軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

フシグロセンノウ

2022-08-12 00:00:00 | 山野草
 雲場池の遊歩道わきの別荘地内にフシグロセンノウが咲き始めた。鮮やかなオレンジ色がよく目立つ。軽井沢では特に珍しい種ではなく、別荘地の庭に群生しているのを見ることもあるし、山地の林下に見つけることもある。

 私がこのフシグロセンノウを最初に見たのは中学生の頃で、大阪市内に住んでいた時のことだが、夏休みに友人2人と一緒に金剛山の登山に出かけた時であったことをよく覚えている。
 畑が終わり山道にさしかかり、左右に高い木が見え始めたころ、その樹林の中に鮮やかなオレンジ色の珍しい花を見つけ採集して持ち帰ったのであった。

 軽井沢に移り住んで、庭の一角にミニロックガーデンを作ったが、フシグロセンノウが好きな妻はここに山で採取した種を蒔き、これが数年後に花をつけるようになった。また、近縁種のエンビセンノウ、マツモトセンノウ、ガンピの苗も取り寄せて植えている。これらが庭に強いアクセントをつけてくれている。マツモトセンノウの花期はフシグロセンノウより早く、7月上旬には咲き始める。

 田中澄江さんの著書「花の百名山」(1980年、文藝春秋発行)にもフシグロセンノウは登場しており、雲取山の項で採りあげられていて、次のように紹介されている。フシグロセンノウのファンは多いようである。

 「好きな花をたった一つえらびなさいと言われれば、私はナデシコをあげる。ナデシコ科の花の中でもフシグロセンノウが好きである。冴えた朱いろの花弁の厚味をおびているゆたかさ。対生した葉の花の重さを支えてたくましい形。それでいて一つも野卑ではない。カワラナデシコのように群がらず、日光の直射を避けた日かげの林間の下草の中に、点々としてひとりあざやかに咲き誇る。・・・・

 何故もっと早く雲取に来なかったのだろう。山容雄大で、眺めに変化があり、修験の山というような暗さも厳しさもなくて、何よりも花の種類が多い。惚れ惚れとした思いで、鴨沢にむかう途中の杉林のかげにフシグロセンノウがたくさん芽を出していた。山へ来て花をとってはいけないことはよく知っているけれど、そんな特徴のある若芽を幾つか見ているうちに二本とりたい、野の花ではフシグロセンノウが一番好きだと言われた熊谷守一さんの庭にもっていってあげたいと思った。
 熊谷さんは九十七歳のすぐれた画伯。いままでにクマガイソウやノハナショウブを、そのお庭に植えてあげていた。
 東京にもどって、仕事に追われて熊谷家にうかがえないでいるうちに、肺炎が原因で、この高齢なひとは急逝し、その最後の絶筆は庭のフシグロセンノウであることを知った。私は雲取のその花を、いつかお墓の前に植えにゆかなければと思っている。」

 もうひとつ。職場の友人のIさんから以前、拙宅の新築祝いにといただいた佐藤達夫著「花の画集」(1979年、中日新聞社発行)にもフシグロセンノウの美しい姿が描かれていて、添えられている文章にはつぎのようにある。

 「節黒仙翁。ナデシコ科の山草。フシグロというのは、茎の節のところが、紫褐色を帯びていることによる。センノウは、中国原産の観葉植物で、京都嵯峨の仙翁寺に植えられ、そこから伝わったところからその名が出たという。結局、フシグロセンノウというのは、節のくろいセンノウの仲間という意味になる。この属には、ほかにオグラセンノウ、エンビセンノウなど、センノウの名を使ったものがいくつかある。
 フシグロセンノウには、オウサカソウの別名がある。これは、京都と滋賀との境にある逢坂山に多いところから出た名まえだが、この呼び名の方がすっきりしていて、この草にはふさわしいような気もする。
 東京の付近では、八月から九月にかけてが盛りだが、ときには、十一月に入っても残りの花に出会うことがある。この草はどちらかといえば、関東から西の方に多く・・・」

 田中澄江さんが雲取山に登ったのは、五月のはじめということなので、まだ花の時期ではなく、文章にもあるようにまだ芽を出したばかりの頃である。

 それでも、この芽がフシグロセンノウであることを知っていて書かれていることがわかる。私が雲場池の周辺を散歩していてフシグロセンノウがそこにあると知るのは、鮮やかな花に出会ってからであるので、もう少し注意深く観察しなければと思う。

 ところで、フシグロセンノウのことを、別な角度から見た記事を最近届いた「広報 かるいざわ 8月号」に見つけたので紹介させていただく。NPO法人ピッキオがこの冊子の中で連載している「浅間山麓の仲間たち」からである。

 「植物たちは虫に花粉を運んでもらうため、さまざまな色や形の花を咲かせます。夏の森の木陰で咲くフシグロセンノウもその一つ。彼らはある昆虫を呼ぶため、花に工夫を施しました。・・・」

 その「ある昆虫」とは・・・アゲハチョウの事だとこの文章の後段で明かしているのであるが、実際、私も雲場池の遊歩道脇でそのシーンを撮影したことがあるので、先ずその写真から始め、続いて最近雲場池で撮影したものや、軽井沢で撮影した写真を紹介させていただく。


  
フシグロセンノウで吸蜜するオナガアゲハ(2021.8.26 撮影)

 上記「浅間山麓の仲間たち」の説明では、フシグロセンノウはアゲハチョウの仲間に蜜を吸わせるために、ハチやアブが認識しづらい朱色の花を咲かせ、口の長い虫以外は寄せ付けない、細長い丈夫な萼を持つことで、口の短い虫が横から穴を開けて蜜を盗むことができないようにしているという。

 アゲハチョウの仲間が来て、蜜を飲もうと口を奥まで入れると、ちょうど顔に花粉が付く構造になっているのである。

 続いてフシグロセンノウの写真。特記のないものは雲場池での撮影。

開き始めたフシグロセンノウの花(2022.8.9 撮影)

フシグロセンノウの花(2022.8.5 撮影)

フシグロセンノウの花と蕾(2020.8.1 撮影)

フシグロセンノウの雄蕊(2022.8.9 撮影)

フシグロセンノウの花(2016.8.9 撮影 南軽井沢)

フシグロセンノウの花(2022.8.4 撮影)


フシグロセンノウの花(2022.8.8 撮影)

フシグロセンノウの花(2022.8.8 撮影)

フシグロセンノウの花(2020.8.17 撮影)

フシグロセンノウの花(2020.8.1 撮影)

フシグロセンノウの花(2022.8.8 撮影)

フシグロセンノウの花(2021.8.19 撮影)

フシグロセンノウの花(2021.8.7 撮影)

フシグロセンノウの花(2020.8.17 撮影)

 次は、我が家の庭で咲いたフシグロセンノウの仲間たち。

 最初はガンピ。牧野植物図鑑によると、中国原産の種で、観賞用として庭園に植栽されている多年草とある。


ガンピの花(2016.8.6 撮影)

 続いてエンビセンノウ(燕尾仙翁)。中部地方、北海道および朝鮮半島、中国北東部、ウスリーの温帯に分布する。山野の草原にまれに生え、ときに庭園に栽植される多年草である。


エンビセンノウの花(2017.8.28 撮影)

 最後はマツモトセンノウ(別名マツモト)。原種は九州の阿蘇山の草原に生え、ツクシマツモトとも呼ばれる。名前の由来は、花形が歌舞伎役者の松本幸四郎の紋所に似ているのでついたとされるが、その紋所と言えば四つ花菱である。果たして似ていると言えるかどうか。

