軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

庭にきた蝶(11)ジャノメチョウ

2017-08-25 00:00:00 | 
 今回はジャノメチョウ。前翅長が28-42mmの中型でタテハチョウ科の、ジャノメチョウ亜科ジャノメチョウ属に分類される種で、♀は♂よりも大きい。成虫は初夏から秋にかけて見られ、年に1回発生し、幼虫で越冬する。幼虫はイネ科のススキ、スズメノカタビラなどを食草とする。スズメノカタビラとは聞きなれない名前であるが、調べてみると空き地などで普通に見かける雑草であった。

 学生のころ購入して、参考にしていた原色日本蝶類図鑑(1964年 保育社発行)ではジャノメチョウ科は独立した科になっていたので、私などはこの蝶が今はタテハチョウ科に分類されていることは意外で、若干の違和感を覚える。このほかにも、50年ほど前と比べると分類や名前が変わっている蝶には、ウスバシロチョウ、スジグロチョウ、キチョウなど結構あるようだ。

 ジャノメチョウは、東アジアからヨーロッパに広く分布し、日本でも沖縄県を除いて、ほぼ全国に分布しているが、特に日本産のもののみ素晴らしく大型であることは珍しいとされる(原色日本蝶類図鑑)。
 
 名前の「ジャノメ」は「蛇の目」であり、褐色の翅に黒く丸い紋がありその中が美しい瑠璃色をしていることに由来する。ジャノメチョウ属の仲間の蝶はほとんどが翅の表面か裏面にこの「蛇の目」すなわち「眼状紋」をもっている。地味な蝶が多く、蛾と間違えられそうなジャノメチョウ属の中では、ジャノメチョウの大きさとこの眼状紋の中の瑠璃色が印象的であり、種の同定は容易である。

 雌雄の判別も、大きさのほか翅の色が♂では濃褐色であるのに対し、♀ではやや薄く、眼状紋が大型で目立つことなどから比較的容易に行える。

 自宅庭にもときどきふわふわと飛んでくるが、黒く大きめのこの蝶はわりによく目立つ。ジャノメチョウ属にはめずらしく我が家の庭のブッドレアの花に止まり、アカタテハ、ヒメアカテテハ、ツマグロヒョウモン、ミドリヒョウモンなどの常連客に混じって蜜を吸う。

 雌雄の大きさの差を実感していただくために、義父のコレクションにある標本で比較をしてみると次のとおりである。


ジャノメチョウ♀の翅表(左上)、同翅裏(右上)、ジャノメチョウ♂翅表(左下)、同翅裏(右下)

 上段の♀は下段の♂に比べると一回り大きいことがわかる。また翅の色も比較してみると♂の方が濃い。後翅裏面の白帯も♀で目立っている。

 我が家のブッドレアと日本ハッカの花には、昨年8月に続き今年も同じ時期にやって来ている。


庭のブッドレアの花で吸蜜するジャノメチョウ♂ (2016.8.2 撮影)


庭のブッドレアの花で吸蜜するジャノメチョウ♂ (2016.8.2 撮影)


庭のブッドレアの花で吸蜜するジャノメチョウ♀ (2017.8.18 撮影)


庭の日本ハッカの花で吸蜜するジャノメチョウ♀(2017.8.23 撮影)


庭のモミの木で休息するジャノメチョウ♀ (2017.8.23 撮影)


庭のモミの木で休息するジャノメチョウ♀ (2017.8.23 撮影)


コンフリーの葉上で休息するジャノメチョウ♀ (2017.8.13 撮影)


タンポポの葉上で休息するジャノメチョウ♂ (2016.8.1 撮影)



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あさま山荘(1/3)

2017-08-18 00:00:00 | 軽井沢
軽井沢に住むようになって気になっていたことの一つが、「あさま山荘事件」のことであったが、事件の現場となった「あさま山荘」がどこにあるのか、詳しいことについては特に調べることもなく日が過ぎていた。

 南軽井沢の道路沿いに、この事件の顕彰碑である「治安の礎」が建てられていることには早くから気付いていたが、「あさま山荘」そのもののことはこれまで判らないままになっていた。

南軽井沢の道路沿いに建てられている「治安の礎」(2017.7.2 撮影)

「治安の礎」の石碑(2017.7.2 撮影)

石碑脇の木柱とパネル(2017.7.2 撮影)

