軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

ガラスの話(4)中・東欧ガラス記-3/3

2017-12-29 00:00:00 | ガラス
 翌朝、ウィーンを出て、南東方向に228km離れた、今回の3番目の目的地であるブダペストにバスで向かった。出発時に高速道路脇にうっすらと積もっていた雪は、南下するにつれて次第に見えなくなり、周囲のなだらかな平原には風力発電機が多数現れて、しばらくの間続いた。


ウィーンからブダペストに向かう高速道路から見える多数の風力発電機(2017.12.6 撮影)

 3時間ほどで到着したブダペストの街はプラハと似通ったところがあり、ヨーロッパ第2の河川ドナウ川の両側に広がる街並みは「ドナウの真珠」と讃えられるというが、そのとおりで特に夜景はとても美しい。

 ドナウ川西岸のブダ地区は丘陵地が続き、古く静かな町並みが残っている。東岸のペスト地区は平坦地で、国会議事堂など文化的建物が立ち並んでいる。

 現地ガイドの案内で、まずドナウ川西岸の小高い丘、ゲレルトの丘(235m)に向かった。ここにはかつてハプスブルグ時代に刑務所があって、見せしめのために市街地から良く見える場所を選んだとされる。


ゲレルトの丘にある刑務所としても使われた、要塞ツィタデッラの横を通り過ぎる(2017.12.6 撮影)

 今はその逆で、この場所はブダペスト市内とドナウ川の雄大な流れを一望にできる絶景スポットして人気がある。


ゲレルトの丘からのペスト地区の街並み、中央は聖イシュトバーン大聖堂(2017.12.6 撮影)


ゲレルトの丘からの王宮とブダ地区の眺め(2017.12.6 撮影)

 この場所から正面に見える「くさり橋」は、ブダ地区とペスト地区を初めて結んだ、ドナウ川にかかる最古の橋として知られ、ブダペストのシンボル的な存在とされている。名前の由来は、夜ライトアップされると電球の光がくさりのように連なって見えることからきていて、橋がくさりで吊られているわけではない。


ドナウ川とブダ・ペストの市街地の眺望。くさり橋が見える(2017.12.6 撮影)


雄大なドナウ川の流れと、そこにかかるくさり橋。その後方に見えるのは、マルギット島とマルギット橋(2017.12.6 撮影)


ドナウ川のクルーズ船から見た夜のくさり橋、橋の名前の由来となった電球列が美しい(2017.12.6 撮影)

 さて、雄大な眺望を楽しんだ後、ブダ地区の標高167mの丘の上にある王宮に向かった。ここは歴代の国王の居城で、13世紀にブダペストの北西方向のエステルゴムからの遷都後に建築が始められ、15世紀のマーチャーシュ時代に王宮は黄金期を迎え、ゴシック様式からルネサンス様式に大改造された。その後約700年間のトルコ軍の侵攻や大戦による崩壊と再建を繰り返したというが、そのためにさまざまな様式に改築されている。

 現在見られるゴシックとバロック(ネオ・バロック)の折衷様式に改装されたのは18世紀のハプスブルグ帝国の時代という。そして第二次大戦後の1950年に現在の姿になり、今は美術館や博物館として公開されている。この王宮の眺めも夜の方が圧倒的に美しい。


ドナウ川のクルーズ船から見た王宮の夜景(2017.12.6 撮影)

 この丘の上には王宮のほかいくつかの観光スポットがあり、マーチャーシュ教会、漁夫の館、イシュトヴァーンの騎馬像などを順次見て回った。
 

マーチャーシュ教会(2017.12.6 撮影)

 13世紀後半に建立されたこの教会は、1479年にマーチャーシュ王により再建されたことから、マーチャーシュ教会と呼ばれている。この教会のステンドグラスは第二次大戦中、戦禍を避けて取り外され地下室に大切に保管されて、戦後再び現在のように取り付けられたという。そのステンドグラスの美しい様子は外からは見ることができなかったが、偶然、内部からの照明があたっているためか、夕陽がどこかに反射しているためか、一箇所明るく照らされて、きれいな色の見える場所があった。


マーチャーシュ教会のステンドグラスが一ヵ所だけ明るく見える(2017.12.6 撮影)


見えたのはキリスト像?(2017.12.6 撮影)


漁夫の館(2017.12.6 撮影)

 1896年に建国1000年を記念して建てられたこの白亜の砦である「漁夫の館」からは、ドナウ川対岸のペスト地区を一望にできる。一風変わったこの名称は、かつてここに魚市場と漁業組合があり、戦の時に漁師がここを守っていたことに由来するとされる。


聖イシュトヴァーン騎馬像(2017.12.6 撮影)

 建国の父とされる初代国王のイシュトヴァーン1世(970?-1038)は国内のキリスト教化を達成しているが、その功績により聖人に列せられ、騎馬像はその印としての2重十字架を持つ姿に造られている。

 見学の後、ブダ地区から普段は重量制限のため大型バスは通れないという「くさり橋」を何故か特別に通行して、ペスト地区のヴルシュマルティ広場で開かれているクリスマス・マーケットに向かった。

 このくさり橋のライトアップ用の電球の設置に日本が協力したということや、近く大改修が計画されているので通れなくなるといったことが理由となっての大サービスだったようだ。


バスでくさり橋を渡る(2017.12.6 撮影)

 ヨーロッパではこの時期どこもクリスマス・マーケットが立ち、観光客も加えて賑わいを見せているが、このブダペストでも同様であった。


クリスマス・マーケットに集まる人でにぎわうヴルシュマルティ広場の夜景(2017.12.6 撮影)

 今回はガラスショップを見ることが目的であったので、賑わいを離れて、優れたエングレーヴィング加工を施したガラス器を製造・販売している店「ヴァーガ・クリスタル」を訪問した。

 場所は、クリスマスマーケットが開かれている広場から数分のところにある。日本でも磁器で有名なヘレンドのショップが隣にある。


ヘレンドとヴァーガ・クリスタルのショップが並んでいる(2017.12.7 撮影)


ヴァーガ・クリスタルの直営店(2017.12.6 撮影)


ショーウィンドウを飾るガラス器(2017.12.6 撮影)

 店の入り口上部に示されているが、この工房の製品はハンガリー国内のほか、海外ではニューヨーク、ビヴァリー・ヒルズ、ロンドン、ドバイなど限られた場所で販売されているようである。

 事前の調査ではまだ日本での販売はないと思われたので、その点を質問すると思いがけない答えが女性店長から返ってきた。それは、日本にはいい印象を持っていないということであった。

 以前、日本のある会社と取引をしようということになり、工房の技術者など数名を派遣するなどして交流を深めたが、その後うまくいかなくなったため、日本とはそれ以来取引をしていないという。

 店内に陳列されている種々の素晴らしいガラス器をしばらく鑑賞してこの店を出た。

 次に向かったのは、ガイドブックにも紹介されているアイカ・クリスタルの店。この店は本の中で次のように紹介されている。

 「19世紀、バラトン北部のアイカ地方で誕生したガラス製品。ガラスの紫色カラー製法には世界で初めて成功した。同店では、古都ペーチで建築用のタイル文化をはぐくんだ、ジョルナイ陶器も扱う。濃紺の模様に金の装飾など、格調の高さが特徴。」とある。

 ここでいう紫色は希土類金属のネオジムの添加だろうか。デパートのガラスショップで見たことがあるのだが、ネオジムを添加したうす紫色のガラスは、宝石のアレキサンドライトのように照明光によりその色がうす紫から青に変化することで知られる。

 また、私が入社間もないころ、ガラス溶解を行う研究室で、ガラスレーザー用に製造されたネオジムガラスを見たことがある。やはり、美しいうす紫色をしていたことが思い出される。

 さて、店は間口に比して奥行きのずいぶん長い、京都などの町屋のようなつくりになっていて、非常に多くの商品が整然と陳列されている。しばらく見せていただいた後、カップ部分が金赤の被せガラスにカットを施した美しいワイングラスを一対お土産に購入することにした。


金赤を被せたカット装飾のあるワイングラス(2017.12.12 撮影)

 この金赤というのは、ガラスに金を添加することでピンク~赤に発色させたものであるが、添加する金の量は僅かでこのために価格が大幅に上がることはないようである。それよりも添加した金を最適な状態でコロイド化させる技術の難度が高いことが指摘されている。

 店に並んだ膨大な数の、形や色の異なるガラスの陳列に驚いていると、店長と思しき女性が、写真を撮っていきなさいと勧めてくれたので、妻が支払いをしている間、喜んで撮影にかかった。


青色や淡青色のガラス器が並ぶ店内(2017.12.6 撮影)


透明や緑色のガラス器が並ぶ店内(2017.12.6 撮影)


黄色や透明のガラス器が並ぶ店内(2017.12.6 撮影)


様々な色のガラス器が並ぶ店内(2017.12.6 撮影)


大型の花瓶類が並ぶ店内(2017.12.6 撮影)

 このアイカ・クリスタルを最後に今回の中・東欧のガラスを見る旅を終えることになった。

 日本に帰る前日の夕刻にはドナウ川に舟で出て、美しい夜景を楽しむことができた。先に示した王宮やくさり橋のほか対岸の国会議事堂の夜景もまたとても美しいものであった。


ドナウ川に沿って建つ国会議事堂の夜景1/2(2017.12.6 撮影)


ドナウ川に沿って建つ国会議事堂の夜景2/2(2017.12.6 撮影)

 ハンガリーは国土全域から温泉が噴出している温泉王国でもある。幸い宿泊したホテルでも温泉浴や温泉プールなどを利用できることが事前に判っていたので、水着を用意していった。今回の旅行の最後の思い出はこの温泉に入ったことであった。(中・東欧ガラス記 完)

 








 


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ガラスの話(3)中・東欧ガラス記-2/3

2017-12-22 00:00:00 | ガラス
 昼食後、チェスキー・クルムロフを出て、小雪が舞う中をバスで約220km離れたウィーンに向かった。日没の早いこの季節、ホテル到着時にはすでにあたりは暗くなっていたが、チェックインを済ませてすぐにクリスマス・マーケットが開かれている市庁舎公園に向かった。


ウィーンの市庁舎前の公園に設けられたクリスマス・マーケット1/6(2017.12.4 撮影)


ウィーンの市庁舎前の公園に設けられたクリスマス・マーケット2/6(2017.12.4 撮影)


ウィーンの市庁舎前の公園に設けられたクリスマス・マーケット3/6(2017.12.5 撮影)


ウィーンの市庁舎前の公園に設けられたクリスマス・マーケット4/6(2017.12.5 撮影)


ウィーンの市庁舎前の公園に設けられたクリスマス・マーケット5/6(2017.12.5 撮影)


ウィーンの市庁舎前の公園に設けられたクリスマス・マーケット6/6(2017.12.5 撮影)

 この場所には翌日の夕方と合わせて2回行くことになったが、食べ物や飲み物の屋台、さまざまなおみやげ用の小物を売る屋台で賑わっていて、その中には、ガラス器の店が1軒含まれていた。ここではエングレーヴィング加工を施したグラスなどを売っていた。

 同様のエングレーヴィング加工を施したガラス器を売る屋台は、翌日訪れたシェーンブルン宮殿の前の広場のクリスマス・マーケットの屋台にも1軒あったが、扱っている品物の出所は異なっているようで、加工技術に差が感じられた。


シェーンブルン宮殿前のガラス器を扱う屋台(2017.12.5 撮影)

 ウィーンでの最大の観光名所は、市街地の中央にある王宮(ホーフブルク)と市街地を少し離れた場所にあるシェーンブルン宮殿ということになるだろう。

 バスでまず向かったのは、マリア・テレジア・イエローに全体を彩られ、ヨーロッパでも有数のバロック建築といわれている、シェーンブルン宮殿の方。ここは、ウィーン中心部から約5km離れた場所で、ハプスブルグ家の夏の離宮。その名前の意味は「美しい泉」ということで、近くの森には澄んだ泉があったことから名付けられたという。

 1696年にレオポルド1世の命により設計・建設を開始し、途中財政難などで規模を縮小して完成した。その後、マリア・テレジアの時代に大改修が行われて、1749年に現在の姿が完成している。


正門側から見るシェーンブルン宮殿1/2(2017.12.5 撮影)


正門側から見るシェーンブルン宮殿2/2(2017.12.5 撮影) 
 
 冬季の今は、宮殿前の広場にはクリスマス・マーケットの屋台の準備がされ、宮殿裏側の大庭園では、来年の春に向けて造園の準備がされているところであった。


宮殿裏側の大庭園、遠方に見えるのは1757年、戦勝記念に建てられた記念碑「グロリエッテ」(2017.12.5 撮影)


戦勝記念碑「グロリエッテ」と庭園の彫像(2017.12.5 撮影)

 宮殿内には全部で1441室あり、その内40室が一般公開されている。今回はガイドの案内でさらにその一部を見学して回った。

 その内部の装飾や、絵画、調度品、暖房器具などはどれもが圧巻であったが、期待したディナールームでのガラス食器などの展示は見られなかった。


参考:ショップで購入したCDにあるディナールーム(ホーフブルク王宮のもの)の様子

 宮殿内部をガラスという視点で見て目立つのは、ボヘミアン・ガラス製のシャンデリアと大きな鏡ということになろうか。

 内部は撮影が禁止されていたので、実際の画像をここでお見せすることはできないが、シャンデリアはもちろん当時の物であろうと思う。一方、鏡の間などの壁を覆う巨大な鏡はというと、そのできばえはあまりに見事で、建設当時の技術でこれほど平坦なものはできないだろうから、おそらくは後年入れ替えられたものではないかと勝手に想像している。


参考:ショップで購入したCDからの鏡のある部屋(ホーフブルク王宮のもの)の様子

 その後市街地に戻り、国立歌劇場(オペラ座)の前からトラム(路面電車)に乗りもうひとつの見所の王宮(ホーフブルク)に向かった。13世紀後半から20世紀初頭までの645年もの長きにわたりヨーロッパを席巻したハプスブルグ家の居城である。


広場から見た新王宮正面、オイゲン公の騎馬像が見える(2017.12.5 撮影)

 こちらは内部を見る機会はなく、ナポレオンに初黒星をつけた偉大な英雄カール大公と、トルコ戦などで活躍したオイゲン公の騎馬像がある広い前庭から旧王宮の中庭を経てミヒャエル門に出た。この門の両側にはヘラクレス像の彫像が飾られ美しい。



前庭に設けられたカール大公の騎馬像、後ろ足で立ち上がる馬の姿は難度の高い技術が用いられているという(2017.12.5 撮影)


旧王宮中庭側から見たミヒャエル門(2017.12.5 撮影)


ミヒャエル広場側からのミヒャエル門(2017.12.5 撮影)

 また、このミヒャエル門の前方には、紀元前から500年にわたり続いたローマ帝国による支配時代の遺跡が発掘され、そのまま残されていて、この地がかつてはローマ帝国の一部であったことを思い起こさせる。


ミヒャエル門の前に残されているローマ帝国時代の遺跡(2017.12.5 撮影)

 ところで、オーストリアのガラス器といえば、やはりロブマイヤーを挙げなければならない。1823年にガラス細工職人であったヨーゼフ・ロブマイヤーが創設したクリスタルガラスの老舗であり、ウィーンに店舗を構え、ボヘミアのカリガラスを仕入れることからはじめている。1835年にはハプスブルグ家の紋章である「双頭の鷲」を彫刻したグラスなどを納める栄誉を得、皇室の御用達となった。

 このロブマイヤーの直営店が、高さ130mのウィーンのシンボルともいえるシュテファン寺院と国立歌劇場(オペラハウス)とを結ぶ長さ700mの大通りであるケルントナー通りにある。


ケルントナー通りの起点ともいえる一方の端にあるシュテファン寺院(2017.12.5 撮影)


ケルントナー通りのもう一方の端にある国立歌劇場(2017.12.5 撮影)


ケルントナー通りに面したロブマイヤーの直営店(2017.12.5 撮影)

 ここには各種グラス類からシャンデリアまでさまざまな高級なガラス器が揃っていて、1階の奥のコーナー部にはアンティークガラス器が展示されている。かつては1階が現行商品、2階がアンティークのミュージアムとなっていたようだが、今回訪問時にはアンティークコーナーがずいぶん小さくなっていた。

 このアンティークコーナーで1点、とてもかわいいそして珍しいグラスを見つけた。カップの部分が楕円形の緑色のウランガラス製、その他は無色透明なガラスでできているもので、カップと足の部分には非常に繊細なエングレーヴィングによる彫刻がある。


ロブマイヤーの直営店で見つけた1900年ころのアンティーク・グラス


同上拡大

 このウラングラスでできたカップ部分は、紫外光(ブラックライト)照射で緑色の蛍光を発する。ウランガラスはボヘミアで1830年ころに開発されたといわれており、その後フランス、アメリカ、日本などで作られていた。ウランの添加はもともとはガラスを黄色や緑色に着色させるために用いられたようであるが、太陽光下で蛍光色を発し、微妙に色合いが変化することから珍重されている。

 しかし、製品としては問題がないものの、製造工程では作業者の放射線被爆の問題が発覚し製造は一時中断されていた。最近、その人気から再び主にチェコやアメリカで生産が始まっているといわれていて、プラハのガラスショップでも新しい製品を見ることができた。


ブラックライト照射でカップ部分だけが緑色の蛍光を発する

 夜になっても賑わいをみせるケルントナー通りにはこのロブマイヤー店ほかスワロフスキーの店などもあり、もう少し時間がほしいところであった。(続く)


ケルントナー通りの夜景(2017.12.5 撮影)


ケルントナー通りにあるスワロフスキーの店(2017.12.5 撮影)



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ガラスの話(2)中・東欧ガラス記-1/3

2017-12-15 00:00:00 | ガラス
 前回、ガラスの話(1)として天然に産出するガラスのことをいくつか紹介したが、その一つモルダヴァイトは、主にチェコ共和国南部で見つかっている。

 そのチェコの首都プラハを中心に西部一帯はボヘミア地方と呼ばれ、この地方の各所でガラス製品の製造が盛んにおこなわれている。これらはボヘミアン・グラスとして世界的に知られる。ボヘミア地方のガラス工芸は12世紀ごろから始まったとされ、教会のステンドグラス作りに始まり、やがて13世紀の中ごろからガラス容器類の生産が始まっている。

 この地方でガラス製造が盛んになった要因は、北方のシレジア山系にガラスの主要原料である珪石(二酸化ケイ素)が産出したからといわれている。ガラスのもう一つの原料であるソーダ灰(炭酸ナトリウム)はこの地方には産出せず、ガラス製造では先輩格であるイタリア(ジェノヴァ)から輸入されていた。

 この輸入に頼っている状態では、安定した原料の確保が困難であったことから(ヴェネツィアの妨害があったとされる)、シレジア山系のもう一つの資源であるブナやカシなどの木材から得られる木灰(炭酸カリウム)を原料として使うことを発見し、この後この地方のガラスはヴェネツィアのソーダガラスに対してカリガラスになっていった。

 現在、食器などに使われるガラスはソーダガラス、カリガラス、そしてこれらの後に開発された鉛ガラスの3種がほとんどであるが、ボヘミア地方では今でもこのカリガラスにこだわった製造を続けているところがある。

 このボヘミア地方とその周辺の欧州ガラス器事情の一端を見てみたいと思い、チェコ、オーストリア、ハンガリー旅行を兼ねて訪問してきたので紹介させていただく。

 最初の訪問地はチェコ共和国の首都プラハ。羽田空港から出発し、ルフトハンザ航空便でミュンヘン経由、プラハに着いた。翌朝、さっそくバスでプラハ城に向かった。

 プラハ城はボヘミア王家の居城と宗教施設群がある一帯を指し、世界最大規模の城である。王宮の建物がぐるりと周りを取り囲む中を通り抜けることができるが、その中央部には高さ100mの尖塔を持ち、ひときわ目立つゴシック様式の聖ヴィード大聖堂がそびえる。


プラハ城内でもひときわ目立つ聖ヴィート大聖堂1/2(2017.12.3 撮影)


プラハ城内でもひときわ目立つ聖ヴィート大聖堂2/2(2017.12.3 撮影)

 城内の広場では、12月ということでクリスマス・マーケットが始まっていて、ホットワインが売られていた。気温3度という寒さの中、このホットワインは体が温まりとても美味しく、ありがたいものであった。

 いくつか並んでいる屋台の中には、ガラス製のクリスマス飾りを売っている店も見られた。


ホットワインなどを売る屋台が並ぶプラハ城内広場、後方は城内で2番目に古い聖イジー教会(2017.12.3 撮影)


クリスマスツリー用のガラス飾りを売る店(2017.12.3 撮影)

 城は高台にあり、東門から出たところからはプラハ市内やヴルタヴァ川の流れが見通せる。


プラハ城東門付近から望むプラハ市内の町並み(2017.12.3 撮影)


カレル橋からのヴルタヴァ川の流れ(2017.12.3 撮影)

 城内部を通り、東門を出てブドウ畑の横の坂道を通りぬけて、ヴルタヴァ川に架かる橋のひとつで、最古の歴史を持つカレル橋に向かう。全長520m、幅10mの橋の両側の欄干には30体の聖者や歴史上の人物の彫像が並んでいて、多くの観光客でにぎわっていた。

 橋の中央付近には、触ると幸せになれるということで、多くの観光客が台座部分を撫でるので、その部分がピカピカに輝いている聖ヤン・ネポムツキー像(1683年作)があり、この日も日本人観光客が身を乗り出して撫でていた。


台座部分がピカピカに光っている聖人・ヤン・ネポムツキー像(2017.12.3 撮影)

 また、彫像の中には、アジアにキリスト教を伝道し、我々日本人にはなじみのフランシスコ・ザビエルの像も含まれている。この像ではフランシスコ・ザビエルは中国人、黒人、インド人、タタール人に担がれている。


フランシスコ・ザビエル像(2017.12.3 撮影)

 カレル橋を渡り、ヴルタヴァ川東岸の旧市街地区中心部にある旧市街広場に向かうと、すでにクリスマス・マーケット目当ての観光客で賑わっていた。


旧市街広場のクリスマス・マーケットに集まる観光客、後方は聖ミクラーシュ教会(2017.12.3 撮影)

 ここには、ゴシック様式の旧市庁舎の建物があり、その壁面の大きな天文時計は毎正時に12使徒の人形が交互に現れるからくり時計になっていて、これを見ようと、その前には特に多くの人々が集まっていた。


旧市庁舎のからくり時計、後方はティーン教会(壁面は工事中;2017.12.3 撮影)

 この広場の時計の反対側には、ボヘミアン・グラスを扱う大きな店「ERPET BOHEMIA CRYSTAL」があって、多くの製品が展示販売されている。

 広い店内には、カットガラスでは過去最高のデザインとされる500PKのワイングラス、花瓶、皿などが多数展示されていて圧倒される。また、ボヘミアン・グラスの特徴であるエングレーヴィング(英語、フランス語ではグラヴュール)による装飾が施されたグラス、花瓶なども多数みられる。


500PKデザインのカットが施されたワイングラス(高さ14.5cm)


500PKデザインのカットが施された花瓶(高さ15.5cm)


500PKデザインのカットが施されたコンポート(直径33cm)

 日本製のガラス器ではカットガラスの「江戸きり子」や「薩摩きり子」が有名で、エングレーヴィングはあまりなじみの無いものであるが、このエングレーヴィングは銅製の丸い回転板に研磨粉をつけて、ガラス表面に微細な彫刻を施す技術で、ボヘミア地方で始まったとされている。

 ここでは、お土産用に妻の好みの馬の彫刻のある、高さが17㎝ほどの小型の花瓶を購入した。


エングレーヴィング法で馬が刻まれている花瓶(2017.12.12 撮影)


同上の部分拡大(同上)

 この広場から少し離れた通り沿いには、モーゼル社の直営店がある。モーゼル社はボヘミアン・グラスの代名詞ともいえる存在であり、1857年ドイツ国境に近いヨーロッパ有数の保養地カルロヴィ・ヴァリにガラス職人であったルードウィック・モーゼルがガラス装飾工房を創立したことに始まるとされる。

 エングレーヴィングを施した繊細で芸術性に富む作品は、カルロヴィ・ヴァリを訪れる裕福な貴族の関心を集め、ハプスブルグ帝国皇帝フランツ・ヨーゼフの宮廷御用達となり、続いてヨーロッパ各国の王侯貴族に愛用されていった。


モーゼル直営店(2017.12.3 撮影)

 この店の2階部分は製品の展示・販売所になっていて、まるで博物館のようなゆったりとした雰囲気の中、店内を見て回ることができる。写真撮影も自由にでき、素晴らしいガラス器の数々を堪能できた。


店内2階部分のガラス器の展示1/3(2017.12.3 撮影)


店内2階部分のガラス器の展示2/3(2017.12.3 撮影)


店内2階部分のガラス器の展示3/3(2017.12.3 撮影)

 翌日、バスでウィーンに向け出発し、途中1992年に世界遺産登録されている街、チェスキー・クルムロフに観光のために立ち寄った。

 この街はプラハを流れるヴルタヴァ川の上流に位置し、この川が大きくS字形に湾曲する場所にある。


チェスキー・クルムロフの案内板、S字型にヴルタヴァ川が湾曲しているのがよく分かる(2017.12.4 撮影)

 旧市街を見下ろす崖の上にあるチェスキー・クルムロフ城から眺める街の景色は、うっすらと雪で覆われていて、今までに見たことがない美しさで世界遺産登録も納得できるものであった。


うっすらと雪で覆われ、美しいチェスキー・クルムロフ城からの街の景色1/22017.12.4 撮影)

 この場所を、カメラのアートモードで撮影するとまるで絵画のようになる。


うっすらと雪で覆われ、美しいチェスキー・クルムロフ城からの街の景色2/2(2017.12.4 カメラのアートモードで撮影)

 城を通り抜け、旧市街に向かう坂道の両脇に土産物屋がずっと続いているところがあって、道路に面したショウウインドウには、モルダヴァイトを展示しているところが多く、この地方がモルダヴァイトの産地であることを思い出させてくれた。


店のショウウインドウに並べられたモルダヴァイト原石(2017.12.4 撮影)


店のショウウインドウに飾られたモルダヴァイトの加工品(2017.12.4 撮影)

 実は、昨日ここに来る前にすでにモルダヴァイトの原石をプラハで買い求めていた。あの、ガラス器を買った店で販売していたからであった。なぜか、プラハで買った値段の方が、産地に近いこのチェスキー・クルムロフよりも安かったのは意外であった。

 以前鉱物標本として買ったものに較べると今回購入したものはその特徴がよく表れていて、表面には特有の皴のような構造がはっきりと表れていた。反射光と透過光で見較べると次のようなものであった。


反射光で見たモルダヴァイトの原石(凸面;2017.12.12 撮影)


透過光で見たモルダヴァイトの原石(凸面から;2017.12.12 撮影)


反射光で見たモルダヴァイトの原石(凹面;2017.12.12 撮影)


モルダヴァイトの原石の側面(2107.12.12 撮影)

 この原石の形状は、およそ40mmx25mmx5mmの薄い板状で、球面の一部のように湾曲している。このガラス片の形状が、1500万年という遠い昔にどのようにして形成されたのか、そしてその後地中や水中にあって、どのようにして現在のような表面状態になってきたかという経緯をついついつい想像してみたくなるのであるが。(続く)


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庭にきた蝶(19)ミヤマカラスアゲハ

2017-12-08 00:00:00 | 
 先週に続き庭に来た蝶の話になるが、今回はミヤマカラスアゲハ。前翅長38~75mmと大きさには季節による差があり、小型の春型に比べ夏型は大型の蝶である。日本に産する蝶の中でもひときわ美しく、蝶の採集に明け暮れていた子供のころのあこがれの蝶であった。

 いつもの「原色日本蝶類図鑑」(保育社発行)でも「わが国に産するパピリオ属の中で最も優美な蝶の一つである」と讃えられている。年2回の発生で、幼虫はミカン科のキハダ、カラスザンショウ、暖地ではハマセンダンを食べ、蛹で越冬する。

 以前、2016年9月2日の本ブログでこのミヤマカラスアゲハのことを紹介したが、その時にはまだ我が家の庭のブッドレアには来ていなかった。軽井沢には比較的多く棲息しているとされており、蝶道があるためか、庭先を通り過ぎるそれらしい姿を時々見かけるのだが、すぐに通り過ぎてしまい、ブッドレアの花にはそれほど関心がないように見えていた。

 しかし、今年初めて庭のブッドレアで吸蜜しているところに出会った。7月には♀が、8月には♂がブッドレアでしばし吸蜜してから飛び去って行った。特にメスは比較的長時間ブッドレアの花にとどまっていたので、たくさんの写真を撮影することができた。

 ミヤマカラスアゲハとカラスアゲハはとてもよく似ていて、実際に出会い、目にする機会が少ない素人にはなかなか同定が難しいのだが、後翅裏の黄白色帯もはっきりと見え、この時もミヤマカラスアゲハであることが確認できた。


庭のブッドレアの花で吸蜜するミヤマカラスアゲハ♀(2017.7.28 撮影)


庭のブッドレアの花で吸蜜するミヤマカラスアゲハ♀(2017.7.28 撮影)


庭のブッドレアの花で吸蜜するミヤマカラスアゲハ♀(2017.7.28 撮影)


庭のブッドレアの花で吸蜜するミヤマカラスアゲハ♀(2017.7.28 撮影)


庭のブッドレアの花で吸蜜するミヤマカラスアゲハ♀(2017.7.28 撮影)


庭のブッドレアの花で吸蜜するミヤマカラスアゲハ♀(2017.7.28 撮影)


庭のブッドレアの花で吸蜜するミヤマカラスアゲハ♀(2017.7.28 撮影)

 この後、8月にブッドレアの花に吸蜜に訪れたミヤマカラスアゲハ♂は、かなり翅が傷んでいた。雌雄の判別は前翅表に現れる性標により容易に行える。この個体も後翅裏の黄白帯が見え、ミヤマカラスアゲハであることが確認できた。


庭のブッドレアの花で吸蜜するミヤマカラスアゲハ♂(2017.8.10 撮影)


庭のブッドレアの花で吸蜜するミヤマカラスアゲハ♂(2017.8.10 撮影)


庭のブッドレアの花で吸蜜するミヤマカラスアゲハ♂(2017.8.10 撮影)

 このミヤマカラスアゲハは、名前に「ミヤマ(深山)」とついているものの、食樹さえあれば平地や海岸沿いにも棲むとされる。棲息分布図(フィールドガイド日本のチョウ)を見ると、北海道、本州、四国、九州と広く分布しており、南限は屋久島とされるのであるが、面白いことに、類似種のカラスアゲハが上記全域に棲むのに対して、ミヤマカラスアゲハの方は、関東平野、濃尾平野、瀬戸内海沿いや四国東部は除かれている。

 前記の「原色日本蝶類図鑑」にはより詳しい棲息域についての記述があり次のように記されている。「・・・東京では高尾山に採集されるが、大阪では近郊の山地には産せず、京都の大悲山や奥吉野・大台ケ原などの高地に産する。…」。

 保全状況に関しては、植林などによる環境悪化により、個体数が激減しているとされる。カラスアゲハが都市公園でも確認されており、現在は良好に棲息しているとされているのとは大きい差がある。食樹に関する嗜好性が強いためであろうか。

 これまでも、このミヤマカラスアゲハのいい写真を庭で撮りたいものと思っていたが、いつもさっと通り過ぎていくところを見かけるだけで、なかなか吸蜜しているところに出会うことがなく、ようやく今年になって庭に来るようになったのだが、先に紹介したとおり翅がだいぶ傷んでいた。

 ところが、昨年夏に南軽井沢の別荘地近くでクサギの木を数本見つけてからというもの、花の咲いている時期にここに行けば必ず他のアゲハ類にまじってミヤマカラスアゲハが来ていることが判った。昨年と今年の夏にここで撮影した写真をいくつか紹介しておこう。


クサギの花に吸蜜に訪れるミヤマカラスアゲハ♂(2017.8.18 撮影)


クサギの花に吸蜜に訪れるミヤマカラスアゲハ♂(2017.8.18 撮影)


クサギの花に吸蜜に訪れるミヤマカラスアゲハ♂(2017.8.18 撮影)


クサギの花に吸蜜に訪れるミヤマカラスアゲハ♂(2017.8.18 撮影)


クサギの花に吸蜜に訪れるミヤマカラスアゲハ♂♀(2016.8.9 撮影)


クサギの花に吸蜜に訪れるミヤマカラスアゲハ♂(2016.8.9 撮影)


クサギの花に吸蜜に訪れるミヤマカラスアゲハ♀(2016.8.9 撮影)


クサギの花の周りを飛翔するミヤマカラスアゲハ♂(2016.8.9 撮影)

 このクサギの木のすぐ下に生えている野草の花の上で、吸蜜なのか、休息しているのか長い間じっと止まり続けているミヤマカラスアゲハの♂を見つけた。すぐ傍まで近寄っても飛び去る気配が無く、昼寝でもしているような様子であった。

 じっくりと撮影ができたが、撮影する角度により、翅表の構造色が微妙に青から緑色に変化する様子が見られる。


クサギの木のすぐ下に生えている野草の花に止まるミヤマカラスアゲハ♂(2017.8.9 撮影)


クサギの木のすぐ下に生えている野草の花に止まるミヤマカラスアゲハ♂(2017.8.9 撮影)


クサギの木のすぐ下に生えている野草の花に止まるミヤマカラスアゲハ♂(2017.8.9 撮影)


クサギの木のすぐ下に生えている野草の花に止まるミヤマカラスアゲハ♂(2017.8.9 撮影)

 このクサギの木が切られることなく、これからも撮影場所を提供していることを願いたいものである。


 
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庭にきた蝶(18)ミドリヒョウモン

2017-12-01 00:00:00 | 
 今回はミドリヒョウモン。前翅長31~40mmの中型の蝶。ヒョウモンチョウとしては大型ヒョウモン類に分類されている。軽井沢周辺でもツマグロヒョウモンよりも更によく目にする種であり、「長野県産チョウ類動態図鑑」(文一総合出版発行)によると長野県内では最も多い大型ヒョウモンとされている。

 本ブログではツマグロヒョウモンに次いで2回目のヒョウモンチョウの仲間の紹介になるが、我が家の庭に来たヒョウモン類はこの2種にとどまった。成虫は年1回の発生で、幼虫の食草はスミレ科のスミレ、タチツボスミレなど多くのスミレ類である。卵または1齢幼虫で越冬する。

 軽井沢周辺の山地では、このほかにメスグロヒョウモン、クモガタヒョウモン、ウラギンヒョウモン、オオウラギンスジヒョウモンなどを見かけることがあるが、これらはよく似ていて、なかなか同定が難しい。そんな中で、このミドリヒョウモンは、特異な裏面後翅の斑紋により容易に区別されるし、また♂の場合、前翅表の性標(発香鱗条)が4本はっきりと現れるので、これが見えれば手掛かりになる。

 先の「長野県産チョウ類動態図鑑」によると、ミドリヒョウモンの個体数は増加の傾向にあるという。その原因は、本種の産卵する環境が湿潤な、林冠がかなり閉鎖した森林であり、そうした環境が里山の森林化の進行により増加しているためとされている。

 ミドリヒョウモンのこの産卵行動に関しては次のような面白い記述がある。
 
 「・・・産卵習性は極めて粗雑で、卵は食草の生えている付近の他物(樹皮、露出した木の根、岩、地上の枯れ枝、建物の壁など)にでたらめに産みつけられ、産卵場所の付近にまったく食草のないこともめずらしくない・・・」(白水隆著:日本産蝶類標準図鑑、学研発行)。

 ずいぶんひどく書かれたものであるが、それでも個体数を増加させているのは何か秘訣のようなものがあるのだろうか。粗雑ながらもこれが旺盛な生活力につながるためか、古い本の記述には次のようなものがある。

 「・・・日本全土に饒産するが中国山脈には特に多く、7月中旬の伯耆大山はその中腹山路の草花上に幾百とも知れぬこの蝶の大群が乱舞する・・・」(江崎悌三校閲、横山光夫著:原色日本蝶類図鑑、保育社発行)。

 今もこうした光景に出会うことができるのであろうか。

 このミドリヒョウモンの行動に関しては、また次のような記述があった。

 「・・・♂は地上や崖で吸水することが多いほか、山小屋などに集まる習性がある・・・」(フィールドガイド日本のチョウ、誠文堂新光社発行)。実際、軽井沢の千ヶ滝に出かけたときに、このようなシーンに出会った。


河原の砂で吸水するミドリヒョウモン♂(2017.7.27 撮影)


河原に建てられた東屋の軒下の蛾の繭のようなものに執着するミドリヒョウモン♂(2017.7.27 撮影)

 さて、このミドリヒョウモン、我が家の庭のブッドレアの常連客である。


ブッドレアの花で吸蜜するミドリヒョウモン(2016.9.6 撮影)


ブッドレアの花で吸蜜するミドリヒョウモン(2016.9.6 撮影)


ブッドレアの花で吸蜜するミドリヒョウモン(2016.9.6 撮影)


ブッドレアの花で吸蜜するミドリヒョウモン(2016.9.6 撮影)


ブッドレアの花で吸蜜するミドリヒョウモン(2016.9.6 撮影)


ブッドレアの花で吸蜜するミドリヒョウモン(2016.9.6 撮影)


ブッドレアの花で吸蜜するミドリヒョウモン(2016.9.6 撮影)


ブッドレアの花で吸蜜するミドリヒョウモン(2016.9.6 撮影)

 ブッドレアで吸蜜中の♀のところに♂がやってきて、盛んにモーションをかけるが相手にされず、しばらくして諦めて去っていった。

 その様子を連続撮影したので見ていただこう(2016.9.6 撮影)












 今回紹介したブッドレアに集まってきたミドリヒョウモンは、だいぶ翅が傷んでいた。ミドリヒョウモンの名誉のため、美しい姿が撮影できた他場所での写真を少し紹介しておく。


オカトラノオの花で吸蜜するミドリヒョウモン♂(2016.8.5 撮影)


オカトラノオの花で吸蜜するミドリヒョウモン♂(2016.8.5 撮影)


オカトラノオの花で吸蜜するミドリヒョウモン♂(2016.8.5 撮影)


ヤマボウシの花で吸蜜するミドリヒョウモン(2017.7.3 撮影)


アザミの花で吸蜜するミドリヒョウモン(2015.9.3 撮影)

 ミドリヒョウモンの♀の中には、翅表の色彩が橙色をおびず暗灰緑色を呈する暗色型があることが知られている。これは「岐阜から熊本まで本州西南部地域で正常型にまじってまれに発見される」とある。これに似通ったものが長野県の八千穂高原で撮影した中に混じっていた。まだ、翅の中心に近いところには橙色が残っているが、周辺部は暗灰緑色であり、中間型といえるかもしれない。


八千穂高原で撮影した翅色が部分的に暗灰緑色化したミドリヒョウモン♀(2015.9.3 撮影)




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