軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

几帳面な性格

2017-07-28 00:00:00 | 
 昨年、2016年の春から、ヤママユ蛾の幼虫を飼育している。現在飼育しているのは、その子供たち、第二世代になる。

 当初は孵化後の1齢から終齢の5齢幼虫まで、4回繰り返されるという脱皮、そして繭作りと羽化の様子を3D撮影することが主目的であったので、幼虫が餌のコナラの葉を食べる様子については、特に注意を払っていなかった。

 幼虫が3齢位になると、それまでは葉の一部をかじっているようにしか見えなかったのが、葉の食べ方に特徴があることに気がついた。

 4齢から終齢にもなると、一度に一枚の葉を食べてしまうようになるので、その食べ方の特徴がよくわかるようになる。なかなか几帳面で面白いのである。

 腹脚でしっかりと枝につかまって、コナラの葉の基部の方から食べ始めるのであるが、中央の葉脈(主脈)の片側だけを先ず葉先の方まで食べてゆく。このときも、細い葉脈(側脈)に沿って食べようとする傾向がある。

 片側を葉先まで食べてしまうと、今度は残った半分を葉の先のほうから食べ始めて、葉の基部に向かう。こうすることで、一枚の葉を残すことなく食べつくすことができる。幼虫の様子を見ていると、こうした本能的な行動に感心することがしばしば起きる。

 葉を食べるこの行動で、もうひとつ驚いたことがある。妻が発見したのであるが、葉を食べ始めるときに、基部の葉柄を太さの半分くらいまでかじって、しなやかに、折れやすくなるように準備をしていることである。

 こうすることで、幼虫自身が枝に留まったままで、葉を手繰り寄せるようにして食べることができるのである。この技には本当に感心してしまった。

 まず、動画からのキャプチャー画像で、その様子を見ていただこう。


写真1.食べる葉を選ぶ(2017.7.22 撮影動画からのキャプチャー画像、以下同)


写真2.葉柄の一部を太さの半分くらいまでかじる。こうすることで葉は基部から折れ曲がるようになる。


写真3.葉の基部から主脈の片側を食べ始める


写真4.片側を半分まで食べた、側脈を意識しているように見える


写真5.葉先まで食べた


写真6.残り半分の葉を、今度は先の方から食べていく


写真7.どんどん食べ進める、今度は側脈を無視しているように見える


写真8.ここで少し一休み


写真9.残りは一気に食べてしまう


写真10.葉柄まできれいに食べる


写真11.満腹になったので枝にぶら下がって、得意のポーズで休憩

 もし、葉を基部から食べ始めて、先の方に向かわないで、横方向に横断的に食べると先の部分を食べる前に落下させてしまうことになる。しかし、そうしたことはまず起きない。

 ただ、幼虫がまだ小さいときには、何回かに分けて葉を食べるので、食べかけの葉が下に落ちているのを見かけることはあった。また、たくさんの幼虫を飼育している関係で、一枚の葉を2匹が同時に食べることがある。すると、葉の先のほうで食べている幼虫を、葉の基部の方で食べている幼虫が、葉ごと落下させるという「事故」も起きることがあった。

 しかし、4齢くらいになると、食べては休み、糞をしてからまた食べ始めるという動作を数回繰り返して、1枚の葉から離れることなく食べてしまうし、終齢になり更に食欲が増してくるとこの映像のように、ほとんど一気に一枚の葉を食べるようになる。こうした習性は、どの個体もだいたい同じであり、こうした食べ方をしている。

 葉柄まできれいに食べつくしてしまい、食痕をなくしているのは、食べかけの葉が見つかって、捕食者に存在を知られるのを防ぐための智慧なのかと思える。この几帳面さは、人間で言えばA型タイプかなということで妻と意見が合ったのである。

 では、動画でこの様子をご覧ください。


コナラの葉を食べるヤママユの終齢幼虫(2017.7.22 30倍のタイムラプスで撮影)
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1周年

2017-07-21 00:00:00 | 日記
 軽井沢町が開催する町民講座の「ブログ教室」に参加して、ブログの書き方を学び、こうしてブログを書き始めてから早いもので、もう1年が経とうとしている。

