軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

地震予測と対策(7)令和6年能登半島地震

2024-01-05 00:00:00 | 地震
 少し遅めに届いた年賀状を読み始めた時、携帯電話がけたたましく鳴り響き、地震発生を伝えた。まもなく横揺れが到達し、おろおろと何もできないうちに2階で「こけし」の倒れる音が響いた。

 TVをつけると、震源地は能登半島の輪島付近とのことで、ゆっくりとした横揺れがしばらく続いてやがて収まり、転倒したこけしも4分の1程度で、他にはそれ以上の被害はなかった。当地の震度は4と発表された。

 ショップのガラス器は、冬季休業期間中は棚から下ろして、箱詰めしておいたので、こちらは心配なかったが、念のため車でショップの点検に出かけた。

 途中、車のナビを操作すると地震ニュースが流れ、大津波が発生するので、急いで高いところに非難するようにと、女性アナウンサーが繰り返し絶叫する声が続いた。まだまだ余震が続いていることをうかがわせた。

 ショップは何事もなく、詰め残してあった、壺や、ワインのボトルなども転倒することなく、まったく影響を受けた様子はなかった。

 ほっとして帰宅し、再びTV放送を見たが、津波警報は発令されたままで、余震の大きさが実感された。

 今回震源地となった能登半島では、一昨年の2022年6月19日15時08分頃、珠洲市付近でマグニチュード5.4の地震が発生し、この地方を最大震度6弱の揺れが襲っている。そして、その後もこの地方では繰り返し地震が発生していた。 

 この地震がきっかけとなり、地震とその対策について、2022年6月24日以来一連のブログ記事を書くようになったのである。

 ただ、珠洲市付近では群発地震が発生しているものの、規模が比較的小さく、その後それほど大きい地震が発生するといった危機感に乏しかったため、ブログでは主にマグニチュード7クラスの首都直下地震とマグニチュード9クラスの南海トラフ地震の発生メカニズムについて取り上げ、政府から発表されている地震発生確率の計算方法などについて調べてきた。

 しかし、今回1月1日に起きた能登地方地震の規模は、マグニチュード7.6、最大震度7に達するものであり、国内で震度7が確認されたのは、平成30(2018)年9月の北海道胆振東部地震以来で5年ぶりのもので、震度7が新設された昭和24(1949)年以来、6回目のものになった。

 石川県能登地方では、2018年頃から地震回数が増加傾向となり、2020年12月から地震活動が活発になっている。気象庁によると、2020年12月以降、2023年6月8日8時の時点までに震度1以上の揺れを437回観測している。

 今回1月1日に発生した地震はこうした一連の地震の中でも最大のものとなった。この他、2023年5月5日に発生したM6.5の地震では珠洲市で最大震度6強を観測、上記の2022年6月19日に起きたM5.4の地震では珠洲市で最大震度6弱の揺れを観測、2021年9月16日には珠洲市で最大震度5弱を観測するM5.1の地震が起きている。一連の地震活動は、東西約15km、南北約15kmの領域で発生しており、特に北側から東側にかけての領域で地震活動が活発とされる。

 これら群発地震の詳しい原因はわかっていないが、2022年の地震当時の、京都大学の西村卓也准教授の説明によると、海側のプレートと陸側のプレートの隙間にしみ込んだ水の一部が上昇し、地下十数キロメートル付近にたまって、周囲の岩盤に力を加えたり、しみ込んで地震を起きやすくさせていると解説している。

 金沢大学の平松良浩教授もまた今回、地下から上昇した流体により地殻が膨張している可能性があると指摘しているし、東京工業大学の中島淳一教授は、同地域における過去の地震の伝播を解析した結果から、やはり半島地下に水が広く存在していると推測している。

 2023年4月に地震調査研究推進本部地震調査委員会が発表した地震活動の評価でも、能登半島での活発な地震活動について、『地殻変動域の変化、地震活動の浅部への移動、電気伝導度の分布などから、今回の活動には、流体の移動が関与している可能性がある』としていた。(ウィキペディア 能登群発地震より抜粋)

 今回の「令和6年能登半島地震」の震源地と地震の規模は次のようである。


令和6年能登半島地震の震源地(ウィキペディアより)

令和6年能登半島地震の本震から約1日間の余震の発生時刻とマグニチュードの推移(日本気象協会資料を参考に震度4以上をグラフ化)

 この中から震度5弱以上の地震について、その震源分布を見ると次のようであり、能登半島周辺の比較的広い範囲にあることが分かる。


令和6年能登半島地震の本震発生から約1日間の震度5弱以上の地震の震源地分布(黒Xは本震 日本気象協会資料を参考に作図)

 ところで、今回の令和6年能登半島地震について、私が購読してきている「地震予測メルマガ」がどのように予測していたか、確認しておこうと思う。

 この地震予測メルマガは毎週1回水曜日に公開されていて、今回は2023年12月27日発行分が地震発生直前のものである。この地震予測メルマガでは、「ピンポイント予測」として、「マグニチュード6クラス以上の地震が1か月以内に起こる」ことを予測して公表しているが、今回の令和6年能登半島地震の予測はできなかったため、翌週地震発生後に次のようなコメントを載せた。

 「・・・弊社では複数の観測データに異常が現れましたので、11月8日から29日までピンポイント予測を発出しましたが、 この段階で地震は現れませんでした。 その後12月に入ってからもう一度観測データに異常が現れましたので、ピンポイント予測を出すかどうか検討しましたが、 規模はそれほど大きくならないと判断し、12月20日号にてM5クラスの地震が起きる可能性があるというコメントを掲載しました。
 結果としてM7.6の大地震が発生しました。 大きな地震ほど前兆現象から地震発生まで時間がかかる傾向がありますが、非常に難しい判断となりました。
いずれにしてもピンポイント予測を発出できず、加入者様のご期待にそえなかったことを深くお詫び申し上げます。(2024年1月3日発行分より) 」

 地震予測メルマガは国土地理院の電子基準点データを主な情報源として、その他の地震予測関連情報を加味して予測を行っているとされ、ピンポイント予測ではマグニチュード6クラス以上を予測対象としているので、今回のマグニチュード7.6に対しては、より大きな変化が捕えられていなければならないが、そうした兆候は見られなかったようであり、地震の直前予測は困難と言わざるを得ない結果である。