 1973(昭和48)年2月28日、事件解決のちょうど1年後に建てられたこの顕彰碑には次のような碑文と、事件当時の様子を示すレリーフが刻まれている。

 『群馬県下の山岳アジトにおいて陰惨な大量リンチ殺人を犯した連合赤軍の幹部ら五名が、昭和47年2月19日、ここ南軽井沢「あさま山荘」に押し入り、管理人の妻を人質に、包囲の警察部隊に銃撃をもって抵抗するという、わが国犯罪史上まれにみる凶悪な事件を引き起こした。警察は、人質の安全救出を最高目標に、厳寒の中あらゆる困難を克服しつつ、総力を傾注した決死的な活動により、2月28日、219時間目に人質を無事救出し、犯人全員を逮捕した。
 この警備活動に当たって、警視庁から来援の
  故 第二機動隊長     内田尚孝警視長
  故 特科車両隊指揮官  高見繁光警視正
が殉職され、また、多数の警察官が重軽傷を負った。殉職の両氏は激しい銃火の中にあって、あさま山荘に突入する隊員を陣頭指揮中、凶弾に倒れ、白雪を鮮血に染めながら壮烈な最期を遂げ、人質救出と犯人逮捕の礎となられた。
 この碑は、軽井沢町民が相図り、両氏の功績を永く後世に伝え、再びこのような事件が起こることのないよう祈念し、建立したものであり、警備活動の責任者として依頼され一文を記した。
    昭和48年2月28日                                                                                                        長野県警察本部長 警視監 野中 庸  』

石碑の側面に設けられている事件の様子を示すレリーフ(2017.7.2 撮影)

 この顕彰碑が建てられている場所は、碓氷軽井沢インターから軽井沢駅に向かう途中、72ゴルフ場の手前を西方向に向かう道が2本あるが、その2本が交差する地点にある。

 その後調べてみると、「あさま山荘」はちょうどこの「治安の礎」のある場所から見通せる方角、別荘地レイクニュータウンの中にあった。実際には、顕彰碑の背後にある木の陰になっていることと、「あさま山荘」の周辺にも木が生い茂っており、この場所からは直接建物の姿を見ることはできないが。

 ところで、「あさま山荘事件」は発生後すでに45年を経過し、私自身も当時の記憶が薄れてきているので、関係資料で事件の内容を再確認してみた。

 『1972年2月16日、犯人らが直前まで事実上の拠点として使用していた榛名山や迦葉山のベースの跡地が、警察の山狩によって発見されたことをラジオのニュースで知った坂口弘らは、群馬県警察の包囲網が迫っていることを感じ、群馬県妙義山の山岳ベースを出て山越えにより隣接する長野県に逃げ込むことにした。

 この時、最高幹部の森恒夫と永田洋子が資金調達のための上京によりベースを不在にしていたため、この決定は2人との連絡が取れない中で坂口を中心に行われた。

 森と永田もベースが発見されたことを前日に知り、坂口たちと合流すべくベースに戻るが、2月17日に山狩りをしていた警察官に見つかり抵抗の末逮捕された。

 ベースに戻り合流した坂口らは長野県の佐久市方面に出ることを意図してベースを出発したが、装備の貧弱さと厳冬期という気象条件が重なって山中で道に迷い、軽井沢へ偶然出てしまった。軽井沢レイクニュータウンは当時新しい別荘地で、連合赤軍の持っていた地図にはまだ記載されていなかった。そのため、メンバーはそこが軽井沢であるとは知らずに行動せざるを得なくなり、後に彼らが立てこもり先として浅間山荘を選んだのは偶然であった。

 2月19日午前、食料などの買い出しに出かけた植垣、青砥ら4名が軽井沢駅で逮捕される。こうして29名いた連合赤軍メンバーは、12名が山岳ベースで殺害され、4名が脱走、8名がこの時までに逮捕されており、事件発生直前には坂口弘、坂東国男、吉野雅邦、少年A、少年Bの5名を残すのみとなっていた。・・・(中略)

 2月19日の正午ごろ、メンバー5人は軽井沢レイクニュータウンにあった無人の「さつき山荘」に侵入し、台所などにあった食料を食べて休息していたが、捜索中の長野県警察機動隊一個分隊がパトカーに乗って近づいてきたことを察知し、パトカーに発砲した。

 15時20分ごろ、メンバーは銃を乱射しながら包囲を突破し、さつき山荘を脱出すると、自動車がある家を探す中で浅間山荘に逃げ込み、管理人の妻を人質として立てこもった。(Wikipedia あさま山荘事件 2017年8月1日 (火) 23:59 より)』

