軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

大阪ガラス発祥の地と川端康成

2017-09-29 00:00:00 | ガラス
 ガラス製造関連の企業に勤務していたが、それは学生時代からガラスという素材に興味を持っていたからであった。しかし、実際に就職してみると、ガラスを直接扱うことは無く、当時揺籃期にあった液晶表示素子の開発に従事することになり、その後定年を迎えるまでガラスとは直接縁のないサラリーマン生活を送った。

 リタイア後、その反動もあってか妻の影響もあってか、自宅内部のドアなどにステンドグラスを使ってみたり、100年ほど前のガラス食器を少しずつ買い集めて、色やそこに施されている精緻な加工の美しさを楽しんだり、ガラスの歴史を調べたりしている。

 現在、量産されている板ガラスに関して言えば、日本は世界でも主要プレイヤーの地位にあるが、少し遡れば日本はガラスでは後進国であった。

 正倉院には素晴らしいガラス器が見られるが、これらの多くは現在の中東地域で4世紀から10世紀ころに作られ、わが国に伝えられたもので、国内で作られたものではない。

 わが国における古代ガラス技術は、正倉院に6万5千個のガラス玉が現存し、また、その製法を書いた古文書が、同院にあるところから、今からおよそ1200年前、すでにガラス玉が作られていたと推察されている。
 
 しかし、古代メソポタミアにまでさかのぼることができるガラス器具などの製造技術となると、日本にもたらされたのは、江戸時代といわれている。

 その日本のガラス製造に関する記念碑が大阪市内にあった。大阪天満(てんま)の大阪天満宮正門の西にある「えびす門」脇に「大阪 ガラス発祥の地」の石碑があることを知ったのは、ごく最近のことである。この天満周辺には20年ほど前まで、多くのガラス工場が存在していたという。



大阪天満宮正門(2017.9.13 撮影)


大阪天満宮正門の西側にある「えびす門」の脇に建てられている「大阪 ガラス発祥の地」の石碑(2017.9.13 撮影)


石碑の正面(2017.9.13 撮影)


石碑の側面と背面(2017.9.13 撮影)

 この碑は昭和54(1979)年11月1日に、大阪硝子製品協同組合設立30周年記念として建てられたとある。


背面上部に記された由来(2017.9.13 撮影)

 石碑に刻まれた内容は「宝暦年間(1751)長崎商人播磨屋清兵衛 天満天神鳥居前ニ工場ヲ設ケ 当時ノ玉屋ヲ開業大阪ガラス商工業ノ始祖トナル」とある。
 
 それ以前の状況はといえば、日本にガラスを使用した製品が伝わったのは, 1549(天文18)年にフランシスコ・ザビエルが大内義隆にガラスの鏡や遠めがねなどを贈った時とされる。その後ヨーロッパから種々のガラス製品が輸入されるようになり、 長崎にガラス製法が伝わって日本でもガラスが作られるようになっていた。このころ、世界で最も古い色被せガラスである「乾隆(kenryu)ガラス」が中国から長崎に伝わっている。 

 大阪天満に吹きガラスの職人が誕生したのは、石碑に刻まれている播磨屋(本名:久米清兵衛)が長崎へ行き ガラス製法を学んで 天満へ来て玉屋を開き、珍しい色のガラス玉細工を始めたのが最初で、日本のガラス商工業界は実質的に大阪に始まったとされる。

 このガラスの評判が江戸に伝わって、江戸切子が誕生する。他方、薩摩切子の方は、1846年(弘化3年)に薩摩藩の27代藩主、島津斉興が、江戸・加賀屋のガラス職人である四本亀次郎を招いて、薬ビンなどのガラス器の製造に成功したのがはじまりであると言われている。

 薩摩切子は、薩英戦争の影響などにより、一旦途絶えることになり、当時製造された薩摩切子で現存するものは僅か200個程度といわれる。途絶えていた薩摩切子を、昭和になって復刻させたのが、大阪・天満に本社のあった、日本最大のガラス商社のカメイガラス。学者肌だった社長が薩摩切子のよさを忠実に復刻して、商品化を実現させた。

