ペルトリゼにより経営が続いた。しかし、その7年後の1931年、ガレ社は世界大恐慌のあおりを受けて、37年間燃え続けたガラス窯の火を落とし会社は閉じられた。そして、1936年にすべての資産は競売にかけられ売却された。

 一方、ドーム兄弟の会社は1900年以降黄金期をむかえ、1902年グラスゴー、1904年セントルイス、1905年リエージュ、1906年ミラノと、いくつもの万国博覧会での受賞を続けた。第一次世界大戦が明けた1920年代には社会の価値観が一変し、アール・ヌーヴォーから装飾性を抑えたアール・デコへと流行が変化していくが、ドーム社は指導部が世代交代を繰り返し、ガラス界のリーダーであり続け、1980年代の初頭までまで家族経営を維持し、ドーム家が経営を離れた今もナンシーで操業が続けられている。

 今回の北澤美術館の展示のもう一人の主役はルネ・ラリックである。エミール・ガレ、オーギュスト/アントナン・ドーム兄弟そしてルネ・ラリックの生誕年を、同時代の芸術家と共に並べてみると見ると次のようである。
  
エミール・ガレと同時代を生きたガラス工芸作家・芸術家の生誕年/没年

 ガレとドーム兄との年の差は7歳、ドーム兄とラリックの年の差もまた7歳である。ガレとドーム兄弟がガラス部門でグランプリを受賞した1900年のパリ万博で、ラリックは宝飾部門で同じくグランプリを獲得している。その後のラリックはジュエリーからガラス作家へと変身を遂げていた。

 ラリックは1900年の受賞以降、実業家としての周到な準備をしてガラス工芸への転進を図っている。そして、当時生まれたばかりの産業であった香水に目をつけ、薬瓶のようであった容器を、花や女性像をあしらった魅力的なものに替えることに成功している。ジュエリーで手がけたアール・ヌーヴォー様式を離れ、アール・デコのガラス工芸を誕生させるなどの活躍をし、1926年にルネ・ラリック社を設立している。

 ガレやドーム兄弟とは異なり、ラリックのガラス工芸は透明の美学を追求したとされる。また、豪華列車の内装、自動車のカーマスコット、日本の朝香宮邸の正面玄関ガラス・レリーフ扉やシャンデリを手がけるなど活躍の範囲は多岐にわたっている。

 1945年、ルネ・ラリックの没後は長男マルク(1900-1977)が、その没後は孫娘のマリー・クロウドが経営を引き継ぎ、ラリック家が経営から退いた現在も会社は存続し続けている。

 こうしてみてくると、ガレの芸術と事業は一時的なもののように映るが、もちろんガレの人気はドーム兄弟やラリックに勝るとも劣らない。特に日本での人気は高く、日本で最初の本格的なエミール・ガレ展は、1980年にガラス84点、陶器10点、家具6点を集めて、東京(1月29日-2月11日)・名古屋(2月15日-2月27日)・大阪(3月4日-3月16日)で、日本経済新聞社主催で行われたが、当時の図録によると、この展示は世界で初めてのものであるとされている。

1980年開催のエミール・ガレ展(日本経済新聞社主催)の図録表紙

 ガレ社は消えていったが、エミール・ガレの下で経験を積み、当時のガレ工房を中心に担っていた、イタリア人ガラス工芸作家モンテッシーがルーマニア人の女性と結婚した後、ルーマニアに移住、ガレの技術と作風を生かした工房を開き、それを忠実に継承するガラス工芸作家達を育てあげたとされている。

 今でもルーマニアで、エミール・ガレの技術が息づいており、今現在一番忠実に再現されたエミール・ガレの作品は、ルーマニアで作られていると評価されているというから、私が冒頭示したガレ風という作品にもこうしたものが含まれているであろうことを考えると、ガレ社は姿を変えて生き続けているともいえる。

北澤美術館脇に建立されている北澤利男氏の胸像【圓鍔勝三作】(2018.5.8 撮影)

 今年は、今回訪問した北澤美術館のほかに、箱根仙石原のポーラ美術館では「エミール・ガレ・自然の蒐集」と題して、130点のコレクション展示が3月17日から7月16日まで、名古屋の大一美術館では「~ドーム兄弟~ガラスの世界展」が3月9日から11月11日まで、掛川市の資生堂アートハウスでは「ヴィンテージ香水瓶と現代のタピスリー・ラリックとバカラを中心に-」として、100点の展示が4月10日から6月24日まで開催されているなど人気の高さが伺われる。

 改めて、先見の明を持った優れた事業家両氏に敬意を表したいと思う(エミール・ガレ、ドーム兄弟、ルネ・ラリックに関する記述の多くは、公益財団法人北澤美術館 2017年発行の「北澤美術館コレクション選集 アール・ヌーヴォー、アール・デコのガラス芸術・エミール・ガレ、ドーム兄弟、ルネ・ラリック、パート・ド・ヴェール」を参考にさせていただいた。お礼を申し上げる。)。
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