 この後「あさま山荘」では10日間にわたり攻防が続き、2月28日に全員が逮捕され、人質も無事救出されるが、この出来事については、当時警察庁から応援に派遣された佐々淳行氏の著書『連合赤軍「あさま山荘」事件』(1996年6月30日 文芸春秋発行)や、元長野県警幹部北原薫明氏の著書『連合赤軍「あさま山荘事件」の真実』(1996年12月11日 ほおずき書籍発行)などに詳しく書かれているし、関連図書も多い。

まず、佐々淳行氏の著書『連合赤軍「あさま山荘」事件』。

佐々淳行著『連合赤軍「あさま山荘事件」の真実』の表紙

 この本のあとがきで佐々氏は次のように書いている。

 『この本は、内閣の閣僚でもなく、どこかの国の大使でもない、全く名も無い一主婦を、非人道的なテロリストの魔の手から救出するために自らの命を捧げた正義の戦士のための鎮魂賦であり、傷つき倒れた勇敢で忠誠な治安の戦士たちの勇気を讃える武勲詩であり、後世にその人々の名を残す顕彰碑なのである。』

次は、元長野県警幹部北原薫明氏の著書『連合赤軍「あさま山荘事件」の真実』。

北原薫明著『連合赤軍「あさま山荘事件」の真実』の表紙

 この本のあとがきを見ると次のようにある。

 『なお最近では、警察庁より応援に派遣され、現地の警備本部の特別幕僚の立場で本事件にかかわったS氏も、当時の警備部隊の内部の状況を著して出版したが、その内容に事実と異なる点があることや、長野県警が一丸となって死力を尽くした点などが十分に記述されていないと思われる点もあるので、事件にかかわった一員としての責任から、浅学を省みず、改めて当時の資料に基づき、正確な事実と、当時の調査で解明できなかった点などを明らかにしたいと思って、本書を発刊することにした』

 また、上記の2書に先駆けて発行され、当時まだ16歳であった犯人の一人M少年の目で見た事件の一部始終という形で書かれた、白鳥忠良氏の著書「あさま山荘事件-審判担当書記官の回想-」(1988年1月20日 国書刊行会発行)には、違った視点での事件の記述がみられる。

白鳥忠良著「あさま山荘事件-審判担当書記官の回想-」の表紙

 この本のあとがきには出版の動機として次のような文章がある。

 『マスコミは挙って新聞・雑誌などで、いち早く報道されたが、あまりにも事案複雑、関係者多数のため、事件のすべてを詳細に網羅登載することができず、部分的なものにすぎなかった。また事件の真相を正確に把握してのものでもなかったと思う。・・・
 それに、今日までに成人の刑事事件として身柄拘束中の者、刑事終局処分後刑期に服しているもの、既に刑期終了後社会人になっている者らが、この事件の真相とか実録と称して、雑誌などで発刊しているらしいが、その殆どは、同僚に罪を転嫁したり、自己に都合のよいところのみ記載されたものや、刑の言い渡し前に、世間の人々から同情を得ようとしたものにほかならない。・・・
 そこで私は、(中略)この事件の担当者として体験した事実を再現すべく、この錯綜した難事件のすべてについて、もちろんマスコミなどで報道されていない隠れた部分をも盛り込み、最も信憑力のある著書として後世まで、これを伝えたいと考え、拙文をも省みず敢えて執筆するに及んだ』

 あさま山荘事件の結果は、警察官の犠牲2名、民間人の犠牲1名、重軽傷者27名であった。

 また、逮捕された5名の裁判の結果は、次のようなものであった(年齢は事件当時)。

坂口 弘(25)
 1993年2月19日、最高裁判決により死刑。
坂東國男(25)
 1975年8月4日、日本赤軍によるマレーシアのクアラルンプール事件によって、「超法規的措置」として釈放され日本赤軍に合流。現在国際指名手配されている。
吉野雅邦(23)
 1979年3月29日、検察の死刑求刑に対し、東京地方裁判所は無期懲役を言い渡した。
 死刑を求めていた検察は控訴したが、1983年2月2日に東京高等裁判所は控訴を棄却。検察側が上告しなかったため無期懲役判決が確定した。
少年A(19)
 1983年2月、懲役13年の刑が確定し、三重刑務所で服役。1987年1月仮釈放。
少年B(16)
 1983年2月、中等少年院送致と判決が確定した。