 1月3日の購読紙には、この能登半島地震のニュースが大きく報じられるとともに、そのメカニズムに関連して次のような記事が見られた。

 「・・・政府の地震調査委員会は2日、臨時会を開いた。盛山文部科学相は会議の冒頭、『できるだけ早く、どのような地震が発生したのかを正確に把握し、今後の見通しを得ていくことは、二次被害の防止や今後の災害対応に資する』と強調。『データが現状では十分収集できているとは言い難いが、最善を尽くして科学的な評価をお願いしたい。』と話した。
 2日の臨時会では、今回の地震の特徴やメカニズム、能登地方で相次いでいる一連の地震活動との関連などについて議論する。」

 また、東北大学の遠田晋次教授(地震学)の話として、「最悪のシナリオの地震が起きてしまった。」と紹介し、国土交通省の有識者会議が2014年にまとめた報告書について次のように紹介している。

 「(能登)半島北側には北東から南西に長さ100キロメートル余りの活断層帯がある。その全域が連動してずれ動く『最悪シナリオ』では、今回と同じM7.6の地震が起きると予想されていた。・・・M7.6の地震発生後は、幅130キロメートルの範囲で地震活動が活発化。遠田教授は『活断層帯が活動した結果、延長線上にある周辺の断層も活発になっている』とみる。今後、さらに広範囲に活動が及ぶ可能性もあるという。
 半島一帯では、2020年12月以降、今月2日までに震度1以上の地震が700回以上発生。地下に存在する水のような流体が、周辺の岩盤を滑りやすくしているのが一因とみられている。群発地震が長期に及んだ影響で、地下の岩盤にかかる力のバランスが変化し、活断層帯が刺激された可能性もある。」

 「能登半島周辺以外にも、日本海側の沿岸近くの海域には、津波をもたらす大規模地震を起こすような断層が存在する。国交省の有識者会議では、少なくとも60か所の活断層が存在し、数メートルから12メートルの津波をもたらす可能性があると指摘している。ただ、、こうした断層による地震の発生確率については評価が遅れている。
 政府の地震調査研究推進本部は22年、日本海側の海域活断層による地震の発生確率の評価の一部を公表。現在までに公表されているのは、九州から中国地方にかけた『南西部』のみで、今回の地震の起きた海域は評価が公表されていない。」
 
 この委員会に関して、日経新聞は次のように伝えている。 
 「政府の地震調査委員会(委員長・平田直東大名誉教授)は2日、臨時会を開き、最大震度7を記録した能登半島地震の分析や今後の動向について検討した。国は主要な活断層について長期評価を公表しているが、今回地震のあった断層は対象外だったと明らかにした。
 平田委員長は『(長期評価は)慎重にやっており、非常に時間がかかる』とした上で評価していない断層で大きな地震が起きたことについて『非常に残念だ。もっと早く評価しておくべきだった』とも話した。
 世界でも有数の地震大国の日本では各地に断層が存在し、リスク評価が追いついていない側面が浮き彫りになった。今後、政府の長期評価のあり方も問われそうだ。」

 この地域での地震発生のメカニズムが分からない限り、その発生確率もまた求めることができないのであるが、「海側のプレートと陸側のプレートの隙間にしみ込んだ水の一部が上昇し・・・」という指摘があるので、次図から判断するとユーラシアプレートおよび北米プレートの2枚の陸側のプレートの下に潜り込む太平洋プレートおよびフィリピン海プレートの先端付近で起きている地震と考えられ、そうだとすれば、今最も懸念される南海トラフを震源とする超巨大地震との関連もあるのではと思われ、今後の発表に注目したい。(赤の点線は資料図に筆者が追記したもので、地震発生メカニズムとは直接関係しない)




 

 

 





 

 

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地震予測と対策(6)

2023-03-10 00:00:00 | 地震
 トルコ南部ガジュアンテップ北西で2月6日午前4時17分、マグニチュード(M)7.8の地震があり、さらに6日午後1時24分にはM 7.5の2回目の地震が発生して、多くの建物が崩壊し多数の死者を出したが、この地震から1か月が過ぎた。

 地震発生以降、発表される被害者数は日々増加していったが、3月6日現在のまとめによると、次のようである。


トルコ・シリア地震の被害(2023.3.6 新聞記事から)

 トルコ周辺には複数のプレートが存在し、それぞれの活動によって平時から地下に複雑な力が加わっている。6日に発生したM 7.8の地震はトルコの国土の大半がのったアナトリアプレートと、その南東側にあるアラビアプレートの境界部の東アナトリア断層で発生したと考えられるという。 

 東アナトリア断層ではプレート間のひずみを解放するため、左右にすれ違うように断層が動いた。一方、この地震の約9時間後に北北東側で発生したM7.5の地震は、先に発生した地震の影響で付近の断層の活動が誘発されたとみられる。

 いずれもプレート境界が内陸部の都市直下にあり、そこで大地震が起きたために被害が大きくなってしまった。

 今回トルコで発生した地震は、内陸のプレート境界の地震ということになるが、1923(大正12)年の関東大震災の地震(M7.9)は一部ではあるが震源域が内陸に存在するプレート境界型で、この点で今回の地震と似ているとされる。

 死者数は3月6日現在、隣国のシリアと合わせて5万人を超えており、2011年の東日本大震災(死者1万8440人)を大きく上回る大災害となった。

 一方、ニュースによると建物の崩壊による圧死者が多く出ているものの、火災による死者はほとんど報じられていない。地震のマグニチュードが同規模の関東大震災では多くの焼死者を出し、死者数が10万5,385人を数えたのとは状況が異なっている。当時の日本では建物の耐震強度が十分でなく、かつ木造家屋がほとんどであった。

 トルコでは、次の表に見られるように、これまでも度重なる地震発生による建物被害が起きており、そのため耐震基準がより厳しく変更されていたにもかかわらず、それが守られていなかったために被害が拡大したと伝えられている。

近年の日本とトルコの地震被害の比較

 トルコは日本と同様、地震多発国である。ニュースでは、天井・床が重なって潰れる パンケーキクラッシュと呼ばれる崩壊の映像が流されているが、こうした現象が死者数の増加につながったと考えられている。
 