 そのカメイガラスもその後倒産したが、薩摩切子復刻に貢献し、その技術を受け継ぐ工人の手による「天満切子」が現在製造されており、ガラス産業の伝統は今もこの天満に生き続けている。


お土産に買った「天満切子」のロックグラス

 一方、この地は旭硝子や東洋ガラスの発祥の地。産業として本格的に発展したのは明治以降になる。

 旭硝子の社史によると、そのルーツは1906(明治39)年、初代社長岩崎俊弥が天満付近に設立した合資会社・大阪島田硝子製造合資会社である。この合資会社の設立経緯を見ると、

 「・・・当時、大阪のガラス製造業者の中に島田孫市という人がいて、ガラス工から身を起こし、すでに大阪、天満に工場を設け、各種のガラス器物の製作をやっていた。そのうち器物にあきたらず、板ガラスの製造を志した。このためヨーロッパに渡り、ベルギーにおいて、エミイル・ゴップ式窓ガラス製造窯の設計譲受の契約をして帰国し、機をみて他と提携し、大規模にこの事業をやりたいと希望していた。

 これが、たまたま岩崎俊弥の耳に入り、工学博士平賀義美、八幡製鉄所前長官和田維四郎らのあっせんによって、提携を結ぶに至った。

 岩崎俊弥が45万円を出資、また島田は、天満の工場を30万円と評価して出資にあて、ここに資本金75万円をもって、大阪島田硝子製造合資会社が設立され、岩崎が社長に、島田が副社長に、それぞれ就任した。・・・」とある(産業フロンティア物語 <旭硝子> 1967年3月10日 ダイアモンド社編)。 


旭硝子合資会社時代の製品(1) (前出書より)


旭硝子合資会社時代の製品(2) (前出書より)

 大阪市の資料では、第1次世界大戦で欧州向けにガラス製品の輸出が急増。終戦後の1919年、大阪府には全国のガラス関連工場の約7割に当たる882工場が集積していた。

 ガラス産業が発展した理由については、原料のケイ砂や燃料の石炭を運ぶ交通網が重要であり、水利が発達していた大阪は、ガラス産業が育つ要素がそろっていた。
 
 さらに、その背景には、明治維新直後に様々な官営工場が大阪城周辺に建設され、中でもガラス産業にとっては、造幣局の存在が大きかったといわれる。

 造幣局は1871年、大阪・天満の大川(旧淀川)沿いに設立されている。造幣局は当時、国内最新鋭の総合工場であり、金属精錬に必要な硫酸や燃料に使う石炭ガスなどを自前で製造していたが、その一つがガラスの原材料となるソーダ灰(炭酸ナトリウム)で明治政府の殖産興業政策で、余剰生産分は民間に安く供給されたのであった。
 
 さて、大阪滞在を利用して、こうしてあちらこちらと散歩を楽しんでいるが、今回の「大阪 ガラス発祥の地」石碑探訪では思いがけずもうひとつの石碑に出会った。

 それは、「川端康成生誕之地」の石碑であった。「大阪 ガラス発祥の地」の石碑から僅か100mほど離れた、同じ道路に面した場所にひっそり建っていた。


「川端康成生誕之地」の石碑(2017.9.13 撮影)


石碑上部の文面(2017.9.13 撮影)

 石碑上部には次のように記されている。

 「『伊豆の踊子』『雪国』などの名作で、日本的抒情文学の代表作家とされる川端康成は短編小説の名手として国際的に知られ、昭和43年(1968)に日本人では初めてノ-ベル賞を授与されました。彼は明治32年(1899)6月14日の生まれで、生家は料亭相生楼敷地の南端あたりにありました。」

 川端康成が大阪出身であることは、予ねて知っていたはずなのだが、こうして出会うまですっかり記憶から消えてしまっていた。突然の出会いもまた散歩の楽しみである。


 








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庭にきた蝶(13)ツマグロヒョウモン

2017-09-22 00:00:00 | 
 今回はツマグロヒョウモン。前翅長が27~38mmの中型、暖地性のヒョウモン類で、タテハチョウ科ドクチョウ亜科ヒョウモンチョウ族ツマグロヒョウモン属に属する種。♂と♀で斑紋が大きく異なる。

 雌雄ともに、後翅表の外縁が黒紫色に縁どられているが、♀では前翅表の翅端が黒紫色の構造色を示し、中に斜白帯を持つ美しい蝶である。

 こうした特徴から種の同定と雌雄の判別は容易である。発生は暖地では年4回から周年、軽井沢周辺では年3~4回とされ、成虫は5月中旬頃から出現、秋にかけて個体数を増す。軽井沢では越冬できているかどうか詳細は不明とされるが、通常幼虫で越冬する。

 前翅の裏には♂♀ともにピンク色の部分があり、他のヒョウモン類とは異なっている。ウラベニヒョウモンという種が南西諸島で見られるとされているが、写真で見る限り、赤さではツマグロチョウに軍配が上がる。


ピンク色が特徴のツマグロヒョウモンの前翅裏(2016.10.4 撮影)

 ♀の前翅表の斑紋はカバマダラに擬態したものと言われるが、カバマダラに酷似した種にはメスアカムラサキの♀がいるので、擬態のうまさではメスアカムラサキの方に軍配が上がる。義父の標本でこれらを比較しておこう。


カバマダラ♂(上)、ツマグロヒョウモン♀(中)、メスアカムラサキ♀(下)の翅表の斑紋比較(2017.9.7 撮影)

 この擬態とは、動物が、攻撃や自衛などのために、体の色や形などを、周囲の物や植物・動物に似せることをいうのだが、有毒のカバマダラに姿を似せることで、鳥などの捕食者から身を守っていると考えられている。

 ところが、分類上は、体に毒を持たないツマグロヒョウモンはタテハチョウ科ドクチョウ亜科に属し、毒を持っている方のカバマダラはタテハチョウ科マダラチョウ亜科に属していて、何とも皮肉なことになっている。

 ヒョウモンチョウの仲間の多くは、タチツボスミレやスミレ(マンジュリカ)などの野生種を食草としているが、このツマグロヒョウモンはパンジーやニオイスミレなどのスミレ科の栽培種を好むとされ、このことも手伝って都市部でも多く見かける。

 また温暖化に伴って分布が北方に拡大しており、東京付近では2000年代に入り普通に見られるようになったとされる。長野県でも、以前は偶産的稀種とされていたが、1990年代から目撃記録が急増し、現在(2014年)では平地でほぼ定着し、山地にも生息域を広げているとされている(信州 浅間山麓と東信の蝶・2014年4月30日 信州昆虫資料館発行)。

 こうした生息域の変化を見てみようと思い、発行が古い保育社発行の「原色日本蝶類図鑑」のツマグロヒョウモンの項に目を通すと、次のような記載がある。

「日本に産する17種の『ひょうもんちょう』で北緯30度以南にまで分布するものは、本種の他に『みどりひょうもん』の只1種が台湾の高地に記録されているに過ぎない。同類はいずれも年1回の発生にとどまるが、本種のみはきわめて多化性の蝶で、九州・四国のような暖地では年4~5回、早期発生のものは4月より現われる。・・・遠く印度・ジャワ・スマトラ・フィリピンと南の熱帯から本種は『強力』と名づけられる迫力をもって北上し、迷蝶として関東にも現れる。他の『ひょうもん』類とは習性も異なり、夏眠することなく活動し、食草であるケナシスミレ等のスミレ類に直接産卵し幼虫で越冬するが、中部以北のものや、寒冷な場所に発生したものは冬季に死滅するものと思われる」

 このツマグロヒョウモン、我が家の庭のブッドレアに吸蜜にやってくる。なぜか、♀が圧倒的に多く、♂はなかなか写真を撮ることができない。また、♀は庭のヴァイオレットに産卵していることがわかった。


ブッドレアで吸蜜するツマグロヒョウモン♀(2017.8.17 撮影)


葉上で休息するツマグロヒョウモン♂(2017.8.28 撮影)


ブッドレアで吸蜜するツマグロヒョウモン♀(2017.8.17 撮影)


ブッドレアで吸蜜するツマグロヒョウモン♀(2016.10.4 撮影)


ブッドレアで吸蜜するツマグロヒョウモン♀(2016.10.4 撮影)


ブッドレアで吸蜜するツマグロヒョウモン♀(2017.8.17 撮影)


ブッドレアで吸蜜するツマグロヒョウモン♀(2017.7.30 撮影)


ブッドレアで吸蜜するツマグロヒョウモン♀(2016.10.4 撮影)


ブッドレアで吸蜜するツマグロヒョウモン♀(2016.10.4 撮影)


葉上で休息するツマグロヒョウモン♂(2017.8.28 撮影)


ブッドレアで吸蜜するツマグロヒョウモン♀(2017.8.17 撮影)


ブッドレアで吸蜜するツマグロヒョウモン♀(2017.8.17 撮影)


庭のミニロックガーデンのスミレに産卵するツマグロヒョウモン♀(2017.8.28 撮影)

 この産卵の様子を撮影できた日の前日、庭のヴァイオレットの手入れをしていたら偶然、そこに大きく育ったツマグロヒョウモンの終齢幼虫を見つけた。この幼虫をケースに入れて、しばらくヴァイオレットの葉を与えていたが、葉を離れて這いまわり始めたので、枯れ枝を入れておいたところ、枝からぶら下がり前蛹となり、そして蛹へと変身した。この様子を3Dビデオで撮影したので紹介する。


庭のヴァイオレットの葉上で見つけたツマグロヒョウモンの終齢幼虫(2017.8.27 撮影)


ツマグロヒョウモンの蛹化(2017.8.27 18時~8.28 12時まで、30倍のタイムラプスで撮影したものを編集)


蛹の下に落ちていた抜け殻(2017.8.28 撮影)

 この蛹の棘の基部には美しい真珠光沢をした部分がある。他のタテハチョウ科の種にも類似の真珠光沢を持つものが見られるようだが、これらはキラキラと日光を反射させ、捕食者から身を守るための工夫なのだろうか。無事羽化するところを見届けたいものと思っている。


棘の基部が真珠光沢を持つツマグロヒョウモンの蛹(2017.8.28 撮影)

追記(2017.9.28):大阪に出かけていた留守中、このツマグロヒョウモンの蛹から9月19日、♀が羽化し飛び立って行った(予約投稿なので、日付が前後する)。
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オリーブの実

2017-09-15 00:00:00 | 日記
 地球温暖化のせいか、街中を歩いていてオリーブの木をよく見かけるようになった。毎月来ている大阪・堺市でも玄関先にオリーブの木を地植えにしているところもあって、今の時期は実がなっている。


大阪・堺市の住宅の庭に植えられているオリーブの木と実(2017.9.13 撮影)

 2年前の秋、11月の下旬頃に群馬県にある妻の友人Mさんの畑に行った時、Mさんが自宅庭で採れたという、オリーブの実をたくさん持ってこられた。

 このオリーブの実は、緑色のものから赤紫色のものまで種々あって、赤紫色のものはよく熟しているという。いわれるままにその完熟している実を1個つまんで口にいれたが、あまりの渋さに顔をしかめた。横では妻も同じように食べかけた実を吐き出していた。聞くと、Mさんもどうしていいかわからず、まだ食べたことがないという。

 オリーブオイルはあれほど美味だし、ビン詰めなどの実も売られていて、こちらもとてもおいしいのに、一体どうしたことかと思いながら、その実を持ち帰り、食べ方を調べてみようということになった。

 この時預かった実は全部で4kgほどあり、緑色、中間色、赤紫色のものがそれぞれ1,300g、1,100g、1,700gであった。

 ネット検索をして調べてみると、オリーブの生の実は熟したものであっても渋くて食べることはできず、おいしく食べるには先ずこの渋抜きが必要とのことであった。
 
 渋抜きの方法には、苛性ソーダを用いる方法、重曹を用いる方法、塩水を用いる方法の3通りの方法が出ていた。渋抜きに要する時間を見ると、苛性ソーダの場合は15時間程度、重曹の場合は1週間程度、塩水になると1ヶ月以上の浸漬が必要とのことであった。

 苛性ソーダによる方法を敬遠している内容のブログもいくつか見られたが、その理由は苛性ソーダ自体の入手が困難、あるいは購入時に面倒な手続きが必要になるということと、劇物であり取り扱い時に危険を伴い、廃液の処理にも中和など注意が必要だからというものであった。

 私は、こうした薬品の扱いを特に敬遠することもないので、苛性ソーダ法を採用することにして、早速近くの薬局で購入した。その際、住所氏名を所定の用紙に書き、捺印が必要であった。

 購入した苛性ソーダは、学生時代に化学実験などで見たことのある小さなペレット状のものではなく、フレーク状でサイズもだいぶ大きなものである。

 私が採用した苛性ソーダを用いた渋抜き方法は、次のようなものであり(cookpad.com/recipe/927024より)早速試してみた。

1.オリーブの実を同量の苛性ソーダ1.8%溶液に15時間浸漬。
2.褐色になった溶液を捨てて、きれいな水にとり替える。
3.すぐに水が色づいてくるので、時々取り替える。約2日間で水が濁らず透明になったら完了。
4.オリーブの実よりやや多めの4%の塩水に2日間浸漬。
5.水洗いし、新たに作った4%の塩水に漬けて完成。

 2.できれいな水に取り替えた後の水の着色度合いだが、緑色の実と赤紫色の実では、緑色の実の方がより着色度合いが強いように見えた。実が熟すことにより渋みの成分が減少しているのだろうか。

 やってみると、意外に簡単に渋抜きができ、塩漬け後数日で食べることができた。

 軽い塩味と、オリーブ油から来るうまみが感じられ、とてもおいくできあがった。もちろんMさんにも一部お返しをして大変喜んでいただいた。

 これで味をしめて、その翌年もまたMさんにお願いしていたのだが、ご主人が木の剪定をしたこともあってか、実の付きが悪く量が確保できず、また収穫の時期が遅かったためシワのよった、見た目にもいい結果が期待できそうにないものであった。

 そこで、オリーブでは有名な小豆島のオリーブ農家で、生の実を販売をしているところを探し当てて連絡を取ろうとしたが、数年前から実の販売は中止していることが判った。あれこれ探しても、生のオリーブの実を販売しているところを見つけることができず、とうとうこの年は前年並みの質と量の確保を断念せざるを得ないことになった。

 そして今年、先週Mさんの畑に出かけたときに、2年前を上回る量のオリーブの実が収穫されていた。以前に比べると時期が2ヶ月以上も早く、すべて緑色の実であったが、Mさんによるとこの時期の収穫がベストだと調べてみてわかったのだという。

 今回は2年前とよく似た形状と大きさの実が4.8kgと、これとは別の木から収穫したというサイズがやや小さく長めでピーナツのような形をした実が1.8kgであった。

 早速持ち帰り、これまでどおりの方法で渋抜きを行った。


ポリバケツに苛性ソーダ1.8%溶液とオリーブの実を入れて15時間後、褐色になった溶液を捨てたところ(2017.9.10 撮影)。


きれいな水を入れて水洗するとあわ立ちやすくなっている、セッケン化が起きているのか?(2017.9.10 撮影)。


水洗後の実を一部取り出して新たな水に浸漬したところ。すぐに色がついてくる(2017.9.10 撮影)。


きれいな水に取り替えて1日後。水は褐色になる(2017.9.11 撮影)


褐色の水を捨てて、水洗いした後の実の様子(2017.9.11 撮影)

 この段階でオリーブの実を切ってみると中も淡緑色であるが、1時間ほど放置すると浸漬後の水の色と同じような褐色に変化するのが判る。水洗は苛性ソーダを洗い流すだけではなく、渋抜きを完了させるのにも必要なようだ。


苛性ソーダで渋抜きした後、きれいな水に1日浸漬した状態の実の断面(2017.9.11 撮影)


切った後1時間たった実の断面の色、褐色に変化している(2017.9.11 撮影)。

 ところで、オリーブの実がもっているこの渋み成分について調べてみたところ、オレウロペイン(オリュロペインとも)という苦味配糖体ということであった。実だけではなくむしろ葉にもより多く含まれているという。そのままではとても食べることができないこの渋み(苦味)ではあるが、オレウロペインには血圧降下作用があり、健康によいという事で注目されている物質であった。

 オリーブ果実では、最初オレウロペイン含量が高く成熟するにつれヒドロキシチロソール含量が増加するとのこと。ヒドロキシチロソールは血管保護効果があるオレウロペインの代謝産物とのことである。

 せっかくのこの成分も渋抜きですべて抽出されてしまっては何の役にも立たないが、オレウロペインとヒドロキシチロソールは渋抜き後の実にもいくらかは残っているであろうことを期待するとしよう。

 そろそろ塩漬けも完了し、今年もまたおいしいオリーブの実を肴にワインを楽しむことができそうである。


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庭にきた蝶(12)スジグロシロチョウ

2017-09-08 00:00:00 | 
 今回はスジグロシロチョウ。前翅長が24~35mmの中型の蝶で、シロチョウ科シロチョウ亜科モンシロチョウ属に属する。子供のころ住んでいた大阪市内の自宅周辺ではモンシロチョウが、山地近くに行くとスジグロチョウが見られた。

 名前のスジグロシロチョウだが、かつてはスジグロチョウであった。いつもの「原色日本蝶類図鑑」(1964年 保育社発行)には、類似種として、このスジグロチョウと並んで、チョウセンシロチョウ、タイワンモンシロチョウ、モンシロチョウ、エゾスジグロチョウの名前が見られる。

 最近の分類では(フィールドガイド日本のチョウ:誠文堂新光社発行)、チョウセンシロチョウの名前が消え、ヤマトスジグロシロチョウ、エゾスジグロシロチョウ、オオモンシロチョウの名前が新たに見られる。モンシロチョウとタイワンモンシロチョウはそのままである。

 このヤマトスジグロシロチョウは、かつては、エゾスジグロシロチョウとして扱われていたものが、最近、北海道産のものをエゾスジグロシロチョウとヤマトスジグロシロチョウの2種に分け、本州、四国、九州に分布するものをヤマトスジグロシロチョウとして区分している。軽井沢周辺でも普通に見られるとされる。

 さて、軽井沢では、どこに行ってもこのスジグロシロチョウが見られ、もっとも普通のチョウである。自宅の庭にも春から夏にかけてはよくヒラヒラと飛んでくる。

 モンシロチョウとは歴然とした差が有り見間違えることはないと、子供のころは思っていた。しかし、最近写真を撮り、さてこれはモンシロチョウかスジグロシロチョウか判定しようとすると、意外によく似ていて難しいことがある。翅脈をみるとスジグロシロチョウは黒く、モンシロチョウは白いとされているのであるが。

 さらに、酷似した種にヤマトスジグロシロチョウがいるとなると、その同定は素人には容易ではないようだ。また、両者の交雑種がいるとの話もあり話は複雑になる。

 今回は、スジグロシロチョウとして採りあげるが、厳密なものではないことをお断りしなければならない。

 スジグロシロチョウの食草は、イヌガラシ、タネツケバナなどの野生のアブラナ科とアブラナ、ワサビなどの栽培種(アブラナ科)で、通常暖地では年4~5回発生するが、軽井沢では年に2~3回の発生であり、蛹で越冬する。

 我が家の庭とその周辺のブッドレア、キャットミント、ヒメジョオン、タンポポ、アザミなどに吸蜜にやって来る。



ブッドレアで吸蜜するスジグロシロチョウ(2016.7.17 撮影)