 昨年6月末で長かったサラリーマン生活にピリオドを打ち、これからどのような生活をしていこうか?、と考えていた頃、関西在住の友人Fさんから、軽井沢での生活のあれこれを書いて皆に送ってはどうかとのアドバイスを受けていたので、さてどうしようかと思っていた。その時目に付いたのがこの「ブログ教室」開講の案内であった。とにかく行って見ようということで、週2回・全5回の講義を聴きに出かけた。

 その約1年ほど前に軽井沢に移住を決め、当初は新幹線通勤で東京の勤務先まで通っていたが、しばらくして常勤の仕事を終え、その後は1年間非常勤という立場であったので、時間の余裕もでき自宅で趣味の昆虫の生態の3Dビデオ撮影を始めていた。

 このビデオが相当なボリュームになっていたので、どこかで公開できないかという気持ちが出てきていたこともあり、この両方を同時に満たす方法としてブログを選んだという理由もあった。

 しかし、3Dビデオの方の公開はそれほど簡単ではなかった。「ブログ教室」の講師にこうした希望を伝えたものの、3Dビデオのアップは難しいから・・・ということで、せっかくつけた「・・・ときどき3D」というブログタイトルに反していつまでもアップできないでいる。

 ようやく、今年に入って「キアゲハ」と「キタキチョウ」、そして「アカシジミ」ではYouTubeを利用して動画を載せることができるようになったばかりである。

 これらの動画の元の映像は大半が3D映像であり、YouTubeも3D映像をサポートしているのだが、このブログを始めるきっかけを与えてくれた、私の主な読者である大学の同窓生の皆さんは3D映像を見ることができないことを思うと、さてこれからどうしたものかと考えているところである。

 それはともかく今回はこの一年を振り返ってみようと思う。

 最初に掲載した写真は、まだ「ブログ教室」で講師の指導を受けている時に、写真のアップ方法を練習したものだ。

 ちょうど手元のスマホにあった写真をパソコンに送信し、これもその時に講師の指導でダウンロードした、写真の加工ソフト「フォト・ギャラリー」で、ブログで利用できるサイズに縮小したものである。


最初にアップした人形の写真(2016.7.21 撮影)

 この人形は、関西在住の従弟の奥さんが趣味で作り、来軽時に届けてくれたものであったが、はじめてこの人形を見たとき、当時3歳になったばかりの孫娘にとても雰囲気が似ていることに、妻と共に驚いたのであった。

 この従弟の奥さんは、まだ孫娘には会ったこともなく、こちらから写真を送ったこともなかったので、偶然には違いないのだが不思議な思いがしたものであった。

 そこで図々しく、二人いる孫娘の姉の方の写真を渡して、もう1体、この姉に似せた人形を作ってもらえないかとお願いをした。そして、その人形が、先週突然軽井沢にやってきた従弟と奥さんによって届けられた。この人形が年上の孫娘に似ていたかどうかはご想像いただくことにしよう。

 2回目にアップした写真は、文章を書く練習をした時に使用した浅間山の写真である。軽井沢の町内から見える浅間山はなだらかなシルエットを見せていて、時々上る噴煙を除けば穏やかそのものであるが、小諸方面から見ると、かつての浅間山の活動の跡である黒斑山の荒々しい姿が重なって見え、改めてこの山が過去に世界でも最大規模の火山活動を起こし、多くの人命を奪ったことを思い出させる。


小諸方面から見た浅間山(2013.4.21 撮影)

 この後、浅間山はブログの重要なテーマになり、「浅間石」の由来を調べたり、四季を通じての浅間山の姿を定点撮影するようになった。昨年末に一挙公開した浅間山の写真の中では、友人のNさんが夕日で赤く染まった空をバックにした姿を気に入ってくれた。


夕日に染まる空と浅間山の姿(2015.10.10 撮影)

 こうして、何とかスタートしたブログであるが、その後、スタイルは徐々に固まってきたようである。

 テーマは、計画的に書き進めたわけではなくあちらこちらに飛んでいるが、これまでのカテゴリを見てみると、一番多いのが「日記」の19件、次が「蝶」の16件、続いて「軽井沢」8件、「蛾」5件、「浅間山」と「ガラス」が3件、「山菜」、「信州」、「地質」、「野鳥」、「旅行」がそれぞれ2件となっている。