 参考までに、明治以降の日本、および1950年以降の世界の地震被害者発生のワースト10をみると次のようである。


明治以降の日本の地震による死者数ワースト10


1950年以降の世界の地震による死者数のワースト10

 これを見ると、日本では関東大地震の被害が際立っている。首都圏の住宅密集地を襲う地震では建物の崩壊とそれに伴う火災が死者数増加につながった。
 他方、東北地方の太平洋側では、プレート境界・海洋型の巨大地震に伴う津波による溺死者が増えている。
 
 世界の地震被害のワースト10では、中国・唐山の被害の大きさが際立っているが、これは唐山市が当時有数の工業都市であり人口が多かったことおよび、耐震性の低い煉瓦造りの家の下敷きとなって被害者の多くが命を落としている。

 2番目に大きな被害を出したハイチの場合、地震の規模は比較的小さいが、震源はハイチの首都ポルトープランスの西南西25km、深さは13kmであり、建物被害が大きかった。ここでもパンケーキクラッシュが起きていた。

 3番目のスマトラ島沖地震では津波による溺死者がほとんどとされる。

 トルコでの地震被害の惨状が伝えられると、我々日本人としてはどうしても首都直下地震や南海トラフ巨大地震のことを連想してしまうのであるが、そんな中、NHKが南海トラフ地震に関する番組を2夜連続で放送した。

 3月4日(土)の放送は「南海トラフ巨大地震 第1部ドラマ(前編)」と「南海トラフ巨大地震 第1部ドラマ(後編)」、翌3月5日(日)には「南海トラフ巨大地震 第2部 “最悪のシナリオ”にどう備えるか」であった。

 近い将来その発生が懸念される首都直下地震や南海トラフ巨大地震は、避けることができないが、予測し対策をたてることで、被害を最小限に食い止めることができる。
 
 番組の中でも、高知県黒潮町に建設されている津波避難タワーが登場するなど、被害が想定される地域での具体的な取り組みを目の当たりにすることができた。

 こうした津波避難タワーは、内閣府の調査によると、日本国内では2021年4月までに23都道府県で502棟建てられ、東日本大震災前(45棟)の11倍に増えている(ウィキペディア「津波避難施設」から)。

 その高知県黒潮町のホームページを訪れると、3月11日の東日本大震災の日に合わせて、次のようなイベントの案内が掲載されていた。
 

高知県黒潮町のホームページに掲載されている、3月11日の東日本大震災の日のイベント案内 

 黒潮町に限らず、巨大地震による被害が想定される地域では、地域ごとの特徴に合わせた防災対策が進められているが、国レベルでの想定被害と対策について改めて見ておこうと思う。

 わが国には国土強靭化基本計画というものがある。これは、平成23年(2011年)に発生した東日本大震災を受け、平成25年(2013年)に施行された国土強靱化基本法に基づき、大規模災害からの被害の最小化に向けた重点施策を盛り込んだ計画のことであり、平成26年(2014年)に策定され、おおむね5年ごとに見直される。

 対象としている大規模自然災害はもちろん地震に限られるものではないが、この中には首都直下地震と南海トラフ巨大地震による被害想定が示されていて、次のようである。


首都直下地震と南海トラフ巨大地震による被害想定(内閣官房HPより)

 改めて、今後予想されるこの2つの巨大地震による被害想定と、過去の巨大地震被害との比較をすると次のようである。


今後予想される2つの巨大地震による被害想定と、過去の巨大地震被害との比較

 この数字は、これまでにも新聞やTVなどを通じて何度か目にする機会があったが、余りの大きさに呆然とし、それ以上想像力が働かなくなってしまう。  

 しかしこれらへの対策は着実に進めなければならない。前回、このブログで確認したが(2023.2.10 公開)、地震本部の発表している内容から得られる南海トラフ巨大地震の発生確率が計算上最も高くなる年は2027年であり、それほど時間は残されていない。

 南海トラフ巨大地震による被害は国難レベルといわれている。被災後にどのように国家として復活を遂げていくのか、事前の対策により大きく変わるとのシミュレーションがある。

大規模自然災害発生後の経済社会の回復イメージ(内閣官房HPより)

 ここで示されている回復力を、官民を問わず地域レベル、国家レベルで構築していかなければならないが、先に挙げたNHKのTV放送「南海トラフ巨大地震 第2部 “最悪のシナリオ”にどう備えるか」の中でも同様の取り組みが紹介されていた。

 政治学者の姜尚中氏が2022年12月18日放送のTV番組で、防衛費増税問題についての議論の中で、次のような発言をしたと話題になったことがあった。防衛費問題もまた国土強靭化に関係している。異質なものではあるが、国民の経済活動や、生命・財産を守るという意味では変わるところがない。 

 「・・・姜氏は『国民の信を問うべきですよね。解散総選挙をして』と提案した。続けて防衛費がGDPの2%を目指していることについては、同様にGDP比2%程度のドイツを引き合いに出し『この100年間、確かマグニチュード6以上の地震は1度も起きてないんですよ』とコメントした。
 いきなり地震の話題となり、司会のS氏は思わず『ん、どういうこと?』。姜氏は『マグニチュード6以上の地震は100年間、ドイツでは起きてなくて』と繰り返し、S氏は『ええ、ですから』と促した。
  姜氏は『それはプレートが1つしかないですから。ユーラシアプレートっていうね。日本の場合は4つのプレートが重なってるわけで、世界で起きている地震の10%は日本で起きてるわけです』と続けた。S氏は『地震のことと、今の(防衛費の関係は)』と姜氏の言いたいことが理解できない雰囲気。 
 姜氏は『大いに関係するでしょ。もしウクライナのように持久戦になった時に、地震が起きた場合どうするんですかと』と“戦争となった場合の地震”に言及した。続けて『陸海空の一体化で司令部を置くと言ってるわけだけど、東京に置いて、大地震が起きたらどうするのですか? その時に自衛隊を使わなくてどうやって復旧できるんですか』と持久戦から指令部問題に飛躍。S氏は『うーん』とうなるばかりだった。
  姜氏は『日本はドイツなんかに比べてはるかに脆弱性が高いわけで、そのためには今何をすべきかっていうと、国土の強靱化ですよ。数兆円かけて国土を強靱化して、ゼネコンももうかるけど、地方ももうかるんですよ。その中で子どもにしっかりと援助をしていくべきで、それをやらずに耐震構造がメチャクチャな家を建てておいてそれを守るために大砲を持った方がいいとか、機関銃を持った方がいいって、やっぱり本末転倒ですよ』と今度は建築基準にも言及しながら独自の理論を展開。S氏は『あぁ、そうですか』と返答するのみだった。・・・」

 さて、どうする日本。


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地震予測と対策(5)

2023-02-10 00:00:00 | 地震
 政府の地震調査研究推進本部(地震本部)は1月13日、日本各地で想定される巨大地震の最新の発生確率値を公表した。これは年に1回見直されているもので、今回の発表は算定基準日を令和5年(2023年)1月1日として再計算を行ったものであるという。

 この発表内容を、早速報道各社が伝えたが、内容は微妙に異なっており、見出しは次のようであった。

●読売新聞 南海トラフで20年以内に巨大地震「60%程度」に引き上げ...「いつ起きても不思議は
 ない」
●産経新聞 南海トラフなど昨年と変わらず70~80% 30年以内の大地震発生確率
●日本経済 「20年以内」発生確率、一部で微増
●毎日新聞 南海トラフや十勝沖、地震発生確率を引き上げ
●朝日新聞 南海トラフ巨大地震 20年以内の発生確率が上昇、「60%程度」に
●東京新聞 大地震、20年内確率一部で微増
●共同通信 大地震、20年内確率一部で微増 政府調査委、今年の再計算
●テ  レ  朝   南海トラフ地震 発生確率は20年以内に「60%程度」に引き上げ

 直接、地震本部が発表した内容を見ると、「公表の内容」には次のように書かれている。

 「地震調査委員会では、これまで将来の地震の発生可能性を評価する長期評価の中で、地震の発生確率値の算定に、想定された地震が発生しない限り、発生確率値が時間の経過とともに増加するモデル※を基本的に用いています。
 このため、評価結果については、その値がいつの時点を基準として算定された発生確率であるか、が重要となります。
 これまでは、令和4年(2022年)1月1日を基準日として算定された地震の発生確率値を公表していました(令和4年1月13日公表)。
 今回、これまでの算定基準日から1年が経過したことから、算定基準日を令和5年(2023年)1月1日として再計算を行いましたので、令和5年(2023年)1月1日を基準日として算定した地震の発生確率値として、長期評価による地震発生確率値を更新します。 」 
 「※ 評価対象の地震の最新活動時期が不明な場合等は、時間の経過にかかわらず、発生確率値は一定となるモデル(ポアソン過程)を用いて発生確率値を算定しています。これらの地震については、今回の再計算の対象にはなっていません。 」

 ここで示されているように、地震調査委員会が発表している長期評価では、想定された地震が発生しない限り、発生確率値が時間の経過とともに増加するモデルであり、BPTモデルを採用しているという。

 BPT とは Brownian Passage Time の略で、気体の分子運動の記述に使われているモデルで「ブラウンの酔歩モデル」とも言われている。

 プレート境界の地震は、短い間隔で起こる事もあるが長い時もあることから、このモデルが採用された。このモデルでは、ある年まで地震が起こらなかったという条件を入れるため、地震発生確率は毎年変化する。毎年更新される ので「更新過程」と呼ばれるとのことであるが、そのため地震調査委員会では毎年1月1日に地震発生確率を更新して発表している。これが今回の発表であり、過去の地震の発生頻度によって、発表される確率の数値は変化するものもあれば、ほとんど変化が見られない地域もある。報道各社が伝える内容は地震調査委員会の発表内容のどの部分を強調するかにより、微妙に異なるものとなっていることが分かる。

 今回の発表内容から、今後20年、30年以内の地震発生確率をみると次のようである。

活断層で発生する地震の発生確率値の更新後の値(地震調査委員会HPより抜粋)

海溝型地震の発生確率値の更新後の値(地震調査委員会HPより抜粋)

 この中で注目すべきはやはり赤字で示した海溝型地震のうちの千島海溝・根室沖地震と、南海トラフ地震ということになる。
 昨年の発表と異なっているのは、南海トラフの20年以内の地震発生確率値のみであり、前回「50%~60%」であったものが、「60%程度」に変更されているが、その他は変わっていない。

 こうした微妙な違いは、この数値算出に用いられているモデルによることは上述のとおりだが、この数値がどのように算出されているか、特に南海トラフ地震について詳しく見ておこうと思う。

 首都直下地震の発生確率の計算はポアソン分布をもとに行われていることを以前確認したが(2022.12.9 公開当ブログ)、これは首都南部で過去発生した活断層型地震は、個々の断層ではその発生間隔が非常に長く、多くの断層でランダムに起きていることから採用されたものであった。

 一方、海溝型地震、中でも今回対象にする南海トラフ地震では、発生間隔が比較的短く、また過去の記録も次に示すように、ある程度残されていることから、前記のBPT分布関数を採用しているとされる。


過去の南海トラフ地震の発生年と震源域の場所(地震調査委員会 「南海トラフの地震活動の長期評価(第二版)」より)

 地震発生確率のBPT分布関数の式は次のように表わされる(梅田康弘 「地震の発生確率(Ⅰ)」2012 )。

  
      
 ここで、fは確率密度、tは経過年数、μは平均の地震発生間隔、αは発生間隔のバラツキの程度を示す数値である。

 仮に、μ=114、α=0.24 としてこの式をグラフ化すると次のようになる。発生間隔の114年は上の図の1605年の慶長地震以降に起きた4回の地震の間隔の単純平均値であり、α=0.24は地震調査委員会でも採用している数値である。


μ=114、α=0.24 とした場合の、BPT( Brownian Passage Time )モデルによる地震発生確率分布図  

 1946年の地震発生後の経過年数と、その時点での地震発生確率が、このように示される。

 このグラフを積分すると1になるが、地震発生確率が最大になるのは、発生間隔の平均値として用いた114年から推測される2060年よりも幾分早い2051年になっている。

 次に、ある時点から30年以内に地震が発生される確率はどのように求められるかを見ておく。次の図は上図の横軸を延ばして西暦2200年までを改めて描いたものだが、2023年現在から30年以内に地震が発生する確率Pは、この確率曲線の描き出す面積 aと bから次のように求められる。


