軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

三波石(4/4)

2021-06-25 00:00:00 | 岩石
 下仁田町自然史館員さんの勧めもあり、前回三波石(3/4)で紹介したクリッペに関する大地の運動の痕跡を、今回の中央構造線見学に加えることにして、順次現地を訪問した。場所はすべて下仁田町の南部にあり、次の地図に示されているが(ジオサイト番号とは異なっている)、下線を引いた、⑪の跡倉クリッペのすべり面、⑫の大桑原のしゅう曲、⑬の宮村の逆転層と、番号のついていない跡倉れき岩の4か所である。


下仁田町のジオサイトを示す地図(下仁田町パンフレットより)

 最初に見学したのは、下仁田町自然史館とは道路を挟んで反対側にある「跡倉クリッペのすべり面」で、駐車場に車を停めたまま徒歩で現地に向かった。

 この動いてきた地層のすべり面の痕跡「跡倉クリッペのすべり面」についてのパンフレットの説明は次のようである。「跡倉クリッペのすべり面の中で、最も大規模な露頭です。この露頭ではクリッペを構成する地層が動いた時の痕跡に触れることができます。」

 阪神淡路大震災時の断層を見たことがあるが、すべり面は驚くほどきれいな平面を見せる。今回、この露頭も同様に直線的な断面を見せていた。すべり面の長さや幅の全体像をこの露頭から推定することは困難であるが、ある時、一気に地層が滑ることで、こうした直線的な地層の痕跡を残したのであろうと思われた。


「跡倉クリッペのすべり面」のジオサイト標識⑲(2021.4.20 撮影)


青倉川の対岸に「跡倉クリッペのすべり面」が見える(2021.4.20 撮影)


「跡倉クリッペのすべり面」(2021.4.20 撮影)


「跡倉クリッペのすべり面」(2021.4.20 撮影)

 見学した後、一旦町の中心部方向に少し戻り、主要地方道下仁田上野線(県道45号線)沿いにある3カ所を訪れた。

 この時、走っていて、この道路が上野村に繋がることを知った。上野村はあの1985年8月12日に、日航機123便が墜落した御巣鷹の尾根のある場所である。知ってはいたものの意外に軽井沢に近かったことをあらためて認識したのであった。

 さて、次の目的地「大桑原のしゅう曲」は45号線沿いにジオサイト㉓の標識があり、場所は容易に確認できた。案内に従って細い道路を入っていくと木工所があるが、ここの職員に聞き詳しい場所を確認できた。木工所脇には見学者用の駐車スペースがあり、車を停めることができる。

「大桑原のしゅう曲」のジオサイト標識㉓とその脇にある駐車スペース(2021.4.20 撮影)

 このしゅう曲についてはパンフレットに次の説明がある。「クリッペを構成する地層が、移動時の運動によってV字型に大きく折れ曲がった様子が確認できます。」

「大桑原のしゅう曲」が左端に見える(2021.4.20 撮影)



「大桑原のしゅう曲」(2021.4.20 撮影)

「大桑原のしゅう曲」の右側に見られる三波石塊(2021.4.20 撮影)

 次の見学先「宮室の逆転層」は県道をさらに進んだところにある。ここには広い駐車場が用意されているが、現地はこの駐車場からやや離れた場所にある。案内通りに進み、南牧川にかかる万年橋を渡り河原に下りることができる。

 パンフレットの「宮室の逆転層」の説明には「クリッペを構成する地層が大きな地殻変動で地層の上下がさかさまになった様子が見られます。」とあり、ここには記されていないが現地の案内板によるとこの逆転層には生物の這い跡が痕跡として残されているという。


45号線沿いにある「宮室の逆転層」の駐車場(2021.4.20 撮影)



現地近くの「宮室の逆転層」のジオサイト標識⑳(2021.4.20 撮影)


万年橋の上から見た「宮室の逆転層」の全体(2021.4.20 撮影)


万年橋のたもとにある「宮室の逆転層」の説明板(2021.4.20 撮影)


「宮室の逆転層」(2021.4.20 撮影)


「宮室の逆転層」にみられる生き物が動いた跡(2021.4.20 撮影)

 地層の逆転といっても、見てすぐにそれと判るわけではない。地層の上下の見わけ方を理解しなければならない。

 先の説明パネルの右端には次のような説明があった。地層の上下は粒子の大きさで見わけるという。正しい順序で積み重なった地層を正序部と呼ぶが、次の写真で左側がその正序部が2層積み重なった図である。