 友人から勧められた、軽井沢の紹介は3番目になっていて、少し物足りないと思われているのかもしれない。ただ、「日記」に分類しているものにも、軽井沢とその周辺地域のことが含まれているので、そこそこご希望には副えたのかとも思っている。

 「蝶」の写真は、当地に来てから始めたもので、庭に蝶を呼ぶために植えたブッドレアやキャットミントなどの花に集まってくる蝶を撮影したものを「庭にきた蝶」として紹介したものである。

 軽井沢にはまだまだ多くの蝶が棲息していて、庭にやって来る種はその中のごく一部に過ぎない。野外での撮影も行っているので、今後順次ご紹介していきたいと思っている。

 これまで紹介した蝶の写真の中から、私のお気に入りをいくつか紹介させていただこうと思う。


ブッドレアで吸蜜中のアオバセセリ(2016.9.5 撮影)


ブッドレアで吸密するアカタテハ (2016.10.10 撮影)


庭のブッドレアの花で吸蜜するアサギマダラ♀(2016.8.2 撮影)


ソヨゴの葉の上で休息するウラナミシジミ♀(2016.10.12 撮影)


ブッドレアの花で吸蜜するカラスシジミ(2016.7.17 撮影)


ハナトラノオの花で吸蜜するキアゲハ(2016.9.9 撮影)


ブッドレアの花で吸蜜するキタキチョウ(2016.10.4 撮影)


ブッドレアの花で吸蜜するキタテハ (2016.10.4 撮影)


ブッドレアの花で吸蜜するシータテハ(2016.10.4 撮影)

 では、今後もどうぞよろしく。




 


 


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ナガサキアゲハとトランプ大統領(1/5)

2017-07-14 00:00:00 | 日記
感のいい読者は、今回のタイトルを見てハハーンと頷いておられるかもしれない。

 ナガサキアゲハは大型のアゲハチョウの仲間で、南方系の種として知られる。私が子供のころには九州・四国方面に行かなければ見られない蝶だと思っていた。

 2013年から2015年にかけての2年間、都合で鎌倉に住むことになったのだが、その時ご近所の庭に植えられたミカンの木にこのナガサキアゲハが産卵に来ているのを時々見かけて、その北上ぶりに驚いた。

 このご近所の家の奥様に、庭のミカンの木にいるナガサキアゲハの幼虫を譲っていただけないかと持ちかけ、つまんで捨てられそうになっているところを、首尾よく入手することができた。

 自宅庭に植えたウンシュウミカンの木に、いただいた幼虫を移し育てて、最終的には蛹になるまでを見届けた。大型の蝶にふさわしく幼虫も蛹も他のアゲハ類に比べ一回り大きいものであった。


ナガサキアゲハの終齢幼虫(2014年10月4日 撮影)


ナガサキアゲハ(ウィキペディア 2014年8月20日 (水) 07:01 UTC より)

 さて、今回はいつもとは違って、この幼虫の生態について書くのが目的ではない。ナガサキアゲハは、地球温暖化の指標としてしばしば取り上げられている生物種ということで、話題にしてみたい。

 私も経験したように、ナガサキアゲハの分布はこの数十年の間に、九州・四国地方から関東地方北部にまで拡大し、更に2009年には福島県で幼虫が、宮城県では成虫が確認されている(ウィキペディアより)。

 この北上現象と地球温暖化との関係についてのレポートを探したところ、山梨県環境科学研究所動物生態学研究室の北原正彦主幹研究員の「チョウの分布域北上現象と温暖化の関係」が見つかった。

 このレポートには次のような図と表が示されているが、上記の私の経験とも合致している。



ナガサキアゲハの分布域北上の様子(地球環境研究センターニュースVol.17 No.9 2006年12月号より引用)



ナガサキアゲハの分布初認時及びそれ以降における各地の年間平均気温(単位:℃、地球環境研究センターニュースVol.17 No.9 2006年12月号より引用)

 この図・表に関して著者は、「気候の温暖化により各地の気温が上昇するに連れて、本種の分布域が北に拡大したことが判明した。さらにこの解析からは、分布北限地での年平均気温と最寒月平均気温の平均値も算出され、各々15.46℃と4.51℃であることが分かった。」としている。