キャットミントで吸蜜するスジグロシロチョウ(2016.10.4 撮影)


アザミで吸蜜するスジグロシロチョウ(2015.9.3 撮影)


ハルジオンで吸蜜するスジグロシロチョウ(2017.6.17 撮影)


タンポポで吸蜜するスジグロシロチョウ(2017.6.17 撮影)


ハルジオンで吸蜜しながら開翅するスジグロシロチョウ(2017.6.17 撮影)





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池の平湿原の蝶と花探訪(2/2)

2017-09-01 00:00:00 | 日記
 前回、今年7月31日と8月3日に、池の平湿原に出かけたときにはまだ発生していなかったベニヒカゲを、今年も見たいと思っていたが、天候不順や来客の予定などが重なり果たせないでいた。天気がやや好転した8月29日、ようやく出かける機会が訪れた。

 今回は、前2回とは逆に高峰高原側から入り、湯の丸高峰林道経由で池の平湿原に向かった。車坂峠にあるビジターセンター脇のお花畑では、さっそくベニヒカゲが飛び回っているところを見ることができた。

 8月3日にはこの付近でもまったく姿を見かけなかったので、今回は訪問時期がちょうどよかったと思われ、池の平湿原での再会への期待が膨らんだ。


高峰高原のお花畑のヤナギランで吸蜜するベニヒカゲ♂(2017.8.29 撮影)

 このベニヒカゲは、前翅長22~28㎜と小型で、タテハチョウ科、ジャノメチョウ亜科、ベニヒカゲ属に属する。長野県では1975年2月24日に県天然記念物に指定され、採集は禁止されている。

 古い「原色日本蝶類図鑑」(1964年 保育社発行)での分類は、前回の「ジャノメチョウ」と同様、タテハチョウ科ではなくジャノメチョウ科である。

 その後タテハチョウ科、ジャノメチョウ亜科に変更されているが、インターネット上の「コトバンク」ではベニヒカゲはジャノメチョウ科として扱われるなど、分類に関してはどこまで公式に認められているのか、素人には判りかねるところがある。

 この「原色日本蝶類図鑑」にはベニヒカゲについて、次のように書かれている。

 「高山蝶の一つで中部以北に産し、分布範囲は高山蝶のうち最も広い。棲息地は中部山岳地帯では、蓼科・八ヶ岳・赤石・木曽駒ケ岳・妙高・飛騨中部山脈一帯より次第に北に延び、関東西北山地にも多く燧岳・至仏の三国山脈から四阿山・浅間山にも産する。・・・発生は他の高山蝶に較べておそく、年1回、8月から9月に及び、日光の明るい花上に舞うさまは美しい。斑紋の変化が多く、北部に片寄るほど小型で、中には無紋のものさえあって、4つの亜種が認められている。卵はメヒシバ・ヌカボなどの食草の葉裏に1個ずつ産み付けられ、幼虫で越冬する。」

 新しい本「フィールドガイド 日本のチョウ」(2013年 誠文堂新光社発行)には、一部やや異なる内容で、次のように書かれている。
 
 「【食草】ヒメノガリヤス・オニノガリヤス(イネ科)、ホンモンジスゲ・ミヤマカンスゲ・ヒメカンスゲ(カヤツリグサ科)など。 【行動】日中、草原上を緩やかに飛翔し、クガイソウ・ハクサンフウロ・アザミ類など各種の花を訪れる。♂♀ともに湿った場所で吸水するほか、獣糞や人の汗などにもよく集まる。」

 池の平湿原入口にある駐車場には12時を少し過ぎたころに到着したが、駐車場に車を止め、池の平三方歩道に沿ってゆるやかな坂道を歩き始めるとさっそくベニヒカゲが葉上に止まっているところに出会った。この後、湿原内では様々な高山植物の花で吸蜜していることろを撮影することができたので、以下に紹介する。

 上記の「フィールドガイド 日本のチョウ」にもあったとおり、ベニヒカゲには人を恐れない個体もいて、撮影していると手や足に止まって汗を吸い、我々を喜ばせてくれた。


アキノキリンソウで吸蜜するベニヒカゲ♀ 1/2(2017.8.29 撮影)


アキノキリンソウで吸蜜するベニヒカゲ♀ 2/2(2017.8.29 撮影)


ノアザミで吸蜜するベニヒカゲ♀ 1/4(2017.8.29 撮影)


ノアザミで吸蜜するベニヒカゲ♀ 2/4(2017.8.29 撮影)


ノアザミで吸蜜するベニヒカゲ♀ 3/4(2017.8.29 撮影)


ノアザミで吸蜜するベニヒカゲ♀♀ 4/4(2017.8.29 撮影)


ハクサンフウロで吸蜜するベニヒカゲ♀ (2017.8.29 撮影)


マツムシソウで吸蜜するベニヒカゲ♂ 1/6(2017.8.29 撮影)


マツムシソウで吸蜜するベニヒカゲ♂ 2/6(2017.8.29 撮影)


マツムシソウで吸蜜するベニヒカゲ♂ 3/6(2017.8.29 撮影)


マツムシソウで吸蜜するベニヒカゲ♀♀♂ 4/6(2017.8.29 撮影)


マツムシソウで吸蜜するベニヒカゲ♂ 5/6(2017.8.29 撮影)


マツムシソウで吸蜜するベニヒカゲ♂♀ 6/6(2017.8.29 撮影)


マルバダケブキで吸蜜するベニヒカゲ♂ 1/2(2017.8.29 撮影)


マルバダケブキで吸蜜するベニヒカゲ♀ 2/2(2017.8.29 撮影)


ヤナギランで吸蜜するベニヒカゲ♀ (2017.8.29 撮影)


ヤマハハコで吸蜜するベニヒカゲ♂ (2017.8.29 撮影)


ヨツバヒヨドリで吸蜜するベニヒカゲ♀ 1/2(2017.8.29 撮影)


ヨツバヒヨドリで吸蜜するベニヒカゲ♀ 2/2(2017.8.29 撮影)

 この日は、途中から日が差してきて、ベニヒカゲは活発に飛び回るようになり、マルバダケブキとマツムシソウには多数のベニヒカゲが群がる様子が見られた。


マルバダケブキに群がって吸蜜するベニヒカゲ1/2(2017.8.29 撮影)


マルバダケブキに群がって吸蜜するベニヒカゲ2/2(2017.8.29 撮影)

 
マツムシソウに群がって吸蜜するベニヒカゲとシータテハ(2017.8.29 撮影)


マツムシソウで仲良く一緒に吸蜜するベニヒカゲとシータテハ(2017.8.29 撮影)

 また、先に紹介したようにベニヒカゲは人の汗を吸う。写真撮影をしている妻の周りを飛び回っていたが、手を差し出すと指先に止まって汗を吸い始めた。この個体はその後もずっと我々の周りにまとわりつき、時にシャツの上やジーンズの上に止まっていたが、やがて飛び去っていった。


妻の指先に止まり、汗を吸うベニヒカゲ♂(2017.8.29 撮影)

 この時期、ベニヒカゲは発生の真っ最中という感じで、新鮮な個体も多く見られたのだが、このベニヒカゲに混じって、コヒョウモンの姿も見られた。前回、8月3日に来たときには、この日のベニヒカゲと同じくらい多くの数が見られたコヒョウモンだが、今では翅がボロボロになっていた。


発生最盛期から約1ヶ月が過ぎ、翅がボロボロになっていたコヒョウモン(2017.8.29 撮影)

 天候がいまひとつすっきりしない日であったが、駐車場はほぼ満車状態で、多くの観光客がそれぞれ思い思いに湿原やその周辺の山々の自然を楽しんでいた。我々も予想していた以上に多数のベニヒカゲを見、写真とビデオに収めることができ大満足の日となった。


ベニヒカゲの群がるマルバダケブキと背後に見える池の平湿原(2017.8.29 撮影)


 




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