 事件後10年ほどは、「あさま山荘」は観光名所となり、観光バスのコースにもなっていたという。その後、大半を取り壊して建て直され、アートギャラリーとなったのち、現在は中国企業の所有となっているとされている。

 先日現地に行ってみたが、建物の老朽化が進み、ほとんど使用されていないように見えた。

 一方、現在のレイクニュータウンでは、初夏になるとバラ園にたくさんの美しいバラの花が咲き、観光客の目を楽しませている。

下の道路から見上げた現在の「あさま山荘」(2017.7.2 撮影)

上の道路から見た現在の「あさま山荘」の玄関付近(2017.7.2 撮影)

別荘地レークニュータウンの入り口(2017.7.2 撮影)

レークニュータウン管理事務所の前庭に咲くバラ(2017.6.30 撮影)

レークニュータウン内にあるレイクガーデンのバラ園1/2(2017.6.30 撮影)

レークニュータウン内にあるレイクガーデンのバラ園2/2(2017.6.30 撮影)

 この事件については、社会の大きな関心を集めたことも手伝い、多くの小説、映画、TV番組、舞台作品が発表されている。

 映画では、前記佐々淳行氏の『連合赤軍「あさま山荘」事件』(文藝春秋刊)を映像化した作品『突入せよ!あさま山荘事件』などがある。

 この映画のキャストには、佐々淳行:役所広司、後藤田正晴警察庁長官:藤田まこと、国松孝次広報課長:田中哲司などの名前を見ることができる。

 私自身はこれらのごく一部を見たに過ぎないが、新潟県上越市に赴任していた時に、前記の映画のロケがあり、上越市の市民もエキストラとして出演していて、事件のことも身近に感じていた。また、事件の解決に用いられた鉄球は現在もロケ地となった長野・新潟県境にある「光が原高原」に展示されている。

あさま山荘事件に集められた鉄球(左)と映画撮影に用いられた鉄球(右)(2002.9.22. 撮影)

鉄球脇に建てられた石碑(2002.9.22. 撮影)

 小説では、あさま山荘事件を直接扱ったものではないが、軽井沢在住の作家小池真理子さんが「恋」(第114回直木賞受賞作品)で、この事件当日に起きた女子大生によるもう一つの殺人事件をテーマにしている。

 「あさま山荘事件」に話を戻すと、犯人の一人が海外に逃亡していることもあり、現在でも警察関係者の中にはこの「あさま山荘事件」はまだ終わっていないとする人達もいるが、事件のことは我々の記憶からは次第に遠ざかっている。

 先日偶然この事件が起きた年の報道写真集を古書店で入手したが、この年の出来事の一部を抜粋すると以下のようなものが見られる。写真と添えられている文章を見ていると当時の様々な出来事が思い起こされる。

 亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、今回のこの記事を終える。

朝日新聞報道写真集1973の表紙

1972年1月
・初の訪朝議員団出発・・・16日、自民党の久野忠治代議士を団長とする初の超党派訪朝議員団が羽田を出発。
・グアム島で元日本兵生還・・・24日夕、グアム島で元軍曹横井庄一さん(56)が発見された。
2月
・札幌オリンピック開会式・・・3日、アジア初の第11回冬季オリンピック札幌大会開会式が行われた。
・銀盤の名花リン・・・5日、女子フィギュア自由演技の女王、アメリカのジャネット・リンが華麗な演技を披露。
・妙義山で過激派幹部逮捕・・・16日、群馬県警が妙義山中で、5人を発見、うち男女2人を逮捕。17日、森、永田の2名を逮捕。
・人妻を人質に山荘占拠・・・19日、妙義山を脱出した連合赤軍5人が午後3時、浅間山荘に逃げ込み、管理人の妻を人質にした。
・ついに浅間山荘突入・・・28日、朝10時、ついに人質の強行救出作戦を開始。クレーン車の鉄玉で玄関を破壊。
・警察に殉職の犠牲・・・28日、攻撃開始から人質救出まで8時間余、警視庁第2機動隊長内田警視、特科車両隊高見警部が殉職。
3月
・トゲトゲしい阪大入試・・・3日、国立大学一期校の入学試験で、豊中市待兼山の阪大教養部では、機動隊が遠巻きにし、試験場入場は有刺鉄線で部外者の立ち入り禁止に。
・新幹線岡山まで開業・・・15日、新幹線の新大阪-岡山間161キロメートルが開業。
4月
・王者アリ、KO不発・・・1日、ヘビー級1位のアリと9位のフォスターが日本武道館で行われ、アリが判定勝ち。
・川端康成氏を悼む・・・17日、16日夜にガス管をくわえ、自殺したノーベル賞作家川端康成氏の通夜が行われた。
5月
・輪島功一、初回KO勝ち・・・7日、ジュニアミドル級タイトルマッチで輪島功一が6位のチベリアを1回KOで下し、初防衛。
・関脇輪島が初優勝・・・28日、大相撲夏場所で、花かご部屋の関脇輪島が12勝3敗で初優勝。
6月
・将棋名人に中原8段・・・8日、挑戦者中原誠8段が4勝3敗で大山康晴名人に勝ち、名人位を奪取。
・来日したキ補佐官・・・9日、夜、キッシンジャー米大統領補佐官が来日。12日まで滞在、佐藤首相、福田外相などと精力的に会談。
・首相、異様な引退表明独演・・・17日、午前11時、佐藤首相の引退記者会見は、興奮の応酬から記者団が一斉退場した。
・株式市場空前の暴落・・・24日、英ポンドの変動相場制移行に伴い、ダウ平均株価242円安の史上最大の下げ幅になった。
7月
・自民党新総裁に田中氏・・・5日、自民党の総裁選挙が行われ、田中角栄氏が第6代総裁に選ばれた。
・豪雨、東海地方も急襲・・・13日、未明、愛知県西三河地方と岐阜県東濃地方が1時間70ミリ以上の記録的豪雨に見舞われ、死者49名、行方不明48人を出した。
・四日市公害も患者側勝訴・・・24日、「四日市ぜんそく訴訟」の判決が言渡され、患者側の勝訴となった。
8月
・科学衛星「でんぱ」・・・19日、東大宇宙航空研究所は、電波探測衛星を積んだ4段式ミュー4S型4号機の打ち上げに成功した。
・高校野球に津久見優勝・・・23日、第45回全国高校野球選手権大会で中九州・津久見が初優勝した。
・ミュンヘンオリンピック・・・26日、第20回オリンピック・ミュンヘン大会の開会式が行われた。
9月
・田中首相、毛主席と会う・・・27日、田中首相は北京で毛沢東中国共産党主席となごやかに会談。
・日中国交を樹立・・・29日、日中両政府の共同声明調印式が北京の人民大会堂で行われた。
10月
・ルバング島に元日本兵・・・19日、フィリピンのルバング島で、元日本兵2人が警察軍と撃ち合い、小塚金七氏が死亡、小野田寛郎氏が逃亡。
11月
・パンダちゃんお目見え・・・4日、中国から贈られたパンダ2頭の贈呈式が東京・上野動物園で行われた。
・踊る歌手、山本リンダ・・・22日、山本リンダのNHK紅白歌合戦2度目の出場が決まる。
12月
・王者ショーター2連勝・・・3日、福岡市で行われた第7回国際マラソン選手権大会で、ミュンヘン五輪で金メダルの米ショーターが初の2連勝。
・笑いとまらぬ社会党・・・11日、上げ潮ムードに乗った社会党は118議席を獲得し、成田委員長が早々と勝利宣言。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪市立自然史博物館

2017-08-11 00:00:00 | 日記
 大阪の実家に定期的に出かけているので、その機会を利用して以前から行ってみたいと思っていたところに順次出かけるようにしている。藤田美術館、東洋陶磁美術館に続いて大阪市内の長居公園にある「大阪市立自然史博物館」に出かけた。

 長居公園は、私が3-4歳頃に住んでいた場所に近く、当時の記憶をたどると馬の姿がある。長居公園のウェッブサイトには次のような記述があり、確かに以前ここには競馬場と競輪場があったことが判る。

 『戦後から長居公園はめざましい発展をとげていくことになります。1948(昭和23)年、公園内に大阪競馬場が完成し市営競馬がスタート。その2年後には市営競輪場ができ、大阪中央競輪が開催されました。
 残念ながら競馬場は開始から11年目に幕を閉じ、競輪場もまた現在その姿を見ることはできませんが、戦後の時代を反映した取り組みだったことがうかがえます(http://www.nagaipark.com/history/index.html)。』

 その後は、東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年に長居陸上競技場が完成し、続いて長居プールやテニスコート、トレーニングセンター、長居相撲場などのスポーツ施設のほか、市立自然史博物館や長居植物園などの文化施設が続々とオープンして、市民憩いの場になっている。


現在の長居公園の様子(2017.7.19 撮影)