 生物種の生息域の拡大は、必ずしも温暖化が直接の原因とは限らない。ナガサキアゲハの北上に関しても、主な食樹であるウンシュウミカン栽培地の北上と関連しているとの説もあるし、このレポートで取り上げている、生物種自体の適応説も見られる。

 このことに関しては、本レポートに次のような記述があって、ナガサキアゲハの場合、温暖化が直接の原因であると(ほぼ)結論づけられている。

 「実はこの解析だけでは、ナガサキアゲハの分布域北上現象は、気候の温暖化が主因であることを証明したことにはならない。なぜならばチョウの分布北上は、気候の温暖化を介さずともチョウ自ら耐寒性を増大させたり休眠期間を長くさせるなどの適応を通じても、成し遂げることが可能だからである。しかしナガサキアゲハについては、どうもこのような生活史特性の変化を通じて分布域が北に拡大したのではないらしいことが、大阪府立大学の吉尾政信氏らのグループの研究で分かった。・・・(中略)・・・こうしてナガサキアゲハの分布域の北方拡大は、ほぼ間違いなく気候の温暖化が主因となって引き起こされたと考えられる。」とある。

 このナガサキアゲハに限らず、我々の身の回りでは温暖化と結び付けられて報道されるいくつもの生物種に関するニュースが後を絶たない。セアカゴケグモ(1995年)、ヒトスジシマカに媒介されるデング熱(2014年)、ヒアリ(2017年)など記憶に新しい。

 こうしたニュースに接すると、猛暑で温暖化を身近に感じている身としては、改めて二酸化炭素削減に真剣に取り組まないと、将来はもっと大変なことになってしまうのではと思ってしまう。

 そうした中での次の国際ニュースである。

 2017年6月13日付の読売新聞は、その1面に『パリ協定 米除き推進』との見出しを掲げ、イタリア・ボローニアで開かれていた、G7環境相会合が共同声明を採択したことを伝えている。


2017年6月13日付の読売新聞の記事

 これは、6月1日に、トランプ大統領がパリ協定からの離脱を表明したことを受けてのものであるが、今回の共同声明では、『地球温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」からの離脱を表明した米国が独自に温暖化対策に取り組み、他の6か国はパリ協定を実行する』としている。

 また、『声明では、気候変動に関する項目で、米国以外の6か国などを列記し、「パリ協定を効果的に実行に移す」、(中略)「協定を完全に履行することが地球の安全にとってカギとなる」と、協定の意義を改めて確認した。』とも報じている。

 米トランプ政権内で離脱を主張したとされるプルイット環境保護局(EPA)長官は離脱の姿勢を強調し、独自の温暖化対策に取り組む考えを示していたとされ、このプルイット氏と個別に会談した、日本の山本環境相は、離脱について「失望した」と伝えた上で、撤回を求めたとされている。

 アメリカのトランプ大統領が先の声明を発表しパリ協定からの離脱を宣言したと報じられた時にも、山本環境大臣はこの声明に強く憤りを表明し、麻生副総理はアメリカを「その程度の国」と強く非難している様子がTVニュースで流されており、海外でもドイツ・フランスをはじめ多くの国々がアメリカを非難すると共に、自国はそれに関わらず温暖化ガスの排出規制を遵守していく姿勢を示していた。

 今回は、こうした各国の考え方がそのまま反映された形での、共同声明の発表になった。

 トランプ大統領の離脱宣言時のニュースを振り返り、その理由をみてみると次のようであった。

 『トランプ大統領は大統領選挙期間中から、オバマ前政権が議会の承認を得ずに行政権限で進めてきたパリ協定を批判してきた。大統領は人為的な気候変動の可能性は否定しないものの、温暖化対策による米国の産業競争力への影響を問題視しており、今回の決定は選挙戦の公約を実現するものといえる。

 大統領は、パリ協定により米国は温暖化対策で巨額の支出を迫られる一方で、雇用喪失、工場閉鎖、産業界や一般家庭に高額なエネルギーコストの負担を強いるとし、また、2025年までに製造業部門で44万人、全体で270万人の雇用が失われ、2040年までにGDPで3兆ドルが失われると述べた。