マツモトセンノウの花(2022.7.5 撮影)

マツモトセンノウの花(2019.7.10 撮影)

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ルリソウ

2022-06-03 00:00:00 | 山野草
 このところルリタテハ、オオルリシジミと続けて瑠璃色のチョウを紹介したが、今回は瑠璃色の花を咲かせる植物でルリソウ。

 散歩道に沿う場所に毎年咲くルリソウだが、今年最初に気が付いたのは5月11日のことであった。花の大きさは1cm程度と小さいが、なかなか美しい。

 手元の図鑑「山草事典」(1988年 栃の葉書房発行)には「つぼみや咲き始めは淡いピンクであるが、のちに美しいルリ色に変わる。」と説明されているとおり、多くはつぼみの状態でピンク色をしていて、咲き始めると次第に青みが増していき、完全に開くころにはルリ色になる。

 ただ、中には開花してもピンク色のままの花が混じっていたり、株全体がピンク色の花を咲かせるものも見られる。

咲き始めたルリソウ 1/2(2022.5.11 撮影)

咲き始めたルリソウ 2/2(2022.5.11 撮影)

 よく似た種にヤマルリソウがある。八代田貫一郎氏の著書「続 野草の楽しみ」(1969年 朝日新聞社発行)の中の表現を借りると、「ルリソウは優しくて、すんなりと3~40センチの高さになり、二股になって先を曲げた花穂に、丸い5弁化を開く」が、「ヤマルリソウの方は、疎剛で、横に広がって生育する」ということなので、花は似ているが両者の違いはよく判る。

 妻が随分前に入手していた「日本の野生植物」(佐竹義輔、大井次三郎、北村四郎、亘理俊次、冨成忠夫編、1981年 平凡社発行)でルリソウの項を見ると、写真に、「ルリソウ O.krameri  長野県軽井沢 '70.5.31 〔亘理〕」との説明が添えられており、編者のひとりが当地軽井沢で撮影した写真であることがわかる。ルリソウは本州の中部以北の山地と北海道に自生する日本の固有種である。

 この写真が撮影されて50年以上になるが、今もルリソウは軽井沢で同じ時期に咲き続けている。

別荘地の庭に咲くルリソウ 1/2(2022.5.28 撮影)

別荘地の庭に咲くルリソウ 2/2(2022.5.28 撮影)

 次に花色の変化を中心に見ていこうと思う。先ず一般的な花色のルリソウ。

ピンク色の蕾から次第にルリ色に変化するルリソウ 1/5 (2021.5.31 撮影)

ピンク色の蕾から次第にルリ色に変化するルリソウ 2/5 (2022.5.28 撮影)

ピンク色の蕾から次第にルリ色に変化するルリソウ 3/5 (2022.5.28 撮影)

ピンク色の蕾から次第にルリ色に変化するルリソウ 4/5 (2022.5.17 撮影)

ピンク色の蕾から次第にルリ色に変化するルリソウ 5/5 (2022.5.14 撮影)

 次は青色への変化が早く、つぼみが膨らみ始めるとすぐに青くなっていくルリソウ。

つぼみが膨らみ始めるとすぐに青くなっていくルリソウ 1/5 (2022.5.14 撮影)

つぼみが膨らみ始めるとすぐに青くなっていくルリソウ 2/5 (2022.5.14 撮影)

つぼみが膨らみ始めるとすぐに青くなっていくルリソウ 3/5 (2022.5.14 撮影)

つぼみが膨らみ始めるとすぐに青くなっていくルリソウ 4/5 (2022.5.28 撮影)

つぼみが膨らみ始めるとすぐに青くなっていくルリソウ 5/5 (2022.5.20 撮影)

 次に、逆に咲いてからもピンク色を保つ花が、ルリ色の花と混在する株もある。

開花後もピンク色が残る花が混在するルリソウ 1/5 (2022.5. 25 撮影)

開花後もピンク色が残る花が混在するルリソウ 2/5 (2021.5.31 撮影)

開花後もピンク色が残る花が混在するルリソウ 3/5 (2022.5.23 撮影)

開花後もピンク色が残る花が混在するルリソウ 4/5 (2022.5.17 撮影)

開花後もピンク色が残る花が混在するルリソウ 5/5 (2022.5.18 撮影)

 最後は、蕾の時も花が開いてからもピンク色で、青みが全く見られないルリソウ。ピンク色の濃さは株により異なっている。

蕾から開花時までピンク色のルリソウ 1/5 (2022.5.23 撮影)

蕾から開花時までピンク色のルリソウ 2/5(2022.5.18 撮影)

蕾から開花時までピンク色のルリソウ 3/5 (2021.5.31 撮影)

蕾から開花時までピンク色のルリソウ 4/5 (2021.5.31 撮影)

蕾から開花時までピンク色のルリソウ5/5 (2021.5.31 撮影)

 通常の青色の花が咲く株と、ピンク色の花が咲く株とが隣り合っていることもある。


通常の青色の花が咲くルリソウと、ピンク色の花が咲く株とが隣り合う (2022.5.25 撮影)

 我が家でも庭に植えている園芸種のワスレナグサもまたルリソウによく似た花を咲かせているが、こちらは北海道や本州中部の深山に自生しているエゾムラサキを原種として、ヨーロッパで改良されたものだという。

 ルリソウ同様、蕾の時はピンク色だが開花するとルリソウよりも鮮やかな青色に変化する。

園芸品種のワスレナグサ 1/2 (2022.5.31 撮影)

園芸品種のワスレナグサ 2/2 (2022.5.18 撮影)

 ルリソウはムラサキ科に属していて、ムラサキ科の植物は、全体的に多毛で、花弁は5つに分かれ、果実は核果または4個に分かれる分果となる特徴があるとされる。

 ルリソウもまた花は通常5裂した合弁花であり、5回対称の構造をしているのに、花後の果実の写真を見ると4個が正方形を構成するように並び4回対称であって、どういう訳でこのようになるのか、なかなか興味深い。今はまだ花の時期で、ようやく果実ができ始めたところなので、追ってこの分果の撮影ができた時点で写真を追加掲載できればと思う。

 ところで、ルリソウの花の色が開花するに伴ってピンクからルリ色へと変化したり、株によりピンク色のものが出たりするのは、一体どうしてだろうか。

 花の色が変化することで、よく知られているものにアジサイや酔芙蓉があるが、アジサイでは成育場所の土壌のPHが関係していると聞くし、酔芙蓉では花が咲いて初めのうちは色素が無いので白く見えるが、次第に色素が合成され、赤く色づいてくるのだという。

 変化する色ではないが、野の花を見ていても実に様々な色の花がある。このブログでよく取り上げているスミレだけを見ても、花色は白からピンク、紫、水色と多様である。 

 こうした植物の色素はたくさんあるが、赤、紫、青の花の色素の多くはアントシアニンとされる。アントシアニンはこれらの色素の総称で、アントシアニンと呼ばれる分子に糖がついて水溶性になったものである。アントシアニジンにも多数のものがあり、ウィキペディアを見ると、10種が紹介されている。

 花に含まれる色素の場合、アントシアニジンの基本構造上の水酸基の数によって1個のものはペラルゴニジン、2個のものはシアニジン、3個付いているものはデルフィニジンと3系統があって、ペラルゴニジンは橙色系、シアニジンは赤色系、デルフィニジンは青色系の発色をするとされる。青色の花ではデルフィニジン系によるものが殆どである。各色素の分子構造は次の通り(ウィキペディアによる)で、右側の水酸基(OH)の数が異なる。

1.ペラルゴニジン(橙色)
  