 BPTモデルによる地震発生確率分布図と、これを用いて30年以内に地震が発生する確率を計算する手順

               P=a/(a+b)

 この確率Pを20年間および30年間確率について、起算年ごとにグラフ化したものが次の図である。


μ=114、α=0.24 とした場合の、BPT( Brownian Passage Time )モデルによる20年後、30年後までに地震が発生する確率

 これによると、2023年現在から20年以内および30年以内に、南海トラフで巨大地震が発生する確率はそれぞれ25.1%と41.5%と導かれる。

 この数値は、今回地震本部が公表した数値と比較するとずいぶん乖離があり計算の条件が異なっていることが分かる。では、今回地震調査委員会が発表した20年以内60%程度と30年以内70%~80% とした数字がどのように導かれたかをみてみようと思う。

 地震本部の公表資料には次のように記されている。

 「地震調査委員会では、南海トラフで発生する地震(南海地震、東海地震)の地震発生確率を評価する際、時間予測モデルを採用している。時間予測モデルでは、 次の地震までの時間間隔が前回の地震の規模に応じて、変化するとしている。これは プレート運動などにより、地震間に一定の割合でひずみが蓄積していき、限界値を超えたところで地震が起きてひずみが解放されるという考え方である。地震により解放 されたひずみの量、すなわち地震の規模は、断層上のすべり量に比例する。このモデ ルに基づいて前回の地震の規模(すべり量)から、次の地震までの発生間隔が予測で きることより、『時間予測モデル』と呼ばれる。南海地震においては、過去3回の南海 地震による室津港の隆起量が求められているため、この隆起量に時間予測モデルを適用することが可能であると判断した。・・・

 時間予測モデルを用いた場合のαは、データ数が少ない点を考慮すれば、むしろα =0.20 より大きめの値とすべきと判断した。このため、陸域の活断層のデータから得ら れたαの値も考慮して、時間予測モデルにはαとして 0.20~0.24 を用いることとした。・・・

 時間予測モデルが成立しているかどうか、あるいはその物理的な背景 については議論が続いており、現在のところはっきりとした結論は出ていない。現時点では、南海トラフの地震に時間予測モデルを適用することについて、問題点はあるものの、モデルそのものを否定するだけの情報は無いため、前回と同じく時間予測モ デルを用いて発生確率の評価を行うことにする。 」

 次図は、この時間予測モデルで用いられている潮位から推定した室津港の隆起量と発生間隔の関係を示したものである。


時間予測モデルで用いられている潮位から推定した室津港の隆起量と発生間隔の関係(地震本部公表 2013.5.24 より  )

 このモデルによると、昭和地震の次の地震が発生するまでの時間間隔は、過去の平均発生間隔より短くなると推定され、88.2 年とな る。

 ここで示されたμ=88.2、α=0.20~0.24 とした場合の、BPTモデルによる南海トラフ巨大地震の発生確率密度および、20年後、30年後までに地震が発生する確率を求めると、次のようになる。

μ=88.2、α=0.20 とした場合の、BPT( Brownian Passage Time )モデルによる地震発生確率分布図  

 
μ=88.2、α=0.20 とした場合の、BPT( Brownian Passage Time )モデルによる20年後、30年後までに地震が発生する確率

 この計算結果によると、来るべき南海トラフ巨大地震の発生確率が最も高くなるのは、時間予測モデルが示す2034年より5年早い2029年になる。20年後、30年後までに地震が発生する確率はそれぞれ、62.6%、81.3%になる。

 続いてμ=88.2、α=0.24 とした場合の、BPTモデルによる南海トラフ巨大地震の発生確率密度および、20年後、30年後までに地震が発生する確率を求めると、次のようになる。 

μ=88.2、α=0.24 とした場合の、BPT( Brownian Passage Time )モデルによる地震発生確率分布図  

μ=88.2、α=0.24 とした場合の、BPT( Brownian Passage Time )モデルによる20年後、30年後までに地震が発生する確率

 この場合には、発生確率が最も高くなるのは、2027年と予測され、20年後、30年後までに地震が発生する確率はそれぞれ、62.6%、81.3%になる。

 これらをまとめたものが次の表である。


BPT( Brownian Passage Time )モデルによる20年後、30年後までに地震が発生する確率のまとめ

 これらの計算結果から、冒頭紹介した南海トラフ巨大地震についての地震本部の公表値は、BPTモデルを基本とし、地震発生間隔 μ値に時間予測モデルから得られる数値を代入しており、αには0.24に近い値を採用することで計算されたものであることが理解できる。

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地震予測と対策(4)

2022-12-09 00:00:00 | 地震
 もし発生した場合、その被害の大きさから現時点で最も懸念される地震は、首都直下地震と南海トラフ巨大地震ということになる。この二つの地震に関しては、マスメディアでも取り上げられることが多い。

 その発生確率が、30年以内にそれぞれ70%および70~80%であることは、しばしば見聞きすることであり、よく知られるようになっていることと思う。

 ところで、この発生確率がどのようにして導かれたものかを調べようとすると、専門的でもあり意外に難しい。

 現在、公式にこれらの地震に関係する情報をネット上で提供しているのは、地震調査研究推進本部(略称は地震本部、文部科学省)、中央防災会議(内閣府)、気象庁(国土交通省)、国土地理院(国土交通省)、産業技術総合研究所(略称は産総研、経済産業省)などであり、東京大学地震研究所やNHKからも情報提供が行われている。また、このほかにも、YouTubeには地震研究者やそのOBによる情報提供や民放の地震関連報道番組も数多くみられる。

 これらの情報をもとに、首都直下地震と南海トラフ巨大地震の発生確率70%と70~80%という数字がどのようなデータと理論をもとに導かれたものかを調べてみた。今回は、まず首都直下地震の方から。

 その前に、我が国の首都である東京が、G7・主要7か国の首都の中でもいかに地震被害を受けやすい場所に位置しているかを改めてみておこうと思う。

 次の地図は、よく見かける世界の地震発生場所(赤点)を示す地図に、G7の首都を書き込んだものであるが、東京だけが極めて特異な場所に位置していることがわかる。

世界の地震発生場所マップ(出典:地震本部)にG7の首都を追記

 ワシントン、オタワ、ロンドン、ベルリン、パリ、ローマといった他のG7諸国の首都は比較的安定した地域に位置していて、地震被害を受けにくいことがわかる。

 世界最大の再保険会社であるミュンヘン再保険が2002年に発表した、大規模地震が起きた場合の経済的影響度を含めた世界主要都市の自然災害の危険度ランキングでは、東京・横浜が710ポイントと1位で、167ポイントで2位のサンフランシスコと大差がついているとされる(ウィキペディア:南関東直下地震)。

 一方、東京は江戸時代の大火・地震・富士山噴火、大正時代の関東大震災、昭和に入ってからは第二次大戦中の空襲と何度も大きな被害を受けながらも今日の発展を遂げてきた。

 先日、久しぶりに都内のホテルに宿泊して、高層ビルの上から都内を眺める機会を得たが、首都直下地震のことを思い、再びこの街と人々が悲惨な思いをすることのないようにと願わずにはいられなかった。


ホテルの高層階から見た東京(2022.11.6 撮影)

 ホテル周辺では次々と高層ビル建設が進んでいて、その中には現在日本一の超高層ビルである大阪のあべのハルカス300mを越す325mのビルもあり、来年2023年に竣工予定であるという。そしてさらに、このビルも2027年には東京駅前に予定されている高さ390mの超高層ビルに追い越されるのだという。

 首都直下地震が叫ばれる中、いささか違和感を感じざるを得ない超高層ビルの建設ラッシュである。こうした超高層ビルはきちんとした耐震や免振設計がなされていて、地震には強く、マグニチュード7クラスとされる首都直下地震はもちろんのこと、さらにそれを上回る関東大震災級のマグニチュード8クラスの地震にも耐え得るとされているが、ビル本体はともかく、地上60階以上に及ぶ高層階は地震に伴う長周期振動の影響を受けることが懸念されているし、ビルそのものも本当に大丈夫だろうかといった指摘をする専門家もいる。

 首都直下地震が発生した場合の最悪のケースを想定した被害予想が政府から発表されているが、次のようである。最悪というのは地震発生の季節・時刻・天候・震源地などを考慮したものである。


首都直下地震(M7.3)の被害想定(出典:中央防災会議) 

 この被害想定は、震源地の場所により大きく変化する。最悪のケースは、震源地として想定される次の図の19か所の活断層などのうち、都心南部直下で発生した時のものである。


首都直下地震の震源地として想定される19か所(中央防災会議資料を参考に作成)

 このように、首都直下地震を引き起こす可能性がある活断層は多く存在し、それらが実際にずれて地震を発生させる頻度は、断層により千年から数千年、さらには1万年の幅を持ち、ランダムに起きているとされる。

 首都直下地震に関して、地震研究者が現在注目しているのは、南関東で発生するマグニチュード7クラスの地震である。より大きいマグニチュード8クラスの地震は、その発生メカニズムがプレート境界型で、およそ2-300年の間隔で発生していて、前回1923年の大正関東地震から99年が経過した現在、今回の検討対象にはなっていない。

 過去、南関東で発生したマグニチュード7クラス以上の地震は次のようである。


南関東で発生したマグニチュード7クラス以上の地震

 ここには11のマグニチュード7クラスの地震が記録され、1703年に発生した元禄関東地震(M8.2)から1923年の大正関東地震(M7.9)までの間では、8つの同クラスの地震が発生しているが、これらの震源域を前出の地図に追記すると次のようである。


元禄関東地震(M8.2)から大正関東地震(M7.9)までの間に発生した、8つのマグニチュード7クラスの地震の震源地①~⑧

 ではここでその発生確率がどのようにして求められているかを見ていく。
 
 今後起きうる首都直下地震の発生確率は、この8回のマグニチュード7クラスの地震と、最近になり1987年に発生した千葉県東方沖地震(M6.8)の発生時期から得られる発生間隔をもとに統計的に求められているという。

 統計的にというのは、この場合次式で表されるポアソン分布のことを指している。Pが発生確率でΔμが対象とする期間(年)、μは地震発生間隔(年)である。
  
    P=1ーe(ーΔμ/μ)

 この式の意味するところは、今後Δμ年のうちに地震が発生する確率は過去の同様の地震の発生間隔 μ から求まり、年と共に変わらず一定の値になるということである。

 このため、過去の地震発生の記録から、発生間隔をどのように算定するかが重要になる。上記表の11回の地震発生間隔を単純に平均すると25.8年になる。

 NHKが2019年11月25日に発表している資料(首都直下地震「今後30年で70%」の根拠は)によると、「地震調査委員会は『元禄関東地震』から『関東大震災』までの220年間を1つのサイクルとして、今後のマグニチュード7クラスの大地震の発生確率を予測しています。220年の間に8回発生しているため、単純に計算すると27.5年に1回(そのまま引用)。 」としている。
 
 また、江戸川区の公式チャンネルYouTube(災害の時代を生き抜く~首都直下地震から大切な命を守るために)の中で、東京大学地震研究所の平田直教授は、マグニチュード7クラスの地震発生について、「1703年から現在までに9回(1923年を除く)、1703年から1923年までの220年間に8回と平均して27.3年に1回。」とほぼNHKと同様の数字を挙げている。

 一方、政府調査委員会の計算は1885年から2004年までの119年間に5回発生し、平均値は従って23.8年を採用しているとされる。

 このように、公表されている平均の地震発生間隔の数値はややばらついているが、前記の式にΔμ=30とし、μ=23.8、25.8、27.3、27.5をそれぞれ代入すると、P=71.6、68.7、66.7、66.4を得る。

 すなわち平均発生間隔23.8年~27.5年の地震は、今後30年以内に発生する確率がいずれも約70%ということになる。政府発表の数値はこれを用いたものであることがわかる。
 この関係式を用いると、20年以内だと平均53.6%、40年以内だと平均78.4%ということになる。

 一部割愛するが、Δμ とμを変化させたときのグラフは次のようである。


地震発生確率<P=1ーe(ーΔμ/μ)>を示すグラフ

 ここで用いた、過去に発生した地震の間隔は、表に見るように、0.28年から70.56年までのばらつきを持っている。果たしてこうした数値から、平均の年数を求めて、これを数式に当てはめてよいものだろうかという疑問が生じる。