 大統領が演説で引用したこうした数字は、民間のシンクタンク米国経済研究協会(NERA)が3月に発表したもので、引用された数値は報告書どおりだが、エール大学のケネス・ギリンガム教授は米紙で、「NERAの報告書で示された数値はさまざまな仮定の下に算出されたもので、割り引いて解釈すべきだ。特に、クリーンエネルギー部門の成長など温室効果ガス削減のプラスの側面を配慮しておらず、トランプ大統領は報告書の都合のいいところだけ取り上げている」と論評している。

 また、トランプ大統領は6月1日の演説で、オバマ前政権がコミットした国連緑の気候基金(GCF)への拠出が、米国の巨額な負担となっていると批判した。』(2017年06月05日 ジェトロ・通商弘報、https://www.jetro.go.jp/biznews/2017/06/cf2aea16377ec778.html)

 ところで、この人間活動による化石燃料の大量消費によってもたらされる、地球温暖化問題は1988年5月に米国議会の公聴会で、NASAの地球学者ジェームズ・ハンセン博士により初めて指摘されてから、今日まで長い時間をかけてコンセンサスを形成してきている。

 いまや、その対策である二酸化炭素の排出削減に代表される、「エコ」は我々の生活に深く浸透し、日々の生活もこの「エコ」を意識するしないに関わらず、自然な生活スタイルになっている。

 ゴミを分別し、リサイクルに回せるものは回し、燃焼し二酸化炭素排出量増につながるゴミの量をできるだけ減らし、LED電球に切り替えたり、冷暖房の設定温度を調節したりして節電に努め、エコカーに乗る。時には車を捨てて自転車に乗ったり、歩いたりという具合である。

 アメリカのゴア元副大統領は自ら、この二酸化炭素の人為的排出が地球の温暖化につながり、将来危機的な状況が起きることを訴えるために、映画と書籍「不都合な真実」(書籍:アル・ゴア著 2007年1月5日 株式会社ランダムハウス講談社発行)を作成して、世界に向けて発表した。

 その功績が認められ、IPCC(気候変動に関する政府間パネル、Intergovernmental Panel on Climate Change)と共に2007年、ノーベル平和賞を受賞した。


アル・ゴア著 「不都合な真実」の表紙

 この共同受賞したIPCCは1988年11月に、国際連合環境計画と国際連合の専門機関にあたる世界気象機関が共同で設立したが、こちらは英国の科学者の国連への働きかけによるものであった。

 こうした地球温暖化と二酸化炭素の関係を言い出した当のアメリカであるが、その後の動きは積極的とはいえない。1997年12月に京都で開催された、気候変動枠組条約第三回締約国会議(COP3京都会議)で合意された温暖化防止の為の排出ガス規制に関する国際協定(京都議定書)を国内批准せず、2001年3月には当時のブッシュ大統領が離脱宣言をしている。

 更に、2015年に開催されたCOP21で採択されたパリ協定に対し、昨年2016年9月に当時のオバマ大統領が、中華人民共和国の習近平主席と共に批准を表明したが、今回1年も経たないうちに新大統領に就任したトランプ氏が態度を翻したのである(但し、米国においては州レベルでは様々な取り組みが行われている)。

 トランプ大統領は、その選挙中の公約にパリ協定からの離脱を掲げていたという。大統領に就任してから、支持率の低迷に苦しんで、公約を実施することで支持率の減少に歯止めをかけようとしたとの見方もある。

 しかし、本当にそれだけなのであろうか。トランプ大統領の演説の中には、二酸化炭素による地球温暖化議論はデッチアゲだとのなかなか激しい言葉が含まれている。

 世界の2500人もの学者・研究者が参加し作り上げたというIPCCの第5次報告書(日本国内では2014年12月版が環境省から、その概要が発表されている)が、「1951年~2010年の間の地球平均温度の上昇のうち、半分以上が温室効果ガスなどの人為的要因によるものである可能性は極めて高い(>95%)。」と表明しているにもかかわらずである。
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アカシジミ大発生撮影旅行(2)

2017-07-07 00:00:00 | 
天候も回復し始めた2日目の7月6日、我々3人は昨日下調べをしたスポットを順次回ることにしてレンタカーで宿を出発した。最初は、周辺の山並みを見通せる小高い場所にある展望台に向かった。