 
2.シアニジン(赤色)
  


3.デルフィニジン(青色)
    

 アジサイは、基本的に、酸性の土壌では青い花を、アルカリ性の土壌ではピンクの花を咲かせると言われている。同じ色素のはずなのに、なぜ環境の変化で青から赤に変化するのか、その仕組みが名古屋大学の吉田研究室の研究により最近、明らかにされた⦅化学、76, 23-28 (2021) ⦆と報じられている。

 アジサイは、鉢の株を庭に下ろしただけで色が変わってしまうことがあるが、どうしたら安定して青くできるかを解明しようとした研究は、100年近く前から行われてきた。そして、酸性土壌で育てると土中のアルミニウムイオンが水によく溶けて根から吸収され、萼片はより青くなると考えられてきたが、赤いアジサイも青いアジサイも、含まれる成分は全く同じアントシアニン(デルフィニジン 3-グルコキシド)であることから、アルミニウムの果たす役割をさらに詳しく調べなければならない。

 要するに、青色発色するデルフィニジンを含んでいることは、花が青くなることの必要条件ではあるが十分条件ではないということである。

 詳細は割愛するが、吉田研究室から発表されている論文によれば、アジサイの青色は、単純に(デルフィニジン系の)アントシアニンだけで発色するのではなく、色素にアルミニウムイオンが錯体形成し、さらに、助色素が共存して、これも錯体形成することが必要であることが明らかにされた。

 さらに色素が蓄積する細胞内の液胞のpHによってアントシアン系の色は変化する。青いアジサイもしばらくすると赤色系に変わるのはpHの変化によるものという(アントシアンはアントシアニジンとアントシアニンを含む総称)。

 (はじめから)赤色のアジサイの場合、アルミニウムイオンがほとんど存在せず、従って、アントシアニン・アルミニウムイオン・助色素からなる青色錯体分子が形成されないという結果である。アジサイの色変化は、遺伝子が決定する要因のほかに、環境が支配している要因が大きく影響していることが判る。

 さて、青色の花ということでは、もう一つ興味深い有名な研究がある。青いバラの開発である。

 バラには様々な色のものがあるが、青いバラは存在しない。サントリーの研究所では、このありえないことの代名詞ともなっていた青いバラの開発に挑戦し、成功した研究である。

 数年前、母校の博物館を訪問した時に、この青いバラの実物を見る機会があった。


佐治敬三さんの特別展に展示された、サントリーが開発した青いバラ(2019.11.13 撮影)

 この日は、卒業生の一人、サントリーの元社長である佐治敬三さんの特別展の開催中であり、その関係で博物館の入り口に展示されていたものであった。

 その、青いバラが自然には存在しない理由であるが、バラやカーネーション、キクの仲間にはデルフィニジンを合成する酵素遺伝子が無いために青色系統の花が咲かないと考えられている。

 そこで、サントリーの研究所では、遺伝子操作によりこのデルフィニジンを合成する酵素遺伝子を組込むことにし、パンジーから得た遺伝子を組み込む研究を行って、これを完成させた。

 ただ、青色の色素であるデルフィニジンの導入に成功し、「青いバラ」が誕生したといっても、写真で見る通り、まだ青紫に近い色にとどまっている。アジサイの例でみたように、花の色は色素とともに働くほかの成分の条件によっても左右されるためである。そのため、サントリーでは、より青色に近づける研究が現在も進められているという。

 ここで話をルリソウに戻す。ルリソウに含まれる色素については、通常の植物図鑑を調べても情報はない。ネット検索をしてみたが、今のところそれらしい情報は得られず、ヤマルリソウについて岡山理科大学・生物地球学部・生物地球学科のHPに次の記述がみられたのみである。

 「ヤマルリソウの花には青系の色素と紅系の色素があるのであろう、株によってコバルト色に見えるものから桃色に、あるいはほぼ白色のものがある。株によって色は決まっているようで、遺伝的なものであろう。・・・」

 ここでは、遺伝的に2種類の色素があるのではとの推測をしている。これは、色素アントシアニンの種類として、デルフィニジンを含むものと、たとえばシアニジンを含むものがあるということだろうか、それともデルフィニジンだけを含むが、金属イオンや助色素までを含み、遺伝的に制御されているということだろうか、詳しい説明はない。

 ただ、ここでは株による花色の違いに注目しているが、つぼみ状態から開花するにつれて色が変わるということには言及していない。

 よく似た例の一つにソライロアサガオがあり、その仕組みが調べられている。ソライロアサガオはつぼみの時には赤紫色をしているが、花が開くに従って青い色に変化する。このときの花弁細胞のアントシアニンが存在している場所である液胞内のpHはつぼみの時が約6.6(弱酸性)で、花が開くにつれてpHが上昇し、完全に開花した状態では7.7(アルカリ性)になるが、このとき色素組成に変化はないので、液胞の中のpHの変化により色の変化がもたらされているものと考えられている。

 さて、ルリソウで起きている色変化はどのようなメカニズムによるのだろうか。

追記:ルリソウの種子ができ始めた。5弁の合弁花が咲いた後に、なぜか4個の種子が見える。

ルリソウの種子(2022.6.10 撮影)
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カタクリの里

2022-04-08 00:00:00 | 山野草
 毎年恒例になっているフキノトウ狩りに、群馬県吉井町にある妻の友人Mさんの畑に出かけた。

 現地に着いてみると、今年はフキノトウがすでに成長していて花が咲いているものが多く、例年に比べると「食べごろ」のものは少なかったが、それでも二人暮らしの我が家には充分な量を収穫できた。

花が咲き、モンキチョウが吸蜜にきているフキノトウ(2022.3.30 撮影)

 いつもの事だが、フキノトウを収穫した後、持ち寄った昼食をMご夫妻とご一緒してお土産に別途、カキナ、分葱、白菜などもいただいて帰路についた。

 今回は、Mさんから、近くにある「小串カタクリの里」でカタクリの花が見ごろを迎えていると教えていただいた。TVのニュースで報じられていたので、途中立ち寄ってはどうかとのことである。

 朝、畑に来る途中、近くの農家の庭先にある大きな枝垂れ桜が満開になっているのを見ていたので、帰りには以前から聞いていた別のサクラの名所を見て帰ろうかと妻と相談していたのであったが、そのサクラはまだ少し早いとのアドバイスもあり、カタクリ見物に方針変更をして車を走らせた。





吉井町の農家の庭先で見事な花を咲かせる枝垂桜(2022.3.30 撮影)

 「小串カタクリの里」はMさんの畑から車で5-6分と近くにあったが、これまでその存在については知らなかった。

 現地近くまで行くと、駐車場がありすでに多くの車が停まっていた。案内係の男性も数名いて、スムーズに駐車スペースを見つけることができた。駐車場のすぐ南側が斜面になっていて、車を降りて歩き始めると早速その斜面に咲くたくさんのカタクリの花が目に飛び込んできた。



小串カタクリの里に咲くカタクリの花(2022.3.30 撮影)

 思っていたよりもはるかに多くの株がちょうど見ごろを迎えていて圧巻である。遊歩道も整備されていて、多くの客がカタクリの花を楽しみながら歩いていく。我々も写真を撮りながら、その流れに加わった。

 歩き始めてすぐに、誰かが白花があると話している声が耳に入り、その方向を見ると、真っ白なカタクリが1輪ピンクの花に混じっているのが見えた。案内係の男性に聞くと、他にもすぐそばに3輪咲いていて、全山では10株ほどの白花があるとのことであった。

カタクリの白花(2022.3.30 撮影)