 これに対して、もう一つ別の角度から検証する方法として、G-R 則が示されている。G-R 則(グーテンベルグ・リヒター則)とは、ドイツの地震学者ベノー・グーテンベルグとアメリカ合衆国の地震学者チャールズ・リヒターが見出したもので、地震の発生頻度と規模の関係を表す法則である。片対数グラフで表すと直線関係になる。

 この直線関係の式は、マグニチュードがM のときの地震の頻度をn(回/年)とすると、Mの関係は、パラメーターab を使って次の式により表される。

   log10 n = a  bM

 また、あるMより大きい地震の数をすべて加えてNとした場合にも、

   log10= AbM

の関係が成り立つというものである。

 次の図は梅田康弘氏(当時:産総研)が「地震の規模別頻度分布」と題する講座の中で紹介しているが、地震調査推進本部がHPで発表しているものである。実測データにおける、n とMの関係、NとMの関係を見ることができる。


地震の規模別頻度分布図の例(南関東における実測データ、地震調査推進本部より)

 この関係式を用いると、ある地域で一定期間内に発生している多数の規模の小さい地震データまでを含めて利用できるので、より統計的に確からしい数字が期待できるというものである。

 こうして、 1950 年から 2004 年の 54 年間のデータを用いて、南関東で発生したマグニチュード7クラスの地震の平均値であるM=6.84 の地震が起きる回数を求めると、N = 2.058 回が得られることから、54 年/2.058 回 = 26.2 年/1回,つまり約 26.2 年に1回,M6.84 の地震が起きるということになり、前記数値採用の妥当性が検証できているとされる。

 阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本地震など近年日本で発生した大地震はことごとく予期しないときに予期しない地域で発生して、大きな被害を出した。

 この経験から、地震は日本国内ではいつどこで起きてもおかしくないという考えが一般化してきている。

 民放のTV番組「【徹底解説】『30年で70%』首都直下地震の"ホント"の話」の中で、東京大学 地震研究所の古村孝志教授は次のように述べている。

 「・・・関東では過去にマグニチュード7クラスの地震が繰り返し起きていて、最近の明治それから大正年間にはこの5つ、明治東京地震、それから竜ケ崎、霞ケ浦の地震、浦賀水道、最近では87年千葉県東方沖の地震、これらがだいたいマグニチュード7クラスの地震で、こうやって100年あたりに5つ、これくらいの頻度で起きているんです。前回起きたのが千葉県東方沖で87年、もう30年以上たちますから、そろそろ同じくらいの規模の地震がこの首都直下で起きてもおかしくはない。それを確率で表したら30年以内に70%という結構粗いんですが、こういう数字になるんですね。・・・」

 「・・・東京は京都に比べて、あるいは奈良に比べて歴史が浅いので、昔の地震のことはあまりよくわからないんですね。記録はないからどうしても統計としてもこういう粗い数字にしかならない。とはいっても、地震の緊迫度を数字にしないとなかなか人の行動につながらない、防災対策につながらないというので、粗い数値だということを承知の上でこういう確率が出ているんですね。・・・」

 このように、想定被害が甚大で国家の基盤を揺るがしかねない首都直下地震と南海トラフ巨大地震については、地震関連知識を総動員して予測し、被害を最小限に食い止めようとする対策・努力がなされているが、その拠り所として政府から公表されている首都直下地震発生についての数字が今回のこの30年以内に70%の確率となったことがわかる。

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地震予測と対策(3)

2022-11-04 00:00:00 | 地震
 近い将来その発生が予測されている、南海トラフ巨大地震であるが、当地軽井沢のある長野県内にも震度6弱以上の強い揺れをもたらすとされている。

 マグニチュード8~9クラスとされるこの巨大地震の発生確率は今後30年以内に70%~80%であるが、日本列島全体を見渡すと、千島海溝の根室沖でもマグニチュード8クラスの巨大地震の発生確率が今後30年以内に70%程度、首都直下地震につながるフィリピン海プレートの沈み込みによる相模トラフ沿いのマグニチュード7クラスの地震もまた今後30年以内に70%の確率で発生すると予測されているという、奇妙な数字の一致を示している。

 次の地図は、政府の地震本部が2022年1月に公表している地震発生確率を示すものであるが、赤紫色の部分は今後30年以内に巨大地震が発生する確率が26%以上の領域を示す。北の千島海溝から南海トラフまで日本列島の縁に沿って広範な地域で巨大地震発生の確率が高まっている。


政府・地震本部が公表している「主な海溝型地震の評価結果」地図

 前回、南海トラフ巨大地震が発生したのは、1944年12月(昭和東南海地震)と1946年12月(昭和南海地震)である。

 このうち、昭和東南海地震は、紀伊半島東部の熊野灘沖を震源としたM7.9 のプレート境界型巨大地震である。最大震度は6を記録している。

 また、昭和南海地震は、潮岬南方沖78キロメートル、深さ24キロメートルを震源としたM8.0のプレート境界型巨大地震であり、当時の中央気象台の管轄する測候所で観測された各地の最大震度は5で、北は福井、西は大分までの広範囲に及んでいる(一部、委託観測所による震度6の印が下の図に見られる)。


昭和東南海地震の震度分布(X:震源、ウィキペディア2022.10.25更新より)


昭和南海地震の震度分布(X:震源、ウィキペディア2022.7.31更新より)
 
 この時、京都・大阪・神戸などの震度は共に4であった。当時大阪に住んでいて、生まれたばかりであった私は、幼すぎてもちろんそのころの記憶は全くないが、昭和南海地震が初の巨大地震体験ということになった。
 
 その後、阪神淡路大震災を引き起こした兵庫県南部地震(1995年1月)、新潟県中越地震(2004年10月)、東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震(2011年3月)へとつながっていくが、いずれも比較的近い場所に住んでいたものの、直接大きな被害を受けることはなかった。

 関西では大きな地震に出会うこともなく過ごしたことも手伝って、学生時代までは日常的に地震を意識することもなかったのであるが、就職して神奈川県に住むようになってからは、震度3程度の地震をしばしば経験するようになり、関心も次第に強くなっていった。

 当時は、1923年9月に発生した関東大震災について、69年周期説というものがあった。これは、東京大学地震研究所の川角廣所長が唱えたもので、関東大震災から69年後といえば1992年、誤差は前後13年とされるので、1979~2005年の間に75%の確率で関東大震災級の大地震が起こるといわれていた。

 すでに地震発生後60年近くが経過していたころで、近い将来再びマグニチュード8程度の巨大地震が関東地方を襲うのではないかとの懸念のもと、被害が集中すると予測された東京の地区では対策も立てられたとされる。

 また、このころ東海沖地震も予測されており、政府指導の下、勤務先では防災運動が展開され、建物からの避難訓練が定期的に行われた。

 具体的な地震対策としては避難のほか、ロッカーや書棚類はアンカーボルトで床や壁に固定し転倒を防ぎ、研究用の高価な測定器などは実験台上に固定して転落を防いだ。発火や爆発の危険がある薬品類は、棚の中でビンが割れたり、漏れ出した液体が混じったりしないように、仕切り板の付いた受け皿に入れるとともに、危険なものは配置場所を離して保管したりするようにもした。

 この東海地震予測の根拠として、1944年に発生した昭和東南海地震が、想定域の西側だけを震源域とする巨大地震であったことから、空白域として残った遠州灘中部から駿河湾にかけてを震源域とする単独での巨大地震発生の可能性があるとされ、警戒されるようになったのであった。 また、この東海地震に限っては、直前予知が可能であるとの判断もなされていた。

 しかし、この当時警戒していた昭和の関東大地震も、東海地震も幸いなことに発生していない。

 このことに関して、関東大地震については、当時の学説は、南関東で周期的に発生する2種類の地震を混同していたことが原因とされる。

 1つは70~80年に1回発生するマグニチュード7クラスのプレート内地震、もう1つは約200年に1回発生するマグニチュード8クラスのプレート間地震である。川角教授はこれらを混同したために、発生周期を誤って算出していたというのである。

 南関東で過去発生した地震は次のようであり、現在公表されている首都直下地震の予測は、1703年の元禄関東地震から1923年の大正関東地震までの220年間に発生したマグニチュード7クラスのプレート内地震8回の発生頻度から算出されている。
南関東で発生した地震の強度(地震本部発表資料より)

 一方、東海地震の方は、当時考えられたような遠州灘中部から駿河湾にかけてを震源域とする単独での巨大地震の発生はなく、今後想定される南海トラフ地震と連動したものとなると考えられるようになっている。改めて、地震発生予測の難しさを感じさせるこれまでの経緯である。

 ところで、私の大地震体験の続きを書いておこうと思う。1994年4月に、転勤で広島県三次市に住むようになったが、この直後阪神淡路大震災(1995年1月)が起きた。三次市の震度は3程度で、自宅にも勤務先にも直接の被害はなかったが、尼崎にあった関連工場は被災したし、山陽新幹線が止まり、毎月東京で行われていた会議には、しばらくの間、東広島空港から羽田まで飛行機でいかなければならなくなった。

 そして、数年後の1998年5月に今度は新潟県上越市に転勤となったが、ここでは中越地震(2004年10月)に遭遇した。この時も長岡にあった関連工場が被災している。上越市は震源地からは数十キロ離れていたものの、工場のある場所の震度は5弱で、職場事務所内の机や棚、工場の設備などの中には、位置がずれたり、転倒するものが出た。

 私が所属していた技術部では、神奈川県に勤務していたころの経験から、書棚などの背の高いものは床に固定するようにしていたので、幸い転倒を免れることができ、被害も最小限であった。

 2010年7月には上越市から都心部へ転勤になったが、ここで東日本大震災(2011年3月)を経験することになった。多くの日本人は、この日のことをよく覚えているのではないかと思うが、私は地震発生の前日、所用で軽井沢に来ていて、当日はちょうど新幹線で東京に向かっている時であった。

 本庄早稲田駅を通過してしばらく進んだあたりで列車は急停止し、地震発生によるものであることが告げられた。窓の外に見える電柱間の電線はいつまでも大きく揺れ続けていた。

 そのまま列車内に閉じ込められて時間が過ぎ、夕方になりようやく列車はバックして本庄早稲田駅に戻り、ここで下車することができた。乗客の大半は列車内やホームで渡された毛布にくるまるなどして、一夜を過ごすことになった。余震が頻繁に起きていて、その都度あちらこちらで携帯電話のブザーが車両内に鳴り響いていた。

 翌朝も新幹線は運転再開のめどがなかったので、動き始めているとの情報があった在来線の本庄駅までタクシーで向かった。しかし、いつまで待っても列車が動く様子がなく、再びタクシーで大宮駅に向かった。京浜東北線が動き始めているとの情報があったからである。

 この時、タクシーの運転手から、「東北日本は壊滅状態にある」との話を聞いた。それまで、ほとんど情報がなく、いったい何が起きているのかよくわからないでいたので、大きな衝撃を受けた。

 大宮から列車で最寄り駅まで行き、マンションの自室にようやく帰り着いたが、エレベータは止まっていて、11階まで階段を使わなければならなかった。

 部屋に入ると、娘婿の書いたメモが残されていた。東京に勤務している彼も鎌倉の自宅に帰ることが出来ず、留守中の私のところに泊っていったとのことであった。以前から、何かの折には泊まることが出来るようにと、部屋の鍵を渡してあったがそれが役に立つことになった。

 部屋の中は意外にも被害がないように見えたが、メモには薄型TVが倒れるなどして物が多少散乱していたので、片づけておいたと書かれていた。マンションの高層階に住んでいたが、仮住まいでもあり、家具なども少なく、食器が壊れることはなかった。

 週が明けて、職場に出たが、同僚から地震当日がいかに大変であったかを、あれこれと聞くことになった。帰宅困難者が多数出たが、幸い職場では物的な被害は出ていなかった。

 あの混乱から10年余、今年(2022年)3月16日に福島県沖を震源とするマグニチュード7.4、最大震度6強の地震が発生し、これが東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震の余震であると推定されていることを知って、改めていかに3.11の地震が巨大なものであったのかを思い知らされた。

 私はこの間に定年退職し、2年間は東京から鎌倉に移り住んだが、その後軽井沢に移住することを決意した。軽井沢という地を選んだ理由の一つは、地震被害が比較的少ないということであった。勤務先に縛られることなく、自由に居住地を選択できるようになったので実行できたのであるが、地震対策といえるかもしれない。



 



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