 ここからは、天気が良ければ白神山地や岩木山などが見渡せる場所と思われたが、生憎当日は厚い雲に覆われて遠くまでは見ることができなかった。この日は朝方少し青空も見られたものの、その後は小雨が降ったり止んだりで終日天候は安定しなかった。しかし、昨日よりはだいぶ良い条件であった。

展望台からみた周辺の景色(2013.7.6 9:33 撮影)

 この展望台周辺の木の梢の上にはすでにチラチラと飛ぶアカシジミの姿が見られた。ただ、数はそれほど多くはなかった。午前中の時間帯は、栗の花で吸蜜したり、コナラやミズナラの樹間を飛び回ることが多かった。また、あちらこちらで交尾中のアカシジミの姿も見られた。

ミズナラの樹の周辺を飛び回るアカシジミ。多くは葉の上に止まっている(2103.7.6 11:50 撮影)

栗の花に集まるアカシジミの群れ(2013.7.6 撮影)

葉上で交尾するアカシジミ(2013.7.6 撮影)

 この周辺一帯では、圧倒的にアカシジミの姿が多く見られたが、そのほかにも数種類の蝶を見かけた。ヒオドシチョウ、シータテハ、ウスイロオナガシジミ、ウラクロシジミ、ヒメウラナミジャノメなどである。

ヒオドシチョウ1/2 (2013.7.6 撮影)

ヒオドシチョウ2/2 (2013.7.6 撮影)

シータテハ(2013.7.6 撮影)

ウスイロオナガシジミ(2013.7.6 撮影)

ウラクロシジミ(2013.7.6 撮影動画からのキャプチャー画像)

ヒメウラナミジャノメ(2013.7.6 撮影動画からのキャプチャー画像)

 途中、昼食のため市街地に戻り、「弘前だんぶり池」でしばらくトンボの撮影をしてから再び林道に戻り、その後は終日山中をあちらこちら移動しながら、アカシジミやその他の蝶の姿を追った。

 渓流にかかる橋から見下ろす木の枝先にはシータテハや、美しい構造色を持つミドリシジミの仲間の姿が数種類見られた。

渓流沿い樹上にとまるシータテハとミドリシジミの仲間(2013.7.6 15:03 撮影)

渓流沿いの樹上にとまりテリトリーを張るジョウザンミドリシジミ1/2 (2013.7.6 撮影)

渓流沿いの樹上にとまりテリトリーを張るジョウザンミドリシジミ2/2 (2013.7.6 撮影)

渓流沿いの樹上にとまりテリトリーを張るメスアカミドリシジミ(2013.7.6 撮影)

 あちらこちらと車で移動しながら、大群飛の様子を追い求めたものの、事前にブログの現地報告で見ていた規模の大発生は見ることができなかった。それでもこれまでに見たことも無いような非常に多くのアカシジミを見ることができたので、そろそろ引き上げようかと思い始めていた夕方18時ころ、遠くの尾根の上に何やら黒い影を見つけた。

 望遠レンズ越しに見ると、これがアカシジミの大群の飛翔であると気が付いた。Tさんに声を掛け、その尾根に行ってみることにした。昨日からこの近辺の林道はほとんど走っていたので、おおよその見当をつけ、さらにナビを参考にしながらしばらく行くと、アカシジミが群れ飛んでいる場所が近くなってきた。

 山の稜線の上空が下の方から湧き上がってくるもので黒くかすんでいるように見える。しかしまだ遠すぎて、ビデオカメラの望遠を最大にしても小さすぎて個々の姿を捉えることはできず、点にしか見えない。

麓から遠望したアカシジミの大群(2013.7.6 18:11 撮影)

 更に林道を進むと、ついにアカシジミの群飛している場所の真下にたどりついた。アカシジミは20mほど上空を飛び回っている。ここから撮影すると、先ほど麓からは点にしか見えなかったアカシジミの個体もはっきりと確認できる。

アカシジミが群飛している真下からの撮影(2013.7.6 18:33 撮影)

 ようやく二日目の最終段階で、今回の目的であるアカシジミの大群飛を目撃し、ビデオカメラに収めることができた。しばらく撮影を続けた後、二度とこのような光景に出会うことは無いだろうと思いながら、次第に暮れてゆく夕方の空をいつまでも飛び続けるアカシジミに別れをつげた。



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