カタクリの白花(2022.3.30 撮影)

 これまで、カタクリの花を見たいと思い、季節になると軽井沢からは我妻渓谷に、三次に赴任していた時は三良坂町方面に、上越時代には春日山や新井地区(現在は妙高市)の斐太史跡公園に、また神奈川県に住んでいた頃は津久井から高尾山方面に出かけたりといろんな場所にでかけてきたが、今回の「小串カタクリの里」ではこれまで出かけた中でも一番と思える規模で咲いていて、しばし、写真撮影を楽しむことができた。















 

小串カタクリ園のカタクリの花(12022.3.30 撮影)

 いったい、どれほどの数のカタクリが生育しているのかと思い、帰宅後調べたところ、群生地は2.3ヘクタールあり、3月中旬から約5万株のカタクリが開花するという。今年は3月20日ごろに咲き始め、28日ごろには満開になるとのことであり、いい時期に行き会ったことになる。

 この場所にはもともとカタクリが群生していたが、盗掘被害に遭っていた。「カタクリを守ろう」と声を上げたのは地元の小学生らで、子どもの熱意に地権者と行政が目を向け、1997年から整備を始め、現在は観察小屋や観察路からカタクリの花を楽しめるようになっているのだという。

 実際、園内には案内板のほかに地元「いりの小学校」の生徒が作った看板が何枚も設置されていた。次の案内板には、実生からカタクリの花が咲くまでには9年もかかることが示されている。


小串カタクリの里に設置されている案内板(2022.3.30 撮影)


地元の小学生が作った看板(2022.3.30 撮撮影)

 こうして、今回のフキノトウ狩りは思いがけず春を満喫できるものとなったが、やはり花より団子、帰宅してすぐに私はフキミソを、妻はフキノトウのてんぷらをつくり、春を味わったのでした。

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ギンリョウソウ(2)

2021-08-06 00:00:00 | 山野草
 梅雨も終盤にさしかかっていた頃のことになるが、雨をたっぷりと吸った雲場池周辺の別荘の庭にはさまざまなキノコが生えていた。

 例年に比べると時期がだいぶ早いように感じるが、これまでにも紹介したことのある、テングタケやタマゴタケもちらほらみられる。

 そうしたキノコを眺めながら歩いていて、ギンリョウソウの真っ白な姿を苔の中に見つけた。昨年この周辺の散歩を始めたときには気がつかなかったのであるが、一度見つけると結構続いて見つかるもので、私の散歩コースの中にも五・六ケ所はある。決して多いとは言えないが、かといって、それほど珍しいわけでもなさそうである。


雲場池周辺のギンリョウソウ 1/11(2021.7.10 撮影)


雲場池周辺のギンリョウソウ 2/11(2021.7.14 撮影)


雲場池周辺のギンリョウソウ 3/11(2021.7.14 撮影)


雲場池周辺のギンリョウソウ 4/11(2021.7.13 撮影)


雲場池周辺のギンリョウソウ 5/11(2021.7.13 撮影)


雲場池周辺のギンリョウソウ 6/11(2021.7.13 撮影)


雲場池周辺のギンリョウソウ 7/11(2021.7.17 撮影)


雲場池周辺のギンリョウソウ 8/11(2021.7.13 撮影)


雲場池周辺のギンリョウソウ 9/11(2021.7.17 撮影)


雲場池周辺のギンリョウソウ 10/11(2021.7.13 撮影)


雲場池周辺のギンリョウソウ 11/11(2021.7.13 撮影)

 同一個体を日を追って撮影したものがあるが、雌蕊が成長しているのが判る。上から7月14日、17日、20日の撮影である。



同一個体の変化(上から2021年7月14日、17日、20日 撮影)

 よく似たアキノギンリョウソウ(ギンリョウソウモドキ)が咲いているのを、南軽井沢の山荘の庭の斜面に見つけて、このブログで紹介したのは、2018年10月のことであった。このアキノギンリョウソウの花はその後も毎年同じ場所に咲き続けている。
 
 当時はまだアキノギンリョウソウとギンリョウソウの区別もついていなかったのであるが、前回このブログで紹介したとき、すぐに大学時代の同級生Nさんからメールが来て、森村誠一氏の小説「花の骸(むくろ)」にギンリョウソウのことが書かれていると教えていただいた。
 
「花の骸」(森村誠一著 2000年、角川春樹事務所発行)の表紙カバー

 当時、早速その本を入手して読んだのであったが、小説の舞台は、東京に始まり、続いて、青森県から長野県の上田市真田町、北軽井沢の群馬県嬬恋村にまたがって展開されていて身近であった。

 また、森村誠一氏の小説らしく、1970年代の田中内閣の「日本列島改造論」当時の日本の状況を告発する内容が含まれ、北軽井沢の別荘地開発が小説の舞台装置として登場していた。

 今回、ギンリョウソウに出会い、改めてこの本を読み直してみたが、その中で「ギンリョウソウ」がどのようにとり扱われているか、そしてそれはギンリョウソウの実態に即した内容になっているのかをみておこうと思う。

 「花の骸」ではギンリョウソウを分類上「腐生植物」として取り扱っている。小説が書かれた当時の分類ではもちろんそのようになっていたのである。  
 また、現在でも例えばウィキペディアで「ギンリョウソウ」を見ると、やはり腐生植物の代表と書かれている(最終更新 2021年6月23日 (水) 14:46 )。

 詳しい説明を見ると、「森林の林床に生え、周囲の樹木と外菌根を形成して共生する菌類とモノトロポイド菌根を形成し、そこから栄養を得て生活する。つまり、直接的には菌類に寄生し、間接的には菌類と共生する樹木が光合成により作り出している有機物を、菌経由で得て生活している。古くは周囲の腐葉土から栄養を得ていると思われていて、そのように書いてある著作も多いが、腐葉土から有機物を得る能力はない。」と続いている。

 一方、ウィキペディアでこの「腐生植物」を見てみると、同様の説明の後に、次のような文章が続く。

 「その実際の生活様式はむしろ菌類への寄生であり、最近はその実態をより正確に示すものとして菌従属栄養植物という名が提案されている。」

 ここに、「菌従属栄養植物」という語が新たに登場したが、今はこの用語がギンリョウソウなどを示す語として使われるように、変わってきているという。次のようである。

 「『菌従属栄養植物』とは、かつて『腐生植物』と呼ばれていたタイプの植物のことです。古い本にはまだその言葉が残っていますが、これらの植物への理解が進むにつれてその言葉は不適切であることが明らかになり、今では『菌従属栄養植物』と呼ばれるようになりました。
 なお、まれに新しめの本でも専門外の方やサイエンスライターではない人が書いたものには(珍奇性を狙ってわざと?)この言葉が使われていることがあります。・・・海外の文献ではもはや「腐生植物」を意味する"saprophyte" "saprophytic plant"という言葉を目にすることもありません。」
 
 生態が明らかになるにつれて、それを現すより正確な名前が用いられるようになってきたことがわかる。さて、名前はこれくらいにして、ギンリョウソウはどのような植物として「花の骸」で描かれていたのであろうか。 

 この小説では、はじめギンリョウソウは動物の死骸が埋まっている場所に生えるという説が示されていて、殺人事件が絡んだ物語が展開していく。ギンリョウソウの別名「ユウレイ茸」のイメージが使われている話である。しかし、その後動物の死体(そして人間の死体)との関係は否定されていく。物語は、ギンリョウソウに導かれるようにして展開し、事件は次第に解決に向かう。

 そして、小説らしく、最後に思いがけない結末が待っているという話である。

 小説の前段のあらすじは次のようなものである。

 青森県から東京に出稼ぎに来ていた、同郷の3人のうちの1人が、目黒区の路上で他殺体で発見された。

 彼らが働いていた、埼玉県所沢市の飯場に捜査に赴いた所轄の碑文谷警察署の太田刑事と警視庁から派遣された下田刑事の二人は、この飯場で「ギンリョウソウ」を見つけ、次のような会話が交わされる。

***********
 「ああ、ユウレイダケだな」太田が下田の視線の先を追って言った。
 「幽霊茸?」
 「正式にはギンリョウソウというんです。山地の湿っぽいところに咲くんですが、こんな所にも分布していたのかな」
 太田はちょっとそこに立ち停まって、花を観察した。
 「よくご存じですね」
 下田がびっくりした目を向けた。
 「植物が好きなんでね、停年退職したら、花屋にでもなろうかと考えています」
 太田はふと遠方を見るような眼をした。・・・

 「きれいな花ですね、しかしちょっと寂しい感じだ」
 「そうでしょう、だから別名ユウレイダケなんて言われるんです。木陰に一本だけ白い花がひょろひょろと咲いている。まるで幽霊が立っているようでしょう。この花はみかけはしおらしいが、腐生植物なんですよ」
 「ふせい植物?」
 下田は、また聞きなれない言葉が出てきたので面くらった。
 「動物の死体や排泄物を栄養にする植物のことです。ギンリョウソウは死物に寄生します」
 「すると、この花の下には、なにかの動物の死体があるのですか?」
 「必ずしも動物の死体とは限りません。枯れた植物も栄養にします。これも去年の落ち葉の中から咲いているでしょう」
 「死体を栄養にしているにしては、いやにひょろひょろしているな」
 「いや死体だから、元気がないんでしょう」
 彼らは、その時同時にギンリョウソウの花に、色艶の悪い労務者たちの顔を重ねていた。
**********

 このあと、被害者山根を含み青森から出稼ぎにきていた3人の身元が明らかになるが、刑事はそのうちの青田を見つけ出し、3人に何が起きていたのかを聞き出す。

 彼らは、東京文京区の高級住宅街に強盗を企てて押し入り、そこで殺人現場を目撃していた。

 山根が殺害されたのは、そのためと青田は説明し、もう一人の島村もまた行方が分からなくなっていると供述した。自らの身の危険を感じた青田は、郷里へ帰らずに身を隠していたのであった。

 このあと、話は、3人が強盗に入った高級住宅が実は売春宿として使われていたこと、また売春を斡旋している人物Kが、北軽井沢の嬬恋地区の別荘地の開発に関わるT企業がらみの汚職に関係していたことが明らかになっていく。

 山根の殺害事件と共に、これと関係があると思われる殺人事件に関係する人物を追って、太田、下田両刑事は上田市の真田にあるT社所有の施設「白雲山荘」を突き止める。ここには、高級住宅地で起きた殺人事件の容疑者と目される人物Tと、その愛人のMが隠れていた。

 二人に任意出頭を求めて、白雲山荘から出たとき、太田刑事はなにかを見つける。

**********
 「なにかありましたか?」
 下田刑事が、太田の視線の先を追った。
 「あの崖っ縁に咲いている白い花だがね」
 「ああ、なにか咲いていますね」
 「あれはギンリョウソウらしいな」
 「ギンリョウソウ?」
 下田はどこかで聞いた名だと思った。
 「忘れたかね、山根貞治ら出稼ぎ三人組の後を追って所沢の飯場へ行ったとき、咲いていた花だよ」
 「ああ、思い出しましたよ。たしか、腐敗植物とかいって、動植物の死体の上に咲く花でしょう」
 下田の瞼に、崖っ縁に咲いている花と、夏の盛りをおして、汗を拭き拭き聞き込みに行った飯場の裏手の草むらに、ひょろひょろと咲いた白い花が重なった。
 「腐生植物だよ。ギンリョウソウがこのあたりにも咲くのかなあ」
 「行って確かめてみましょう」
・・・花はちょうど庭のはずれの崖に面した北向きの斜面に咲いていた。
 「まちがいない。ギンリョウソウだよ」
・・・神川の水分をたっぷり吸ってじめじめした北面の斜面に数本のギンリョウソウは、ヒョロリとした茎の上にそれぞれ一弁ずつ白い花を咲かせていた。
 「花がみんな下を向いていますね」
 「これがギンリョウソウの特徴なんだ。いかにも太陽から顔を背けているようで、陰気な感じだね」
 「腐生植物は太陽が嫌いなんですか?」
 「これは人間の想像だがね、ギンリョウソウが栄養源にしている動植物の死体を見つめているような気がしないかね」
 「そういえば、そんな気がしないこともありません。いったいどんな死体が根元に・・・・・・」
  といいかけて、下田は何事かに気がついたらしく表情をひきしめた。
 「はは、下田君、この下に人間の死体があるだろうなんていうのは想像の飛躍だよ」
 太田が下田の想像の先を読んで笑った。
 「しかし太田さん、この山荘は、Kのものでしょう。・・・(高級住宅で殺された)死体の隠し場所としては格好じゃありませんか」
 下田は自分のおもいつきに興奮して、すぐにもギンリョウソウの下を掘りたそうにしていた。
 「なかなかおもしろい着想だけど、やっぱり飛躍だよ」
 「どうして飛躍なんですか」
 「これは私の説明不足のせいもあったが、ギンリョウソウは動植物の死体を栄養にすると言ったけど、実際は動物の上には咲かないんだよ」
 「しかし腐生植物なんでしょう」
 「腐生植物といっても、大きく分けると二種類あるんだ。つまり花の咲く顕花植物と、細菌で繁殖するキノコ、苔類だ。このうち、ギンリョウソウは前者の腐生植物に入る。腐生という所から総体的に動植物の死体を養分にすると言ったけど、植物だけ、動植物両方、動物のみを養分にする三種がある。ギンリョウソウは、この第一グループの植物オンリイなんだよ。」
 「すると、動物の死体の上には、絶対に咲かないのですか」
 「まず百パーセント咲かないと言っていいね。それというのは、動物の体内に含まれている硫黄とかリンなどの成分が、植物に有害になるんだ。基本的には動物の身体が顕花植物系の腐生植物にとっても養分たり得るんだが、有害物質が多すぎると、取り付けなくなるんだ。まあ苔やキノコなら取り付くだろうがね」
 「それでは、こういう場合はどうでしょう。かりに動物体内の有害物質が何らかの原因、あるいはある種の環境においてまったくなくなってしまったとしたら、顕花植物でも動物の死体で育たないでしょうか」
 「まずそういうことはあり得ないだろうね。だいたい動物体内から植物にとって有害物質だけ抜け落ちるということはあり得ないだろうし、有害物質が完全に消失したときは、動物の身体がまったくなくなって土に還元しているだろうからね。」
 「やっぱりだめですか」
 「まあぼくも学者じゃないから、はっきり言い切れないが、一度権威に確かめてみよう」
 「でもずいぶんよく知っていますね」
 「なに、本の受け売りだ。さあ、あまり待たせてはみんなに悪い。行こうか」・・・
**********