 1982(昭和57)年以降毎年1月には大阪女子マラソンが行われるようになり、TVでもその変貌ぶりを見ることができるようになった。


陸上競技場(2017.7.19 撮影)


長居公園の案内板(2017.7.19 撮影)

 さて、今回はこの長居公園の一角にある自然史博物館を訪れたが、その一番の理由はここがアサギマダラの渡りの調査で重要な役割を果たしてきたとされているからである。

 「アサギマダラの会(http://www.mus-nh.city.osaka.jp/kanazawa/asagi/asagi.html)」のウェッブサイトには次のように記されている。

 『アサギマダラの移動の謎を皆で調べよう!と、1983年6月に故日浦勇氏(当時大阪市立自然史博物館学芸課長)が、自然史博物館友の会会員に呼びかけて、「大阪のアサギマダラを調べる会」として発足しました。・・・その後、アサギマダラを調べている日本全国の同好者が入会したことから、1990年1月に現在の会名に変更しました。・・・
 活動内容は、毎年1~2月に前年のまとめ・調査計画立案会を自然史博物館で開催し、年数回の野外調査を行っています。冬~春はキジョランでの幼生期を、夏~秋にかけては成虫のマーキングを中心に、落葉性ガガイモ科植物での幼生期を調べています。

 当初は成虫の長距離再捕獲の成果が上がらず、泉佐野市犬鳴渓谷、桜井市長谷与喜山における幼生期の調査をねばり強く続けてきましたが、最近ではほとんどの再捕獲に当会が関係するようになってきて、非常に意気盛んです。』

 自然史博物館は、最寄りの地下鉄御堂筋線長居駅から徒歩10分ほどの距離にある。植物園と自然史博物館は有料で、共通の入り口でチケットを買って入る。


植物園と自然史博物館の共通の入り口(2017.7.19 撮影)


自然史博物館の前に広がる植物園の池(2017.7.19 撮影)


自然史博物館の前、植物園の池に咲くハスの花(2017.7.19 撮影)


自然史博物館前のポーチに展示されている巨大なナガスクジラの骨格標本(2017.7.19 撮影)


自然史博物館の玄関前(2017.7.19 撮影)

 目的のアサギマダラの渡りに関する展示は、2階の第3展示室にある。この展示室にはアサギマダラをはじめとして、「わたり」をする昆虫についての説明が詳しくなされている。


2階のレイアウト図

 先ずアサギマダラ。このコーナーでは次のように解説されている。

 『昆虫の長距離の移動にはふたつのタイプがある。ひとつは自分の意志と関係なく、台風や季節風により運ばれるもので、迷蝶、迷蛾、ウンカなどに見られる。・・・

 もうひとつのタイプは自発的な移動である。春~初夏に気温が高くなると高地・北方へ移動し、秋に寒くなると低地・南方へ移動する。

 アサギマダラがこのタイプであるが、他にも多くの蝶がこのタイプの移動を行うことがわかってきた。』


第3展示室のアサギマダラコーナーの説明展示・「旅をする蝶」(2017.7.19 撮影)


第3展示室のアサギマダラコーナーの説明展示・「アサギマダラの生活」(2017.7.19 撮影)

 次の展示図では台湾北部の陽明山でマーキングされたアサギマダラが北上し、日本の各地で再捕獲された様子が示されている。


第3展示室のアサギマダラコーナーの説明展示・「アサギマダラのわたり(北上)」(2017.7.19 撮影)

 その次の展示図では日本の各地でマーキングされたアサギマダラが南下し、台湾各地や中国で再捕獲された様子が示されている。


第3展示室のアサギマダラコーナーの説明展示・「あさぎまだらのわたり(南下)」(2017.7.19 撮影)

 このアサギマダラ、軽井沢でも6月頃から林地で見かけるようになっていたが、先日長野県の高峰高原で見かけ、撮影することができたので紹介する。


高峰高原で見かけた飛翔するアサギマダラ♂(2017.8.3 撮影)


高峰高原で見かけたヨツバヒヨドリで吸蜜するアサギマダラ♀(2017.8.3 撮影)

 続いて、この展示コーナーではアサギマダラのほかにも「わたり」をしている可能性がある昆虫が数種類紹介されている。その中に「イチモンジセセリ」が含まれていた。

 私は初めて知ったのだが、軽井沢でもよく見かけるこの「イチモンジセセリ」が「わたり」をする蝶の可能性があるとして、アサギマダラと共にマーキング調査の対象とされているということであった。