 この地層が大地の運動により、褶曲しさらには折り重なって上下が反転した部分が逆転部である。逆転部では粒子の大きいものが上部に来て、天地が逆転している。


逆転層を見分ける方法を示した説明板の部分(2021.4.20 撮影)

 海底の泥の上を生物が這いまわり、溝を形成したところに砂がつもり、後の地殻変動で逆転層が形成されて上下が反転し、上の泥の部分が削られて砂の表面のでっぱりが現れることがある。これが生物の這い跡を示す痕跡とされている。


生物の這い跡が逆転層の表面に現れる様子を示した説明板の部分(2021.4.20 撮影)

 前回示したクリッペの山々ができる様子が、ここの説明板に示されていたので、改めて紹介する。

 元は別々の場所で生成した三波川変成層と跡倉層であるが、三波川変成層が海底から隆起したところに跡倉層が横方向にすべり上に乗る形になる。その跡倉層が、河川の浸食により削られて谷を形成し、残された部分がいくつもの山地を形成する、という説明である。


現地説明板に示されているクリッペの山々ができる様子(2021.4.20 撮影)

 なかなか丁寧な解説で、クリッペの示す挙動がよく理解できるものとなっている。

 最後に、帰路に立ち寄って見学したのは、「跡倉れき岩」である。ここには駐車場がなく、道路わきに停めるしかないようであったが、我々は近くにある自販機を設置している商店にお願いして車を停めさせてもらった。

 坂道を降りて河原に出ると、あたりの岩はほとんどが礫岩であった。この岩盤は、固い礫岩が川の流れで浸食され、表面が良く磨かれているため礫の入り方や礫の種類をよく観察でき、昔から多くの研究者が訪れる地質の名所であるという。以下現地の写真を見ていただく。

川の対岸側から見た「跡倉れき岩」の地層(2021.4.20 撮影)

表面が磨かれ平滑になっているれき岩(2021.4.20 撮影)

れき岩表面の様子 1/2(2021.4.20 撮影)

れき岩表面の様子 2/2(2021.4.20 撮影)

 以前、三波石峡に行った時に、妻が礫岩があると言って指さしたものをよく見ると、鉄筋が入っていてコンクリート片であることが解り、近くにあるダムの工事現場から出たものではないかということになり、笑い話になったことがあったが、ここのれき岩は間違いなく本物である。

 ところが、現地で撮影した写真には次のようなものが含まれていた。当日は何気なく撮影したもので、詳しく観察しなかったので鉄筋などが含まれているかどうかの確認はしていない。

ちょっと怪しげなれき岩風の岩石(2021.4.20 撮影)

 撮影は間違いなく現地のもので、前後の写真は次のようである。

撮影No.598(2021.4.20 撮影)
撮影No.599(2021.4.20 撮影)
撮影No.600(2021.4.20 撮影)

 果たしてこれが本物のれき岩なのか、コンクリート片なのか今となっては私には判断がつかないでいる。

 さて、最後に本題からそれた話になったが、4回にわたり三波石とその産地周辺の地層に関して紹介した。

 言葉は知っているものの余り身近な存在ではなかった中央構造線と、その周辺にのみ見られるという三波石が意外にすぐ近くにあることを実感する小さな旅であった。
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三波石(3/4)

2021-06-11 00:00:00 | 岩石
 青岩公園の見学の後に向かったのは、今回の主目的である「川井の断層」。付近には駐車場がないとの町役場の係員の説明があったので、このところ足を痛めている妻だけを近くに降ろし、市街地の町営駐車場に戻るつもりで現地に向かったが、都合よく善福寺そばの道路わきに1台分の駐車スペースを見つけ、ここに駐車できた。

 断層に通じる細い下り坂の入り口には、ジオサイト⑭の標識があり、詳しい説明板も傍らに設置されていた。


ジオサイト⑭「川井の断層」の標識と説明板(2021.4.20 撮影)


川井の断層・下仁田層の説明板(2021.4.20 撮影)


上記説明板の左下部分(2021.4.20 撮影)

 たまたま通りかかった散歩中の中年女性に案内されるようにして坂道を下っていくと河原に出、足元には三波石塊が広がっていて、左側には三波石の大きな岩がある。この岩塊には「注意」と記されたロープが張られそれ以上は進むことができないようになっていた。

断層の手前にある三波石塊(2021.4.20 撮影)


三波石塊より先には進むことができない(2021.4.20 撮影)

 目指す断層はその奥にあり、回り込むようにするか、岩に上らないとよく見えない。先年の台風19号の爪痕がまだ残っているのか、近くの竹や藤ヅルの太い幹のようなものが断層の前に倒れかかり、見えにくいが、確かに下部には三波石の緑色が確認でき、その上には中間破砕層を介して黄土色の地層が見えた。

  
断層部分(2021.4.20 撮影)

 この断層の露頭は鏑川の右岸に位置しているが、同じく中央構造線が横断しているはずの対岸を見ると三波石が見えるものの、その向かって左側、北側はブロックが積まれた護岸壁になっていて、明確な断層は確認できない。さらに左側に行くと、下仁田層の砂岩が露出していて、ここでは二枚貝や巻き貝などの貝類をはじめ、サメの歯やカニなどの甲殻類の化石が30種類以上も発見されているという。

 この地点から、鏑川の下流域青岩公園方向を見ると、ところどころ三波石が顔を出しているのが確認された。

 実際に中央構造線の露出部が見られるのは、写真のように、長さ数メートルであるが、これが関東地方では唯一の場所であることを思うと感慨深いものがある。長野県にはこのほか大鹿村にもこうした中央構造線の露頭が知られているので、ぜひ現地に行き、比較してみたいものである。

対岸には断層は確認されず、青緑色の三波石だけが見える(2021.4.20 撮影)


断層のある場所から川の上流方向を見る(2021.4.20 撮影)


断層のある場所から川の下流域を望む(2021.4.20 撮影)

 川井の断層の見学を終え、次に、先程案内時にぜひ行くといいと女性が勧めてくれた下仁田町自然史館に向かった。

旧青倉小学校の校舎を利用している下仁田町自然史館(2021.4.20 撮影)

 以前にも記したように、この日この施設は休館中であり、内部の見学はできなかったが、元の校庭には次のような説明板が設置されていて、下仁田地区の地質概要とその主な見学場所に関する情報を得ることができた。

旧校庭に設置されている屋外説明板 1/3(2021.4.20 撮影)

旧校庭に設置されている屋外説明板 2/3(2021.4.20 撮影)

旧校庭に設置されている屋外説明板 3/3(2021.4.20 撮影)

 これらによると、下仁田町は中央構造線を境として南北で大きく地質が異なっている。北側(内帯)の地質は複雑であり、下仁田層では化石が産出し、中小阪鉄山では江戸時代末期から採掘が始まったとされ、鉄鉱石を産出する地層もある。また、石灰岩地帯もあり、こうした土地を好むフクジュソウの里もある(2021年3月5日公開の本ブログ参照)。

 一方中央構造線の南側(外帯)は比較的単純な地層で、三波川変成帯層が全体に広がり、その上に「クリッペ」と呼ばれる層が乗っている。パンフレットには次のような説明を見ることができる。


下仁田町の中心街から南の山々を見た写真と説明図(同町発行のパンフレットから)
 
 この写真の説明図には富士山、大山、御嶽という名が見られる。もちろん下仁田町から本物の富士山などが遠望できるわけではなく、これらに似た山の形ということで名前が付けられたのであろうが、これらの山を形づくる地層が「クリッペ」と呼ばれているものである。上の説明図では市街地が広がっている平坦地が三波川変成帯層で、その上のオレンジ色に塗り分けられている山地がクリッペである。

 元の小学校の校庭にあった説明板によると、聞きなれない語「クリッペ」とは「根なし山」のことを指し、これは1953年に藤本治義先生がそうした考えを発表されたものだという。三波川変成帯層の上に乗っているこの下部とは異なる地層は、大地の運動によって移動してきたものとされるが、どこから移動してきたのかは、まだわかっていないそうである。文字通りその下の三波川変成帯層との関係のない根なし草的地層ということである。

 この後、クリッペに関連したジオサイトを見学したが、これらについては次回に譲ることにする。

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三波石(2/4)

2021-05-21 00:00:00 | 岩石
 三波石が中央構造線に沿って見つかるということを知り、その中央構造線が軽井沢からそう遠くない下仁田町で地表に現れていて、河原で三波石の見られる場所や、河岸に断層を確認できる場所があるということもわかったので、先日現地に出かけてきた。

 下仁田町には、三波石の巨岩がある「青岩公園」や、中央構造線を見ることができる「川井の断層」の他にも、先ごろ富岡製糸場と共に世界遺産登録された「荒船風穴」など独自の地形や地下資源を活用した歴史や産業の遺産があり、平成23年9月に日本ジオパークネットワークへの加盟が認定されている。

 町が作成した「下仁田ジオパーク」というパンフレットには、町内に点在する31カ所の見どころ「ジオサイト」が紹介されているが、妻と私はその内の三波石と中央構造線に関連した次の6カ所を見学した。またこれらとは別に下仁田町自然史館にも立ち寄って情報を入手した。

 下仁田町自然史館は、平成20年に廃校になった元町立青倉小学校を活用したもので、展示室や実習室を備えていて、館内には、町やその周辺で採取した岩石や化石などが展示されているということであるが、生憎当日は休館期間中で、内部の見学はできなかった。

 館員の方から資料をいただき、道路を隔てて反対側には「跡倉クリッペのすべり面」があるのでぜひ見ていくといいと教えていただいた。館は6月1日には再オープンの予定とのことでまた改めて訪問したいと思っている。

下仁田町発行の観光パンフレットから

同上の拡大地図、中央構造線が走る位置と「川井の断層」、「青岩公園」の場所が示されている

 さて当日、出発時点ではまだ上掲の地図を入手しておらず、ネットで調べた情報を元に現地に出かけたので、先ず見つけやすい「青岩公園」を目指した。青岩公園はすぐに見つかり、ここから見学を始めた。ここに来れば、次の目的地「川井の断層」についての情報が得られるのではと思っていたが、はっきりしなかったので、見学ののち改めて下仁田町役場に行き、「下仁田ジオパーク」地図を入手するとともに、川井の断層に行く道順、駐車場所などを教えていただいた。

 今回見学した6か所の詳細については、案内地図に次のように示されている。「クリッペ」という聞きなれない語が出てくるが、これは三波川変成帯の上にあり、ここまで移動してきたとされる地層のことで、「根無し山」との意味があるようだが、具体的なことについては別途触れることにする。

1.青岩公園
  青い石畳が広がる公園で、河原では約16種類の石の採取ができる。
2.川井の断層
  西は九州から始まる西日本の地質を大きく二分する大断層「中央構造線」。関東では大部分が
 地下に隠れてしまい、地上に露出しているのは下仁田だけ。
3.跡倉クリッペのすべり面
  跡倉クリッペのすべり面の中で、最も大規模な露頭。この露頭ではクリッペを構成する地層が
 動いた時の痕跡に触れることができる。
4.大桑原のしゅう曲
  クリッペを構成する地層が、移動時の運動によってV型に大きく折れ曲がった様子が確認でき
 る。
5.宮室の逆転層
  大きな力を受けて地層が上下逆さまになっているところと、正常に堆積しているところの両方
 がみられる。逆転した部分では、当時の海底面にできた生物の這い跡が見られる。
6.跡倉れき岩
  長源寺橋下の岩盤は、固い礫岩が川の流れで浸食され、表面が良く磨かれているため礫の入り
 方や礫の種類をよく観察でき、昔から多くの研究者が訪れる地質の名所。  

 最初に訪れた「青岩公園」は、南牧川が鏑川に合流する地点にあり、文字通り河原に青緑色の巨大な三波石の岩塊が横たわっているところである。すぐ近くに狭いながらも駐車スペースがあるのでここに車を停め、土手を下って河原に降りると、岩を巡る歩道や階段が設けられている。

 川の両岸にも三波石の露出しているところが見られ、鏑川が三波石地帯を削り流れていることが分かる。

 この河原では、16種類の石の採取ができるとのことで、我々も手ごろな大きさの三波石をお土産に拾い持ち帰った。これで、我が家には3地域の三波石が集まったことになる。

 青岩公園とその周辺の風景は次のようである。駐車場の周辺では「スジグロシロチョウ」が飛び回っていて、河原に下りると、三波石の割れ目には「ド根性スミレ」がまだ最後の花を付けていた。また、川岸の三波石塊には白いウツギの花が覆いかぶさるように咲いていた。

土手から青岩公園に続く歩道(2021.4.20 撮影)

三波石の中を巡る歩道(2021.4.20 撮影)

河原に広がる三波石塊(2021.4.20 撮影)

鏑川左岸に露出する三波石塊(2021.4.20 撮影)

鏑川右岸に見える三波石塊(2021.4.20 撮影)

鏑川右岸に見える三波石塊(2021.4.20 撮影)

2川の合流地点に見える三波石の岩塊(2021.4.20 撮影)


河原に見られる三波石とさまざまな色の石(2021.4.20 撮影)


駐車場周辺を飛ぶスジグロシロチョウ(2021.4.20 撮影)


河原の三波石の割れ目に咲くド根性スミレ(2021.4.20 撮影)


三波石の壁に咲くウツギの花(2021.4.20 撮影)

 この青岩公園近くの河原で拾い、記念に持ち帰ったもの(右下)を加えて、我が家の三波石は4個になった(右上:和歌山産)。色がよく判るようにと、濡らしてみたが、下仁田産のこの石は緑色部に比して白色部が多い。


写真(2021.5.2 撮影)



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三波石(1/4)

2021-04-30 00:00:00 | 岩石
 昨年秋、大阪の実家を取り壊すことになり、家に残されている両親の遺品などを処分しなければならなくなった。妹たちと相談の上、一部を引き取ることになったため、車で出かけたが、帰り際に庭の片隅に緑色の石があるのに気がついて、それほど大きいものでもないので、トランクの隅に積んで持ち帰ってきた。

 自宅に戻ってからこの石を取り出して、以前からあった同じように緑色をしている石と見比べてみたが、とてもよく似ていた。


三波石(左2個)と大阪から持ち帰った石(2021.3.22 撮影)

 以前から自宅にあったこの2個の石は三波石というもので、秩父方面に出かけた時に土産に買ってきたものである。

 2017年の2月に秩父の山中にあるセツブンソウの群落を見に出かけたことがあった。この時は上信越自動車道の吉井ICで下りて南下し、小鹿野町の自生地に向かった(当時撮影したセツブンソウについては、2017年3月3日公開の当ブログで紹介している)。その帰路、群馬県境の神流湖に立ち寄ったが、ここにある下久保ダムから下流域は渓谷美で知られる三波石峡である。

 この三波石峡を形作っている岩石が三波石と呼ばれる石で、美しい青緑色から緑色、黄緑色をとる岩石(緑色片岩)に白色の石英の細脈が走っていて、これが峡谷の強い水流によって磨かれて岩肌に紋様となって現れ、その美しさによって古くから銘石(名石)として知られてきた。


三波石峡の渓谷と三波石(2017.2.28 撮影)

 現地にはいくつかの説明板や石碑が設けられていて次のようである。
  
現地に設置されている説明板(2017.2.28 撮影)

三波石峡の命名されている石の説明板(2017.2.28 撮影)

三波石峡谷の天然記念物指定を解説する石碑(2017.2.28 撮影)

 この石碑には次のように刻まれている。

名勝および天然記念物「三波石峡」
 指定 昭和三十二年七月三日
 この峡谷は約一粁に及び 河床河岸には 主に
三波石と通称される緑色片岩類の転石が横たわり
特異な景観をつくり神流川における代表勝区を
なしている 三波石は神流川の特産で 古くから
庭石として珍重され採石されたため 自然の状態
で現存するのはこの峡谷のみである しかもこの
峡谷のものは豪壮な巨石や奇岩が多く 古来名の
あるもののみで四十八石ある とくに新緑や紅葉
のときの美景はひとしおである
   注意事項
 一 採石植物採取をしてはならない
 二 紙くづ等を散らし 美観を傷付けてはなら
   ない
 昭和四十三年三月三十一日
           文化財保護委員会
           鬼石町教育委員会
           神泉村教育委員会

 このように三波石峡は天然記念物に指定されていて、現地での採石は厳禁であるが、近隣には石材店があり、庭石としての需要があることから三波石が販売されていた。我々も記念にと小さな石を2個買い求めたのであった。


三波石などの庭石を販売する店(2017.2.28 撮影)

 大阪の実家にあった石が三波石とよく似ているということで、改めてこの三波石について調べてみると、どうやら大阪から持ち帰った石も三波石の可能性がでてきた。ただし、産地は関東ではなく和歌山ではないかということになる。

 父の実家は和歌山県・高野山の麓の九度山にあった。この家の前には川が流れていて、私も子供のころ夏休みなどに出かけて川で魚を採ったり、少し大きい岩から飛び込んで泳いだりした覚えがあるが、今振り返ってみると河原の岩石は三波石と同じような色をしていたように思う。この辺りの石を父が拾って持ってきていたのではないかと思えるのである。

 今一度三波石峡にあった説明板を読んでみると、次の文章がある。

「三波石は地質上では三波川結晶片岩と呼ばれ、関東地方から九州地方まで長さ約800kmにわたって帯状に分布する三波川変成岩帯が露呈した岩石です。」

 どこにでもある岩石というわけでもなさそうであるが、帯状に広範囲に分布している岩石でもあることがわかる。更に調べていくと、三波川変成岩帯は中央構造線との関係が深いことが判った。中央構造線は、父の実家にも近い和歌山県の紀ノ川に沿っていることはよく知られている。

 ウィキペディアで「三波川変成帯」を見ると、次のような説明があって、秩父山中と和歌山県と随分離れた場所にもかかわらず、同じような成因の岩石が産出することが判る。

 「三波川変成帯は中央構造線の外帯(筆者注:南側)に接する変成岩帯である。日本最大の広域変成帯とされ、低温高圧型の変成岩が分布する。名称は群馬県藤岡市三波川の利根川流域の御荷鉾山(みかぼやま)の北麓を源流とする三波川産出の結晶片岩を三波川結晶片岩と呼んだことに由来する。三波川帯とも呼ばれる。中央構造線を挟んで北側の領家変成帯と接する。」

 「分布は関東山地から一旦フォッサマグナにより寸断され、長野県諏訪湖南方の上伊那地域で再び現れ、天竜川中流域・小渋川を経て紀伊半島、四国、九州の佐賀関に及び、全長約1000kmに達する。」

 こうしたことから、今我が家にある3個の青緑色の石はすべて三波石とみていいだろうと思う。日本地図上に中央構造線と三波石が見られる地域・三波川変成帯を描くと次のようである。

 
中央構造線と三波川変成(岩)帯の分布地域(1:父の実家、2:三波石峡)

 この地図に3個の三波石の採集地を加えると、「1」と「2」であり、当然中央構造線上にくる。更に現在の我が家の位置「3」と妻の実家の場所「4」を加えると、何とすべてが中央構造線沿いにあるということになった。

 長野県下を走る中央構造線は実際には一部がフォッサマグナの下にもぐっていることから、軽井沢周辺の状況ははっきりとはしていないようであるが、近隣の下仁田には断層の露頭があるとされている。また、県下の大鹿村の県道152号線沿いの北川露頭では中央構造線を見ることのできる場所があるとされるので、両地の三波石の見学も合わせてぜひ出かけてみたいと思っている。

 ところで、岩石というのは単結晶に比べると捉えどころがなく何とも分かりにくい対象という気がする。この三波石も同様で、元素組成はどうなっているのか、どのような鉱物組成になっているか、緑色発生の理由は何かといったことが気になる。

 原色岩石図鑑(益富壽之助著 1964年保育社発行)の索引で調べると、三波石に関連する岩石として、緑色片岩、緑泥片岩などが見つかる。この内、緑泥片岩の項を引用すると次のようである。

 「緑泥石を主成分とする濃緑板状の岩石を緑泥片岩と呼び、これに類する輝岩、角閃片岩とを総括して緑色片岩 green schist ということがある。三波川層に普通のもので俗に青石といい庭石に用いる。輝緑凝灰岩など塩基性岩の変質によるという。三波川変成帯の銅鉱床(別子のような)の母岩として重要である。・・・」

 別の資料によると、三波石すなわち緑色片岩は構成元素から見た成分には特徴はなく、SiO2が約50%(玄武岩の性質)であるという。主な鉱物は、緑色成分である緑泥石、緑閃石、緑簾石、蛇紋石などであり、これに白色の石英などが混じっているとされる。

 中央構造線など、せん断応力の作用する地下で玄武岩質の岩石が、200℃から450℃の温度と、2キロバールから10キロバールの圧力の下で再結晶化を起こした結果、板状構造が出来上がったものだという。

 上記緑色主成分とされる結晶の組成を見ておくと次の様であり、複雑な組成を持っているが、いずれもFe成分を含んでいて、この鉄イオンが緑色を呈する要因と考えられる。

・緑泥石(chlorite)       (Mg,Fe,Al,Mn,Ni)12 (Si,Al)8 O20 (OH)4                                  
・緑閃石(actinolite)    Ca2 (Mg,Fe)5 Si8O22 (OH)2     
・緑簾石(epidote)      Ca2 (Al,Fe)3 Si3O12 (OH)        
・蛇紋石(serpentine) (Mg,Fe)3 Si2O5 (OH)4




 





 
 
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