 所沢で、最初にギンリョウソウを見かけたときには、動物の死体の上にも咲くとほのめかしていた太田であるが、この場面では動物については否定する説明をしている。

 このあと、犯行をめぐる二人の会話が続くが、再びギンリョウソウに話が戻ることになる。

**********
 「きみはその弱みをあれだとおもうのか」太田は、下田がギンリョウソウの養分に執着したことをおもいだした。
 「そうです。Rの死体があの山荘のどこかにあるんじゃないでしょうか」
 「ちょっと待ってくれ。Rを殺した疑いの最も強い人間は、今のところTなんだ。そんなことをすれば、自分の頸を絞めるようなもんじゃないか」
 「私がギンリョウソウの下に死体があると考えたとき、太田さんは想像の飛躍だと笑いましたね。たしかにギンリョウソウが想像を飛躍させてくれたのです。Tはまさかわれわれがそんな飛躍をするとはおもわなかったでしょう。が、もし死体が本当に山荘に隠してあれば、そこへTがMを拉致して逃げ込んだことに、Kらは震え上がったでしょう。K一味にとっては、そこへ警察の目が向くだけでもまずい。・・・」
**********

 こうして、下田の意見が受け入れられ、捜査令状がおりて、東京から駆けつけた数人の本部メンバー、上田署からS警部補と二名の駐在所巡査が太田、下田両刑事に加わり、山荘と周辺の捜査が行われるが、死体は見つからない。

**********
 「こりゃあ、やはり見込みちがいだな」と捜査班の中の消極派。
 「太田さん、どうもギンリョウソウが気になりますね」
 下田は崖っ縁に咲いている白い花の方へ目を向けた。まだそこは捜索されていないというより初めから捜す対象に入っていなかった。ギンリョウソウが咲いているということは、その下に死体がない科学的な証拠であった。
 「まだ、ギンリョウソウにこだわっているのかね。あの花の下には、いや死体の上にあの花は咲けないんだ。だいいちあんな崖っ縁に、死体は埋められないよ」
 「いま地元の消防の人に聞いたのですが、ギンリョウソウが咲いたのは今年が初めてだというんです。去年以前、あんな花が咲いていたのを見たことがないそうです」 
 「今年が初めて・・・・?」
 太田は、下田の示唆する言葉の底にある含みを探ろうとした。
 「つまり、きみはギンリョウソウが咲いたことを、Rと関係があるというのかね」
 「Rじゃありません。山根貞治ですよ」
 「山根貞治!」
 「そうです。山根がいた所沢にはギンリョウソウが咲いていました。彼らが飯場を去った五月の末にも咲いていたかもしれません。出稼ぎ三人組は、郷里へ帰るべく上野まで来たが、国鉄ストに阻まれて金を費(つか)い使い果たし、都内をうろうろしているところ、Yの家で殺人を目撃したのです。そのとき三人組の身体にギンリョウソウの種が付いていたとは考えられませんか」
 「すると君は、三人組によって運ばれてきたかもしれないギンリョウソウの種子が、Yの家にこぼれ落ちて、それがさらにRか犯人の身体に付いて、ここまでもってこられたというのかね」
 太田は下田の突飛な想像におどろいた声をだした。
 「可能性のないことではないでしょう」
 「まあ、理屈の上では、可能性があるが、実際にそんなことがあるだろうかね」
 「しかし、この辺にギンリョウソウは去年は咲いていなかったというじゃありませんか」
 「それはなんとも言えないよ。植物学の権威が確かめたわけじゃないんだからね。もともとギンリョウソウは陰気な人目に付きにくい所へ咲く花なんだ。本当は咲いていたのが、見過ごされていたのかもしれない」
 「所沢の飯場のギンリョウソウと、ここに咲いている花を結びつけるのは、無理かもしれません。しかし橋はつながっています。三人組、Yの家、Rまたは犯人という形で。植物の種は、生命力が強いもので、運搬手段さえあれば、海でも越えて分布します。私はここに咲いているギンリョウソウを、所沢の飯場から運ばれてきたと解釈したいですね」
 「かりにそうだとしても、Rがここに隠されていることにはならないだろう。YとNはつながっているんだ。この山荘はNのものなんだぜ」
 「まあ、そりゃそうですが、私はこの花が、Rの死体がここにあることを教えているような気がしてならないのです」
 「しかし、もう探す所が残っていないよ」・・・
**********

 下田の直感はしかし当たっていた。山荘の前庭にある池の底に生えている苔が、人間の形をしていることに気がついたのである。池の底はコンクリートで塗りこめられていたが、掘り返してみるとそこに死体が見つかった。

 苔の”身許”は国立科学博物館植物研究部のM博士によって識別され、マルダイゴケ属のユリミゴケで、腐った動物の死骸や排泄物の上に密な塊となって現れるという。

 Rの死体を塗りこめた新しいセメントが、古い池底とうまく接合せず、その亀裂から養分を吸った苔が、彼女の体形を現したのである。

 こうして、直接ではないが、ギンリョウソウに導かれるようにして、高級住宅で起きた殺人事件の被害者女性Rは発見された。

**********
 「上田署からその報告を聞いた捜査本部では、苔がまったく別件の犠牲者の存在を教えた皮肉に憮然となった。」・・・

 「しかし、山荘に咲いていたギンリョウソウは、山根ら三人組を経由して運ばれていったような気がしてなりません」
 下田が未練げに言った。
 「ギンリョウソウをだれが運んでいったにしても、おれたちには関係ないよ」
 太田が憔悴した顔で言った。・・・
 「もし、島村太平が死んでいるとすれば、その近くにもギンリョウソウが咲いているかもしれませんね」
 「島村の近くに?」
 太田が不審を込めた目を上げた。
 「ええ、Rの近くのギンリョウソウも、三人組が所沢から運んでいったものなら、三人組の一人の島村にも当然種がついていたでしょう」
 「ずいぶんギンリョウソウにこだわるじゃないか」
 「地面の方を向いたあの花がなにかを訴えているような気がしましてね」
 「いったい島村太平は、どこへ行っちまったんだろうなあ」
 「島村はどこかで生きていないでしょうか」
 下田がふとおもいついたように言った。・・・
**********

 実際、島村は生きていた。被害者山根の妻の動きを探っていた二人の刑事は、東京の杉並区の路上で山根の妻がタクシーを降りたことを突き止めた。

**********
 「あそこを見てください」
 下田は川岸に建っている平面が三角になっている木造のアパートらしい建物の方を指さした。
 「あの”三角アパート”がどうかしたかね」 
 「あの建物の根本ですよ、そう、川に面した。花が咲いているでしょう。あれ、ギンリョウソウじゃありませんか」
 「なんだって!」
 あまり気がなさそうに下田の指の先を追っていた太田が目を剥いた。たしかに彼の指の延長線上に白い花が何弁か開いている。
 「行ってみよう」
 「まちがいない、ギンリョウソウだ。よくわかったね」
 「もう何回か見ていますからね。しかしこんな所にもギンリョウソウが咲くんですか」
 「咲いてもおかしくはないさ。分布圏内に入っているんだから」
 「しかし気になりますね」
 「いちおうこのアパートを当たってみよう」
**********

 このアパートの一室に、山根の妻と島村はいた。こうしてふたたびギンリョウソウに導かれて、捜査は進展し解決に結びついていった。

 太田がほのめかしたギンリョウソウが動物の死体の上に咲くという説は、途中から完全に否定されるようになった。しかしその種子が事件の関係者である3人の出稼ぎ労働者によって運ばれ、ギンリョウソウを手掛かりにして、高級住宅で起きた殺人事件の被害者女性Rの発見や、さらに青森に帰らず、都内に身を潜めていた3人のうちの一人の島村の発見につながった可能性はあった。山根殺害の犯人も明らかとなり、事件は解決した。

 次は二人の刑事の会話である。
 
**********
 捜査本部で張られたささやかな打ち上げ式の席上で、下田は太田にたずねた。
 「島村のアパートのそばに咲いていたギンリョウソウは、彼が所沢の飯場から運んでいったものでしょうか」
 「そうかもしれないし、そうでないかもしれないね」
 太田は、コップ酒の酔いで頬をうすく染めて言った。明日からは下田は本庁へ帰って他の事件に投入される。太田ももう齢である。また管轄内に事件が起きて、下田とコンビを組むことはあるまい。太田は・・・多分に感傷的になっていた。
 「それじゃあ可能性はあるわけですね」
 下田は、空になったコップに新しい酒を酌ぎながら言った。
 「専門家から聞いた話なんだがね、ギンリョウソウの種がなにかの媒体について運ばれる確率は十パーセントぐらいなんだそうだ。ギンリョウソウの種は土の表面ではなく、枯れ草の中に埋まっているので、鳥やモグラやネズミは媒体として弱いそうだ。またこれらの動物によって運ばれたとしても距離は知れている」
 「風によって運ばれることはありませんか」
 「いまも言ったようにギンリョウソウの種は土中にあるので、風で飛ばされるとしても木が倒れるくらいの強風、それも竜巻のような風でないと無理だそうだ。まあ媒体としては自然現象では雨だな」
 「雨?」
 「うん。集中豪雨などで高地から低地へ土砂もろとも流される。これは大いに可能性がある。しかしなんといっても、広範囲に、遠距離に移動させる媒体は、人間だよ。ズボンの裾やスコップ、鍬、鋤の道具類、車の幌などに付着して運ばれる可能性はきわめて高い」
 「島村のアパートの窓には、住人の洗濯物が干してありましたね、あの窓の下にギンリョウソウが咲いていた」
 「島村のズボンから窓下に種がこぼれ落ちて花を咲かせたかな。たとえ一粒でも、環境がよければ群落をつくることだってあるよ」
 「しかし、所沢の飯場を出てから、かなりあちこち転々としたんでしょう。その間、島村の身体に種がずっとくっついていたんでしょうか」
 「だからあのギンリョウソウは、最初からあそこに咲いていたのかもしれないと言っただろう」
 「どちらにしても、ギンリョウソウが隠れ家を教えてくれたというのは皮肉ですね」
 「皮肉というより可哀そうな気もするね」
 「太田さんは優しいですからね」
・・・
**********

 ギンリョウソウの暗いイメージはこうして払拭されたかのように見えたが、最後に太田刑事とギンリョウソウについての、大きなどんでん返しが用意されていた。

 太田は事件解決後数日の休暇を取り、郷里の南信濃の山間の小さな村へと旅に出た。・・・
 太田には過去の一時期にポッカリ空いた記憶の空洞があったが、この旅によってそれが埋まるかもしれないという思いがあった。
 彼の生家はまだ残されていた。・・・屋根板は腐り落ち、壁は崩れ、床は抜け、辛うじて家らしい骨格が残っているだけである。・・・

**********
 この家で太田は母一人子一人の寂しい生活を送った。父の姿は霧の中に隠されている。父は、どこへ行ったのか? 太田の物心つくころから父の姿はない。・・・

 家は山裾のじめじめした低地にあった。・・・
 太田はふと母の声を聞いたような気がした。幻聴であった。・・・

 「そこから奥へ行ってはいけないよ」
 また母の声がした。・・・

 彼は、母の制止に背いて林の奥へ歩み入った。突然、彼は見おぼえのある花の群落の中に立っていた。
 「ギンリョウソウ!」
 山根事件の捜査の道程に終始咲いていたギンリョウソウの花が、いま太田の周辺に大群落となって咲きむらがっている。・・・・・・・

 翌年の夏、嬬恋村別荘分譲地にギンリョウソウの大群落が現れたというニュースが報じられた。
**********(引用完)

 果たしてギンリョウソウが動物の死体の上に咲くことがあると著者は考えているのだろうか。「花の骸」では、専門家の意見としてそれを完全に否定して見せている。

 しかし、最後に思いがけない展開になるのはどうしたことか・・・。改めて、冒頭のギンリョウソウの写真を見ていただき、想像を膨らませてみるのはどうだろうか。


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フクジュソウ

2021-03-05 00:00:00 | 山野草
 フクジュソウが庭で咲き始めた。朝日を受けると開花し、日中は開き続け、夕方にはしぼむが、また翌朝には開花するといった具合にこのところ繰り返し咲き続けている。

 この株は、数年前に群馬県在住の妻の友人Mさんの畑にあったものを分けていただき、玄関先に植えているもので、他の植物が冬枯れ状態の中、毎年真っ先に咲いて、春が近いことを教えてくれる。近くにはスノードロップも植えているが、先を競うように咲き始めた。


庭に咲き始めたフクジュソウの花(2021.2.22  撮影)

 朝、開花する様子をタイムラプスで撮影してみた。この日は朝方曇っていたが、次第に日が差してくるのに合わせ、10時頃から開花し始め、約25分ほどでほぼ完全に開いた。撮影は11時ころまで行い、編集している。

 
フクジュソウの開花(2021.2.23, 10:05-11:02 30倍タイムラプスで撮影後編集)

 我が家ではこうして地植えにしているが、フクジュソウといえば正月の飾り物として鉢植えにしたものが売られている。年末には店頭に並ぶので、早く咲くように特別に栽培されているのであろう。

 手元の「野草のたのしみ」(八代田貫一郎著 1974年 朝日新聞社発行)を見ると次のような記述に出会う。

 「フクジュソウは旧正月には自然に花を開くが、新正月には人工で促成しなければ開花しない。自然では一月末から二月にかけて、地上すれすれに花を開く。そして日中開き、夕方しぼみながらだんだん茎を伸ばし、葉を出し、つぎつぎと花を開いて背が高くなってニンジンのような葉を茂らせる。
 五、六月になると葉は黄変して枯れてしまい、株は休眠に入る。夏中は眠っていて、九月に入ると地中の芽は太りはじめ、十一月には地上に太い花芽を出してくる。庭で早く咲かそうと、土を除いて早く芽を露出さす人があるが、それほど効果がない。自然に蕾がふくらんでくるのを待つ方が望ましい。」

 このフクジュソウは元禄時代にすでにいろいろな品種ができていて、江戸末期にはさらにたくさんの品種が栽培されていたようで、文久二年(1862年)に出版された「本草要正」には126品種記載しているという。

 我が家のフクジュソウは、野生のものと近いようで、八重の大輪でおそらく「福寿海」という種であろうと思う。何も特別な世話をしていないが、丈夫で毎年咲いてくれる。

 もうひとつ、フクジュソウのことを書いた本が手元にある。「花の百名山」(田中澄江著、1981年文藝春秋発行)であるが、この本の一番最初に紹介されているのが、高尾山=フクジュソウである。

 田中澄江氏が第一番に高尾山を選んだのは、東京から最も身近に行くことができる山であるからかと思うが、もうひとつ、彼女の思い出の中にあるフクジュソウについて書きたかったからなのかもしれない。