第3展示室のイチモンジセセリなどの渡りの説明展示・「秋に南へ移動する蝶」(2017.7.19 撮影)


第3展示室のイチモンジセセリなどの渡りの説明展示・「伊良湖岬とイチモンジセセリ」(2017.7.19 撮影)


第3展示室のイチモンジセセリなどの渡りの説明展示・「イチモンジセセリの生活」(2017.7.19 撮影)


第3展示室のイチモンジセセリなどの渡りの説明展示・「イチモンジセセリとチャバネセセリの地理的分布」(2017.7.19 撮影)

 イチモンジセセリの捕獲とマーキングに関しては、大和葛城山で、各地で黒や赤の油性ペンでマーキングされた個体を再捕獲する様子や、新たにマークングをする様子がビデオで流されていた。


大和葛城山でのイチモンジセセリの捕獲とマーキングの様子を紹介するビデオ(2017.7.19 撮影)


後翅の白い文様を油性ペンで塗りつぶしてマーキングをしたイチモンジセセリのビデオ(2017.7.19 撮影)

 このイチモンジセセリは軽井沢でも時に群を見かけることがある。次の写真は2~3年前に撮影したものだが数十頭が花に群がっていた。


軽井沢で見かけたイチモンジセセリ1/2(2015.9.2 撮影)


軽井沢で見かけたイチモンジセセリ2/2(2014.9.14 撮影)

 この2階第三展示室にはこのほか蝶に関する展示が多く、所変われば・・・として世界地図上に示された蝶の標本は見ているだけで楽しいものであった。


所変われば・・・世界の蝶1/2(2017.7.19 撮影)



所変われば・・・世界の蝶2/2(2017.7.19 撮影)



同、日本の蝶の部分拡大、オオムラサキ、ギフチョウなどが見える(2017.7.19 撮影)

 今回の訪問で新たにアサギマダラのほかにも数種類の蝶が「わたり」をしている可能性があると知り、ますますこの「わたり」に興味を持った。

 当博物館ではミニガイドという小冊子を発行している。そのN0.28に「バタフライガーデンとアサギマダラ」があった。この中にアサギマダラとそのわたりの習性、そしてマーキング調査についての説明がある。

 軽井沢にもアサギマダラの会があると聞いている。マーキング活動に参加してみようか・・・と思いながら、この冊子を購入して帰路についた。


自然史博物館発行ミニガイドN0.28「バタフライガーデンとアサギマダラ」の表紙




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池の平湿原の蝶と花探訪(1/2)

2017-08-04 12:30:00 | 日記
 蝶好きの友人が数名来訪することになり、軽井沢から簡単に行け、高山蝶を見ることができる場所ということで、湯の丸高原の池の平湿原に案内することにした。

 3年前ここに行った時にベニヒカゲを目撃していたことと、湿原内にクロマメノキが自生しているのを見ていたので、この葉を食葉にしている「ミヤマモンキチョウ」も見ることができるのではという期待とがあった。


池の平湿原のベニヒカゲ 1/3(2014.9.11 撮影)


池の平湿原のベニヒカゲ 2/3(2014.9.11 撮影)


池の平湿原のベニヒカゲ 3/3(2014.9.11 撮影)


クロマメノキ(2017.7.31 撮影)

 このところ天候が安定せず、迷走する台風5号の動きも気になる日が続いていたが、朝少し晴れ間が見えた7月31日に下見を兼ねて現地の様子を見に行くことにして家を出た。10時半頃に現地駐車場に着くと、平日にもかかわらず、すでに多くの車が駐車していて、管理人の話では早朝から駐車場の開くのを待っている人もいるとのことであった。

 湿原入り口から尾根筋の「見晴歩道」を歩き始め、「雲上の丘広場」、「ピグミーの森」、「見晴コマクサ園」を経て鏡池に向かった。歩き始めるとすぐにたくさんのコヒョウモンが吸蜜しているところを見ることができた。この日はこのコヒョウモンが一番多く見られた。


現地入口の案内板(2017.7.31 撮影)

 1時間ほど歩き、湿地内の鏡池近くの木道まで来たときに、最初の「ミヤマモンキチョウ」に出会った。その後、以前クロマメノキを多数確認していた「放開口」に向かったところ、丁度日が差し始めたことも幸いして多数の「ミヤマモンキチョウ」が飛翔しているところに出会い、充分撮影もできた。


放開口から見える東御市街(2017.7.31 撮影)