 彼女の父は彼女が小学校一年の夏に四十歳で亡くなっているが、その父の思い出もこのフクジュソウに重なっているようである。著書から一部引用すると次のようである。

 「子供の頃、私の家の庭に、父が高尾山で採って来たというフクジュソウの数株があった。
 町中にしては広い屋敷で、庭には築山があり、泉水が作られ、築山の石組みの下には、フクジュソウが、いち早く毎年の春を知らせた。・・・
 あれは、いつの春であったろうか。私が女ばかりの山の会をつくってからの高尾山ゆきだから、ほんの十年前である。山歩きに馴れないひとびとのために、高尾山を登って、南浅川に下る道をえらんだ。・・・
 小仏峠で、早く帰りたいひとは相模湖に、ゆっくりできるひとは南浅川への谷を下ることに決めると、主婦の多い集まりなので、ほとんどが西側の短い距離を下ってゆき、私をふくめてほんの四、五人が北側の道をとった。・・・
 ところどころにキブシの花も、固い蕾なりに春らしい粧いをこらしている。私はいつかひとびとよりおくれて山道を歩いていった。高尾山などと一口に軽く見て、あまりにも低く、あまりにも開けているのを非難するひとが多いけれど、この春のさかりを前にした谷の美しさはどうか。
 木々は皆、飛翔する前の若い鳥のように、息をひそめて張りつめた力を凝縮させている。この山気にふれ得ただけでも、今日の山歩きはよかった。
 全身から湧きたつよろこびに、小走りに走り下りようとして、はっと息をつめた。一瞬にして金いろのものが足許を走り去るように思った。
 フクジュソウが咲いていた。杉の根元の、小笹の中に一本だけ、たしかに野生の形の、売られているのよりは背も高く、黄も鮮やかな花を一つつけていた。その後石灰岩地帯を好むフクジュソウは、かつて多摩川の所々にもよく咲いていたことを知った。私の見つけたのは、残存の一株であったのだろう。
 何故、高尾山に、こうもしばしばくりかえしやって来たのだろうか。
 フクジュソウはたしかに高尾山に咲いていると父が教えてくれるために、おのずから私の足が向くように誘ってくれたのではないだろうか。
 父は四十歳で死んだが、生きていたら、もっとたくさんの山に登ったことであろう。
 父の願いが、私をこのように山に駆りたてるのかもしれない。父がもっと生きてもっと見たかった山の花々を、私は父の眼で見るために、こんなにも山にあこがれつづけているのかもしれないと、そのとき思った。父は栽培種の花よりも野の花、山の花が好きであったという。・・・」

 この本に書かれているように、フクジュソウは石灰岩地帯を好むとされる。軽井沢と隣接する群馬県の下仁田町にはこのフクジュソウが見られる「虻田福寿草の里」があることをかねて知っていたので、これを機に出かけてきた。

 軽井沢からは県道43号線で南下、国道254を下仁田方面に走ると案内板が出ているので迷うことはない。案内板には関東一という言葉が見られる。

虻田福寿草の里の案内板(2021.3.3 撮影)

 コロナ禍の中、例年行われている福寿草まつりは中止されていたが、無人営業されていて見学はできた。入り口近くに座っている案内係の老人に聞くと、今年は雨不足のために、全体に花は少ないとのことであったが、広い斜面の梅林の下にフクジュソウがたくさん咲いていた。ただ、時期が少し遅かったためか、花茎が伸びて長くなっているものが多く見られた。

虻田福寿草園の受付所(2021.3.3 撮影)

虻田福寿草園内の斜面に咲くフクジュソウ(2021.3.3 撮影)

虻田福寿草園内の梅林の下に咲くフクジュソウ(2021.3.3 撮影)

虻田福寿草園内のフクジュソウ(2021.3.3 撮影)

虻田福寿草園内の紅梅(2021.3.3 撮影)

虻田福寿草園内の白梅(2021.3.3 撮影)

虻田福寿草園内の蝋梅の蕾(2021.3.3 撮影)

 軽井沢に自生地があるという話は聞かない。火山性土壌の当地はアルカリ性の石灰岩地とは逆の酸性土壌だからだろうか。2年ほど前、軽井沢から佐久方面に出かけた時に、偶然道路わきにフクジュソウを見たことがあった。

 そのことを思い出して、今回出かけてみた。以前と同じ場所にフクジュソウは咲いていて、気のせいか株数が増えているように感じた。近隣の人たちに大切にされているからだろうか。

 自宅庭のものに比べると花びらの数が少なく、より野性味を感じるが、場所が道路脇でもあり、本当の野生種かどうかは定かではない。この時撮影した写真は次のようである。


雑木林の下に咲くフクジュソウ 1/7(2021.3.1 撮影)


雑木林の下に咲くフクジュソウ 2/7(2021.3.1 撮影)


雑木林の下に咲くフクジュソウ 3/7(2021.3.1 撮影)


雑木林の下に咲くフクジュソウ 4/7(2021.3.1 撮影)


雑木林の下に咲くフクジュソウ 5/7(2021.3.1 撮影)


雑木林の下に咲くフクジュソウ 6/7(2021.3.1 撮影)


雑木林の下に咲くフクジュソウ 7/7(2021.3.1 撮影)
 
【追記 2021.3.9 】
 軽井沢周辺のフクジュソウ自生地を探したところ、佐久市の虚空蔵山に見られるとの情報を得て出かけてきた。

 場所は国道254号と建設中の中部横断道とが交差するあたりで、最近オープンした「道の駅ヘルシーテラス」からほど近いところである。

 先ず、この道の駅ヘルシーテラスに昼食のために立ち寄ったところ、建物脇に目指す虚空蔵山への案内板があった。ここを起点として、虚空蔵山へは3つのルートがあると示されていた。

「道の駅ヘルシーテラス」の建物脇に設置されている虚空蔵山の案内板(2021.3.8 撮影)

 この道の駅の駐車場に車を残して歩いて行けないことはないようだが、虚空蔵山直下の多福寺には駐車場があるとの事前情報を得ていたので、山歩きが目的ではない我々は、昼食を済ませて多福寺に車で移動した。

虚空山・多福寺(2021.3.8 撮影)

 多福寺に着いてみると、寺に上がる石段の脇にフクジュソウがたくさん咲いているのが目に入った。


多福寺の石段脇に咲くフクジュソウ(2021.3.8 撮影)

多福寺の石段脇に咲くフクジュソウ(2021.3.8 撮影)

 中には花弁数のとても多い個体が混じって見られる。

多福寺の石段脇に咲くフクジュソウ(2021.3.8 撮影)

 これで半分以上目的は達せられたようだが、せっかくここまで来たということもあり、しばらく撮影した後、山頂を目指すことにして歩き始めた。
 途中所々に置かれた石仏を見ながら坂道を登って行ったが、山道の脇には目指すフクジュソウの姿はなく、ようやく山頂に設置された展望台が見えたところで、斜面に数本のフクジュソウが咲いていた。


山頂脇の斜面に咲くフクジュソウ(2021.3.8 撮撮影)
 
 山頂は平たんに整備されていて立派な展望台が設置されている。この上に上ると、北に浅間山、西には近くの山並みの背後に天気が良ければ北アルプスが望める。


虚空蔵山頂上の展望台(2021.3.8 撮影)

今まで登って来た道とは反対側に複数本のフクジュソウが見られた。


虚空蔵山頂のフクジュソウ(2021.3.8 撮影)

 今回は、多福寺から山頂までのルートでは群落と呼べるものに出会うことができなかった。
 次のサイト
には2019年撮影のフクジュソウの群落の写真が紹介されているので、今回私が上った多福寺からのルート以外の場所にあるのだろうと思う。

 佐久市の公式ホームページとその中の佐久市観光協会のサイトにも「花の見どころカレンダー」というコーナーはあるが、フクジュソウに関する情報は見られないのは何か意図あってのことかもしれないが、残念なことである。

 尚、佐久市内山地区の園城寺境内にもフクジュソウが咲くと言われている。今回は行けなかったが、この地区は今年の大河ドラマの主人公「渋沢栄一」の「第二の故郷」として売り出し中の場所でもあり、近く訪ねて見たいと思っている。





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