 一方、「ベニヒカゲ」の姿は全く見ることはできなかった。発生時期には少し早かったようである。

 この日と、8月3日に再度友人と共に現地に出かけた時に撮影した蝶と高山植物を以下にご紹介する。

 まずは、今回のお目当ての「ミヤマモンキチョウ」。この蝶は長野県天然記念物に指定(1975年2月24日)されている種で、浅間山周辺と北アルプスにのみ分布する。浅間山系(浅間山~白根山)に分布している種は亜種として区別され、「アサマモンキ」とも呼ばれている浅間山系の特産種である。ちなみに北アルプス産亜種は「アルプスモンキ」と呼ばれている。


ハクサンフウロで吸蜜するミヤマモンキチョウ♀(2017.7.31 撮影)


シャジクソウで吸蜜するミヤマモンキチョウ♀(2017.7.31 撮影)


ノアザミで吸蜜するミヤマモンキチョウ♀ (2017.7.31 撮影)


ノアザミで吸蜜しながら開翅するミヤマモンキチョウ♀ (2017.7.31 撮影)


飛翔するミヤマモンキチョウ♀(2017.7.31 撮影)


ミヤマモンキチョウの求愛行動 上♂・下♀ (2017.7.31 撮影)


クロマメノキに産卵するミヤマモンキチョウ♀(2017.7.31 撮影)


木道脇のクロマメノキの葉上に産み付けられたミヤマモンキチョウの卵 1/2(2017.8.3 撮影)


木道脇のクロマメノキの葉上に産み付けられたミヤマモンキチョウの卵 2/2(2017.8.3 撮影)

 続いて、今回池の平湿原で出会った蝶をご紹介する。


クロヒカゲの群れ(2017.7.31 撮影)


ヒメキマダラヒカゲ(2017.7.31 撮影)


マツムシソウで吸蜜するコヒョウモン (2017.7.31 撮影)


マルバダケブキに集まるコヒョウモン (2017.7.31 撮影)


ノアザミで吸蜜するギンボシヒョウモン(2017.7.31 撮影)


ノアザミで吸蜜するミドリヒョウモン(2017.7.31 撮影)


葉の上に止まるエルタテハ(2017.7.31 撮影)


ノアザミで吸蜜するアカタテハ(2017.7.31 撮影)


ノアザミで吸蜜するクジャクチョウ(2017.7.31 撮影)


ゴイシシジミ(2017.7.31 撮影)


マルバダケブキで吸蜜するアサギマダラ ♂上・♀下(2017.7.31 撮影)


ノアザミで吸蜜するキアゲハ(2017.7.31 撮影)


ハクサンフウロで吸蜜するコチャバネセセリ(2017.7.31 撮影)


ノアザミで吸蜜するオオチャバネセセリ(2017.7.31 撮影)

 続いて、湿原を彩る多くの高山植物。林道と木道を歩きながらの撮影であったが、それでもこれだけ多くの花を撮影することができた。


ウスユキソウ(2017.8.3 撮影)


マツムシソウ(2017.8.3 撮影)


コマクサ(2017.7.31 撮影)


ヤマオダマキ(2017.7.31 撮影)


クルマユリ(2017.7.31 撮影)


シャジクソウ(2017.8.3 撮影)


イブキジャコウソウ(2017.7.31 撮影)


ヨツバヒヨドリ(2017.8.3 撮影)


カラマツソウ(2017.8.3 撮影)


アヤメ(2017.7.31 撮影)


ノハナショウブ(2017.7.31 撮影)


ツリガネニンジン(2017.7.31 撮影)


ウツボグサ(2017.7.31 撮影)


ヤナギラン(2017.8.3 撮影)


カワラナデシコとワレモコウ(2017.8.3 撮影)


シモツケソウ(2017.8.3 撮影)


アキノキリンソウ(2017.8.3 撮影)


ノアザミ(2017.8.3 撮影)


ジガバチソウ(2017.8.3 撮影)


コキンレイカ(2017.8.3 撮影)

 今回訪問した2日共、多くの家族連れや老若男女が散策しながら、自然観察を楽しんでいた。たくさんの昆虫と高山植物に恵まれた素晴らしい場所であった。

 ここは自然保護区であり、昆虫や植物の採集が禁止されていることと、自然環境を保全するための活動も行われていることから、これだけ多くの動植物を見ることができるのであろう。「ミヤマモンキチョウ」はじめ、昆虫たちがこれからもずっと我々の目を楽しませてくれることを願いたい。
 










 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする